63話:イザベルとリサ
「ようこそ【王立竜学院】へ……レド先生」
シースと宿屋で別れ、竜学院の門の前に辿り着いたレドを待っていたのは、膝まで丈のある、ボタンがたくさん縦に並んだ黒い上着を着た中年男性だった。
既に夜の帳は降りているが、10m間隔で置かれている魔照灯によって竜学院前の道路は明るい。門は閉じており、竜学院の生徒らしき姿も見えない。
レドがその中年男性に近付き、頭を下げた。
「夜分遅くに訪れてすまない。もしかしてずっと待っていたのか?」
「いえいえ。到着するおおよその時間は把握していましたから。それに最近は門限を破る生徒が多いので……」
「なるほど、門を見張っていたと」
「そうです。おっと自己紹介が遅れましたね、私はイエリ・サン・バージェス、一応ここで教頭をしています」
そう言って中年男性――イエリがにこやかに笑いながら、優雅な所作で手を差し出した。
「レド・マクラフィンだ。若輩者だが、明日より冒険者ギルドからの派遣講師として世話になる」
レドも笑いながら、イエリと握手した。
笑いながらもレドはイエリを観察する。バージェス家といえば、【古き血】と呼ばれるディランザルの大貴族の内の一つだ。所作や動きに粗雑さが一切なく、故にレドでも一見するとただの貴族にしか見えない。
剣を振っているような感じもないし、かといって魔術師特有の間合いの詰め方もない……純粋に能力と家柄で教頭になったのだろうか? レドは色々と予想をしつつもやはり、何も読めなかった。
しかしそこで、レドは心の中でため息を付いた。会う人全員をそうやって穿って見ていたらキリがないという事に気付いてしまったのだ。油断はしないがあまり最初から疑っていくのは良くないかもしれない。
そんなレドの思考を読んだのか、イエリは苦笑した。
「一応形式上、レド先生は私の下という事になりますが……Sランク冒険者に上司づら出来るほど私の胆は太くありません。立場はあまり気にされずに接してくだされば助かります」
その言葉が本音なのか建て前なのか……。レドは化かし合い、腹の探り合いは嫌いではないし、むしろ得意分野なのだが……今は立場が違う。一介の冒険者ではなく、冒険者ギルド本部のいわば代表としてやってきているのだ。あまり尖っていては具合が悪いだろう。
レドは竜学院内では少しだけ、あえて警戒を緩める事にした。
敵は作らないに越した事はないし、外聞も良くしないといけない。
「いや、こちらも見ての通り粗暴な冒険者だ。至らぬところがあれば遠慮なく言って欲しい。Sランクも大袈裟な飾りみたいなもんだからな。もしかして髭は剃った方が良いかな?」
レドが無精髭を撫でながら冗談めかして言った台詞に、イエリが笑った。
「いえいえ、大丈夫ですよ。どうもレド先生は他のSランクの方々とは少し性質が違うようですね。ああ、勿論良い意味で、ですよ?」
それに対して、レドは笑みを浮かべた。
「……心当たりが色々とあるので、コメントは控える。追放されるのはもうこりごりでね」
「おっと、私の今の発言は内緒にしててくださいね? 冒険者ギルドに睨まれるのはこちらも具合が悪いですから」
「勿論だ、イエリ教頭」
ふふふ、と悪い笑みを交わす二人。
「では、今日は遅いですから、学院内の寮にあるレド先生に使っていただく部屋へとご案内します。食事については食堂を利用してください。あと、これを部屋に用意している教師用の制服に付けておいてくださいね」
そう言って、イエリは銀で出来た小さな紋章をレドへと差し出した。それは剣と杖が交差する下で竜が吼えている紋章で、見ればピンが付いており服に付けられるようだ。
「本学院で、教師用の制服と共に教師である事を示す物です。お手数ですが、学院内では常に付けていてください」
そう言ってイエリが黒い上着の左胸の上辺りに付いている紋章をレドに見せた。
明日からはあの黒い上着を着ないといけないようだが、服装に無頓着なレドは動きにくくなければ何でも良かった。
「ありがとう」
レドは受け取った銀の紋章を腰のポーチへと仕舞った。
「では、参りましょう」
「よろしくお願いする」
門が音も無く自動的に開き、二人は中へと進んで行く。淡い魔照灯に浮かぶその建物は、学校というよりも城と形容するにふさわしい姿だった。
囲うように立つ城壁や所々から突き出ている尖塔が、ちょっとした小国の城よりも立派である事を物語っている。
