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第三章 〜厄彩の瞳〜


「静かになったな」

 紅葉が町から出ていき、しばらく経つ頃にようやく通話を終えた樹楊は、廃墟となった縦長の瓦礫の向こうを見やりながら呟く。


 かつてはアクセサリーやら服飾やらの店舗で賑わっていた大型ショッピングビルも、今となっては栄えた形も残っていない。

しかし、この街をスクライド王国の所有地となる日は遠くない。

 もう少し頑張れば何とか……。


 樹楊は通信機を握り締めると決意めいた表情になった。


「なーに、らしくない顔してんのさっ」


 背を叩くからかうような声音はハスキーな声で、どうやら女性のモノ。

 サバサバした印象を受ける。


「ミリアか」

「ミリア『さん』だろ?」

 拳骨と共に、年上を敬えと指導を受ける。


「って! いちいち殴るなっ」


 ミリアは腕を組んで「何か文句でも?」的な表情で睨んでくる。

 素直に解りました、と言えば「よろしい」と、やはり上から目線だ。

 たかだか二つだけ歳が違うだけなのに、面倒な奴だ。と日頃から思っている樹楊。

 ミリアは男勝りな性格の割に長いポニーテールが良く似合っていてスタイルもいい。

 背は女性としては高く、樹楊と同じくらいだ。口調も目も勝ち気がデフォルトで性格もそれに倣っている。


 絹の様な滑らかな肌には汚れが付いているが、ニコらと違う汚れだ。

 大方、油汚れだろう。


「ミリア……さんはまた玩具いじりか?」

「敬語……ったく、もおいい。それに玩具いじりじゃないって何度言えばいいだよっ」


 ミリアはカーキ色のツナギを上半身だけ脱いで、袖を腰で巻いている。なので上半身はタンクトップのみで細い腕が露わになっていた。


「玩具じゃないって、今度は何を作って俺をいじめる気?」


 皮肉を言ったつもりだったが、ミリアは気にしていない様子で、そればかりかうずうずした顔をしている。

 その表情は見慣れたもので、嫌な予感を感じざるを得ない。


「じゃーんっ。凄いだろ!」


 ミリアは担いでいたモノを取り出して自慢げに突き出してくるそれは、ホルダーに納められた剣だった。柄は漆黒で、ガード(刀身と柄の間の、日本刀で言えば鍔)が無い。ホルダーの型からして打ち刀などではなく、両刃の剣なのだろう。

 

 しかし、それだけじゃ凄さが解らない。

 ガードが無い事以外、何処にでもあるような剣にしか見えないのだから。


「凄いだろって、説明がなければ解んねーっての。俺はそっち方面に疎いんだからよ」


 するとミリアは待ってましたとばかりに腕を組みながら胸を張る。顔が物凄く誇らしげ。


「これはね、あたしが長年の歳月を掛けて作り上げた最高傑作だよっ。今までのは、ちょーっとだけ失敗だったけど」


  ミリアはライトメカニックを得意とし、これまで何度か樹楊も世話になった。

 通信機の修理や、軍用バイクの排気量を上げる為に改良もしてもらった。

 しかし、ミリアが熱を上げている機械剣の開発だけには関わりたくない。


 斬りざまに小爆発をするからと言われ、軽く振ったら剣ごと大爆発した『バーニングソード』。これで樹楊は吹っ飛んで脳震盪を起こした。

 そして、超音波でガードした敵の三半規管を揺らして平衡感覚を奪う『旋律の剣』。これまた振った瞬間に謎の怪音を撒き散らし、住人全員が吐き気を訴えた。


 数えればキリがない程の失敗を、ミリアはちょーっとだけだと言う。

 彼女は大物なのだ、色んな意味合いで。


「じゃ、さようなら」

「ちょい待ち」


 すかさず逃げようとしたのだが、当然のように捕まる。

 肩にミリアの爪がめり込んできて、鋭い痛みが走った。


「ヤダッての! お前は俺を殺す気かっ」

「今度のは大丈夫だって! 自信が――いっつ!」


 ミリアは言葉を放棄し、顔を痛みに歪めながら刃を食い縛って手首を押さえる。

 よく見れば、その細い手首が腫れ上がっていた。


「ど、どうした、その手首。捻挫だろっ」

「あぁ、この剣の威力を試したら、ちょっとね」


 ………………………………。

 樹楊とミリアの視線が結び合う。

 ミリアは疑問符を浮かべているが、樹楊の口端は引き攣っていた。


「やっぱり失敗作じゃねーか! ンなもん俺で試すなっ」

 あうっ、とミリアが顔をしかめるが、それでも喰い付いてこようとした、その時。


「キョーちーん!」

 

