第31話 初日 0:00-2
「交代の時間だ」
拠点に戻った颯斗は春夏の肩を叩いていた。
その揺さぶりに、んっと喉を鳴らした彼女は薄く目を開き、
「……ありがとう」
緩んだ表情のまま一言告げると、まだ夢の中にいる二人を起こして回っていた。
やることは終わったと、颯斗はそそくさと床に寝転がる。ベッドは他の部屋にあることにはあるが持ってくるわけにいかなかったので地面に直接寝るしか無かった。
衛生的とは言えない布を被り、目を閉じる。末端から心臓に疲労が流れ込んでくる感覚に気持ち良さすら覚えていた。
「ねぇ」
まどろみ始めていた時、颯斗の耳元を声がかすめる。
目を開けるもの億劫に思っていた所に、頭を軽く持ち上げられ、直後柔らかいものが頭の下に敷かれていた。
幾重にも重ねられた布だ。枕替わりに使えという意味だった。
「さんきゅ」
声からして春夏だと判断し、そう感謝の意を述べる。
それで終わりかと思っていたら、
「さっきのこと、私はあなたを悪いとは思わないわ」
「聞いてたのか」
「ちょっとだけ。眠りが浅くてね」
「ちゃんと寝とけよ」
子供っぽい所を見られ、気恥ずかしさから顔を背けていた。
春夏は朗らかな笑みを浮かべると颯斗の頭に手を置いて、
「ええ、ありがとう」
「……寝る」
「おやすみなさい」
その言葉と共に心地よく感じていた重さが無くなる。
それを女々しい奴と自嘲し、颯斗は意識を手放した。
「春夏さん、おはようございます」
遅れて拠点を出た春夏に座っていた桜が手を振っていた。
「ごめんね、私のせいで中途半端な感じになっちゃって」
「いえ、合理的だと思いますよ」
まだ眠いだろうに、桜は目を弓なりにしたまま答えていた。
しかし受け答えはしっかりとしていて、
……何か変わったわね。
ゲーム開始時とは違い、目に力があるように見えていた。
これなら大丈夫そうだと、春夏は視線をもう一人の女性に向ける。
「あなたも。無理しなくていいからね」
「だ、大丈夫です」
祐子は覚束無い返事を返す。
それを聞いて春夏は拠点から待ってきたペットボトルを差し出し、
「あまりお腹に物を入れると眠くなるから水だけだけどよかったら」
「ありがとうございます」
「明日も頑張らなくちゃいけないものね」
受け取ったペットボトルに口をつけず、見つめたまま、
「……どうにかなるでしょうか」
「どうにかするのよ」
春夏は両手を腰に当て気丈に振舞って見せる。
が、直ぐに腰を下ろし、祐子の目の前に顔を置くと、小さな声で呟いた。
「……なんてね、私も不安よ」
「そうなんですか?」
目を丸くする祐子に、
「どこか、全部が全部うまくいくなんて思っていたところがあったんでしょうね。一人セーフゾーンに置いて行かれた時、あぁこのまま死んじゃうんだなって思ったもの。悔しくて涙が出ちゃうくらいにね」
傷は浅かったが、独りという心細さに心が折れかけていたことを思い出す。
あのままだったら、二度と探索なんて出来なかっただろう。怖くて、誰かを巻き込んででも拠点に篭っていた気がする。
今も怖くない訳では無いが、守るべき存在を前に弱音は吐けない。
ただ一人、例外がいる。
……なんて、おばさんに思われてても迷惑、か。
十も年の離れた男子の姿を思い浮かべながら、
「でも颯斗のおかげでどうにかまだやれるわ。見た目で判断しちゃいけないわね」
「そうですね」
「きっと、明日も今日と同じくらい、いえ今日よりも過酷な状況になるかもしれない。それでも忘れないでほしいの、私たちは協力し合えるってことをね」
「……そうであってほしいですけど」
その声はどんどん小さくなっていく。
「不安なのはわかるわ。貴方は特に、まだなにも表示されていないしね」
上手く勇気づけられないことを歯がゆく思いながら春夏は話題を変えていた。
祐子はスマホを手に取って、
「裁判官ってどんな役職なんでしょうか」
「うーん。裁判をする、っていうのも訳が分からないし何より三日目までタスクが表示されない理由にもならないわね」
