正直と薬とわっか
人にうそをついてはダメというのは僕のお母さんの口癖だ。うそをついて手に入れたものはただのうそなんだだという。
「神様は正直で素直な子供が大好きなのよ。だから、神様に微笑んでもらえるように、人を傷つけるようなうそはやめなさい」
僕がうそをつくと、言い訳のために本当とは違うことをいうと、いつもお母さんはそう言った。やさしい微笑みで、でも少しだけ厳しい声で。
人にうそをついてはダメ、と。
でも、だったらどうして…… どうしてお母さんはいつもせきをしているんだろう。どうしていつもベッドで寝てばかりなんだろう。
正直者が神様に好かれるんだったら、どうしてお母さんは病気になっているんだろう。
こんなの、絶対におかしい。こんなときに助けてくれない神様だったら、嫌われたっていいじゃないか。嫌われる代わりに、誰かをだましてお母さんの薬が手に入るなら、それでいいじゃないか。そのほうがずっといい。
こんなことをいうと、お母さんは決まって悲しそうな顔をする。ないてはいないけど、心の中では涙を流しているのかもしれない。
「うそはダメよ」
そんな顔でそんな声でそんなことを言われたら、僕はもう何もいえない。ただ目があつくなって、あつい涙が流れて、お母さんのベッドに顔をうずめるしかない。
「いい子ね。お母さんは今はちょっと病気だけど、神様は必ず見ているわ。ただ今は忙しいだけで、きっとすぐにでも私たちのところにも来てくださるわ」
そんな声を聞いて、僕はさらに悲しくなる。涙はもっともっと出てくる。
お母さんは優しく頭をなでてくれる。そのあたたかい手が、僕の頬をなでて、あふれ出る涙をぬぐってくれる。
「いい子ね。涙を流せるのは、正直者の証拠よ。その涙だってきっと神様に届いているわ」
僕はついに声を上げて泣き出す。神様に聞こえるように、神様が来てすぐにでも助けてくれるように、大きな声で泣く。
たすけて、おねがいします。そうわんわんと泣く。
それでも、神様は助けに来てくれなかった。丘の木が真っ赤になるまでまっても、何も助けてはくれなかった。
お母さんは日に日に寝ていることが多くなった。お父さんはがんばってお金をためてくれている。お医者様に見てもらうために、病気の治る薬をもらうために、がんばっている。
でも……
森の葉っぱが散ってきてもお金はたまらなかった。僕は早くお金がたまるようにご飯をあまり食べないようにしたけど、お母さんが泣いて怒ったからすぐにやめた。
お父さんは毎日疲れて帰ってくる。まだまだがんばらないとダメだっていいながら、少し散歩に出る。
こんなときにお母さんのそばにいないなんてどうかしている。そう思って一度だけこっそりとついていってみたら、奥の森で声を上げて泣いていた。僕もそれを聞いて気づかれないように泣いた。
正直者が神様に好かれるなんて絶対にうそだ。神様は何もしてくれない。もっとずるがしこく生きないと、例え汚くなったって、お母さんが元気になるなら、そのほうがいいに決まってる。
僕はその夜に、とてもとても悪いことをすることにした。頼りにならない神様に嫌われたって、お母さんが元気になるならそれでいい。
町の中心には薬屋さんがある。お母さんに必要な薬がなんだかは知っている。僕がうそをついて、薬屋さんからお薬をもらってくればそれでいい。それでいいんだ。
次の日の朝、僕は遊びにいってくるといって家を出た。うそをついて家を出た。ドアを閉めるときに振り向くと、ベッドでお母さんは悲しそうな顔をしていた。じわり、僕の瞳から涙がこぼれそうになった。
町まではどんなうそをつこうか考えて歩いた。お金は後から持ってくるって言えばいいのか、それともお薬をこっそりとポケットに忍ばせてしまえばいいのか…… うそを考えて、下を向きながら歩いていった。
「いらっしゃい。どんな薬がほしいのかね」
