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花のように  作者: 藤井 芹香
9/11

個人サイトからの加筆転載です。


 ヴェンダは言い知れぬ怒りを感じていた。

 自分でも何に腹を立てているのか、釈然としない。

 しかし、怒りの相手だけはわかる。クルナティオだ。

 私は、本当に辞めるつもりなのに、あの騎士は、辞めるつもりなど無いはずだと決めてかかったり、私に魔法を使わせようとしている。

 何の目的があって?

 私をどうかしようと考えているのかしら?

 しかし、血の昇った頭で考えても答えは見つからず堂堂巡りを繰り返すだけ。

 別に、クルナティオの期待に答えなければならない義務はないはずだ。

 それなのに、あの騎士の言葉に腹を立てている。

 もしかして、私自身が何かをしなければならないという義務感を抱いているせいなのだろうか?

 そんな、ことはない。そんなことは。

 その夜、ヴェンダは、浅い眠りの夜をすごした。心の中のわだかまりが原因だった。。

 翌日は、『歌姫の降臨祭』の前夜祭の日だ。

 この日に、初めて新しい歌姫がお披露目される。

 夕暮れが近くなるころから、神殿へ入場する前に歌姫が市内をパレードすることになっていた。このとき、人々は新しい歌姫を一目見ようとパレードのコースに沿って人垣を作る。特に、大祭と呼ばれる今回の降臨祭はパレードの行列も長くなり、人垣の厚さも例年の倍以上になるはずだ。

 人々の噂から、新しい歌姫は、浅黒い肌と濡れ羽色の髪を持つらしい。

 しかし、あくまでも、噂は噂である。実際にお披露目された歌姫が、噂とまったく違う場合も少なくはない。

 今回の歌姫は、大祭を執り行うほどの逸材ということ。どんな人物なのだろうかと、皆は期待しているだろう。

 昼過ぎには、バドが迎えに来る事になっている。夕方のパレードを見に行く約束だった。

 ヴェンダは、昼食をとるとすぐに身支度をはじめていたため、バドが来る頃には、すっかり待ちくたびれていた。なぜか、体を動かしていないと、落ち着かなかったのだ。

 やがて、バドが迎えに来た。

 完全に待ちくたびれていたヴェンダは、扉を開くのももどかしげに顔を出した。

 バドとヴェンダは、簡単な挨拶だけ交わすと部屋を後にした。

 どこで見物しようかと相談しながら歩く。

 バドが、いくつか場所を提案してくれた。

 ヴェンダは、人込みが少ない場所を選んでほしいと伝える。

 人混みは苦手だったし、また誰かにぶつかって失態をさらすようなことはしたくなかった。

 しばらく、検討しあった結果、オキナの道場近くにある小さな広場にしようということになった。パレードの行われる女神通りと、西門へ続く小さな道が交わる場所だ。

 一般には、「喜びの天使広場」と呼ばれる場所だ。

 パレードの開始の時間から逆算すれば、まだ、十分に時間がある。

 道場を経由して向かっても十分に間に合う。バドは、一度道場へ戻る気でいるようだ。

 道場の前にやってくると、一人の冒険者風の男が道場の正門前に見えた。なにかに、決心がつかぬ様子で迷っているような雰囲気だ。日差しよけのためか、白いフードを目深にかぶっているため、顔は見えない。しかし、着物や装飾品でわかる。この人物は、『ライニング公国』の住人ではない。

 どうしたのだろう?

 ヴェンダとバドの間に浮かんだ共通の疑問だった。

 やがて、二人が、声をかけられる距離まで来ると、男は、何気ない一挙動で二人を振り返る。

 ちらりと、表情が覗いた。

 男は、昨日、人込みの中でヴェンダがぶつかった男に見えた。

 ヴェンダの脳裏にあの時の情景がよみがえる。

 白いフードの下の威圧。よみがえる畏怖。そして、短剣に記された記号のような紋章

 男は、ヴェンダ達の姿を確認すると、反対のほうへ歩き出した。まるで、見られてはいけない姿を見られた。そんな感じだ。

 男の後姿に短剣の紋章がダブって見えた。

 あの紋章の意味するところ。特別な紋章でもなく、前に、幾度かは見たことがある。

 ヴェンダが、気づかぬうちに足が止まっていた。

「どうした?」

 バドは、ヴェンダを振り返りたずねた。

 ヴェンダは、何かを振り切るように頭を振ると、なんでもないと言った。

 考えすぎだろう。

 大祭の時期だ。色々な地域から様々な習慣や身形の人たちがたくさん集まってきている。同じような身形の人物がいてもおかしくはない。紋章も然りだ。幾千もの紋章が存在するのだ。中には、似た物があってもおかしくは無い。

