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第五章 〜死の帯〜



 樹楊らが白鳳を出んとする頃、スクライドの謁見の間では赤麗を批判する声が上がっていた。


「何故降伏を認めなかった!」


 声を荒げているのはグリム。脳の血管が切れるのではないかというくらい青筋を浮かせて怒鳴っている。

 紅葉が鼻で笑えば声を荒げるグリム。

 この二人は水と油のようだ。


「降伏? 喧嘩売っといて『負けました、すみません』はないんじゃないの? 殺し合いにルールなんて必要ないわ」


 事の発端は二日前の戦にあるらしい。

 兵士の大半が実家に帰省している中で起こった防衛戦、最早負けが見えた時に現れたのが紅葉率いる赤麗だった。それからというもの、戦局は一転し、赤麗の闘神の如く強さはハッキリと証明された。


 問題は勝ち方にあるとグリムは言う。

 津波のように押し切られたクルードの総大将は負けを確信し、己の命を危ぶみ、降伏の旗を上げたのだ。しかし紅葉はその意を踏みにじり、文字通り皆殺しにしたのだ。

 結果、クルードの千という兵士は誰一人として己の国の土を踏む事はなかった。


「降伏をした敵を斬るなど、兵のする事ではない! お前等は賊だ!」

「アンタね」

 年上に対してもこれである。


 紅葉は見下した目をグリムに向ける。


「戦に規律も何もないでしょ? 負ければ死。白旗振って助かろうなんて甘いのよ。目が合った奴の命の保証はしない。命が惜しいなら剣を捨てろ。これが赤麗よ」


 そう唱える紅葉だが、スクライド側に賛同する者はいないようだ。

 帰省から慌てて帰ってきた兵も最初は赤麗に感謝の言葉を並べたが、事の全てを聞くと手の平を返して批判する。


 それを面白いと思う紅葉ではない。

 ずっと殺意を押し殺しているが、イルラカが間に突っ立っている所為で剣を抜けずにいた。

 勿論イルラカはそんな紅葉の気性を知っての事で間に立っているのだが。


「今回の事は赤麗側には目に余る所があります」


 紅葉は発言したアギを氷柱のような目で睨む。グリムは満足そうに頷いている。


「しかし、我々が目を向ける問題は別にあるのではないですか?」


 アギは靴底を鳴らさずに模範的な姿勢で間に入る。すると紅葉は少し落ち着いたのか、つまらなそうに視線を外した。



「国境警備兵の不可解な全滅。大半の兵の帰省時にタイミングが良い侵攻。誰も口にはしませんが、この二点だけを見てもこれはスクライドに内通者が居る確率の高さを物語っています」


 裏切り者がいる。

 アギのその言葉は場の空気を重くし、全ての者の声を奪った。ラクーンは困ったように頬を掻き、ジルハードは険しい表情を浮かべている。紅葉は興味を失い、謁見の間を出ていく。止める者はいなかった。紅葉とて、疑いの眼差しに耐えられなくなったわけではない。

 本当に興ざめしたのだろう。


 後を追うようにイルラカも出て行こうとしたが、アギに感謝と謝罪の意味を込めた言葉を述べた。紅葉が剣を抜かせなかったのは、アギの絶妙なタイミングも一役買っていたからだ。

 スクライドは赤麗が裏切り者だと不信感を募らせるが、アギそしてラクーンは他に居ると思っていた。

 


 ◆



 樹楊は蓮が運転するバイクの後ろに乗り、横に流れる風景を何も考えずに見つめていた。

 任務が終わったら報告しろと言われていたが、生憎の故障。蓮は持っていないと言う。

 白鳳に戻れば設置されている中型通信機で報告は出来るのだが、面倒だった。

 そんな義務は丸めて捨てた。

 

 それよりも、このバイクがやはり気になった。軍用に改良したとはいえ、ドゥカシーボの排 気量は他の軍用バイクを凌駕していて最高速度も桁違いだ。

 しかしそれは戦闘に不向きなのでは、と樹楊は考える。

 安定性は勿論、装甲が命とも言える機兵戦においてこのスピードはあまりにも速い。敵陣を突破するには申し分ないが、機上の戦闘ではスピードがなくても構わない。


 むしろ速過ぎると自らの戦闘スタイルの軸にブレが生じてしまう。

 つまるところ、実力を発揮できない。そんな事も考えたが、自分のバイクではないので考えても無駄だと気付いた。

 ふと空を見上げ、樹楊がぼそっと呟く。


「今日は日喰いだったか」


 日喰いとは、太陽が月によって一部又は全体が覆われる現象であり、太陽が全て隠されると世界は闇に染まる。


「……きょーくん、それホント?」

 蓮が喰い付いてきた。

 この程度の話題なら興味を持たないだろうと思っていた樹楊は、戸惑いながらも頷く。


「確かアギが言ってた。太陽がすっぽり隠された時に光の輪が見える現象……ダイヤモンドリングだっけ? 綺麗なんだろうな」


 また空を見上げて頷き出す樹楊の眼には好奇心が躍っていた。


「でも昔から日喰いの日には外に出るなって言われてたな。何でだっけ?」

「……日喰いは逢う魔が時」

「オウマガトキ?」

「大禍時とも言って災いが起こる時間帯と言われてる」


 蓮はギリッと歯を食い縛り、視線を左右に走らせている。

 何かに追われているような面持ちで冷や汗が滲み出ていた。


「どうしたんだよ?」

「……逢う魔が時。その時間帯に踏み込んではいけない地帯が、帯状にこの大陸を横切っている」


 蓮はアクセルを吹かし、バイクの速度を限界まで上げた。タイヤは荒れ果てた地を抉るように回転し、自らの力を見せつけるように唸り声を上げて走る。


「その地帯はデッド・ベルトと呼ばれていて、日喰いの時のみ様々な残留思念体が彷徨い始める。簡単に言えば怨念が死霊となり集まる場所」

「そ、それがどうしたんだよ? まさか」


 蓮は頷き、

「……今、私達がいる場所」


 樹楊は固唾を呑み込んだ。相手が霊であれば対抗する武器は持っている。だが、一度に打てる回数には制限がある。

 集団となれば、あっという間にお手上げだ。でも日喰いまであと一時間はある。

 

