7 ファミリアと石鹸作り
ユースケが侯爵家を訪れてから一週間が経った。あの日、ユースケから購入した10個の「石鹸」は、侯爵家に小さな変化をもたらしていた。
最初に試したのはミリアだった。風呂でシャボンの実の代わりに石鹸を使い、緑がかった素朴な塊を水で擦ると、モコモコと泡が立ち、肌の汚れがスルリと落ちた。
「まぁ、これ本当に便利ね!シャボンの実よりずっと泡立ちがいいし、香りも素敵だわ。」
ミリアが浴室から出てきて目を輝かせた日から、彼女は毎晩石鹸を使うようになった。
厨房でも変化が起きた。マルスが1個を預かり、皿洗いに試すと、少量で油汚れが落ち、シャボンの実を何個も潰す手間が省けた。
「こいつは質が高いな。シャボンの実より楽で、仕上がりもきれいだ。」
マルスが感心しながら、厨房の片隅に置いた1個の石鹸を大切に使っていた。
オリバーも風呂で使い、「うむ、シャボンの実より手間いらずだな。ユースケの言った通り、長旅でも重宝しそうだ」と太鼓判を押した。家族全員が石鹸の便利さと質の高さに気付き始め、10個のうち数個はすでに使い切られていた。
そんなある朝、ファミリアが厨房を通りかかると、マルスがオリバーに頼み込む声が聞こえてきた。
「旦那様、石鹸がもっと欲しいんです。この1個じゃ厨房の仕事が追いつかねぇ。シャボンの実よりずっと便利で、みんなにも好評だ。ユースケにもう少し仕入れさせてもらえませんか?」
「ふむ、確かに便利だな。だがユースケはもう旅立った、奴は行商人だ。次に会うのはいつか分からん、どうしたものか…」オリバーが口髭を撫でながら考える。
そのやりとりを見たファミリアの頭に、おじさんの声が響いた。
《おはよう、ファミリア。石鹸、みんな喜んでるみたいだな。マルスが困ってるぞ。》
(おはよう、おじさん。そうね、シャボンの実より便利だって。私、作ってみようかしら?)
おじさんの魂が自分の中に宿っていることは誰にも話していない秘密だ。だが、マルスの困り顔を見て、彼女の好奇心が疼き始めた。
《おお、やる気だな。俺、前の世界で似たようなもんを作ったことがあってな。油と木の灰で作る伝統的なやり方だ。詳しいのは…ちょっと待て、思い出すから。》
ファミリアは朝食後、自室に戻り、ミリアが使っていた石鹸を手に取った。目を閉じ、鑑定魔法を唱える。指先に魔力が集まり、成分が浮かんだ——「オリーブ油」「木の灰から抽出した灰汁」。簡単な材料だが、どうやってあの塊になるのかは分からない。
《鑑定魔法ってやつがあるのか、元素解析装置みたいなやつか?便利だな》
「元素解析?何か知らないけどそんなに便利な魔法じゃないのよ。何でも解析できるわけじゃないの、知ってる物しか解析できないわ。オリーブ油は知っていたし、灰汁もショーンおじさんのところで使ったから偶然分かっただけ。私が知らないものは鑑定しても分からないままよ。」とファミリアが説明した。
《なるほど、石鹸はたまたまファミリアが知っている物だけで作られていたということか》
「ええ、偶然ね。でも鑑定魔法を使えるのはこの国でも数えるほどしかいないわ!生まれながら固有魔法が決まっていて、鑑定魔法は激レアなのよ」とファミリアは薄い胸を張って自慢した。
《ファミリアの鑑定魔法と俺の知識があればもっと色んなものを作れるかもしれん。一緒に料理屋やらないか?世界中の料理を鑑定して美食レストランを作るんだ》
とおじさんが変なことを言い出した。希少な鑑定魔法使いの無駄使いである。
「そんなことより、オリーブ油と灰で石鹸を作りましょうよ。おじさん、作り方思い出して!」
《オリーブ油と灰か…思い出したぞ。灰を水に溶かして煮て、濃い灰汁を作るんだ。そしたら油と混ぜて、じっくりかき混ぜて固める。苛性ソーダって薬は使わない昔の方法だ。》
(すごい、おじさん!それなら私にもできそう。厨房の魔道具を使えば、時間も短縮できるかも。)
ファミリアは意気込んで厨房へ向かった。
マルスが朝の仕込みを監督していたが、ファミリアを見て顔を上げた。
「おや、お嬢様。朝から元気ですな。何か用か?」
「マルス、石鹸を作りたいの。この一週間使ってみて、シャボンの実より便利で質が高いって分かったでしょう?さっきお父様に頼んでたみたいだけど、私が作れたら解決するかなって。鑑定魔法で調べてみたら、油と木の灰でできてるみたい。厨房の魔道具で作れるかな?」
ファミリアが目を輝かせて言う。おじさんの助言は隠し、鑑定魔法を理由に。
「石鹸を?確かに便利だ。俺が旦那様に頼んだのを聞いてたのか…さすが魔法学園に行くお嬢様だな。朝食の仕込み中だが、お嬢様の頼みなら最優先だ。」
マルスが厨房メイドに声をかける。
「リナ、朝食の仕込みを頼む。俺はしばらくお嬢様に付き合うからな。」
「はい、マルスさん!」
リナが元気に返事し、パンをこね始めた。
「ありがとう、マルス。鑑定で材料が分かったから、なんとなく見当がついたの。魔道具で短縮できると思うわ。」
