67話:バージェス家の母と娘
「しかしレド君も会わないうちに老けたな。一瞬誰か分からなかったよ」
「……カリス姉さんが変わらなさすぎるんですよ……化け物かよ……」
どう見ても20代にしか見えないカリスを見て、思わずレドはそう呟いてしまった。
「なんか言った?」
「いえ! 何も!」
カリスの言葉に背筋を正すレド。
イエリは空気読んだのかはたまたレドの心中を察したのか、では後はお二人でゆっくりと……といってそそくさと席を外した。
レドは作り物めいた笑顔を貼り付けたまま、自らの前に座り豪快にパスタを啜る姉――カリスの質問に答えていく。
「それでレド君なんでここに? 家出てからは冒険者をやってたんじゃなかったか? レドといいアリアといい、マクラフィン家は冒険者の名家になりつつあるな」
「あー、冒険者ギルドから派遣講師としてここに。ん? アリア?」
「なんだまだアリアに会っていないのか? まあいい、それより何を教えるんだ? あ、レド君ワインおかわり」
レドがカリスのグラスに白ワインを注ぐ。相変わらずこの姉は酒豪のようだ。レドがまだ実家にいた時もよくこうして飲みに付き合わされたものだとレドは思い出していた。
レドの実家であるマクラフィン家は一応ディランザル王国の貴族に名を連ねているが、決して裕福とは言い難く名ばかりの貴族であった。その証拠にマクラフィン家の者は貴族や王族の証である【貴名】と呼ばれる、名と家名の間に入るもう一つの名前を持たなかった。
王都の街外れで生まれ育ったレドには姉と歳の離れた妹がいた。妹であるアリアに関してはレドが16歳の時に家を出た後に産まれたのであまり家族という感覚はレドにはなかったし、顔も正直あまり覚えていないほどだ。
家を出て冒険者になってから実家には一切顔を出していないレドは父母が存命である事は知っていたが、意図的にそれ以外の事を知るのを避けていたのだ。
決して家族の仲が悪かった訳ではなかったが、父も母も幼い頃からその天才性を発揮していたカリスにばかり愛情を注いでおり、レドは良くも悪くも両親に縛られずに育った。そしてレドは幼い頃からカリスに振り回されており、レドが10歳の時、勝手に父の武器を持ちだしたカリスに無理やり【地下宮殿】に連れていかれ死ぬほど酷い目にあった事を今でもレドは覚えている。
それ以外にも様々な要因があるが、とにかくレドにとってこの世界で唯一天敵と呼べる者がいるとすればそれは――カリスだろう。
レドは既にこの場をどう切り抜けようとか、どうすれば利を得られるかなどの思考を放棄していた。この姉の前では、レドはSランク冒険者でも冒険者ギルドの講師でもなく、ただの弟でしかいられないのだ。
レドは自分のグラスにもワインを注いで、カリスの質問に答えた。こうなったら素直に喋るしかない。
「教えるのは冒険者学です」
「ああ、あの新しい奴か。くくく……しかしあのレド君が教師とはねえ……」
「……カリス姉さんが【塔】の所長兼ここの教師をやっているとは知りませんでした……」
もしレドが事前にその事を知っていたら、何が何でも竜学院への派遣は断っていただろう。
「アイゼン公にどうしてもと言われて三年前からね。好きに【塔】を使っていい代わりに非常勤講師をやれって。まあ良い暇潰しにはなってるさ」
「ゲニアさんは?」
「最初は渋い顔をしていたがね。ティアがどうせ入学するんだから母親がいた方が安心だろと説得したら納得してくれた」
「忘れてた……そうかティアももうそんな歳か」
「ああ。今年入学したばかりだ。レド君に会いたがっていたぞ。ふふふ、冒険者に憧れているみたいだが冒険者学は取っていなかったのか?」
レドの姉、カリスはレドの一つ年上の36歳だ。18歳で【古き血】の一つであり、遺術研究の大家であるバージェス家の次男、ゲニア・ハルキ・バージェスへと嫁ぎ、20歳の時に娘を一人産んだ。つまりレドにとって姪にあたるその娘がティア・ヘルメ・バージェスだ。