「蓮、このデッド・ベルトを一時間で通り抜けれるか?」

「……最短距離を走っているけど、このまま走ってギリギリかも」


 樹楊は蓮の言葉に胸を撫で下ろす。

 ギリギリとは言え、回避出来る可能性は十分にある。これでバイクがドゥカシーボでなければ完全にアウトだったのだろう。


 急ごう、そう言おうとした時。

「な、何だ!?」


 後ろから何かが迫って来ている。

 地表を切り刻むように進んでくる様は、まるで水面を斬る鮫のよう。

 その数は一つ……二つ、三つと増えていく。

 地中を何かが突き進んでいるらしいが、その姿が見えない。

 凄まじい破壊音を鳴らしながら迫って来るソレが七つになると、ようやく姿を現してくれた。水面から飛び出てくるイルカのようなソレは頑丈な骨組みのバイクで、先端にはドリルが高速で回転しており、操縦者の身体は子供のように小さい。ボロボロの衣服を纏い、甲殻類の顔。


「ブラスク族か! 何でこんな荒野にコイツらが居るんだよ!」


 かつては砂漠の殺戮者とも名を知らしめた一族であるブラスク族。

 戦闘能力が高く、気性は荒い。

 樹楊は驚きの音を上げて次々に現れるブラスク族を睨む。しかし戦闘は避けたい。

 今闘って勝ったとしても、デッド・ベルトを通り抜けられなかったら死霊の餌食となってしまうからだ。ブラスク族のバイクはスピードに特化しているのだろう。あっという間に左右と後方を囲まれてしまった。


 樹楊はハーフスリットの中から漆黒の拳銃を出す。

「くそ! 一丁しかねぇ上にコイツは五発が限界だ! 蓮、何とかなんねぇのか!」


 怒鳴る声はブラスク族にも聞こえたらしい。仲間内で合図を送り合うと下衆な笑みを浮かべ合っていた。


「きょーくん、声大きい……」


 バレた、と言いたいのだろう。

 樹楊はブラスク族の顔を見ると舌を打つ。


「人語が解るのかよ、こいつら!」


 ブラスク族は髑髏のような顔を歪めると、濁声で笑う。


「ギャッギャッギャッ、オマエ『ポーカー』知ッテルカ」

「あぁ? 人語も話せるのか、カニ野郎」

「ギギッ、オマエラ『ワンペア』。オレタチ『ファイブカード』ダ。ポーカーデ勝ツニハ数ガ必要ナンダヨ!」


 どうやらこの亜人種は数の数え方もままならないらしい。その上、ポーカーのルールも知らないようだ。


 ブラスク族の頭の悪さを親切に教えて貰った樹楊は、微妙な笑みを浮かべて口の端をひくひくさせていた。人語を話せた事に驚きもしたが、頭の悪さにはもっと驚いた。


 それはそうと、ポーカーではないが戦闘には数が必要な状況がある。

 今だってそうだ。機兵戦で多対一は分が悪い。

 それでも樹楊は、


「蓮、真っ直ぐに走れ」


 銃を構えて左のブラスク族を狙う。

 銃口が狙いの位置に定まると、躊躇いもなく引き金を引いた。

 ズンッと腹に響く音と共に標的の上半身は吹き飛び、コントロールを失ったバイクは明後日の方向に走り出す。


 一つ、デリート。


「キ、キサマ!」


 ただの銃だと思っていたのだろう。

 しかし樹楊の持つ銃は万霊殺しの銃であり、威力は砕け散ったカニ野郎を見れば解る。

 ブラスク族は樹楊を警戒し、自らの武器を取り出す。

 鎖鎌や弓。斧や剣など。

 統一性などないが、樹楊が先に狙いを定めたのは後方の弓を持つ者。その次は右、斜め後方の鎖鎌。それらを的確に撃ち抜く。そして槍を持つ者を打つと、宣告した通りの最後の銃弾を、剣を持つ者に撃ち込んだ。


