12 盾の魔法
ファミリアは虫取り線香の試作品を手に持つと、ノックもせずにオリバーの執務室の扉を開けると勢いよく飛び込んでいった。
「お父様、東の開拓地に虫取り線香を届けに行きたいの!」
オリバーはゆっくりと書類から目を上げ、口髭を撫でながら娘を見つめる。
「ファミリア、まずノックをしなさい。何度も言っているだろう…重要な話をしていたらどうするつもりだい?」
「あ、ごめんなさい。つい気持ちが高ぶっちゃって。」とバツが悪そうに下を向く。
「それで、開拓地に虫取り線香を届けに行くのかい?それは無理だよ。執務が立て込んでいて一緒に行けない。却下だ。」
ファミリアが食い下がる。
「でも、お父様!虫取り線香があれば、ノミやシラミも退治できるかもしれない。みんなが元気になるかもしれない!実際に使って効果があるのか確認したいの。」
オリバーは眉を寄せ、ため息をつく。
「お前は熱意だけは立派だな。だが、無防備で行かせるわけにはいかん。」
おじさんがファミリアの頭の中で呟く。
《な、言った通りだろ。危険だから無理だって。別にファミリアが行く必要はないだろう、誰かに届けて実験してもらえばいい》
(おじさんは誰の味方?なんとかお父様を説得する案を出してよ!)
その後、ファミリアは父にあれこれを熱意を伝えてどうにか説得することに成功した。というよりもオリバーの執務時間を圧迫して無理やり説得させた形だったが…
オリバーは渋々条件を提示する。
「分かった。行かせてもいいが、最低限の護身術が必要だ。盾の魔法を身につけなさい。敵の攻撃を防げるようになれば、護衛付きで許可する。」
ファミリアが目を輝かせる。
「盾の魔法?魔法学園に行く前に教えてもらっていいの?」
「本当は良くない。が、盾の魔法は攻撃魔法と違って失敗しても被害が出ることはない。魔法学園で正しい方法を学ぶのが一番だが、知っていて損をするものでもないからね。この機会に学びなさい。」
「そうなんだ、攻撃魔法って失敗するとどうなるの?」
「いろいろだが、失敗すると思いもよらぬ方向に魔法が発現したり、魔力中毒で昏睡することもある。これは稀だが、魔力が体の中で溜まり体の一部が爆発した例もある。」
《怖すぎだろ、攻撃魔法…》とおじさんがドン引きしている。
「それは、やめておくわ。盾魔法なら大丈夫なの?」
「盾魔法は失敗しても発現しないだけなので練習しても大丈夫だ。領軍から講師を付けよう、交流のあったライムハルトにしよう。」
《鑑定魔法以外でファミリアが魔法を使ってるの見たことないな、ちゃんと使えるといいんだが。》
その日の午後、領主邸の芝生で、12歳のファミリアと魔獣対のライムが向かい合う。ライムは革鎧に模擬剣を手にし、薄緑の瞳が鋭く光る。ファミリアは初めての訓練着に袖を通し、緊張した面持ちで立ちすくんでいる。ライムが淡々と説明する。
「お嬢様、盾の魔法は『Scutum』と唱え、不可視の盾を出現させます。実演してみましょう」そういってライムは低い声で呪文を詠唱した。
「スクートゥム」
ライムの前に陽炎のような空気の揺らめきが見える。音もなく出現し数秒で消え去った。
「盾の魔法は空間が揺らいでいるように見えます。人によりますが持続は数秒。一度に一つしか出せません。」
《ほぉー、これが盾の魔法か。透明なんだな、もっとカッコいいエフェクト出るのかと思ってのに地味すぎる》とおじさんがガッカリしている。
「さぁ、お嬢様。やってみてください」とライムが促す。
ファミリアが緊張したまま詠唱した。
「スクートゥム!」
目の前の空間が少し揺らいだように見えて一瞬で消え去った。
《出た?》
「今のでいいのかしら?」と心配そうにライムを見る。
「お嬢様、今のは不発です。コツを伝えていませんでした、私のミスです。盾の魔法は呪文を言うだけでは駄目で、どこに盾を出現させるのか明確に意識する必要があります。その場所に空気を集めるようなイメージをしてください。その空気の塊に向かって魔力を飛ばすようにして詠唱するのです。」
