35話:神父と獣
「ここももう離れた方が良いな……犬共が嗅ぎつけてきている」
「……」
【貧者通り】の地下。そこは、貧者という名すら与えてもらえない者達が追いやられる場所。元々は古い下水道跡であり、今は機能していないのだが、そこには太陽を奪われた者達が蠢いている。
その場所は【ゴミ溜まり】と呼ばれていた。
犯罪者、原因不明の病気に冒された者、薬漬けになり呻くだけの者、人とも獣ともつかない者。
そういった者達が暮らしと呼ぶにはあまりに悲惨な日々を過ごし、そして朽ちていく場所だ。
そんな異臭漂う暗闇を二つの影が歩いている。
先頭を行くのは背の高い猫背の男だった。つばの広い帽子を深く被っており、修道服を着ていた。手には大鎌を持っている。
そしてその後ろを黙って歩いているのはリーデだった。フードを深く被っている為表情は見えない。
「焼き払いたい……魔族は何をしているのだ……こんな場所こそこそ燃やすべきだろうに」
「……はい神父様」
リーデの声には一切の感情が含まれていなかった。
「レザーリアは姿を消し、ゲルトハルトは辿り着いているかすら不明。一番まともなデュレスがいると思って来てみれば……なんだこのザマは……」
「……はい神父様」
「もう神父ではない」
「はい、神父様」
「ちっ……やりすぎたか。やはり時間が空くと駄目だな」
噛み合わない会話をしながら二人が【ゴミ溜まり】を進んでいく。
暗い地下のはずなのに、前方で青い光が時々走り、その瞬間だけ辺りが明るくなる。
汚物と血でまみれた地下回廊の奥。死体が山のように積み重なったその上に黒い影があった。
青い光はその影の周囲で発生しており、良く見ればそれは雷光だった。
「また……お前か……ゾッド」
影が低いくぐもった声を出した。
それは一見すると獣だった。全身に毛が生え、牙が覗く細長い顎にピンと立った耳、背後には尻尾が揺れている。
形容するなら灰色の体毛を生やした狼だが、人のように二足歩行出来る身体になっており、あぐらを掻いて死体の山の上に座っている。
白目と黒目を反転させた魔族特有の瞳で猫背の男――ゾッドとリーデを見下ろした。
胸の中心には青く微かに光る【炎核】があった。
「デュレス、何をしている? 燃やすのではないのか? 全てを焼却するのではないのか? あまりにここは、この街は終わっている」
「我に……指図するな人間……」
唸り声を上げる獣――デュレスが牙を剥く。体毛が逆立ち、体毛同士が擦れるたびに雷光が走る。
「俺は、燃やしに来たんだ。なのに、レザーリアは気色悪い趣味に没頭し全く動こうとしない。ゲルトハルトに至っては辿り着いてすらいない。俺はお前らがこの街を燃やすと聞いたから……」
「他の奴等の事なんぞ知らん……もう一度言うぞ人間……何をどうするかなんて我の自由だ。貴様がこうして生きているのは……利用価値があるから手を出すなと言われたからだ……燃やしたければ一人で燃やせ」
「……」
「お前も燃やすのが好きなのだろ……? いや、好きなのは人形遊びだったか?」
デュレスが侮蔑を込めた言葉を吐き捨て、後ろに立つリーデを見て醜く笑った。
「犬風情がよく吼える。その首、大事にしておけ」
「調子に乗るな……人間」
ゾッドが大鎌を構える。
デュレスも四肢に力を込めた。
一触即発といった、雰囲気の中、その空間に第三者の声が響いた。
「リーデ!!」
「気を付けろシース、あの怪物までいやがる!」
デュレスの視線の先、こちらに駆けてきているのは二人の人間――シースとブランだった。
「くくく……また……人間……」
何がおかしいのか笑うデュレス。その視線に敵意が無くなったと分かった同時にゾッドが背後へと大鎌を振った。
「っ!」
大鎌のリーチからまだほど遠い場所にシースがいるのにもかかわらず、振られた大鎌から放たれた斬撃が地面の血を巻き上げ、まるで意志を持ったかのようにシースへと迫る。
シースとブランが咄嗟に左右に分かれてその斬撃を避けた。ブランは物陰に隠れ。シースは床を蹴って加速。
「相手するまでもないな。リーデ、殺れ」
「――はい神父様」
ゾッドへと迫るシースの前にフードを被ったままのリーデが飛び出す。
「リーデ!?」
困惑の表情を浮かべるシースが、首へと迫る大鎌を斧剣で弾く。
その重さにシースが驚く。今のは明らかに本気の一撃だった。
「リーデ! 僕だよ! シースだよ!」
しかし、フードで表情の見えないリーデが刃を翻し、今度はシースの足下を狙う。
「僕が分からないの!?」
シースが悲痛な声を上げながらバックステップしてその攻撃を躱す。一瞬見えたフードの内側には、あのいつも微笑みはなく、ただ虚ろな目をしたリーデの顔があった。
「貴様の声なぞ聞こえまいよ」
嘲笑するゾッド。シースがそれを睨み付けた。あいつか、あいつのせいか!
