16 それぞれの悲しみ
魔獣騒動から数日後、ウェルド領都アルゴンの中心部にある教会前の広場は厳粛な静寂に包まれていた。ミグ王国の伝統である葬送の儀――戦士の魂を天に送り、遺品を溶鉱炉で溶かしてその団結を永遠に刻む儀式――が、執り行われていた。
広場の旗は半旗に下がり、空はどこまでも澄んで青い。その美しさは、まるで犠牲者の魂を見送るかのようだった。
広場の中央には簡易的な溶鉱炉が設置され、磨かれた石畳の上には隊員たちの遺品が丁寧に並べられている。
折れた剣、爪痕で歪んだ胸当て、水で抉られた盾――その一つ一つが、ティグウェルド村での壮絶な戦いを物語る。特に目を引くのは、第2小隊長オリーブウッドの鎧だ。兜はアクアウルフの水刃で貫かれ、胸当てには深い裂け目が刻まれている。太陽が鎧の表面を照らし、冷たく光る。
隊員の家族たちが、震える手で遺品を溶鉱炉に運ぶ。オリーブウッドの妻は、彼の兜を胸に抱き、涙をこぼしながら進む。「あなた…どうして…」彼女の声は掠れ、幼い息子が母の服を握り、声をあげて泣いている。参列者のすすり泣きが広場に響く。
だが、その時、別の隊員の妻が剣を握り、溶鉱炉の前で立ち尽くす。彼女の目は涙で濡れ、声が震える。「…だめ、入れられない…! これは夫の形見…」彼女は剣を胸に抱き、首を振る。「溶かさないで…お願い…!」
広場に緊張が走る。教会の司祭である灰色のローブをまとった厳めしい老人が前に進み、声を荒げる。「罰当たりな! 葬送の儀は魂を天に送る神聖な儀式だ。遺品を溶かし、戦士たちの団結を刻むのが掟! 私欲で伝統を穢す気か!」
司祭は彼女の手から剣を奪おうと手を伸ばす。
女は剣を強く握り、後ずさる。「なんで!この剣は夫のもの! 思い出を奪わないで…!」彼女の叫びが広場に響き、領民たちがざわめく。
ファミリアは広場の端でその光景を見て、胸が締め付けられる。ティグウェルド村で息子の遺体にすがった母親の姿が脳裏に蘇る。「…どうにかできないかな…大切な人の思い出も奪われちゃうの?」彼女は思わず一歩踏み出すが、どうにもできないやるせなさ、何をすればいいのか分からない。
《急に大切な人を失って、形見も残せないのか。伝統も大事だが、遺族の気持ちも考えてやらないとな。ファミリアが何か言わねえと、このままじゃ…》おじさんの声が頭に響く。
「待ってください!」ファミリアが声を上げ、溶鉱炉の近くに駆け寄る。司祭が鋭い目を向けるが、彼女は怯まず続ける。「彼女の気持ち…大切な人の形見を残したいと思うのは、間違ってないです! 儀式は魂を天に送るものだけど、家族の心も大切にしなきゃ…!」
司祭が眉をひそめる。「伝統を曲げるなど、神への冒涜ですぞ!何を言い出すか!」
女が涙をこぼし、ファミリアを見つめる。「お願いしますお嬢様…この剣だけは…」
「司祭様、なんとかなりませんか?魔獣に家族を奪われ、その思い出まで溶かすのはあんまりです!」と司祭の手を掴む。
「なりませんな!兵士の装備を窯で溶かし、新たな装備をつくり英霊の加護を得る儀式でありますぞ!領主令嬢とはいえ邪魔だては許しませぬぞ!」
広場に設けられた高台の上から領主であり父であるオリバーが娘の様子をじっと見守っている。冷静に見つめているようだが、後ろに組んだ手はソワソワとせわしなく動いていた。
傍に控えていたライムがそっと進言する。「閣下、教会に睨まれては厄介なことになります。いくらお嬢様とはいえ、神罰が下るかもしれません」
「わかっている。だがこの場で私が出れば事が大きくなる…タイミングを図らねば教会との関係が悪くなるだろう」|威厳を保ちながら、内心焦っているようだ。
「もめ事が大きくなる前に私がお嬢様を止めてまいります。」とライムがスッと高台から離れてファミリアのほうに向かっていった。
広場のざわめきは大きくなっていく。
「なんで旦那の亡骸にも会えず、遺品も奪われるの!」
「一人息子なんだ!少しでも思い出を残すのがダメなのか!」
