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だから彼女と結ばれた(4)

 中庭にある長椅子に、二人並んで腰をおろす。二人の間は、子どもが一人座れるくらいの微妙な距離が空いていた。


「サディアス様は、どうしてこちらに?」


 彼女は愛おしそうに腹部を撫でてから、足元の花を摘む。


「はい。貴女に会いにきました。兄からの言葉を伝えるために。それからこれを……」


 カメロンには受け取ってもらえなかった子どもたちからの手紙を、サディアスは差し出した。


「まぁ。あの子たちから? ありがとうございます、サディアス様。これを、あの人……カメロンに見せました?」

「はい。そうしたら、自分で渡せと言われました」

「ふふ。あの人らしい」


 たったそれだけなのに、彼女がカメロンをどのように想っているのかがひしひしと伝わってきた。


「あの……ラティア……ラッティとカメロン殿は、その……」

「えぇ。私がこちらに戻ってきてしばらくしてから、結婚しました」

「そうですか……」


 わかっていたはずなのに、彼女から言葉を聞かないかぎりは信じないと思っていた。それでもこうやって言葉にされてしまっては、信じなければならないだろう。

 厳しい現実をつきつけられた気分である。


「キンバリー様は、お元気でいらっしゃいますか? アイニス様も……」


 そうやって二人を気にかけてもらえると、なぜか安心できる。忘れられてはいないのだな、と。


「兄は、元気ですが……。ラティアーナ様がいなくなられたことで、執務のほうが滞っておりました」

「そうですか。キンバリー様は、他人に頼ることをされない方なので。あの方に必要なのは、信頼できる部下でしょう」


 その通りである。キンバリーはなんでも一人でやる傾向が強い。そのため、彼の仕事がたまっていき、溢れてしまう。


「わかりました、兄に伝えておきます」


 サディアスの言葉に、彼女は以前と変わらぬ微笑みを浮かべる。


「それから、アイニス様は……。なんとか聖女の務めを果たしている感じです」

「大変でしょう? 聖女の務めは。アイニス様も、そうおっしゃっておりませんでしたか?」

「えぇと、まぁ。そうですね。神殿で竜のうろこを磨くのが大変だと」

「えぇ。あれはとても大変な作業です。昔から神殿で暮らしていればそういうものだとわかっているのですが、いきなりあれをやれと言われたら、誰だって嫌がるでしょうね。私でさえも、今になってそう思います。あれをやり遂げられるのは、神殿によって洗脳された人間か、強い意志を持つ者か……」


 ふと彼女の顔が陰る。


「ですが、竜のうろこは私たちの穢れを集める役目があるため、きちんと磨かなければ、竜は穢れまみれになってしまうのです」


 手が寂しいのか、彼女はいつの間にか前と同じように花冠を作っていた。足元には花冠が作れるような花が咲いているし、彼女が座った脇にはたくさんの花が摘んであった。


「竜が穢れにまみれると、どうなるのですか?」


 神殿は竜について詳しく教えてくれない。聖女の役目についても、もっと深いところまで知りたいのに、どうしても越えられない壁があるようで、それ以上の情報を聞き出すのははばかれるような、そんな感じがしていた。

 だが、彼女であれば、それをすんなりと教えてくれるだろうという根拠のない自信がある。


「竜が穢れにまみれると、厄災が訪れると言われています。実際、二十年ほど前には、厄災が訪れたと言われておりますよね。大寒波が襲い、寒さと飢えで多くの方がその命を失いました」

「あぁ、そうですね。ネーニャの大寒波と呼ばれていますね」


 ネーニャの大寒波――。

 レオンクル王国のネーニャ地方が大寒波によって大打撃を受けた。この地方に住んでいた者の半分以上が、飢えと寒さで亡くなった。国からも食料の援助を出したが、それも雀の涙程度。王都も食料が不足し、他の地方に回す余裕がなかったのだ。寒波に覆われたのは、王都も同じだった。


