6 行商人と石鹸
ファミリアが食堂の席を立ってからしばらく経ち、満腹感と眠気が彼女を包んでいた。トモトの昼食の余韻がまだ舌に残り、おじさんの「ピザ」提案が頭の片隅でチラつく。部屋に戻り、ベッドに腰掛けて少し目を閉じようとしたその時、遠くから馬車の軋む音と賑やかな声が聞こえてきた。
《おい、ファミリア。外が騒がしいな。何か来てるのか?》
おじさんの声が頭の中で響く。昼食で満足したはずなのに、好奇心は衰えていないらしい。
(そうね、ちょっと見てくるわ。)
ファミリアは眠気を振り払い、窓辺に近づいた。カーテンを開けると、屋敷の門前に一台の馬車が停まり、色とりどりの布や荷物が山積みにされているのが見えた。馬車の横では、派手な緑の外套を羽織った男が使用人に何か大声で話している。
「あら、ユースケが来たみたいね。」
ファミリアが呟くと、おじさんが即座に反応した。
《ユースケ?誰だそいつ?》
(行商人よ。侯爵家に定期的に商売しに来るの。珍しい物や面白い話をいつも持ってくるから、私も楽しみにしているのよ。)
ファミリアは急いで部屋を出て、玄関ホールへと向かった。階段を下りると、すでにオリバーとミリアがホールに集まり、使用人が馬車から大きな木箱を二つ運び入れているところだった。そこに、ユースケが大きな身振りで現れた。
「おお、旦那様!奥様!お元気そうで何よりですな!そしてお嬢様、病気になったと聞いて心配してましたが、お元気そうで!」
ユースケは陽気に笑いながら、帽子を脱いで一礼する。30代半ばくらいの男で、日に焼けた顔に鋭い目つき、口元にはいつも笑みが浮かんでいる。緑の外套の下には旅塵にまみれた服が覗き、腰には小さな革袋がぶら下がっている。
「ユースケか。相変わらず騒がしいな。今回は何を仕入れてきたんだ?」
オリバーが赤い口髭を撫でながら、興味津々に尋ねる。
「ほうほう、旦那様、まずはこれですよ!シャボンの実、木箱2箱分たっぷり仕入れてきましたぜ!南の湿地から採れた新鮮なやつで、貴族の屋敷じゃ欠かせない品でしょう?」
ユースケが使用人に木箱を開けさせ、中から丸い黄緑色の実を手に取って見せる。シャボンの実は貴族の間で一般的な洗剤で、擦ると泡立ち、洗濯や掃除に大量に使われる。侯爵家でも毎月のように買い込んでいる馴染みの品だ。
「シャボンの実か。いつも大量に使うから助かるよ。二箱ならしばらく持つな。」
オリバーが満足げに頷く。
「へへ、旦那様の期待に応えるのが俺の仕事ですぜ。けど、今回はそれだけじゃねぇんです。こいつを見てくださいよ!」
ユースケが革袋から小さな塊を取り出した。手のひらに収まるほどの大きさで、緑がかった茶色の素朴な外見をしている。表面は少しざらつき、ほのかにオリーブのような香りが漂う。
「何だ、それは?」
オリバーが目を丸くして身を乗り出す。
「これはな、西方のカルト神聖国で作られた『石鹸』って品ですぜ!シャボンの実みたいに泡立つけど、こっちは少量でたっぷり泡立ち、汚れがスルッと落ちる!しかも持ち運びが楽で、長旅でも使える優れもんです。向こうじゃ最近発明されたばっかりで、俺が苦労して10個手に入れてきましたよ!」
ユースケが得意げに説明すると、ホールに驚きの声が上がった。
「石鹸…?初めて見るわ。シャボンの実とどう違うの?」
ファミリアが近づいて石鹸を手に取る。硬くて軽く、素朴な見た目だが触ると少し油っぽい感触だ。
「お嬢様、シャボンの実は大量に使わねぇと泡が足りねぇけど、こいつはこれだけで十分!見ててくださいよ。」
ユースケは水差しから水を少し手に取り、石鹸を擦ると、あっという間に白い泡がモコモコと膨らんだ。
《おお、マジか!石鹸だ!俺、前の世界で見たことあるぞ。いや、作ったこともあるかも…?》
おじさんが興奮気味に言う。記憶が曖昧な中でも、石鹸には何か反応があるらしい。
(作ったことある?おじさん、どういうこと?)
