50話:Thirst & Bleed
「う……そ」
「あーきも。女の血ってほんと臭い。零点よ零点」
イレネの胸を貫いた手刀をレザーリアは抜き、イレネがリーデと共に床へと崩れた。
手に付いたイレネの血を顔に寄せて、しかめっ面を浮かべるレザーリアはまるでゴミを見つめるような視線を倒れたイレネへと向けた。
「さって、上に戻り――あ、一応トドメ刺すか」
レザーリアが、まるでたかるハエでも追い払うように軽く手を振ると、倒れているイレネとリーデの上に禍々しい血の槍が生成され、その穂先はイレネ達の頭部へと向けられていた。
イレネは真っ赤に染まる視界の中で、それをただ睨み付ける事しかできなかった。せめてリーデには当たらないようにと全身の力を使って、リーデの身体を押してここから少しでも離れさせようと最後の力を腕へと込めた。
「女の血は使いたくないし、さっさと死ね」
レザーリアが手を降ろすと同時、槍が落ちた。鋭い槍の穂先がイレネの頭部を貫こうと迫ったその瞬間。
「ほほ、相変わらずだの……我が妻レザーリアよ」
イレネの耳にその声が届いたと同時に頭に触れた血の槍の穂先が粉々に砕けた。
「ゲルト……ハルト……?」
イレネが回廊の先からこちらへとゆっくりと歩いてくる小さな影を見て、血を吐きながらその名前を小さく呼ぶ。
そして同時にレザーリアが表情を歪め絶叫した。
「お前はあああああああああああ!!」
もはやイレネ達は眼中にないとばかりにレザーリアが回廊へと疾走。
「お前だけはお前だけは殺す殺す殺す!! “我が前にひれ伏し面を上げよ”【紅き隷嬢】」
レザーリアが腰に付けていた刃のない柄だけの剣を抜きつつ、詠唱。レザーリアの魔力によって生成された血が刃となり、禍々しいロングソードへと変貌していく。同時にレザーリアの頭を悪魔を模した血の兜が覆っていく。
「アアアアア!!」
金切り声を上げ、レザーリアが血の剣を歩いてくるゲルトハルトへと薙いだ。
「ふむ……あの傷はちとまずいの」
しかし、ゲルトハルトは迫るレザーリアに興味はないとばかりにひょいとそれを避けると、そのまま歩みを止めず、イレネの元へと向かっていた。
「死ねえええ!!」
血を撒き散らしながら、後ろから迫る紅い刃をゲルトハルトは身体を屈めて躱し、視線をレザーリアに向ける事さえしない。
「私をおおお!! 無視するなあああああ!!」
絶叫と共に血の槍が何本もレザーリアの前に生成され、ゲルトハルトへと射出された。
「相変わらずめんどくさい女だの」
それを避ければ、イレネやリーデに当たる可能性があると分かって初めてゲルトハルトはめんどくさそうに手を振った。
「邪魔だの――【渇望せし獣】」
イレネは、朦朧とした意識の中で一瞬熱波のような魔力を感じた。
ゲルトハルトから放たれた不可視の熱波に、殺到する血の槍が触れた瞬間に砂にような細かい粒子となって砕けた。
「ふむ……傷は深いが、幸い心臓には傷が付いておらん。どれ……【陽光の恵み】」
ゲルトハルトが手をイレネの胸の傷へと翳した。イレネは、まるで日なたぼっこをしているかのような柔らかく暖かい感覚と共に傷が塞がっていくのを感じた。
「アアアア!! 死ね!! 死ね!!」
背後に立つレザーリアが何度も血の剣をゲルトハルトへと振るうが、ゲルトハルトに触れる直前で刃が砕けてしまう。そのたびに刃を生成し直すレザーリアだったが、全く効果を為していなかった。
「イレネよ。傷を塞いだだけで、流れ出た血は戻りはしない。無理はするでないぞ」
「お前は!! いつもそうやって!!」
激昂したレザーリアが先ほどとは比べものにならないほど巨大な刃を生成し、掲げた。
イレネは身体に少し力が戻っている事に気付くと起き上がり、リーデの身体を引きずって昇降機へと乗り込んだ。
「これを持っていけイレネ。じゃあの」
昇降機の扉が閉まる直前にゲルトハルトが何かをイレネへと投げた。それを手で受け止めたイレネの目の前でレザーリアが巨大な刃を振り下ろそうとしており、そして扉が閉まった。
機械音と共に昇降機が下へと移動していく。