「チッ、弾切れかっ」


 残った二人のブラスク族は笑みを浮かべた。しかし心中穏やかではないのだろう。

 先程から訳の分からない奇声を上げている。

 そいつらが蓮のバイクを挟むようにバイクを並べてきた。武器を構えて、今にも襲って来そうな雰囲気を出している。



「後ロノ男ヲネラエ! 首飛バシテヤル!」

「あのよ、ポーカーで勝つ為に必要なスキル。教えてやろうか?」


 銃口に唇に添えて蔑む目で左方を見る樹楊。

「一つは相手の表情を読むスキル」


 ブラスク族は疑問符を浮かべる。

「二つ目は運の強さ」


「ドウデモイイ! オイ、殺スゾ!」


 左方のブラスク族の合図で二人は樹楊を挟むように飛び掛かってきた。

 己の武器を振り被り、樹楊の悲惨な未来を見て笑みを溢す。

 が、樹楊が両腕を羽のように広げると、『二人の額』に銃口が当てられた。


「ナ、拳銃ハ一ツダケジャ……」


 驚くのも無理はない。

 樹楊は銃を一丁だけだと嘆いていた。

 しかし今、樹楊は片手に一丁ずつ銃を握っている。


 樹楊の口の端が持ち上がる。

 ブラスク族にとっては邪悪な笑み。


 二つの重い発砲音がズレる事無く重なると、二人のブラスク族の頭は粉々に砕け散った。

 地に打ちつけられながら転がる亡骸を見やった樹楊は吐き捨てた。


「三つ目」


 漆黒の銃と純白の銃が、だらしなくぶら下げた手に握られている。

「ブラフの使い方だ」


 樹楊は嘘を吐いていた。

 自分には銃が一つしかないと思わせ、加えて五発が限度とも大げさに叫んだ。

 それは相手に聞こえるようにワザと叫んだのだ。人語を理解出来るかどうかは賭けでもあったが、人語を話した時、嘘が通ったと確信した。だが、漆黒の銃の発砲限度は六回。純白の銃は一度しか撃てない。次に撃てるようになるまでは時間が必要となるのだ。だからこそ、最後の二人だけは同時に殺す必要があった。ブラスク族は単体の行動を嫌う習性がある。

 

 もし一人になったら応援を呼ばれてしまう恐れが生じてしまう。だからこそ、だ。

 樹楊はそれらを計算した上で、射程距離の長い武器を持つ者から排除していった。まさか最後、同時に向かってくるなんて思ってもいなかったが、それは好都合だった。


 ブラスク族の妙な連帯感のお陰で、樹楊は目的を果たせた。これほど上手くいくとは思いもしなかった所為で、笑いが込み上げてくる。

 帰ったらアギに自慢でもしよう、なんて悠長な事も考えていた。


「きょーくん、カッコイイ……」

「まぐれだっつーの、あんなん」


 そうは言うものの、嬉しい事には変わりなかった。だからつい、こんな事を言ってしまったのだろう。


「まー、あんな見え見えの嘘が通るなんざ、馬鹿にもほどがあるな」


 その言葉を聞いた蓮の身体がピクッと反応を見せた。


「……ブラスク族、バカじゃない」

「馬鹿だっての。あんな嘘――って、まさか蓮。お前……」


 声が大きい、と蓮が言ってくれたのは演技だと思っていた。しかし、サイドミラー越しに合う冷たい目線は演技ではない事を物語っていた。ダークなオーラも背中から漂って来ている。


「ま、まぁアレだ。敵を欺くにはまず味方からって言うしな。お、俺の嘘が上手すぎたんだよ、うん」

「んぅ……」


 間接的に馬鹿だと言われた蓮はサイドミラーに映る樹楊を睨んでいる。必死に取り繕ってみたものの、その効力はイマイチらしい。

 スクライドに戻ったら美味いものを食べさせると言っても機嫌が直らない。


「蓮、機嫌直せよ」

「……それは無理」



 ◇



 蓮の疲労を考えた樹楊はバイクの運転を代わった。本当はこのまま後ろでのんびりしながらスクライドまで帰りたかったのだが、蓮のご機嫌取りもしなければならない。

 蓮ほどのスピードで運転できるわけじゃないが、デッド・ベルトを抜ける時間に余裕も出来たので焦る必要もなかった。


 肝心の蓮の機嫌はというと、スッカリ直っていた。

 タンデムシートに乗る事が初めてなのか、しきりに辺りをキョロキョロしては楽しそうにしている。楽しそうにしている、とは樹楊の勝手な感想であり、無表情で固定されている蓮の表情からは読み取れない。


 こうやって蓮と共にいる時間が出来たお陰か、微妙な心境を読み取る事が出来ているだけだ。蓮は樹楊にしっかり掴まり、時々額を背中に当てる。樹楊がこうしてバイクの後ろに乗せるのはニコ以外では初めてだった。


 最もニコが後ろに乗るとハイテンションで鬱陶しくもあるが。もぞもぞとしか動かない蓮とは雲泥の差だ。



「なぁ、あとどれくらいでデッド・ベルトを抜けれるんだ? もうすぐ太陽が喰われちまうぞ」

「……んー。あと三十分くらい?」


 デッド・ベルトの範囲を正確に把握しているのか、蓮はすぐに答えてくれる。

 しかしデッド・ベルトの範囲ってのは想像以上に広い。辺り一面荒野でどれほどの距離を走って来たかは解らないが、かなりの距離を走っただろう。


 それでもあともう少し。

 そんな不安と安堵の板挟みだった矢先。


「蓮、後ろから何か来るぞ!」


 サイドミラーの端に砂煙が映った。

 その砂煙はみるみる肥大し、ミラーの半分以上の視界が埋め尽くされた時、その何かの正体が明らかになる。


「きょーくん、ブラスク族」

「だよな、やっぱ。くそ、見間違えであってほしかったのによォ!」


 ブラスク族は軍勢で追い掛けてきていた。

 バイクのスピードはやはり速く、どんなにアクセルを開けても離せない。


「コイツラダ! ブチ殺セ!」


 擦れた濁声がバイクの音の上に乗っかって聞こえた。

 まるで地鳴りのような音を立ててくるブラスク族の数は目視で二十を超えていた。

 仇討なのだろう。元々グロテスクな顔が殺意に歪んで更に気味悪さを増していた。


「きょーくん、銃は?」

「無理だっ。一日休ませねぇと暴発しちまう」


 舌打ちをして横を見ると、ブラスク族の一人がボロボロの鉈で斬りつけてきていた。


「死ネ」

「なっ、いつの間に!」


 刃こぼれした鉈は銀色に光り、風を切り裂きながら襲ってくる。

 しかし、その刃は目の前に現れた青銅色の刃によって防がれた。

 押し付け合わされた刃は、ギャリッと音を立てながら火花を散らす。


「蓮っ、助かったぜ」


 と言ったものの、蓮はこの剣を何処から出したのか解らなかった。バイクの武器収納スペースは一つしかなく、その中には機械剣が入っている。

 蓮はタンデムシートに座りながら二本の剣を握っていた。

 どちらも青銅色の剣で、長さも形も同じだ。


「……きょーくんは運転に集中して」

「あ、あぁ」


 蓮は迫り来る刃を受け止め、的確に反撃に出る。バイクのボディーにすら触れさせない防御は鮮やかの一言に尽きる。しかし左右の攻撃を防ぐのに精一杯だった蓮は、後方から狙いを定められている事に気付いていない。