 やがて、二人は、道場の正門前にやってきた。

 バドは、ヴェンダに待つように言って中に入って行った。

 暫らくして、ニムを伴ってバドが現れた。

「おまたせ」

 ニムが、明るく言う。彼女の髪にはユングフロウの白い花が飾られている。

 ヴェンダは、逡巡を感じた。大祭をバドと二人だけで見に行く気になっていたからだ。

 しかし、すぐに思い直した。バドは、一緒に行こうとは言っていたが、二人きりでとは一言も言っていない。ヴェンダが勝手に思い込んでいただけなのだ。考えても見れば、バドとヴェンダが二人で行動するよりも、バドとニムが一緒に居るほうがよほど、自然な感じがする。

 歩き出した二人から、少し遅れ気味に歩みを進めながらヴェンダはそんなことを考えていた。魔法でバドを縛ることができてもあの自然な関係は築けないだろう。

 私のいる場所じゃない―――――。

 ニムの姿に自分の影を重ねてみてそう感じた。

 少し、重い気持ちを抱え込んだまま、ヴェンダは、「喜びの天使広場」へ到着した。

 すでに、警備の兵士が配置されていて、まばらながら、人垣ができ始めている。

 石の敷き詰められた広い広場は馬車通りが交わる場所には必ず設けられていた。

 広場はロータリー状の交差点を兼ねていて馬車などが素通りできないようにオブジェや公園などの障害が設けられていた。馬車は、この障害を右回りに回るように迂回しながら目的の路地へと侵入していく。

 街中の街道を整備すれば、必然的に馬車や馬の走る速度が速くなる。速くなれば事故が多くなるばかりか、事故による被害も大きくなる。そこで、事故の起き易い交差点でだけでも速度を落としてもらおうと、障害を設置した。往来を管理する者が考えた妙案である。