ファミリアに同調する兵士の遺族達が声を上げて司祭に詰め寄っていく。
「これは伝統なんだ!英霊となって造りなおした装備に入ってもらうんだぞ!」
「私の夫も英霊になったわ、なんであなた達だけ拒否するのよ!」
と領民たちの声もヒートアップしてきた。
《なぁファミリア、英霊が装備に宿るってどういうことだ?》
(魔獣の犠牲となった兵士達が持っていた鉄の剣や鎧を溶かして、新しい装備を作るのよ。その装備には兵士たちの力が宿っていくのよ)
《それって本当なのか?何か魔法的な力が剣に宿ったりするのか?》
(わからないわ。私たちはずっとそうやって葬送の儀をやってきたの…)
ファミリアとおじさんが脳内で会話している間にも遺族と領民、司祭は口論が加熱し、今にも暴動が起きそうな状態になっていた。周りの兵士たちが必死に暴動を抑えようとして人壁として領民たちと司祭を引き離している。
《そうだ、ファミリア!鉄だけを再利用するんだろ。鉄以外の所を遺品にすればいいだろ》
(でも、具体的にどうすれば…)
《剣は全部鉄でできているわけじゃない。鉄は刀身だけで、持ち手は木や革でつくられているはずだ。分解してそこを遺族に渡せばいいだろ》
「それだわ!そうすればいいんだ!」とファミリアは声を上げる。だが、その声は喧騒に巻き込まれて聞こえない。
「お嬢様、ここを離れましょう。」気付けばライムが傍に来ていたようで、そっと耳元で囁いた。
「いいえ、いい案があるの。」ファミリアはライムを見上げてハッキリと答えた。
ライムは騒動に紛れてファミリアを保護して安全な場所に連れ戻す予定であったが、
まっすぐ見つめる大きく澄んだ瞳には何かしらの説得力を感じた。
ライムは何も言わず、ファミリアの後方にすっと下がった。
「皆さん、いい案があります。聞いてください!」とファミリアが凛と澄んだ声を出すが、周囲の喧騒にまぎれて誰の耳にも届かなかった。
少し困った様子でチラリと振り返ってライムを見上げる。
ライムは控えめにうなずくと一歩前に出て、剣を鞘から抜く。群衆のざわめきが響く中、彼は静かに目を閉じ、剣先に意識を集中させる。「明るき風よ“ルミナス・ヴェントス(Luminous Ventus)”」
小さく呟くと、剣先から青白い風が吹き上がり、彼を中心に渦を巻く。風は輝く光の粒子をまとい、広場全体に広がっていく。
村人たちは突然の涼しさに驚き、光の粒子が顔の前を通り過ぎると目を奪われる。「なんだ、この光…?」「風が…キラキラしてる!」粒子はそよ風と共に優しく触れ、心地よい感覚が広がる。やがて風が静まり、村人たちの視線は自然とライムとファミリアに集まる。ライムは剣を鞘に戻し、冷静に言う。「お嬢様がお話しします。よく聞いてください。」
《ライムのやつ、こんな魔法も使えるんだな。注目を集めるのにいいなぁ。あ、今がチャンスだぞ》
ファミリアはコクリと頷くとよく響く声で話し始めた。「司祭様、いい案があります。剣の柄を外してご遺族に渡しては如何でしょうか。葬送の儀で必要なのは鉄の部分でございましょう?」
司祭は苦みを残したような顔で「しかし、前例がない。木や革にも英霊は宿っておるかもしれんぞ!」
「しかし溶かした鉄には木や革は混じりません。ただ溶かす時に燃え尽きるだけでしょう。突然家族を失った者たちの心を癒す必要もありましょう?」
司祭は静かに広場を見渡した。領民たちは頷き、遺族たちは祈るように見つめていた。「確かに、領主令嬢の言うことも理解できる。しかし前例が無い。神聖な儀式において私の一存では決められない…本部を通じてカルト神聖国の司教様にお伺いをたて、その後に…」
司祭がなにかグダグダと言い始めたとき、突如として「私が許可しよう!」と大きく太い声が広場に響き渡った。
全員の目が広場に設けられた高台に集中した。声の主は領主オリバーであった。
