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花のように  作者: 藤井 芹香
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お姫様

個人サイトからの加筆転載です。

 「歌姫の降臨祭」は、本来『ライニング公国』のある[黄金色の風と碧い大地]平野に伝わる行事である。

 この祭りは、もともと、農耕の女神である「イノファリアス」の神官行事に由来する。 農耕の女神でありながら、歌をこよなく愛する「イノファリアス」は、毎年、年に一度、自分が、神託を下す人間を決定する。

 神託の下った者は、歌によって捧げられる「イノファリアス」への祈りを束ねる立場となる。そして、その年の「イノファリアス」の神官筆頭に任命される。それが、歌姫と呼ばれる者である。

 歌姫は、全てが二十歳前の生娘に限られていた。その条件から外れたことは一度もなく、また、一度選ばれたものが再び選ばれることもなかった。

 どうして、この女神は、若い娘にこだわるのか。そのわけは、創世神話の中に見ることができる。

 「イノファリアス」は、その昔、快楽の神である「アーチェ」と昵懇の仲だった。

 しかし、「アーチェ」は、やがて、主神の作り出した人間の娘に曳かれて行く。

 その結果、「アーチェ」と「イノファリアス」は、仲違いをした上に、「イノファリアス」には、男性不信という障害が残った。

 それ以来、「イノファリアス」は、同性の女性とのみ接するようになった。

 それが、歌姫という儀式なのだ。

 「イノファリアス」は、女性の声のみを受け入れる。この女神を男性が信仰することは構わないが、直接仕えられるのは、女性のみであった。

 そんな、農耕の女神の神官行事がなぜ、公国中で知られるようになったのか。それは、建国当時の情勢がそうさせたのだった。

 建国間もないライニング公国は、今ほどに、剣術が盛んでもなく、軍隊もほとんど整っていなかった。その上に三方を『ストルデニア皇国』『コーデリシア王国』『シィルヴァーナ聖大国』の三大国に囲まれていて存亡すらも危ぶまれる状態だった。

 誰もが、数年以内に三国のどれかに吸収されるであろうと思っていたのだが。

 番狂わせは、『ストルデニア皇国』の先鋒が、約二百の軍勢を引き連れてライニング公国へ乗り込んできたときだった。二百余名といっても、全てが戦闘部隊と言うわけではないが、それでも実働部隊は百名をくだらない。

 迎え撃つ建国王「ブレギオス=ライニング」の手勢は僅かに三十あまり。誰もが、来るべきときが来たと直感し、殆ど勝敗の決した戦争が、早く終結するように祈っていた。

 しかし、この建国王の軍勢の中に交じっていた一人の少女神官と、魔女が勝敗を大きく変えていった。

 少女神官は、名を「アイシャ=アルパレッド」と言い、「イノファリアス」に仕える巫女であった。さらに、このとき彼女は、歌姫の啓示を受け、「イノファリアス」の勅命として、『ストルデニア皇国』の軍勢を退けることを命じられていたという。

