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第七章 〜滅びた戦闘民族〜





 樹楊がヒーリング・ジェイムで治療を始めて早三か月が過ぎようとしていた頃。

 季節は第四期に移り変わり、雪も降り始めようかとする季節。

 人々は防寒着等で寒さを凌ぐ厳しい気候ではあるが、暖かなスープが美味しい季節でもある。


 白鳳で行き倒れになっていたところを樹楊に助けられたオルカは、自国の城内をうろついていた。叶わぬ恋愛模様が歌詞の歌を気持ちよさそうに歌っている。そのテノールの声は聞く者の耳をくすぐり、自然と振り向かせた。どうやら機嫌がいいようだ。満面の笑みを浮かべ、頭の後ろで手を組んでいる。


 今日は何をしようか。

 久しぶりに買い物をして、美味しい物をたくさん食べたい。それならばっ、と駆け足の準備をした時、一人の兵が手に書類を持って現れた。

 オルカはじとっとした視線で兵を見やるなり「しごと……」と呟き、普段の倍はあるスピードで駆けて行く。つまり、逃げたのだ。


「オ、オルカ様っ?」


 聞こえちゃいるが、止まる気はないようだ。耳を塞いで猛ダッシュをかます姿は、悪戯をした子供が母親から逃げるよう。


「オルカ様っ、ちょ、待って下さい!」

「知らない、知らないっ。今日は遊ぶんだっ、遊び倒すんだ!」

「いつも遊んでるじゃないですかぁ! オルカさまっ」


 兵はそのスピードに追い付けないらしく、みるみる離されていく。が、しゅたたたたっと逃げていく後姿を見て、ぐっと歯を食い縛る。何やら覚悟を決めた表情だ。


「オルカ=フォーリン・ク……クルード様!」


 フルネームで呼ばれたオルカはピタリと足を止める。そして遠くからその名前を呼んだ兵に冷たい視線を送る。兵は背筋を伸ばして震える足に力を入れた。固唾を飲んでオルカが傍に来るのを待っている。オルカは足音も立てずに兵に近付くと、頭三個分も下から凍った笑み。


「ボクさ、その名前で呼ばれると何だか殺したくなっちゃうんだよね。キミ、知らなかった?」


 名前に国名が付く者は、この国に三人しかいない。オルカ=フォーリン・クルード。

 クルード国王の血を引く者である。


「し、承知の上ですっ」


 兵は蛇に睨まれた蛙の如く、ただ身を震わせていた。しかし、自分の手元の資料に気付くと大慌てでオルカに差し出す。


「オ、オオオルカ様に頼まれていた事を調べました」


 その資料を手にしたオルカの表情は一転し、飴玉を貰ったガキンチョみたいな顔になる。

 喜色満面でページをめくり、またテノールの歌声を披露し始めた。

 そして、兵に「ごめんね」と謝ると膝を着かせ、ご褒美に頭を撫でてあげた。

 ちっちゃなオルカだが、その地位は高く、刃向かう者など殆どいない。普段から滅多に怒らず、陽気なオルカはクルード兵のマスコットキャラみたいな存在でもあった。


 そのオルカが格段嬉しそうに呟く。


「やっぱりボクが思った通りだぁ」

「その男……まさか」

「うんっ。そのまさかだね」


 にぱっと笑い、固唾を飲む兵の腰をぱしぱし叩く。

 手元の資料の最後のページは半透明のフィルムで、その中央には樹楊の半立体画像が映されていた。


「この人の名前はキオウ=フィリス・クルード。ボク達の王の息子だよ」

「し、しかしその男はっ、スクライドのっ、その……」


 その声はオルカには届かないようで、樹楊の画像を愛しそうに見つめている。

 指で輪郭をなぞり、感嘆。


「ホントにボクのおにいさんだったんだね……。やっと見つけた」


 オルカはそのフィルムを、まだ成長途中の胸に抱く。



 ◆



「午後から、一週間後に控えた侵攻戦の軍議があるから」とアギに促された樹楊だったのだが。樹楊は、その午後に故郷に帰っていた。


 あのドロドロしたジェルの中から昨日出たばかりだってのに、冗談じゃない。

 三か月も身動き取れずにいたんだ。少しくらいリフレッシュさせろ、とぶつくさ言っている。普段からリフレッシュしているくせに、ここぞとばかりに文句を垂れているが、あのヒーリング・ジェイムの効能はまさに神効。どうやら開発中のヒーリング・ジェイムは樹楊にシンクロしたらしく、その効力の高さを見せつけた。


