第一話 再燃
「はあ…」
張は町を練り歩きながら、大きなため息をする。
かつての栄光は欠片も感じられない。
みすぼらしい格好に、整えられていない髪型。
まるでホームレスのようだ。
「クスクス…」
町の人々が張を見て嘲笑っている。
いつもの光景だ。
行く当てもなく彷徨っていると、後ろからポンと肩を叩かれる。
後ろを振り向くとかつての友人、友希がいた。
こいつとは麻雀プロ時代、一時代を築いた熱きライバルだった。
一時期は『二台巨頭』なんて言われていた。
俺は業界から姿を消したが、こいつはまだ現役でプロをしている。
『なんでこんなところで…』
こんなみすぼらしい姿を見られたことも恥だが、何よりも困惑が上回っていた。
「よっ、久しぶりだな。張」
友希は軽く挨拶をする。
「お前、こんなところで俺と話しているのが見られたら、まずいんじゃねえか?」
張は自分のことは半ばどうでも良くなっていた。
「そんな自暴自棄になるなっての」
友希は慰めようとしているのか、優しい表情をしている。
昔、対局をしていたころとはかなり違って見えた。
「で、何の用だ」
「ん?たまたま見かけたから声をかけただけだよ」
「…そうか、じゃあ失礼するわ」
張は友希のメンツを保つためにも、さっさとその場を離れようとした。
だが、後ろから肩を掴まれる。
「ねえ、久しぶりに打たない?」
友希の意外な言葉に、度肝を抜かれた。
「…他をあたってくれ」
張は友希の手を振り解き、先を急いだ。
だが、また友希は肩を掴んでくる。
「…ウマイ話があるんだよ。どう?話だけでも」
今度は近くで耳打ちしてきた。
「はあ…」
張は深くため息をした。
「聞くだけな…」
「よし来た!」
二人は友希の家に足を運んだ。
家にはすでに同卓者が座っていた。
「東風一回だけな?」
張はそう言うと、卓に座った。
すぐに友希も卓に座る。
「じゃ、始めよか」
友希がそう言うと、対局が始まった。
皆が気楽に洗牌をする中、張だけはすでに戦いが始まっている。
張は自分の山配に、有利な牌をすでに積んでいた。
これは時間との勝負でもある。
『どんな勝負でも絶対に手を抜かない』
それが張のモットーでもある。
同卓者と比べて、かなり早く山積みが終わった。
その様子をしっかりと友希は見ていた。
「流石、衰えてないね」
友希には全てお見通しである。
なんせ3年もライバルとして同卓してきた彼女だ。
洞察力が違う。
全員の山積みが終わり、本格的に対局が始まった。
サイコロを振り、配牌が決まっていく。
配牌は悪くない。
『タンピンドラ1の二向聴』
東発にしてはかなり良い手だ。
西家だが、かなり良い滑り出しだ。
張が早速左手芸をしようとしたら、友希が話しかけてくる。
「で、肝心のウマイ話なんだけど…」
友希が山からツモりながら話す。
「名前ぐらいは聞いたことあると思うんだけど…」
友希はそう言いながら、手配から第一打を切る。
卓上に打牌する音が鳴り響く。
「影淡荘って知ってるか?」
張はその名を聞き、牌を触っていた右手が震える。
ある程度の雀力を持つ雀士であったら、一度は耳にしたことがあるであろう雀荘名。
風の噂では、表の世界で生きられなくなった玄人や極道、はたまた極悪人などが跋扈していると聞いたことがある。
所謂、高レート雀荘。
張も噂程度にしか聞いたことがなかった。
「名前だけは知っているが…」
張はそう言いながら、左手芸をしようとした手を卓の下に降ろす。
そうして、上家の山から牌をとる。
引いてきた牌は西。
自風ではあるが、手牌の中でかなり浮いている牌だ。
張は何も躊躇わず、静かにツモ切りする。
「で、その雀荘がどうしたんだ?」
牌を切ると、すぐに友希に聞く。