 本来、中立の立場を取ることの多い神々だったが、このときばかりは、『ライニング公国』の後ろ楯に回り、それを助けたのだ。

 「イノファリアス」の呪歌と、強力な魔法の連携で、『ストルデニア皇国』は行く手を阻まれ、最後には、本隊が国境を越える前に撤退の憂き目を見ることとなった。

 それ以来、『ライニング公国』には、女神の後ろ楯があると言われている。

 そして、建国王「ブレギオス=ライニング」は、女神「イノファリアス」に感謝を表すために、「イノファリアス」の祭を聖祭として、盛大に行うと取り決めたのだ。

 「歌姫の降臨祭」はこうして単なる儀式から、盛大な祭へと様相を替えていったのである。

 これが、バドの語ってくれた「歌姫の降臨祭」の由来であった。

 リスティに初歩の魔法の講義を行いながらも、ヴェンダはこの内容を頭の中で何度も反芻していた。

 嬉しかった。バドはヴェンダを祭り見物へ誘ってくれた。ヴェンダは初めての事に戸惑いながらも承諾した。

 楽しみができた。仕事にも励みになる。嫌な依頼でも気分が楽になるから不思議。

 いまは、リスティが来ていた。ナルタから言われた家庭教師である。魔法の基礎の授業。

 魔法の授業といっても、リスティの場合、初歩の初歩も出来ていない状態だったので、まず、自力で魔法書を読めるようにしなければいけない。

 魔法書に書かれている文字は、全て一般に使われている文字や言葉と違った体系によって形作られている。

 これは、初期の頃の魔法がかなり秘密めいた研究や、実験を行ってきたことに起因する。

 初期の頃の魔法は、秘術として、絶対口外してはならないものであった。

 秘密は、厳守され、万が一秘密が漏れても他人には出来るだけ知られずに済む方法が魔法研究の傍らに研究された。

 そのため、魔法を記すための暗号としてルーネと言われる文字や、魔法書にかかれている魔字などの一般とは異なった文字が形作られて行ったのである。

 ただ、それらの文字は、記すことだけに留まらなかった。やがて、言葉に魔力を持たせたように文字に魔力を持たせるようになり、記すことで術を使う一群が現れるようになる。これが後に、ロッドやスタッフなどに記された呪文から魔法を使う「ルーテの魔法使い」と呼ばれる人々の前身となるのだが、リスティをそんなレベルにもって行くには、ヴェンダの一生を捧げても到底たどり着けるレベルではない。

 もともと、純粋な魔法使いは、ある程度先天的な素質がないとなれないのだ。子供のころに魔法使いになりたいと魔導師の元へ弟子入りしても、素質がなければ、一生かかっても初歩の魔法すら使いこなすことができない。

 もし、後天的に魔法の能力を得たいならば、地獄の魔族共と契約を結ぶことが一番手っ取り早い方法だと言われている。しかし、この方法は危険が多い上、一般的に忌み嫌われていた。魔族との契約は、即、魂を売り渡すことにつながるわけで、失敗すれば死が待っていて、成功したとしても、契約が切れた暁には魔族に魂を抜き取られてしまう。

 ほかにも、後天的に魔法の能力を得る方法はいくつかあるが、どれも難しい方法ばかりで、なおかつ成功しても殆どの場合、先天的な能力者には遠く及ばない。

 だから、魔法使いには、先天的な能力がないとなることができないと言われている。

 ナルタは、リスティに魔法使いの能力は期待してはいないようだ。

 多分、魔法へ触れさせることで知識を深めることを狙ったのだろう。

 でも、本当にリスティは、学問としての魔法を覚えられるのだろうか。魔術書の殆どは、魔字やルーネ文字で書かれているのだから、早く、読み書きを行えるようになってもらわないと先へは進めない。

 午後からは、ナルタ様もいらっしゃるらしい。

 始めたばかりから全てができるような天才ばかりではない。

 ヴェンダは、気を長くもつことにしていた。言葉の学習は、あせっても良い結果は出ない。毎日の積重ねが大事なのである。

 とりあえず、今は、魔字の基本である二十五文字の字母を憶えてもらうことにした。

 魔字は、字母の組合せによってヴォルトが構成される。このヴォルトをさらに組み合わせることで、スペルが完成する。スペルは、それ自体が魔法としての効力を持つが、さらに、スペル同士を組み合わせることによってより、大きな魔法を使うことができる。