 潰れたような肩の怪我は勿論、失った肘も再生した。まだ違和感があるが、剣も振るえる。懸念していたリハビリも必要がないようだ。

 ヒーリング・ジェイムが実用化されれば、スクライドは無敵の王国を築けるだろう。しかし、未知なる部分が多く、シンクロ出来る人間は皆無。

 たまたま『その時の樹楊』に適していただけで、今の樹楊に効果があるかと言えば、研究員達は雁首揃えて疑問符を浮かべるだろう。


 だが大きな一歩を踏み出せた事には変わりはなく、研究員達は祝いの宴を開いた。


 治療中に色々な人が見舞いに来てくれたのは、そこはかとなく嬉しかったが、今考えると素っ裸の身体を見られたわけで。

 故郷に来た理由の内に、カプセルから出てから誰にも会いたくない。という理由も含まれている。


 でも、まぁ。

 それは些細な理由だ。ここに来た一番の理由は他にある。

 スクラップ置き場に行くと、仕事を終えたばかりのニコを見つけた。その名前を一言だけ呼んでやると、ニコは向日葵のような笑顔で走ってくる。


「キョーちんっ、ひっさしぶりー」


 弾んだ声で出迎えてくれる度に、故郷の素晴らしさを噛み締めてしまう。

 ニコは笑いながら飛び付いてくる。その小さな身体を回すように回転すると、嬉しそうに笑ってくれた。


「キョーちんっ、久し振りだねっ」

「あぁ、三か月ぶりだな」


 頭をわしゃわしゃ撫でてやり、適当な大きなの岩に座る。ニコも隣に座ってくると、足をパタパタさせた。


「ニコ、これ。受け取れ」

「ん? お、お金。こんなにっ……」


 ずっしりとした札束に、ニコは驚いて目を丸くする。樹楊は微笑みながらその顔を観察していた。喜んでくれるだろう。そう思っていたが、ニコの顔は悲しそうに雲が掛かる。


「どうした? 何で悲しそうにする?」

 ニコは札束を胸に抱え、俯きながら震えた声で遠慮がちに喋る。


「今度は……何をしたの?」


 そうだった。

 ニコは自分が危ない事に足を踏み入れている事を知っているんだった。

 こんな大金を渡されたら、訊かずにはいられなかったのだろう。

 だが、このお金はラクーンからの正当な報酬だ。白鳳と同盟を結ぶ為に使いとしての任務を果たした結果なのだ。樹楊は胸を張って答えた。


「ばーか。これはな、ちゃんとした報酬だ」

「ホント?」

 潤んだ目で、ニコ。


「あぁ。結構大きな仕事でな、その成功報酬なんだ。だから、もっと喜んでくれよ」


 ニコの泣きそうな顔に、胸が苦しくなったがこれだけは胸を張って言えた。

 涙がこぼれ落ちる前に、ニコは目を拭うと笑顔で頷く。その顔の為なら、何でもやれる気がした。だけど、ここで誓おう。


「俺はもう、違法な事はしない」

 

 その言葉に、ニコはぐすっと鼻を鳴らして引っ込めた涙を流した。

 泣かないように唇を噛み締めている顔が、樹楊の誓いを強くさせる。


「少し、時間が掛かるけど……いいか?」

「うんっ。そのっくらい、どうっ、て事、ないもん」


 鼻の頭を真っ赤にしながら強く頷くニコが、とても強く見えた。

 違法な事はもうしない。スクライドから権利を買うには時間が掛かるが、それでもニコは悲しませたくない。だからこそ、危ない橋を渡るのは止めよう。戦ともなれば死は付き纏うが、それでも自分は死んではいけない。

 この笑顔を護る為にも。


「あと、お前にプレゼントがある」


 なに? と首を傾げるニコの横で圧縮バックの紐を解くと、中から真珠のように輝くドレスを取り出した。それをニコに渡して「ウエディングドレスだ」とニカッ。

 ニコは狐につままれたような表情を浮かべると、ドレスを手に立ち上がる。

 そしておもむろに広げた。


「うわぁっ」


 ニコの感嘆を買うドレスは、上質なシルク生地でシンプルなデザインだった。

 袖は繊細なレースが施されており、肩から襟元に掛けて天使の羽根が刺繍されている。

 シルエットは美を流し、太陽の光を受ける毎にきめの細かいパールが輝く。


「そいつは白鳳って国のドレスなんだ。本当は旦那さんからプレゼントするんだろうけど、向こうの生活も楽じゃないと聞いてな。厚かましいかもしれねーけど、俺から二人にプレゼントだよ」


「キョーちん、ありがとう……大事に食べるねっ」

「…………は? 食べっ」


 どうやらニコは込み上げる嬉しさに混乱し、自分でも何を伝えたいのか解らなかったらしい。それでも、感謝の気持ちは十分に伝わってきた。ニコは焦り、何度も言い直そうとするが変な言葉しか出てこない。

 よほど嬉しいと見える。樹楊にとっては、それだけで満足だった。


  ニコをからかい、そろそろ泣き出しそうになる頃、ポケットに突っ込んでいた真新しい通信機がやかましく鳴り出した。アギだろうと取ると、鼓膜が破れそうなほどの怒声が耳に強行突破してくる。


「一体何をしてるんだ、お前はぁぁぁ!」


 通信機から耳を離し、耳を押さえる樹楊。しかし発信者の怒りは収まらないらしく、未だギャンギャン騒いでいる。一方的に怒りをぶち撒けるのを待ち、収まった頃を見計ってようやく通話を開始。


