36話:“暗く神秘的な”
「ふうむ……まあまあだの。ちと狭いが」
「偉そうに文句言うんじゃないわよ」
そこは港区にある、レドの隠れ家の一つ。路地の裏にある集合住宅の一部屋で、狭いが生活が出来る程度に家具は置いてあった。
「……レドさん、あいつ街に入れて良かったのか?」
「俺にも分からん」
早速部屋で寛ぎだす老人と少しは遠慮しなさいと注意するイレネを見て、エリオスが心配そうにレドの顔を覗く。
レドが駆けつけ、そして状況を把握するのにそれなりの時間が掛かったが、結局老人の条件を飲む事にした。
なので、レドが最も近くにあるこの隠れ家にこっそり連れてきたのだが……。
「茶の一つも出んのか……?」
「なんであんたは客気分なのよ! 捕虜よ捕虜! 【炎核】叩き割るわよ!」
「怖い娘だの」
早速ソファに座って茶の催促をするこの魔族もそうだが、それと普通に会話しているイレネに末恐ろしさをレドは感じていた。
「すまんが時間がない。お前らの目的、この街に潜伏している魔族の情報、洗いざらい話してもらおうか」
老人の正面にレドが座る。エリオスは部屋の入り口に立ち、イレネは少し離れた窓辺に移動した。
これでこの部屋からの退路は塞がれたし、少しでも目の前の老人が変な動きをすれば炎核をすぐに割るようにイレネには言ってある。
魔族相手にしてはお粗末な対応だが、現状ディアス達の力を借りるのは悪手だとレドは判断した。
それにどうせ遅かれ早かれ気付いて向こうから接触してくる。それまでに何とか先手を打っておきたい。
知っているか、知らないか。その小さな差がこの先の命運を分ける事をレドは良く分かっていた。
レドは無意識で煙草を取り出そうとして、すぐに止めた。魔族の前で不用意に火の出る物を使うのは危険過ぎる。
「ふむ。流石はあの娘の師匠。お主は中々に見所があるの。しかし、礼儀がなっとらん。会話をする前にすべきことがあるのでは? 初めましての挨拶はしないのかの」
目の前の飄々とした雰囲気の老人について、未だ把握出来ずにいるレドだった。
人間相手に交渉は慣れているが、戦闘中の駆け引きならともかく魔族とこう正面切って交渉するのは流石のレドでも初めてだった。
「……魔族と馴れ合う気はない」
「まあ良い。儂は【火種】序列第三位のゲルトハルト。“火晒し”なんて呼ばれたりしておるの」
「序列第三位だと!?」
老人――ゲルトハルトを除く全員に衝撃が走る。イレネは瑠璃色の【炎核】をいつでも割れるように曲剣を強く握り直した。
「あの、ベギムレインですら第五位だったはずだ……」
「あの小僧は新参者だからの。まあまあだが、結局殺されよったの」
レドが思考する。
ブラフの可能性がある。だが、ここで強者アピールをして何の意味がある? 警戒を更に強めさせるだけではないのか?
「どうにも勘違いしているようだの。序列は決して強さだけで決まる訳ではない」
「じゃあ何で決めるんだ?」
「その時のノリと勢――娘よ、冗談だの。刃を【炎核】に当てるのは止めてほしいの」
イレネが青筋を立てながら曲剣の剣先を【炎核】に押し付けていた。
「真面目に答えなさい!!」
「せっかちだの……ちょっとしたジョークを交えつつ場を和ませようとした儂の計らいが無駄になった。さて真面目に答えると強さではなく、脅威度だの。まあ魔族同士で決めた奴なのであまり気にしない方がいいの」
「良いから聞かれた事だけを答えろ。まずはお前についてだ。使える能力、魔術、それにお前の相方はどうした」
レドが表情を変えずに問い詰める。相手のペースに乗ってはいけないが、そこは上手くイレネが乗ってくれるおかげでやりやすい。
「能力は秘密だの。心配せずとも君達に向けるつもりはない。魔術についても同様だの。相方……うむ、魔族の事は多少知っているようだの。儂ら魔族は、基本的に対となって行動するが、それぞれ【騎士】と【姫】と呼んでおる」
それはレドも知っている情報だった。ただ、騎士と姫という名称は初耳だ。
「男女で組むのか?」
「そうとも限らない。現に儂の【騎士】だった奴も男だの」
「だった?」
「音楽性の違いで殺し――解散した」
「おい、今、殺したって言ったろ。というか音楽性?」
「ジョークだの。人間にはちと難しかったかもしれんの」
レドがため息を付いた。真面目に対応しないといけないのだが緊張感を保つのが難しい。