 魔字は英語を学ぶ上でのアルファベット的な存在ととってくれて構わない。すなわち、魔字は魔法の基礎でもあるのだ。

 小一時間ほどは勉強に熱中していたリスティは、やがて、単調な文字の練習に飽き出したらしい。よそ見や、欠伸の回数が目に見えて増え出した。

 ヴェンダは、その度に注意を促すが、返ってくるのは、生返事ばかりだった。

 あまり、連続してやっても集中力が続かないようね。

 ヴェンダは、そう悟ると、小休止を提案した。ちょうど、時間的にもいい頃合だ。

 このヴェンダの提案に、リスティは喜んだ。魔法は、華麗で恰好がいいので使えるようになりたかったが、使うための勉強がこんなに退屈なものだとは思わなかった。

 これならば、家庭教師の物理の時間のほうがまだ、面白い。

 ヴェンダと侍女のワーニャが、台所でお茶の用意をしているとき、リスティは、そんな風に考えていた。

 やがて、ヴェンダがやってきた。一瞬遅れて、侍女が茶器セットと菓子パンを盛った皿を持ってついてくる。

「退屈そうね」

 ヴェンダが、ソファに腰を下ろしながら言った。顔には、いたずらっ子がよくうかべるような笑みをうかべている。

「あ、いえ、そんな退屈だなんて。リズは、おねえさまが忙しいのに、こうして教えて頂いているだけでも幸せなんです」

 リズは、顔を赤らめると、慌ててそう答えた。

 傍らでは、侍女が苦笑いを忍隠しながら、ハーブティを沸てている。

 ヴェンダは、微かに笑った。悪戯っぽい険を帯びた微笑みが、一転して優しくなる。

「じゃあ、お茶を飲んだら続きをしましょうね」

 リスティは、黙って小さく頷いた。

 その目の前に、侍女の煎れたハーブティがおかれる。

 ティーカップの中で、微かに揺れる水面が自分の姿を映しているのを見ながらリスティは、一人考えを巡らせていた。

 おねえさまとこうして会話できるのは、嬉しいけれど、どうして退屈な勉強をしなくちゃいけないのかしら。もっとほかに色々とやりたいことがたくさんあるのに。

 リスティは、視線を持ち上げると上目使いでヴェンダを見た。彼女は、ハーブティの香りを楽しむようにティーカップを口許に寄せ、目を閉じている。

 リスティは、肩を落とすと心の中で盛大な溜め息をついた。

 やはり、勉強を教わらなくてはおねえさまの側に居ることは出来ないらしい。

 リスティは、仕方なしにハーブティのカップを取ると、口許に運んだ。

 ふわりと、心地好いハーブの香りが立ちのぼる。

「いい香り」

 思わず、言葉が口から漏れた。

 ヴェンダがそれに応じるように口を開く。

「そうね」

 ヴェンダは、そう言ってからハーブティを口に含んだ。口の中いっぱいに、ハーブの香りが広がる。

 彼女は、舌の上で転がすようにしてハーブの心地好い香りを楽しんでいる。

 菓子パンを取り皿へ分けていた侍女が、二人に説明するように言った。

「このハーブは、ナルタ様がお二人にと特別に分けて下さったものなんです」

「お母さまが?」

 ハーブティに一口だけ口をつけたところでリスティが、聞き返した。

 侍女は、肯定の返事を返すと、こう言葉をつないだ。

「シュロン地方で採れたレリアの花の葉を主原料に、何種類かのハーブをブレンドした特別仕立てのハーブを使っているそうです」

「シュロン地方と言えば、かなり遠方の土地ね」

 ヴェンダが、記憶の底からうろ覚えの地図を引き出した。確か、シュロン地方には、『ダヴェネチア』という名の国があった。その国は、ヴェンダの知っている国々の中で一番遠方に位置する国だった。伝え聞く限りでは、片道におよそ五年ほどの歳月を掛けねば辿り着くことができないらしい。

 ヴェンダは、遠方から運ばれてきたハーブの値段を想像して、恐縮してしまった。

 ハーブに限らず、遠方から運ばれてきた品物は、例外無く高額で取引されている。

 一度ならず、魔術の触媒を遠距離から取り寄せたことがある。その時、ヴェンダはあまりに高額なため、支払いに困ったことがあった。

 ヴェンダの家計は、それほど貧素というわけではない。逆に、高度な魔術の依頼が来たあとには、それなりに報酬が入ってきてはいたので、少なからず蓄えもあった。

 それほどに、貴重な物資は高額なのである。

 ヴェンダは、王妃ナルタに対する感謝とともに、申しわけないという気持ちが胸を埋めていることに気がついた。

 今日いらっしゃったらお礼を言わないと。

 確か、ナルタ様は午後にいらっしゃると、侍女は言っていたっけ。

 まだ、昼には少し早い時間なので、王妃様がいらっしゃるのは、もう少しあとになるだろう。

 やがて、ヴェンダ達は、高価なハーブティを飲み終えた後、勉強を再開した。

 内容は、相変わらず、魔字の基本である字母の書き取りが中心である。魔字には、ルーネ文字と違って読みが存在しない。すなわち、魔字は、言葉では表すことができないのだ。これは、一般的な多くの文字が、発音から学習されていることに起因している。