 しかしそこは樹楊が気付く。

 サイドミラーに映ったブラスク族がボウガンで蓮に狙いを定めているのを。


「蓮! 後ろから矢が飛んでくるぞ!」


 蓮は視線を後方に向けるが、既に矢は放たれていた。

 矢は逃げるバイクに追い付くスピードで蓮に向かっていく。

 風にブレる事なく、ただ一点。蓮の後頭部を狙って。

 誰もが蓮の頭に矢が刺さる事を確信しただろう。樹楊もそう思っていた。


 しかし矢は幅広の剣の刀身で弾かれる。

 

「何ッ! ドウイウ事ダッ!」


 その剣は蓮の後頭部を護るように『時空の中』から現れたのだ。すぐに消えはしたが、確かに何もない空間から突如として現れたのは事実。


「蓮……お前魔剣士なのか?」

「……そうとも呼ぶ」


 樹楊の顔に笑顔が戻る。

 当り前だ。魔剣士だと聞いて笑わずにはいられない。

 魔法を使える剣士を全て魔剣士とは呼ばず、蓮のように魔法も剣も人並み外れた能力を持つ者を魔剣士、そう呼ぶのだ。


 蓮が後ろを向いて座り、目に力を込めると至る所から剣が現れる。


 上から下から。

 それは縦横無尽に突き出てきては消えていく。流石のブラスク族も焦りを隠せずにいたが、その突き出てくる剣が標的に触れる事はなかった。


「……やっぱり走行中は無理っぽい」

「やっぱりって、何がだよ」


「いくら時空から呼び出しても、高速での走行中は当てられない。呼び出すまでコンマ数秒の誤差が出るから…………」


 蓮は悔しそうに歯を食い縛る。

 確かに突き出てくる剣は標的を捉えられていない。標的も高速で動いていて、もし蛇行されようものなら当てるのは神技としか言えないだろう。

 ブラスク族は一度態勢を立て直すと、蓮の攻撃が当たらない事を悟り下品な笑い声と共に笑みを浮かべる。


「ギャッギャッギャッ。当タラネバ意味ナドナイ」


 ブラスク族は、再度横と後方を囲む陣を組んできた。

 樹楊は刃の無い刀を出し、構えながら運転する。攻撃は出来ないが、防御くらいなら出来る。それにこの刀の強度は本物だ。折れはしないだろう。右の敵が戦斧を力任せに振り下ろしてくる。蓮は後方の防御に徹していて庇っている暇など無い。樹楊が両手で刀を握り締めて攻撃を受けた。


「くぅっ!」

「ゲヒャッ。潰レロォ」


 相手は片手だというのに、なんて馬鹿力なのだろうか。

 互いのバイクは、重なり合う刃を軸としてスピンを始める。それほどに敵の押しは強かった。そしてそのスピンし合う中、もう一人の敵が同じ方向から蓮を襲ってくる。

 蓮は何とかガードするが、相手の力の方が上。バイクの馬力も向こうが遥かに上のようだ。


 樹楊が運転するバイクは右からの力押しに負け、横滑りを始めた。

 アクセルを全開にし、前に進みたいのだがままならない。押されるがままに左へ左へと、砂煙を上げながら滑って行く。


「…………調子に乗るなッ」


 樹楊と蓮の頭から飛び出してきたかのように、時空から剣が召喚される。

 しかし二人のブラスク族はその剣を防ぎ、一度距離を取った。


「くそ、あのカニ野郎! 降りて戦うにも数が多過ぎるっ。何か使えるモノねーかよ!」


 片手で運転しながらポケットを漁るも、出てくるものは飴玉や酒場の割引券など。

 日頃の行いがモロに裏目に出ていた。


「ん、こいつは……って、使えねー! スネークの野郎、もっとマシなもんよこしやがれってんだ、ばっきゃろー!」


 取り出されたのは灰色の玉だった。未確認の魔光跡と言っていたが、使えなければガラス玉と同じだ。樹楊はこの使えない玉を、せめて当ててやろうと後ろ手に投げようとしたが、その手を蓮が掴んだ。


「いっだだだだだ! 蓮、関節極まってる!」

「こ、これは……」


 蓮は樹楊の言葉など聞いていないようだ。魔光跡をじーっと見つめると、おもむろに取り上げる。すると、魔光跡は銀灰色の光を八方に放つ。そして中央に奇怪な紋章を浮かび上がらせた。


「蓮、その玉、お前に反応して……」

「きょーくん、剣借りる」


 蓮はバイクの側面を蹴り、強制的に武器収納を開けた。エアーが抜ける音と共に昆虫の羽根のように広がった武器収納の中から機械剣を取り出す。

 そして刀身の付け根に開いている丸型の空洞に魔光跡をセット。

 魔光跡は光を放つのを止め、元の色に戻るが紋章は消えていなかった。


「蓮、魔光跡の使い方解るのかよっ」

「……うん。これは使った事がある」


 樹楊は初めて蓮の口の端が上がるのを見た。

 それは勝利を確信した笑み。次の瞬間。

 魔光跡の未知なる力が発動された。

 