「待って! なんで下に!!」
イレネには当然昇降機の使い方なんて分かるはずがなく、ただ闇雲に辺りを探って、何とか昇降機を止めようとする。
しかし昇降機はイレネの意志とは裏腹にそのまま地下へ地下へと降りていった。
☆☆☆
「あのお……」
「んだよ。迷ってねえよ」
「いや、それは良いんですけど……いや良くもないんですけど……なぜ僕達は地下へと向かっているんですか?」
緩く下っている通路を歩きながらシースが先頭を行くエギュベルの背へと声を掛けた。二人の会話がその通路の金属質の壁で反響し、響く。
「そこが目的地だからだよ。中央制御室なんざに行ったって無駄だ」
「なぜですか? そこに行って魔族達がここを完全起動させるのを阻止するのがエギュベルさんの目的でしたよね?」
「あいつらが辿り着こうが死のうが……神殿が完全起動しようがしまいが……まああたしにはどっちだっていいんだ」
「え? それじゃあ話が違う。僕は師匠と――」
「……完全起動を阻止しても……アイツが目覚めれば結局全ては終わりなんだ。だからそうなる前に……終わらせる」
通路が終わり、その先には巨大な空間があった。そこはこれまでシース達が歩いてきた鉄の遺跡とは全く雰囲気が違った。祭祀場、そういう名前がぴったりだな、とシースは思った
広く暗いその空間には、地底湖の周辺にあった物と同じ溝が回路のように走っており、淡い光がこの空間の中央へと収束している。
空間の中心はそこだけ床がくりぬかれており、水が溜まっていた。プールのようになっているその場所の真ん中に島があり、玉座のような椅子と祭壇が置かれていた。
「ここは……?」
「……見ろ」
エギュベルが指差す先。玉座には良く見れば誰かが座っていた。
「あれは……」
シースが見るに、それはカラカラに干からびた死体に見えた。長い黒い髪が残っているところを見ると女性だろうか?
「あれが……【暗渦竜アルドベッグ】だ」
「死んでいるように見えます」
「正確には仮死状態だな。あれを生き返らす為にこの神殿は作られたんだが。場所が悪い」
「場所?」
「そうだ……さて……どうしたもんか」
エギュベルが無表情でその玉座を見つめた。しかしエギュベルは何かに気付いたのか、今通ってきた通路へと振り返った。
「……ん? また増えたぞ。てっきり、全員上へと行っていると思ったが」
「どうしました?」
シースが不思議そうに同じ方向を見つめたが、見る限り誰もいない。
「いや、昇降機降り場付近で……戦闘が行われていてな。まあどうでもいいやと思って無視してたが……また一人増えた」
「っ! 魔族でしょうか!?」
「……音からして……あーこれ、多分お前の仲間の女じゃない? それと戦っているのは――魔族か。んで怪我してるっぽい女が一人倒れている。これもお前から聞いた話から推測するに仲間の一人だろ。あーまずいな。かなりの劣勢だ。こりゃあお前の仲間も死んじゃうかもな」
まるで見えているかのように語るエギュベルを見て、シースは足に力を入れた――それはきっとリーデかイレネに違いない。
シースの表情と雰囲気が変わった。さっきまではエギュベルの後を付いていくだけの子犬のような存在だったが、一瞬でその気配は消えた。
「行くのか?」
「はい」
「うっし、じゃあ完膚なきに叩きのめしてこい。どうせここにいたってお前には何も出来ない」
「はい。では、行ってきます」
「おう、あん時みたいにやり過ぎるなよ」
「はい!」
床を蹴る音と同時に、シースの姿が消えた。
「……さてさて……どうしたもんかねえ……なあ我が友よ」
玉座の死体を見つめるエギュベルの声に、しかし答える者はいなかった。
シースさん、のんびり子犬してる場合ちゃうで!
というわけでいよいよ今回の章の中心人?物登場回でした。
色々と明かされていきますが、作中では書かれないアレコレもあります……いつか日の目を見るといいね……
ここからは、解決編的な感じです。いよいよ二章のラストに向かって加速しつつあるので……ついてこいよ!
感想お気軽に!