 また、一定以上の広さを持った広場には、定期的な市が立つ。市は、人を呼び往来をさらに活発にする。

 「喜びの天使広場」もそんな、広場のひとつだ。市が立つほどの広さは無いものの中央に見事な天使のオブジェがあり、広場の名前の由来ともなっていた。

 事前に発表された予定では、この広場で王城のある北側からやってきた歌姫の馬車は、西の方へ進路をかえて王都郊外にあるイノファリアスの神殿へ向かう手はずになっている。

 すでに、広場は、往来の制限が引かれていた。中央の天使像の周囲には、立ち番の兵士が槍を片手に周囲の群集に目を光らせている。

「随分、物々しい警備だなぁ」

 人垣の薄い部分から広場の中央を覗き込んだバドが言った。彼の目の前には、巡回役の兵士が棒槍と盾を携えて横切っていった。

「国王が参加されるのだから当然の警備なんじゃないの?」

 ニムが爪先立ちで広場を覗き込みながら言った。

 すでに、広場の観客用に区切られた部分は人で溢れかえっており、拝見を諦めきれなかった者達が屋根の上に陣取り始めているのが見えた。

 ヴェンダも爪先立ちで広場を覗き込んでみる。しかし、視界の中に見えるものといえば、天使の像の一部が見えるのみで警備の兵士の姿すら見えない。

 これは、出遅れたかと思っているとやがて、遠方から太鼓の音が響いてきた。

 耳を澄ませば、ラッパの音も聞こえる。

 パレードを先導する軍楽隊だ。

 歓声が上がった。どうやら、パレードの列が近づいて来たらしい。

 パレードは、軍楽隊を先頭にして、前剣王戦の優秀者達、警護の騎士、そして、歌姫と国王を乗せた馬車と続き、最後にお供え物である穀物を運ぶ牛車が殿を行く。

 あまり長くはないが、箔がつく規模の行列にはなる。

 軍楽隊の音楽が聞こえてきたということは、行列が近づいてきたという証拠だ。

 やがて、疎らにしか聞こえなかった太鼓やラッパの音が統一されたリズミカルな音楽として聞こえるようになってきた。パレードはもう目の前にまできているらしい。

 周囲の人々が歓声をあげ始める。

 ヴェンダの正面に獅子が描かれた紋章旗が入ってきた。

 人込みの中でぽっかり空いたその隙間から偶然見えた。

 ライニング公国の紋章旗だ。

 紋章旗はヴェンダの視野の中でゆらゆらと何度かゆれるとすっと人込みの中へ消え去る

 向こうには、筋向いの家々の屋根が見えたが、その屋根に見慣れぬ服装の人影があった。

 白いローブのようなゆったりとしつらえられた民族衣装風な出で立ち。

 ふと、昨日の民族衣装の男の姿がダブった。

 再び、あの時の畏怖とも恐怖ともつかない感情がよみがえる。

 ヴェンダは、自分の瞳が恐怖に見開かれていくのを感じた。

 どうしようもない感情の波がやってきた。堪えようとしても堪えきれず、大きく開かれた瞳から涙が溢れ出す。

 しかし、目は逸らせない。しゃがみ込みたくなる自分に対して逸らしてはいけないという衝動が彼女の体を縛り付けていた。

 すでに、ヴェンダの耳には、祭りの喧騒は届いていない。

 彼女の意識は、筋向いの屋根の上の人影に集中していた。

 やがて、祭りの喧騒がひときわ大きくなった。丁度、国王と歌姫が乗った馬車が通りかかった頃だ。

 それに呼応するように、屋根の上の人影が動いた。

 背から細長い棒を取り出し、片端にぶら下がった紐を、棒をしならせながらもう片端へ固定する。それは短弓だった。

 腰のあたりに矢筒でもあるのだろう。取り出した矢を番えた。

 滑らかな一挙動で、狙いを定め、弓を絞る。

 そして、矢は放たれた。


 周囲は騒然となった。

 同時に、悲鳴と怒号が重なった。

 かぶら矢でも使ったのだろう。放たれた矢は、かなり大きな風きり音を響かせて国王の乗る馬車の屋根へと刺さっていた。

 元々、乱戦中の合図にも使われる音矢だ。軍楽隊の演奏も物ともせず、十分な音を響かせた。

 初めに反応したのは、ウリアンだった。

 矢が馬車の屋根に刺さった事を確認すると、周囲の親衛隊に馬車の周囲に密集するように指示を出した。

 民衆は騒然となっていて、われ先に逃げ去ろうとする人々で溢れ返っていた。なまじ、大祭で人が多く出ていた事が災いしていた。

 すでに、国王の馬車の周囲にも抑えきれない人々が溢れ出してきていて移動もままならなくなっている。

 このままでは、襲撃者の思う壺だ。

 しかし、二撃目は来ない。どういうことか?