「司祭、伝統は守るが領民の心も大切にせねばならん。ここはカルト神聖国ではない、私の大切な兵士たちの葬送の儀である。」
「しかし、伝統を簡単に曲げるのは!」
「決めるのは領主である私だ、剣を分解し儀式を続けよう。異議があるのか?」とジロリと司祭を見つめた。
「い、いえ…お心のままに。後ほど司教様に報告いたします」と司祭は黙り込んだ。
速やかに鍛冶職人が呼ばれて剣や鎧の一部が分解された。夫の剣の柄を渡された妻は
涙ながらに抱きしめて「ありがとう…ありがとう…!」とファミリアを見つめた。他の家族も盾や鎧の装飾、留め具を形見として受け取った。
残った鉄は溶鉱炉に入れられていった。全ての鉄が入ると、儀式が再開された。
オリバーが右手を掲げ、「イグニス・サンクタ(Ignis Sancta)!」と唱える。赤い炎が釜を包み、ものすごい熱量が発生し金属が溶け始める。ガラガラと鉄が融けて溶融プールに沈む音が広場に響き、白い炎の光が石畳を照らす。
鎧と剣が一つに溶け合い、隊員たちの魂が団結するかのように赤く輝く。 ものの数分で鉄は溶けて儀式が終わり、炎が消える。広場は静寂に包まれ、領民たちが頭を下げる。オリバーは空を見上げ、唇を固く結ぶ。
その時、ファミリアは人混みの中、ふらふらと歩く第1小隊長のオークレイを見つける。彼の目は泣き腫らし、誰とも目を合わせず、広場を離れ、町の外れにある寂れた酒場のほうへと消える。ファミリアは胸に疼くものを感じ、そっと後を追う。
酒場の薄暗い店内は、焦げた木と強い酒の匂いが漂う。オークレイはカウンターの端に座り、透明な蒸留酒の入った小さな杯を握っていた。ファミリアが扉を開けると、彼は目を細め、かすれた声で言う。「お嬢様…こんなとこで何だ。一人でうろつくんじゃねえ、危ねえぞ。」
「オークレイ…さっきの儀式にいたの?少し、話したいな。」ファミリアはためらいながら、隣の椅子に腰掛ける。
オークレイは苦笑し、杯を軽く振る。「話すって…まあ、いいか。どうせ、お嬢様を一人で放り出すわけにはいかねぇ」彼は蒸留酒を一気にあおり、喉を焼くような音を立てて飲み干す。空の杯をテーブルに叩きつけ、目を閉じる。
「…オリーブウッドのことを、ずっと考えちまうんだ。」
《あぁ、ティグウェルド村で死んだ小隊長か…》
ファミリアは彼の震える手を見つめ、そっと尋ねる。「オリーブウッドって第2小隊長の…どんな人だったの? 」
オークレイは新しい杯に酒を注ぎ、目を細める。「あの野郎のこと、最初は嫌いだったんだよ。若くて、才能あって、いつもキリッとしてやがってよ。あいつは貴族家の出身のボンボンだった。貧しい平民出身の俺には、眩しすぎる奴だった。」彼は笑みを浮かべ、酒を一口飲む。
「でもな、あいつは本物だった。部下の失敗を全部背負って、夜遅くまで作戦練って…訓練中に新兵が結界の札を壊しちまって、隊長から怒られた時も、全部自分のせいだと庇ってたんだよ。あんな真面目な奴はいねぇ。」
ファミリアが頷く。「部下思いだったんだ…オークレイが認めるすごい人だったんだね。」
「あいつは裏表のない奴だったのさ。俺が一方的に嫌ってただけで、奴は先輩小隊長の俺によく話しかけてくれたんだ。」オークレイは蒸留酒をもう一杯一気飲み、テーブルに杯を置く。彼の目が遠くなる。
「年は離れてたが、話すと…なんか、腹を割れるようになっていった。仕事終わりに、よく二人で酒飲みにいくようになってな。戦術の話から、家族の話まで…あいつ、子供が生まれた時、嬉しそうに笑ってたんだよ。」彼の声が震え、杯を握る手が白くなる。「その笑顔が…今じゃ、頭から離れねえ。」
オークレイの目が暗くなる。「…アクアウルフにやられたあいつの鎧、俺が持って帰った。奴の家族に、死亡報告しに行ったんだ。奥さんと子供…あの泣き声…今も耳にこびりついてる。」彼は蒸留酒の瓶を直接つかみ、口をつけてぐっと飲む。