 ニコが慌てて、途中でコケながらも駆け寄ってくる。

 その表情は救いを求めているようだ。

 樹楊がニコの身振り手振りを加えた説明を受け、その場所に向かおうとしたが、その必要性はなさそうだ。樹楊は尖らせた眼を、ニコの遥か後方に向けた。


「ニコ、あいつか? 不審者ってのは」


 樹楊の視線を恐る恐る追いながら後ろを振り返ったニコは、驚愕する猫のように髪の毛を逆立てるように驚く。

 そして樹楊の背後に回ると、何度も頷いた。


「この街に何の用だ?」


 樹楊の見つめる先。

 そこには焦げ茶色の旅のローブを羽織っている者がいる。

 賊か? にしても、銃火器の類はみられない。剣も所持していない。でもローブの中に隠しているかもしれない。

 背は低く、ニコと同じくらいだろう。

 子供……。

 いや、このソリュートゲニアで子供並みの身長で成人している種族もいる。

 甲殻類から独自の進化を遂げた亜人種である『ブラスク族』が代表的な例だ。

 彼らは人と同じく二足歩行で衣類をまとうが顔は甲殻類そのもので、甲殻類の名に恥じない強度を持っている。

 二本しかない指も甲殻で、不器用ではあるが剣や銃くらいは扱える。

 砂漠を生業とし、砂上バイクを移動手段といていた彼らがそこから抜け出て山奥にも進出したのはまだ最近の話だ。

 彼らのやる事は、賊と同じく略奪や意味のない殺戮。気性は極めて荒く、同人種以外と和平を持とうとはしない。


 いかにも怪しげな人物に、樹楊は背の剣の柄を握り締める。ギリッと音が聞こえる程強く。

 だが、まだ抜かない。

 ブラスク族ではない事を願いながら、それでもそれを心の片隅に置いて訊く。


「もう一度訊く。ここに何の用だ。答えないなら賊とみなし、スクライド王国第十二番隊速突兵・樹楊がこの場で斬り伏せる」


 もし返答がなければブラスク族と思ってもいいだろう。

 何故なら彼らは知能が低く、同人種であるブラスク族間の共通語しか喋れない。


「答えろ!」


 あの樹楊からは想像も出来ない程の言葉だった。普段から戦でも率先して戦おうとはせずに、人の眼を盗んではせっせと売れそうな武器を隠す樹楊だ。

 その戦場を見た事のないミリアやニコだが、樹楊を頼もしく思っているだろう。


「…………赤麗の紅葉は?」


 その者、蚊の鳴くような声で訊いてくる。

 樹楊の耳には確かに紅葉と聞こえたが、あまりの小さな声に眉を潜めた。

 兎も角、ブラスク族ではない事が判明したのだが不安は拭えない。まだ賊でない事が証明されたわけじゃないのだから。

 聞こえづらい声に返答を困っていると、相手はまたしても小さな声で尋ねてくる。


「……紅葉は? 次はない」

「ちょっと待て、お前何が」

 

 樹楊は目的を訊こうとしただけだった。

 しかし、その者は樹楊の回答が不適切と判断したのだろう。

 十メートルはあっただろうか。

 その距離を一瞬で詰めてくる。


「くそ!」


 背の剣を抜き、迎え撃つ気でいたがその者の旅のローブが視界一杯に広がり、目標を失ってしまった。


「言ったはず……」


 その向こうから聞こえてくる声。

 そして視界の端から横薙ぎに迫り来る斬撃。


「おわ!」

 剣を盾にし、ガードすると重い金属音が鈍く響く。


「次はないって……」

「お、女ッ!?」


 裂けたローブから見えてくるのは、成人していない女の子だった。黒い瞳は、同じ燈神の血を継ぐ者と見受ける。

 棘のあるようなボブカットの真っ白な髪に、片目を包帯で巻く少女。

 殺気を彩る残された目に身の毛が逆立っていく。


 樹楊は力負けしそうな身体の重心を横にずらし、両手で剣を支えていたが、ちらっと相手の得物を見た樹楊は目を見開いた。

 少女が持つ武器は、樹楊の背をも超える程の大きさの大剣なのだ。


「お前、この剣をどっから……」


 確かに何も持っていなかった。

 少女はローブで姿を隠していたが、こんなバカでかい剣を隠せるほどの身体ではない。

 だとしたら、どこに。


「……んっ」

 少女のやる気のなさそうな声が聞こえると、次いで身体が無重力で包まれたような感覚に襲われて後方に勢い良く飛ばされた。つまり、力で吹っ飛ばされた。


 打ったゴムボールみたいに飛ばされた樹楊は放たれた矢のように一軒の木造小屋に突っ込み、壁をぶち破っていく。

 樹楊が持っていた剣はへし折られ、コマのように地面の上で回っていた。

 

「あー! あたしの作業場がぁ!」


 樹楊が吹っ飛んだ先は、ミリアの作業場だったらしい。

 小屋の壁は無残にも大きな穴が開き、今にも倒れてきそうだ。

 中からガラガラと崩壊の音が聞こえてくるが、その他の音は鳴らない。 

 辺りが沈黙に包まれると、少女はニコに視線をずらす。


「にえっ!」


 両手を上げて降伏の意を表しながらぴくぴく震えるが、その意味を理解してもらえないようだった。少女は首を傾げると、間を置いて大剣をニコに向けた。

 月明かりに滲むように光る銀色の大牙は、幾多の戦場を共にした傷が細かく入っている。


 ニコは口をへの字に曲げ、目を瞑った。



「ちょい待て、コラ!」

 と、叫びながら小屋の戸口から出てくる樹楊。そこは出来たばかりの穴から出てくればいいのに、変な所で気を使う樹楊だった。

 しかもちゃんと扉を閉めている。そこはミリアの躾がなっているからだろう。


 そして、紅葉にはあっさり捕まったが、自慢の足を使って一直線に走る。

 狙いは勿論、少女。

 樹楊が金色に輝く剣を握り締めている事に気付いたミリアは驚きを隠せずに目を見開く。


「そ、その剣はだめだ!」

 ミリアが叫び、


「こんな時にケチんな!」

 数多くある中でも一番見栄えのいい剣を選んできたのだろう。


 柄頭は龍の頭部を模り、ここもやはり黄金。

 樹楊がその剣を横薙ぎに構えながら宙に舞う。

 三日月に重なる樹楊は宙返りをしながら剣を振るった。


「っらァ!」


 重力と遠心力と体重を乗せた一撃は、さぞかし重いのだろう。

 いくら相手が大剣とは言え、押し負ける事はない。



 ただしそれは刀身があればの話だが。



「へ?」

 樹楊とニコは鳩が豆鉄砲的な顔をし、ミリアはこめかみを押さえながら「あっちゃ〜」と嘆く。


 その黄金の剣は試作品。

 未完成という事で、


「嘘ッ!」

 