同卓者が牌を山から自摸り、卓に打牌する。
そうして、友希のツモ番がやってくる。
上家の山に手を伸ばしながら、張の聞いてきたことについて話し始める。
「張のような最高で最恐の玄人…」
「お前がまた卓上で戦っている姿が見たいんだ」
友希はそう言い、卓に牌を強く打牌する。
手から出てきた牌は一筒。
発言とは裏腹に、ごく普通の牌だった。
だが、張はとっくの昔に麻雀を辞めている。
今打っているのも、約三年ぶりだ。
張は友希の願いを叶えたいのは山々だったが、もう自身で決めたことだ。
「すまないが、俺はもう打たないことに決めたんだ」
張は山に手を伸ばしながら、そう言う。
まだ二巡目だが、卓上には緊張感が走る。
山から持ってきた牌は五索。
これで一向聴になった。
手配にあった九筒と交換し、九筒を場に出す。
待ちは二五筒、四七索。
かなり良型の一向聴だ。
しかも、二筒は自山の左端にある。
次巡で上家の山がなくなり、次のツモで確実に持ってくる。
張はすでにこの場の勝ちを確信していた。
「そっか…残念…」
友希には悪いが、もう決めたことだ。
「でも…」
「ここで負けたら、打ってもらうよ」
友希がかなり真剣な顔になった。
それと同時に、友希が山から牌をツモる。
友希がツモってきた牌を手に入れ、打牌をする。
「バンっ!」
卓上に練り牌の打牌音が響き渡る。
「立直!」
友希の声が甲高く聞こえてくる。
まだ三巡目だ。
普通だとあり得ない。
「…友希っ!」
張は友希がイカサマをしていることに気がついた。
だが、こいつもプロだ。
イカサマの跡を残さない。
考えを巡らせる中、上家が山から牌を自摸る。
すぐに自分の手牌と自摸ってきた牌を交換する。
手出しで出てきた牌は一筒。
友希は何も言わずその牌を通す。
次の自摸番は張だ。
下家の山に手を伸ばそうとした瞬間、下家から発声が飛んでくる。
「ポン!」
張は伸ばしていた手を縮める。
下家は手出しから八索を捨てる。
そして、下家は上家の河から一筒を副露する。
張の自摸が飛ばされてしまった。
対面である友希が山に手を伸ばす。
その瞬間、卓に音が響き渡る。
「バンっ!」
「自摸」
友希は開幕から和了し、裏ドラを捲る。
「裏1で満貫。4000通し」
手痛い和了だ。
三人は、卓の下にある点棒を4000点分渡す。
東一局、一本場。
友希が37000点持ちの大幅リード。
「一体、何が目的なんだ?」
張は洗牌をしながら、友希に聞く。
「さっき言った通りだよ」
「お前が玄人としての技能、また見たいんだよ」
張は昔の自分を重ねる。
張は、当時の日本でプロ麻雀を大きく支える立役者だった。
『世界最強の麻雀打ち』
そんな肩書きもあったほどだ。
だが、そんな張には裏があった。
プロデビュー前、張は今とは違う名前で麻雀を打っていた。
名を『札幌の鬼才』
おそらく、日本で最強で最恐のイカサマ使いだった。
そんな時代は、張にとって光の時代だった。
だが、転機が訪れる。
時は張が二十代の頃まで遡る。
「ツモ。倍満だ」
張が北海道でいつも通りイカサマを使い、荒稼ぎしていた。
「ッチ。オケラだよ!」
同卓者が張の卓から離れていく中、一人の女性がこちらにやってくる。
「ここ、いいかい?」
「…好きにしな」
張はその女性の方を見る。
レザーコートに身を包み、耳や手には複数のアクセサリーがついていた。
見るからに富裕層のカモだ。
メンツが集まり、対局が始まる。
「場所決めするか」
張は卓に散らばっている東、南、西、北を集めた。
それを裏返し、手の中でシャッフルする。
「俺から引かせてもらう」
張はそう言って、最初に手の内にある牌を取る。
無論、この時点で戦いは始まっている。
