49話:それぞれの決断
イレネは浮遊感を感じそして次の瞬間には落下していた。一番に脳裏をよぎったのが、リーデの事だった。拘束された状態で落ちて床に叩き付けられたら、間違いなく致命傷になる。
だからイレネは咄嗟にリーデへと手を伸ばした。リーデは先ほどの天井崩落の際にどこかで頭を打ったのか、額から血を流しており気絶していた。
リーデの身体へと手が届いたイレネはすぐに曲剣を構え、詠唱。
「“木漏れる光よ対価を示せ”【舞姫の報酬】!!」
柄から溢れるヴェールを纏いつつイレネが迫る床へと魔術を放つ。
「【風鳴きの暴歌】!!」
本来なら矢にするというプロセスを無理やり魔力で省略しイレネが発動させた魔術は、範囲も威力もめちゃくちゃだが、暴風を起こす事によって落下の速度を抑えるという目的だけは達成していた。
受け身を取れないであろうリーデを守るように抱きしめたイレネが、暴風で身体中がバラバラに引き裂かれそうになるのを感じながら、リーデと背負う弓を庇うように床へと激突。
「かはっ」
肺から一気に空気が抜け、全身に激痛が走るイレネだが、悲鳴を上げるのを我慢した。
まだここは敵地で、近くに誰がいるか分からない。泣きたい気持ちも痛みも今は我慢だ。イレネは気丈にもそう考え、抱えていたリーデを離し、起きあがった。
イレネは全身が痛むのを無視してリーデが生きているか確かめ、安心した表情を浮かべた。
リーデに巻き付くワイヤーの拘束を迷った末に外し、大鎌は脇に置いた。リーデの状態がどうであれ、拘束したままでは彼女に危険が及ぶ。そうイレネは判断したのだ。
そうしてようやくイレネは周りの様子へと気を配る事が出来た。上を見れば、一瞬の出来事だったのにも関わらず、落ちてきた穴が随分と遠い。どうやら、あの空間の下は吹き抜けだったらしく、自分達は運良く吹き抜けにある突き出たテラスのような部分に落ちたようだ。
「あいつらがいないのは良かったけど……」
見たところ、一緒に落ちたはずのレザーリアもゾッドもいない。
イレネは自身の身体の状態を確認する。痛みはあるが、強打程度で済んだようだ。どこも問題なく動く。
「せっかく溜めてた【舞姫の報酬】がなくなっちゃった」
イレネが纏っていたはずのヴェールはすっかり消えていた。
ベイル王家の血を引くザウード家の至宝の一つである【アマルダの欠け月】には【翠樹玉】と呼ばれる、今は亡きベイル宝樹国の名前の元にもなっている宝石が嵌められている。そしてこれにはとある精霊の力が封印されていると、この曲剣と共に言い伝わっていた。
とある深い森の奥に強大な力を秘めた精霊がいたそうだ。舞姫と名高い踊り子がある日その森に迷い込んで、精霊と出会ってしまった。精霊に襲われそうになった舞姫は舞を踊り精霊を鎮め、その見事な舞を喜んだ精霊は、特別な【翠樹玉】を舞姫に授けたという。
その宝石には舞を舞うほどに魔力が溜まり、溜まった魔力を自身の魔力として使えるという力が宿っていた。その唯一無二の力を授かった舞姫は自身の才覚と合わせ、森を支配しやがてベイル宝樹国を建国したという。
それが初代ベイル宝樹国の女王フィーリアスの伝説だ。
今でもその宝石に宿った力は失われていない。
しかし、イレネはさきほどの無理やりな魔術行使の為にここまで溜めてきた魔力を全て使い切ってしまった。
「ここからは……自分の魔力を使うしかないか」
接近戦でまた溜めてもいいのだが、この状況ではあまりに危険すぎる。
今は、まず安全な場所を探して何とかレドと合流しないと……。そう考えたイレネは、自分達が激突した部分から壁の奥に続く通路へと進む事を選択した。
「下手に動かない方が良いかもしれないけど……」
ここで待つというのも一つの手だった。だがイレネは、今レドがすべき行動を良く分かっており、それは決して落ちてしまった自分やリーデの救助ではない事を理解していた。
