60話:人はそれを神話と呼んだ
エギュベルに言われ、地底湖から離れた場所まで避難していたロアとヨルネの目の前で、それは起こった。
世界が震えた。そう錯覚してしまうほどの揺れが空間全体を襲ったのだ。
そして、塔を囲むように建てられていた円状の建造物――吸水殻がゆっくりと回転を始め、機構を発動させた。ウーガダールが沈む地底湖に巨大な渦が発生していく。
渦が中央塔を中心に起きており、そして段々水位が下がっていった。
「あれが、ウーガダールか……」
「考えられないほどの……魔力震だったわ……レドさん達は大丈夫かしら……」
「エギュベルは大丈夫だと言っていたが……それより……」
ロアは見た。
渦から飛び出してきて、宙に浮いたまま神殿を見下ろしている小さな影を。
そしてまだその影は遠くに居るはずなのに、はっきりとロア達に聞こえるほどの大音量で叫んでいた。
「アアアアアアアアア!! エギュベルがアアアアアアアアアアアア!!!!」
それは、アルドベッグだった。
しかし、その身体は崩れかけており、辛うじて人の形を保っているに過ぎなかった。
アルドベッグが絶叫しながらボロボロの手を徐々に水が減っていく地底湖に向けると、水がアルドベッグの方へと吸い取られていく。
まるで意志を持っているように見えるほど不自然な動きで、大量の水が分断されていく。一方はウーガダールへと吸われ、もう一方はアルドベッグへと集まり、彼女を包んでいく。
それはこの空間に浮かぶ月のようだった。大量の水がアルドベッグを中心に集まり、球体となっていった。
徐々に回転を緩めるウーガダールの吸水殻が止まると、世界に静寂が戻った。
地底湖はすっかり空になっており、ぽっかりと空いた穴の中に神殿が佇んでいた。
「……何がどうなるの」
これまでに経験した事のない現象の連続でヨルネは理解が追い付かなかった。
何より、隣のロアが。あの、古竜だろうが何だろうが平気で喧嘩売るような奴が、震えている事にヨルネは気付き、更に不安を加速させた。
「……分からない。だが、間違いなく……これから起こる事は……神話と呼ばれる類いの物だ」
そのロアの言葉は――まもなく真実となる。
☆☆☆
水が引いたと同時に昇降機へと乗ったレド達は、中央塔の入口まで戻っていた。あの外周にあった建造物は全て下部へと沈んでおり、中央塔から地底湖だった穴の縁へと一本の橋が架かっていた。
「脱出用の橋だ。緊急時にしか使えないんだが……まあシステムにはあれが緊急事態と判断されたっぽいな」
エギュベルがそう言いながら、神殿上空に浮かぶ水の月を見た。
「まだ……アルドベッグは生きていますね。というより、なんか……より……鮮明になっていくというか……師匠、僕……怖いです」
シースは右手が震えるのを必死に左手で抑えていた。
「悪あがきだな。まあそう来るだろうとは思ったが……思ったよりもダメージは受けているみたいだな」
水の月とその中心にいるアルドベッグを見つめて、エギュベルが目を細めた。
「よし、お前ら。来た道は覚えているな? さっさとそこまで避難しろ。んで出来れば振りかえらずにそのまま街に戻れ」
「貴女はどうするんだエギュベル」
レドが一歩前に出てエギュベルへとそう聞いた。
「はは、あの馬鹿と旧交を温めるつもりさ」
「……なるほど、巻き込まれるな、って事か。行くぞお前ら! ここは絶対に危険だ!!」
そう言って走り出すレド。イレネ達もその後ろについていく。
シースだけがその場に残り、エギュベルへと話しかけた。
「エギュベルさん……」
「そんな声を出すなよシース。まるであたしが絶望的な戦いに赴くみたいな感じじゃねえか」
「……リカールさん達に言われたんですよ。エギュベルさんが無茶しないように見張っとけって」
「あいつら……帰ったらしばいてやる。心配すんな。ずっと眠ってたあいつとあたしじゃあ……もう何もかもが違うんだ。ほら、師匠に置いていかれるぞ」
「エギュベルさん……また後で」
「……ああ、また後でな」
それだけを言うと、シースがエギュベルへと背を向け、レド達の後を追った。