 それを救ったのが竜と済世の聖女である。

 聖女が竜に祈りを捧げ、竜が空を飛び立ち、雪雲を吹き飛ばした。氷ついていた空間が、あたたかさに溢れ始める。

 それが竜と済世の聖女による奇跡の瞬間でもあった。

 聖女は一人ではその力のすべてを発揮できない。竜と共にある聖女は、竜が国を救うように導かなければならない。それが聖女の役目であり、存在する意義でもある。

 済世の聖女は、レオンクル王国を救った後、その姿を消した。


「聖女様がいらっしゃらなければ、今頃、レオンクル王国も存在していなかったでしょう」


 サディアスの言葉に、彼女は少しだけ苦しそうに眉をひそめた。彼女の手元も止まっている。


「あの……兄から、ラティアーナ様……ラッティに伝言がありまして」

「なんでしょう?」

「申し訳なかったと、そう言っておりました」

「それは、謝罪ですか?」

「……はい」

「何に対する?」


 彼女は顔をあげて、真っすぐにサディアスを見つめる。翡翠色の瞳は、キンバリーが婚約破棄を突きつけたときと同じように力強く揺れている。


 しかしそう問われると、サディアスも即答できない。キンバリーはラティアーナに謝罪したいと言っていたが、それが何に対する謝罪なのか。目下のところ、婚約破棄に対する謝罪なのだろう。


「パーティーのときの、婚約破棄の件かと……」

「まぁ。キンバリー様はそれを気にしていらっしゃったのですね。あれは、私にとっては僥倖でした。キンバリー様とアイニス様に、感謝を申し上げます」

「ラティアーナ様は……兄を好いていたわけではなかったのですね」

「えぇ。でしたら、こちらに戻ってきてすぐに結婚などしないでしょう? 私はずっと、カメロンのことを想っていました。聖女になったから、キンバリー様と婚約しましたが、できることならその婚約も、そして聖女という役目も投げ出したかった」


 サディアスから視線を逸らした彼女は、黙々と花冠を作り続ける。

 そんな彼女の姿を見て、胸が痛んだ。


 ラティアーナはキンバリーを受け入れていると思っていた。

 ラティアーナは聖女という役目に誇りを持っていると思っていた。

 けれども、彼女の本音は異なっていた。


「周囲から、勝手に聖女ラティアーナという理想を作り上げられ、私はただそのように振舞っていただけです」


 その言葉に、息を呑む。

 その通りかもしれない。聖女ラティアーナは、済世の聖女であり、レオンクル王国を平和に導く存在。立ち居振る舞いもおしとやかで、奉仕作業にも精を出し、誰にも平等に接する。

 国を庇護する竜との意思疎通もでき、竜を世話する様子すら神々しいと言われていた。


 王太子キンバリーと婚約したことで、彼女の地位は確固たるものとなり、それすら当然とも言われるような雰囲気ができあがっていたのだ。


 それでもキンバリーは、聖女ラティアーナに救われていた部分はあった。彼女が執務を手伝ってくれた、公式の催し物では隣に寄り添ってくれた。

 少なくともキンバリーは、聖女ラティアーナに惹かれていた。あのすれ違いが起こるまでは。


「兄は……ラティアーナ様のお身体を心配しておりました。神殿の食事は、孤児院のものよりも貧しいものであった」

「そうですね。キンバリー様には、何度も聞かれましたから。あのときの私は、生きるのをあきらめたような、そんな感じでした。食事をとらなければ死ねるのではないかと、そう思ったこともあります」


 彼女がそこまで思いつめていたことを、サディアスは知らない。


「それでも、なんとか思いとどまることができたのは、あの人との約束があったから……。キンバリー様の婚約者を演じ終えたら、必ずここへ戻ってこようと、そう思っていたのです」


 キンバリーとの婚約さえ、利用しようとしていたのだろうか。だが、婚約の先の結婚はどう考えていたのだろう。


「婚約とは結婚の約束ですから、いかようにもなるのですよ。現に、キンバリー様と私の婚約は解消されたではありませんか」


 まるでサディアスの心の中を読んだような言葉である。


 彼女は膝の上の手紙に視線を落とした。


「孤児院の子どもたちは、お元気ですか? 将来、あの子たちが自立てきるようにと、いろいろと教えてはいたのですが。役に立っているでしょうか」

「はい。子どもたちも、ラティアーナ様に感謝しています。商会でお針子として働いている子もいます。菓子店に務めている子もいます」

「そうですか……安心しました」

「……ラティアーナ様は、兄が孤児院へ寄付をしていたことをご存知ですか?」

「ええ。ですが。あの方の寄付金は、孤児院とは別のところに流れていたのですよ」


 その言葉に、胸がズキンと痛む。それは、つい数か月前に発覚した事実。孤児院へと送っていた寄付金は、実際には孤児院に届けられていなかった。

 そしてその事実を、彼女は知っていたのだ。


「キンバリー様の寄付金は、神殿に流れていたのです」


 いつの間にか彼女の手は動いていた。一つの花冠が出来上がる。


「キンバリー様はさらに神殿に寄付金を与える。神殿としては、思いもよらなかったでしょうね。ですから、聖女ラティアーナのドレスを新調したわけです。キンバリー様の婚約者としてふさわしいようにって。みすぼらしい巫女姿のままでは、彼に飽きられてしまうだろうと心配したみたいです」