「そうか……バージェス家なら当然ティアを竜学院に入れますよね……。でも俺の講義にティアはいなかったですよ。いたら流石に気付きます」
「そうか。まあ私としては、ティアは冒険者だろうが研究者だろうが好きに生きれば良いと思うが、ゲニアが良い顔をしないからな。それで、チラッと耳にしたが【塔】に何の用だ?」
パスタを食べ終わったカリスがワインを煽りながらそう聞いてきた。
「ええ、実は……」
レドは素直に事情を全て話した。密かに盗聴防止の魔術を発動させているので、カリス以外に漏れる心配はない。
レドの説明を最後まで黙って聞いていたカリスだが、ワインを一口飲むと、グラスの縁を細い白い指でなぞりはじめた。レドは、それがカリスが思考にふける時の癖である事を知っていた。
「ふうむ……ウーガダール内のデータか……興味深くはあるが、劇物だな」
「ええ。おそらく【塔】でないと解析出来ないですし、外部に漏らしたくないんです」
「個人的には興味あるが……私の専門は解析ではないからな……信頼できてかつ解析が得意な奴を紹介しよう。しかし……それは個人で所有していて良い物ではないだろう。何より魔族も同じデータを持っているというのが厄介極まりない」
カリスの言う事はもっともだった。レドとしてもさっさと国やらギルドやらに渡したいところなのだが……個人的な興味と共に、今後の魔族の動きを知る為にもやらざるを得ない。
「魔族やら古竜と深く関わってしまって……自衛の為にも知っておく必要があると思いまして。内容さえ分かれば後はカリス姉さんに渡しますよ。好きですよね? こういうの」
「分かってるじゃないかレド君。ついでにその古竜やら魔族やらと会わせて欲しいものだな」
「いや、それは……」
「頼んだぞ。どうせレド君の事だ。また彼女達の方から会いに来るさ」
そう言ってカリスは目を細めた。
「止めてください……カリス姉さんがそう言うと本当にそうなるから、たちが悪い……」
レドとカリスは他愛ない世間話をして、別れた。
「レド、実家にも顔を出しておけ。話には出さないがレドの事を心配しているはずだ」
「……気が向いたら……多分」
最後にそう言って別れたものの、レドはどんな顔をして実家に戻ったらいいか分からなかった。
レドは自分の部屋に戻りながら、思考する。
結果として、【塔】の所長が身内だったと言うのは僥倖だった。今日話した限りでは、あの姉も昔に比べだいぶ丸くなっていた。
「とりあえずデータの方は目処が立った。後は……裏の動きがないか網を張るだけだな」
煙草を吸いながら夜空に浮かぶ月を見て、レドはそう呟いた。
なぜか、深い地の底から殺気を感じた気がして、レドは辺りを見渡すも誰もいない。
「気のせいか……? ふう……ちと疲れたな……」
それは決して気のせいではないのだが、結局レドは気にせず寮へと入っていったのだった。
☆☆☆
竜学院内女子寮の歓談室。
そこにはふかふかのソファやら調度品が置いてあり、数人の少女達が各々好きな事をしていた。
「あ、ティア! 冒険者学凄く良かったよ! なんでティアは来なかったの? あんなに冒険者冒険者言っていたのに」
歓談室に入ってきたパジャマ姿のイザベルが、ソファで拗ねたような表情で雑誌を読んでいる一人の少女にそう声を掛けた。長い茶色の髪に蒼い瞳。理知的な印象を受ける顔立ちはイザベルに負けないほど整っている。背は年ごろにしては低いが出るところは出ており、女性らしいボディラインをしていた。
「……知らない」
雑誌から目を上げず、そう冷たく返した少女――ティアの横にイザベルは気にせず座った。
「……? どうしたの?」
「……あたしもう選択講義受けない」
ティアが雑誌をテーブルに置いた。イザベルは昨晩、あんなに興奮して冒険者について語ってくれたこの友人の豹変っぷりに困惑していた。てっきり同じ講義だと思っていたが、いたのは自分を合わせて四人だけで、実は別教室があって自分達だけ隔離されているのではと疑っていたぐらいだ。