ファミリアが頷き、もう一度呪文を唱えた。「スクートゥム!」
結果は同じで、ぼんやりとした陽炎が一瞬出て立ち消えた。
《出た?》
「お嬢様、何もない空間にやってもイメージが掴めないですね。私が模擬剣を振るので、剣を防ぐことを考えて詠唱してください。」
「分かったよ、ライム。やってみて!」
ライムが模擬剣を軽く振り上げる。剣が空気を切り裂く予想以上の音に、ファミリアが慌てて叫ぶ。
「盾よ、『Scutum』!」
目の前の空間が揺らぎ、透明な盾が現れる。ライムの剣が当たるとパリンと軽い音が響き、剣が弾かれた。
ファミリアが目を輝かせる。
「やった!できたよ!」《おぉ!》
だが、ライムは納得していないようで首を横に振る。
「今の盾の呪文は不完全です。軽く振った剣なので弾くことができましたが、普通に振った剣は魔法を切り飛ばすでしょう」
即座にライムが間合いを詰めてファミリアに剣を袈裟に振り下ろす。
「スクートゥム!」
空気が揺らめき、剣の軌道の前に不可視の盾が出現する。
直後、パリンという軽い音とともに盾が消失した。
《あ!》とおじさんが声を上げる。
ファミリアは思わず目を瞑ると、ライムが急減速させた剣が肩に優しく触れた。
そのままファミリアは後ろにストンと尻もちをつく。
「お嬢様、どうぞ」とライムが片手を差し出し、その手につかまって立ち上がった。
「上手くいったと思ったんだけどなぁ」と呟く。
「盾はたしかに出現しました。でも出現してすぐに魔力を注ぐのをやめていますね。盾を維持するためには魔力が必要で、出現させることよりも維持することに集中してください。」と淡々と指導がはいった。
もう一度やりましょう、とライムが全く同じフォームで剣を振り下ろす。
「スクートゥム!」
ベストタイミングで盾が発動し、キィンと澄んだ音で剣を弾き返した。
《すげぇ…これが魔法か》とおじさんが静かに興奮する。
「やったわ!」とファミリアも初めて成功した盾の魔法に満足気である。
「お嬢様、今のはいいですね。ではこれはどうでしょうか」とライムが言うと剣を再び構えた。
全く同じ軌道で剣が肩口に襲い掛かってくる。ファミリアはまたベストタイミングで魔法を発動させた。
キィンと音を立てて剣が盾に接触した、が、ライムは剣を更に押し込んだ。剣は弾かれることなく盾は消失していった。あ、とファミリアが目を瞑る。
気付けば肩口にポンと剣が触れる感触があった。
「どういうこと?」と目を開けてライムに尋ねる。
「魔法は確かに発動しました。しかし籠められている魔力が少ないのと、発動時間が短いので力押しできたのです」
《なるほどな。そしてファミリア、すぐに目を瞑るクセを直しなさい。よけられる攻撃も見ていなかったら避けられない。》
「どうすればいいの?」
「盾の魔法を発動させた後にしっかりと魔力を送り続けてください。特に敵の攻撃が届いた後に魔力を太く送るのです。そのためには、まず攻撃をしっかり見る必要があります。目を閉じるのは一番の愚策です。」とライムもおじさんと同じ指摘をしてくる。
「でも、怖くて目が勝手に閉じちゃうの、どうすればいいの?」
「何度も経験して恐怖を克服するしかありません、さぁ続けましょう。」と恐怖克服トレーニングがはじまった。
ひたすらライムが様々な軌道で剣を振り下ろし寸止めする。遠い間合いから近い間合いまで距離を変えて踏み込んでファミリアに攻撃していく。ゆっくりと、だんだん早く剣を振り、ファミリアの目が次第に慣れてきた。
「慣れてきたら盾の魔法を使って私の攻撃を防いでください!」とライムが攻撃しながら指示をする。頭から剣が振ってきたと思ったら急激に方向が変わり斜め下から襲い掛かる。絶対に当たらないようにしてくれてるとはいえ、金属の剣がビュンビュンと風を切る音は恐怖であった。
《ファミリア、絶対に目を閉じるな。そして剣を見ても速すぎて追いつかないぞ。》
(じゃあどうすればいいのよ!)