「あんな、がきんちょに心配されるとは……エギュベルさんも焼きが回ったかねえ……お互い、歳は取りたくないよなあ……アルドベッグ」
そう言って、エギュベルは上空に浮かぶアルドベッグへと視線を向けた。
まるでそれに答えるかのように、水の月の表面がうねり出し黒く黒く濁っていく。その中で、何か巨大な影が蠢いていた。
「さてと……この場合は盟約違反にはならないから……セーフ……だよな? ははっ、久し振りだな、本気出すのは」
エギュベルの嬉しそうな声が響いた。
☆☆☆
橋を渡りきったレド達は言われた通り全速力で大灯台地下へと繋がる通路へと駆けだしていた。
「なんか後ろから凄い魔力波を感じるんですけど!!」
「はい、嫌な予感が凄くします!」
「振り返らない方が良いと思うぞ」
「とにかく、早く離れないと!」
それぞれが思い思いの言葉を吐きながら走る。
行きはトカゲ達に襲われたせいで時間がかかったが、まっすぐ邪魔もなく走れば、あっという間にあの巨大な扉があった場所へと戻って来れた。
そこには、ロアとヨルネが立っており、あんぐりと口を開けてレド達の来た方を見つめていた。
「お前ら! 無事だったか!」
レドの声にしかし、二人は答えない。
「エ&%$&%$ギュ&%$&%$&ベル&%$&%!!」
代わりに、耳をつんざくような咆吼と、ビリビリと肌を粟立たせるような感覚がレド達を襲った。
そこで初めてレド達は振り返り、それを目にしてしまった。
そしてロア達と同じように口を開けて、ただその光景を見つめる事しか出来なかった。
「……はは、あんなモノと、戦おうとしていたのか俺達は……」
レドの乾いた言葉と、その視線の先には、巨大な竜が二体存在していた。
遠近感が狂ってしまうほど、巨竜。
地底湖の穴の縁に立っているのは青と白の鱗を纏った竜。まるで背びれのような翼が一対生えており、下半身にはタコかイカのように大量の触手が生えている。その一本一本が、巨大な丸太のような太さで、不気味にうねっていた。
もう一方の竜は赤と黒の鱗で覆われており、よくいる四足歩行の竜に近い形だが、よりスリムで、背中には巨大な翼が生えていた。二足歩行しており、人間に近いような姿で器用に神殿外周部の建造物に立っていた。
赤竜の頭部の後ろ向きに生えた角がレドには王冠のように見え、一瞬【竜王】という言葉が思い浮かんだ。
「……あれが古竜か」
ロアの苦々しい声と共に、赤き竜王――エギュベルの咆吼が空間に響いた。
「ギャ%&$&%ルアア&%$%&アアアアアア!!」
エギュベルの手に現れたのはその姿相応に巨大な黒炎を纏った剣だった。燃えさかる黒炎剣を振りかざしつつエギュベルが飛翔。
その羽ばたきによって生じた風がレド達まで届いた。
エギュベルの動きに反応した青い触手竜――アルドベッグが一際太い触腕を二本掲げた。
尋常ではない魔力が放たれ、一瞬でアルドベッグの前に濁った水によって出来た大波が生成された。それは巨大な竜ですら戦闘を行えるほど広いこの空間の天井まで届く大波で、それだけで街一つが沈みそうなほどの質量を持っていた。
「【暗渦竜アルドベッグ】は、嵐と大波と共に現れ、街を沈めたという。そうか……あれが……」
ロアは秘匿されていた古竜の伝承が実際に目の前で起こっている事に驚愕していた。
この空間はすり鉢状になっている為、アルドベッグの発生させた伝説の大波――【暗渦濁浪】がレド達に届く事はなかったが、いとも簡単にウーガダール神殿を飲み込み、中央塔が悲鳴を上げながら塔半ばで折れ、濁流に呑み込まれていく。
空中にいたエギュベルは手に持つ黒炎剣を一閃。大波はその剣閃に触れた瞬間に蒸発しエギュベルの前だけ、不自然に大波が消えた。
その大波がこの空間の天井と床を繋げていた柱をも次々と折っていき、レド達が見上げれば天井が崩れ始めていた。
こうして破壊の限りを尽くした大波は闇色の渦となり地底湖の穴へと吸いこまれていく。同時にエギュベルがアルドベッグへと肉薄し、黒炎剣をアルドベッグへと突き立てた。黒い炎で燃え上がるアルドベッグだが、それに怯まず、触手でエギュベルへと巻き付いていく。
それはかつて、古に生きる人が見たという神話と呼ばれる光景だった。