 タンデムシートに乗っていた蓮の身体が陽炎のように揺らめいたかと思うと、速くはないスピードで後ろの敵に飛んでいく。


 しかしその陽炎は幻影だった。

 蓮の本体は既に三人目を斬りつけていて、何重にも揺らめく陽炎は本体に集約すべく後を追っているだけだったのだ。


 蓮の本体は、何もない空を飛び跳ねるように駆けていく。

 まるで水面から突き出た岩の上を踏み台にして川を渡るように。

 妖精が舞っているようだった。

 驚きの音も上げられず、息をする事すら忘れていた。それ程に美しく、それでいて勇ましい。


 しかもそれは高速で走るバイクに着いて来ているではないか。最後尾まで飛んで行ったかと思いきや、滑らかに樹楊の横まで飛んできたりと、まるで時空を制してしるようだ。いや、時空の理を無視していると言った方が正しいのだろう。蓮の攻撃は一振りで一殺。機械剣の性能も使っているのだろう。敵は武器ごと両断されていた。


 目で追う幻影は緩やか。

 しかし本体は高速。

 常軌を逸している攻撃に、樹楊の虹彩は焼かれていた。

 蓮の姿が幻のようで、綺麗だった。


「ギギッ、何ダコイツハ! 何ヲシテイルンダ!」


 このブラスク族の頭らしき者が、困惑を堪えきれずに怒鳴り散らす。

 その間にも、ブラスク族の仲間達は次々に倒されていた。

 そして、残されたのはその頭のみになる。


「…………これで」

 蓮はそいつが運転するバイクのハンドルの上に立ち、絶対零度の視線を下ろす。生をも許さぬ眼差しに、砂漠の殺戮者は怯えた。


「ヤ、ヤメッ」


 そこでやっと幻影が本体に追いつく。開かれた扇子が閉じるように本体へ重なる幻影。しかし集約された本体は今も尚揺らめいている。


「……詰み」


 片手のみで振り抜かれた機械剣は、漆黒の残像を引いてバイクごと斬り捨てた。

 二つに分かれたバイクは、ぶつかり合うと爆発を起こして炎上する。

 

「蓮、お前すげーよ!」


 歓喜を堪えきれずに振り向いて声を張るが、その目線の先に蓮の姿はなかった。


「……やっつけてきた」

「ちょ、おま。前に来るなぁ!」


 蓮は幻影を引き連れて樹楊の前に現れた。

 運転する樹楊と向き合うようにちょこんと座っていて、褒めて欲しいのかキラキラした目で見てきている。もし蓮に尻尾があれば、ブンブンと左右に振られているだろう。


「ばか、前が見えねーだろッ」

「……ばか?」


 蓮は口を尖らせ、頬を引っ張ってくる。馬鹿と言われたのが余程許せなかったのか、痛いと言っても離してはくれない。


「……ばかって言った」

「いじぇじぇじぇじぇじぇ!」

「この口……嫌い」


 山犬のように唸る蓮は眉を怒りの角度に吊り上げ、相変わらず視界を塞ぐように前に座っている。


「ごめん、悪かったよっ。謝るから後ろに行ってくれっ」

「んぅ……。ごめんさない、は?」

「今言ったろうがっ」

「……うぅ〜」


 蓮は不機嫌そうに、もそもそと移動をし始める。魔光跡の力を使えばいいのに、何でか自力で移動していた。その動きにもしっかり幻影は出来ていた。


「……むふぅ」

「怒るな怒るな。凄かったよ、お前は」

「……ホント?」


 あぁ、と頷いてやると何とか機嫌を直してくれたようだ。と思う。

 さりげなく脇腹を抓ってきてはいるが、樹楊は取り敢えず無視する方向で考えた。


「しっかし、魔光跡ってのはスゲー代物……あれ? 何か暗くなって……」

 ハッとし、空を見上げた。思わず苦笑い。

 

「きょーくん……」

「マジかよ……計算間違えたか、こりゃ」


 太陽が月に隠れ始めていた。

 逢う魔が時に迫る……日喰いの始まりである。


 闇色に染まりゆく大地の底からは呻き声が浮き上がってくる。その声は大きく、野太く……そしておぞましくなっていく。


 首筋に寒気が走った。

 それは背中まで駆け抜け、反応した身体は鳥肌を立てていく。蓮の身体の感触だけが、正気を保つ役割をしてくれている。冷や汗が風に流れ、歯がカチカチとぶつかり合っていた。得体の知れない恐怖というのは、こんなにも吐き気を誘うのか。