だからイレネは無謀でも、危険でも、まだ敵か味方か分からない状態で気絶しているリーデを抱えて、先へ進む事を選択した。
自分よりも背の高いリーデを肩で抱えると、イレネは痛む足を我慢して少しずつ進み始めた。一瞬脇に置いてあった大鎌を持っていこうかと思ったが、結局置いていく事にした。
どうであれ、もうリーデにあれを自分に向けて振って欲しくないという気持ちがイレネにはあった。
「何も出てきませんように……」
そんな事を呟きながらイレネはゆっくりとした足取りだが、照明がちらつく通路を進んでいく。幸い、あのトカゲ達の気配はない。
通路は広い回廊に繋がっていた。そして回廊の奥には、落ちる前にいた空間と同じ扉があった。
「あれ……もしかして昇降機?」
同じ扉に見える。位置関係については分からないが違う場所にまた別の昇降機があるのかもしれない。その判断は遺跡には詳しくないイレネには出来なかったが、少なくとも行って確かめるべきだとイレネは思った。
回廊には見たところ、誰もいない。
イレネはゆっくりとだが着実にその扉へと近付いていった。
イレネに油断はなかった。扉の上を見るとやはり、上に続いているように見えた。下から迫る機械音が扉の向こうで止まり、扉が開いた時に、助かった、そうイレネは思って少し気を緩めてしまった。
そうして扉は開き、イレネの思っていた通りその扉の奥には昇降機があった。
「……ちゃお! 君達も上に行くのかな!!」
しかし――その昇降機に落ちたはずのレザーリアが乗っていた事に、イレネは一瞬反応できなかった。
「いやあ下まで落ちちゃってさ~もう大変。すぐ側に昇降機あってラッキーって感じ。んでとりあえず上に戻ろうと思ったら、なんか中途半端なところで止まるし。あ、ボタン押したの君?」
「な、なんであんたが……」
「え? もっかい説明しないとダメ? あーそっか。もしかして……上に一緒に行きたい感じなんだね? あはは!! でも残念!! この昇降機は一人用なんだ!! だから死ねブス」
狂気で顔を歪ませるレザーリアの手刀が――リーデを抱えて満足に動けないイレネの胸を貫いた。
☆☆☆
遡る事十数分。
レドとエリオスは大穴に飲まれていったリーデとイレネの姿を探すが、上からでは何も見当たらない。
「くそ!! レドさんすぐに下に向かおう」
業を煮やして、下へ向かおうするエリオスの肩を、レドは奥歯を噛み締めたような顔で掴んだ。
「エリオス! 冷静になれ!!」
「イレネが! リーデが! 落ちたんだぞレドさん! あの化物みたいな連中と一緒に!!」
エリオスが激怒しながらレドに言葉を返す。エリオスの顔には焦燥感が浮かんでいる。
「分かってる。だがエリオス、俺達は何の為にここまで来たんだ?」
「それは……それは……だが!!」
レドもエリオスと同じ気持ちだった。自分がこういう立場でなければエリオスよりも先に下に向かっていただろう。だけど、レドは自分がそれを許される立場ではない事をよく理解していた。
今、自分達がイレネ達の救助を優先した場合、間違いなく上に向かっているであろうデュレスやおそらく来ているであろうグリム達に遅れを取ってしまう。
グリムは自分達と目的は同じだとのたまっていたが、レドはそれは信じ切るのは危ういと思っていた。シースと古竜は来ているかどうかすら分からない。
だから今、上に向かえるのは自分達しかいないのだ。
「……後からいくらでも恨んでもいいし俺を師匠失格だと罵ってもいい。だが――」
レドが言葉の続きを言おうとした瞬間に、一瞬空気がざわついた。それはゲルトハルトから発せられてた魔力波だった。事の成り行きを見つめていたゲルトハルトが魔力波を抑え、声を発した。
