第34話 二日目 7:00-2
中には一つ、中央に掌程度の赤い革張りの箱があった。
それを手に取り、一周くるりと見渡す。ヘンテコな素材から作ったものにしては上品で、ベルトの先端に付いたスナップボタンで封がされていた。
パチンとボタンを外し、中から取り出したのは金属製のエンブレムだった。見る角度によってエメラルドやルビーのような光沢を放つそれは、男性の横顔を囲むように榊に似た植物が円を描いている。
見た目よりも重いなと思いながら眺めていると、
「良かったですね、タスククリア」
羨ましいのか、祝福しているのか判断に困る嘘くさい笑顔の和仁の顔を見て、
「これは何に使えんだ?」
益人は話を逸らしていた。
「トロフィーみたいなものじゃないんですか?」
そんな感想を後ろに流して、本を眺める。
目的の箇所は一番下に、小さく書かれていた。
「役に立たないって訳じゃないみたいだぜ?」
本をなぞるように滑らした指をあとからついてきた和仁と祐子が目で追っていた。
『アップグレード用』
「なんのですかね?」
首を傾げた和仁が疑問を問いかける。
本をもう一度最初から見てもアップグレードという文字も職人の頂を使うレシピも書かれてはいない。
……じゃあどうすんだよ。
出来ないのなら書く必要は無い。つまり出来るということだが、では何にという疑問が生まれる。
逆に言えばここに書かれていないだけで他にもレシピがあるということだ。
……だといいけどな。
自信はなくともトライアンドエラーするくらいの時間はあった。
しかし、とでは何をアップグレードするかで益人は悩む。
スマホは論外。生命線でギャンブルは出来ない。
銃火器、ナイフもない。見せ札以上の意味が無いためもったいない。
食料、却下。水と布もありえない。
となると……
益人はおもむろに手を伸ばして本を抱き抱える。その重量に身体の重心がぶれ、
「おっと」
「何してるんですか?」
前かがみになり堪えているところへ、和仁が支えようと手を伸ばしていた。
「レシピがねえのにアップグレードとか巫山戯てる本をぶち込むんだよ」
「えっいいんですか?」
問われ、益人は知らんと答えていた。
不安げに見守る彼を他所に昇降機に本とアップグレード用のアイテムを放り投げる。
ずんと昇降機は僅かに沈み、益人は乱暴に扉を閉めるとボタンを押す。
数秒後、ざりざりと言う音に、
あっ。
音の正体がわかった益人はほっと息を吐く。
シュレッダーのそれに似た音だ。実際どうなっているかは覗きたくない。少なくとも脱出のために使える代物でないことだけはよくわかった。
そして、
「ほらな」
電子レンジのような音を響かせて、昇降機に荷物が届く。
「よく気付きましたね」
「そんな難しい話じゃねぇからな」
そう言いながら、益人は扉を開け、中から幾分分厚くなった本を取り出していた。
腰に気をつけながら元の位置に戻すと中身を拝見する。
「対物ライフルにクレイモア、チェーンソーと。まぁ殺意の高いこと」
そこに書かれていたのは殆どが落ちている物とは比べ物にならないほど強力な兵器であった。それ相応に素材の要求は重いが、一強と言えるほどの破壊力があった。
しかし、
「武器は必要ないですよね」
和仁の言葉に頷いて返す。
今はまだ殺人が目的では無い。自衛にしても過激すぎるラインナップはなんの魅力も放っていなかった。
それよりも、相変わらず煙草がないことはいいとして、
「……薬でもあるかと思ったがそんな都合の良くはいかんか」
「そりゃそうでしょ」
その呆れたような物言いに目もくれず、益人は本を最初から見返していた。
タスククリアで得られる薬がここで一つでも手に入れば状況はかなり良くなる。薬があるならば一番可能性として高いと思っていただけに、
……甘くは行かねえよなあ。
と、益人はページを捲る手を止める。
そこにはスマホの絵が描かれていた。
「スマホの合成か。レシピは漂白剤とスマホでスマホの初期化だと」
「壊れそうですね」
その台詞に漂白剤をぶっかける図を想像して、あほかと和仁の頭を叩く。