「このままだと、ここも崩れるな」
あまりに現実離れした戦いを目撃したレド達を現実に引き戻したのはパラパラと落ちてくる天井の欠片と、ところどころの天井から滝のように落ちてきている水だった。
「ここの上が大灯台だとすると、向こう側は……海の下だ。崩れたらここも沈むぞ!」
「脱出しましょう師匠! 僕らに出来る事はもうありません」
シースの言葉に全員が頷いた。
レドは、絡まれながらも口からまるで光線のような炎を吐いて触手を焼き切っていくエギュベルの姿を目に焼き付け、背を向けて大灯台の地下へと走り始めた。
大灯台地下の螺旋通路を登っていく途中で、下の方から大量の水が蠢く音が聞こえ、レド達はいっそう足を速めた。
そしてようやく着いた大灯台出口を飛び出したレド達を待っていたの眩しいほどの朝日。
「レドさん!!」
「レド! 無事か!」
すぐ外でハラルドのその部下達とエミーがレド達を出迎えてくれた。
見れば、大きな波が来たのかガディスの海岸沿いは水浸しになっている。
「地下で何が起こっている!?」
怒鳴るハラルドにレドが怒鳴り返した。
「海底が崩れるぞ! この大灯台も危ない! すぐに中央区まで住民も避難させろ!」
その言葉と同時に地響きが鳴り、全員が海から離れるように走り出した。
「住民の避難は済んでいる! しかし何が起きているんだ! 例の神殿は!? 魔族は!?」
「全部後でゆっくり説明してやる! 今はとにかく逃げろ」
レド達の後ろで大灯台のあった場所が轟音を立てながら崩れていき、大灯台が海へと飲み込まれていく。
海のそこかしこに巨大な渦が出来ており、港に泊めてあった船やら大波で引き寄せられた瓦礫やらが吸いこまれていく。
建物がある部分まで走ったレドが背後を振りかえると、海の水位が低くなっておりまだ渦が残っている。だが地響きは消え、崩れも収まったので、レドはようやく全てが終わったかと安堵しかけた。
「師匠、あれを!」
シースが指差す先、丁度渦が発生していた辺りで巨大な水柱が上がった。そこから現れたのは――アルドベッグだった。
「くそ、生きていたのか!?」
レドは、もしあれが襲ってきた場合にどう対処すべきか考えたが、どう足掻いてもこの戦力では止められないという結論しか出なかった。
だが、レドの心配は杞憂に終わる。
なぜならアルドベッグはぐったりとしており、生きているのか死んでいるのか分からない状態で、一本の巨大な剣に串刺しにされていたからだ。
アルドベッグを下から串刺しにしたまま空へと舞い上がったのは赤い竜王エギュベルだった。
エギュベルが一瞬視線を街へと寄こすと、アルドベッグを突き刺したまま西の空へと飛び去っていった。
「ふう……今度こそ……終わったな」
レドは思わずため息をついてしまった。
「はい……師匠……なんだか……疲れました」
シースがそれに途切れ途切れ答え、壁際に座り込んだ。
「流石にあたしでもこれはしんどいわ……」
「疲れた……」
「私もまだふらふらしますね……」
「……もう私……二度と遺跡には潜らない……」
疲れ切ったイレネ達やヨルネも地面へとへたり込んだ。
まだ元気そうなロアもこの時ばかりは黙って、西の空を見つめていた。
レドは壁へと寄りかかって、ずっとポーチに仕舞っていた煙草に火を付けると、一服しながら突き抜けるような青い空と、濁った海へと目線を向けた。
「……もう古竜と関わるのは二度とごめんだ」
その呟きに込められた万感の想いに、一人を除いて全員が頷いたのだった。
エギュベルVSアルドベッグ! 怪獣大決戦!
本来なら実力は均衡しており決着が付くのに一週間かかったりするのですが、今回はハンデありすぎてすぐに終わったみたいですね。ちなみに過去に一週間戦い続けて、世界の半分が海に沈んだとか。まじでクソ迷惑だなお前ら!
というわけで、明日の更新が二章エピローグで、それにて二章完結です。
現在絶賛書籍化作業中ですが、良い物に仕上がる予感がしているので楽しみにしててください!
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