「はい、樹楊っすけど。誰?」

「おまっ、私の話……」


 この声は聞き覚えがある。

 確か、そうだ。


「酒場の――」

「お前の上官、ミゼリアだ!」


 キーンと鳴る耳を押さえ、反対の耳に当ててからやっとの事で思い出した。

 居たな、そういえば。程度だが。

「で、小隊長さまが何用で?」


 ミゼリアは重い溜め息を落とすと「まぁいい」と諦める。


「実は、軍議の中で我が小隊に北東の『キラキ樹海』の調査を与えられてだな。お前にもその報告をと思ったんだ」


「はぁ、ご苦労様です。でも何で俺に報告を?」

「お、おぉっおぉお前も私の部下だろうが!」


 あぁ、そうだった。今しがた自分から小隊長さまとか呼んでおいて忘れていた。

 ミゼリアは重々しい口調で説教を始める。が、樹楊は聞く気などなく、ニコと焼いた芋を頬張り始める。皮を剥き、金色に輝く中の身は甘くて美味しい。横に置いた通信機が何か喋っているが、気にはならないようだ。

 そして向こうの説教の声が終わった途端、通信機に耳を当てた。


「解ったか? それが兵としての心構えだ」

「はい。重々承知したっす」

「ならば言ってみろ。兵とは何だ?」


 不味い。ここで問われるとは思ってもいなかった。いつもならここで「よろしい。以後、気をつけろ」とくるハズなのに。樹楊はムグムグと芋を食べていると、ミゼリアが切り出す。


「兵とは?」

「芋の焼き加減にだけは厳しくあれ」

「そうだ、お前も――ちっがぁぁぁう!」


 最近小隊長も愉快になってきたな、とか悠長に思っているとミゼリアの弱音が聞こえた気がした。何でも「もうヤダ」とか何とか。大分お疲れの様子だ。何があったかは解らないが、気を使ってみる樹楊だった。


「小隊長、後で芋喰いません? 俺の作る焼き芋、めっちゃ美味いっすよ」

「今はそれどころじゃない。取り敢えずお前とは現地近郊の街で会うとしようか」

「デートの誘いっすか?」


 それに対しては完全に無視され、何も言われずに通話を切られてしまった。小隊長もニッコリ笑えば可愛いだろうに、いつも厳格な面持ちで持前の美が台無しだ。


「キョーちん、お仕事?」

「あぁ、まーな」


 ニコは芋をかじり、

「ふーん、何処で?」

「そりゃお前……あれ?」


 小隊長は何て言ったか。何処の街に行けばいいんだっけ?

 樹楊は腕を組んで考えるが、

「ま、芋喰ってからでいいだろ」

「そーだねっ」


 バカ二人はほくほくの芋に舌鼓を打ちながら談笑する。


 

 ◇


 待ち合わせの時間に完全に遅刻したと言うのに、樹楊は悪びれる様子もなく仲間達と合流した。芋を食べ終えてから地図を開き、何となく「ここかなー」と目指してきたが、その予想は大当たりのようだ。しかし五人の小隊隊員は機嫌が悪い様子。樹楊を見るなり舌打ちしたり睨んだりと、個々なりの機嫌の悪さを表していた。

 その中でもミゼリアが特に機嫌が悪いらしく、腰の剣に手が掛かっている。口元がひくひくしていて目が鋭く尖っていた。


「樹楊、お前……何時間遅刻した?」


 樹楊は通信機に表示されている時間を確認すると、規則的に頷いた後。


「今で二時間ですね、ジャスト」

「……何か言う事は?」


 んー、と頭を掻き「遅刻してスンマセン」

 素直に謝ってみた。するとミゼリアは苛立ちを乗せて鼻を鳴らし、剣から手を離した。周りのメンバーもやれやれと首を振る。

 樹楊を含めて六人編成の小隊は、隊長がミゼリアで唯一の女性。あとは兵士の名に恥じない身体つきで、戦ともあれば勇猛な姿を見せる。


 しかし樹楊は別だ。

 普段から訓練を怠っている樹楊は周りと比べて細く、すらっとしている。一般人に比べれば筋肉はある方だが、兵士としては華奢。

 スタイルがいい、と言えば聞こえはいいのだが。


 樹楊と合流したミゼリア率いる小隊は、キラキ樹海の近くにあるキラキという街に足を運んだ。街は平野から少しばかり高い丘の上にあり、山の幸が好評の人口二千人ばかりの街である。スクライドと比べれば、多少は田舎ではあるが、食べ物や酒に関してはキラキの方が一段も二段も上だ。建ち並ぶ露店も、行商人から高い評価を得ている。


 ミゼリアは小隊の各隊員に聞き込みの仕事を言い渡すと、二時間後の集合場所を街の広場にある噴水の前と定める。解散した隊員は散り散りになるが、そこにぽつん、と樹楊。


「えーと、小隊長」

「何だ。お前も早く聞き込みに行け」


 頬をポリポリ掻き「何の?」

「おま、私の話っ」


 二人の間に一陣の風が吹き抜ける。

 冷たい風に身を震わせた樹楊は、首に巻いている真っ黒のマフラーに顔を埋めた。

 ミゼリアは全身を『怒』で満たし、腰の剣の柄を握り締める、が。


「くしゅんっ」


 ミゼリアは己のくしゃみで怒気を遮ってしまう。改めて睨もうとするが樹楊は腹を抱えて笑っている為、その怒りの受取人は不在。


「な、何がおかしい! そこになおれ!」

「あっははははっ。いやぁ、小隊長も可愛いくしゃみするんすね」


 涙を拭い、赤面の小隊長の肩をポンポン叩く。上司に向って失礼極まりない態度は樹楊の特技である。普段のミゼリアなら、ここで一喝するのだが誤魔化すように怒鳴り散らしている。しかし街民の視線を買っている事に気付くと、急に静かになった。


