心の居場所
個人サイトからの加筆転載です。
歌姫の降臨祭があと二日後に迫った頃、バドは、ヴェンダを道場へ招待するために、迎えに行った。
街は、すでに祭り一色に染まり、歌姫のシンボルであるユングフロウの白い花をかたどった飾り物や、花そのものが沢山飾り付けられている。
人混みも、普段より、多く感じられた。
出店の出始めた大通り抜ければ、王城がもう目前に見える。
バドは、まっすぐに、ヴェンダの部屋を目指した。到着してすぐにノッカーを叩く。
間を置かずに返事があった。前のように、使い魔ではない。ヴェンダ本人の声。
暫く待つと、彼女が出てきた。
刺繍の入った白地のブラウスと、上品な柄だが、抑えたの色使いのロングスカート。
抑え目につけられているフリルが女の子らしさを醸し出している。
頭には、普段あまりする事も無い金色のカチューシャをのせていた。
昨晩から時間をかけて選んだ精一杯のお洒落着。
バドはなんて言ってくれるかしら?
胸を高鳴らせながら、ヴェンダは扉の外へ出た。
しかし、バドは簡単な挨拶をしただけですぐに行こうと促す。
ちょっと、がっかり。少しは、気にしてほしかったのに。
ヴェンダは気持ちを悟られないように返事をすると、バドとともに部屋を後にした。
歌姫の降臨祭には、大祭と言うものがある。
それは、数年に一度、催される。
本来、毎年のように選ばれる歌姫と言う存在だが、その中でも、逸材と呼ばれる才能の持ち主がいる。
逸材と呼ばれる者達が、選ばれる年は、決まって穀物の収穫の時期に重なって降臨祭が催された。
収穫祭としての性格も加わり、盛大な祭となる。
それが、大祭だ。
逸材の歌姫は、類希な歌の才能と、美しい声を持つ。
ユングフロウの白い花のイメージとも重なって、聖者としての地位も高い。
今年は、その逸材が選ばれたのだ。
大祭となった年は、盛大な祭となる。
国の内外より、見物人や、商人たちが寄り集まってくる。
王都の郊外に臨時の市が立つほどである。
バドの道場は王城から見れば、郊外に程近い場所にあった。
二人は、混乱を避けるため、まっすぐ王都の郊外を目指した。
少々回り道になろうと、混雑した街中を抜けるよりはましと考えたからだ。
やがて、ツァクルの木が並木になっている道に出た。
王都の西側を南北に走っている用水路沿いの並木道。
二人はやっと落ち着いて話しながら、歩くことが出来るようになった。
話題の中心は祭の話。
今回の大祭では国王が神殿で行われる儀式に参列するらしい。
いつもではない事だ。
男性である国王が、男性不信の女神である「イノファリアス」の儀式に参加することは、女神の機嫌を損ねるのではと歴代の国王が参列を見送ってきたからだ。
よほど、特別な事情があるのか。
それとも…。
いろいろと、二人で詮索しあううちに、気が付けば、道場の近くまで到着していた。
輝ける剣士団。
そう呼ばれるバドの道場は、彼の師匠である「オキナ・カルアチーノ」が創設した剣技の技術指導所である。
もともと、親衛隊に所属していたオキナは、ある日、剣王戦に出場して剣王の称号を冠する事になる。
そして、親衛隊引退後に開いた道場がこの輝ける剣士団だった。
輝ける剣士団は幾人もの優秀な剣士や騎士を育て上げ、王都の中でも名門と呼ばれるにふさわしい道場になっている。
バドは、ここでトレーニングリーダをやっていると言う。
名門と呼ばれる道場だけあって、よほど、優秀なのかしら?
