10 開拓地と決意の芽生え
ミリアの妊娠が発覚して数日後の朝、侯爵家の庭で馬車が準備されていた。オリバーが革の外套を羽織り、馬具を点検する使用人に指示を飛ばす。ファミリアは小さな行李を手に、興奮を隠しきれず父に質問した。
「お父様、開拓地ってどんなとこかな?子供たちに会えるのが楽しみだよ!」
オリバーが口髭を撫でつつ笑う。
「そうか。だが、衛生状態が悪いと聞いている。魔力の低い子どもが病気にかかりやすいからな。魔力の高い貴族は滅多に病気にならないが…」
ミリアが縁側から見送りつつ、心配そうに言う。
「あなたもファミリアも、無理はしないでね。皆が無事に帰ってくるのを祈ってるわ」
ファミリアが駆け寄って母の手を握る。
「お母様、軟膏のこともちゃんと考えるからね!ショーンと相談して、肌荒れに効くハーブを探してみるよ」
おじさんが頭の中で呟く。
《軟膏か…香油に保湿成分があればいいんだが、ハーブだけでどこまでいけるかだな》
馬車が動き出し、侯爵家の領地を離れると、道は次第に荒々しくなった。東の開拓地は、森を切り開いたばかりの新天地で、泥と草の匂いが風に混じる。数時間後、馬車が村の入り口に着くと、オリバーが顔をしかめた。
「臭うな…これじゃ病気が広がるのも無理はない。魔力のない子らには厳しい環境だ」
ファミリアが窓から身を乗り出し、目を丸くする。木造の小屋がまばらに並び、汚れきった服を着た子供たちが泥だらけの地面で遊んでいるが、咳き込む子も多い。水場らしき溝には濁った水が溜まり、蠅が飛び交っていた。
「お父様、これが衛生状態が悪いってこと?子供たちが可哀想だよ…私やお父様は平気でも、魔力が低い子は病気になっちゃうんだね」
おじさんが呟く。
《うわ、こりゃひでぇな。下水もろくにねぇし、汚水がそのまま溜まってんのか。魔力が高いと病気にかかりにくいって…。庶民がこんな目に遭うなんて、見てられねぇぜ》
村長が慌てて出迎え、領主であるオリバーに頭を下げる。
「ご領主様、お越しいただき恐縮です。この開拓村は水源が遠く、井戸を掘る余裕もなく…子供たちが次々と病気になり困っております。」
オリバーが報告書を取り出し、植物紙に書かれた数字を睨む。
「開拓計画が遅れてるのは水不足か。だが、このままじゃ病気で人が減る。魔力の低い者でも病気にかからない環境を作るしかないだろう」
ファミリアが村長に近づき、目を輝かせて言う。
「私、子供たちに会ってもいい?何かできることがあればやりたいよ!」
村長が少し驚きつつ頷く。「お嬢様が?ありがたいお言葉です。どうぞ、どうぞ」
ファミリアは病気の子供たちが寝ている病人小屋に入ると、しゃがんで話しかけた。
「ねえ、どこか痛い?熱はある?」
一人の少女が咳き込みながら答える。「お腹が痛くて…水飲むとすぐ気持ち悪くなって、下痢が止まらないの」
おじさんが呟く。
《腹痛と下痢か…水が汚れてる可能性が高いな。待てよ、こりゃ水に住む寄生虫の可能性もあるな。俺のいたとこじゃ、ジアルジアとかそんなのが下痢を引き起こすって国際支援活動の準備訓練で習ったことがある。煮沸消毒でもすりゃ死ぬが、ここじゃ燃料も足りねぇか》
(おじさん、水が原因ならどうすればいいかな?)
