間話3:勇者、動く
時を遡る事数日。
「さっさと魔族について情報を寄こせ!!」
王都ディザルの冒険者ギルド本部。
情報統括部門長であるミラゼルの部屋で、一人の青年が唾を飛ばしながら目の前で叫んでいた。
「一日にSランク冒険者が二人も私を訪れるのは初めてだよ。しかし、勇者セイン。挨拶ぐらいはしたらどうだ? 礼儀と礼節はどこに忘れてきた」
「っ!! それどころじゃないだろ!!」
怒りの形相を浮かべる青年――セインをミラゼルは無表情で見つめていた。
ミラゼルは、少し歳はいっているものの、美しい女性だった。軍服のように仕立てたドレスに、後頭部でまとめ上げた長い黒髪が、妙な色気を出していた。
しかしその美しい顔の左半分が火傷や傷で醜く歪んでおり、それを隠すように大きく薔薇のタトゥーが入れてある為か強烈な威圧感を放っている。
度重なる拷問と薬物投与によって顔の表情筋が麻痺し、笑顔を浮かべる事も怒りを表す事も出来なくなったミラゼルは、その容赦のなさと冷酷さでいつしか【血薔薇】や【鉄仮面】といった忌名で敵味方問わず恐れられるようになった。
しかしそんなミラゼルでも、まるで旧友のように接する奴や、少しは上司を立てろよと思う部下など、自分を恐れない人物も少ないながらもいる。ミラゼルはそういう奴が決して嫌いではなかった。
だが、目の前のこいつは違う。彼ら彼女らは私の暗い部分を知っていてそれでも接してくるが……目の前のこいつはただの無知から生じる蛮勇を振り回してるだけに過ぎない。
「そもそも魔族がどうしたと言うのだ勇者セイン。貴殿には魔王討伐という為すべき偉業があるはずだ。細かい雑魚は我らに任せて、行くが良い」
「お前が俺に指図をするな。カイラの首都ガディスで魔族が暗躍しているという話を聞いたぞ。魔族を倒せるのは俺しかいない。ならば俺は行かねばならない!」
ミラゼルは盛大に心の中で舌打ちをした。どこの馬鹿だ? こいつにそんな情報を流したのは。一瞬ミラゼルは、つい先ほどまで自分と化かし合いをしていたとある冒険者の顔を浮かべたが、すぐに消去した。奴がこんな下らん策を取る訳がない。
「ガディスの魔族については既に私も動いている。安心してくれていい。ガディス市長にも既に警告済みだ。防衛隊も動いている。わざわざ大陸の端まで貴殿が行く必要があるまい?」
「そんな奴等じゃ魔族は倒せない!! 俺なら倒せるしこれまでに何匹も倒した!」
それは確かにその通りだとミラゼルは思う。魔族には生半可な武力は通用しない。目の前の男が魔族を倒した事があるのも真実だ。ただし、一パーティのメンバーとしてだが。
こいつ単体で何が出来る? 剣の腕は確かにこの世界でもトップだろう。だが、それだけだ。
「貴殿は何を焦っている? パーティメンバーは同意しているのか?」
目の前の青年から感じられるのは焦り、怒り、嫉妬。そんな感情だ。何がこの青年をここまで駆り立てている?
ミラゼルはそんな事を考えながらセインを凝視する。
まさか自分でメンバーを追い出したせいで、何もかもが上手く行かなくなった事をあろうことかその追放したメンバーに責任転嫁しているなどと、ミラゼルには想像も出来なかった。
それは余りに愚かで……度し難い感情だからだ。
「パーティなんてどうでもいいだろ!! 俺の話をしているんだ!」
「……情報統括部門長である私から、貴殿個人に伝えられる事は何もない。帰りたまえ勇者セイン」
「黙れ! 俺は――!」
「ただ、喚くだけで駆け引きも出来ない子供と遊ぶほど私は暇ではないのだよ」
「貴様!!」
にべもなくそう言い放ったミラゼルに対しセインが腰の剣へと手を伸ばす。
「……気を付けたまえ勇者セインよ。ここで抜く事がどういう事か……分からぬ頭でもないだろう」
ミラゼルの言葉と共に、セインから少し離れた位置――剣がギリギリ届かない距離を保って、黒い影が彼を取り囲んでいた。
黒いダガーが中心にいる彼に向けられている。
怒りで顔の歪んだセインが抜きかけた剣を、少し迷いながらも仕舞った。
「もういい。貴様らギルドも魔族とグルと分かったからな! 俺個人で動かせてもらう!!――どけ!!」
セインが怒鳴りながら部屋から出て行く。
「……如何いたしますか」
黒い影の一人がそうミラゼルに命令を求めた。
「捨て置け。あれをまともに相手して無事でいられる奴が何人いる? 腐っても勇者だぞ。割に合わん」
「はっ、失礼いたしました」
「もういいぞ、いけ。行動は常に監視しておけ」
「はい」
黒い影の気配がふっと消えた。
誰もいなくなった部屋で、ミラゼルが机へと突っ伏した。