 発音があれば、その発音をまねることで言葉を覚えて行くことができる。門番の小僧が習わぬ経を覚えたというのは良い例だ。

 しかし、書き取り中心の文字ならば、音という触媒が無い分、外部に漏れる危険性も薄れる。魔法という秘術を守るという性格上、魔字には発音が設けられ無かったらしい。

 それが、今でも無音という名残りで残っているのだ。

 しかし、二十五文字もある魔字を時には、区別しなければならないこともあった。

 その場合は、シンボルという仮詠を用いる。二十五字の魔字のうち、二十四文字までが、自然界の精霊力に対応した形状をしており、各文字を呼ぶ場合には、その形状をシンボルとして標準語で示すのだ。

 このシンボルは、あくまでも仮詠であって、それ自体が読みとはなりえなかった。

 それは、標準語自体が魔力を持ちえなかったためである。魔力を持ちえない言葉は、魔法を起動することが出来ないのだ。

 それゆえに、魔字は一字一字を示す言葉がありながら、スペルや、ヴォルトを音として現わすことができない。

 結果としては、教えるほうも、学ぶほうも、音がないということは不便以外の何ものでもないのだが。

 音の無い不便な言葉でも、覚えるとなればコツのようなものも存在した。

 ヴェンダは、そのコツを交えながらリスティに講義をしていった。

 はじめは、基本的な書き取りにうんざりしていたリスティも、ヴェンダの講義にやがて魔字のコツを飲みこみはじめて、欠伸や気を散らすことが少なくなっていた。

 とりあえず、一通りの字母を通して講義したヴェンダは、触りだけだが、ヴォルトを教えることにした。

 ヴォルトは、標準語での単語に当たる。ヴォルトの組合せがスペルとなり、強力な魔法として発現させることが出来るわけだが、実は、ヴォルト単体にも微弱ながら魔力が宿っている。

 魔力が宿っているということは、それ自体が引き金となって魔法を発現させることもありうるわけだ。そのため、一般的には、字母の組合せ方を教えるのは、魔字の学習の最後のほうというのがセオリーとなっている。

 しかし、敢えてヴェンダは、リスティにヴォルトを教えることにした。それは、リスティの魔法への興味を失わせないためであり、且つ、魔法の恐ろしさを理解してもらうためでもあった。

 使い方のよるのだが、魔法は時として恐ろしい力へと変わる。それは、一度に幾人もの命を奪う力であったり、一瞬のうちに大地の姿を変えてしまったり、湖を干上がらせてしまう力であったりする。