 まるで手を喉奥に突っ込まれたようだ。

 息も細かく途切れている。


「クソ……クソっ、クソ!」

「きょーくん、落ち着いて」

「落ち着いていられるかよ! 悪霊なんか相手にしたら最後だ! 身体も、魂の欠片さえも残らねぇんだよ!」


「きょーくん」

「うるせぇ!」


 恐怖から漏れる怒号を蓮に浴びせた。

 最低だとは思ったが、仕方がないとも思った。この状況で正気を保つ事は困難だからだ。

 しかし、サイドミラーに映る蓮の表情は穏やかなものだった。


「大丈夫、アナタは私が護るから……。だから怖がらないで…………」

「蓮……」


 微かに伝わってくる温もりが、これ以上にないくらい優しく、苦しかった。

 こんなにも小さな身体で自分を支えてくれている。護ると言われて嬉しかったが、それ以上に情けなかった。心配してくれているのに、悪い事をした。でも謝りはしない。


「俺もお前を護ってやる。だから不安になるな」

「きょーくん……」


 太陽が半分ほど隠れた時、地表から歪みが漏れ始めた。おぞましい声は立体的に鳴り始め、集まる視線は気持ち悪い。まるでナメクジの風呂にでも入っているかのようだ。


「らしくねぇよな、やっぱりよォ」


 ギリッと歯を食い縛り、笑みを投げつける。

 樹楊の眼は鋭さを見せ始めていた。


「死の残骸が調子くれてんじゃねーよ」


 月がゆったりと太陽に重なっていく様を蓮は見つめていた。じわじわと光は奪われ、闇が舞い降りてくる。そして太陽全体がが月に隠れ、光の輪『ダイヤモンドリング』が生まれた。

 ついに逢う魔が時の始まりだ。


 勝負は約五分内。

 この間を生き延びればいいだけだ。


「きょーくん、来るっ」

「あぁ、解ってらぁ」

 

 樹楊は蓮が渡してくれた細長い剣を受け取ると、空気を裂くように横に薙ぐ。剣は軽くて扱い易そうだ。機兵戦に向いている剣なのだろう。

 蓮は機械剣と長い槍を手に持っていた。


「サポートは任せて。きょーくんはバイクの運転に集中すればいい」

「おう。逢う魔が時ってやつに飛び込んだんだ。今更真っ直ぐ突っ切る理由はねぇしなっ」


 バイクを横に倒し、進路を変える。

 その先には黒い霧を纏う骸骨が待ち構えている。手には錆ついた剣や槍を持っている。中には折れた武器を持つ骸骨も居た。


「単純な具現化だな、オイ」


 斜面の緩やかな岩を駆けて低空で飛ぶと、バイクは落下点を骸骨の群れの中に定める。

 樹楊はバイクの前輪を地に着けた瞬間、そこを軸としてコマのように一回転させる。

 振られた後輪は回し蹴りのように、辺りの骸骨共を一蹴。


 バイクの後輪で吹き飛ばされた骸骨はバラバラになるが、見えざる手で元の形まで組み立てられる。


「こいつは……やっぱ不死身かよ」


 それでも突っ込む。

 諦めはしない。


 樹楊が運転するバイクは回転したり後輪を跳ね上げたり足払いのように低姿勢で地を回転したりと、まるで踊っているよう。樹楊が機兵隊に向く理由の一つがバイクの運転技術によるものだ。ここまでバイクを自在に扱えるものはスクライドにはあまり居ない。勿論、普通のバイクではこのような動きは出来ない。戦闘使用の軍用バイクだからこそ、ここまで操れるのだ。


 蓮は、流れる視界の中で確実に敵に刃を浴びせていた。遠心力を利用したり重力を利用したりと、樹楊とのコンビネーションは抜群のよう。


 と、樹楊も思ったのだが。


「……うぷ」

「どうした。やられたかっ?」


 蓮は青ざめた顔で首を振る。


「……酔った」


 どうやら乗り物酔いらしい。

 コンビネーションが上手くいってるのかと思っていたのは勘違いではなかったのだが、乱れる視界に蓮は着いていけなかったようだ。


「たまご……出ちゃう」

「まだ消化してねーのかよっ。昨日食ったやつだろ、それっ」

「今朝も食べたもんっ」

「威張るなっ。つーか、いつの間に食ったんだお前は」


 怒られた蓮は口を尖らせ、槍の柄で骸骨の頭をゴンゴンと殴る。完全な八当たりだろうなのだろうが、この状況では大助かりだ。

 

 蓮の乗り物酔いは放っておくとしても、このままバイクを躍らせるにも限度がある。

 骸骨は餌に寄ってくる蟻のように群がり、その数は目視で……無限。


 辺り一面は骸骨で埋め尽くされている。

 それでも樹楊はアクセルを開けた。

 目に神経を集中させ、数が少ない所を突っ切る。骸骨が地を埋め尽くしているお陰と言うか、蓮が適当に召喚した武器は必ず当たっていた。


 蓮は、地表から突き出てくるように武器を召喚して道を作る。

 樹楊はその道を進む。

 しかし蓮の体力の底が見えてきたようだ。

 肩が上下に揺れ、荒い吐息を吐く。

  武器を召喚するのは体力の消費が激しいらしい。


「蓮、もう少しだっ。このクソ日喰いもあと少しで終わる!」

「……うん。頑張るから」



 そして……。


 世界が太陽の恩恵を受け始めると、大地は照らされ始める。元々ぎこちない動きの骸骨だったが、明るくになるにつれてその動きは鈍くなっていった。

 完全に日喰いが終わると、骸骨の群れは地の中に吸い込まれていった。まだ逝きたくないともがく者もいたが、その大半は身動きもせずに己の末路を受け止めていた。


「お、終わったのか?」

「ふぅ…………多分」


 二人は乱れた呼吸を整えながら、骸骨共で埋め尽くされていた大地を、それでも宛てもなく見つめている。一際強い風に吹かれ、砂埃が舞うが気にはならなかった。


 荒れた呼吸が、強く速く打つ鼓動が、目の前の色彩が。

 何よりも蓮の存在が生の実感を掴ませてくれた。生きている。あの骸骨の群れに襲われながらも、確かにここに自分は居る。



 停車させられたバイクは、走り出したそうそうにエンジン音を重く響かせている。


「はっ、――ははっ。生きてる……生きてるぞ、俺達生きてるっ」

「……うん、生きて――うぷ」

 蓮が喋っているが関係ない。この嬉しさを爆発せざるを得なかった。


「蓮! やったぞ!」


 樹楊は後ろを振り向いて蓮を抱き締めていた。小さな蓮は強制的に包まれ、苦しいのだろうか、じたばたしていた。


「きょーくん、くるしっ」

「あ。悪い悪い。嬉しくってよォ、つい」


 腕を緩めてやると、蓮はその隙間の中でもぞもぞと身じろぎ、小動物のように顔だけをひょこっと出してきた。どんぐりでも咥えさせればリスだ。その顔を見るとまた歓喜が込み上げてくる。樹楊はまた強く抱き締めて喜び始める。今度は呼吸が出来るからなのだろう。蓮は嫌がる事無く、しかし人形のように動かずに抱き締められていた。


