34話:貧者通り
あてもなく、街を彷徨うシース。人通りの多い場所もひと気のない路地も行ってみたがリーデの姿は見当たらない。
辺境一の街で手掛かりも無しに一人の人間を探し出すのは不可能に近い。分かっていてもシースはじっとしていられなかった。
「はあ……リーデ……」
冒険者ギルド近くに戻ってきたシース。時々視線を感じるがいつもの事だ。随分と名前も顔も覚えられてしまった。
「お、シースちゃん! あれ、一人?」
そんなシースに駆け寄ってくる人物がいた。赤髪に服の上からでも分かるほど大きな胸。
「エミーさん! 今日は休みですか?」
「仕――いや休みだよ!」
エミーは動きやすそうなズボンにシャツというラフな姿で、シースの見たところ仕事中という感じではなかった。
「あ、エミーさん、リーデをどこかで見掛けませんでした?」
期待せずにシースはそう聞いたが、
「ん? あれ? リーデちゃん仕事中じゃなかったの? なんか男の人と一緒にいたけど。真剣な表情していたし仕事だと思――」
「っ! どこで見掛けましたか!」
エミーがあっさり目撃した事を話すとシースが食い気味に迫る。
「え? ついさっき、西区南の【貧者通り】で、だけど?」
「ありがとうございます!」
「あ、ちょっと待っ――行っちゃった……」
エミーが手を伸ばすも、既にシースは西へと駆けだしていた。
「ま、いっか。さてさて、どうなるやら……んー心配」
いつもの笑顔ではなく、曇った表情を浮かべたエミーはしばらく思案した後に、西へと足を向けたのだった。
☆☆☆
中央区を最短で突っ切って、シースは西区へと入っていく。
ガディスの西区と東区はそれぞれ住宅が広がる居住区なのだが、雰囲気は少し違う。東区は丘になっており、裕福な家が多いのに対し西区は、いわゆる庶民と呼ばれる者達が多く住んでおり、集合住宅も所狭しと並んでいた。
そんな西区でも北区に近付くほど、少しずつ家も大きくなり、静かな雰囲気になるのだが反対に南の港区に近付くほど治安が悪くなる。特に港区との境近くにある【貧者通り】は名前通りにスラム街となっており、ガディスの住人ですらあまり近付きたがらない場所である。
そんな場所にシースは初めて足を踏み入れた。
掘っ立て小屋が並び、布を被せただけのテントが乱立している。道路には干からびた動物の死体がそこかしこに落ちており、辛うじて息をしているだけの老人が道端に座り込んでいた。
露店では見た事のない薬物が売られており、売っている者も生気のない顔で、客もいないのにブツブツと何かを呟いている。
そこだけはまるで鮮やかさを失ったかのように色褪せていて、シースは顔をしかめるのを我慢した。
「リーデ……どこ?」
なぜ、こんな場所にいるのか。一緒にいる男は誰なのか。
分からない事は沢山あった。
シースは周りの視線も気にせず通りを走る。
「しまった……どの辺りで見掛けたかを聞いておけば良かった」
今更後悔するも、今から戻ってまたエミーを探す時間が惜しい。
「おい、あんた……人探しか」
焦って辺りを見渡すシースに声が掛かる。
「え?」
「こっちだ、こっちこい」
見れば、細い路地の隙間から一人の男が手招きしている。ボロボロの服に痩せ細った身体。典型的なスラム街の住人だ。
シースは念の為、腰に差しているダガーへと手を伸ばした。お守り代わりに装備しているが、ちゃんと研いで貰っているので、切れ味は良い。普段あまり使わないが、閉所となる路地ではダガーの方が取り回しが楽だと判断した。
「あんた、修道女と神父を探しているんじゃないか?」
路地に入ると、男がそう言ってきた。元々は金髪だろうが、今は垢まみれで汚れており、もうずっと風呂にも入っていないのか異臭が漂っていた。右手に包帯を巻いているが、そこからは膿が滴っている。
シースは一目で生理的嫌悪感に苛まされたが、表情を変えないようにした。相手が誰であろうと、最初は対等であるべきだとレドは言っていた。
本人は自身でも実践しきれていないから説得力はないと笑っていたが、シースはその考えが好きだった。
それにその男の緑色の目だけは妙に澄んでいてシースは思わず見入ってしまう。
「いきなり声を掛けてすまないな。俺はブラン。まあ見ての通り底辺の底辺だが、これでもこの辺りでは顔が利く」
「あ、僕はシースです。修道女……もしかして背が高くて細い」
「そうだその女だ。しかし……シース……その鎧に、腰の変な武器……そうか、あんたが英雄様か。俺を見て、嫌がらない奴は久々だよ」
「いえ、僕は……」