 しっかり金具で留められていない刀身は、遠心力により斜め四十五度の夜空へすぽーんっと飛んでいったのだ。

 勢い余った樹楊は、少女にも避けられて地をゴロゴロと転がって行く。


「だっはーーー!」


 しかしすぐさま起き上がると、失態を取り消すかのように戦策を体術へと移す。

 だが小さな相手とは戦い辛い。

 的が小さい上に、大剣という反則的なリーチを考えなければならない。

 しかもこの少女。

 流れるような樹楊の攻撃を一度も身体に触れさせる事もなく、ギリギリの所で避けている。無駄な動きはしない、といったところだろう。


 樹楊は体術を得意としない。

 剣術の方が馴染んでいる。


 隙を衝かれて振るわれる大剣に背筋を凍らせながらも避けているが、プレッシャーは体力をみるみる内に奪っていく。

 負けられない。

 ここで負ければニコやミリアはどうなるっ。


「キー坊っ、これ!」


 ミリアが名前を呼ぶと共に投げてきたのは、ガードのない剣だった。

 自慢の新作らしいが、過去を考えると不安要素がウジ虫のように湧いてくる。

 でも何もないよりは何倍もマシというもの。


「爆発でもしてくれりゃ、巻き添えだッ」


 大剣の袈裟切りを避けながら横転して機械剣の柄をしっかりと握り、力任せに振るとホルダーが荒く外れた。

 見た目に反して重い。

 通常の剣よりも僅かにだが、その違いが解るのは日頃から剣を持つ兵士らのみ。


「こいつは……」


 柄と同じく刀身も漆黒。

 厚めの両刃の剣で、剣腹の上部には穴があった。その穴は縦長で斜めに入っている。

 穴といっても、向こう側が見えるわけじゃない。内部に繋がっているようだ。

 樹楊はサメのエラを連想した。

 そして刀身の最下部には丸い穴がある。

 こちらは完璧な穴で、空洞になっていた。


 ミリアに説明を訊こうとしたが、今は戦闘中だ。相手も待ってくれるほどお人好しではなく、すぐに攻撃を繰り広げてきた。


 足払いのような斬撃を飛んで避け、脳天からの刃には剣で受け流す。

 剣でガードする毎に手が痺れるが、機械剣に刃こぼれはなかった。


「キー坊っ、ここだって時に柄の上部にあるボタンを押すんだ!」


 ミリアの説明は結果を見せない簡略的なものだったが、それにすがるしかない。

 悔しいが、この少女の腕は自分よりも上。

 手加減をしているようにも思える。

 樹楊は隙を窺いながら柄のボタンを探す。

 それは人差し指の腹程度の大きさで、軽く触れた程度では押せない仕組みになっていた。


 しかし、ボタンを押す隙などなく剣を真上に弾かれてしまう。

 天を突き刺すように固まった樹楊の目に、少女が次の一手、詰みに出てくる瞬間が映り、戦慄を感じた。


 無機質無表情な少女の顔と眼はあまりに冷酷。これは、そう。

 初めて紅葉を見た時に感じた恐怖に良くにていた。しかし、それとも少し違う気もする。

 相手に命がある事を知っていて斬ろうとする紅葉とは違い、この少女の眼は虚無感で満たされている。樹楊の命など、知った事じゃないのだろう。


「くっそォ!」

 半ばやけくそにボタンを押すと……。


 弾かれたように、しかも半ば自動的に振り下ろされた剣は轟々たる風の音を切り裂き、流星の如く少女の頭部目掛けて襲い掛かる。

 

 その速さは異常。

 刀身は漆黒の残像を引きながら鮮やかな円を描こうとしていた。


「――――!」


 少女は大剣の刃で受けるが、その重厚な金属がまるでバターのように斬れていく。

 それでも僅かにクッションを置けたお陰か、少女は寸前の所で漆黒の刃を避ける事が出来た。犠牲になったのは白い髪の毛五本ほどだ。

 樹楊は少女の大剣を切り裂いても剣の力を制御できずに、前のめりになる。

 しかし倒れるわけにはいかない。


 咄嗟に前転しながら向きを変えて、背を向け合った少女と対峙する。剣のエラからは空気が漏れる音がして、勝手に動く事を止めていた。

 無表情な顔に驚きを貼り付かせて動かない少女に、何か、と思い視線を落とすと、樹楊までもが動けなくなった。


「な、ななななっ、何だこの剣は!」


 大剣を切り裂いた後、その機械剣は地に刃を向かわせた。

 並みの剣であればそこで止まるが、ミリアの渾身の作品はそれをも凌駕している事を証明したのだ。


 固い地面が斬り裂かれ、微かに煙を上げている。


 樹楊は口をあんぐりと開けたままだ。

 この剣は何なんだ?

 大剣を斬ったときもそうだけど、地面も切り裂いたのか、コイツ。

 何の抵抗も感じなかったぞっ。


 視線を移すと、ミリアも驚いていた。

 しかし、見られている事に気付くやいなや「当然っ」とばかりに胸を張るが、本人もまさかここまでの破壊力だとは思わなかったのだろう。


「うはっ、うはは、うはははははははは」

 偉そうな笑い声もぎこちない。


 どうあれ、この剣は化け物だ。

 少女が手に持っているのは、かつては大剣だった鉄くず。

 勝利が見えた瞬間、ここぞとばかりに言ってやった。


「勝負あり、だ。それともその剣みたいに真っ二つにされたいか、コラ」


 少女は大剣を見ると、首を傾げる。

「こら、とぼけんなっ」


 しかし少女は大真面目らしい。

 それとも想像を超える結果にネジが跳んだのか。

 樹楊に舌打ちされる少女は何を思ったのか、大剣を捨てて歩み寄ってくると目の前でしゃがみ込んでくる。


「…………ん」


 と、樹楊が持っている剣の柄を握ってきてはぐいぐいと引っ張りだした。

 略奪、ではなさそうだ。

 少女の眼は、欲しいおもちゃをやっと見付けたガキンチョのような目をしている……ようにも見える。やっぱり表情はないが。


「……これ、欲しい」

 やはりそうだった。

 

「こらっ、引っ張るな」


「……むふ〜」

 口を尖らせ、柄を握ったまま立ち上がる。

 そして地引網をするように再度引っ張りだす。

 どうやら本気で奪おうとしているらしい。

 樹楊は引き摺られるようになりながらも、必死に剣を離さずにいる。


「ちょ、ちょちょちょっ。何で普通に奪おうとしてんだ、お前はっ。さっきまで斬り合ってたじゃん! 殺そうとしてたじゃん、俺達! 最後くらいカッコ良く決めさせてくれたっていいだろっ? 大体、何しに来たんだよっ」


