第8話 初日 12:00-4
「あー、だりぃ」
ペア分けして他の人が出ていったあと、益人は拠点でそう呟いていた。
「だ、大丈夫ですか?」
寝転がり目を閉じている益人に、焦りの見える声で押し付けられた相方の桜が尋ねる。
……はあ。
体調不良を心配しているだろう態度が面倒くさい。
原因は理解していた。話し合いがだるくて黙っていたら何故か話が転がり、それでも見に徹していたらペアが決まっていた。
他の面子ならともかくこれじゃ子守りだ。いや、逆に考えれば変な正義感に振り回されずに済むのは助かる。無理やりにでも行動させられるくらいならいいが、告げ口されて立場が悪くなるとそれもまた面倒だ。
殺されはしない。それだけは保証されている。だがそれだけしか保証されていないのだ。
結論として、やはり面倒くさいに落ち着いた。
「大丈夫なわけないだろ、こんな訳の分からない状況に追いやられて」
半ば当たるように言葉を投げつける。
子供なんだから少し強気に出れば大人しく従うはず。探索なんて特に何も見つからなかった、甘いところがあるかもしれないから誰かもう一度見てきてくれで言い訳としては十分だ。
「いいか、俺に期待するなよ。何かあったらお前のことは見捨てて逃げるからな」
「えっ……」
「なんだよその目は。仕方ないだろ、殺しに来る奴がいるんだぞ。喧嘩もしたことないただの会社員に何ができるっていうんだよ」
「それは……そうですけど」
桜はその身と同様に語尾を小さくしていた。
世間では厄介なことに子供は守られるべき存在だと言われている。が、今はゲーム中で同じ参加者だ。立場に優劣など存在はしない。
「金なんてどうでもいいからもう家に帰してくれよ」
絞り出すように声を上げる。なんで自分なんだという怨嗟が止まらない。
普通に生きてきた。普通に生きて普通に人を騙し、普通にいいポジションで落ち着く。そんな自他ともに認めるちっぽけな人間をわざわざ選んだ理由はなんなのか。知りたい訳では無く、やり直しを要求したい。
死ぬのは嫌だ。それと同じだけ面倒に生きるのも嫌だった。
だから何も知らない小娘の言葉が癪に障る。
「い、一緒に頑張りましょうよ!」
「いやだよ、一人で勝手にやってろっての。今日も仕事があるってのに、帰ったら絶対怒鳴られるわ」
無碍に扱う。そうすればそうするほど淡い期待がしゃぼん玉のように破裂してしまうから。
益人の予想通り、しばらく言葉を選んでいた桜は、
「……とりあえず、探索してます」
その言葉が孕んでいたのは怒気か諦観か。どちらにせよ益人が返事をすることは無かった。
桜は一人部屋から出るとすぐ隣の部屋へと入っていった。
ガララと引き戸を開ける。視界に飛び込んできたのは暗闇だった。
「怖い……」
感情が喉を震わせていた。
部屋の中に明かりはないが廊下から差し込む光で殆どのものが視認できていた。
なにかの検査室だったようで狭い部屋には簡易なベッドと机、椅子。そして執拗までに破壊されているなにかの機械があった。
ボルトやプラスチック片、それに電気コード。何が使えるのか、何が使えないのかすら分からないでいた。
……頑張らなきゃ。
頑張る、頑張ると心の中で何度唱えても足は一向に動いてくれない。頼れる大人はいない、それでも望まれていることはあるのだから。
その時、なんの前触れもなく突然硬いものが地面にぶつかる音がして、
「ひっ!?」
桜は肩を跳ね上げてそのまま固まっていた。
次の瞬間、
「なんだ、まだそんなとこにいたのか」
「ひゃぁぁっ!」
耳元で囁かれた声につんざく悲鳴を上げていた。
そのままへなへなと膝をつく桜に、耳の中に指を突っ込んでしかめっ面をしている益人は、
「……漏らしたのか?」
「漏らしてませんっ!」
漏らしていない。それは本当だ。
デリカシーのない人。最低、しょうもない。様々な文句が頭を過ぎるが出てきた言葉は、
「……来てくれたんですね」
安堵の表情にかすかに滲んだ涙だった。
しかし、見上げた先にいる益人は軽く欠伸をしながら、
「おとりがいなきゃ襲われたときに困るだろ」
「おとり……」
「じゃあお前がどうにか出来るのか?」
「無理ですけど」
「自分にできないことを人に頼むなよな。それに二手に分かれればどっちかは生き残れるだろ」