しかしゲルトハルトの話が本当だとすると、こいつは【姫】だということになる。どういう基準で【騎士】と【姫】に分かれるのかは謎だが。
「いずれにせよ、儂を除いてこの街に来ておる魔族は二人。それぞれがそれぞれの【姫】や【騎士】を殺した奴等だ。まず間違いなく一人で行動しておるだろ」
「つまり、ペアではないという事だな。即席でそいつらがペアを組む事はあるのか?」
「ないと断言は出来ないが……あまり考えられないの。魔族はその出自からして同族という意識は薄い」
「出自?」
「おっと話しが逸れたの。まあとにかく、この二人がどうしようもないほど、大馬鹿者なんだの。【燻りの尖兵】の中でも特に尖ったロクデナシだの」
「それぞれの名前と能力を教えろ」
結局、ゲルトハルトの能力についてははぐらかされたが、そこはレドも期待していなかった。
だが、魔族同士の仲間意識が薄いと分かったのならば、他の二人の情報は聞けるかもしれない
「まずは序列第四位【灰雷のデュレス】だの。犬みたいな見た目をしておるが、犬と呼ぶとめちゃくちゃ怒るので、是非一度試してみると良いの。雷を纏っておる以外の能力は知らん」
「そいつもベギムレイン以上か……」
「で、もう一人が……【爆血のレザーリア】……こいつは特級にやばい女だの。なるべく近寄らない、関わらないのがお勧めだの。能力は……血を操る事以外は知らんの。基本的に皆、他者を信用していないからあんまりペラペラと自分の事を話さない」
「雷に血か……。それで、そのレザーリアとやらの序列は?」
「あいつは序列からは外されている。番外とでも言うべきだの。もし付けるとすれば……対人類への脅威度、凶悪度、性根が原子崩壊している事を考慮すれば――ぶっちぎりで第一位だの」
あのベギムレインよりも厄介なのが二人。不穏でしかない情報にレドは心の中で頭を抱えた。
だが、本題はここからだ。
そんな奴等がなぜ、揃いも揃ってこの街に来たのか。ベギムレインの仇討ちとはとても思えない。
「目的はなんなんだ。そしてそれを止めようとするあんたの理由を聞きたい」
「ふむ……どこから話せばいいやら……あれは儂がまだ子供だった頃の話じゃ……近所におった子が別嬪さんでのお……」
「長くなりそうだから端折りなさい!」
思わず口出ししたイレネが、しまったという表情を浮かべる。レドが苦笑いする。
「ゲルトハルト、俺らには時間がない」
「心配せんでもまだ時間はある。さて、目的じゃが……簡単に言えば、とある古竜の封印を解く事……だの。」
「……大灯台とやはり関係があるのか」
レドが図書館で調べた限り、直接大灯台と魔族を結びつける物は見付けられなかった。確度の低い情報で、魔族が建造としたとあるが、これも怪しい。
しかし司書のヨルネのヒントを元に調べてみると気になる記述があった。
大灯台の下には竜が眠るという伝説だ。
信憑性も何もない、おとぎ話や伝承の類いだが、その伝説はガディスがまだ漁村だった時からあったという。
大灯台の下には竜が眠る。大灯台が灯る時、竜は目覚める。
端的に言うとそういう伝説なのだが、そもそも大灯台は遙か昔から光が灯っているし、それならとっくの昔に竜が目覚めているはずなのに、ガディスの歴史を調べた限り、竜が目覚めた、竜に襲われたという記述はない。
海の近くという事もあり嵐や大波と言った災害を竜と見立てそれを鎮める為に大灯台があると当時の人々が考え、それが伝承として残った、というのがレドの解釈だった。
「大灯台……ふむまあそう呼ぶのも無理がない。だがあれは灯台ではない……あれは【起動塔】だの」
「【起動塔】……?」
「そうだの。あれはとある神殿を起動させる為に造られた物。今は地形が変わって海の側にあるから灯台なんて呼ばれておるが、本来はそうではない」
「神殿? そんな物があるのか?」
レドもその学説は聞いた事があった。
ガディスの地下には遺跡が広がっているという説だが、街の周囲から出土する遺物、書物から推測するに確かに遺跡らしき物は存在しうる……と結論付けた考古学者がいるそうだ。
「【冥海神殿ウーガダール】、それがその神殿の名前だの。旧世界の遺構と聞いておるが、儂も見た事はない……だがそれが何を為したかは知っておるぞ」
【冥海神殿ウーガダール】……それはレドも聞いた事のない言葉だった。だが、レドが学生の時に魔術理論を学習する際に習った竜言語の中にそれに近い言葉があった事を思い出した。