「そうですね」
「でもその時にはもうどうしようもないってことにはならないはずよ。そうじゃないとゲームとして成り立たないはずだもの」
多少の希望的憶測を混ぜつつ、春夏は笑ってみせる。
……きっと大丈夫。
祐子に向けて、そして自身にも向けて強く念じていた。
ようやく顔を上げた祐子はぎこちない笑みを浮かべていた。
「そう考えると気が楽になります」
「そのころには他の全員のタスクも終わっているか目途が立っているようにしたいからあなたに集中できるはずよ」
「……他の人、ですか」
急に話に入ってきた桜は物悲しげな顔で春夏を見ていた。
「どうかした?」
「いえ」
気のせいかと思うほど素早い変わり身で表情を引き締めた桜は、
「私も皆さんの役に立てるように頑張ります!」
「そうね、でも無理はしないこと。それだけは約束してね」
「はい!」
元気よく、子供のような笑みを浮かべていた。
「おっさんと二人か」
「そうだか?」
二回目の交代を終え、廊下で男性二人が向き合って立っていた。
自分より年下の男を捕まえておっさん呼ばわりする益人は、
……ヤバい。
一人静かに焦っていた。
外傷も体調不良も尿意も便意もない。あるのはただ、
煙草吸いてえ……
ただのヤニ切れだった。
ここまでは緊張感で考えることもなかったが、やることもなくある程度腹が満たされてしまったため考える余裕が出来てしまっていた。
一度吹き上がった欲望はなかなか消せるものでは無い。普段から一日一箱程度の消費という多くも少なくもない量だが、多感な時期から続けていたことだけに半ばルーティンとなっていた。
探索において酒や煙草といった嗜好品は見つかっていない。消毒用アルコールで代用する気はないし、カロリーバーの甘味は女性子供にはありがたいかもしれないが生憎と辛党。
……気が利かねえな。
この先探索し続けてもあるようには思えない。攻略において重要度の低いものは比較的見つかりやすいのにそれが見つかっていないのが証拠だ。
手に入らないとなれば欲しくなる。益人は小刻みに手を動かしながら、
「睨むなよ。別に他意はないんだ」
「そうか」
気を紛らわせるための会話せざるを得ない状況にいた。
「……どうみる?」
「質問が曖昧すぎる」
「悪かったな。他の参加者のことだよ」
言って少しの間が開く。
いちいち説明するのも面倒になって、察しの悪い源三郎にもイライラするようになっていた。
仏頂面の彼は、ひらめいたように顔を上げると、
「あの二人組の事か?」
「違う。今寝ているヤツら」
あーだめだ、と益人はペットボトルを逆さまにして大量の水を口に投げ込む。
口に何か入っている間だけは少しだけ冷静になれて、
「こんな状況なのに妙に明るいだろ。現実が見えてねえとしか思えねえからさ」
「過剰に不安がるよりかはマシだと思うが」
「颯斗はそこら辺見えてるから大丈夫だと思う。ただ他の奴がな」
先ほどのこともそうだが、精神的に未熟さが見える二人の顔が思い浮かぶ。
これはゲーム、されど現実だ。どちらかに意識が傾くのは仕方がないが、度が過ぎれば毒となる。
特に春夏は現実を意識しすぎているせいで過剰なまでに恐怖を感じていた。逆にあの二人はゲームであることの認識が強く、自分がどういう人間なのかが見えていない。
これ以上悪化しなければ春夏は問題ない。が、自分から状況を悪化させるとしたら無鉄砲なほうだと確信めいたものがあった。
「崩れたら早いぞ。春夏はそれを止めようとするだろうがあれは犠牲になるのも厭わないタイプだ。そうなったら被害がでかくなる」
「確かに」
「あんただってなんか隠してるんだろうけど、あんま周りに影響するようなことにはなんなよ」
「忠告感謝する」
「硬ぇな。だいたい良く言ってねえ相手に言う言葉じゃねえよ」
益人が鼻で笑うと、源三郎も小さく顔の表情を緩め、
「面倒くさい男だな」
「あんたよりはましさ」
冗談を言えるうちはまだ平気だな、と一人納得していた。
そして、夜が明ける。