「もう知らんっ。訊き込む事についてだが――」


 手早く済まそうとするミゼリアだが、その言葉を樹楊がマフラーを巻いて遮る。

 予想外の気遣いに驚きを隠せないミゼリアは樹楊と巻かれたマフラーを交互に見た。

 

「それなら歩きながらでもいいじゃねーんすか? 黙っていても寒いだけだし」

「あ、あぁ。そう、だな」


 ミゼリアはマフラーに顔を埋めて、さっさと歩いて行く樹楊の背を見ながら後を追う。

 樹楊は行く宛があるかのように、迷う事無く歩いている。


「で、訊き込む事って、何すか?」

「あぁ、ここ最近な、キラキ樹海での魔獣による被害が多いらしい。キラキ樹海は色々な幸が取れる、言わばキラキの民にとって食物の宝庫だ」


 行き交うキラキの住人は樹楊らをスクライドの兵と解るなり、深く頭を下げる。ここはスクライドの領地であり、スクライドが護るべき街でもある。キラキには兵と言える存在などないが、定期的に赴任してくるスクライドの兵によって護られている。しかし、それは三年ほど前からだ。


「俺達の任務はその魔獣の退治っすか?」

「あぁ。その魔獣の目撃情報を元に推測してみたらしいんだが、それがどうも見た事もない種族である確率が高いと判断された」


「すると、退治だけじゃなくて調査も兼ねてって事っすか」

「そうだな。どうやら魔獣は知能が高いらしくてな。その上、警戒心も高い。その姿を見た者もハッキリとは見ていないらしいが、人と変わりない大きさ、とも言ってたな」


 樹楊は興味無さ気に「そうですか」と言い捨てると、一軒の飯屋に入って行った。

 流石に戸惑うミゼリアは樹楊を止めようとしたのだが。


「あら、キョウさんじゃないかいっ」


 店のおばちゃんが、嬉しそうに樹楊の背を叩く。どうやら樹楊も覚えているようで、娘さんは元気か? などと世間話をしている。


「お前、知り合いなのか?」

「あ、あぁ小隊長。俺、数年前に旅をしていたでしょう? そん時にここで世話になった事があるんすよ」


 嬉しそうにおばちゃんにミゼリアを紹介し、出されたお茶を飲む樹楊。

 呆気に取られていたミゼリアだったが、おばちゃんの押しの強いもてなしに負けて席に着いた。


「おばちゃん、俺仕事で来たんだけどさ。訊きたい事があるんだけど」

「うんうん、何でも訊いておくれ」

「キラキ樹海の魔物……についてなんだけど」


 その言葉を口にした途端、店内は静まり返り空気が重くなった。

 これは相当な被害を受けているな。樹楊はそう思った。隣のミゼリアも強張った顔をし、真剣な眼差しをしている。


「助けてくれるのかい?」


 心配そうに訊いてくるおばちゃんに対し、間髪入れずに頷く樹楊。お茶を一気に飲み干して訊く姿勢に入った。



 ◇



 情報を集め終えた小隊は一度集まると、日付が変わる頃合いになってから樹海に足を踏み入れた。樹海は奥に進めば進むほど大木が重なるように生えていて、草も伸びきっている所為でライトで足元を確認しなければ進むのは困難を極める。ミミズクは不気味な鳴き声を上げるが、樹海への来客者を見付けると逃げるように飛んでいく。


 キラキで得た情報をまとめると、その魔獣による被害は深夜から未明の間に多く、樹海の奥地で目撃されているらしい。眼は琥珀に光り、素早い動きはその輝きの残光を残していた、との情報もある。それだけを考えると、魔獣は猫系である事が予想される。


「猫系の魔獣種って初めて聞きますね」

ミゼリアの部下がおもむろに口を開いた。


「あぁ、本当に猫系の魔獣種であれば未確認の種族だ。調査もしなければならないだろうな」

「捕らえられますかね?」


「さぁ、な。瞳で残光を引くほどのスピードの持ち主だ。簡単には捕まえさせてくれないだろう」


 魔獣について意見を交わし合っている小隊だが、樹楊は終始沈黙を守り、辺りをキョロキョロしている。木の根元をみたり、倒木を隅々からチェックしたりと他の隊員には見られない行動をしていた。


「樹楊、どうした? 目撃現場まではまだあるぞ?」

 

 ミゼリアが急くように尋ねるが、樹楊は振り向きもしない。余程集中しているのだろう。

 その態度に、隊員が悪態を吐く。


「また逃げる準備でもしてるんじゃないですか? 戦の時もそうでしょう? 勝手にフラフラして、こいつだけ無傷で」


 そう吐き捨てると、ミゼリア以外の隊員が見下した笑い声を上げる。だが、樹楊は気にも留めずに独自で何かを調べている。


「なぁ、どうしたんだ?」


 ミゼリアが心配そうに寄ってきては顔を覗き込んできた。部下一人一人の事を気に掛ける性格は、隊員から信頼を得ている。隊員はミゼリアを呼びながら先に進んでいく。警戒心など薄いのだろう。


