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第一話 「レオン晴人誕生」

…なんだか、全身が猛烈に窮屈だった。

 ついさっきまで、俺はアパートの汚い階段を派手に転げ落ちていたはずだ。「あ、これ死んだわ」という確かな感触と共に、視界がブラックアウトしたところまでは覚えている。


(……救急車か? それにしても、身体が動かなさすぎるだろ)


 麻酔でも打たれているのか。重い瞼を必死に持ち上げると、視界に入ってきたのは、真っ白でプニプニした、見たこともない肉の塊だった。


(……は? なんだこれ、誰かの足か? いや、俺の腕か……? なんでこんなに丸っこいんだ?)


 自分の意思で動かそうとすると、その「肉の塊」がバタバタと空を切る。驚くほど短くて、シワシワだ。自分の腕が、まるでちぎりパンみたいになっている。


(え、これ俺の腕? 病院の治療で、なんか特殊なギプスでも嵌められてんのか? そもそも、ここどこだよ)


 混乱する俺の視界を、突然、巨大な顔が覆った。

「まあ! 見て、あなた! この子の目、もうこんなにしっかり動いて……! レオン、レオンですよ!」


 ……うわ、美人。

 というか、顔が近すぎる。透き通るような白い肌に、宝石みたいな紅い瞳。あまりの至近距離に動揺したが、それ以上に気になるのは、彼女の若さだった。


(……看護師さん? にしちゃ、服装が妙にヒラヒラしてんな。っていうか、ハタチそこそこかこれ。俺よりだいぶ年下の若造が、何をそんなに興奮してんだ……?)


 続いて、その横からもう一人の若造がひょこっと顔を出した。こいつもイケメンだが、やはり若い。新入社員かよと言いたくなるような、初々しい顔立ちだ。

「ああ、いい名前だ。レオン・ハルト。この子がいつか、ハルトの家名を背負って立つんだな」


(ハルト? ……ああ、俺の名前か。看護師も医者も、随分とフレンドリーな病院だな。苗字で呼んでくれればいいのに)


 俺の前の人生の名前は、佐藤晴人はると。下の名前で呼ばれるなんて、何年ぶりだろうか。

 それにしても、さっきから「家名」だの「レオン」だの、話が噛み合わない。


(……ハルト。ああ、佐藤晴人の『ハルト』か。……ん? でも今、こいつ俺のことを『レオン』って呼んだか? 二つ名か何かか?)


 てかこれ、俺のこと言ってんのか?

 それなら辻褄が合う。ということはこの2人は俺のお父さんお母さんってわけだ。

「見せて! 私の弟、見せて!」

 そこへさらに、金髪の幼女が乱入してくる。俺の顔を覗き込み、嬉しそうに笑っている。

(弟? ……ああ、なるほど。これはあれか。夢だな。階段から落ちて気絶して、脳が都合のいい妄想を見せてるんだ。若いママに、イケメンのパパ、可愛い姉貴。出来過ぎだろ)

 三十路の現実からすれば、あまりに非現実的な光景だ。

 俺は「そのうち夢から覚めるだろ」と、どこか他人事のように、自分より年下の「パパ」をぼんやりと眺め返した。


(ハルト家のレオン、か。まあ、悪くない名前じゃねえの……。それより、この眠気、どうにかしてくれ……)

 

 そしてたった今この世に生を受けたことを気付かない赤ん坊(元無職30歳)は寝るという初仕事をきっちりと果たしたのであった。





----- 





寝返りが打てるようになり、視界が劇的に広がった頃、俺はついに認めざるを得ない結論に達していた。これはいわゆる転生というやつだ。


最初は、階段から落ちた俺が見ている都合のいい走馬灯だと思っていたが、数ヶ月経っても目は覚めない

し、腹は減る。


そして何より、この尻に密着した「使用済みオムツ」の、言葉にできない不快感と重量感……。この逃げ場のない生々しさは、どう考えても現実だった。


 三十路の精神こころで赤ん坊の排泄事情と向き合うのは、もはや一種の修行だ。


そして一番大事なことだ。


俺の第二の人生の名前はどうやらレオンらしい。そして佐藤晴人の「ハルト」が名字になっている。


 まあ、前世の俺は散々だったが、今度は西洋のどこかで人生やり直しというわけだ。


ふとした瞬間に、前世のことが頭をよぎる。

今ごろ親父やオフクロが、俺の遺品整理をしながら泣いてるんだろうか。


 いや、泣くのはいいとして、ベッドの下の「秘密のコレクション」だけは見つかる前に爆破してほしかった。頼む、そのまま捨ててくれ。


とはいえ、いくら前世を悔やんだところで、この短い手足じゃアパートに帰ることもできない。


 ラジオもねェ、テレビもねェ、なんならネットも電気もない様な○幾三もビックリのド田舎に生まれたのだ。

 当然テレビっ子であり、元ネット廃人でもある俺からしたらとても辛い。


 だがまずはこの「西洋」でまともに働いて、いつか立派な姿を前世の両親に見せてやるんだ――そんな風に、自分を納得させていた。


その勘違いが粉々に砕け散ったのは、ある昼下がりのことだった。


 俺は居間のゆりかごに揺られながら、金髪の女性が昼飯の準備をするのを眺めていた。

 この女性の名前は、セレス。透き通るような銀髪を揺らし、まるでお姫様のような浮世離れした美貌の持ち主。二十一歳という若さで、この俺を産んだ――今の俺の、母親だ。


 性格はかなりおっとりしている。鼻歌まじりに野菜を切るその手元は、見ていてハラハラするほど危なっかしい。俺も前世はコンビニ飯最強派で自炊なんて一度も完成させたことがないから、人のことは言えないが、彼女の包丁さばきは「料理」というより「格闘」に近い気がする。

