第三十九章 〜雨、決意〜
「えーとですね、そのー…………何て言えばいいのやら」
ラクーンは自室に訪れた二人の姿を見るなり困った様子で頬を掻く。
訪れた二人とは、樹楊とフェイリスである。二人とも親の敵とばかりに振ってきた雨に打たれて全身びしょ濡れの上、土汚れやら擦り傷、樹楊に至っては目の周りが内出血を起こしている。二人は、最後の楽しみにとっておいた苺ショートケーキの苺を横取りされたガキンチョのような不貞腐れ顔で互いの顔を見て、それからラクーンに物申す的な瞳を向けた。
「どうもこうもないですよ、こいつが」
「どうもこうもないわよ。この馬鹿が」
二人は声を揃えると睨み合い、野良犬のように充分に威嚇し合った後でお互いの服を引っ掴んで殴り合いを始める。樹楊が優勢かと思えばフェイリスが馬乗りになったりと、本当に子供のよう。これで実に十回目の喧嘩である。無事にクルードから脱出出来たかと思えば喧嘩。立ち寄った街の宿でベッドがある部屋の使用権を巡っては喧嘩。雨が降れば、お互いに相手の日頃の行いの悪さを指摘し合っては喧嘩などなど、発端は全てつまらない事ばかりだった。そんな二人の様子を唖然として見ていた警備兵に片手を上げるだけの仕草で退室を許可したラクーンは特に慌てる様子も見せずにキッチンへと向かう。そして冷えた身体を温めるには最適なホットコーヒーを二人分用意するとソファーに挟まれるテーブルの上に置いた。
「喧嘩もいいですが、先ずは身体を暖めてはどうでしょうか?」
勿論、着替えを済ませてからという意味を込めていたのだが、この二人は拳を収めるなり遠慮なくソファーに座る。あ、あのっ……と水分を含んでいくソファーと二人にへ等分の視線をやるが、樹楊は首を傾げ、フェイリスはカップに口を付けていてこちらの声など届いていない様子だ。二人は旅慣れをしていて平気で野宿をするような人間であり、そんな二人がソファーの(しかも他人の)心配をするわけがない。そうでしたね、と青ざめた顔で口端を痙攣させながら微笑むラクーンは溜め息を吐くと自らのカップに口を付ける。
「それで、今日はどんな入り用で?」
テーブルに両肘を立て、重ねた手の上に顎を乗せてラクーン。
樹楊はこの部屋に三人以外の誰もいない事を確認し、部屋の外を親指で差しながらラクーンを見る。それに対し、ラクーンは誰もいない事を意味する首肯をすると、樹楊は事の全てを告げた。スイとのやり取りから始まり、クルードの現状況。それとオルカの申し出と目論見など。私見を含めてはいるが、脚色もない全てを。それと、取って付けたかのようにフェイリスの歌のボランティアも忘れてはいない。
ラクーンは椅子に背を預けると腕を組んで考える。
樹楊を助けてくれたフェイリスに対して感謝はしているが、問題はそこではない。
ラクーンが一番興味を惹かれたのは『オルカに反旗を翻す意思がある』という事だ。訊かずともオルカがクルード王国の姫君である事は解っている。そして兄弟が誰もいない、という事も掌握済みだ。そのオルカが国王暗殺を目論んでいるとすれば、こちらにとって都合が良いのは誰にでも解る事。王族が他にいるとしても、オルカが次期国王の妃となる事には変わりない。しかし、これまでの経緯を考えてみると彼女がそれを良しとするわけもなく、だからこそ樹楊にクルード復帰を望んでいるのだろう。こちらとしての最善策としても――。
「冗談じゃねーっすよ。俺ぁ、スクライドから離れる気はないんで」
「解ってますよ」
ラクーンの視線に気付いた樹楊は肩肘をソファーの背に預けたまま拒絶してくる。何とも失礼な態度だが、それをラクーンが気にする事はなく、笑顔のままだ。しかしラクーンは「ですが」
樹楊は口に運んだカップを寸前のところで止めると、冷たくなり始めた瞳をラクーンに向けた。僅かな敵意の片鱗が顔を覗かせ始めるが、ラクーンは紡ぎ出そうとしている言葉を変える気はなく、続けた。
「キミがクルード国王になれば、スクライドは安泰です。条約を結べば良いのですからね。それに故郷の件も思う通りに出来るでしょう。今一度確かめたいのですが、何故そこまで拒絶するのですか? 現国王が亡くなれば、問題はないと私は思っているのですが」
樹楊は馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らすとコーヒーを一口飲み、カップを置こうとした時、カップを両手で持つフェイリスが口を挟んでくる。それもしれっとしていて当たり前の口調で。