オキナの道場に併設された屋敷を見ながらヴェンダは思った。
多分、優秀なんだろう。剣士団の代表として剣王戦へ参加するのだから。
そんな、ヴェンダの視線を感じているのか、バドは、ヴェンダを案内して屋敷へと入っていく。
屋敷に入ると、ニムが出迎えてくれた。道場主の孫娘ニム・カルアチーノである。
ニムは、ヴェンダと型通りの挨拶を交わした後、バドに向かって、言った。
「午前の練習をする人たちがさっきから待ってるわよ」
バドは、慌てた風な素振りをすると、ニムにヴェンダを任せて、道場のほうへ走っていった。
ニムは、小さなため息をついてバドを見送ると、ヴェンダへ向き直る。
「さて、ミス・魔女。御爺様がお待ちかねですよ」
ヴェンダは、屋敷の中へと案内された。
通された部屋は、オキナの寝室だった。
寝床の上にオキナはいた。痛めた腰の為に起き上がれないでいるようだ。
ニムが声をかけると、オキナが腰痛をかばいながら上体を起こそうとする。
すかさず、ニムがオキナをかばい、力添えをした。
ニムは、ヴェンダに椅子を進めるとお茶を入れるといって退室していった。
オキナは、上体を起こすと照れ笑いを浮かべてヴェンダに声をかけてくれた。
「よく来て下さった。今日は、ゆっくりされて行かれるが良い。そうは言ってもわしが、この状態では、ろくな持て成しも出来ぬが…」
腰痛が悪化しているらしい。先日、バドに渡した魔法薬はどうしたのだろうか?
「あの薬があったうちは良かったのだが、二日前に使い切ってしまっての。医者の作った薬は余りよう利かぬな」
オキナは、残念そうに言う。
「バドから聞かせてもらった。貴女が、魔女を辞められるとなると、これから、この腰痛と仲良くせねばならんようじゃ」
ヴェンダは、小さな迷いを持っている自分に気がついた。オキナは、私の薬を必要としてくれている。でも、私には、どうすれば良いのか決断できない。
ヴェンダのそんな気持ちに気がついたのか、オキナがこう付け足す。
「貴女を責めているわけではないのだが。どうも、歳を取りすぎると説教くさくなっていかんな」
ヴェンダは、この一言に救われる気がした。
実際、自分の仕事がここまで回りに影響を与えているとは思っていなかった。だから、オキナの一言が意外なほど重くのしかかっていたのだ。
会話が途切れた。
ちょうど、あわせたようにニムがお茶を運んできた。
お茶を受け取ると、オキナは、話題を切り替えてきた。
「ときに、バドのことだが。貴女から見て、あれは冒険者になれるとお思いかな?」
オキナは続ける。
「知ってのとおり、あれは、冒険者になって、両親を探す旅に出たいといっていた」
「ご両親を、探す旅ですか?」
逆に、ヴェンダは聞き返した。初耳だった。冒険者にはなりたいと聞いていたが、その旅の目的が両親を探すことだとは、一言も話してくれなかったからだ。
「ご存知無いかな?」
オキナは、少し驚いたような表情を作ると、説明してくれた。
バドは、孤児だったらしい。知り合いの冒険者が孤児としてさまよっているバドを保護し、オキナへ預けたという話だ。発見されたときは独人で荒野をさまよっていたらしい。
「知りませんでした」
ヴェンダは、バドの生い立ちを聞き終えて言った。
「バドにこんな過去があったなんて」
「人生は過去の集まりじゃよ。過去の無い人間などこの世に一人として存在はせん」
オキナがヴェンダを見つめながら言った。その目は、ヴェンダの迷いをすべて見通しそうな強い光をたたえていた。
「でも、優秀な剣士なら、冒険者としても適任じゃないんですか?」
ヴェンダは知っている限りのバドの知識を、頭の中で探りながら言った。
「確かに、バドの剣技には、素晴らしいものがある。しかし、実際は、もっと複雑なのじゃよ」
剣の技術がそのまま、冒険者の技量に結びつくものではないことをオキナは語ってくれた。力任せに解決できる問題も無くはないが、そのような問題は少ない。
現実問題として、冒険者の行う冒険や請け負う仕事は、多岐に渡っていて、色々な知識も必要となってくる。
