92話:降臨
【天輪壁】内部、管制室
「アリアさん……」
無事に障壁を閉じたアリア達だったが、彼女達は部屋の端に追い込まれ、竜族に囲まれていた。
「……私が突っ込むから、あんたらだけでも突破しなさい」
「でも、それだとアリアさんが!」
イザベルの返事に対しアリアは首を横に振った。アリアにはそれ以上の案が浮かばなかったからだ。もはや自分達のすべき事は為した。あとはここから脱出するだけなのだが……。
「手こずらせやがって!! 死ね!」
囲む竜族達から、炎や氷、雷などの魔術が一斉に放たれた。
アリアはせめてイザベル達だけでもこの場から逃がそうと手に持つグレイブを振りかぶった、その瞬間。
「ふむ……やはり転移先の座標精度に難ありだなあ……ん?」
アリアの目の前に聞き覚えのある声を放つ中年男性が突如現れた。
「あれ、もしかして、タイミング凄く悪か――」
その中年男性がセリフを言い終わる前に魔術が殺到。爆炎と氷風と雷撃が渦巻いた。
「今の声は」
イザベルがそう呟いたと同時に粉塵の中から歩み出てきたのは、なぜか無傷なままの、その中年男性だった。
「やあ、会うのは初めましてかな? イグレスと呼んでくれて結構だよお嬢さん達」
それは赤髪を後ろに撫で付けた中年男性――イグレスだった。
「あ、あんたは!」
【迷宮宮殿】で出会った時の事を思い出したアリアが叫ぶ。
「……あいつは! あの男を殺せ!!」
イグレスの正体に気付いた一部の竜族達が怒声を上げた。
「やれやれ、竜族も随分と劣化したものだ。やはりあの頃の力を継承しているのは一部だけか」
イグレスはため息をつきながら、竜族へと右手を差し出した。
「悪いけど、時間がないんだ――【揺れ動く極小世界】
イザベル達でも可視化できるほどの魔力がイグレスの手から迸る。だが、その魔力波は竜族を通り過ぎるだけで何も起きない。
アリア達が何が起こったか分からずにいると――
「ギャアアア!!」
「目がああああ!!」
竜族達の身体から白煙が上がった。彼らの眼球がとろけ、灼けるような痛みに立っていられず床へと倒れ、悶え苦しむ。
しばらくすると、竜族全てが動きを止め――絶命した。
「な……にそれ」
アリアには意味が分からなかった。火が起きたわけでも雷が放たれたわけでもないのに竜族達はまるで身体の中から焼かれたような様子で死んでいったのだ。
あまりに未知で理解の及ばないその魔術にアリアは冷や汗が止まらなかった。あの魔術をこちらに向けられた時の対処を考えるも、何も思い付かない。
「心配しなくても俺は君達の味方だよ――今のところね。さて、最後の仕事がある。手伝ってくれるかい?」
そう言って、イグレスは微笑んだ。
☆☆☆
【天輪壁】、障壁上部。
「マーテル様!!」
上空で起きた爆発、そして赤い一閃を見たヘネシーが悲痛そうな声を上げると共に再び膨大な魔力を放出。半透明の巨人――【重星の巨王】が再び出現する。
「んで、次はどうするんだよ!!」
「上から降ってくるのあれを避けてからだ!!」
セインがレドの言葉を聞いて見上げると、撒き散らされた【欲災の竜星】の破片がまるで流星群のようにこちらへと降り注いできていた。
「……あいつを止めて、回収をしないと」
グリムにセインが呆れたような声で返す
「回収つったって、何をだよ。しかもあれだけの数だぞ?」
セインの言う通り、空一面に炎の尾を引いた流星が落ちてきている。爆発したせいで、王都周辺一帯の広い範囲に降り注ぐだろう。真っ二つになった星は二つの大きな破片に分かれ、一つは海へ、もう一つは王都郊外へと落ちていく。
「……大丈夫。回収すべきものはあいつが勝手に探して掴んでくれる。それを横取りすればいい」
グリムの視線の先で、ヘネシーが【重星の巨王】の両腕を空へと伸ばしていた。
「あいつ相手に横取りか……分の悪い賭けだな!」
「だがやるしかない。行くぞ」