「あ……」


 少女の動きがピタリと止まる。そして何やら考え事を始めたみたいだ。

 樹楊はミリアに感謝しつつも何だかわけの解らない白髪の少女に溜め息をつき、月を見上げる。



 今夜はいい月夜だと言うのに、何だかなぁ。



 ◇



 何処の国にも所属しない街。

 年中貧困に苦しむ街。

 それが樹楊の生まれた郷。


 この世界で孤独に生きる郷。

 ――――孤郷。


 そんな見捨てられた街の一角で騒がしいほどの賑わいを見せていた。

 釘の頭が僅かに出ている木製の長テーブルは随分と年季が入っているが、所々に金具の補強が入っている為、多少の衝撃じゃ壊れそうにもない。

 その上には、魚介類をメインとした御馳走がずらりと並んでいる。


 しかし、こんな日は滅多にない。

 今夜は樹楊が居る為、催されただけだ。

 月一で訪れる樹楊だが、こんなに御馳走が並べられるのは初めてでもあり、戸惑いを隠せずにいた。


「こんなに一杯……そんな金あるのかよ」


「大丈夫だよっ、キョーちんのお金には手付けてないないからさっ。最近お魚とかいっぱい獲れてね、結構お金入ったんだ。心配しないで食べて食べて」


 ニコは海老のチリソース焼きを三本ほど皿に取り分け、樹楊の元に置く。

 樹楊はここから見える夜の海を見た。

 この街は漁業が盛んで、と言うよりも漁業にしか収入源を期待できない。

 街のはずれで農業もやっているが、質は並みの下。売れなくもないがその大半は売れ残り、自分たちの食料とする事が多い。

 獲れた魚介類は近隣の街や村で売り捌いている。今は気候的にも暖かなモノで、海に住む魚介類も豊富だ。


 そんな事は解りきった事で、気が進まない樹楊の隣では。


「………………」


 白髪の少女が先程からもくもくと食べている。遠慮という言葉を知らないのか、ここの誰よりも摂取量が多い。


 突然街に訪れた少女。

 確か紅葉がどうのこうの言っていたが、何か繋がりでもあるのだろうか。

 赤麗のメンバーかとも思ったが、彼女らが着ている深紅の長衣をまとっていない。

 それに紅葉の許可もなしに勝手に出歩かないだろう。

 樹楊の見る限り、赤麗は統率の執れた部隊だ。部下は勝手な真似はしないはずだ。


 少女は頬を膨らませながら咀嚼し、次なる獲物を探している。その目線が樹楊の皿、海老のチリソース焼きでピタリと止まる。

 そして樹楊の眼をじっと見て、もぐもぐ。


「た、食べるか?」


 コクリ、と頷く。

 少女は手渡された海老をお礼も無しに食べ始め、それが美味しかったのか樹楊を見て、また頷く。


「そ、そうか。全部喰っていいぞ」


 一体何をしに来たのだろうか。

 紅葉を探しに来たんじゃないのか?

 刃を交え終わったあの時、夕飯だと呼びにきたおばちゃんの言葉に耳を動かした少女は、誰も誘っていないのに自然の流れで着いてきたのだ。


 しかしこの街の住人はアットホームで、来る者拒まず的な所がある。そして暖かい心をみんな持っていて、殆ど言葉を発しない少女に対して一方的に話し掛けている。頷くか首を振るか、首を傾げるしか反応しないのに何やら楽しそうだ。


 樹楊の対面にはミリアがいて、こちらもまた楽しそうなのだが「キー坊っ、酒持って来てー」


 ミリアは酔っ払っていて上機嫌だ。

 自分で持ってこいと言いたいが、酔っ払ったミリアは性質が悪い。以前もそれで長々と説教された事が鮮明に蘇る。

 あんな事は避けたい樹楊は、今足を動かして労力を費やす事が最善と判断して言われた通りに酒を置いてある物置に向かった。



「ねー、シロちゃん美味しい?」


 ニコは樹楊が居なくなったお陰で、見えるようになった二つ隣りの白髪の少女に話し掛けた。シロというのはたった今ニコが付けた名前で、本名ではない。ニコの事だから、髪が白いという事で付けた名だろう。

 シロと呼ばれた少女は口の端にチリソースを付けながら頷く。


「良かった。いっぱい食べていいんだからねっ」


 しばらく考えて、やっぱり頷くシロ。

 名前が付いた事により、話し掛けやすくなった皆は矢継ぎ早に質問をする。

 何処に住んでいるのか、年はいくつだとか、兄弟・家族・恋人……。幾多にも重なる質問にシロは戸惑う事無く、無言。

 どうやら食べる事で忙しいらしく、それを見た皆も笑い声を上げる。



 物置に酒を取りに来ていた樹楊は、酒瓶五本を手に持ち嘆息。

 本当にこんなに豪勢にしてもらって大丈夫なのだろうか。

 自分が渡したお金を使うなら、それで構わない。だけど、ここの人達はそうはしないだろう。きっと自分達の生活費を削って用意した御馳走なのだろう。普段から苦しい思いをしているのに。自分はスクライドの国民権を得たから、兵士として働いているから食事には困らない。


 だからこんな豪勢にしてもらわなくても、気持ちだけで良かった。

 この酒も安くはない。

 例え品質が粗悪で味が不味くても、ここの人達にとっては上物なのだ。

 それをミリアはがぶがぶと水のように……。


「あの酔っ払いめ」


 酒に砂でも混ぜてやろうか、などと考えていると背後から声を掛けられた。


「ミーさん、あんなんだけど普段は街の為に一生懸命なんだよっ。今はキョーちんが居て嬉しいからはしゃいでいるだけなんだよ」


 月明かりに照らされながら、ニコ。

 

「知ってるよ。隣街で電気関係やらバイクの修理やらで汗を掻いてるのを見かけた時がある。ミリアはこの街のモンじゃないのに、街の為に働いてくれてる。それは感謝してるんだ」


 ミリアは流れ者だった。

 国籍は不明だが、何でもライトメカニックの技術を生かせる地で働きたいとかで旅をしていたらしい。しかしこの街で行き倒れ、樹楊が手厚い保護をしてやってからというもの、この街に居座って貢献をしてくれている。

 それにこの街にある巨大なスクラップの山はミリアにとってはお宝の山だとか。

 そんなミリアの夢は自らが創り上げた機械剣をメジャーなものにし、一攫千金を狙う事らしい。


「だったら、ね? 今日だけは飲ませてあげようよっ」

 にぱっと笑って顔を覗き込んでくる。


 樹楊はその昔から変わらない笑顔を見ると、頭を撫でてやり、酒をもう二本手に取った。


「ま、飲ませてやるか」

「うんっ、飲ませてやろーじゃないかっ」


 ニコに酒瓶二本を渡し、物置を出る。

 楽しそうなニコは白髪の少女にシロと名前を付けただとか、どうでもいいような事を話す。それがどうしようもないくらい、楽しい樹楊だった。



「ミリア、酒持って来たぞ」

「持って来たぞっ」


 樹楊とニコは弾む声で戻ってきたのだが、何やら皆の様子がおかしい。

 顔が青ざめていて、何かに怯えている。

 それでもまだ食事を続けている白髪の少女の頭を後ろからわしゃわしゃ撫で、みんなの顔を見渡してみた。


 すると、その視線がシロに集まっている事が解った。

 そして、斜め向かいにいた汚れた金髪のおばちゃんが震える唇を開く。


「い、忌み……」

 そのおばちゃんの顔は蒼白で、開かれた唇は目視で確認出来るほど震えている。


「ん? どったの?」


「忌み、忌み児っ」

 震える指でシロを指す。


 忌み児?