「3歳くらいの娘がな、パパどこ?パパは帰ってくる?ってずっと母親に聞いてるんだよ。奥さんが泣き崩れてるところを見て幼いながらも気付いたんだろうな、大声あげて泣いてたんだよ。俺と中隊長はただ見ることしかできなかった。」
酒が顎を伝い、鎧に滴る。「俺が代わりに死ねばよかったって、そう思う。だが…俺にも家族がいて、守らなきゃならねえ。『俺が死ななくて良かった』って、心のどこかで思っちまうんだ…! こんな自分が、許せねえよ…!」
ファミリアは目を潤ませ、そっと言う。「オークレイ…そんなの、誰もが思うよ。私も…何かできなかったかって、悔しかった。あなたが生きててくれるから、私たち、戦えるんだよ。オリーブウッドも、きっと…オークレイが戦ってくれることを望んでる。」
オークレイが目を伏せる。彼は新しい杯に酒を注ぎ、だが飲まずにテーブルに置く。「ただ…帝国の奴らだけは、絶対に許さねえ。あいつらが魔獣をけしかけなけりゃ、オリーブウッドも、村人も死なずに済んだんだ。」
その時、酒場の扉が軋み、ライムが姿を現す。剣に手を置いた彼の目は鋭いが、ファミリアを見つけるとわずかに安堵が滲む。「お嬢様、どこへ行ったかと…閣下が心配しておられました。オークレイ少尉、一緒に領主邸へ戻るぞ。」
オークレイは杯を握ったまま、首を振る。「ライムハルト、悪いが…もう少し飲んでたい気分だ。俺のことは放っといてくれ。」彼は蒸留酒をもう一口飲み、目を伏せる。
ファミリアが立ち上がる。「オークレイ…無理しないでね。また、話そう。」彼女はライムに頷き、酒場を後にする。オークレイは一人、薄暗いカウンターで杯を見つめ、静かに酒をあおる。
領主邸に戻ると、従者が急いで駆け寄る。「お嬢様、皆探しておりましたぞ。ご無事でなによりです。ささ、閣下が執務室でお待ちです。」
ファミリアが促され、領主の執務室に向かった。
執務室の重い扉を開けると、オリバーが机の前に立ち、窓から夕焼けの空を見上げている。机の上には、ティグウェルド村で発見された双頭鷲の短剣が置かれ、微かに魔力が揺らめいている。オリバーが振り返り、ファミリアに視線を向ける。「遅かったな、ファミリア。…どこへ行っていた?」
「ごめんなさい、お父様。オークレイと…少し話してました。」ファミリアは目を伏せ、酒場の会話を思い出す。
オリバーの表情が少し柔らかくなる。「そうか。オークレイも、オリーブウッドの死を背負っている。…お前が話を聞いてやったのは、良いことだ。」彼は一歩近づき、娘の肩に手を置く。「今日の葬送の儀での提案、立派だった。形見を残す案は、伝統と領民の心を繋いだ。お前は貴族の務めを、よく果たしている。」
ファミリアは頬を赤らめ、胸が温かくなる。「ありがとう、お父様…でも、私、ただ…あの奥さんの気持ちがわかったから…」
だが、オリバーの目が鋭くなる。「ファミリア、褒めるだけではない。もう一つ、聞きたいことがある。」
彼は短剣を手に取り、ゆっくりと続ける。「ティグウェルド村でのアクアウルフ戦…お前が放った盾の魔法だ。」
ファミリアの心臓が跳ねる。
「あの時、俺の死角と自分自身を守るため、二つの盾をほぼ同時に展開した。…通常、盾の魔法は同時に二つは使えん。どうやって、あのタイミングで連続で魔法を放てた?」
ティグウェルドの戦闘――水刃が迫る瞬間、世界がスローに見え、おじさんが自分の代わりに盾の魔法を発動した記憶が蘇る。
《おい、ファミリア! どうする? ここでバレるか、正直に言うか…》
ファミリアは唇を噛み、拳を握る。これまで、おじさんの存在は誰にも話さなかった。
「お父様…実は、私、ずっと隠してたことがあって…」彼女は深呼吸し、声を震わせながら続ける。「なにがあっても、お父様は私の味方でいてくれる?」
「あぁ、もちろんだ。私はいつでもファミリアの味方だ」オリバーはファミリアをまっすぐ見つめる。
「あの…実は私の中にはおじさんがいるの…」と告白をした。
何十秒経っただろうか、「は?」という言葉がオリバーから聞こえた。