バドには、そういったものが不足しているとオキナは言った。
要するに、経験不足なのだ。
「もう少し、色々と勉強させてから旅立たせてやりたいのだがな」
このまま、冒険に出せば、必ず失敗する。
これは、オキナの親心なのだ。
「あれは、物事を急いて運びすぎる。まるで、いま、旅立たねば目的が無くなるとでも言うような口ぶりだ」
「自分では、実力が十分だと思っているのでしょうね」
ニムが、口を挟んだ。
「バドは、目標があるから周りが見えなくなっているのよ」
オキナは、ニムの言葉にうなずいた。
「貴女からも、暫く、待つようにバドを説得してほしいのじゃが」
ヴェンダは、どう答えて良いのか、見当がつかなかった。
オキナ・カルアチーノは、ヴェンダを宮廷魔女として見ているようだ。
いま、魔法使いとして自信を失って、魔法を使わなくなった私が何を言えるのだろうか。
ややあって、ヴェンダは言った。
「私、どうして良いかわからないのです。魔法を使うことが本当に人の役に立ってきたのか。バドを説得する自信も有りませんし、今は、魔法使いとしてやっていける自身も無いです」
ヴェンダの言葉に、オキナは少し考え込んでから言った。
「そうか。それならば、仕方なかろう」
その表情からは、オキナが何を考えているかを推し量ることは出来なかった。
それから時間は経ち、昼食をはさんで、昼下がりに、ヴェンダは、道場へ案内された。
今日の午後からは、少年剣士たちが練習にくるらしい。
バドは、ヴェンダを練習の見学にこないかと誘ったのだ。
道場は、広く、十名ほどが同時に剣を振れる広さが確保されていた。
ヴェンダがニムに連れられて道場へやってきたときには、すでに練習が始まっていて、バドの指示で三人の少年剣士たちが素振りをしていたところだった。
オキナの剣の流儀は、打撃剣に類されるものだ。
強固な剣によって、相手を叩き倒すのがオキナの剣である。
必然的に、扱われる剣は、重く固い剣が主流となる。
少年たちは、先端を異様に膨らませた棍棒のような木剣を使って素振りをしていた。
剣を扱うのに十分な腕力を養うためらしい。
バドは、二人が道場に入ってきたことに気がつくと、少年剣士たちに素振りを続けるように命じてやってきた。
「よく来てくれたね」
バドは、ヴェンダに向かっていった。
「あら、あたしには言ってくれた事のない言葉ね」
ニムが皮肉を言う。これは、ただのコミュニケーションだ。言葉の雰囲気が柔らかい。
「よくいうよ。いつも、散々に人を扱き使うくせに」
バドが反論する。剥きになっているように聞こえるが、これはバドのポーズである。
「はいはい。今日は、あなたのお客さんが来てるんでしょう」
ニムは、軽く受け流した。
ヴェンダは、ちょっと羨ましさを感じていた。私は、バドとはあんな風には会話できそうにない。
バドは、ヴェンダに簡単な道場の説明をすると、生徒がいるのでと言って少年剣士たちのもとへ戻って行った。
いつのまにか、少年たちは、素振りをやめて三人を冷やかすような眼で見ていた。
バドは、少年剣士たちを諌めるが、逆に冷やかされてしまう。
どんな会話があったのかは聞こえないが、少年剣士たちとバドは倉庫ヘ移動して何やら運び出してきた。どうやら、練習を再開するらしい。
運び出してきたものは、丸太で組まれた人形だった。
どうやら、打ち込みの練習をするらしい。
三人は、人形の設置を終えるとバドの監督の元、順番に打ち込み練習をはじめた。
大きな気合と流れるような動作で、人形に一撃を加えてその傍らをすり抜ける練習をしている。
一撃離脱の技だ。
「この技は、バドが得意な技なのよ」
稽古を見ながらニムが呟くように言った。
ヴェンダは、感心しながら、その稽古を見ていた。
バドは、しっかりと先生役を担っている。
時々、見本で見せる太刀筋も綺麗だ。しっかりと打ち込まれた木剣は、確実に相手の急所を捉えていた。
剣士としての腕前は、十分だろう。
戦士系の冒険者としてなら十分にやっていけるような気がする。
ヴェンダは、ニムにそう話してみた。