明らかにリーデの様子がおかしい。彼女は絶対に味方に刃を向けるような人じゃないとシースは信じている。
「……レザーリアの事を笑えないぐらい……貴様も趣味が悪いな」
「獣に人の道理なぞ理解出来ないだろうさ」
「くくく……人間ほど恐ろしく、醜い獣を我は見た事がない……さて……その闘争……我も混ぜてくれよ」
雷鳴と共にデュレスの姿が消える。
「しょせんは獣か」
一瞬で目の前に現れたデュレスの振る爪を、ゾッドはサイドステップで避けながら大鎌を振るう。それを爪で受けると同時にデュレスが身体を発光させた。
辺りが一瞬白く染まり思わず目を背けるゾッドへと、デュレスが雷の如き速度で抜き手を放つ。
しかしゾッドが超反応でそれを避けた。
「くそ、どうなってやがる!」
そのあまりに人外じみた速度の攻防にブランが思わず声を出してしまう。そうして傍観していたブランの目の前でリーデが大鎌による連撃をシースへと叩き込んでいた。
シースは、防戦一方で手を出せずにいる。
大切な仲間であるリーデに刃を向けるのに躊躇いがあるのは確かだ。だけど、それだけじゃない。
「速いし――重い!!」
下から掬い上げるような斬撃を薄皮一枚の距離でシースが避ける。しかしリーデは器用に身体と柄を回転させ、追撃。横薙ぎに振るわれた大鎌は執拗にシースの首を狙って来る。
その一撃を避けられず、斧剣で受けるもあまりの重さにシースの手が痺れる。
これまでにシースは戦闘訓練でリーデと何度か手合わせした事がある。
実は、実戦形式の訓練でシースはリーデに負け越していた。理由は様々だが、一番の原因はリーデの柔軟さだった。すぐに動きを見切ってくるシースに合わせ、常に動きに変化を付け先読み出来ないようにリーデは動いていた。
大鎌という一見単調な攻撃しか出来ない武器をリーデは臨機応変に使いこなしつつあった。
しかしシースは気付いていた。今のリーデは、訓練の時と動きが違う。
速く、重くなっているが――ひどく機械的だった。
まるで……そう動くように作られた道具のようにシースには感じられた。
「リーデ、ごめんね」
次の動きが読めたシースがリーデの懐へと飛び込み、斧剣の柄を叩き込んだ。
声一つ上げず、リーデが倒れる……とシースが思った瞬間。
「無駄な事を」
デュレスと一進一退の攻防を繰り広げられているゾッドが笑う。
リーデは倒れずに、大鎌を離し隙だらけのシースの首へと手刀を放った。シースは咄嗟に首を振ってそれを回避し、バックステップ。
「人形に……痛みなどないか……くくく」
それを見たデュレスが笑いながら、雷光纏う蹴りをゾッドへと放った。雷鳴が轟き、雷光が地下回廊を走る。
「……どうしたら」
リーデが足先で器用に大鎌を蹴り上げ、そのままそれ掴みながらシースへと弧を描く斬撃を放つ。
シースの思考容量を遙かに超える出来事が起こりすぎて、既にシースは正常な判断できる状態ではなかった。操られている様子のリーデにその原因らしき男、その男と戦闘を繰り広げる雷光の獣。
「シース! 一旦退こう! ここは危険過ぎる」
だから、そのブランの声にシースは素直に従いたかった。