「おっと、喜んでる場合じゃねーよな。早く帰らねーと」

「うん。お腹も空いた」


 蓮の頭をわしゃわしゃ撫でる樹楊の背後に、おぞましい影が浮かび上がる。それはあっという間に大きく広がり、二つの眼光が浮かび上がった。


「きょーくん、危ないっ」


 蓮は樹楊を振り回すように投げ飛ばした。

 完全に不意を衝かれた樹楊は受け身を取ることもままならず、地に背中を打ち付けると無様に転がる。


 何が何だか解らなかった。

 ビー玉のような蓮の瞳が僅かに見開いたかと思うと、次の瞬間には物凄い力で投げ飛ばされていた。


「ってぇ! 何すんだ、蓮っ」

 一度だけ咳をし、見上げた。


 そこにはゴミのように吹き飛ぶ蓮と、倒れ掛かったバイクと……漆黒の霞の塊が。


 蓮は地面を削るように吹き飛ばされた後、水切りをした石のように地を跳ねていく。

 ようやく止まったかと思ったが、それはその小さな身体は無骨な岩に叩きつけられたからだった。


「蓮!」


 ありったけの力で蓮を呼ぶが、その身体はぴくりとも動かない。

 血が、土埃をまぶした荒野の地に広がっていく。

 樹楊は駆け寄ろうとしたが、圧倒的な殺意に足を動かす事が出来なくなった。


 オイル切れのからくり人形みたいに、ぎこちない動きでバイクがある方向を見る。


「――――――ッ、な」


 言葉が出てこなかった。

 そこにいるモノが、この世の生き物には見えなかったからだ。


 風貌は、よく知る獣――狼だが、大きさは規格外だ。五メートルはあるだろうか。

 身体は漆黒の霞で形成され、尾は刺々しく長い。爪は大地に突き刺さり、無骨な牙は口の端から誇らしく出ている。


 そして真紅の眼光。

 

 その狼から放たれるプレッシャーは重く、樹楊は堪らず膝を着く。

 悪霊の群れを相手にした時は死を恐れた。必死に生きたいと願った。

 だけど、こいつはそれさえも願わせてくれない。


 死んだ。


 そう思った。

 自らの死を認めてしまう程に、圧倒的な存在だった。


霞狼(かろう)……」


 樹楊は無意識の内に呟く。


 霞狼とは、その名と体の如く雲霞なる存在。

 目にする事すら叶わず、存在自体疑われてきた。目撃例すら聞かない樹楊にとって、霞狼とは吟遊詩人の唄だけに存在する生物だと思っていた。しかし、今確信する。

 目撃例がなかったわけじゃない。目撃した者は全て跡形もなく消されたのだろう。この目の前の霞狼によって。


「脆弱なるヒトよ、死を受け入れろ」


 霞狼は口を薄く開けると人語を話してきた。

 その声は人となんら変わりのない声で、優しそうな女性の声をしている。


 ゆったりと近付いてくるが、樹楊は立てない。例え立てたとしても、笑う膝では逃げきれないだろう。人の歩幅であと五歩ほどの距離まで近付かれると、その大きさは視界いっぱいにひろがっていた。