 意味不明な言葉だったが、聞いた事があるような気もした。

 何だったか、と指差されるシロの顔を背後から覗き込む。するとシロは驚いたように片目を押さえている。


 巻いていた包帯は首に掛かっていた。

 恐らく、樹楊との一戦。

 大剣を斬った際に、前髪と包帯を巻きこんだのだろう。

 切れ目が入っていた包帯が、今になって裂けたらしい。

 シロの頭に置いてある手に、微かな震動が伝わってきた。どうやらシロが震えているようだった。


「ね、イミゴって何?」

 ぽかーんとしながらニコが樹楊に訊く。


 樹楊もド忘れしていたのだが、片目を隠しているシロを見て思い出した。

 だが、ハッキリ思い出したわけじゃなく、記憶を引っ張りだすように答えた。


「んーと、確か片目の色が違う人間は呪いを受けて生を授かったと言われていてな、その児がいる事で〜……何だったか」


「その児が居る事で災いが招かれる……よ」

 

 ミリアが付け加える。

 それだっ、と樹楊はポンっと手を叩きニコに向かって頷いた。

 シロは椅子を引いて立ち上がろうとしているが、それに気付き、立ち上がらせまいと手に軽く力を入れてその頭を押す。


「…………離して」


 シロは目を隠したまま声を漏らすが、その申し出を受けるわけにはいかなかった。

 そうすると、上擦るような小さな唸り声を上げたシロはさらに俯く。

 寂しそうな後ろ姿だ。

 小さな身体が余計に小さく見える。

 樹楊は眼つきを変え、皆に向って怒鳴り声を上げた。許せなかったのだ。それは樹楊が知るみんなだからこそ許せない事。


「馬鹿か、テメェらは!」


 その大喝に皆は驚き、姿勢を正す。

 一番驚いたのはニコで、持っていた酒を宙に放り投げてしまうほどだった。

 その酒は自らキャッチしたお陰で割れずにすんだが。


「忌み児だの何だのってよ。ンなもん、頭が悪ぃ先祖のクソがテメェらの不幸を、たまたま変わった特徴を持って生まれたガキに押し付けただけだろうが。それを背負って歩くガキがどんな気持ちかなんざ、俺達には解らねぇ。……けどよ」


 樹楊は一度言葉を区切って集まる視線に全て睨み返すと、次の言葉を紡いだ。


「見捨てられる事の辛さ、痛ぇくらい解ってんだろうが! こいつだってきっとそうだったんだろ! 何で解ってやれねぇっ。テメェらはそれを解ってやれる奴等だろ!」


 場は静まり返り、俯く者も居た。

 何の偏見も持たないニコはうんうん、と頷いてミリアは樹楊の顔を微笑みながら見ている。


「キー坊の言う通りだよ、みんな。あたしは余所モンだけどさ、もう一員のつもりだ。辛さもある程度は解ってるつもり。忌み児だとか、もうやめようよ。変わり種を淘汰する世界は醜くて汚いモノだよ?」


 いつの間にか、少女は立ち上がろうとはしなくなっていた。相変わらず片目を押さえて俯いているが、大人しくしている。


「まーまー、過ぎた事は終わりっ。キョーちんもこの街の皆だからこそ怒ったんだよっ。シロちゃんも何時までも引き摺ってないで、ホラ」

 

 この状況下でニコの底抜けの明るい性格はありがたく思う。

 場が和み、笑顔を取り戻せるのはニコの笑顔があってこそ。


 皆はシロに謝罪の言葉を並べて頭を下げる。シロは何も言わなかったが、一度だけ頷いた。


 

 宴会も皆が酔い潰れるという、ありふれた終わり片を迎えた。

 普段は酒を飲まないニコもその中の一人だ。

 樹楊はほろ酔い程度のペースに抑えていたため上機嫌で終わる事が出来たのだが、酒を一滴も飲まなかったシロは終始無表情だった。

 そのシロが帰るというので、街の外れまで見送りに行く事に。



「また、来るといい」

 樹楊は星空を見上げて気楽に呟く。


 シロは樹楊を見やると、小さく頷いたのが解った。そして何を思ったのか新しく巻きなおした包帯を取る。そこに現れたのは、黒が縁取る真っ白な瞳。微かに青が帯びている。無表情の中にあるソレは、漆黒の夜空に瞬く一番星のようで、樹楊は言葉を失ってしまった。


「…………気持ち悪いでしょ?」


 諦めたように鼻で笑うシロだが、樹楊は距離を詰めて鼻先が触れ合うくらいまで顔を近付ける。


「すげー綺麗だな、それ」

 えっ、と戸惑うシロは後退り、首を振る。

 

「いや、宝石までとは言わないけどさ。でも何つーか、ガキの頃、太陽に透かして見たガラス玉みたいな瞳だ。控えめに光る星、とも言える。うん」

 にかっと笑って戸惑うシロの頭を撫でてやる。樹楊の癖は、小さな女の子の頭を撫でてやる事らしい。


「宝石は魅了する力を持ってるけどさ、ガラス玉は……。柔らかい微笑みをくれる。平和の象徴って知ってるか?」


「…………ピースリング」

「そう。誰が考えたか知らんけど、俺はあんなんよりガラス玉の方が平和の象徴だと思うね。あんなに柔らかい幸せをくれるモン、他に知らねーからな、俺は」


 シロは首を微かに傾げると、夜空に流れる星に気付いて目で追う。

 そして眼を細めると、夜空を見たまま呟いた。


「…………私は忌み児じゃない」

「あぁ、知ってる」

 しかしシロは「違う」と首を振る。


「これは呪刑者の瞳……。私は呪いと共に生きてるの……」


 返す言葉が見当たらなかった。

 初めて聞く『呪刑者』という言葉は、心の深くに突き刺さって抜けない。

 一体、どういう事なのだろうか。

 シロが言いたい事は、何なのだろうか。


「シロ……」


 知識の狭さを悔やんでいると、シロは包帯を巻きながら呟く。


「でも、嬉しかった。……少しだけ足が軽くなった」


 物陰からバイクを出し、エンジンを掛ける。

「それに、私の名前は蓮……。じゃ、また」


 樹楊の返事も聞かず、蓮と名乗る少女は暗闇の荒野へと消えていく。

 巻き起こった砂ぼこりに目を細め、蓮を飲み込んだ闇をただ見つめていた。


「あいつ……」


 無表情だった。

 笑顔はどこに忘れてきたんだろう。

 悲しさは表情に出す事無く、心で押し潰しているのだろうか。


 それよりも……。


「お礼……一言も言わなかったな」





 三日が過ぎた昼、樹楊は両手を頭の後ろで組みながら鼻歌を歌いながらスクライド城下町を歩いている。何がそんなに上機嫌にさせるのか。

 それはニコから聞いた吉報のお陰だ。

 郷から帰ってくる前に、ニコは「結婚が決まったの」ともじもじしながら教えてくれたのだ。詳しい日はまだ決まっていないらしいが、妹のように可愛がってきたニコが結婚するのはこの上なく嬉しい事だった。