すると、ニムは悲しそうな顔をして言う。
「あたしも、バドなら戦士としてやっていけると思うわ。でも、一度、ここを出ていったら、二度と帰ってこない気がするの」
そして、だから、冒険者になることを反対しているのだとも言った。
ヴェンダは、その言葉に、自分がバドに持ったと同じ感情を感じた。
そして、彼女もバドに対しての感情。
やがて、打ち込みの練習が終わると、今度は、各々布鎧をつけてきた。木剣も細く実戦的な物に持ち替えている。
実戦稽古だった。
防具は、全身を隙間なく覆った布鎧で、場所によっては金属板で補強してある。
稽古は総当たり戦だった。基本的には寸止めが実施されているようだが、場合によっては、強く当たる時がある。防具は、そんな場合の怪我を防ぐものだ。
互いを牽制し合うように大きな声で気合を発しつつ隙をうかがう。
そして、互いの一瞬の隙を突いて木剣を振り下ろす。
そんな、稽古がしばらく続いた。
稽古は、辺りが薄暗くなるまで続けられる。
辺りが薄暗くなるころに、ようやく、バドは、終了の合図を出した。
少年剣士たちは、バドに挨拶をして退室していった。
ようやく、開放されたといった顔をしながら、バドは、二人の元へ戻ってきた。
「つまらなかったかな?」
開口一番そう聞いてきた。
ヴェンダは首を振って答えた。
一方、つれない答えを返したのは、ニムだ。
「つまんなかった」
バドは、またかといった顔をする。
「あたしはね、ヴェンダさんの代弁をしただけよ。あんな聞き方をされちゃ、正直につまらなかったって言えないでしょ。ちがう?」
ニムのこの答えに慌てたのは、ヴェンダだった。
慌てて、一生懸命に打ち消そうとする。
このヴェンダの真面目な反応に噴出したのは、ほかならぬバドだった。
つられて、ニムも笑い出した。
訳がわからず、一瞬、取り残されたようになったヴェンダは、やがてからかわれたのだと知って、ちょっと膨れっ面になった。
「ごめんごめん」
ニムがそういって、謝る。その目には、うっすら涙が浮かんでいた。
それから三人で、すっかり暗くなるまで雑談をした。
意味のない話の繰り返しだが、ヴェンダにとって心から楽しめた時間だった。
すっかり暗くなってから、ヴェンダは、道場を後にした。
バドが送ってくれた。口実は、夕飯の準備が出来てないだろうから、その準備が整うまで散歩してくるといってはいたが、初めから、送る気だったのだろう。
「今日は、ありがとう」
ヴェンダは、楽しかったお礼をバドに告げた。
バドは、微笑みで答えてくれた。
二人は、暗がりを避け、街中を行くことにしていた。
街中は、相変わらず人の数は多いが、暗がりで危険な目に会うよりはましだ。
祭の飾りが所狭しと並べられている。
祭の雰囲気もかなり盛り上がっているようだ。
今年の降臨祭は、例年にない多くの人出が予想されるとのことだ。。
「とても、楽しかった」
「それは、良かった。また、来てくれるよね」
ヴェンダは、ゆっくりと大きく頷いて答えた。
「きっと。―――また、さそってね」
バドの返事を聞きたくて、ヴェンダは、バドの顔を覗き込んでみる。
その瞬間に衝撃が来た。
不意をつかれて、踏ん張りきれなかった。小さな悲鳴をあげて、ヴェンダは尻餅を付く。
何があったの?
ヴェンダは事態を飲み込めず、尻餅をついた格好のままで周囲を見渡した。
すると、正面に、冒険者風の男が立っていた。白いサーコートとローブを合わせたようなデザインのマントで全身を覆っている。フードの奥から、鋭い眼差しがヴェンダを見下ろしていた。
「大丈夫かい」
バドがやってきて、ヴェンダに手を貸した。
ヴェンダは、バドの手を借りて立ち上がった。
事情は良く飲み込めないが、彼女は、このサーコートの男と衝突したらしい。
とりあえず、非を謝る。
「気をつけて歩く事だ」
サーコートの男は、そういって、身を翻した。
チラリと、サーコートの下から何か、短剣のようなものが見える。
ふと、ヴェンダは、それに刻まれている記号のようなものに気が付いた。
あれは、―――――?
