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だから彼女と別れた(3)

「神殿の教えは、質素であり堅実であることだそうだ」


 サディアスの記憶の中にいるラティアーナは、いつも簡素なドレスを着ていた。聖女の豪奢なドレスを着ているのを見かけたのは、式典のときのみだ。


「ここのお菓子を食べるのは、神殿の教えに反することらしい。だから、聞いたのだよ。神殿での食事を」


 思い出したくもないとでも言うかのように、唇の端をひくつかせている。


「神殿が彼女に与えていたのは、スープとも呼べないようなスープ。石のように硬くなったパン。それをラティアーナから聞き出すのに、私は同じ質問を一日に十回以上もした。それでも彼女は、けしてそれを言おうとはしなかった。だから、脅した」


 たったそれだけの情報を得るために、彼女を脅すとはよっぽど本気だったのだろう。


「脅すって、いったい何を言ったのです?」


 いつも笑みを浮かべている彼女の弱点を知りたいという好奇心も働いた。キンバリーが知っているのに、自分が知らないという悔しさもあった。


「孤児院への寄付をやめると言った。お前は知っていたか? ラティアーナは与えられたわずかな自由時間を使って、孤児院を訪れていた。子どもたちに本を読んだり、勉強を教えたりしていたのだよ」


 キンバリー自身は気づいているのだろうか。ラティアーナのことを話すときは、彼は口元に微かな笑みを浮かべているのだ。懐かしそうに細くする目には、何を映しているのだろう。

「王家が孤児院への寄付をやめたらどうなるか。ラティアーナだってそれは知っているはずだ。彼女はそこでやっと、神殿での生活を教えてくれた」


 その結果、みすぼらしい食事を与えられ、自由時間もほとんどないということがわかった。


「そんななか、ラティアーナ様は兄上に会いに来てくださっていたのですね」


 庭園で花冠を作っていた彼女は、どことなく楽しそうにも見えた。約束の時間を守れないキンバリーに対して怒りを向けることなく、穏やかに時間を過ごしていたのだ。


「ああ。そして私が執務で手が離せないとわかると、手伝ってくれた……」

「だったらなぜ、彼女との婚約を解消したのですか? 兄上だって、ラティアーナ様のことを嫌っていたわけではないですよね?」


 サディアスの言葉に、キンバリーもひくっとこめかみを震わせる。どこか言葉を選んでいるようにも見える。


「そうだな。身体が細くて心配はしていた。だから私は、神殿にも寄付をしたのだ。いくら質素な生活といっても、人の健康を害するような食事では職務にも影響が出るだろうと。せめて、もう少し栄養価の高い食事を与えてほしいと。ラティアーナや神殿で働く者たちに、少しでもよいものを与えてほしいと。それができぬのであれば、ラティアーナを婚約者として、こちらで引き取りたいとも言った」


 キンバリーが彼女のためにそこまで考えていたのを、サディアスは知らなかった。だからこそ、なぜ婚約破棄の流れになったのかが理解できない。


 今の話を聞いただけでは、明らかにキンバリーはラティアーナに好意を寄せている。


「神殿側は私の話を引き受けてくれた。だが、ラティアーナは竜の世話があるから、神殿にいてもらわないと困るとのことだった。だから、私からの寄付を受け入れ、食事をもう少しまともにするとも約束してくれた」

「よかったではないですか。兄上にとっても、ラティアーナ様にとっても」


 そこでキンバリーは顔の下半分を手で覆う。何かを思い出すような仕草にも見える。言いにくいことなのか、言いたくないことなのか。

 その手の隙間から、小さく息がこぼれた。手を膝の上に戻す。


「それでも、ラティアーナの身体は貧相なままだった……」


 サディアスも記憶の中の彼女を探る。初めて会ったときも、国王の即位二十周年の式典で顔を合わせたときも、彼女の体型はさほどかわっていない。キンバリーの言う通りである。彼の言葉を借りるのであれば、貧相であった。


「だから私は、もう一度神殿へ足を運んだ。神殿で生活している者たちに、まともな食事を与えるために寄付をしたのだと神官長にも詰め寄った」


 膝の上で握りしめられている彼の手が、わなわなと震えている。


「そうしたら、神官長はなんと言ったと思う? 寄付した金で、神殿での暮らしはよくなったと言う。だが、ラティアーナの姿を見てその言葉が信じられるか? それに……彼女のドレスが突然、派手になったのをお前も心当たりはないか? 寄付した金で、新しくドレスを仕立てたようだ。どうやら、私が金を寄付したと知ったラティアーナは、そうやって私的に使っていたんだよ」


 そこで、軽く息を吐く。


「アイニスからも言われてしまった。どうやら世間では、私がラティアーナにドレスを贈ったことになっているらしい。本来の目的とは違う金の使われ方をしたのに、私にはそれを否定する気力さえなかった」


 サディアスは記憶を掘り起こす。

 いつも簡素な巫女用の服で王城に来ていたラティアーナだが、あるときを境にドレスのデザインが変わった。それをいつもの庭園で指摘したところ、神殿からそのドレスを着て王城へ行くようにと言われたとのことだった。だが、それだって派手なドレスではない。豪奢でありながら、どこか落ち着いた雰囲気の、彼女に似合うようなドレスでもあった。色が淡いからそう見えたのかもしれない。


『珍しいですね』


 サディアスが声をかけると、ラティアーナは少しだけ頬を赤らめた。


『王太子の婚約者として相応しい格好をしなさいと、神官長から注意を受けたのです』


 そのような格好をするのが恥ずかしいのか、注意を受けたことが恥ずかしいのか。それでも、彼女の顔は赤く染められていた。


 だが、キンバリーが言った内容は、彼女から聞いた内容とも異なる。


「私は、彼女に贅沢をさせるために寄付をしたわけではない。せめて、あの神殿にいる者たちに少しでもよい生活をと思っていたのに、その気持ちが彼女には通じなかったのだよ。あんなドレスなど、こちらでいくらでも準備できたのに……。結局彼女も、他の女と同じように着飾ることにしか興味のない女だったんだ」


 彼は本当にそう思っているのだろう。悔しそうに肩を震わせている。


「私は、ラティアーナを見損なったよ。信じていた彼女に裏切られたのだ。このときの気持ちがお前にわかるか?」


 キンバリーは素直過ぎる一面もある。そして、疑い深く嫉妬深いという側面も持つ。

 信用した者の話は素直に受け入れ、自分の信じない者の話は疑う。

 それが人間の本質と言われればそうかもしれないが、その傾向が誰よりも強いのがキンバリーという男なのだ。


「彼女は自身の身なりに金をかけ、食事は神殿が与えるいつものものをとっていた。私がそれとなく食事について聞いても、神殿が与えてくれるものだから意見はできないと言う。私が寄付した金があるだろうと叫びたくなったが、それだけは堪えた。気づかぬ振りをして、彼女の話を黙って聞いていた」

「だから兄上は、ラティアーナ様との婚約を解消され、アイニス様と婚約し直したのですね。ラティアーナ様が信じられなくなって……」


 キンバリーの身体の震えが止まった。軽く息を吐き、紅茶のカップに手を伸ばす。中身はとっくに冷めている。冷めた紅茶は、渋みを強く感じる。


 彼は顔をしかめた。やはり渋かったようだ。


「私がラティアーナに失望したときに、寄り添ってきたのがアイニスだ。アイニスの優しさに甘えてしまったのかもしれない……」


 間違いなくそうだろう。そしてアイニスはそれを狙っていたにちがいない。

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