《ライムの体全体を見ろ。剣は腕だけで振っているわけじゃない。体全体で振っているんだ、難しければ腰を見ろ。奴は足腰が先に動いて次に肩、腕が動いて剣を振っているんだ。観察しろ》とおじさんがアドバイスをする。
じっとライムの腰を見る。すると確かに剣先だけを見ていると動きが速すぎてわからないが、腰を見るとなんとなく次の動きが見えてきた。
今だ!「スクートゥム!」
キィンと澄んだ音がして不可視の盾が斬撃を弾いた。ライムが体制を崩し、その場にたたらを踏んだ。ゆっくりと立ち上がり、ライムが頷いた。
《いいぞ、ちゃんとタイミングを見れていた。この調子だぞ》
「お嬢様、今のは良い防御でした。この感覚を忘れないように繰り返しましょう」
ライムはまた剣を構えてファミリアに攻撃を繰り出した。何度も呪文を唱えて、攻撃を的確に弾けるようになってきた。
「スクートゥム!」と弾けるが、呪文を唱える度に視界がグラグラと揺れるようになってきた。盾の陽炎もどことなく不明瞭な気がする。
《おい、大丈夫か?なんか足元がふらついてきてるぞ》おじさんの声がなんとなく遠い。
「お嬢様、今日はもう終わりにしましょう。視界が狭くなってきたのではないですか?魔力切れの兆候です。」
「あれ、なんとなくフラフラするけど、これが魔力切れなの?魔力が切れたらどうなる?」
「魔法が発現できなくなります。また人によっては昏睡状態になって回復まで数日かかることもありますね。判断力も落ちて、体も重くなるので魔力切れは兵士にとって避けるべき事態です。完全に魔力切れになる前にやめましょう。」
《魔力って鍛えることできるのか?魔力切れになって回復を繰り返したら魔力が上がるとかあったり?》
「ライム、質問なんだけど魔力切れを繰り返したら魔力って上がるのかしら?」とおじさんの質問をライムにぶつけた。
「魔力に関しては分かっていないことも多くて、確かに魔力切れを繰り返すことで鍛えられるという説もありますが実際のところ分かりません。同一人物を二人用意できれば比較することができますが、無理なので結果はわかりません。でもおススメしませんよ、数日間行動不能になりますしデメリットが多すぎます。」
「そうなんだ。魔力を鍛えることができたら強い魔法使いになれると思ったのに。」とファミリアがガッカリする。
「そう簡単に魔力が鍛えられるなら、みんなやっていますよ。魔力を鍛える具体的な方法は確立していませんが、使っていくことで魔力伝達の効率が上がって魔法発現が速くなったり、強まったりすることは知られています。」
《まぁなんでも練習すれば効率は良くなるよな。勉強もスポーツもそうだ、魔法も同じか。近道なんてこの世には無いよな。》
「わかったわ、地道に練習していくことしか上達方法は無いのね。」
「はい、練習を繰り返せば少ない魔力を効率的に運用できるようになります。魔力が少なくても強い魔法使いは多いです。魔力が多いに越したことはないですが、魔力が多い者が優れた魔法使いになるわけではないのです。」
ライムと魔力談義をして、初日の防御訓練は終了した。ライム曰く、まだまだ初歩の初歩で実戦で使えるレベルではないらしい。
ファミリアの盾魔法習得訓練は続きます。戦闘経験ゼロの貴族令嬢には難しいようです。
おじさんはやけに的確なアドバイスをしますね、何かやっていたんでしょうか。