マルスはオリーブ油の瓶と暖炉の灰が入った壺を取り出した。
「油はこれで、灰は木のやつだ。沸騰釜や圧力鍋がある。お嬢様、どうします?」
「灰を水に溶かして煮て濃くするみたい。それで油と混ぜるって。魔道具で短縮できる?」
《その通りだ。灰を煮て濃い灰汁を作りゃいい。魔法で早められりゃ最高だな。》
「ふむ、灰を煮るなら沸騰釜で早められる。昔、洗濯で灰汁を作った覚えがあるな。」
マルスが沸騰釜に目を向ける。
二人は作業に取り掛かった。マルスが灰を水に溶かし、沸騰釜に仕掛ける。魔道具の符を押すと瞬時に釜が熱を帯び、数分で濁った液ができた。布で濾すと、透明で粘る灰汁になった。
「これ、魔道具のおかげで早かったわ。灰汁よね?」
「そうだな。通常なら半日かかるのが数分だ。お嬢様、次は?」
「油を温めて灰汁を少しずつ入れるみたい。混ぜてドロッとするって。」
《油と混ぜて、じっくりかき混ぜるんだ。反応を早める魔法があればいいな。》
マルスがオリーブ油を別の鍋で温め、「圧力鍋」に移す。ファミリアが灰汁を注ぐと、マルスが魔道具を起動。鍋が低く唸り、油と灰汁が混ざり合い、独特の匂いが広がった。
「何か粘ってきたわ。魔道具ってすごい!」
「圧力で反応が早まっているのさ。お嬢様、混ぜ続けましょう。」
オリバーとミリアが騒ぎを聞きつけて顔を出した。
「おや、ファミリア。何か妙な匂いがするぞ。何だ?」
オリバーが口髭を撫でて尋ねる。
「石鹸を作ってるの。この一週間使って、シャボンの実より便利だって分かったでしょう?マルスがもっと欲しいって言ってたから、鑑定魔法で調べて自分で作ってみようと思って。魔道具で早めてるのよ。」
「まぁ、石鹸を?確かに便利だわ。ファミリアの固有魔法を使えば解析できるわね、助かるわ!」
「奥様、お嬢様が石鹸を作れたら俺も助かりますぜ。厨房の魔道具を使えば本当に作れるかもしれません」
「ドロッとしたら冷ますみたい。固めるのは数日かかるけど、短縮できる?」
《固めるのは数日かかるが、魔法で早められりゃいいな。》
「ふむ、粘りが強くなってきた。圧力鍋で早めたが、このクリームを乾燥させるには時間がかかりそうですぜ。乾燥炉で様子見ましょう。」
二人が圧力鍋から中身を取り出し、木枠に流し込む。その日はドロッとした状態で終了し、マルスが「乾燥炉」に仕掛けた。
ここで二人の石鹸作りは中断し、石鹸の様子を見ることとなった。
三日後
三日後の朝、マルスが『お嬢様、石鹸が固まったぜ!』と報告してきたので、ファミリアが厨房に駆けつけると、木枠の中身は緑がかった茶色の素朴な塊に固まっていた。触るとしっかり硬く、石鹸らしい感触だ。
「できた!マルス、見て!石鹸よ!」
「おお、ユースケのやつに似てますな。乾燥炉のおかげで三日で固まったぜ。お嬢様、これで俺の悩みも解決だ。」 とマルスが喜ぶ。
《あ、鹸化反応が不十分だとアルカリが強くて皮膚が溶ける可能性もある。ちゃんと調べたほうがいいぞ》とおじさんが怖い事言い出した。
「まって、本当に石鹸になっているか鑑定してみるわ」
「そのものの真の姿を顕現せよ“Vera forma eius manifesta esto”(ヴェーラ・フォルマ・エイウス・マニフェスタ・エスト)」とファミリアが指先に魔力を集中させて呪文を詠唱し鑑定魔法を発動させた。
「うん、大丈夫ね。ユースケから買った石鹸と同じものができたようね。」
「おお、お嬢様、これで厨房で石鹸がまた使えますぞ!」とマルスは大喜びだ。
オリバーとミリアも呼ばれてやってきた。
「うむ、すごいぞ、ファミリア!秘密主義なカルト神聖国の技術を解き明かして、こんな短期間で作るとはな。シャボンの実を超えるものを自分で生み出すとは、お前なら魔法学園でも大物になるぞ。だが、これは内密に頼むよ。」
「本当ね。素朴だけど、泡立つかしら?試したいわ。」
ファミリアが水をかけて擦ると、白い泡がモコモコと立った。ユースケの持ってきた石鹸ほどではないが、確かに石鹸だ。
「泡立った!魔道具のおかげで早かったわ!」
《やったな、ファミリア!俺の記憶と魔道具でいい感じじゃねぇか。もうちょい改良すれば完璧だぞ。》
「マルス、もっと良くできると思う?鑑定魔法で調べたら、改良の余地がありそうだったわ。」
「灰汁の濃さか油で変わるかもな。乾燥炉の時間を調整すれば、もっと早まるかもしれねぇ。お嬢様、またやりたいなら厨房はいつでも貸しますぜ。」
「確かに便利だが、カルト神聖国に知られると厄介だな。こっそり作るのが賢明か…ハハ。」
オリバーが少し声を潜めて笑うと、ミリアが「私が香りを付けたいわ」と明るく乗る。厨房は賑やかな笑い声に包まれた。
ファミリアは初の石鹸作りに満足しつつ、次の改良を考えた。おじさんの知識と鑑定魔法があれば、もっとすごい石鹸を作ってマルスの悩みを解消できるかもしれない。だが、カルト神聖国に知られないよう気をつけねば。そんな思いを胸に、彼女は木枠を片付けた。