74話:塔
合同訓練から一週間が経った。
ゴトランドが、つまり教師が一人死んだというのにその事件は何事も無かったかのように処理された。
まるで最初からゴトランドなんておらず、合同訓練なぞ無かったかのように。
レドは、リュザンが揉み消したのだろうと推測した。それが出来る立場であり、実際にその力もある。
騎士道の講義は廃止になるかと思いきや、生徒達の熱い要望により教師を変えて、継続する運びとなった。
その講師に抜擢されたのは、なんとレド達と一戦を交えたコリーヴとレッカンの二人だった。
ゴトランドと違い、常識的かつ模範的な騎士であるこの二人による講義は概ね好評だそうだ。
レドの冒険者学にも変化があった。ついに、依頼募集を始めたのだ。
合同訓練によって冒険者学とイザベル達の知名度は上がり、依頼はそれなりの数が来ているという。
どれを受けて、どれを断るか。その辺りもレドはイザベル達の自主性に任せた。何か根本的に間違った箇所があれば指摘する程度だ。
晴れて訓練場を使えるようになったので、週に2回ほど騎士道の生徒も交えて実践訓練も行っていた。
最近は、この時を狙って見学に来る者もいるほど人気が高い講義になり、冒険者学を受けたい生徒も増えているそうだが、レドはあえて誰も許可しなかった。
理由はいくつかあるが、ゴトランドが消えてなお、学院内には何か不穏な動きがある事をレドは察知しており、生徒も含め見知らぬ人間を立ち上げた冒険者ギルド竜学院支所の内部に入れたくなかったのだ。
こうしてレドは、イザベル達を通してようやく竜学院内部についての情報を集めはじめたのだった。
そして同時にレドは、もう一つの目標について動いていた。
レドがいるのは竜学院の訓練場より更に地下にある施設の一角。
「忙しそうですね。これが例の奴です」
材質不明の乳白色の壁と天井を魔光灯のオレンジ色が染める。コンソールや実験器具、モニターが並んだその部屋では、白衣を着た研究員がせわしなく何かの作業を行っている。一部の者は白衣の下に制服を着ているので竜学院の生徒なのだろう。
レドはガラス越しにその部屋を見つめて前に座る姉、カリスへと携帯デバイスを渡した。
「やることは山積みだよ。【天輪壁】の中枢解析がそろそろ終わるからね。そうなったら、何を報告して、何を報告しないかの選別作業が待っている。ま、解析作業自体はもう我々の手を離れた。このデータを解析する程度ならついでで済むから気にするな」
「すまないなカリス姉さん」
「解析自体は、私の部下にやらせるよ。今日紹介しようと思ったのだが生憎今は手が離せないようだ。まあ解析が終わり次第すぐに彼から連絡させるよ」
「助かります」
カリスは携帯デバイスを大事にしまうと、テーブルに置いていた少し冷めたお茶を一口飲んだ。
「さて……我が弟よ。相変わらず楽しそうな人生を送っていて何よりだ。よりによってあのリュザンと事を構えるとはね」
カリスは楽しそうに笑った。まるで良くやったと言わんばかりだ。
「構えていません……。向こうからすれば俺なんざただの三下冒険者ですよ」
「そうかな? しかし、シルル家が怪しい動きをしていると小耳に挟んだ」
「ゲニアさんからですか?」
カリスの夫であり、レドの義兄であるゲニアは【古き血】に名を連ねる大貴族だ。同じく【古き血】であるシルル家の動きも耳に入るのだろうとレドは推測した。
「そう。まあシルル家は大層怒っているようだ。次期当主を殺されたからな、面子が丸つぶれだ。まあそれだけなら良いんだがな……どうにも、殺したのはレド君だって事になってるみたいんだよねえ」
カリスは軽く笑って済ませたが、レドは、その言葉を聞いて目を見開いた。
「待ってくれ、姉さん! 俺が殺した事になっているのか!?」
「……ゴトランドをレド君が石化させたのを見た生徒は大勢いるが、リュザンによる処刑は誰も見ていないそうだ。更にあの合同訓練は、シルル家が全面的に協力していたようだから、奴らの手の者も見ていたのだろう」
「リュザンめ、あいつ肝心なところだけ隠しやがったな」
「……レド君。もはやマクラフィン家から離れた私が言うのも何だがね、アレを敵に回さない方が良い。シルル家もそうだが、リュザンだけは相手をするだけこちらが損だ」
カリスの真面目な助言にレドはため息を付いた。好きでやっているわけではないのに……レドのそんな想いの籠もった深いため息だった。
「まあ両親については心配しなくていい。アリアに頼んである」
「ああ、そういえば、合同訓練の際にアリアが助太刀してくれましたが、あれもカリス姉さんの差し金ですか?」
結局、あの後アリアから事情を聞こうとしたレドだったが、アリアは何も語らず去っていった。
久し振りの兄妹の再会だというのに。
だが、レドも実はホッとしていたのだ。
どんな顔で、何を話したらいいか正直分からなかったからだ。
「ん? いや、それは知らんな。アリアは……レド君には顔を合わせづらいみたいだぞ」
「まあ、お互いに顔もさほど知らないですけどね」