「――レドや、その先は儂が言おう。お主が言って良い言葉ではないだろうしの。……むしろイレネとリーデを犠牲にレザーリアとゾッドを排除、もしくは中央制御室からは遠ざけられた。そう考えるべきだの」
「……俺はそうは考えられない。レドさんは……」
ゲルトハルトの言葉にエリオスが低い声を出した。怒りと、それも道理と納得してしまいそうな自分の情けなさという二つの感情がごちゃ混ぜになったエリオスはどういう顔を、どんな声を出したらいいか分からなかった。
「エリオス。中央制御室に向かうぞ。幸い、昇降機はこちら側にある。俺は……イレネなら同じ判断をすると思うんだ。あいつなら、リーデを引きずってでも合流しようと上に向かう。そうは思わないか?」
レドの言葉にエリオスはあの勝ち気で生意気で、でも賢く気高い妹がどうするかを想像し、自然と頷いていた。
「ほほ……レザーリアが落ちたのなら……儂が下に向かおう。あやつにはちと用があっての」
「……あんたには付いて来て貰わないと困る」
「そうは言うがの。中央制御室はこの昇降機だけで辿り付ける。あとはそこを守るか破壊するか……儂はさして役に立たん。それよりも絶対にまだ生きているであろうレザーリアを放置する方が危険だの。いずれにせよ、ここで分かれるべきだの」
「……それは悪手だ」
レドは反対したくない気持ちを抑えてそう言った。ここで更に戦力を分けるのは悪手だ。中央制御室でのゲルトハルトの知識は必要だとレドは考えている。
「ここまで、儂はほとんど手出しをしなかった。戦力は変わらんの。それに、中央制御室に行ったところで……儂の知識が役に立つかどうか」
「だが……」
「お主らが、後ろ髪を引かれた状態で中途半端に向かうよりマシだと思うがの。ほほ、未練たらたらの顔をしとるぞ二人とも。なに、安心して儂に任せろ。じゃあの」
ゲルトハルトはそう笑うと、ひょいと大穴の縁から飛び降りた。
「お、おい!!」
思わず駆け寄ったエリオスだが、既にその姿は消えていた。
「最初からこうするつもりだったのか? 魔族の考える事はわからん……」
レドはゲルトハルトの【炎核】を取り出して、その輝きが急激に失われていくのをただ見つめるだけしか出来なかった。もはや、ただの石ころになってしまっている。
レドも、この【炎核】が偽物という可能性は頭にあった。だからそうであっても良いように動いていたつもりだが、おそらくはそれすらもゲルトハルトの予想通りの動きだったのだろう。
「……レドさん。俺はゲルトハルトを信じる」
「ったく……“敵を信じるな”……ってアドバイスをしようと思ったがやめた。あいつの炎核がどうなっているか分からんが、文字通りもう俺の手を離れた。俺も――信じるとしよう」
まだまだ小僧だの……というゲルトハルトの声が聞こえてきそうだったが、レドは大穴に背を向けて開いた扉の先にある、上から降りてきたらしき昇降機へと乗り込んだ。
「行こうレドさん。全部止めて、イレネとリーデを助けに行こう」
「ああ。状況は変わったが、やるべき事は変わらない――行くぞ」
二人が乗った昇降機が上へと昇っていく。辿り着く先は、中央塔最上部にある中央制御室。
レド達の戦いが再び始まる。
【冥海神殿ウーガダール】の真上に【欲災の竜星】が到達するまで――後、一時間。
いよいよ、対魔族の戦いが始まりますね。
現状を整理しておくと、
中央制御室付近:デュレス? グリム達?
上階へと上昇中:レド・エリオス、ロア・ヨルネ
中層部:
下層部:イレネ・リーデ、レザーリア、ゾッド、ゲルトハルト
???:シース???
って感じだと思います()
次話よりいよいよ話が核心へと迫ります。二章最後までお付き合いいただければと思います。
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