《いや、なんか覚えてる気がするだけだ。油とアルカリを混ぜて…って感じだったかな?!》
「まぁ、すごいわね!こんなに泡立つなんて、シャボンの実よりずっと便利そう。見た目は素朴だけど、香りもいいし。」
ミリアが目を輝かせて言う。
「うむ、これは面白いな。さすがはカルト神聖国だ。いつも面白い物を発明する国だな。あの秘密主義の国からよく仕入れることができたな。」
オリバーが感心したように頷く。
「へへ、商人の伝手ってやつですぜ。旦那様、これを侯爵家で買い取ってもらえりゃ、俺も鼻が高い。10個しかないんで、全部どうです?」
ユースケがニヤリと笑う。
「10個か。よし、全部買い取ろう。ファミリア、お前も魔法学園に持ってくと便利かもしれんな。」
オリバーが豪快に笑いながら決断する。
「本当?ありがとう、お父様!これなら学園でも使えそうね。」
ファミリアが笑顔で言うと、ユースケが手を叩いて喜んだ。
「おお、さすが旦那様!お嬢様、石鹸があれば学園でも清潔に過ごせますぜ。俺もいい商売になったなぁ。」
《なぁ、ファミリア。石鹸ってすげぇな。この世界じゃ珍しいみたいだし、お前も作ってみねぇか?俺、作り方…うっすら覚えてる気がするぞ。》
(作る?私にできるかしら。でも面白そうね。おじさんが覚えてるなら、教えてもらおうかな。)
「ユースケ、他にも何か面白いものある?」
ファミリアが尋ねると、ユースケは荷物を漁り始めた。
「お嬢様にはこれだ!魔法学園にぴったりな魔力石のペンダント!魔力を少し溜めとける便利な品ですよ。それと、南の港町で聞いた話なんですが、トモトとチーズを薄いパン生地に載せて焼く『ピザ』って料理があってさ。昼飯のトモトの話聞いて、思い出しましたぜ。」
「ピザ!それ、おじさんが言ってた料理だわ。マルスに作ってもらおうと思ってたの。」
ファミリアが目を輝かせると、厨房の方からマルスが顔を出した。ユースケの声が聞こえたのか、様子を見に来たらしい。
「おや、ユースケか。騒がしいと思ったら何か珍しいもん持ってきたな。シャボンの実が二箱に石鹸ってのは何だ?」
マルスが穏やかに言う。
「マルスさん!これが石鹸ですぜ。シャボンの実より泡立って便利な品でさ。お嬢様が採ったトモトの話も聞きましたよ。ピザって料理も面白そうですな。」
ユースケが石鹸を手に持って見せる。
「ふむ、石鹸か。シャボンの実より使いやすそうだな。ピザってのは薄い生地にトモトとチーズを載せるんだろ?厨房で試してみてもいいかもしれねぇな。」
マルスが少し考え込むように頷く。
「マルス、ピザ作ってくれるなら楽しみだわ。石鹸もすごいし、ユースケ、ありがとうね。」
ファミリアが笑顔で言うと、ユースケが帽子を振って応じた。
「お嬢様に喜んでもらえりゃ俺も嬉しいぜ。マルスさん、ピザができたら俺も味見しに来ますからな!」
「商売はどうするんだ?」
オリバーが呆れたように言うと、ユースケは肩をすくめて笑った。
「旦那様、商売はいつでもできますが、石鹸とピザは今が旬ですよ!」
ホールはユースケの陽気な声で一層賑やかになり、新たな品とアイデアが侯爵家に持ち込まれた一日だった。
この世界の石鹸は原始的な石鹸で、アレッポ石鹸のような素朴なやつです。白い現代の精製石鹸とは違います。カルト神聖国が新たに発明したもので専売制を狙っています。