 相手は隣街・シラントの大工で、魚を売りに行ったニコの笑顔に一目惚れだとか。

 相変わらず、見る者に笑顔を与える奴だ。


「今日は快晴っ。気分もいいし、ぱぁっと行くかっ」


 手を振ってくる街民に手を振り返し、手持ちの金を確かめる。

 昼間から酒場というのも、なかなかどうしてじゃないか。


  樹楊は一般兵が心の拠り所にしている、安いだけが取り柄の酒場に来た。

 ここの酒は上品でない為、階級が上の兵士はあまり来ない。そのお陰で一般兵は気兼ねなく騒げる場所だ。昼間という事もあり、店は準備中だったのだが。すっかり馴染んだ店員にウイスキーをボトルで頼み、店内の片隅にあるテーブルに座る。


「キョウくん、上機嫌ですね」


 普通なら街民は兵士に対して馴れ馴れしく話し掛けない。それどころか本来なら「樹楊さま」と呼ぶべきなのだが、気さくな樹楊は堅っ苦しい礼儀を好まない。

 そんな砕けた性格故か、城下町の人々は樹楊の事を好んでいた。


 初めは一歩引いていたこの若い店員の女の子も、それを理解すると同時にフレンドリーな対応をしてくれるようになった。


「まぁね、久し振りだよ。こんなに楽しいのは」


 おつまみを食べながら水で割ったウイスキーをあおる。

 アルコール依存症ではないが、こんなに楽しい日は飲まなきゃ損だと樹楊は思う。

 しかしそこに招かれざる客が。


「アンタ、真っ昼間から……」

 真紅の髪の少女、紅葉だった。


 どうやら対談を終えたらしく、分厚いファイルを手にしている。

 紅葉は注文を取りに来る店員にお茶を頼むと、樹楊の隣に座る。


「ここは酒場だぞ? 茶ー飲むなら他へ行け」

「別にお茶を飲みたいわけじゃないのよ。アンタを探しに来たのっ」


「俺? 何か用でもあるのか?」

「アンタがやってる事についてよ」


「飲酒」

「そうじゃないっ。アレよ、アレ」


 紅葉の険しい面持ちから察した。

 三日前の、アレ。

 武器を奪い、闇市への転売。

 精霊殺し。


 樹楊は適当にあしらおうとしていたのだが、紅葉の言葉を聞いて顔を曇らせた。グラスに付けた口がゆっくりと離れていく。

 何でもニコに気付かれているという。

 あの鈍そうなニコに。


「彼女、凄く心配してたよ? いつか酷い目に合うんじゃないかって、涙ぐんでいたわ。アンタが言う通り、結婚するんだったら安心させてあげなよ」


「でも俺には金が……」


 金が必要なのだ。

 期限があるわけじゃないが、莫大な金が必要なのだ。このまま法を犯していれば、あと半年もあれば目標を達成できる。だが、兵士としての俸給だけで貯めるとなれば何年掛かるだろうか。一刻も早く、故郷のみんなに楽をさせたい。その思いだけが樹楊を犯罪者に走らせていた。確かに、自分がやっている事は大きなリスクを伴う。バレずにここまで来られたのは幸運と言っても過言じゃない。


 紅葉は真剣な面持ちで悩む樹楊を見てから再度説得を始める。


「時間はあるでしょ? 兵士らしく昇格して、武功を上げれば収入は増える。それにアギって人、言ってたよ? アンタは小隊長になれる器だって。その気になれば自分をも軽く追い越すだろうって」