 少しだけ、彼女の手の動きが鈍くなる。


「ですが、それがキンバリー様には面白くなかったのでしょう? 彼にとって聖女ラティアーナは、みすぼらしい巫女姿であってほしかったようです。あのような豪奢なドレスを身に着ける聖女は聖女ではないと、そう思ったのでしょう?」

「違います。兄は……神殿への寄付金をラティアーナ様が私的に使用されていると、そう誤解したのです」

「少し考えればわかること。質素であり倹約であり堅実であるがモットーの神殿ですが、聖女や巫女以外の神官たちの様子をご覧になりましたか? 私たちに質素倹約、堅実だと言っておきながら、彼らの生活はそれとは程遠いものだったのではないでしょうか? キンバリー様が聖女に飽きないようにと、神官たちのほうから聖女のドレスを作らせたのです。神殿側は、聖女を使ってキンバリー様を縛り付けておきたかったのです。だって、寄付金をくださる絶好の鴨なのですから。それに、聖女との婚約を言い出したのも神殿側からですよね」


 それは、サディアスもうすうすと感じていた。それを言葉にしてしまったら、認めたくない事実が真実となり、キンバリーを傷つけることになるだろう。

 キンバリーは間違いなく利用されていた。金づるだった。そしてそれに気づかなかった。


「サディアス様は混乱されているようですね。ですが、それが事実です。ただ、各人がそれぞれの言葉の意味を捻じ曲げて、自分の都合のよいように解釈しているだけ……」


 さまざまな人から話を聞いたから、サディアスも理解している。同じ話であっても、人によって捉え方が異なっている。それが事実の確認を怠った結果なのだ。

 さらに、キンバリーがラティアーナに婚約破棄をつきつけるきっかけとなった聖女のドレス。あれこそ、すれ違いの塊であり発端でもある。


「となれば、真実は、どこにあるのでしょう」


 彼女がそう言った。その言葉が、重く心にのしかかる。


 サディアスはゆっくりと時間をかけて、こうやってさまざまな人たちから話を聞いてきた。

 彼女がこの村の出身であることがわかったときから、すぐにここへと来たかった。彼女に会いたかった、確かめたかった。

 それが叶わなかったのは、キンバリーの寄付金が神殿に流れていた件が原因である。それを突き止めていたからだ。


 彼女の手は、二つ目の花冠を作り始めていた。


「ねぇ、サディアス様。誰かの犠牲のうえに成り立つ平和は、真の平和と呼べるのでしょうか?」


 何かを思い出したかのように、彼女はぽつりと呟いた。


「どういう意味、でしょうか? 兄が犠牲を払っている、と?」

「いいえ」


 彼女は軽く首を振る。


「サディアス様は気づいていらっしゃらないのですか? 国を庇護する竜。あれは、本当に国を庇護しているのでしょうか?」


 それ以降、彼女は黙々と花冠を作り続けた。

 聞きたいことはたくさんある。確認したいこともたくさんある。だけど、話しかけてはならないような、そんな厳かな空気が流れていた。


 なぜ、寄付金の件を教えてくれなかったのか。

 なぜ、ドレスの件を説明してくれなかったのか。

 なぜ、聖女を受け入れたのか。


 聞きたいけれど、聞いてはいけないような気がした。

 彼女はもう、聖女ラティアーナではないのだ。


 そんな彼女の手は、二つ目の冠を作り終えた。それを、サディアスの頭にぽふんと載せる。


「やはり、サディアス様には冠が似合いますね」

「これは……僕がいただいてもいいですか? 以前、ラティアーナ様からいただいた花冠は、枯れることなく、僕の机の上に飾ってあります」

「それは、あのときの力のおかげですね。残念ながら、聖女ではないただのラッティが作った花冠は、それほど日持ちはしませんよ?」

「はい。枯れた花冠は土に還します」


 サディアスは寂しげに微笑んだ。

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