 ウリアンは矢の放たれた方向を見極めようと周囲を見渡した。

「いたぞ!」

 背後から声が上がった。新鋭隊員の一人だ。街道筋に立ち並ぶ家々の屋根の上を指し示している。

 見上げれば、白い服を着た男が短弓を片手にこちらを見下ろしている。

「クルナティオ!」

 ウリアンは、正面にいた新鋭隊員の名を呼んだ。

 クルナティオは隊長を振り返った。

「屋根の白い男を追え!」

 クルナティオはうなずいて答えると傍らにいた同僚に声をかけた。

「ザイーラ、ウォルフォックス、行くぞ!」

 人ごみのなかでは、馬は逆に足枷になる。長い剣もしかり。クルナティオは剣を鞍に固定すると馬を飛び降りた。愛馬「エルクセイン」は賢い。放っておいても迷う事はない。

 クルナティオは、仲間二人とともに、小剣のみを腰に帯びて人ごみの中へと消えていった。


 ヴェンダは、バド達と逸れてしまい、一人で人込みに流されていた。

 音矢が馬車に命中した直後に人垣は崩れ、皆、我先に逃げ出そうとしていた。

 その混乱の中、ヴェンダはバドと逸れてしまったのだ。

 悲鳴と怒号を伴った人の流れは、通りの外へと流れていて、自分の思い通りに歩く事はおろか、立ち止まろうとすれば、押しつぶされそうな勢いだ。

 多分、少なからず、死傷者がでるだろう。この勢いだ。小さな子供などはたまったものではない。

 ヴェンダも、何度か押しつぶされそうになりながら、流れの影響を受けない方向へと逃げていった。

 ふと、気がつけば、裏通りの入り口に出来た人の吹き溜まりのような場所へとたどり着いていた。

 大通りのほうは、まだまだ、人が多く、自由に移動できそうに無い。とりあえずは、小路へ逃げ込んで人が少ない場所へ出るのが最良と思われた。

 しかし、ヴェンダの胸中には漠然とした不安があった。不安の原因に思い当たる物は無いが、超えてはならない一線がこの近くにあるような不安。

 一度、オキナの道場へ戻ってみよう。幸いにもこの小路は道場のほうへ向かっているようである。逸れてしまったバド達も気にかかる。

 ヴェンダは、意を決すると大通りから小路へと足を踏み入れた。

 怒号や、騒ぎの音が聞こえてこなくは無いが、人影はまるで無い。

 ヴェンダは、オキナの道場の方向と思しきほうへ向かって歩みだした。

 それが、どんな歩みになるかも知らずに。

 小道は、家々の隙間を縫うようにつながっていて、さらに、沢山の小道が四方に伸びている。中には、人が通るのがやっとという狭い場所もあった。

 曲がりくねった道を進み、角をいくつか曲がったとこで、ヴェンダ自身の方向感覚は消失した。道に迷ったのだ。

 ヴェンダは、立ち竦んでしまった。周りに道を尋ねようにも、すでに周囲には人の気配すら無い。ここまでくれば、大通りの喧騒もうそのように静かだ。

 一人、迷子になったような寂しさを感じた。そこではじめて、胸中にわだかまりのように存在していた不安が、大きくなっている事に気がついた。

 言い知れぬ不安。

 それは、立ち止まった今でも急速に大きくなっている。

「どうしよう」

 不安が声に出た。誰にも頼る事ができない不安。

 とにかく、この場にいても仕方ない。

 ヴェンダは、ゆっくりと歩み始めた。とりあえず、歩く事にした。町の広さには限りがある。魔法でもかけられていない限り、歩きつづける事で、どこかの大通りに出られるはずだ。それに、大通りにはあれだけの人がいたのだ。誰かとすれ違うかもしれない。