 地に染められたような眼光は樹楊だけを見据えている。

 その目に力が入った時、樹楊は死を受け入れた。しかし、霞狼は予想外の行動に出る。


 素早く横に跳ね飛ぶと、身を伏せて雄々しく唸る。その先には蓮。

 蓮は足を引き摺りながら歩き、樹楊の前に立つ。

 頭から流れる血は髪を赤く染め、着ている服もボロボロに破けていた。

 蓮は強く長く息を吐きながら樹楊を見る。


「きょーくん、早く……逃げっ…………」

「な、何を言ってる。お前こそっ」


 話の途中だというのに、霞狼は大地を震わせながら突進してきた。

 だが、蓮の武器召喚の嵐に手古摺り、今は避ける事で余裕がないようだ。


「早くっ、足止め出来てる内に」

「見捨てて行けってのかよ! 男の俺がお前――」

「お願いだから!」


 その怒声が蓮の声だと判断するのに、時間が掛かった。こんな大声、聞いた事もない。

 蓮は手を霞狼に向けて到るところから武器を召喚し、足止めしている。

 しかしそれが長く続かない事は、蓮の顔色で一目瞭然。


「二人死ぬより、一人生き残った方がいい。だけどアナタじゃアイツは止められない」


 蓮は目に巻いた蓮の花が咲く布を取る。

 風に吹かれて揺れた前髪に、一度だけ隠されて現れた純白の瞳は、優しさで彩られていた。

 蓮は薄く開けられた唇からしっかりとした声で伝えてきた。


「……楽しかった、今までで一番」


 手に持っていたその布を預けてくる。


「一緒のバイクで走ってる時が楽しかった。……一緒に食べるご飯、おいしかった。……一緒の布団で寝た時が心地良かった。何より……」


 蓮の顔は朱が掛かる陽の光に染められ、儚く微笑んでいた。


「この目を好きだと言って貰えて、すごく嬉しかったよ。私はもう、いっぱいの幸せをアナタから貰った」

「蓮、何を……」


 言葉が喉の奥で詰まる。

 自分だって楽しかった。口ではかったるい事を呟いても、世話を焼くのが何だか楽しかった。無表情で大喰らいで自分勝手で……。

 でも生きる辛さを知っていて、放ってはおけなかった。その無表情を壊して、心から溢れた笑顔が見たいとも思っていた。


「私の為と思うなら逃げて。スクライドに着いたら応援を呼んでくれる? それまで耐えてみせるから……」


 スクライドまでは二時間弱。

 それまで耐えられるわけがない。しかも満身創痍の身体だ。相手がどんなに雑魚でも、二時間も生き延びていられるわけがない。


 樹楊は蓮に渡された布を握り締めると、バイクに向って走った。

 蓮の覚悟は本物だ。その気持ちも踏みにじりたくはない。

 樹楊はバイクを起こして跨ると、蓮を見る。


 ボロボロで足が震えている。

 肩も忙しそうに上下していた。


「蓮、必ず応援を連れてくる! だからそれまで死ぬな!」

 蓮はコクっと頷き、樹楊に向かおうとする霞狼の足を止める。


 樹楊はバイクを走らせるが振り向かなかった。応援を呼ぼうと思っていたが、それまで蓮が生きているとは思えない。自分は卑怯だ。生きたいが為に、小さな女の子を置き去りにした。一人だけでも生きる……蓮のその言葉を、最もだと心に縛り付けるが、実質逃げてきた。


 サイドミラーに映る蓮は小さくなり、

 

 そして、


 漆黒の剛腕に吹き飛ばされた。


「蓮っ…………、ちっくしょぉぉぉ!」


 バイクの駆動音は樹楊の叫び声を乗せ、悲しげな音となり、風に重なる。

 樹楊は、自分の非力さを情けなく感じた。



 ◆



 スクライド城外・第三訓練場。


 鉄柵で仕切られた広大な敷居、森を想定した訓練場からミゼリアは息を切らしながら出てきた。仔馬の尾のように束ねていた髪を解き、汗を拭う。


「熱心だね。今日はもう上がっていいのに」


 ラクーンは大きな木の下で得意の笑みを浮かべながら腕を組んでいた。

 しかし偉そうに見えないのは、柔らかな雰囲気を持っているからなのだろう。


 ミゼリアは低頭し、

「私には目指すモノがありますから」

「上将軍――かい?」

「えぇ、その通りです。貴族ではないですが、今時代は実力も地位に関係するので、その為なら努力は怠りません」


 ミゼリアは平民だが、貧しい暮らしをしていたわけではない。ただ、強さを求める者として上将軍の地位を勝ち取りたかった。ラクーンはにこっと笑うと、ミゼリアの肩を叩く。


「恐らく、近々キミは大隊長に抜擢されるハズだよ?」

「ほ、本当ですかっ? それって二階級特進ではないですかっ」


 嬉しさを隠せないミゼリアに笑顔が生まれたが、次いで疑惑の音も漏れる。


「でも何故でしょうか。以前の戦に私は参加してませんし、これまで大した武勲も上げておりません」


「樹楊くんが白鳳との同盟を結びつけた。しかも向こうの皇帝は樹楊くんを凄く気に入っていてね、貿易の話もスムーズに通ったんだ」

「嘘っ……そんな、彼が……何かの間違いじゃ」


 ミゼリアは持っていたタオルを落とそうになるが、寸前で気付いて握り締める。

 しかし困惑は晴れず、疑いの眼差しをラクーンに向けていた。

 ラクーンは肩から手を離し、城を見上げる。


「信じられないのは無理もない。初めは国王や宰相らも樹楊くんが任務を遂行出来るとは思っていなかったし、私だってこんなに好条件で白鳳と繋がりを持つと思ってもいなかったからね。いくらかお金を積む事は視野にいれていたんだけど、彼はやってくれた。

 キミの階級特進も、優秀なる部下を持つ者としての昇進なんだ。異例ではあるけどね」


 そこまで言われても信じられなかった。

 だってアイツは、訓練しろと言ってもやらないし戦中でも勝手な行動に出る。そればかりか行方をくらまし、戦が終われば無傷でひょっこり帰ってくる適当な奴だ。


「そ、それじゃ彼も昇進――」

「いや、樹楊くんは雑兵・二等兵のままだよ。今回、大手柄を立てたというのに周りが昇進を認めないんだ。普段の素行が悪いからね」


「そんな……。さっきは優秀な部下って……」


 ミゼリアは罰の悪い顔で俯くと、歯を食い縛る。自分だけが昇進するのが許せないのだろう。樹楊にも何らかの恩恵がなければ納得できないようだ。


「やっぱり樹楊くんの事が好きなの?」


 ぷくくっと手を添えながら頬を膨らますラクーンの眼は意地悪く光る。これだから偉そうにみえないのだ。


「違いますって! 彼にも何らかの恩恵がないとって思っただけでっ」

「じゃ、キミが夜伽の相手にでも……」


 ミゼリアは顔を真っ赤にすると、声を詰まらせてそっぽを向く。

 不機嫌を足音に変えて呼んでくるラクーンの声も無視した。


「アイツ……」


 独りごち、空を見上げる。

 暗雲が空を覆い、気持ちは晴れないがシニカルな笑みが浮き出た。


「帰って来たら酒でも奢ってやるか……」




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