「いや、もし俺の推測が正しければ」

 そこで間を置くと、いつになく真剣な表情で口を開く。


「ここはもう、そいつのテリトリーです。倒木には真新しい足跡。木には、これまた新しい爪痕がありました。しかも、そいつは『完全な魔獣』ではないです」


「どういう――」

 事だ、と訊こうとする前に、先に進んだ部下達の怒声が響いてきた。その声は勇猛ではあるが、戸惑いを隠しきれていない。樹楊は剣を抜くと、身軽な動きで跳んでいく。


「なっ、あいつ……。こんな足場なのにっ」


 ここの足場は大小様々な倒木で構成され、苔が生えているいる所為で滑りやすい。

 樹楊はその足場をものともせず、疾駆しているのだ。

 身軽な動きは樹楊の特権だ。力がない分、素早さでは群を抜いている。


 ミゼリアがもたもたとしている内に、樹楊は隊の元に着いた。

 そこには、気を失っている隊員が二人。


「どうしたんだ?」


 隊員一人が嬉しそうに振り返るが、その相手が樹楊だと知ると舌を打つ。

 そして何も言わずに背を向けられた。

 まぁ、大体の想像はつくけどね。と、そびえ立つ大木を見上げる。丸く見える夜空を遮るように伸びる枝と枝の間。

 その間を、黒い影が一瞬だけ姿を見せた。

 そして右の奥から物音。


 速すぎるぞ……。 

 樹楊は息を飲む。

 ここでやっと追い付いてきたミゼリアに、隊員は状況を告げた。


「突然上空から襲撃を受けましたっ。それにより、二名が気絶っ」


「姿は?」

「か、確認出来ませんでした。自分は前方を歩いていたもので……」


 そうか、とミゼリアは頷き樹楊を見る。

「もう奴のテリトリーに入ってると言ったな?」


「言いましたね」

 樹楊は空を見つめたまま、返す。


「正しく言えば、樹海そのものが奴のテリトリーです」

「それで、完全な魔獣ではないと、その意味は何だ?」

「解りませんか?」


 相変わらず空を見上げている樹楊の態度に隊員は憤慨し、荒く肩を掴んできた。


「貴様! 小隊長にその態度は失礼だろう!」

 樹楊は鬱陶しそうに肩の手を払い、それでもまだ夜空を見上げている。


「星など見ている場合か! こちらを――」

「バカ! 避けろ!」


 樹楊が隊員の言葉を切った瞬間。上空から鋭い一閃が降ってきた。

 その閃光は隊員二名を続けて襲う。あまりのスピードにミゼリアは剣も抜けず、無能な隊員は二名とも白目を向けて気を失ってしまった。


「ちっ、何も考え無しに吠えるからだ」


 樹楊は舌を打つと、再度空を見上げる。

 状況が把握できていないミゼリアは樹楊に倣い、上空を警戒しながら樹楊の元まで近付くと背を合わせた。


「な、何だと言うのだ」

「奴は樹海を住処とする戦闘民族です」

「戦闘民族? 獣ではないのかっ?」


 ミゼリアが漏らす驚愕の音に樹楊は頷くと、続きを繋げる。


「恐らく、人間と魔獣の混血種です。知能が高いわけだ。ここではアイツに敵いませんよ」

「混血……そんな種族、聞いた事もないぞ」

「でしょうね。俺も旅の途中で耳にしたくらいですから。それから興味をそそられて、文献などで調べました」


「そ、それで? 何か解ったのか?」

 コクリ、と樹楊。


「猫型である事に違いはないでしょう。奴は聴力が高く、夜目が利く。音で大体の場所を把握し、目で再確認。そして襲ってくるってわけです」


「混血種で……猫型? どういう意味だ」

「猫の能力を兼ね備えた人間……って言えば解り易いですかね」


 樹海の木々は吹き抜ける風にざわめきだし、微弱な音を消す。人である樹楊らには木のざわめきしか聞こえない。しかし、突き刺さる視線だけは感じていた。


「小隊長、気を付けて」

「あ、あぁ」


 ミゼリアは頷くと、一度視線を前に戻した。首が疲れたのだろう。

 その判断が正しかった。


 樹楊の言う混血種の戦闘民族が目の前から暴風のように駆けてきたのだ。

 その者が、剣を振る動作にも入っていないミゼリアの前でピタリと止まると、狂気の瞳孔で睨んでくる。


 そして横薙ぎに一閃。

 雑な剣は月の光も受けずに、闇を切り裂いてくる。

 しかしミゼリアとて、訓練を堅実にこなしてきた。剣を振るわなかった日は一日とてない。幾多の戦地も、女性というハンデを抱えながらも男顔負けの実力を発揮してきたのだ。


「ナメるな!」


 ミゼリアは横薙ぎにくる閃光を、剣先で鮮やかに流す。行き場を失った太刀筋は、ミゼリアの頭上で乱れた。その剣をミゼリアは振り上げで折る。

 その瞬間、ミゼリアの背に二つの反動が響く。トトンっと軽やかに叩かれた。


 混血種は深く屈伸すると、舌打ちをして真上に跳ね上がった。

 体制を整える為だろう。

 しかし、その先に待ち構えるのは樹楊だった。樹楊は混血種の一手先を読み、ミゼリアの背を借りて上空に跳んでいたのだ。


「残念だったな」


 樹楊は左奥に流していた剣先を、力任せに振り抜こうとした。

 しかし、それが出来なかった。


 混血種の顔。雄々しくも整った顔立ちをしている少女。