「それはレド君だけだよ……アリアはレド君に憧れて冒険者になって頭角を現して、Sランクまで駆け上がったのだから」
「みたい……ですね」
レドがまだ【聖狼竜】を追放される前、セイン達と各地を転々とし依頼をこなしていた頃、若い娘がランクを駆け上がっているという噂を聞いた時、最初に感じたのは嫉妬というより憐憫だった。
ああ、どうせどこかの貴族と冒険者ギルド内部の誰かに担がれた哀れな偶像だろうと。
若くてルックスの良い、有能な新人冒険者は時折そうして実力以上のランクにされる事があった。シースも辺境にいたからあの程度で済んだが、もしあれが王都であれば……。
しかしレドが王都に帰って、その冒険者を調べてみればそれはなんと実の妹だった。魔力写機によって撮られた写真が大々的にばら撒かれており、Sランク冒険者として、まるで英雄のように持てはやされていた。
顔すらもピンと来ない妹だが、血の繋がりはある。レドは関わりあってもお互いに良い事はないと判断し、わざと距離を置いていた。
その当時自分はまだAランクで、合わせる顔も、話す事もないなと考えていた。
「君達の関係に口を出す気はなかったが……両親の言葉を借りるなら『大変な時こそ兄妹姉妹みんな仲良く』、だ」
「別に嫌っちゃいないですよ。何ならこないだ会った時が初めての会話だったぐらいです。好きも嫌いもない」
「なら兄妹仲良くする事。これはマクラフィン家の長女としての命令」
まるで子供を叱る母親のような顔をするカリスにレドは笑ってしまった。
「分かってますよ。一度ゆっくり喋ってみます。まあ聞きたい事もあるし」
「仕事の話抜きでね。すぐに情報とか、裏とか、黒幕とかそういう話するでしょレド君」
「しねえよ。どんなイメージを俺に持ってるんですかカリス姉さん」
それをくつくつと笑うカリスにレドはまたため息を付いた。
「とにかく、今は敵を探すのも良いが、味方を作る事を考えた方が良い。どうにも怪しい動きがある」
「味方ね……」
「リュザンが表舞台に出てきたって事はそれだけの事が起きているって考えた方が良い」
「やれやれ……王都に帰ってきた途端厄介事が増えましたよ」
「レド君が厄介事を背負い込むのはいつもの事だろうが」
「それを言われると……反論できませんね」
レドは苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
☆☆☆
同時刻。
王都ディザルの冒険者ギルド本部。情報統括部門長であるミラゼルの部屋に来客があった。
その顔を見たとたん、ミラゼルは短くこう言い放った。
「帰れ」
「まあまあそう言わずに」
「いいから帰れ」
表情は変わらないものの、不機嫌そうな声を隠そうともしないミラゼルに来客である男がため息を付いた。
男は仕立ての良い服を着ており、金色の髪に緑色の瞳、柔和で整った顔立ちと、まさにディランザル貴族の典型的な見た目だった
男の名は、マドラ・ヴォス・エルデンシュラ。
彼もまた【古き血】の大貴族の一人であり、冒険者ギルドにも多大な援助を寄せている。ロアをガディスへと向かわせた一人でもある。
「そう露骨に僕を嫌うのはミラゼル君ぐらいだよ?」
「お前に関わるとロクな事がない。みんなお前が大っ嫌いだよ。口には出さないだけだ」
「先日の古竜事件、せっかく情報流してあげたのに、それはないでしょ」
拗ねたような声を出すマドラをミラゼルが睨み付けた。
「その情報のせいで、ややこしくなったのだろうが」
「そうだっけ? まあ君のとこの優秀な冒険者達が何とか解決してくれたから良かったじゃないか」
「マドラ、忠告しておく。これまでは大事ないと判断され捨て置かれていたお前達【黄昏派】だが……古竜の動きが活発となった今、私は危険視している」
「なるほど……良いの? それ僕の前で言っちゃって?」
にこやかに笑うマドラだが、ミラゼルも口角を上げた。
「知っていたからこそ来たのだろ? 今度は何を企んでいる? シルル家も巻き込んで何をする気だ」
「人聞きが悪いなあ……まるで僕が悪役で、黒幕で、諸悪の根源みたいな言い方じゃないか」
「……そうだったらどれだけ楽だったか」
「まあ、僕から言えるのは……君の危惧は素晴らしく正しいという事ぐらいだよ。君の大好きな冒険者君がとんでもない物を王都に持ち込んでいるみたいだからね」
「……レド・マクラフィンか」
「そうそう。彼もそうだし、彼の弟子ちゃん達も気を付けた方が良いね。ドラグーンを手放しにしておくほど【黄昏派】に余裕はない」
マドラの言葉に嘘はない。この男は本当に喰えないな……と心の中でため息を付いたミラゼルだった。
「伝えておくよ。お前の目論見通りな。用事は済んだろ? 帰れ」
「いやいや、肝心な事をまだ言っていない」
「ん?」
ミラゼルが、意外そうにマドラを見つめた。
その顔を見て、マドラが笑いながら、どこからともなく一輪の花を取り出しこう言った。
「これから……一緒に食事でもどうだい?」
色々なゴタゴタはリュザンさんが処理済みだったそうですが……。
案の定、いらんことしてるみたいです。
次話から少しずつ、物語が動いていきます