しかし寮に戻ってきて、意気消沈しているティアの姿を見てやはり冒険者学を取ったのはあの四人だけだった事をイザベルは確信した。
「冒険者学取ったんだよね?」
「……勝手に騎士道に変えられてた」
「え? 何それ!」
「知らないよ! 何度も先生に抗議したけど駄目だった。冒険者学は許可のある者しか受けられないから、許可無く受けた者は全員自動的に騎士道になるって説明だけ。ひどいよ! 騎士道の講義も最悪! 男子は早速受講生内で序列作らされたし、女子はチャンスすら与えられずに雑用だよ? 今時あんなの有り得ない!!」
ティアが怒りながら声を上げた。
「私は冒険者学の許可なんて取ってないよ? 他の生徒もそんな感じではなかったというか……無理やり選ばされた感があったかな? あの中で自ら冒険者学を選んだのは私だけだったと思う」
「なんで……? なんで受けたいと思う人が受けられなくて、受けたくない人が選ばれているの?」
涙目で睨んでくるティアにイザベルはどう返したらいいか分からなかった。
「私が先生に掛け合ってみようか? 多分一人増えるのは問題ないと思うけど」
「……本当? そうだよね……イザベルのお願いならなんでも通るもんね」
「そんな事ないよ?」
「そう思ってるのはイザベルだけだよ。だけど、お願い。あたし騎士道なんて絶対嫌だし……冒険者学受けたい」
ティアがイザベルの手を掴んで懇願した。イザベルとしてはこの友人の為に動くのは嫌ではなかったが、やはり自分が特別扱いされているという自覚がないせいで、本当にそれが可能か分からなかった。
それでも、イザベルは笑顔を浮かべ、頷いた。
「明日、先生に言ってみるね」
その言葉を聞いてティアは機嫌が直ったのか、イザベルへと質問を重ねた。
「そういえば、講師は誰なの? 現役の冒険者? どんな講義だった?」
「凄いよ! だってSランク冒険者だもん! 武器も凄かったし講義も面白かった! ふふふ、きっとティアちゃんも驚くよ」
「Sランク!? 誰!? もしかしてイリアさんかな!? Sランク冒険者が講師とか流石竜学院!」
「レドって人だよ!」
「え? レド?」
その名を聞いて、ティアは目を丸くした。
「うん」
「レド・マクラフィン?」
「うん。流石ティアちゃん良く知ってるね!」
「うん……その人ね……あたしの叔父だし……えへへ」
「ええ!?」
今度はイザベルが驚く番だった。ティアの身内には凄い人が沢山いるのは知っていたが、まさかSランク冒険者が二人もいるとは知らなかった。
「レド叔父さんか。何というか凄く納得の行く人選かも……イリアさんはそういうのしなさそうだし、他のSランクは人に教えるとか出来なさそうだし」
「うん、なんかね、流石Sランクって感じだった」
「レド叔父さんかー久し振りに会うから緊張するなあ……」
少しだけ頬が紅潮しているのを見て、イザベルは何となく察して、にやにやしていた。
その後二人は、冒険者や講義について夜遅くまで語り合ったという。
だが結局ティアの選択講義変更は、イザベルの健闘むなしく叶う事はなかった。
おそらく誤字? って一瞬思う部分がありますが、誤字じゃないです。一応、念の為……。
というわけでちょっとだけレドさんの家族のご紹介でした。基本的にこの世界でミドルネームがあるキャラは王族貴族もしくはそれに類する立場の家と思ってもらって大丈夫です。
レドさんのパパママはたぶん作中に出てきませんが、ごく普通の人達です。ただ、三人の子が全員、優秀な点を考えると、おそらく才能はあったのでしょうね。才能があっても、ごく普通の人生を送れたレドさんパパママが一番凄い人達なのかもしれませんね。その辺りについてはまたレドさんから語ってもらおうかと思います。
次話は8月3日(月)でっす!
みんな暑さには気を付けろよ!
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