それは彼なりの優しさなのだろうか、それともただの保身なのか。
不器用な人……
今はそれしか答えが出せなかった。
「ありがとうございます」
桜はゆっくりと立ち上がると、まだ震える足は地面をしっかりと捉えることが出来ず、そのまま倒れ込むように益人に垂れかかった。
「あれ?」
力が入らない。ちゃんと立とうとすればするほど深く体重を預けてしまう。
なんで……
訳が分からない。ただ異様な寒気に襲われているような震えが芯のほうから伝わってきていた。
頬に伝わる骨ばった硬い胸板から、大きく息が吐き出される。
「ガキが体温高いってのは本当なんだな」
「ははは……」
「無理してんじゃねえよ。誰だってつれえんだから少し休んどけ」
「でも──」
桜はそれ以上言うことができなかった。
頭に触れた手が、抱き寄せるように強く強く力を加えていた。
息苦しいほどに、されど人肌の温かさが身に染みて、
「お前が活躍するときは今じゃねぇだけだ。そん時に俺が楽できるように今は頑張るんじゃねぇ」
「……はい」
やっぱり不器用な人だ。
それがとても幸せで、桜はゆっくりと目を閉じていた。
「すみませんでした」
「別に」
ぶっきらぼうな返答に桜は微笑んで返していた。
抱き合っていた時間は十分程だった。だいぶ気持ちも落ち着いた後、桜は一度思いっきり抱き着いてから身を引いていた。
迷惑をかけた、ならば今からはそれを取り返す時間だ。
思えば少し恥ずかしいことをしていたと、場違いな頬の紅潮を振り払うように、
「さぁ、探しますよ!」
「おう、頑張れ」
「……一緒に探してくれないんですか?」
桜は上目遣いになって益人を見つめていた。
彼は基本的に誰かと目を合わせようとしない。いつも横を見てなるべく風景に溶け込むことを意識しているようだった。
それでもじっと見つめていると、
「……男って単純だな」
「何か言いました?」
なんでもねぇと驚くほど長いため息をついて部屋に入ってきた。
三畳ほどの部屋は狭く、また探す場所も限られているため大した時間もかからない。最初に見つけていた機械も、
「ここまで壊されてりゃなんにもなんねえな」
益人のその一言で捨て置くことに決まった。
一部屋、また一部屋と順番に見て回る。どの部屋も暗く、室内灯も電球が切れていたが廊下の灯りだけで十分中が照らせていた。
最初の部屋が空振りだったため期待が薄くなっていたが、軽く三部屋ほど見た結果、両手で持てない程度には雑貨が集まっていた。
中には水や菓子、袋に入ったパン。それに薬と茶色い瓶に入った薬品。果ては漂白剤とかかれた謎のボトルまで。
「それ、必要か?」
「……何かに使えたらいいなって」
桜も何にも使えなさそうだとは思っていた。それでもここに置かれているということは何か意味があると信じて、抱えていた。
「しかし、バックパックでもいいからなんか欲しいな」
両手いっぱいの荷物を椅子に置いて、背中を伸ばしながら益人がつぶやく。
連結された椅子が一方を向いて並んでいるそこは待合所のようなところだった。
床まで完全に固定されていて外すことはできない。多少の凹凸を無視できればソファーのように使うことも可能だった。
益人はそこに腰掛けて、戦利品の中から水の入ったペットボトルを取り出すと一気に煽る。
「飲んでいいんですか?」
「いいんだよ。連中がもっといいもん見つけて楽しんでたら悔しいだろ?」
グラスを掲げるように飲み口を突き出す益人に、桜はつい吹き出してしまう。
相変わらずのせせこましい考えが妙に安心する。
「じゃあ私も失礼します」
桜はそう言って益人の隣に座るとまだ空いていないペットボトルを手に取って口をつける。
ただのぬるい水が胃に入る感覚が心地よい。
「こんな感じで大丈夫ですかね?」
「さあな。でもこれ以上求められても困るぜ」
益人の言葉に桜も頷いていた。
やるだけやった、確かにそう言える。成果は微妙なところだがまだまだ時間は残っている。自分のペースを崩してまで突き進むにはまだ早いはずだ。
「ちょっと疲れましたね──」
一息ついて横を向くと、すぐ目の前に益人の顔があった。
「──えっ?」
なに、という前に口元を塞がれてそのまま押し倒されていた。