「無理ね。クルード王の警備は厳重で簡単には崩せない。んで、あちらさんは既に侵攻状態を整えているはずだし、そろそろ攻めてくる頃だと思う。いくら姫でも計画を遅延させるほどの権力はないだろうし、そうなれば暗殺計画はスクライドが敗戦した後の事なんじゃないかな?」
樹楊はラクーンを見たまま掌をフェイリスに向けて肩をすくめる。恐らく、歌姫のおっしゃる通りでございます。といったところだろう。
「そもそも、俺は王なんてガラじゃねーっすよ」
「そうねー。王より物乞いが似合ってると思う。解ってるじゃない」
何だと、何よっ。と再び火花を散らせる二人は、しかしそっぽを向きあってそれぞれのコーヒーを飲む。ラクーンは困ったように腕を組み直すと、慌ただしく扉がノックされる。そして入室の許可を口にするや否や一人の兵が血相を変えた顔で入室。
「どうされましたか? そんなに慌てて。まるでスクライドに危機が迫っているみたいじゃないですか」
冗談で言ったつもりだったのだが、この兵が持ち込んできた話はどうやら笑い話で済みそうにないのは、的を射られたような顔で解る。土砂降りの雨の中、傘もささずに来るほど慌てていたのだろう。床は彼が落とす雨垂れで濡れていく。
「ラクーン様、それがですね。クルードから使者が、いやっ、でも」
混乱しまくる兵をラクーンは得意の笑みで宥めると、落ち着かせてからゆっくりと告げさせた。その言葉にラクーンは緩やかな弧を描いていた目を刃物のように尖らせる。樹楊も兵に背を向けたままではあるが、怒気めいたものを湧きあがらせていた。隣ではフェイリス。くしゃみをすると関係なさそうにコーヒーを喉に流し込んでいる。
◆
スクライド城内にある、軍議室にはラクーンとグリムを含めた上将軍らがテーブルの左側で鎮座している。部屋の東西南北の壁際に並ぶ兵はそれぞれ帯剣して背筋を伸ばして立っていた。何かあれば剣を抜く、そういう刺々しい雰囲気だというのにも関わらず、来訪者三名は臆する事無くテーブルの右側に座っている。その、スクライドの上将軍らと対峙して座る来訪者三名とは、クルード王国の殲鬼隊のスイとオルカとその側近であるラファエロだった。黒い長衣を纏っていて、黙しているが強者たる風格をそれぞれが溢れさせている。ここが自国だというのに、スクライドの面々はその威圧に早くも押され気味だ。
唾を飲み込む事さえも気が引ける中、口火を切ったのはラクーンだ。
「我がスクライド王国に何かご用件でも?」
柔和ながらも敵意が込められた言葉に応えるのはラファエンジェロ。
「勿論です。と、言いましても、私達は使者であって王からの言伝を仰せつかっただけですがね。スイ、あれを」
促されたスイは懐から名刺サイズの銀板を取り出すと中央からへし折る。すると粉々に砕けた銀板の代わりに一枚の便箋型のフィルムが姿を現した。それをラファエロに投げ渡す。その失礼な態度にスクライドの上将軍らは顔をしかめたがスイの一睨みに気圧される。ラクーンはそのフィルムに目を通すと、冷や汗を頬に伝わせて苦笑を浮かべた。
「なるほど。大戦の、宣戦布告ですか」
その一言はこの場に居る者達の顔に暗色を浮かべるのに充分だった。スクライド王国はダラス連邦との大戦時に負った傷がまだ癒えていない。それなのに、もう次の大戦を申し込まれているのだ。オルカはつまらなそうに両手を頭の後ろで組み、椅子に背を預けていて、スイも頬杖をついて明後日の方向を見ている唯一ラファエロだけがラクーンに視線を向けているのだが、その瞳は笑ってなどいなかった。
「答えは今すぐに頂きたい」
「それは……困りましたね。こういうモノは軍議を掛けるのが筋なのですが」
ラファエロはそれ以上に困ったような顔をすると、思い出したかのように柏手を打つ。
「樹楊……という者をこの場にお呼びしては頂けないでしょうか? 訊く所によるとかなりの巧者だとか。それに――」
ラファエロは醒めた目線を上将軍らに走らせ「彼らはタダの置物のようですしね」
その見下す言葉に立ち上がり、抜剣しようとする上将軍らだが、全員が動きを制された。時空から飛び出てきた剣を喉元に突き付けられたのだ。一体誰が、と問う言葉もなく、扉が開かれる。そこから躊躇いがちに入ってきたのは蓮。纏う漆黒の長衣が意味するのは、彼女が殲鬼隊だという事だ。扉の傍にいた者は蓮に触れぬように道を譲り、少なからずとも目には恐怖が滲んでいる。蓮はそんな事はお構いなしとばかりに歩を進め、オルカの隣に座る。そしてきょろきょろと辺りを見回すなり、
「きょーくんは?」
ラファエロが首を振ると蓮は肩を落として、それから剣を時空に戻した。殺意はないにせよ、切っ先を当てられた上将軍らは肝を冷やし、喉に傷はないか手で触れてみたりしている。唯一人、蓮に剣を突き付けられなかったラクーンは一人の兵に樹楊を呼ぶように言うと、ラファエロは満足そうに頷く。蓮も満足そうに頷いた。