 それは、使い方を注意することである程度未然に防ぐことができる。

 魔法による災害のほとんどは、人災か、当事者の故意によるものだ。

 リスティが、自分ほどの力を持つとは思えない。でも、魔術を覚える以上、その力は正しい方向へ向けてもらいたかった。

 一番初めのヴォルトをヴェンダは、紙に書き込んだ。それは、知らないものが見れば無秩序な図形をただ並べただけに見える。

 このヴォルトの意味は、『火』。極、小さな火である。

 ヴェンダは、紙の端を少しだけ水で濡らしていた。これは、火のヴォルトの力を封じ込めるためのまじないである。

 ヴォルトを描き終えたヴェンダは、念のため、侍女へコップに水を汲んでくるように頼むと、手本の紙をリスティの前に広げた。

「じゃあ、この魔字の並びを写してみて」

 リスティは、小さく頷くと、紙にペンをはしらせはじめた。

 そして、ヴォルトを描き終えた生徒は、出来映えを先生に訪ねてみた。

 ヴェンダは、ほぼ合格点という評価を下した。

 リスティは、満悦といった表情でヴォルトの描かれた紙を眺めはじめた。

 やがて、ふと、気がついたようにヴェンダに訪ねた。

「おねえさま。ところで、この魔字の並びはどんな意味があるのですか」

 ヴェンダは、いたずらっ子のような笑みを浮かべると人差し指を立てて口許へもってきた。

「まだ内緒」

 リスティは、唸るように不平の声を上げた。

「ずるい」

「もう少ししたら教えてあげるわ」

 ヴェンダがそう言うと同時に、侍女がコップを携えて戻ってきた。

 コップの中には、たっぷりと水が満たされている。

「ありがとう」

 ヴェンダは、侍女がもってきてくれたコップを受け取ってテーブルの上に置いた。

「さて、では、おひめさまが初めて描いた魔字がうまく作用してくれるかどうかを試してみましょうか」

 ヴェンダは、椅子から立ち上がると部屋の奥の本棚のほうへ歩いていった。そして、そこで捜し物をした後、やがて一枚の木の板を抱えて戻ってくる。

 ヴェンダがもって来た木の板は、カシラマの木と呼ばれる木の板だった。

 カシラマの木は、とても硬い事で知られる。しかもその硬さゆえに、簡単には火が燃え移らない。極硬く難燃性のあるこの木は、強度の必要な扉などに用いられていた。

 しかし、ヴェンダの抱えてきたカシラマの板は、扉などの建築材とは一風変わっていた。この板には、魔法陣が掘り込まれていたのだ。しかも、掘り込まれた魔法陣には、その図形に沿って金属質の黒い物質が流し込まれている。