だが――リーデの攻撃を避けたシースの目に、更にこの場を混乱させる要因が飛び込んできた。
「おいおいおい……獣臭えから来てみれば、なんだよなんだよ、随分とまあ愉快な事になっているじゃねえか」
地下回廊を悠然と歩いてくるのは、真っ赤な赤髪に黒いビスチェドレスを着た美女だった。ドレスの裾が血で汚れていくが気にしている様子はない。
「また訳分からんやつが来た……くそ、どうなってやがる」
ブランの声にシースは心の底から同意した。【白鯨通り】で会った、あの圧倒的な力を見せた美女がなぜここにやってきたのか。
「ん? おーあの時のやつじゃん。縁があるねえ、ご愁傷様ってやつだ」
美女がまるで親しい友人を見付けたかのような気軽さでシースへと近付いてくる。
リーデが気にすることなく、大鎌をシースへと放つ。シースはどちらを警戒して良いか分からず、大きくバックステップして壁際まで後退する。
更に追い詰めようとリーデが迫るが、
「お前、ちと邪魔だな。人形遊びする趣味はねえんだわ」
美女のドレスの裾が翻った瞬間に、その長い足がリーデの腹へとめり込んでいた。そのまま蹴り飛ばされたリーデが反対側の壁まで吹き飛び、そのまま床へと落ちた。
「リーデ!」
「ん? 今の知り合いか? 死ぬほど手加減したから死んではいない……はず。多分。おそらく」
倒れるリーデへと駆け寄ろうとしたシースを、ゾッドが放った血の斬撃が襲う。
見ればデュレスは戦闘を止めており、その赤い美女を凝視していた。その隙にゾッドはリーデの横へと駆け寄っており、怒りの形相で斬撃を避けたシースとその美女を睨んでいる。
「俺の最高傑作に触れるなクソどもが!!」
「これは……想定外だ……次会ったら殺す」
既に戦意を無くしたデュレスはそれだけを言うと、蒼い残像を残し、消え去った。
「くそ……どいつもこいつも!」
ゾッドは器用に大鎌の柄でリーデの身体を持ち上げると、そのまま肩に担いだ。
「待て! リーデを解放しろ!」
斧剣を構えて走ろうとするシースの肩を、美女が掴んだ。
「まあ、待て少年。あれは下手に触らない方がいいぞ」
「っ!! 離せ!!」
そうしているうちに、ゾッドがリーデを連れて走り去っていく。
「離せ!!」
シースが足掻くも、万力の如く掴む美女の手を振りほどけずにいた。
「だから、落ち着けってば。てめえ一人が焦ったところで何も解決しないぜ?」
美女がそう言いながら、手を離した。
拘束が外れた瞬間、シースがゾッドの後を追おうとするが――首筋に衝撃。そしてそれ共に視界が暗転。
「聞き分けないのない奴だ。ま、こういう奴のがあたしは好きだがね」
シースの消えゆく意識の中で見たのは、凶悪な笑みを浮かべた美女の顔だった。
敵多過ぎぃ!
シースちゃん割とボコられてるけど、相手が人外過ぎるからで決してシースちゃんが弱いわけではないのです。あとデュレスわんこは描写してないけどちゃんと角もあるんやで。ちなみに犬呼ばわりされるとブチ切れるので注意な。
少しずつ登場人物が増えてきていますが、変な奴は大体敵と覚えていただければいいかと思います……この小説、変な奴しかいねえじゃねえか!!




