冬の精
ある雪の降る日の塾帰り。突然上着のフードに重みを感じて振り返ったら、中に犬の縫いぐるみが入っていた。
誰かが悪戯で入れたんだろうな、と思ってたら普通に動いてしかも喋り出した。
「お伴させて下さいよ」
なんと敬語。でも犬の縫いぐるみ。
敬意を払うべきなのかよく分からないから僕はタメ語で返す事にした。
「別にエエけどお前何やの?」
「冬の精ですよ」
自称冬の精な犬の縫いぐるみは何でもない事の様に言い放った。
「んなアホな 犬の縫いぐるみやろ?」
別に八百万の神様が住んでいる日本だから冬の精が居ても不思議じゃない。けど、どうも犬の縫いぐるみっぽすぎる。
「犬の縫いぐるみ型冬の精ってことで ところで何処行くんですか?」
やんわりつっ込んでみたのにあっさり流しやがった。ということはあまり重要ではないのだろう。僕も気にしない事にする。
ところで僕はちょっと喋っただけなのにこの冬の精に親しみを感じ、友達になりたいと本気で思った。久々の感覚だ。
「…ゃー家帰るだけやけど寄り道しよ 何かの縁やし奢るで」
「良いですねぇ」
友好関係第一段階突破ってとこかな。
コンビニで豚マンを買おうと思ったけど、小学生の小遣い的に二つ買うのは厳しい。僕自身そんなにお腹空いて無いし、冬の精が一つ食べ切れるとは思わないので、一つを割って食べる事にした。
公園のベンチに並んで座り、冬の精に半分に割った豚マンをあげた。匂いをクンクン嗅ぐその様子は思いっきり犬だ。でも普通にベンチに腰掛けてる姿は縫いぐるみみたいで可愛かった。
「はい」
「何です?これ」
「豚マン 美味しいで…って食べれるんか?」
「基本的に雑食です」
「…へぇ雑食 現実的やな 冬の精っていうくらいやし雪か氷食べるんやと思った」
「絵本の中じゃないんですからそれは無いですよ」
そういうと冬の精は豚マンに齧り付いた。熱くないか心配したけど大丈夫そうだった。
「美味しいです」
「やろ?」
一人と一匹?は何を喋るとも無く豚マンを食べた それが何となく楽しかった。
「ただいまー」
「おかえりぃ~裕貴…って頭の上に居る可愛い縫いぐるみどしたん?」
オカンは僕の頭の上にあの電気ネズミのように乗っている冬の精をまじまじと見た。
やっぱりオカンにも縫いぐるみに見えるらしい。ちょっと安心した。
「冬の精です 初めましてお嬢さん」
「みのさんかいな!? …まぁ合格 よろしくなぁ…ペコ!」
専業主婦の半数以上がお昼はタモさんよりみのさん派だということを何で冬の精が理解してるのか判らないけど、どうやら冬の精はオカンに気に入られたようだ。
でも一つ気になる事が…
「…オカン ペコって何?紅茶?」
「えっ アカン?名前 『冬の精』じゃ味気ないやん」
出た。何にでも名前をつけたがる病。近所のノラ猫にまでこの調子で名前をつける始末だ。
僕が呆れているのを他所に、冬の精は(多分)満足そうに鼻を鳴らした。
「アカンことは無いですよ気に入りました よろしくお願いしますね裕貴、奥さん」
「よろしく〜ペコ…あれ?僕名前教えた?」
「今奥さんが言いましたから」
僕は今ペコを凄く尊敬した。いつの間にかオカンの呼び方が『お嬢さん』から『奥さん』に変わってるし…。こいつ頭脳派かなぁ。
ペコを部屋(一人部屋だ)に連れてったら格ゲーコントローラーに凄く興味を持ったらしく、ず〜っと回してた。
「…格ゲーやりたいん?」
聞いてみたら最初何のことか判らなさそうな顔をしていたけど、すぐに首が千切れんばかりに縦に振った。
と言うわけで一般小学生vs冬の精という異色の対決になった。
しかし…僕はペコの殺人的なコンボに叩きのめされた。友達内では一番強いのに…。
「…ペコめっちゃ強いな…」
「楽しいですねコレ」
コントローラーをバンバンしばきながらペコは少し興奮気味だった。そらあれだけのコンボ数たたき出したら僕もそうなるだろうなぁ。