ヴェンダの答えが出る前に、男は雑踏へ消えていった。
男の短剣に描かれていた記号のようなものが気になったが、何の記号だったか思い出せずじまいだった。
衝突した事で少し気分は害されたものの、ヴェンダは比較的上機嫌に近いまま、自宅へと到着した。実際に、ヴェンダのほうが余所見をしていたためにぶつかったのだから仕方がない。
王城の入り口で、バドに別れを告げた。
通用口から入城して部屋の前に来た時に、ヴェンダは部屋の前に誰かがいることに気が付いた。
誰かしら?
ヴェンダはランプの明かりが作り出す薄暗がりの中、目を凝らしてみた。
金髪の男性。あれは、多分。王室親衛隊の一人。
名は確か…
「アースノーツさん」
ヴェンダが声をかけると、クルナティオが振り返った。
「やっと、お帰りのようですね」
クルナティオは、珍しく私服だった。いつも、王室親衛隊の制服をきちんと着込んでいる姿しか見たことがないので、ちょっと、意外な姿を見た気がする。
「御用だったのですか?」
ヴェンダは、部屋の掛け金に掛けられた錠を外しながら訪ねた。
クルナティオは肯定した。
「とても、大事で、緊急を要する用件です」
ヴェンダは掛け金を外す手を止めてクルナティオの顔を見上げた。
「今朝、私のところにウルが来ました」
クルナティオは、言った。
「あの、烏の王です」
今朝、クルナティオを眠りから覚ましたのは、鳥の羽音だった。
幾つもの羽音が窓の外に舞っている。
寝苦しさにクルナティオはベッドから起き上がり、窓の鎧戸を上げた。
そして、絶句した。
そこには、数十羽の烏が舞っていた。
ややあって、屋敷の庭先にひと際大きな烏がいることに気が付く。
あれは、ウルと呼ばれる烏の王。
ウルは、クルナティオに気が付いたらしく、視線を向けてきた。
呼ばれている。そう感じた。
クルナティオは、すぐに、ガウンを脱ぎ捨て革のパンツと白いシャツを身につけた。
そして、部屋を出て正面玄関へ向かう。
途中、執事のアレフがやってきて、朝も早くから朝食も取らずにどこへ行くのかと聞いてきた。
クルナティオは、客がきているといって、執事にかまわず、正面玄関を開ける。
アレフがクルナティオを呼ぶ声が甲高く響いた。
「坊ちゃま、お止めください。外は、烏でいっぱいです」
「それは、わかっているさ。しかし、彼は、ただの烏ではなく、王なんだ」
クルナティオは、そう言い放って、屋敷の外へ出た。
屋敷の外には、相変わらず幾羽もの烏が舞っている。
クルナティオが外に出ていたのに気が付いた烏が、彼を値踏みするように舞い降りてきて彼の周囲で、羽ばたき始めた。
クルナティオは、動じることなく、ウルの方へ歩き出した。
ウルは、屋敷正面の庭の中央付近に設えられた花壇の前に着地して身じろぎひとつせずにクルナティオを凝視している。
クルナティオもウルに視線を向けている。
やがて、クルナティオは、ウルから少しはなれた場所で、静態した。
烏達が、警戒するようにクルナティオの頭の上で旋回をはじめる。怪しい素振りを見せれば、すぐにでも襲い掛かってきそうだ。
「私に、用向きがあってこられたとお見受けするが?」
クルナティオは、大声で言った。上空から降ってくる烏の声に負けないようにだ。
ウルは、答えるように鳴き声を上げた。
すると、上空を舞っていた烏は、アースノーツ家の屋敷の屋根の上にすべて降り立った。屋敷が黒く縁取られたようになる。
「いいこと、おしえてやる。おまえたちのためになるかもしれないこと」
ウルは、突然切り出した。
クルナティオは、不思議そうな顔をした。なぜ、あのウルが自分に情報を与えるのか。
合点が行かない。
「きくか。きかないか?」
ウルが聞いてきた。
烏の丸く黒い瞳から人のような表情を見てとることは非常に困難だった。
ウルの真意が知れない。
しかし、クルナティオは決断した。
「教えてくれ」
合点が行かないまでも、話を聞いてみることにしたのだ。情報の評価は、話を聞いてからでも遅くは無い。
ウルは、一声鳴いた。