「ウガ・ダール……竜言語で“暗く神秘的な”という意味合いだったはずだが……」
「ほお、流石だの。その言葉の語源が、この【冥海神殿ウーガダール】だの。この遺跡はとある古竜の為に造られた物で、封印されたその古竜を呼び覚ます機構が付いておる。これを起動させて、古竜を目覚めさせるのがレザーリアとデュレスの目的だの」
古竜。レドの認識では、それはただのおとぎ話だ。
一晩で地形を変えるほどの力を持ち、大陸一つ消したという逸話もある。
何体か有名な古竜がいるが、最も知られているのは【聖狼竜リュイカリス】だろう。
人を正しき方向、光へと導いたと言われる古竜だが、それが本当に実在したかどうかは誰にも分からない。
他にも、黒い炎で世界を三日三晩、夜に変えたという【炎賛竜エギュベル】
大陸一つの生命を全て死滅させたという【暗渦竜アルドベッグ】
未だに生きておりこの星を風と共に巡っているとされる【巡風竜ゼシファ】
しかしどれも、かつて起きた大災害を竜と見立てただけという説が今の常識だ。
「その様子じゃ、おとぎ話ってわけではなさそうだな」
「おとぎ話……だったらどれだけ良かったか。【冥海神殿ウーガダール】に眠りしは、渇きの邪竜【暗渦竜アルドベッグ】だの。奴が目覚めれば、大変な事になる。そもそも封印を解いた時点で……この街の周囲一帯の生命は全て死滅する――そうかつてのベイルのように」
「詳しく説明してくれ。そしてどうすれば止められるかもな」
レドにはなぜベイルの名がここで出てくるかは分からない。
そして、そこからゲルトハルトによって語られた言葉に、レドを含め全員が青ざめたのだった。
「アルドベッグを目覚めさせるには、大量の水が必要なんだの。この神殿は周囲の水分を吸収し溜める機能が付いておる。起動すれば、一瞬で大地は干上がり、生物も水分を全て吸い取られ、死滅する……」
「……にわかに信じがたいな。確かに【吸水】という魔術はあるが……それの大規模な物という事か?」
「そうだの。まあ比較にならんほどの規模だが」
しかし、どうにもその事にレドは腑に落ちなかった。水分が必要だと言うのなら、いくらでもあるのではないか。
「海の水がある。わざわざそんな機構を使って水を集める必要があるのか?」
「さきほども言ったが、この辺りが海辺になったのはつい最近だの。まあその辺りの歴史や事実は秘匿されているのだの」
「なるほどな。どうにも自身が信じてきた事が揺らぎそうだ……」
「いずれにせよ、神殿が起動すれば少なくともこの街は滅びるの」
ゲルトハルトの言葉が重たく室内に響く。
「すぐに……何とかしないと……」
イレネが顔を引き締めてそう言った。だが、少し声が震えている。
「焦らなくても良い。【起動塔】はまだ不完全にしか機能していない。完全起動させるには条件がある。おそらく次の満月の夜が狙い目だの。奴等は必ずあの起動塔の地下へとやってくる。それを止めなければ――終わりだの」
「次の満月というと……丁度一週間後か」
一週間。長いようで短い。
レドはすぐに、どう動くべきかを計算しはじめた。
「それまでにあいつらを倒す事じゃの。だが奴等もそれを分かっておるから、そう簡単に尻尾は見せんぞ。協力者もいるらしいからの。まあ奴等と協力出来る者なんざおらんと思うが」
「あんたは、俺らに協力してくれるのか?」
「そうだの。儂は、あの竜の封印を解いて欲しくない。その為なら協力もするが……出来れば自由にやらせて欲しいの」
「んなの無理に決まっているでしょ」
イレネの言葉にレドが頷いた。流石に野放しには出来ない。
「で、あれば君らと共に行動するしかないの。【炎核】は預けておく」
「……そうだなそれしかない。今と同じ話を違う人物にして欲しいんだが、出来るか?」
「構わんぞ」
レドは既に、自分一人の手をとうに離れている事態だと認めざるを得なかった。
すぐにディアスへ報告、そして対策を立てないと。
こうして、レド達はゲルトハルトと協力関係を築いたのだった。
ゲルトハルトは長生きしており、沢山の知識を持っています。
それが真実かどうかは……また別の話ですね。少しずつ明らかになっていきますが、現在の人類が持つ歴史にはかなりの修正や秘匿が施されています。真実を知るとされる魔族ですら……
とまあそんな事はともかく、一週間後に街がやべえからやべえ奴を倒そうというやべえお話です。