「まあ、そんな事は良い。あんたにお願いがあるんだ。それを聞いてくれたらその女の居場所を教える。いや、そもそもこの話は繋がっている」
男――ブランは真剣な表情を浮かべてシースを見つめた。
「お願い?」
「ああ……まあ見た方が早いな。こっちだ」
そう言って、ブランが路地の奥へと歩いていくので、シースはそれに付いていく。
何度か角を曲がった先はちょっとした広場になっていた。
その中央には死体が数体放置されている。
「これは……」
近付いたシースが初めて顔をしかめた。
もはや元の姿が想像出来ないほど黒焦げになった死体と、首が切断された死体があった。
「最近、この辺りで出没する怪物と殺人鬼にやられた住民だよ。この黒焦げなのは怪物にやられた奴で、首を切られた方は殺人鬼の仕業だ」
シースはその斬首された死体に妙に見覚えがあった。
「そうか……オークションハウスの死体と同じだ……」
「ん?」
「いえ、おそらく同じ犯人による死体を他の場所で見ました。そうだ……リーデもあれを見た後からおかしくなったんだ」
それが何を意味するのかは分からない。分からないけど、シースは直感でその何かにリーデが巻き込まれている事が分かった。そしてきっとそれに自分達を巻き込みたくなかったから、こうして姿を消したのだろう。
だけどはそれはとても……とても勝手な行為だ。
シースはリーデに会ったら怒らないといけないな、と考えていた。それがパーティリーダーの役目だと思うから。
「こいつの犯人を捕まえて欲しいんだ。こんな場所だ、警吏も来ないし関与しない。だからと言って無抵抗に殺されるのを黙って見ているわけにもいかない。だが、見ての通り金もないし、あったとしても冒険者ギルドに依頼を出したところで却下されるのが目に見えている」
「そうなんですか?」
「奴等には【貧者】は見えないのさ。ここは透明なんだ。何もない。何もないところでは何も起きない、だから動かない。そういう認識だ。クソだろ?」
ブランがそう吐き捨てた。
「殺人鬼とあんたが探している修道女が一緒にいるのをこの街で何人も目撃している。その情報を提供するし探す協力もする。それが俺らの出せる最大の対価だ。勿論、危険な依頼だし、釣り合わないのは分かっている……だが」
「受けますよ。ただし、仮依頼制度を使います。僕達は無償では動けないんです――例え情報が対価であったとしても」
「構わないが、どうせギルドで依頼は却下されるぞ?」
「良いんです。これは僕の気持ちの問題です」
そう言って、シースはさっぱりとした顔でギルドカードを差し出した。
「そうか――ありがとうな」
ブランが不器用な笑顔を浮かべて、ギルドカードへと指を押し付けた。
カードが仄かに発光し、仮依頼の登録が完了する。
「じゃあ、探しましょう。その怪物についても教えてください」
「分かった。歩きながら説明する。こっちだ」
こうしてシースはブランと共にリーデの捜索を開始した。
☆☆☆
未だに、夢に見る光景があった。
燃える孤児院。何人もの孤児達が居るはずなのに、悲鳴一つ上がらない。
上がらない理由は分かっていた。
自分の持つ大鎌から滴り落ちる血が全てを物語っていた。
フードは良い物だ。被れば何も見えなくなる。何も聞こえなくなる。
なのに……フードを被っているのに……なぜこんなに胸が痛いのだろう。
「――やれ。やれ。いつものように、さっきまでのように、教えたように、殺れ」
その声だけがぐるぐると思考を締め付ける。
「さあ、最後の一人だ。それで終わりだ。そして完成したお前の――始まりだ」
「……嫌だ……嫌だ……嫌だ!!!」
それが自分の声だと気付いたのは、そのすぐ後だった。
紅蓮が見えた。燃えさかる炎が見えた。
目の前で怯える妹が見えた。
血で汚れてなお、刃は磨かれた鏡のように己の主のおぞましい姿を映した。
修道服にフードを被り、涙を流す一人の少女。それは紛れもなく――私だった。
「駄目か……また失敗か……光と闇のようにはならないか……もういい」
毎回結末は変わらず、夢の最後は銀色と赤色で染まる。
目が覚めると私は泣いていた。
涙が止まらない。目覚めるともはやそれがどんな夢だったかすら覚えていないが、なぜか涙が止まらなかった。
この涙を止める方法を私は知りたかった。
それは、一つしかないように思えた。
だから私は――
シースさん東奔西走。
ガディスの街は全体で言えば治安が良い方ですが、繁華街やスラム街に行けば当然治安は悪くなります。そういう街には街のルールがあって、冒険者であっても中々立ち入らないようです。
光があれば闇もあるわけで……君が深淵を覗く時……深淵を覗いているのだ(哲学)