「普通は、こんな代用品じゃなくて、もっと本格的なものを使うんだけど」

 ヴェンダは、テーブルの上に板を置きながら言った。

「これ、何ですか」

 リスティが尋ねた。

「簡易の魔法陣。いろいろと便利なのよ。簡単な魔法なら触媒無しでも使えるわ」

 ヴェンダは、魔法陣をリスティの前にずらした。

「私は、魔字を使う魔法の専門教育を受けたわけじゃないから、こんな邪道な方法でしか使えないけど」

 ヴェンダは自分が魔字を書き込んだ紙を魔法陣の上に広げた。

 そして、魔法陣へ気を集中させると、ルーネ文字の発音で『汝、その力を解き放ちたまえ』という内容の言葉を口にした。

 すると、魔字の描かれた部分が徐々に黒く変色して、やがて白い煙をあげ始めた。

 白い煙は、すぐに小さな火となる。

 リスティが小さな悲鳴を上げた。侍女が驚いたように目を見開く。

 炎は、紙の中央の、魔字の描かれた部分だけを丸く焼くと鎮火した。

 ヴェンダは鎮火したのを確認すると、リスティ達のほうへ向き直った。

 リスティは、唖然としていた。火の気など皆無な場所から火が上がったのだ。ただ記して、詠えるだけで。

 これは、今まで彼女が習ってきた物理法則と完全に矛盾していた。

 物は、無からは生まれない。

 無は死の象徴であり、暗黒の大地母神「アーラルスィア」の司るべき絶対不変の摂理の一つである。

 リスティは、少なくとも家庭教師にそう教えられていた。

 しかし、おねえさまは、意図も簡単にそれを破ってしまった。

 リスティの想像していた魔法は、どちらかといえば、錬金術に近いものを想像していたようだ。それだけに、ヴェンダの魔法がとても斬新にうつったのだろう。

「凄い、素晴らしいことだわ。おねえさま!」

 リスティは、ヴェンダの手を取って喜んだ。

 一方のヴェンダは、リスティの勢いに気押されて空返事しかでない。

 ヴェンダ自身、リスティがこれほど喜んでくれるとは思っていなかった。

 もっと冷ややかな反応が返ってくると思ったのだ。

 リスティは、ヴェンダの両手を取ると、大きく振った。

 ひとしきりリスティがはしゃぎ終えるのを待って、ヴェンダは、言った。

「さあ、それでは、お姫様がきちんと書けたかどうか確かめる番ですよ」

 ヴェンダは、リスティが魔字を書き込んだ紙を取り上げると、片端をグラスにつけた。

 そして、再び、魔法陣の上に紙を広げる。

 リスティは、好奇に満ちた眼差しを、魔法陣に注ぎながら椅子に座り直した。

 ヴェンダはそんな、リスティの仕草にかわいらしさを感じて、目元を和らげると言った。

「あまり期待を持ちすぎていると、失敗したときにがっかりしますよ」

 リスティは、うなずいた。

 ヴェンダは、リスティから魔法陣へ視線を移すと、一呼吸おいてから呪文を唱えた。

 すると、書き込まれた文字のあたりが黒く燻り始め、やがて、白い煙が上がり始めた。

 が、いっかな炎のあがる気配はなく、煙もやがて消えてしまった。

「おかしいですねぇ」

 リスティの肩越しにのぞき込んでいた侍女がつぶやいた。

「残念ね」

 ヴェンダはそういうと丸く焦げたか身の上から中和剤代わりの水垂らす。

「書き順が違ったのかしら」

 リスティは、大きく頷くと、ヴェンダの手を取っていった。

「すごいですわ。私が書いた文字から煙が上がるなんて」

 ヴェンダは落ち込んでいるかと思っていたリスティが思った以上に元気なことにとまどった。

「でも、火は上がらなかったし、ただ黒くなって煙が少し上がっただけよ」

「いいんです。初めからお姉さまと同じことができるなんて、毛ほどにも思ってませんわ。それよりも、ちょっとだけでも近づけたことがうれしいのです」

「そ、そう?」

「はい」

 リスティは、にっこりとほほえんで小首を傾げた。とても女の子らしい仕草だった。

 それから、再び、魔字の練習に戻ったが、リスティは今までとは比べ者にならないほどの身の入りようで練習を続けた。

 やがて、時がたち、昼時を過ぎる頃、ヴェンダの部屋のノッカーをたたく音が聞こえた。

「ナルタ様かしら?」

 ヴェンダが筆を置いて立ち上がろうとしたとき、次女がそれを制していった。

「どうぞ、お続けください。私が見て参りますから」

 ヴェンダは、椅子へ掛け直すと次女の後ろ姿を視線で追った。

 次女は部屋を出て、玄関口の方へゆくと鍵をはずす音が聞こえた。そして、いくつかの言葉のやりとりがあり、やがて、こちらへ戻ってきた。

「どうしたの?」

 訝しげにリスティが聞いた。

「あ、いえ。今、ナルタ様からの伝言で、急な用事ができたので、今日は来れなくなった。ということです。リスティ様も、なるべく早くお帰り召されるように、と」

「どういうことかしら」

 リスティは、訪ねるようにヴェンダを見た。

 こればかりはヴェンダもわかりようがない。ヴェンダは肩をすくめて見せた。

「でも、後で、ナルタ様に聞いてみればわかるんじゃない?」

 リスティは、うなずくと、再び、魔字の練習に戻った。しかし、前ほどに熱が入らない。

 ナルタ様のことが気がかりなのだ。

 ヴェンダは、頃合いを見計らって言った。

「お姫様、今日はお開きにしませんか」

 リスティは、心にもなく不満の声を上げる。事実、彼女は母親のことが気がかりなのだが。

「そろそろ、お昼時も過ぎましたし、魔字の練習も、ただ時間をかければいいと言うわけではないんです。集中できるときに身を入れてやるのが一番覚えるんですよ」

「でも・・・・・・」

 ヴェンダは、軽くため息をつくと言った。

「ナルタ様のことが気がかりなのでしょう。使いの方も早く帰るようにと言ってましたからね。今日のところは、これで中止して、続きはまたの機会というわけではだめですか?」

 待っていましたとばかりにリスティは、このヴェンダの言葉にうなずくと椅子から立ち上がった

「そうですね。お姉さまがそうおっしゃるのなら、今日はお開きにしましょう」

 リスティの肩越しにワーニャが苦笑いを噛み殺しているのが聞こえた。

 リスティは、次女を叱責して急かしながらヴェンダの部屋を後にした。次女は、ヴェンダに挨拶する暇もあればこそ、片づけもそこそこに退室していった。

お話自体は完結してます。転載にあたり加筆など行ってますので修正しだい次を掲載します。

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