 そして、それは歩き始めて、それほど時間も経たないうちだった。

 背後に人の気配を感じた。

 誰でもいい。一人ぼっちに心細かったヴェンダは、背後の気配に振り向いた。

 向こうから、数人の白い衣装を着た男たちが駆けて来る。

 国王の馬車に矢を放った男たちと同じような服装だ。

 ヴェンダは身の危険を感じて、慌てて駆け出そうとする。

 しかし、その足は、すぐに止まってしまった。

 前方にも同じような格好の男たちが現れたのだ。

 進むことも引く事もできずにヴェンダは立ち尽くす。

 一瞬、魔法を使う事を考えたが迷っている間に後ろ側の男たちが追いついてきた。

 万事休す。そんな単語がヴェンダの脳裏を掠めた。

 後ろから追いついた三名の男たちは、ヴェンダを一瞥した。肩越しに同じような格好をした連中を認めるとヴェンダに言った。

「娘、邪魔にならぬようにしていろ」

 ヴェンダは戸惑いを感じた。どうやら、この連中は、ヴェンダに危害を加える気は無いらしい。かといって、国王の馬車に弓を引いた連中と違うとも言い切れない。

 さらに、昨日ヴェンダとぶつかった男に服装や背格好が良く似ていた。

「フロルド、来たぞ」

 最後尾にいた男が言った。どうやら、先頭の男に声をかけたらしい。

「やるしかあるまいな」

 フロルドと呼ばれた先頭の男は、ヴェンダを押しのけて、前に出ると腰から小剣を抜いた。

 フロルドの腰には、もう一振りの段平が下げられていたが、このような狭い通路では大振りな剣は不利になる。

 必然的にヴェンダは、中央で、もう一人の男と共に守られるかたちになった。

「クリスティ、すぐに、ボルテックスが駆けつけてくる。それまでの辛抱だ」

 フロルドが最後尾の男に声をかけた。向こう側に、四人程の白い服の連中がいて、最後尾の男と睨み合っている。

 状況的には、ヴェンダの周りにいるこの三人と、前後から挟み込むように現れた白い服の一団とは、敵対関係にあるらしい。

 白い服の一団が、腰から小刀を抜いた。狭い通路で振り回すには、段平よりもさらに,小剣よりも格段に有利である。

 白い服の一団がじりじりと包囲を狭めてきた

 互いに、隙をうかがいつつ剣をふって牽制をはじめる。

 膠着状態がピークに達したとき戦端はあっけなく開かれた。

 剣と剣を交わらせる音が、幾度となく響く。

 この狭い路地では、一人を多勢で囲む事ができない。したがって、戦いは一対一の切り合いとなる。

 フロルドは手馴れとみえて流れるような剣裁きであいてを翻弄している。

 一方のクリスティは、フロルドほどの華麗さや、熟練した様子は無いが、それを補って余りある腕力で相手を叩き伏せている。

やがて、クリスティは最後の一人を叩き伏せるとフロルドに言った

「こっちに退路ができたぞ!」

 フロルドは、クリスティのほうを一瞥して言った。

「わかった。先にボルテックスとの合流と行こう」

 クリスティは先に立って戻り始めた。

 ヴェンダは、どうした物かと迷っていたが、二人に守られる形でいたもう一人の白い衣装の男に促されてクリスティという男の後を追った。

 クリスティの足は結構速かった。

 ヴェンダは、スカートのすそを手繰り、足に絡まないようにして必死に走った。

 どのぐらい走っただろうか。まだ、小路は抜けきってはいないが、追っ手の姿はなくなっていた。無論、最後尾にはフロルドと呼ばれた男がついてきている。

「まさか、こんなところにまで手が回ってくるとはな」

 クリスティは歩みを緩めて言った。まだ、手には小剣が握られている。

「怪我は無いか?」

 フロルドがヴェンダに聞いてきた。ヴェンダは、走ったせいで息が切れていて返事をするどころではない。

「ティード様」

 フロルドが恭しくヴェンダの傍らにいた男に声をかけた。

「ここは、再び、追っ手がかかるのは必死と思われます」

 ティードと呼ばれた男は小さくうなずいた。

「一刻も早く、この街を出るのが得策かと」

「ボルテックスはどうする?」

 クリスティが聞いてきた。

「あれなら、心配は要らない。合流できればそれで良し。もしはぐれても、本国に戻るまでには追いついてくる」

 フロルドはクリスティにそういうと、今度は、ヴェンダへ向き直った。

「さて、次には、この娘の処遇を決めねばなるまい」

 ようやく、息が整ってきたヴェンダは、顔を上げて、身を硬くした。

「娘、―――――いま、ここにいた事、見た事、聞いた事、会った人物、すべてを忘れるのだ。それが約束できるなら、このまま、帰そう」

 有無を言わせぬ強い口調だった。まるで、ヴェンダが使い魔に契約を強いるような口調だ。

 ヴェンダは、少し戸惑った。しかし、ここでは選択肢が、ひとつしか用意されていない。

「判りました」

 ヴェンダはフロルドの顔を見上げていった。そして、その視野の端で何かが動く事に気がついた。それは、フロルドの肩越しに見える。

 フロルドもヴェンダの表情に気がついたらしい。後ろを振り返った。

 途端、頭上から何かが降ってきた。投げ網だ。

 投げ網は、ヴェンダと、フロルドを一緒に絡め捕ると地面に転がした。

「フロルド!」

 クリスティが駆け寄ろうとする。その刹那、殺気を感じて飛び下がった。

 頭上から小刀を振り下ろしつつ、白い衣装の男が一人、飛び降りてきたのだ。

「クリスティ、お前はティード様を守れ!」

 フロルドは、懐から小刀を取り出して網を切り始めた。娘がパニックに陥っていないのは助かるが、自由に動けるまでには、まだ時間がかかる。

 クリスティは、前後から二人の男に挟まれていた。防戦一方で自由に移動すらままならない。

 強襲してきた男たちは、屋根から飛び降りてきた一名を含め総勢三名だった。

 先ほどより、敵の数は少ないものの状況は極めて悪い。フロルドが投げ網で自由を奪われ、クリスティが釘付けにされては有利な陣形が取れないからだ。

 さらに、先ほど捲いた連中も追っ付けやってくるだろう。

 ティードは敵と対峙して震えていた。元々、護衛される身分なので剣技など、嗜み程度でしか習っていなかったからだ。

 とりあえず、剣は抜いてみたものの、きちんと構えられているか自分自身でも疑問だった。腰が引けているような気がした。

 丁度、ヴェンダはティードが敵と対峙している方向に顔を向けていた。ティードは、剣を扱ったことが無いのか、酷く、腰の引けた構え方をしていた。バドや、周りの二人と比較するまでも無い。間違いなく、剣技は素人同然だ。