「いたっ!?」
「くだらねえこと言ってんじゃねえ。それより探索続けんぞ」
ルール七 ゲーム参加者とは別に一体の殺戮者が病院を彷徨いている。殺戮者を殺してもタスクを達成とは見なされない。
ルール九 タスクが未達成でもSPを所持した状態で三人殺害した場合クリア扱いとする。またタスク終了後に三人殺害する度に追加で賞金が出る。
四階を探索していたのは春夏と源三郎の二人。
地図と明かりのおかげで探索は非常に早く進み、現在は五階に来ていた。
フロアは通路が一直線に伸び、その片側に部屋がある。もう片側からは外の景色が一望できるはずだがご丁寧にコンクリートで埋めた後があり、それは叶わない。
通路の両端には階段があり、五階の地図は渡り廊下から逆側の階段を上ったすぐの所にあった。
道中二つのルールの入った端末を見つけた二人は五階の地図で気になるものを見つけ、その場所へ向かっていた。
「礼拝堂か」
扉を開け、一歩踏み入れた源三郎が言う。
彼の視線の先には巨大なマリア像があり、その手前に少し低い教卓のようなものが置かれていた。
後は両サイドを本棚が並んでいて、他に目に引くものは無い。
「こういう施設もあるのね」
そそくさとマリア像に近寄る源三郎を眺めながら、春夏が感想を述べる。
そして置いていかれまいとぎこちない歩みで追いすがる姿に、
「傷は大丈夫か?」
今日何度目か分からない質問を春夏は受けていた。
「ええ、大丈夫よ。まだ引き攣る感じはあるけど」
それに虚偽なく答えると、マリア像の手前で立ち止まる。
見上げるほど大きいそれは祈るように両手を絡ませ、何処か厳かな雰囲気を纏っていた。作りは緻密にして精巧、なので、
……これ、壊されちゃうのよね。
ゲーム終了時この病院は爆破される。その前に回収する時間はないだろう。きっと量産品なのだろうけれど罰当たりだなと春夏は思っていた。
そして視線は下がって、手前にあるテーブルに流れていく。
正面、側面共に木の板が貼り付けられたそれは足がなく、天板にせり出している部分もない。棚のようにも見えるが一枚の煤けた白い布が手前と奥にわたって垂れ下がっていた。
その中央は切り抜かれていて、八角錐に浅く窪んでいる。
何かを嵌めてくださいと言わんばかりに主張が激しいそこを見て、
「これが祭壇よね?」
逆に怪しくなって春夏は尋ねていた。
「……だと、思うが」
自信なさげに答えた源三郎は指で窪みをなぞると、
「これは……宝石か?」
問いかけに、春夏は目を閉じていた。
記憶を探りながら、
「どっかで見た気がするんだけど……」
探索中に何処かで見た。それは分かっているのに詳細が思い出せない。
アイテムなら持ってきているはずだが拠点にもバッグの中にもそれらしきものはなかったと記憶している。
となると、見つけたけれど手に入れることが出来なかった可能性がある訳で……
「あっ」
突然の発声と同時に頭を上げた春夏は、そのままあーと長く喉を鳴らすとゆっくり視線を下げる。
最後には眉間を手で押え、項垂れていた。
「どうかしたのか?」
「いや、まあ……思い出したは思い出したけど、場所が悪いかなぁ」
春夏は苦笑すると、
「マーダーの胸元にそんな感じの赤い宝石があったの」
「マーダー、か。好都合というか仕組まれているというか」
「どういうこと?」
春夏が問うと、
「役職の説明にあっただろう。聖職者はマーダーに認知されないんだ。だから見つけさえすれば奪うのは簡単だろう」
「そういう事ね」
「ちょうどアドオンに居場所がわかるものもある。これで目処はたったな」
その言葉に春夏はそうねと頷いて見せた。
……危険だけど、やるしかないのよね。
あの大男を間近で見たからこそ、リスクを冒して欲しくない。しかしそんなことを言っている余裕もない。
もっと良い手は思いつかない。だから今は少しでも先延ばしにして万全の体勢を整える。
「次は私ね。でもあといくつあるのかしら?」
「探索を進めればいずれ分かるだろう」
そのためにできることはなんだろうかと、春夏は一人静かに頭を働かせていた。