夫売りの王女
その日、城下町では奇天烈極まりない光景が繰り広げられていた。
「誰か~。夫を、わたくしの夫を買っていただけませんか~?。お願いですから夫を買ってください~」
鳥のさえずりにも似た美声で耳を疑うような懇願をしているのは、半年ほど前にこの国に嫁いできた隣国の王女――ミラ。
美しいドレスに負けないほどに見目麗しい王女が引いているのは、この国の第一王子――ロナンを乗せた荷車だった。
この荷車が無駄に豪奢で、王子の姿もまともだったならば王女が虐げられている絵面に見えたかもしれない。
だが、先の懇願からもわかるとおり実際はその逆。
家畜を運ぶのに使われているタイプの荷車に、ロナンがパンツ一丁で正座させられている絵面になっていた。
そして、ロナンの首には「私はミラという妻がいながら一〇人以上の女性と関係を持ったクズ野郎です」と書かれた板がぶら下げられていた。
板に書かれている内容が事実なせいもあって、ロナンは真っ青になった顔色以上に冷たい汗をダラダラ流しながら、恐る恐るミラに抗議する。
「あの……ミラさん? 次期国王である僕が民の前でこんな醜態を晒すのは……なんというか……国の威信に関わると思うのですが……」
荷車を引いていたミラは立ち止まり、笑顔で振り返りながらこう返す。
「あら? 商品が勝手に口を開いてはいけませんよ?」
口調と表情とは裏腹の、悍ましいまでの〝圧〟に恐れ戦いたロナンの口から「ひっ……」と引きつるような悲鳴が漏れる。
「それに、国の威信なら心配しなくてもいいですよ。お養父さまの許可はちゃんと取っていますので」
言うまでもない話だが、ミラの言う「お養父さま」とはロナンの父――国王を指している。
だからこそロナンの表情は、この世の終わりでも目の当たりにしたかのような絶望ぶりだった。
そんな反応に満足したのか、ミラは視線を前に戻して再び荷車を引いていく。
そんなやり取りを遠巻きから見ていた大勢の町人たちが、頭に「ドン」が付くレベルで引いていく。
「誰か~。夫を買っていただけませんか~。誰か~」
声音だけを聞けば、今すぐにでも手を差し伸べたくなるほど切実としているが、言っていることとやっていることがやばすぎて、二人に近づこうとする者は皆無だった。
「売れませんね……こんなにたくさん人がいるのに」
当たり前だ――という至極もっともなツッコみは、ロナンの心の中だけに留めた。
「それにしても冷えてきまして……」
「いや、汗ばむくらいの陽気なんだが!?」
太陽の光でジリジリと肌を焦がされているせいもあってか、こればかりは思わず口に出してツッコんでしまう。
聞こえているのかいないのか、ミラはロナンを無視して言葉をついだ。
「これだけ寒いとなると、商品で暖を取るしかなさそうですね」
言っている言葉の意味がわからず、「は?」と漏らすロナンの肩を、ミラの繊手がむんずと掴む。
次の瞬間、まるで棒きれを持ち上げるように、成人男性一人分の体が軽々と持ち上げられた。
見た目からは想像もつかないミラの剛力ぶりに町人たちがざわめく中、ロナンが悲鳴を上げる。
「まままま待ってくれミラ!? いったい何をするつもりなんだ!?」
「何をするつもりって、商品を地面に擦りつけて暖を取ろうとしてるだけですが?」
「マッチを擦るみたいなノリで何言ってんの!?」
「擦りつけたら赤くて暖かいものが噴き出すという意味では、あなたの頭もマッチも同じだとは思いません?」
「同じじゃない!! 断じて同じじゃない!!」
ほとんど悲鳴に等しい抗議を聞き届けたところで、ミラは一つ息をつき、片手一本で頭上に掲げていたロナンに訊ねる。
「商品にもなれない。マッチにもなれない。そんなあなたを、わたくしはどう許せばいいというのですか?」
究極の二択でも、もう少し情けというものがあるのでは?――と心の中で思いつつも、ロナンは絞り出すような声で答える。
「……今後はもう二度と不倫なんてしない。生涯、君一人を愛すると誓う」
真っ直ぐにミラを見つめ――もとい見下ろして、ロナンは言う。
しばしロナンと見つめ合っていたミラだったが……一つ息をつき、ゆっくりとロナンを荷車に下ろした。
「その言葉、信じていいんですね?」
「勿論」
心を入れ替えた――というか入れ替えざるを得なかったロナンは、なおもミラを見つめながら首肯を返す。
「わかりました。信じましょう」
そう返したところで、ミラはロナンを乗せた荷車を引いて城へ撤収していく。
その様子を見て、町人たちは満場一致で同じ感想を心の中で抱いた。
((((((我々は、いったい何を見せられているのだろう?))))))
そして――
城に到着する否や、そそくさと自室に戻っていくロナンを見送っていたミラのもとに、国王がやってくる。
「どうやら終わったようだな、ミラよ」
「はい、お養父さま」
訳知り顔で、そんなやり取りを交わす。
たまたま近くにいた衛兵は、王子がパンツ一丁で荷車で運ばれてきたことも含めて、ただただ怪訝な顔をするばかりだった。
そんな衛兵の様子に気づかずに、国王はミラに訊ねる。
「で、結局のところ、君は本気で我が息子を売る気だったのか?」
なぜか楽しげに訊ねる国王に、衛兵が今にも頬が引きつりそうになるのを堪える中、ミラは笑顔で答える。
「勿論、本気で売るつもりでしたわ。このお城を四つほど買える金額を払える御方が現れた場合は」
つまりは、初めからロナンのことを売る気はなかった――そう言っているミラに、国王は笑みを深める。
「やはり、君をロナンの伴侶に選んだ我輩の目に狂いはなかったな」
狂いがないどころか、とち狂っているとしか思えない言葉を口にする国王にミラも笑みを深めると、恭しく一礼してからこの場から立ち去っていった。
そんな彼女の背中を、無駄に良い笑顔で見送る国王を見つめながら、衛兵は心の中で思う。
(亡命しよ)