世界一と謳われる教育機関――【王立竜学院】。その噂や逸話は色々とレドも聞いた事はあるが、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。
春の夜風が吹き、レドが後頭部で縛っている髪を微かに揺らした。
その姿を影から覗いている存在がいた事に、レドは最後まで気付かなかった。
☆☆☆
竜学院は主に四つの建物で構成されていた。門から見て正面にある最も大きな建物が竜学院の本校舎。一番上には学院長の部屋があり、その下に教員室、地階には式典の際に使用する大広間などがあった。
本校舎に向かって左右に講義棟があり、右側が東棟、左側が西棟と呼ばれている。講義棟は本校舎といくつかの通路で繋がっており、主な授業はそこで行われていた。そして本校舎の裏手に生徒と一部教師が住まう寮があり、食堂や購買などがある。
そんな竜学院東棟の影に隠れるようにして、過ぎ去るレド達を観察する二人の人物がいた。
「今、教頭と一緒にいた人誰だろ……リサ知ってる?」
そう小声で呟いたのは、この竜学院の生徒用の制服――黒を基調とした白のワンポイントが入っているスカートと薄い青色のブラウス、スカートと同じ色のジャケット――を身に纏った白い肌の美しい少女だった。後頭部には月光のように煌めく銀色の髪が優雅なシニョンとなってまとまっている。意志の強そうな眉に、瞳と唇は薔薇のように赤く、濡れている。
彼女はなぜか両手首から伸びる、両手の甲側だけを覆う曲線的で繊細なデザインをした手甲を装着しており、そこだけが制服姿から妙に浮いていた。
「どうせ、新しい教師かなんかですわ。んな事はどうでもいいので早く帰りましょうやイザベル様。もうあの黒猫は逃げやがったですわ」
銀髪の少女――イザベルにそう答えたのは妙な口調で喋るメイド服を着た少女――リサだった。仕立ての良いメイド服を着ており、ボブカットの茶髪の上には狐のような耳が揺れている。良く見ればスカートの中にはモフモフの尻尾が見えた。
彼女は、このエウーロ大陸の東側に住んでいる亜人種である獣人族――セリアンスロープの血を引いており、ディザルではさして珍しい姿ではない。既に純血のセリアンスロープはほとんどおらず、人や他の亜人との混血である事がほとんどだ。エウーロ大陸は現在、南に行くほどドワーフやセリアンスロープ、といった亜人種の人口が少なく、辺境一の街であるガディスですら、亜人種はほとんど見掛けなくなったのだ。
そんなハーフセリアンスロープとでも言うべきリサの顔はイザベルに負けず劣らずに整っているが、妙に目付きが悪く、威圧的な雰囲気を纏っていた。16歳であるイザベルはその年ごろにしては平均的な身長と胸囲だが、それに比べリサは背も高くそして胸も大きかった。
「ただの教師かな? あの歩き方とか周囲を見てる様子、それに腰にぶら下がってた剣! あれ、凄い銘品よ! あんなの持ってるぐらいだもの、絶対に只者じゃないわ」
「出たよイザベル様の武器オタク……。良い剣を持ってるやつなんざこの学校に腐るほどいやがるでしょうに」
「違うわよリサ。それは違う。武器は自分を着飾る為の物じゃないし、ましてや飾っておくだけなんてもってのほかよ! 使い込んでこそ、武器は輝くの。良い? どんな名工が打った美しい武器でも、使われなければそれだけで良い武器たり得ないの。長年使い込まれてついに折れてしまった量産品のロングソードの方がよっほど良い武器よ! そういう意味でさっきの人が持っていたあの二振りの剣は幸せ者よ……ふふふ、気になるなあ、教師だとしたら何を担当するのかな? 近接用の曲剣と魔術触媒っぽい短剣。剣士とも魔術師ともとれるし……」
「あたし、先に帰りやす。ごゆるりとですわ」
早口で興奮気味に喋るイザベルに呆れたリサがくるりと背中を見せて、スタスタと寮の方へと歩いていく。
「あ、ちょっとリサ、置いていかないでよ! もう!」
慌ててイザベルはその後を追い掛けた。
「イザベル様、それより来週から始まる選択講義は決めやがりました?」
追い付いてきたイザベルにリサが聞いた。
リサはイザベルの付き人なので、彼女自身は厳密に言えばここの生徒ではない。なので入学したばかりの一回生であるイザベルが来週から受けなければならない選択講義については、リサ自身には関係ない話だ。しかしこの主人は優秀な癖に抜けているところがあるので付き人として注意しなければならないのだ。