 描写するまでも無く、ティードは簡単に剣を叩き落とされてしまった。

 襲撃者は、とどめとばかりに小刀を振り上げた。

 ティードはなすすべも無く、頭を抱え込んだ。

「ティード様!」

 クリスティが叫んだ。とっさに、腰に下げられていた段平を引き抜き、投げつけた。

 狙いは違わず、命中するはずであったが、直前に気付かれてかわされてしまった。

 万事休す。

 少々時間が稼げたものの、それだけの事だ。

 クリスティは、目の前の敵と切り結びながら、ティードの頭上に再び小刀が振り上げられる姿を見つめていた。

「皇子、お覚悟を!」

 襲撃者がティードに向かって言う。

 ティードは腕で刀を防ごうとはしていたが、腰が抜けたようにへたり込んでいて相手の剣を防ぐどころの状況ではなくなっていた。

 殺られる。―――――

 誰もがそう思った瞬間だった。

 雄叫びが聞こえた。

 銀色の甲冑が見える。

 銀色の甲冑は雄叫びを上げながら、今にもティードの頭上に小刀を振り下ろそうとした襲撃者に体当たりをかけた。

 面を食らったのは、体当たりをされた襲撃者だ。

 かわす事すら思い浮かばぬうちに壁面へ叩きつけられていた。

 銀色の甲冑の人物は、小剣を抜き放つと言い放った。

「我は、ライニング公国、王室親衛隊のクルナティオだ。この場にいる全員を国王暗殺に荷担した者として取り調べる!」

 クルナティオ―――――。ヴェンダは、聞き覚えのある名と声に安堵し胸をなでおろした。

「うるせぇ!」

 怒号と共に、小刀が突き出された。

 クルナティオは、軽甲冑の厚い部分に刃をあてて受け流すと襲撃者の鳩尾に小剣の柄を突き入れた。

 襲撃者は短い悲鳴をあげて事切れる。

 見事な体裁きだ。

 ようやく、この頃になって、ヴェンダと共に投げ網に捕らえられていたフロルドは、網を切り開く事に成功して自由に身になっていた。無論、続いてヴェンダも網から脱出する。

 戦況はすでに、襲撃者側に不利になっていた。一度、引いた上で大勢を立て直すべきだ。

 そういう判断が働いたのだろう。示し合わせたように残り二人となった襲撃者は踵を返して小路を駆け出した。

 しかし、その試みはうまくいかなかった。

 駆け出した前方にクルナティオと同じ軽甲冑を着た男が二人、道を塞ぐように立ちはだかっていたからだ。

 襲撃者達は退路をも塞がれた事を知った。

 しかし、まだ、脱出する手立てが完全になくなったわけではない。

 女だ。

 フロルドの傍らにいる女を人質に取れば、道を空けさせる事もできるだろう。

 計算ができれば行動は早い。

 襲撃者達は、再び踵を返した。

 驚いたのは、フロルドだった。ティードを挟んで、最もクルナティオから離れた位置にいたフロルドは、去ったはずの襲撃者が戻ってきた事に、一番初めに気がついた。

「何だ!?」

 フロルドが臨戦体制をとろうとした瞬間に、襲撃者が体勢を低くしてフロルドの傍らを潜り抜けた。

 フロルドの背後には、ヴェンダがいたのだ。

「しまった!」

 後悔が声に出た。すかさず、振り返るが、間に合うはずも無い。おまけに、すれ違いざまに突き飛ばされて、再び地面に転がる羽目になった。

 この事態に地団駄を踏んだのは、クルナティオも同じだった。

 まさか、この場にヴェンダが居合わせようとは思いもよらなかったのだ。

 ヴェンダは、腕を逆手に取られて身動きかなわない状況で喉元に小刀をあてがわれていた。

「動くなよ。動いたら取り返しがつかなくなる」

 襲撃者のひとりが言った。

 本当なら、恐怖という感情が込上げてきて、心を押し流してしまいそうな場面だが、ヴェンダは、不思議と落ち着いている自分に気がついた。

 襲撃者は、地面に転がされて身動きできないでいるフロルドの傍らをヴェンダを人質に取ったまま移動した。

 ようやく、自体の急変に気がついた王室親衛隊の二人が駆け寄ってくる。