 アギの語る顔が思い浮かんだ。

 アイツはいつもそんな事を言っていたから、その顔がもう眼に焼き付いている。


「なれねーよ、俺にゃ。そんな素晴らしい才能も腕も持っていない」


「だからこそ訓練するんでしょ? …………って、アンタ訓練は? みんな毎日やってるんでしょ?」


 樹楊は、あーっと呟いて酒を一口飲むと「俺はいいんだよ」


 そして、

「街の巡回、酒場の警備が俺の仕事っ」

「散歩して飲んでるだけじゃない。どこまで自由なのよ、アンタ。その内怒られるわよ」


「俺はもう呆れられているから平気。だから昇格もあり得ないし、第一、国王様―っとか言って命を投げ出すほど酔狂じゃないんでね。賢く生きてんだよ」


 紅葉は心底呆れたような顔付きになり、片眉をぴくぴくさせている。

 まるで便所虫を見るかのような目をしてしるが、気になる樹楊ではない。

 紅葉が嘆息と共に何かを話し掛けようとしてきた時、目の前に真っ白な長衣が姿を現した。

 樹楊はその長衣を下からなぞるように見て、その人物を確認すると鼻で笑う。


「これはこれは、領政官のラクーン様ではないですか。こんな酒場に珍しい」


 ラクーンは純白の法衣を着ていて、顔だけを晒していた。

 人がいいとしか言えない優しい顔立ちの上、笑顔を日頃から浮かべている。そして口調は棘のない柔らかなもの。男のくせに女っぽい顔立ちである。


「アナタは赤麗の紅葉さんですね? 私は領政官のラクーン・クリナルトと申します」


 国の政治を取り締まる領政官の長であるラクーンはジルフードとは違い、穏やかで歳も三十一歳と若い。この年で国王の右腕に成り上がるのは相当な頭脳と功績が必要だ。


 その才色兼備のラクーンがにこっと、必殺スマイル。


 紅葉はぎこちなく頭を下げるが、目の前の人物が国の政治を取り締まる長である事が解ると、樹楊を睨む。


「アンタ、態度を改めた方がいいって」

 耳元でひそひそと話すが、何とも解りやすい行動な事か。明らかに聞こえないように話しているのがバレバレだ。


「平気だっての。何度か話した事があるし、郷の件でも世話になってる。何か文句があるならもう言われてるっての」


 紅葉の額を押して間を取りながら、ラクーンを椅子に手で促す。

 ラクーンは膝を正して姿勢正しく座るが、樹楊は足を組んでいて、あくまで太々しい態度を変えない。


「で、何か用件でもあるんですか?」

「うん、酔狂じゃない君に頼みたい仕事があってね、その事で」


 忠誠心の薄さを暴露した発言はしっかりと聞かれていたらしいが、ラクーンはそれを咎める気があるわけでもなさそうだ。

 ラクーンは懐から手の平サイズの板を出した。それは銀色に輝き、両面とも鏡のように対象物を映している。


「何かの契約書ですか。それがどうしたんです?」

「これをね、白鳳の皇帝に届けてほしいんだ」


 白鳳とはソリュートゲニア大陸の北西部に位置する帝国。

 スクライドやクルードとは違い、体術や気功なるもので部隊を編成する国で、武器と言えば鉄製の棒や槍、中には剣などもあるがスクライドほどポピュラーなものではない。


 ラクーンはその白鳳に同盟を求めるらしく、その書状を届けて欲しいと言う。

 しかし……。


「白鳳は排他的国家で、余所者を嫌うと聞いていますが?」

「うん、そうだね。勿論、ただ手を差し伸べるだけじゃ向こうは握り返してくれない。ならば差し伸べたくなるようなモノを見せてあげればいい」


 ラクーンは視線を樹楊の戦衣に移す。

「なるほど。こいつが交渉の餌ですか」


 樹楊は戦衣を荒く掴んで吐き捨てる。するとラクーンは満足気に頷く。


 樹楊が着ている戦衣はただの布ではない。

 中に伸縮鋼線という極細の糸が無数に編み込まれている。これはケプラー繊維を使った防刃ベストと同じ原理で、ある程度の刃は通さない。

 しかしケプラー繊維とは格が違う。何倍もの強度を誇るのが伸縮鋼線であり、スクライドだけが持つ技術の賜物なのだ。


 この技術は白鳳やクルードも欲しがっている。交渉の餌には持ってこいだ。


「種明かしするならクルードとも手を結べばいいじゃないですか」


「いや、クルードの王は国の権利を独占したがる傾向が強い。この技術を渡したところでスクライドの王は排他され、この国も栄えないだろう。そればかりか、大きな格差社会が生まれる。対して白鳳は分権を良しとする考えを少なからずとも持つ。更に彼らとの貿易が成り立てば、互いの生活水準もあがるだろう」


 ラクーンは、どうかな僕の考えは。とニッコリと笑顔を浮かべる。樹楊は足を組んだまま、さらに腕を組んで考えていた。


 どうにも気が乗らない。

 白鳳の領土に入れても余所者を歓迎する心を持つ国じゃない。何があっても、おかしくはないのだ。

 答えあぐねる樹楊にラクーンは、この場の交渉に餌を持ち出した。確実に釣れると思っているのか、自信がありそうな顔をしている。


「報酬は百万ギラ」

「ひゃ、百万!?」


 途端に樹楊の眼の色が変わる。

 一般兵の樹楊にとっては大金であり、闇市を頼ってもなかなか溜められない程の金額である。


「どうかな? 君の為になると思うけど」

 ラクーンはニコニコ表情を崩さない。


 いけすかない顔だ。

 前から気に入らなかった笑顔だ。

 何も、女性に人気があるラクーンに嫉妬しているわけじゃない。断じて違う。ずっと気に入らなかった。こいつが判を押せば故郷だって国の一部になれるのに……こいつは。


「やらせて頂きます。ラクーン様」

 百万くれるとなれば話は別だ。


 樹楊は目を輝かせてラクーンの手をしつこく握る。


「そ、そう。ありがとう」

 普段は懐かない樹楊にラクーンもたじたじのようで、持前の笑顔が引き攣っていた。



 ◇



 二日後、樹楊はラクーンから与えられた任務の為に珍しく早起きし、軍用バイクの燃料を満タンにして、準備を整えた。

 軍用バイクは戦闘に特化したバイクであり、装甲が厚くて壊れにくい。これを運転しながら戦う兵士を『機兵隊』または『機士』とも言う。


 樹楊はバイクの運転が得意で、機兵隊でこそ活きる兵士なのだが、軍規により一般の歩兵止まりなのだ。機兵隊は小隊長クラス以上で編成される部隊なのだから仕方がない。しかしそんな事など気にした事のない樹楊だが、バイクをいじるのは好きでもあり、ミリアに頼んで改造してもらった事もある。


 このバイクも排気量を上げている為、異常がないか厳重にチェックしていると、現れた紅葉が服装を見るなり早速好奇心を働かせた。


「何、その格好」


「あぁ、これはスクライド兵士の正装だ」


 そうは言っても煌びやかなモノではなくフォーマルなモノでもない。

 革製のノースリーブジャケットは襟が高く、ベルトを締めれば首がすっぽり隠れ、背中にはスクライド王国の紋章がある。手縫いでしっかりと丁寧に縫われてはいるが、安物の黒い糸を使われているのが樹楊の兵士ランクを表していた。

 下半身も革製のパンツでブーツの中に裾を入れている。そして片足を覆うようにスカートらしきモノを巻いている。これはハーフスリットというれっきとした正装の一部なのだ。

 全身革製で藍色。

 なお、荒野をバイクで移動する為に防塵として黒い布で鼻と口を隠すように覆っている。


「うっし、じゃあ行くかな」


 どうやら特に異常はないみたいで、あるとしてもスピードメーターが壊れているくらいだ。樹楊はさして気にする事もなく、黒の革手袋をはめるとバイクに跨る。

 紅葉に手を振ろうとした時、その向こうに見た事のあるような女の子を見付けた。

 その女の子はマイペースで歩み寄ってくると紅葉と肩を並べると、目を見つめてくる。


「蓮、どうしたの? 朝早くから珍しい」

「…………ん」


 蓮はどうやら朝は苦手らしく、しぱしぱする眼を眠そうに擦っている。

 樹楊は蓮を思い出すと、バイクから降りてその頭を撫でた。樹楊の故郷で散々暴れた挙句、タダ飯を食って帰った少女だ。


「蓮、お前紅葉の仲間だったのか?」

 

 蓮はわしゃわしゃと撫でてくる手の力に抵抗する事無く、頭が前後に揺れていた。それを見た紅葉は血相を変えて樹楊の手を払うと声を荒げる。


「バカ! 蓮に触っちゃ――、駄目よバカーって、あれ? バカ……」


 紅葉が大人しくしている蓮を見て首を傾げると、蓮もそれに倣って鏡映しのように首を傾げる。樹楊は払われて痛む手を撫でながら紅葉を睨んでいた。バカと三回言ったのも聞き逃してはいない。


「蓮……何で斬ろうとしないの?」

「…………何でだろ?」


 蓮も疑問に思っているらしい。

「おいおい、斬るって何なんだよ」


「へ? いや、蓮って赤麗メンバー以外の誰かに触れられると反射的に斬ってしまう癖があって……、あれ? アンタ達知り合い?」


「あぁ、紅葉が俺らの街から出て行ったあとすれ違いで来たんだ。まぁ、そこで知り合ったっつーか」


 そう教えながら、無意識の内に隣に居る蓮の頭をくしゃくしゃ撫でていた。蓮も撫でられる猫のように目を細めて大人しく、されるがまま。紅葉は益々眼を丸くし、何やら唸りながら考え事を始める。それにしても、触れられただけで斬ってしまう癖って……厄介な癖だ。そう言えばアギもそのような事を苦笑混じりに言っていた気がする。あれは蓮の事だったのか。