「格ゲー強い冬の精なんてペコくらいやろなぁ」
「友達は素手で熊を眠らせるくらい強いですよ」
「ぇ……それは永眠?」
僕の質問が聞こえたのか聞こえてないのか判らないけどペコはまた対戦を再開させた。オカンが「ご飯やでー」と1階から叫んでくるまでずっと僕は負け続けた。
「…冬の精ってのは風呂大丈夫なん?」
一番風呂〜って言いながら脱衣所に入ったらペコも一緒に付いて来た。別の場所に付いて来るのは問題やとは思わんけど、ここはお風呂だ。お湯だ。
だいぶん昔に読んだ絵本で、雪ん子はお風呂に入って溶けた。
「体を清潔に保つのは大切ですから」
「…溶けへんの?」
「なんで溶けるのですか?」
恐る恐る聞いたのにペコは意味が判らないといった風に聞き返してきた。
「ゃ…溶けへんねんたらエエわ」
「変な裕貴ですね」
ペコは溶けはしなかった。でも溺れかけた。
今は冬休みだけど、朝から塾があるから早く寝ろと言われて僕らは布団に入った。
絶対に潰すから止めとけ、って言ったのにペコは僕の布団で寝るらしい。
「なかなか楽しい生活ですねぇ」
「そぉかぁ? 学校行って勉強して、塾行って勉強すんのは結構しんどいで」
「私から見たら楽しそうですよ?友達いっぱい居るでしょうし」
「まぁなぁ …楽しい生活って言うんやったらずっと居たら?」
「え…」
僕は何の気なしに言ったのに、ペコは言葉に詰まった。間が悪くなった気がしたから笑い混じりに茶化してみた。
「嫌なんかよ〜」
その後いろんなことを話してたらいつの間にか僕は寝ていた。そして朝、ペコは布団に居なかった。
部屋を見回したら上着のフードの中に居た。どうもお気に入りらしい。
冬休みが終わって3学期になっても、僕らは一緒に遊んだ。たまに勉強も教えてもらった。友達にもペコを紹介して、みんなで格ゲーをした。誰もペコには勝てなかった…。
今までの冬より格段に楽しかった。
でも
―楽しい時間はマッハで駆け抜ける
ある日裕貴のフードの中でペコは思った。
「彼と一緒に居ると嬉しいです 独りではないから… この状態がずっと続けば良いのですが… 残念ながら無理な話だと思います」
同じ時裕貴もペコの重みをフードの中に感じながら思う。
「ペコと居るとめっちゃ楽しい チワワに癒されてるのとは明らかに違う ずっと一緒に居てくれたらエエんやけど…無理やって判ってる」
だって
―ペコは冬の精だから―
容赦無く春は近付く。
理科の宿題をするからベランダに出て星を観察してた時に僕はつぶやいた。
「もうすぐ春やな」
「ですね」
「…ペコは冬の精やったよな」
ペコは黙って頷いた。
今まで言えなかった、言いたくなかった質問を、僕は今した。吐く息が白い。
「いつ…居なくなるん?」
「判りません 明日なのか一週間後なのか…」
僕は膝を抱えた。なんだか良くわからない気分だ。
「僕はペコと一緒に居たい」
「愛の告白ですか?」
さらっとそう言われて僕はペコの顔をベランダに出てから初めて見た。縫いぐるみみたいやと今でも思う。
「…何処で覚えたん」
「奥さんと昼ドラとやらを拝見した時に」
学校には連れて行けないから家でオカンと家に居てもらってたけど…見てたのか。
「…愛の告白や無い…けど」
「けど?」
僕は息を吐いた。吐く息が白い。でもこの前よりはっきり見えない。
「ずっと友達でいて欲しい」
「…」
ペコは俯いたまま暫く何も言わなかった。その間僕は星を見上げ続けた。
流れ星でも妖怪でも何でもいい。願い事をかなえて欲しい気分だった。
だいぶん冷えてきましたからと言ってペコは僕を家の中に連れ戻した。いつの間にか日付が変わってる。
いつもは上着のフードの中で寝るのに、ペコは僕の布団に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
「…うんおやすみ」
明日もペコは居てくれますように。