すると、屋根の上の烏達が一斉に鳴き始める。
しばらく、烏達の合唱が続いたが、ウルが両翼を大きく広げると合唱はぴたりと止んだ。
ウルは、翼をたたむと話し出した。
彼の話によれば、再び、人間の国を渡ってきた別な密入国者がいるということだった。しかも、今度は、すさまじい殺気を伴って。
彼らは、王都の方向を目指していた。すでに街の中に紛れ込んでいるかもしれない。何かの災いを運んできた事は間違いないだろう。
多分、国王の暗殺を狙っている。人間の検問は、毛ほども役に立たなかったわけだ。
クルナティオは、ウルの話を聞いていくうちに自分の中の血が熱くなって行くのを感じた。それは、彼の持つ正義感の現れだった。
ウルは、クルナティオに情報を伝えると仲間を伴って森へと帰っていった。
クルナティオは、初め、ウルのもたらした情報の重大さから、次の行動を取る事が出来なかった。
やがて、落ち着きを取り戻してくるとまず、親衛隊の隊長へこの報告をしなければいけないことに気が付いた。
着の身着のままで王城へ赴いた。
王城は、丁度、不寝番と朝の警備が交代する時間だった。
隊長は、王城の中に私室を与えられていて常時、王城へ詰めていることになっている。
クルナティオは、ウリアンの私室へ向かった。
ドアを何度かノックするとようやく、ウリアンが返事を返した。
「何事だ?」
「クルナティオ=アースノーツです。火急な用件で、お話があります」
ウリアンは、ドアを少しあけ、周囲をまず覗った。
そして、クルナティオ以外に人が居ない事を確認すると、彼を中に招き入れた。
「何があった?」
クルナティオを招き入れて、開口一番にウリアンは聞いた。
「ウルが、私のもとへやってきました」
「烏の王か?」
クルナティオは頷いた。
そして、ウルから伝えたれた事をすべて残らず隊長へ伝えた。
ウリアンは、クルナティオの話を聞き終えてから指示を出した。
しかし、やれる事は高が知れていた。
親衛隊長の権限は、王城の警備と親衛隊にしか影響を及ぼさない。城外の警備の権限は、軍務大臣が握っている。
これは、軍務大臣の援護を得るためにも国王に話を通しておく必要があった。
ウリアンは、早速身支度を整えると国王の居所へと向かった。関係者の非常招集をかけるのだ。
一方、クルナティオは、ウリアンの命令を親衛隊の詰め所に居る不寝番へ伝えた。そして、朝食をとって、宮廷魔女の私室へと向かう。
自分が伝えるべき事ではないと思うが、仕事を失敗して落ち込んでいる彼女に自信を取り戻してもらうには、なにかに成功してもらうのが一番だと思った。
何よりも、クルナティオは、ヴェンダに魔女をやめてほしくなかったからだ。
彼が、王室親衛隊へ入隊したのは、ヴェンダの父親の伝説があったからだ。
ヴェンダの父は、王室親衛隊の元隊長だった。
その親衛隊の隊長が奢侈山脈に住み着いた悪性の赤竜「アルジャーノン」を退治に出かけ、見事、その偉業を成し遂げたが、その時に受けた呪いにより帰らぬ人となってしまう。
それが、ヴェンダの父「ドラゴンスレイヤービル」の伝説だった。
クルナティオは、子供の頃に聞いたこの英雄譚に憧れ、親衛隊を目指したのだ。
その、一人娘であり、唯一、ドラゴンスレイヤーの血を受け継ぐヴェンダには、もっと潔い生き方を選んでほしかったのだ。
クルナティオがヴェンダの私室を訪れたとき、ヴェンダは留守だった。
相変わらず、休業の札は掛けられていて人の気配も無い。
「待つしかあるまい」
クルナティオは、ヴェンダの帰宅を待った。
ヴェンダが戻ってきたのは、日が完全に暮れた頃だった。
そして、クルナティオは、ヴェンダにウルがやってきた事を告げた。
「貴方がどうすべきかは自分で考えてください」
余計な事とは思いつつもクルナティオは、ウルから聞かせられた事をすべてヴェンダに伝えた。そして、締めくくりにそう言った。
「私の希望から言えば、貴女が、この問題を解決してくれる糸口を見つけてくれることを願います」
ヴェンダは、クルナティオの言葉をかみ締めるように一点を見つめていた。やがて、口を開く。
