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だから彼女から奪った(3)

「ラティアーナ様は……私の前ではけして弱音を口にはしませんでしたわ。ですから、本当に聖女になるということが、これほど大変なことであると、わからなかったのです」


 きっとアイニスはサディアスに話を聞いてもらいたいのだろう。いや、サディアスではなく誰かにだ。


「そうですか……。あまり、気の利いた言葉は言えませんが、アイニス様がそうやって言葉にするだけで気持ちが晴れるのであればお聞きしますよ?」


 その言葉に、ぱっと彼女の顔が子どものように輝き出す。やはり、話し相手を求めていたにちがいない。むしろ、愚痴を言う相手だろうか。


「サディアス様は、お優しいのですね」


 彼女は少しだけ微笑みながら、首を傾げた。それでもその目尻からは、涙が零れ落ちそうにも見える。


「兄が心配しているのです。兄に言ってはならないことがあれば、きちんと教えてください。そうでなければ、つい僕も兄に言いそうになってしまう。なによりも、兄があなたのことを心配しているので」

「キンバリー様に言ってはならないことなんてありません。包み隠さず、お伝えしてもらって問題ありません……。キンバリー様もお忙しい方だから、私のことなどお忘れかと思っていたのですが……」


 彼女は右手の人さし指で目元を拭った。

 キンバリーはアイニスを忘れてなどいない。張りぼての令嬢と悪態をつきながらも、張りぼてから本物になろうと努力している点は評価していた。それでもまだ、彼の心の中にはラティアーナがいるだけ。


 それを考えると、目の前のアイニスが哀れに見える。いっときだけキンバリーに利用され、利用された挙句「張りぼて」と呼ばれる。

 聖女でありながらも、聖女の役目すらうまくこなせていない。能力と役柄が合っていないような、そのようにも見える。

 となればやはり「張りぼて」なのだろう。


「私の実家がデイリー商会であることは、サディアス様もご存知でしょう?」

 泣きそうだった顔は、口元に微笑みをたたえている。


「えぇ。デイリー商会が仕立てるドレスは、質がよいと評判ですから」


 その言葉に、アイニスは苦しそうに眉をひそめた。


 デイリー商会のドレスは、社交界でも貴婦人たちの話題にあがる。デザインが画期的でありながらも、身に纏う者の魅力を最大限に引き出す。

 質の割には価格も思ったほどではない。

 そんな噂で持ち切りだった。だから彼女たちは、次から次へと競い合うかのようにして新しいドレスを仕立てるようになる。


「そうですね。父と兄がそちらの事業に力を入れて……今のデイリー商会があるのです」

「ですが、一時期は他の商会からも反発があったとお聞きしております。それを乗り越えて今の形になさったと」

「えぇ……よくも悪くも目立てば、他からはいろいろと言われますから」


 成功者の耳に届くのは賛美の声だけではないだろう。そこには黒い嫉妬だって混じってくる。物事にはよいところもあれば悪いところもある。それのどこを切り取って話題にするかは、個人の自由なのだ。

 それでも、その自由な言葉を悪い方向へと補う者がいる。となれば、そこには怒りや嫉妬の感情が芽生え、小さな争いの種ともなりかねない。


 その種を握りつぶす力がある者が最終的には勝つ。そして、デイリー商会にはその力があった。

 それもこれも、狡猾なアイニスの兄の手腕だろう。

 デイリー商会にまとわりついていた黒い噂や嫉妬は、やがて聞こえなくなり、褒め称える声だけが聞こえ始める。

 それだけの風格をデイリー商会は持ち合わせるようになったのだ。むしろ、そういった悪意さえ利用したのかもしれない。


「父が爵位をいただいたのは、私が十歳のときです」


 それはサディアスも人を使って調べた内容でもある。

 デイリー商会長、すなわちアイニスの父はそれまでの功績を認められ、叙爵をという話になった。

 これは、デイリー商会がこれ以上の力を持つのを防ぐための施策でもある。こちら側に引き入れて、動きを制限させたいというのが貴族院側の考えだったのだ。

 特に存在感を表し始めたデイリー商会は、平民だけでなく貴族の心もとらえ始めている。さらに、王都の民だけでなく、地方に住んでいる者にもデイリー商会のよさが広まっていく。


「今までただの商売人だった娘が、いきなり貴族と呼ばれるような方々の中に混ざれるわけがないでしょう? それでも、兄も父も……いえ、特に兄が、私に貴族としての振舞を身に着けるようにと、厳しく言い出しまして……」


 アイニスの身の上話が始まってしまった。

 だが、サディアスが聞きたかったのはこの話だ。


「ですが、十歳の少女にそのようなことを言われても、さっぱりとわからないでしょう? そもそも貴族の振舞など、何もわからないのですから」


 キンバリーが口にしていた張りぼてという言葉は、ずっとサディアスの心に引っかかっている。


「家庭教師などは、つけてもらえなかったのですか?」

「えぇ……口では立派なことを言う兄ですが、財布の紐は硬いのです。図書館などからそういった本を借りてきて、読んで学べと」

「なるほど……」


 サディアスは彼女の兄を思い出す。どういった人物だったろうか。


 男爵位を持っているのは彼の父であるため、兄にはなんの権力もない。となればただの商売人として振舞っているはずだから、サディアスとの接点は少ないはずだ。


「私は、幼いながらにも兄の教えを忠実に守ろうとしていたのです。兄は……怒らせてはならない人なので……」


 アイニスが兄とどのような関係であったかを、サディアスは知らない。十歳年が離れているとは知っているが、その年の差が兄弟関係にどう影響を及ぼすのかなど、想像すらできない。


 まして男と女。

 きっとサディアスとキンバリーの関係とも異なるのだろう。サディアスはいつだってキンバリーの予備なのだ。サディアスはキンバリーのために存在している。だから今だって、キンバリーのためにアイニスから話を聞いているのだ。


 もしかして彼女も、彼女の兄のために存在しているのだろうか。


「私の兄は、頭がよくて。幸いにも、父は兄を学園に通わせておりましたので、兄はそこでもよい成績をおさめていたのです」


 レオンクル王国の王都には、貴族子女が通う王立学園がある。昔は、貴族の中でも上流の子息しか通えぬ学園であったが、時代の変化とともにその門戸を広げた。

 学園の授業料が支払える者であれば貴族の子でなくとも通えるし、女子学生も受け入れている。


 それでもキンバリーとサディアスは学園に通わず、この王城内で家庭教師によって知識を身に付けていたし、ラティアーナに関しては神殿と王城の往復をするくらいで外に出ることすら制限されていた。まして、学園に通うなどもってのほか。だから、この三人は学園がどのような場所であるかを知らない。

 そうやって大勢の人と接していれば、ラティアーナの心も少しは華やいだのだろうか。


「ですが、アイニス様は学園には通われていないですよね?」

「はい。兄が、女は無駄に知識を付けるものではないと、そう言いまして……。教養は身に付けても知識はいらないと」


 なんとなく彼女の兄の人柄が見えてきた。そして、アイニス自身はそれの言いなりだったのだ。


「私は、兄に言われた通り図書館へ通いまして、本を読みました。ですが、やはり本で読むのと人から教えていただくのでは違います」


 それに気づけただけ、彼女を褒めてあげたい気持ちになった。


「そして、突然。兄からウィンガ侯爵……義父を、紹介されたのです」

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