 その顔が、悲しそうに歪んだのを見てしまったからだ。


「くそっ」


 樹楊は剣の柄頭で混血種の首元を殴りつけ、地に落とした。


「樹楊、良くやった!」

 ミゼリアは地に落ちた少女の首を狙い、剣を振り被る。

 しかし、それすらも樹楊は止めた。


「何故止めるっ?」

「気絶……してます。拘束して事情を聞いてからでも遅くはないでしょう?」


 ミゼリアは少しだけ考えると、剣を下ろして拘束の命を出してきた。

 樹楊は縄を出して、気絶している混血種を後ろ手に縛り、足も縛る。


 身長はミゼリアと変わらないだろうか。しなやかで柔らかそうな筋肉の上に露出の多い衣類を纏い、微かに褐色の肌。赤褐色の髪はショートでボーイッシュ。そしてその髪に隠れきれていない猫のような耳がピクピク動いていた。

 尻尾も猫のよう。


「樹楊……こいつは」

「この大陸がソリュートゲニアと呼ばれる前に、エルフと並んで強い勢力を持っていた種族、らしいです」


「らしい?」

「えぇ。古い文献にしか載っていないもので詳しくは解りません。魔法のエルフ、武芸のウォー・ビーストと称されていたんですが、後に滅亡したと記載されてしました。こいつはそのウォー・ビーストの中で『メノウ』と呼ばれる猫系混血種でしょう」


 樹楊は至極真面目な顔で説明を述べた後、剣をホルダーに納めてメノウの元に膝を着く。

 そして微笑んで、メノウの頬に掛かる赤褐色の髪を優しく払う。

 その光景を見ていたミゼリアは、声も出せずに突っ立てるだけ。剣を納める事すら忘れていた。


「さて、呑気の寝ていやがる隊員どもを起こしますかっ。ね? ミゼリア小隊長」

「あ、あぁ。そうだな」


 ミゼリアはやっとの事で剣を納め、伸びている部下の身体を揺さぶり、起こしにかかる。

 樹楊は気絶している仲間を足で揺らし、起こしている。その様はいつもの樹楊。

 先程見せた姿からは想像も出来ない。

 ミゼリアは見定めるように、樹楊を横目で見ていた。





 混血種のメノウは目を覚ますと最初に首筋の痛みに気付き、手を添えようとした。

 だが、その手が動かせない。そして自分の身体に目をやると、手は後ろに、そして足も縛られている事に気付いた。


「気付いたみたいだな」


 堂に入った姿勢で見下ろしてくる、金色の髪を後ろに束ねた女。凛々しく、戦士の風格がある。兵士の恰好をしたその女を見ると、メノウは思い出した。

 自分の縄張りにずかずか入ってきた者達の中で、強者の雰囲気を出していた。

 他の男など気絶程度に留めたが、この女だけは殺そうとしていた。


 だが、この女は自分よりも上手でいとも簡単に剣を折られてしまったのだ。

 それでもこれ以上、縄張りに足を踏み入れさせるわけにはいかず、態勢を整えようと跳んだのだ。しかしその行動を読んでいた奴がいた。

 妙に自分の種族に詳しくて警戒心が高い。メノウ一族が木の上の戦闘に優れている事も知っていたようで、常に上を見てきていた。


 でも弱そうだった。

 だからこそ、女を殺した後で何故詳しいのかを吐かせるつもりだったが、計算外だった。


「お前はメノウという種族らしいな」


 女が体勢を変えずに訊いてきたが、メノウは答えずに睨んでいる。喉を鳴らし、猫のような耳をぴくっと動かした。


「すげーな、この猫耳」

 不意に、横から手が伸びてきて自慢の一部である耳を触られた。


「な、何をする!」


 無礼にも触れてきた者に声を荒げた。

 この男が自分を殴った奴だ。腹が立つ。


「何だ。喋れんじゃん」

「樹楊、うかつに触れるな」

「いいじゃねーっすか。結構手触りいいんすよ、これ。ミゼリア小隊長もどうっすか?」


 キヨウという男はぎゅむぎゅむと耳を握ってくる。その度に鳥肌が立った。

 ミゼリアという女は溜め息を吐くと、疲れたように首を振る。


「触るなっ。噛み殺すぞ!」

「お前、名前は?」


 キヨウはこちらの言葉など聞かず、名前を尋ねてきた。無礼に無礼を重ねた、とんでもない人間だ。


「おまえなんかに教えるかっ」

 メノウはそっぽを向いて眉根を寄せる。


「嫌われちまった」

 

 樹楊は頭を掻いて、それでも顔を覗き込んでくる。その態度が鬱陶しいことこの上ない。

 その馬鹿っぽい顔が苛立ちに拍車をかける。

 そのキヨウを無視していると、奥から荒々しい声を出す、これまた男が出てきた。

 そいつは最初に気絶させた奴で、弱かった。だけどキヨウよりも身体つきは良く、兵士らしい。


「こんな奴、何も聞かなくていいでしょう! 即刻首を刎ねるべきです、小隊長!」

「しかし、だな」


 ミゼリアは判断に迷うが、奥から賛同する声に押されると決意めいた目付きになる。

 その力強い目線はメノウに刺さった。


「そうだな。珍種とは言え、スクライドの領地を荒らした上、人々に危害をも加えたのだ、この場で討つか。何者かは調べれば解るだろうしな」


 すらっと剣が抜かれ、月の光が反射された。後ろの部下達も満足そうに笑みを浮かべてこちらを見てきている。剣が天に向かって突き出された時、メノウは命請いなどせずに目を瞑る。