「んー迷ってる。魔術理論も気になるけど、やっぱり鉱石学の方がお父様は喜ぶ気がするし……」
「ま、鉱石学が無難ですわ」
「なんか今年から新しい講義が増えるんだって。なんだっけ、騎士道と……冒険者学? だったかな。騎士道はともかくわざわざこの学校来て冒険者目指す人なんているのかな?」
イザベルが疑問を口にした。
「イザベル様は知らないかもしれねえですが、それなりに名の通った冒険者がここの卒業生だったりしやがります。例えばSランク冒険者の【雪薙ぎのイリア】とか【黒穿ちのディル】とか【聖女エレーナ】とか」
「あーなんか聞いた事ある。そのイリアって人が人気なんだっけ? 男子がなんか興奮して語ってような」
「Sランク冒険者は【血卓騎士団】の王国騎士と並んでディザルでは人気者ですわ」
「あー。王国騎士ね……あいつら嫌い。偉そうだし……絶対に騎士道の講義だけは取らない」
イザベルが何か嫌な事を思い出したのか苦い表情を浮かべた。
「いずれにせよ、王族、貴族、豪商の子息子女ばっかりなこの学校で冒険者学なんて馬鹿げてますわ」
「まあ、みんなどっちかと言えば王国騎士を目指すもんね……冒険者は平民や貧乏人がやるもんだって馬鹿にして」
「そういう事です……そもそも誰が冒険者学なんて教えやがるのか……謎ですわ。高ランク冒険者なんて国レベルの依頼で忙しいでしょうし低ランク冒険者なんてどんな素性か分かったもんじゃねえです……あっ」
リサは喋っている途中である事に気付いてしまい、口をつぐむ。しかしその言葉を聞いてイザベルは立ち止まってしまった。
「そうか……新しい講義だから、当然新しい講師が来る可能性がある……」
「イザベル様! さっさと帰って飯にしましょうや!」
ブツブツと呟いて考え込むイザベルを見て、リサは慌てて話を逸らそうとした。
「分かったわリサ!! さっきの人の正体が!」
「っ! はい? 何のですか?」
とぼけるリサに構わずイザベルが思い付いた考えを語った。
「さっきの二刀流の人! きっとあの人が冒険者学の講師よ! そうに決まってるわ!」
「……ぜってー違うので、絶対に冒険者学を選ぶなんて馬鹿な真似をしや――」
「そうと決まれば冒険者について調べないと! まずは、詳しそうな子に聞いてみましょ!」
脱兎の如く駆けていくイザベルに今度は置いて行かれてしまったリサ。
「しまった……余計な事を言わなければ良かった……」
普通の口調に戻ったリサが既に小さくなったイザベルの後ろ姿を見て後悔する。
リサはあの男が冒険者であり、かつかなりの実力者である事を実は見抜いていた。
なので、途中であの男はもしかしたら冒険者学とやらの講師であるかもしれない事に気付いたのだが、それを言ってしまえば絶対にイザベルが興味を持つので言わないようにするつもりだった。
しかし、会話の途中でイザベルは自力で気付いてしまったようだ。こうなったら、誰もイザベルを止められない事をリサは良く知っていた。
「なんだか……凄く嫌な予感がする……しっかりと見ておかないと」
夜空を仰ぎつつ呟くリサ。
淡い光を放つ三日月と東の空に怪しく輝く赤い凶星だけがその呟きを聞いていた。
武器ヲタお嬢様とケモミミ似非お嬢様口調メイドという属性モリモリな新キャラが登場! これは完全に作者の趣味ですねえ! あとレドさんが次話から着る竜学院の教師用制服の上着は……長ランではないです。いいですか? 決して長ランではありません。例え見た目が類似していても違います。ちがいまry
作中でも軽く触れましたが、現在大陸南部に亜人種はほとんどいません。これには事情があり、また作中で詳しく触れるのですが、簡単に言えば亜人種だけの国が大陸北東部に出来つつあり、皆そちらに移民したといった感じです。王都に関しては一定数いますので、亜人種自体は珍しくありませんが、やはりそれぞれのコミュニティを独自に形成していますね。
新しい章は補足が多いね! 大事な事は作中でも必ず触れるので後書きは飛ばしてもええんやで!
次の更新は7/24(金)の18時を予定しています。
次話からレドさんの教師生活がはじまります。新キャラも色々出てきますが、どいつもこいつも癖が凄い!(ノブボイス)
お楽しみに!
感想も超スーパーマックスお気軽にどうぞ。必ず読んで返信します!