セインを先頭に、三人がヘネシーへと走る。
「ああ、マーテル様……マーテル様」
星屑が降り注ぐ中、ヘネシーの慟哭が響く。【重星の巨王】が上空で優しく掴んだ物体がヘネシーの眼前へと重力を感じさせない速度でゆっくりと落ちてくる。
それは金属でできた、子供ほどの大きさのある円筒だった。リュザンの斬撃が掠ったのか、その表面が割れており、赤い粘液がこぼれている。
「あれか! 絶対に回収するぞ!!」
レド達がヘネシーへと剣を向けた。しかし、ヘネシーはその円筒を抱えたまま微動だにしない。
「セイン! さっきの技をもう一度放てるか?」
セインのあの風刃はなぜかあの無敵に見える【重星の巨王】に通用した。であればもう一度使いたいとレドは思ったのだが……。
「そう、連続でバカスカ撃てるもんじゃねえんだよ! 風を内部で圧縮するのにもうしばらくかかる」
セインの言葉を聞いて、やはりか、とレドは納得した。どういう構造までかは分からないがおそらくセインの魔力を使って義腕が内部で風を生成し、圧縮させているのだろう。ならば、当然連続使用は出来ないだろう。
「その時間を稼ぐしかないが……時間がないのはこちらの方だな」
レドは魔術で三人の頭上に迫る星の欠片を弾きながら、ため息をついた。
あの円筒を回収しようにもヘネシーのいる位置が絶望的に遠く感じるのだ。
距離だけで言えば大したことはない。全力疾走すれば数秒で届く距離だ。だが頭上からは人の頭部ほどの星屑から、ちょっとした小屋ほどの大きさの破片が降るなかを、ヘネシーと巨人の動きにも注視して進まないといけない。
だが――結果として、それは杞憂に済んだ。なぜなら……。
「マーテル……さあ……僕の中へ」
ヘネシーは手に持つ円筒を掲げるとその上部についている蓋らしきものを開け、中に詰まっている赤い粘液を飲み始めたからだ。
口から溢れたその赤い粘液で全身が濡れるのを気にせず、ヘネシーが円筒を傾けていく。
それはあまりに場違いで滑稽な光景に、思わずレド達も立ち止まってしまう。
「なにを……やって……いるんだ」
「止めないと……だめ……止めないと!!」
焦るグリムが走りだそうとする。
「何を止めるだって?」
「え?」
グリムの目の前に、真っ赤に染まったヘネシーが立っていた。瞬きする前は、離れた位置にいたはずなのに。
「黄昏が生まれる。世界は再びあの時代へと回帰する――」
ヘネシーがまるで小バエでも払うかのように赤く濡れた手を動かした瞬間に、グリムが突然横方向に吹っ飛んだ。
「っ!!」
ようやく反応できたセインが剣をヘネシーへと薙ぎ払う。
「――我らは竜の星となり」
ヘネシーが見もせずに指先一つでその剣を止めると、再び手を払った。動けずにいたレドの顔に血のような赤い液体が掛かる。
「は?」
たったそれだけでセインの剣が塵となり、握っている義腕も粉々に砕けた。同時に不可視の攻撃がセインを襲い、その意識をいとも簡単に刈り取った。
その場に崩れるセイン。遠くで身動き一つせず倒れているグリム。
「グリム! セイン! くそ!!」
血なのか何なのか分からない液体で顔がまだらに染まるレドが叫びながら剣を振るうも、それはヘネシーにとって、あまりに鈍い、攻撃とすらも呼べない動きだった。
「星の浄化が始まる」
「――かはっ」
レドは自分の胸部へと突き刺さるヘネシーの腕を見て、口腔に溢れる血の味に顔をしかめた。両手に持っていた剣が手から滑り落ちて、乾いた音を響かせてる。
レドにはなぜか、それがとても遠い場所で起こっている出来事のように錯覚した。
ヘネシーの五指が、自分の心臓をわしづかみにしているおぞましい感覚を最後に、レドの視界が黒く染まった。
「あはは……あはははははは!!」
心臓を潰し、血に染まった手をレドの胸部から抜いたヘネシーが笑う。
その喉から発せられたのは、なぜか女性の笑い声だった。