朝、目を開けたらそこにペコは居るはずだった。だけどペコは居なくて―
上着のフードも一応覗いたけど、やっぱりペコは居なかった。
代わりに何か書かれた紙が入ってたけど、全然読めなかった。
確実に判ることは一つ
―ペコは居なくなってしまった。
ペコが居なくなっても時間は何事も無く過ぎて、段々と暖かくなって、春になった。
僕は進級して新しい環境に慣れるのに忙しい。
そんな春のある日塾の帰りに、ペコと初めて豚マンを食べた公園に何となく行った。
前来た時は冬だから判らなかったけど公園の樹は殆ど桜だったらしい。辺り一面桃色だ。
舞い散る様子が綺麗で、僕はぼんやりそれを見ていた。
「お伴させてくださいよ」
「え!?」
背後から声が聞こえた。
「お久し振りです」
そこ―僕の一歩後ろに居たのは
「…ペコ?」
「はい」
ペコは頷いた。相変わらず縫いぐるみみたいで、何考えてるのかわからない顔してるけど、僕は会えて凄く嬉しかった。すぐにでも一歩踏み出してペコを抱き上げたかった。
でも一つ、一つだけ判らないことが僕の中に今ある。
「…今春やで?」
そう春。冬の次に来る季節で、当然冬より暖かい。冬の精であるペコは場違いだ。
僕の言わんとしていることをペコ自身も判ってるみたいだった。徐に何処からか一枚のプリントを取り出した。何かいっぱい字が書いてある。ペコが居なくなった日に置いていった手紙と同じ字だ…と思う。
それを誇らしげに僕に見せながらペコは言った。
「実はですね 本日付で裕貴の守護精になりました」
沈黙。
「はぃ!!?? しゅごせい!?」
冬の精だと聞いた時よりもかなり驚いた。多分あのプリントはその証明証…だろう。
僕が一人混乱してるのを他所にペコは静かに喋りだす。
「冬の精は冬を呼び冬を帰すだけの精です 私は何年も何十年もそれを繰り返してきました 最初裕貴のフードの中に入ったのは本当に気紛れで、すぐに消えるつもりでした でも…」
ペコは大きく息を吐いた。もう息は白くならない。
「でも裕貴が『よろしくペコ』って言ってくれた時…とても嬉しかった」
「一緒に居たらもっと、ずっと一緒に居たくなりました だから頑張って裕貴の守護精になりました 自分勝手ですいません」
ペコはそう言うと頭を下げた。
「そうか… ペコは僕とホンマにずっと一緒に居たいん?」
「はい 裕貴が好きですから」
愛の告白やんか。そう思ったけど言えなかった。まだ頭の中はグルグルしてて、いろんな言葉が思い浮かんでもそれは音にならず、代わりに眼から零れ落ちてる気がした。
「…ペコ…ありがとう」
ペコに聞こえてるかは判らない。けど多分届いてる。
僕は無意識に眼をこすったら袖がめちゃくちゃ濡れた。泣いてたんや。
照れ隠しのつもりで上を向いて深呼吸した。
「…今からどうしよか?」
「豚マン食べたいです」
「もうコンビニにはあらへんよ」
春なんやし。と言うとペコは凄くガッカリしているように見えた。そんなに好きやったのか…?
ちょっと項垂れているペコに僕は言った。
「春には春にしかない美味しいもんがあるねんで 夏にも秋にも」
「本当ですか」
「うん やから…」
僕は一歩踏み出してペコの前にしゃがみ込む。そして手を差し出した。
「ホンマにペコが一緒に居るって言うなら教えたるで」
ペコは自分の手を僕の手の上に乗せた。縫いぐるみには無い暖かさが伝わってくる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
僕はそのままペコを抱き上げて頭の上に乗せた。今日はフードのある服を着ていないから仕方無い。桜が舞い散る中僕らは公園を後にした。
大人になっても僕がペコと一緒にいたいと思ってるかは、子供の僕には判らない。判ってるのはペコは僕の友達やって事。今はそれだけで十分やんな?ペコ
冬の精読んでいただきありがとうございます。如何でしたでしょうか?何となく心温まって貰えたら幸いです。