「きょーくん、どこ行くの? 旅行?」


 相変わらず無表情で小さい声だ。

 しかし今は辺りも静かで聞き逃さずに済んだ。しっかり答えてやれる。


「今から白鳳ってとこに使いとして、な。任務だ任務。お前も行くか?」


 まるでご飯でも食べに行くかのような軽い口調で誘う樹楊としては冗談だった。元より、あんなに遠くの国まで着いてくるとは思ってもいない。

 しかし蓮は何も考えていないように、即頷く。紅葉に許可を取らないところを見れば蓮も自由な奴らしく、樹楊は親近感を抱いた。


「……アゲハ、行ってくる」

「へ?」


「……屁じゃない」


 紅葉は何故か解り合えている二人を交互に見て、ぎこちなく頷く。すると蓮は少し待つように言い残して、何処かへ行った。そして五分もしない内に腹の底まで響く重低音と共に現れる。


「これで行く」


 蓮が乗ってきたのは軍用バイクで、純白のボディーをしていた。

 樹楊が持つ軍用バイクよりも一回り大きく、丸いフォルムでタイヤが太い。普通のバイク二台を縦に並べたくらいの全長であり、これでも小回りが利くと言う。

 樹楊はボディーに印字してある車種名を見て目を見開いた。


「DO、Ka……Shi−……BO。…………ドゥカシーボっつったらレース用のバイクじゃねーか! 軍用に改良したのか、これっ」


 蓮、首肯。

 樹楊が驚くのも無理はない。

 ドゥカシーボと言えば、バイクレースの頂点に立つメーカーであり、排気量・グリップ力・馬力のどれを取っても最高峰なのだ。

 しかし市場に出回る台数は少なく、今となっては希少である。


「……軍用だから能力は低下したけど、装甲や安定性は抜群。それに……」


 蓮がハンドルの下にあるスイッチを入れると、下のエアーが抜ける音と共にフレームが昆虫の羽根のように開く。

 

「ここに剣をしまえる」


 そこは武器を収納するスペースであり、スイッチ一つで開閉出来る仕組みだ。

 樹楊は腰に差していた二本の内の一本、ミリア渾身の開発の機械剣を渡そうとしたが……、


「まさか、パクらねーよな?」


「…………ん」

 びくっとする蓮。少しだけ眼が泳いだ。


 どうやらまだ諦めていないらしい。

 でも腰に二本も差しているのは邪魔ともあり、取り敢えず渡しておく事に。


「アンタ、腰に差してる剣。随分と派手ね?」


 紅葉が気付き、訊いてくる。

「あぁ、こいつは結構有名な剣でな。念の為な」


 何が念の為なのか、紅葉は首を傾げる。

 その答えを明らかにせず、樹楊はバイクに跨ってタンデムベルトを握る。


「じゃ、アゲハ……行ってくる」

「うん、気を付けてね」


「紅葉、俺の居ない間ぁぁぁっはぁぁぁぁ!」


 蓮は樹楊の挨拶も終わっていないのにバイクを走らせた。かつてない加速に樹楊の視界は瞬時に流れ、振り落とされそうになっている。


 ぽつん、と残された紅葉は呟く。

「樹楊、か。蓮が心を許すなんて……」



 ◆



 樹楊が街を出たその時、ラクーンの元に背中に剣を携えた一人の女兵士が現れた。


「ラクーン様、何故あのような下郎に重大な任務を。私なら確実、かつ迅速に遂行出来ました」


 肩まで伸ばされた金髪を揺らし、不機嫌そうに眉を吊り上げるこの兵士はミゼリア小隊長であり、かつてはアギの部下だった女兵士だ。年齢は二十半ばで、模範的な出世を遂げている。

 ラクーンは当たり障りのない笑みを浮かべると、窓の外を見て言葉を返す。


「この任務はね、彼が適任なんだ。実直な君じゃ荷が重い。彼の度胸やずる賢さは兵士というよりも政治に生かすべきだと私は思っている」


「しかし、あいつはっ」

「ミゼリア小隊長。部下をあいつ呼ばわりかい? いけないな」


 ミゼリアはハッとし、それでも歯を食い縛りながら低頭する。

 

「白鳳の皇帝はよく知っている。実にへそ曲がりでね、ミゼリアくんのような愛国心溢れる者を好まない」

「しかし、あい――樹楊には性格に難があります。それは私がよく知っています」


 ラクーンはうん、と頷いて机の上のファイルを開く。その片面には樹楊の全身写真が、ハードコーティングされているディスプレイ一面に映し出されていた。

 ページの下にある、十字のボタンを押すと樹楊の年齢・兵としてのランク・プロフィールが順にディスプレイに表示されていく。

 最後には闇市でスネークと談笑している姿が映された。その法を犯した証拠となる静止画に笑みを浮かべるラクーン。


「白鳳の皇帝はへそ曲がり。それならこちらもへそ曲がりをぶつけようじゃないか。毒を持って毒を制す――ってね」


「はぁ。しかし大丈夫でしょうか? 万が一、皇帝の逆鱗に触れる事があったら、樹楊は」


 ミゼリアの表情に影が落ちた。

 ラクーンはぽけっとした後、品よく笑い声を上げる。


「もしかして、彼に惚れている……とか?」

「ち、違います! 冗談でもそのような事をっ」


 ミゼリアは顔を真っ赤にした後、鳥肌を立てて身震いをする。どうやら本気で嫌っているようだ。ぼそっと気持ち悪いとも呟いている。


「万が一、ではないよ」


 ラクーンが声音を落とし、ミゼリアの眼を見据える。その眼光には得体の知れぬ光が宿っていた。ミゼリアは固唾を飲んで言葉を待つ。


「万が一、じゃなく、二分の一の確率で樹楊くんは皇帝の逆鱗に触れるだろうね。そしてその先は死――かな?」


 ミゼリアは何も言えなかった。

 いや、言うべきではないと感じ取った。

 ラクーンが何を考えているのか。

 それこそ神のみぞ知る、というやつなのだろう。


「万年雑兵・樹楊。――っふふ。王の子に有るまじき身分だけど、本当に彼は政治向きだよ。僕の駒になってくれないかなぁ?」


 ラクーンは窓の外を眺めながら独白する。

 その声は楽しそうなのだが、目は笑っていなかった。

 問い掛けているのか単なる独り言なのか。解り兼ねたミゼリアはただ低頭する事しか出来なく、冷や汗の雫を一粒、顎の先から床に落とした。


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