 死にたくはないが、人間に命請いなどしたくはない。

 潔く頭を下げて、斬りおとし易いように首筋を見せた時だった。


「ふーん、アンタら死にたいんだ?」


 キヨウが訳の解らない事を呟く。

 その言葉に、メノウは振り向き、ミゼリアも振り向いた。そして他の男共も。


「どういう意味だ?」

 ミゼリアが怪訝そうに訊く。


「いや、こいつは混血種です。魔獣と人間のね。そしてこの樹海はこいつの縄張り。恐らく、この樹海の王なる存在って事っすね」


 キヨウはニコニコと述べるが、ミゼリア含む男共は苛立ちを込めて疑問符を浮かべた。

 そしてその中の一人がキヨウの胸倉を掴むと、押し殺した声を出す。


「解り易く説明しろっ」

 

 キヨウは肩をすくめると、凍った目付きで笑みを浮かべる。その冷笑に男も気圧されるが、すぐに格下を蔑む目付きになる。


「こいつを殺したら、樹海の獣という獣が襲ってくるってこった。王の仇討として、俺達を生きては返さない。そればかりか、キラキの街にも被害が及ぶだろうよ」


「嘘をつくな!」

「なら殺してみろ」


 キヨウが力強く言うと、男はメノウを横目で見る。そして舌打ちをすると、キヨウの胸倉を捨てるように払った。


 このキヨウという男。

 仲間とは上手くいっていないらしい。

 見えない壁がハッキリ解る。

 ミゼリアだけは少しばかり近い位置にいるが、それでもキヨウは異端なる存在なのだろう。


 キヨウはメノウの視線に気付くと、意味深な笑みを浮かべる。そして近寄ってくるとナイフを取り出し、自由を奪っていた縄を切ってくれた。


「おまえ……」

「いいから、もう行けって」

 

 頭を撫でてきて、ついでに耳をぎゅむぎゅむ。キヨウはうっとりとした顔で感嘆。


「うわぁぁぁっ、それはやめろっ」


 メノウは全身を波状に振るわせて寒気全開の声を出すと、ミゼリアとその仲間達がキヨウの行動に気付いて剣を抜く。


「樹楊! 何故縄を解く!」

「だから、言ってるじゃねーっすか。こいつに何かしたらキラキは終わりますよ? 連れて行っても結果は同じ。小隊長は任務を掲げてキラキに被害を与えるんっすか?」


「しかし、それではっ」

「大丈夫ですって。幸いにもコイツには言葉が通じる。話し合いで解決しましょうよ」


 キヨウはミゼリアの承諾も得ずにメノウの前に座ると、人間への無差別の攻撃は止めるようにと告げてきた。メノウは頷くと、不思議そうにキヨウを見た。活発に動く瞳が好奇心を表している。