 クルナティオは、今にも斬りかからんとする王室親衛隊の二人を制止した。

 どうしようもない。この状況では、斬りかかった時点でヴェンダは殺されてしまうだろう。

「上出来だ。ついでに道も開けてもらおう」

 襲撃者が最後部を固める王室親衛隊の二人に言う。

 二人は、一度、伺いを立てるようにクルナティオに視線を向けた。クルナティオは、渋面を作りながら頷いた。

 王室親衛隊の二人は、クルナティオと同じような渋面で道を空けた。

 襲撃者達は、細心の注意を払いながら、王室親衛隊の傍らをヴェンダを抱えたまま通り抜ける。

 そして、逃亡に十分な距離になるまで、ゆっくりと後退してゆく。

 襲撃者を見逃したところで、ヴェンダが無事に開放される保証は無かったが、今は、従うしか方法が無い。

 後退している襲撃者達は、やがて、十字路に差し掛かった。

 大通りではないが、これで逃亡の選択肢が増える事になる。

 しかし、これが誤算になった。

「ヴェンダ!?」

 すぐ隣で名を呼ぶ声が聞こえた。

 ヴェンダは、首をめぐらそうとした瞬間、突き飛ばされた。地面に転がる。

 振り返ってようやく、状況が飲み込めた。

 バドが、襲撃者と対峙していた。彼我の距離は得物を使うまでも無いほどだ。

 どうやら、人質となったヴェンダが十字路に差し掛かったときに、バドもこの十字路にやってきていた。そんな感じだ。

「くそっ!」

 バドと反対方向から逃げようとした襲撃者の一人がはき捨てるように言った。

 向こう側から又、別な人影がくるのが見えたからだ。白い衣装を身に付けてはいるが、襲撃者の仲間ではないようだ。その証拠に襲撃者たちが狼狽し始めている。

 何事かを叫びながら、バドと対峙していた襲撃者が小刀を突き出してきた。

 突然の事にバドは、飛び下がりながら紙一重でかわす。刃の擦過した頬に血がにじむ。

 そこへ追い込むように、襲撃者が小刀を突き出してくる。

 対するバドは、得物である段平を抜くひまが無い。かわすのが精一杯である。

 このままでは、バドがやられる。

 ヴェンダは、見ていられなくなって目を閉じた。

 その瞬間、大きな音がした。何かが壁に叩きつけられるような大きな音だ。

 ヴェンダは、恐る恐る目を開けた。

 すると、襲撃者が壁に叩きつけられて動かなくなっている姿が見えた。もちろん、バドは無事だ。振り上げられた両手には、鞘に収められたままの大剣が握られている。

 どうやら、腰紐を引きちぎり、その勢いのまま、剣を相手に叩きつけたようだ。

 無論、抜き身ではない。鞘に入ったままの剣をだ。

 すごい腕力だ。

 最後に残った襲撃者は、どうしようもなく不利だと悟ったのか、逃げにかかった。

 しかし、それもかなわない。

 魔力が走った。

【動く事、まかりならぬ】

 向こうからやってきた白い衣装の男が魔力を放ったのだ。

 魔力と共に放たれた言葉は、襲撃者の動きを一瞬にして固定した。

 これば・・・

 ヴェンダは、この魔法の使い方に思い当たった。

 これは、ルーテの魔法使い。

 魔力の精製に時間のかかる者たちが、魔力を有効に使う為に編み出した技術。

 魔力を封じ込めた魔字を何かに書き記しておく事で、瞬間的に強力な魔法を発現させる事ができる。普通、魔字をルーテと呼ばれる杖に彫り込んでおく事が多いので通称『ルーテの魔法使い』と呼ばれている。

「怪我人は居らぬようだな」

 白い衣装の男はそういった。その言葉には、間に合ったようだという安堵が込められている。

 三人は、小路の奥へ向き直った。

 ようやく、クルナティオがこちらの展開に気がついたらしく、王室親衛隊の二人が駆け出してくるところだった。

お話自体は完結してます。転載にあたり加筆など行ってますので修正しだい次を掲載します。

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