「はあ……だから私はあんな奴を勇者にするの反対したのに! なんで剣振るしか能のない馬鹿を認めるかなあ……。あーめんどくさい。ただですらめんどくさい因子が多くなってきたのにこれでまた計算が狂う……もうやだ。ディアスをさっさと部門長に押し上げて私はビーチで優雅に過ごしたい……イケメン侍らせたい……」
先ほどまでとは打って変わって、素をさらけ出すミラゼルの独り言はしかし誰にも聞かれる事なく、宙へと消えるのだった。
☆☆☆
「くそ!! くそ!! どいつもこいつも!!」
冒険者ギルド本部を飛び出たセインは苛立っていた。
理由はいくつもあった。
まずパーティメンバーであるエレーナからの拒否。彼女は今のままでは冒険も依頼もましてや魔王討伐なんて無理だと言った上で、それが解決されない限り自分は動かないと宣言した。
自分の事を棚に上げて何を言うかとセインはその時怒鳴り散らしたのだが、結局彼女が意見を曲げる事はなかった。
ディルはディルで、前衛不足に聖職者のいないパーティで魔術師はやれない、の一点張りだった。そして、毎日のようにエレーナの元に通っている。
女にかまける暇があったら少しは鍛錬でもしろと言ったが、侮蔑した表情を向けられただけで終わった。
「結局あいつらは俺の凄さを全然分かっていないんだ!! 勇者を……Sランクを……なんだと思っている!!」
大きな独り言を出しながら暗い路地の中を進むセインに、一つの影が近付いた。それはボロ布を纏った老人だった。
「そうですとも……勇者様。私は言いましたよね? ギルドにも魔族の手が入り込んでいると……」
老人が囁くようにセインへと語りかける。
「お前かネズミ。その醜い顔を俺に見せるな」
「くっくっく……これはまた手厳しい。さて、勇者様……この状況を解決する方法は前にも言った通り、一つだけありますよ」
勇者は老人に一瞥もくれず、早足で路地を抜けていく。それにまるで影のように付き添う老人が歪んだ笑顔を見せながら勇者に提案した。
「魔族を勇者様の手で屠ればいい。ガディスを火の海に沈めようとする魔族共を殺し、真の英雄となって、凱旋すればきっと仲間もギルドも貴方を認めるでしょう」
「……魔族はどこにいる」
「既にガディス内に潜んでおりますぞ……着実に……確実に……火が上がるように……燃えるように……」
「ちっ! やはりか! ならば今すぐ向かわないと」
「竜車を使えば半月ほどで……おそらく事が起こるのは一ヶ月以内でしょう……ですが勇者様なら【転移陣】を使えばいいのですよ……あの男もそうしました。勇者様なら簡単な事」
あの男と、という部分に反応したセインがギロリとそこで初めて老人へと顔を向けた。
「誰の事だ」
「勇者殿のよく知る男ですよ……今はパーティから抜けた……と聞いていますが」
「……なぜあいつの話がここで出てくる」
「おや、ご存じないのですか?――あの男は今ガディスにいますぞ……何やら企んでいるとの事です」
「……」
勇者の顔が歪む。色々な考えが脳裏をよぎり、そして気付けばセインは駆けだしていた。
「――レドか!! あいつか!!」
こうして小さな種火が少しずつだが、ガディスへと集まって来ているのだった。
だが、結局セインがガディスへと辿り着いたのは、この約一カ月後となる。そしてそれをきっかけにシース達の運命が大きく変わろうとしていた。
☆☆☆
〜【白竜の息吹】リーダー、“白剣のシース”の自伝 火の章より〜
“辺境の街の冒険者に過ぎない私達だったが、とある事件によって私達の運命に灯火が付いた。その火はまるで誘うかのように私達を戦いへと導いていったのだ。今思えばそこに私達の選択の余地も意志もなかっただろう。あの時点で私達は決して英雄ではなかったのだから。事件後の私達に対する評価について、私は何度も抗議を申し立てたが却下された。だからこそ、ここだけでも真実を綴っていきたい。あの、まるで渦巻く業火のような戦いを、それに抗う術を持てなかった哀れな誘蛾である私達の顛末を、語ろうと思う”
というわけで、久々の勇者さんでした。相変わらずで作者も安心しています。
ミラゼルさんは、素が軽いからこそ、情報統括部門を統括するという鉄の心がいる仕事が出来るのでしょう。怠惰な有能という言葉が似合う女性です。
時系列が若干わかりにくいですが、偽装依頼事件→レドが王都でミラゼルに交渉→レドと入れ違いで勇者登場といった感じです。
次話で少し時間が飛んで、山場が始まります。なぜ勇者が結局ガディスに行くのに一ヶ月かかったかというと、【転移陣】にソロで辿り着けず、結局諦めて竜車を使ったせいです。斥候としての技術も持っておらず遺跡の地図や罠や魔物の知識もレドに任せっぱなしだったせいで、全然ソロでは攻略できなかったみたいです。仕方ないね。
こうして、影で蠢く魔族、導かれた勇者、そしてレドとシース達によって、物語が加速していきます。
楽しみに待っててくださいね!