 本当に変なやつだ。

 さっきから嘘ばっかり吐いている。


「んで、こいつは手負いのまま滝壺に落ちた、とでも報告しましょう」

「嘘を吐けというのかっ?」


「仕方ないでしょ。俺達が嘘をつけばキラキの街も平和に過ごせる。この樹海にも安全に足を運べる。これ以上ない平和的解決だと思いますが?」


 キヨウの言葉にミゼリア共々は仕方なくといった感じで頷く。この者達は国民を第一に考えているようだ。その国民の為ならば、嘘もいとわないといったところだろう。


「あぁ、そうだ。これ食うか?」


 キヨウはバックから紙に包まれた板状のものを差し出してきた。

 初めて見るモノだ。しかも「食うか?」と訊いてくるって事は食べ物なのだろう。

 メノウは警戒するように受け取ると、紙の上からくんくんと匂いを嗅ぐ。


 悪くはない匂いだ。

 だけどこの紙は食えそうにもない。

 その不思議な食い物を上から下から見ていると、キヨウが笑いながら取り上げる。


「こいつはな、この紙を破って食うんだよ。チョコレートだ」

「ちょ、これーと?」

「知らないのか。ほら、これを破って……」


 ぺりぺりと破ると、中から茶色い何かが出てきた。再度匂いを確認。

 そして舌先でちろちろ舐めて、僅かに得られた味を口の中で確かめる。


「あ、甘い。何だ、これはっ」

「だからチョコって言ってる――ってオイ。訊いてきておいて無視か」


 メノウはあまりの感激に、チョコをがっついていた。溶けるだの甘いだの、忙しく食べている。



「樹楊、行くぞ」

 ミゼリアがキヨウの背を叩いた。


 隊員は既に帰る準備を整えており、残るはキヨウのみとなっている。


「そうっすね。用は済んだ事だし、帰るとしますか」


 キヨウは振り返ってくると、頭をぽんぽん叩いてくる。その顔は計算も何もない、普通の笑顔を浮かべていた。そして、じゃあな、と別れの言葉。

 メノウはチョコを両手でしっかりと握って、むぐむぐ食べながらキヨウらの背を眺めていた。



 ◆



 夜風でざわめく樹海の中。

 蜘蛛の巣のように絡み合う枝の隙間から月の灯りが降り注いでいるが、やはりライトなしでは歩けそうにもない。足場も最悪。

 倒木には苔がびっしり生えていて、地面はぬかるんでいる。


 ミゼリアらは何度も足を滑らせながら歩いているが、樹楊だけは難なく歩いていた。

 樹楊曰く、その場に適した歩き方をすればいい。らしいのだが、そんな事がすぐに出来るわけがない。重心の掛け方や移動のさせ方も重要だと、さらっと言う。

 ミゼリアは最後尾を歩いている樹楊の少し前を歩いているが、慣れない足場の所為で、息を切らしている。


「訊きたい事がある」

 大木に手を掛けながら歩き、振り向かずにミゼリア。


「何すか?」

 頭の後ろに手を組んで平然とした顔で樹楊。


 ミゼリアはくるっと振り返り、樹楊の後方を指差した。

「何故メノウの女が一緒に来ているのだっ」


 指摘されたメノウは樹楊らから離れた位置にいて、こそっと大木に隠れた。

 下手糞なストーキングである。

 樹楊は、さあ? と首を傾げるとミゼリアに歩を促した。そして明後日の方向を見ながら口を開く。


「ところで小隊長。俺も訊きたい事が」

「何だ? 言ってみろ」


 樹海をぐるりと見回して嘆息気味に、

「道……迷ってますよね?」


 ミゼリアはピタッと止まり、他の隊員達も「えっ?」というような顔で振り返る。

 冷や汗だらだらのミゼリアは、わざとらしく空咳をして隊員達の顔を順に見た。


「ば、バカな事を言うな。こっちで間違いない。お前達は私を信じていればいいんだ」


 じとーっとした不安色塗れの視線がミゼリアに集まる。ミゼリアは間違いないと言うが、樹楊には解っていた。こっちは来た方向と真逆。

 つまり、樹海の最深部に向かっている事を。


 それでも何か楽しそうな事になるかも、と敢えて何も言わずに着いていく樹楊。

 不安に駆られているミゼリアの背中を見るのも楽しかったりする。

 ぼーっとして歩いていると、頭にぽこぽこ何かが当たってくる。

 振り返れば、メノアが木の実を投げつけている事が分かった。どうやら彼女なりに呼んでいるらしい。進める歩のスピードを緩めてメノアに肩を並べると、潜んだ声で話し掛けてきた。

 必死な眼差しだ。


「なぁ、お前」

「何だ?」


 メノウは生唾を飲むと、

「チョコとやらはもうないのか?」


 何かと思えば。

 樹楊は頭の後ろに手を組んだまま、樹海の空気よりも湿った視線を送る。

 メノウはその視線にあたふたし、やがて腕を組んで偉そうに威張る。


「お前がくれると言うのであれば、貰ってやらんでもない。言っとくが貰ってもべ、別に嬉しくはないんだからなッ」


「うっわー……。お前ってツンデレ? しかも言葉使いかってぇなー」


「何だその『つんでれ』とやらは。あれか、「ツンデェェェツンデェェェいぃぃぃやっはぁぁぁぁぁ!」と言いながら襲ってくる戦闘民族の女の事かっ?」


「何だそりゃ……」


 訳の分からない部族を上げられてドン引きしていると、メノウは木の実をこりこりかじりながらもバックをチラ見してくる。余程チョコが気に入ったらしいが、その木の実は食えるのだろうか。樹楊の記憶が正しければ、即効性の猛毒だったはず。だが、メノウは難なく食べている。でも、まぁ……現に平気そうだし、別にいいか。


 チョコはまだあるし、欲しそうにしているから上げてやってもいい。バックに手を突っ込んで漁っていると、頭の上で電球がペカッと輝いた。


「やらんでもないが、一つ条件がある」

「じょ、条件っ? お前、見掛けに寄らず大胆で卑猥な奴だなッ」


 メノウは自分を抱き締めるように距離を取った。何を考えているかは大体分かる。


「アホか、お前は」

「アフォ? アホ? どっちだ」

「どっちでもいい、ンなもんっ。条件ってのは、お前の名前を教えろって事だ」


 メノウは自分を抱き締めたままポカーンとし、自分を指差した。それに対し、深く頷いてやるとモジモジしながら視線を落とす。


「ミ、ミミ……ミネニャだ」

「あ……っはー。いくら猫系だからってニャを無理矢理付けんでも」

「う、うるさい! 名乗ったんだっ。さっさとチョコをよこせっ」


 ミネニャは樹楊の手からチョコを奪うと、雑に包み紙を破り捨てて嬉しそうに噛み付く。

 笑顔の周りに音符マークが飛んでいるようだ。


「俺は樹楊。よろしくな、ニャン公」

「う、うん」


 樹楊は活発に動く耳をぎゅむぎゅむ握ると、

ほうっと感嘆を漏らす。本当にお気に入りの様子だ。


「ふあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、止めろバカタレっ」

 

 樹楊は震えるミネニャを無視し、まだ握っている。しかも両耳。

 流石「肉球よか耳の方が断然いいっ」と言っているだけはある。


 ミゼリアに呼ばれてダルそうに駆けて行く樹楊の背を見ながら、ミネニャは樹楊の名前を嬉しそうに呟く。その口の周りには、溶けたチョコがぺっちょりついていた。


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