僕は前にお父さんが言っていた名前をはっきりといった。おじさんは「ちょっとまっててね」と言って、奥のトビラへ入ってしまった。
お薬は僕のすぐ目の前にあった。おじさんはそれに気づかないで探しにいったみたいだけど、僕の目の前にあった。手を伸ばせば届くし、ポケットに入る大きさだった。
奥からはずっと物音がしていて、なかなか帰ってくる気配はなかった。僕はゴクリとつばを飲んだ。
これで、前みたいに元気に…… いまならもっていける……
でも手に取る勇気はなかった。そしておじさんは戻ってきた。
「あぁやっぱりここにあったかぁ。これがほしい薬だね」
僕は下を向きながらうなずいた。 おじさんはニコリとしていた。
「これは結構高いお薬だけど、坊やはお金を持っているの?」
「いまは、持ってない……」
おじさんは相変わらずニコニコとしている。どうして笑っているのかわからない。
「じゃあ、おうちにはあるの? だったらお金は後ででもいいよ」
おじさんは微笑んでいる。薬がとてもまぶしく見える。
いま、うそをつけば…… ここで、うそをつけば……
勇気を振り絞ってそれをとろうとしたとき、ふとお母さんの泣く姿が目にうかんだ。
うそをついて手に入れたものはただのうそなのよ。
あの言葉が突然浮かんできた。僕は手を伸ばしかけたまま、かたまってしまった。
うそをついて手に入れたものは、ただのうそ…… このお薬をうそをついて手に入れても、それでお母さんが元気になっても、それはうそになる……
「ん? どうしたのかね?」
おじさんはずっと微笑んでいる。僕は涙で目の前が見えなくなる。
「う、うそ…… ホントは、家にもお金は…… ぐすっ…… お金はなくて…… でも、うっ…… それがないと、…… おかあさ、お母さんは…… ぐすっ……」
僕はそのまま声を上げて泣いた。うそをつくつもりでここまできたのに、うそをつけばお薬をもらえたのに…… 僕は大声で泣いた。
「うそ、うそをつこうとしたのかい?」
「ごめっ…… ごめんなさ……いっ…… ぐすっ……」
「この薬は、うそをついてまでほしかったのかい?」
微笑みかけるおじさん。僕は泣きながらうなずく。鼻水も涙もごっちゃになってうなずいた。
「お金はないからお薬が買えない。うそをつけば手に入ったのに、それもしない……」
おじさんの優しい声が、僕の心をさらに動かす。僕はこのおじさんをだまそうとして……いた。
「坊や、お金があればお薬は買える。お金があればいろんなものが買えるね」
おじさんはしゃがんで僕の眼を見てそう言う。
「でもね、正直はお金では買えない。神様の大好きな正直者は、お金を払ってもなれない」
おじさんの顔も、涙のせいでよく見えない。
「坊やはお金じゃ買えない心を持っている。今も、その心を捨てないで、正直でいた」
優しい声。透き通るような声はまるで神様だった。神様の声は聞いたことがないけど、きっとこんな声だと思う。
「私はね、正直は金持ちよりえらいと思っている。だから、金持ちが買えるのに正直者が買えない薬なんてあっていいわけがないと思う」
神様のような言葉。正直者は神様に好かれる、お母さんの言葉が頭に流れる。
「君のその正直は、この薬百個分よりもっともっと価値のあるものだ。それを見せてくれたから、私はこの薬を上げよう」
「え? ……え?」
目の前はよく見えない。涙と鼻水でごっちゃになっている。それでも僕はおじさんのほうを見た。おじさんはとってもまぶしくて、頭の上に大きなわっかがあるような気がした。
「それでお母さんを元気にしてあげなさい。そして君はずっと正直でいなさい。約束できるかい?」
僕は何度も何度もうなずいた。声を上げてなきながら、何度も何度もうなずいた。
おじさんの頭の上には、やっぱり大きなわっかがあるように見えた。