 

 ふと、キッチンに火の気がないことに気づいた。コンロもマッチも見当たらない。するとセレスが、野菜の入った鍋の前に立ち、手を合わせどこか神聖な面持ちで小さく口を開いた。

 この若すぎる母親、また何かのおまじないでも始めたんだろうと、冷めた目で見守っていたのだが。

「――熱源よ、我が呼びかけに従え。着火フレア

その瞬間だった。彼女の指先から、掌サイズの火の玉が勢いよく飛び出し、鍋の底を舐めるように包み込んだ。あっという間にスープがグツグツと煮立ち始める。


 ……思考が完全にストップした。手品か? いや、この距離でも感じる熱気は本物だ。魔法だ。詠唱したぞ、今。おい、ここはただの西洋じゃない。高校生の頃、夢中でページをめくったあの「異世界」そのものじゃないか!


俺は自分の小さな、ぷにぷにとした手を凝視した。ここは物理法則がバグってるファンタジーの真っ只中だ。さっきまで冷笑していた自分が、今では口をパクパクさせて驚愕している。


「ははは! セレス、今日も魔法のキレがいいな!」

そこへ、木刀を担いだ男が帰ってきた。

 名前はジーク、セレスと同じ二十一歳という若さでこの俺の「父親」だ。そしてその身体つきは、魔法なんてものを一切必要としない、鍛え抜かれた鋼の塊である。

「パパなぁ今日は剣一本で、大岩を叩き割ったんだ!」

ジークは俺をひょいと抱き上げると、自慢げに前腕の筋肉を浮き上がらせた。そこには魔法の光も演出もない。ただ、修練によって極限まで研ぎ澄まされた「己の力」があるだけだ。

俺の親父は肉体と一本の剣だけで岩もスパッと切れるらしい。魔法も凄いが、この若さで純粋な力のみを極めようとするその姿……。

 俺は親としてではなく、1人の人間としてジークを尊敬した。


 ハルトという家名であり呪いを背負う第二の人生。そして、夢にまで見た異世界ファンタジー。


やるぞ。今度は絶対に「無能」なんて呼ばせない。魔法にしろ剣にしろ、この家族に恥じない男になって、前世の両親に胸を張れるような立派な人生を送ってやるんだ。


 俺はさっきまでの冷笑をどこかへ放り投げ、セレスの短い詠唱を必死に脳内にメモしながら、同時にジークの強靭な腕を畏敬の念で見つめていた。物語の主人公たちに、俺も並んでみせる。



---


「閑話休題」


そんな尊敬すべき両親が作ったスープが、食卓に並んだ。期待に胸を膨らませて、離乳食として一口もらったのだが……。

(……ぶ、ぶふぉっ!?)

不味い。絶望的に不味い。

前世、コンビニ飯最強派だったとはいえ、俺は日本の豊かな食文化で育った男だ。コンビニの豚汁、あの絶妙な塩加減……そんな思い出補正で無駄に肥えた俺の舌が、この「液体」を全力で拒絶している。


不味い原因ははっきりしている。母さんの火加減だ。さっきのド派手な「着火フレア」のせいで、鍋の底が完全に焦げ付いているのだ。炭の苦味と半生の野菜、そして調味料という概念を忘れてきたかのような無味が、絶望的なハーモニーを奏でていた。


 すると、隣で同じくスープを口にした少女が、一瞬で顔をひきつらせた。

 少女の名前はシエル、この世界での僕の姉だ。

 そして彼女もこの「味の暴力」を理解したらしい。だが、純粋な笑顔で「美味しい?」と聞いてくる両親を前に、彼女は恐るべき行動に出た。

「レオン、これあげる」

 と甘い猫撫で声で俺に囁きシエルは親にバレないよう、自分の皿の残りを「弟への愛情」という名の仮面を被せて、俺の口にグイグイと流し込んできた。


 女性は子供の時から大人で男性は大人になっても子供という格言がある

 俺は、この歳(精神年齢30歳)になっても魔法やファンタジー世界に強い憧れを持っていた。

 そしてこの姉は、この歳(4歳弱)ですでに人生の苦難をどう乗り越えるか知っていたのだ。

 この格言はめっちゃ正しいなと実感した。


その後。


 セレスは味覚音痴なのかそれとも自身で作った達成感が調味料となっているのかとても美味しそうに残ったスープを口に運んでいる。


 一方、ジークは一口食べて神妙な顔をしたのちにセレスに「あーん」を実行した。

 どうやらうちの姉は父似なのかもしれない。


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