張は手でシャッフルしながらも、仮親である東の場所を記憶していた。
その記憶を頼りに、東であるはずの牌を引く。
牌を裏返して見ると、そこには『東』の文字が書かれていた。
そのまま場所が決まり、各人席に座る。
張がサイコロを振る。
「コロ、コロ」
出た目は2と3。
合計は5。
上家に親が行き、自分の山に触らせないためにサイコロを調整した。
これで、自分の山に安全に積み込みができる。
いつも通り、イカサマがしやすいように山に細工を施す。
張は洗礼された動きで卓に散らばっている牌をかき集める。
山の右端には三元牌、左端には中張牌を仕込んでおく。
配牌で他家に触られる心配もない。
『俺以外トーシローかよ』
張は心の中で嘲笑した。
そのまま上家がサイコロを振る。
出た目は8。
王牌になることもなかった。
そのまま配牌が進んでいく。
しかし、張にとっては配牌がどうであれ関係のない話だ。
張は山牌を前に出す仕草をし、手牌にある不要牌二枚を右手に仕込む。
左に仕込んである中張牌を取りながら、右に不要牌をくっつける。
側から見れば、一つの迷いもないかなり精巧された動きだ。
「フっ…」
張が山牌から手を離した直後、対面である派手な女性が笑う。
『バレたか?』
張はそのような考えがよぎったが、どこからどう見ても素人だ。
その心配はないだろう。
着々と手は進んでいく。
すり替えを使い、張の手は三巡という短い時間でありながら聴牌していた。
『五、八索待ち 中、三暗刻、ドラドラ』
役満である四暗刻にもなりうるかなり強い手だ。
しかも、張は積み込みのタイミングで他家のを見ていた。
おそらく、次のツモで張の和了である。
立直はかけずにそのまま待つことにした。
その直後、山に手をかけようとする張の耳に声が聞こえてきた。
「ポン」
どうやら対面である女性が発声をしたようだ。
鳴いた牌は東。
「チッ…」
張はそのまま山から手を離す。
ツモ番がズレたことによって、次にツモで和了することができなくなってしまった。
対面が手から捨てた牌は九索。
すぐに対局が動き出していた。
十巡目、いまだに誰も和了することなく進んでいく。
三巡目の対面の鳴き以降、不自然なくらいに静かな対局だ。
張の当たり牌が出ることもない。
『行くしかない、か』
張は和了できないことにイラつきを感じていた。
張が積み上げた山に差し掛かりそうになっている。
イカサマを使うしかない状況になっていた。
張は卓の状況を凝視する。
次のツモ番は対面であるアイツだ。
次に山に手を掛けるところで、左手芸をしようとする。
「コツっ」
山牌同士が当たる音がした。
『今だっ!』
張は山を直すふりをして、左手芸でニ牌を卓下に仕込む。
その瞬間、対面が発声をする。
「カンっ!」
予想外の発声に卓にいた一同は驚嘆する。
カンされたのは一索。
暗カンだ。
対面が王牌に手を伸ばす。
王牌から一枚、牌がなくなる。
「ツモっ!」
「なっ…!」
予想外の発声に驚嘆の声が漏れ出す。
「倍満、2000、4000」
「チッ、最初から飛ばすなあ」
同卓者が愚痴を漏らす中、張は点棒を2000点分払う。
張は対面の和了の瞬間、女のことをただの素人ではないと分かっていた。
『王牌をおそらく覚えていた、だからこそ暗カンをしたのだろう』
そう考えた張は、より一層注意深く対局を進めていく。
だが、結果は惨敗。
全員箱下だ。
「お前、何者だよ…」
張が消えかかりそうな声でそう言う。
張がそう言うと、女性がとある紙を差し出してくる。
『関西 近江屋』
そう書いてあった。
「ここに行けばいいのか…?」
張はそう聞いたが、女性はなにも言わずに立ち去って行った。