「私は、宮廷魔女をやめようとしている身です。このような重要な事を知らされても困ります」
クルナティオはヴェンダの言葉に困惑した表情を浮かべた。もう少し、分別のある人だと思っていた。こんな言い方をされるとは思わなかった。
「しかし、まだ、貴女は、宮廷魔女という職を離れたわけではない」
「でも、私はやめると決めたんです!」
ヴェンダは、いつに無く強い口調で言った。
私にかまわないで。―――そう言った意味が込められていた。
クルナティオは、ヴェンダの余裕の無い態度をみて呆気に取られた。
二人の間に気まずい沈黙が生じる。
ヴェンダは、頭に上った血が下がってゆくのを感じた。我を張りすぎたようだ。
謝ったほうがいいような気がした。
ヴェンダが口を開こうとしたとき、それをさえぎってクルナティオが言った
「貴女は、他人や自分を否定するだけで誰の事も認めようとしていない」
ヴェンダは、一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「貴女は逃げるだけで、問題に立ち向かってはいない」
クルナティオは、ヴェンダの顔を見据えて続けた。
「宮廷魔女をやめるとなれば、王城を引き払わねばならないでしょうにそれの準備をしていない。辞めると公言しているが、実はその勇気も無いのでしょう。違いますか?」
違う!
ヴェンダは心の中で強く否定した。
でも、クルナティオの言葉は的を得ている。そう感じた。
本当に私は、魔女を辞められるのかしら。
一瞬、そう思ったりもした。でも、違う。違うはず。
ヴェンダは、頭の中が混乱して何も考えられなくなった。
「もう、かまわないで!」
期せず、大きな声が出た。そんなつもりは無かったのに、ヴェンダは、クルナティオを押しのけて部屋へ飛び込んだ。
クルナティオは、ヴェンダの行動に驚いたが、やがて、自分の言ったことの意味を考え直して反省した。
「言い過ぎたか――――な」
ヴェンダは、扉の向こうで、泣いているかもしれない。
そう思った。感情に走って自分の意見を押し付けすぎたようだ。
クルナティオは、まるで反省するように、暫くその場にたたずんでいた。
「本陣は、王城に置く」
ウリアンは、高らかに宣言した。
本陣とは、戦場で総大将のいる場所である。
『ライニング公国』は、『ストルデニア皇国』兵の不法侵入を限定的な戦争と位置付けたのだ。敵兵は王都にまで侵入してきている。これは、軍事的小競り合いというレベルではない。
政治的意味合いから言っても、有耶無耶にしないほうがいい。
ウリアンは、クルナティオからの報告を受けるとすぐに、軍務関係者の非常招集をかけた。そして、国王の前でウルの報告を行って、非常事態宣言を提案した。
しかし、非常事態の宣言に関しては、国王が難色を示した。
現在、歌姫の降臨祭のために、沢山の人々が王都へやってきている。
ここで非常事態を宣言すれば、混乱を招くだけで、事態の収拾には至らないだろう。
逆に、混乱を招けば、この混乱に乗じて、敵兵がなだれ込んでくるかもしれない。
いろいろな案が討議されたが、最後に採択されたのは、王都内だけの限定戦争という位置付けで、王都周囲の兵に非常呼集をかけるというものだった。これならば、大祭に備えて警備を強化するという言い訳も立つ。
早速、予備役や非番の者達へ非常呼集が掛けられ、部隊の編成が行われた。
そして、その部隊長に任命された者達が大広間に集められて出陣の儀式が行われたのだ。
「忙しくなりそうだ」
退室してゆく兵たちを見ながらウリアンが嬉しそうに言った。ここのところ、平穏な時世が続いていたので腕を振るうチャンスがあまり無かったためだ。
まずは、兵を集中させるために街道沿いに張った検問を解除しなければなるまい。
続けて、親衛隊を派遣して王都内の宿を検めるように手配しよう。
やる事はいくらでもある。
お話自体は完結してます。転載にあたり加筆など行ってますので修正しだい次を掲載します。