《水の中に寄生虫がいるかもしれねぇ。お前、鑑定魔法でよく見てみろ。細かい虫がうごめいてたら、それが原因の可能性もある。煮るか薬で殺すしかねぇぞ》
ファミリアが立ち上がり、水場に近づき、溝の濁った水を見つめる。「お父様、ちょっと待って。私、鑑定魔法で調べてみるよ」
彼女は手を水面にかざし、小さな魔力を込めて呟く。「ヴェーラ・フォルマ!」
水面に淡い光が広がり、ファミリアの目に小さな虫が映る。細長い体が蠢き、水の中でうごめいていた。
「うわっ、お父様!水の中に変な虫がいるよ!これ、何!?」
おじさんが即座に反応する。
《それだ!水に住む寄生虫だ。下痢や腹痛を引き起こす厄介な奴だぜ。子供たちが苦しんでるのはこれが原因だ》
ファミリアがオリバーに駆け寄る。
「お父様、おじ…じゃなくて、私、思うんだけど、水の中の虫が子供たちを病気にしてるみたい。水を煮て冷ましたら少しは良くなるかな?」
オリバーが眉を上げ、近づいて水を覗き込む。
「虫だと?魔力の低い子らがそんなものにやられるとは…確かに煮沸なら殺せるかもしれん。だが、燃料が足りんぞ」と村長を見やる。村長が首を振る。
「薪は森から取りますが、子供たちが弱ってて運べず…」
開拓地からの帰り道、馬車の中でファミリアがオリバーに話しかけた。
「お父様、今日見てびっくりしたよ。私やお父様は魔力が高いから病気にかからないけど、魔力が低い人は病気になりやすいんだね」
オリバーが静かに頷く。
「ああ、魔力が強い貴族は病気知らずだ。だが、稀に俺たちだけがかかる熱病もある。お前がこの前死にそうになったあれだよ。一方で庶民は悪い風によって病気にかかりやすい。この差は領主として埋めねばならん」
ファミリアが目を丸くする。
「私の熱病って、この前のだよね…貴族特有のだったの?でも、開拓地の子供たちはもっと大変だよ。水に虫がいるなんて…魔法学園で水をきれいにする魔法を学べば、みんなを助けられるよね」
オリバーが口髭を撫でて笑う。
「そうだな。お前がその気概なら、魔法学園に入学することが楽しみだ。領主になると様々なことを考慮しないといけない。今回は水の虫が原因なら、煮沸だけじゃなく井戸を掘る予算を割り当てねばないけない。近隣の村から人足を徴収して対策を急ごう」
おじさんが呟く。
《おう、寄生虫か。俺のいたとこじゃ水道と薬で解決だが、ここじゃ近代科学は存在しないから魔法頼みだな。貴族と庶民だと魔力だけじゃなくて病気という格差もあるのか。一筋縄じゃいかねぇな》
「お父様、井戸ができたら虫がいなくなるよね?でも、それまで煮沸でなんとかならないかな?」
オリバーが頷く。
「ああ、薪が足りんと言っても、俺が領地の備蓄から回せば済む話だ。虫を殺すためなら、やる価値はある。ファミリア、お前の鑑定のおかげで原因が分かった。よくやったな」
翌朝、侯爵家に戻ったファミリアは、庭でショーンとハーブを摘んでいた。開拓地の記憶が頭を離れず、彼女はショーンに話しかける。
「ショーン、昨日開拓地に行ってきたよ。水に虫がいて子供たちが病気になってたけど、ハエや蚊もすごくてさ…何か虫を退治できる植物ってないかな?」
ショーンが少し考え、庭の隅に生える白い花を指さす。「これ、ムシカレ草って言うんだ。近づく虫が死んでるだろ?昔、馬小屋で蚊が減ったから植えたんだ。お嬢様、これなら効くんじゃねぇか」
ファミリアが近づいてみると、確かに花の周りに小さな虫が死んで落ちている。
「ほんとだ!これ、使えそうね。ショーン、ムシカレ草もっと摘んで干してみようよ!」
(おじさん、ムシカレ草で虫よけできるかな?)
《おお、そりゃ面白ぇな。俺のいたとこじゃ除虫菊って似たような草があって、干して固めて燃やすと蚊取り線香になったぜ。ここでも同じ効果があるか分からねぇが、試してみる価値はある。煙でハエや蚊を追い払えりゃ、開拓地の子供たちも楽になるんじゃねぇか》
ファミリアが目を輝かせる。
「ショーン、ムシカレ草を干して束ねて試してみよう。開拓地の子供たちに持って行きたいよ!」
ショーンが頷き、「お嬢様が言うなら、いくらでも摘むぜ」と手を動かす。
続けて、ファミリアが呟く。
「お母様の肌荒れも気になるんだ。軟膏だと油っぽいかなって…何かいい方法ないかな?」
(おじさん、油っぽくないやつって作れる?)
《軟膏が油っぽいなら、乳液にすりゃいいぜ。水と油を混ぜて、ちょっと石鹸を加えると乳化する。カモミールを水で煮て、そこに香油と石鹸を混ぜればサラッとした乳液になるんじゃねぇか。試してみねぇと分からねぇがな》
ファミリアが手を叩く。
(乳液?さらっとした薬ってこと?それならお母様も使いやすそう。)
「ショーン、カモミールも摘んでね。水と香油で煮て新しい薬を試してみるよ!」
ショーンがカモミールの花を摘みつつ、「お嬢様、なんなりとお申し付けくだせぇ」と笑う。
ファミリアが庭を見回し、心の中で呟く。
(魔法学園で水をきれいにする魔法を学びたい。虫よけや乳液も試してみたいな。成功したら領地のみんなが喜ぶよね。おじさんのおかげだよ)
《おう、俺の知恵が役立つなら嬉しいぜ。お前なら試して上手くやるんじゃねぇか、知らんけど》
ファミリアは頷き、「お母様に喜んでもらえる乳液と、開拓地の子供たちのための虫よけ、どっちも試して頑張ろう!」と決意を新たにした。