「今、来るので待っててくださいね?」
こくり、と素直に首肯する蓮。言わずとも、この場で鍵となるのは樹楊だ。しかしその事を上将軍らは理解してはいない。ラクーンは人知れす嘆息するのだが、蓮に励まされた。元気出す、と。
そして訪れた樹楊だったのだが、どうしたものかと思っている。
部屋の四方を囲むのは怖気づいている兵でみっちり。来訪者はよく知る顔で、対峙する者達はラクーンを抜かして頼りない者達だ。本当にどうしたものか。そんな中、蓮が小走りで近寄ってきて急くように手を引いてくる。遊びに連れていけと言わんばかりの子犬みたいなものがあって微笑ましいのだが、この状況下では和んでいる場合でもない。樹楊は蓮に連れていかれて、当たり前のようにその隣に座らせられた。何故かスクライドと対峙する席に座らせられた樹楊を見てラクーンは小鼻を膨らませて口を歪める。笑いだしたいがここは我慢だ、と全神経を集中させて堪えているのが全面に出てきていた。樹楊は蓮の頭を軽く払うように叩き、疑問を買う。そこで首を傾げられても困るのだが。
「俺は向こうだろうがっ。首を傾げるな」
「……んう」
テーブルに手を置いて立ち上がれば立場を理解していない蓮も立ち上がろうとする、が、樹楊はその頭を押さえこんで座らせる。
「蓮はこっちだっての」
樹楊は正当な事を言ったまでなのだが、この我が道を行く小娘にはそれが通じないらしく、微かに眉根を寄せる事で不満をアピールしてきた。抑えつけている頭もぐぐぐっと持ち上がってきている。最も、右目を布で覆っているから左半分で判断しなければならないのだが、樹楊には解っている。蓮は少しご機嫌斜めだと。そんな蓮を制しようとするのは、オルカだった。
「蓮ちゃん、今は遊びじゃないんだよ?」
そう言って、あからさまな敵意を込めた瞳で樹楊を睨みつけている。その漏れ始めた殺気がぴりぴりと肌を、本能を刺激してくるが逃げるほど馬鹿ではない。樹楊は蓮の頭を撫でて落ち着かせると、オルカの殺意を無視してラクーンの隣に腰を降ろした。そしてラクーンが持っていたフィルムを許可なしに手にすると興味深く目を視線を走らせていく。その光景に上将軍らは怪訝な目付きとなる。何せ、彼らでさえまだその文面に目を通してないのだ。それなのにも関わらず、地位が低い樹楊が先に目を通している。部下の手前ともあり、威厳を大事にする彼ららしい反応ではあるが、樹楊にとっては知った事ではない。そんな下らないプライドなど、きゃんきゃんうるさく吠える馬鹿犬にでも喰わせておけばいい。
「なるほどね。大戦か」
興味無さ気にフィルムをテーブルに投げ捨てる樹楊の次の言葉に誰もが耳を疑った。唯一ラファエロだけが微笑む。
「いいんじゃねーっすか? 俺個人としては賛成だけど、ま、そいつを決めるのは俺の仕事じゃねーですし。用が済んだんなら帰ってもいいっすかね? そこのラファエンジェロって奴は俺の意見が訊きたかったんでしょ?」
「馬鹿を言うなっ! 貴様、自分が何を言っているか解ってるのか!」
叫んで立ち上がる一人の上将軍に、名前はなんだったか思い出せないがその馬鹿たれに樹楊は頭を掻くと嘆息する。
「じゃー訊くけど、アンタは大戦じゃなくて通常戦なら勝ち目はあると、そう言いたいんですかね?」
「そ、そういうわけではっ」
身を引く上将軍に樹楊は呆れ果て、事もあろうかそれを表情に思いっきり出していた。こういう軍議ではある程度相手の返す言葉を予測してから発言してほしいものだ。そうじゃなければ行き詰まり、時間だけが無駄になっていく。
「俺の見立てじゃ、通常戦じゃ勝ち目はないっすね。じわじわと追い詰められて滅びるのがオチっす。この大戦の布告は、むしろ向こうの慈悲とも考えていいんじゃねーっすかね。こいつを断った途端、クルードは津波のように攻めてきては退き、また攻めてくる」
樹楊は視線をラファエロに動かし、
「だろ? そちらさんの考えは」
「ええ、その通りです。我がクルードは既に臨戦態勢を整えつつあります。大戦が受けられない、とあれば致し方ないでしょうね」
「だろうな。ついでに訊いとくけど、国境警備兵はどうやってパスした?」
「無人でしたが? 勿論、私達は何も手を出してはいません。本来であれば警備の者達に取り繋いで頂くつもりでしたけど」
樹楊は蓮に目線を流すが、ふるふると首を振られる。となれば、本当に無人だったのだろうか。いや、そんなハズはない。ラファエロは平然と嘘を吐いているのだ。そして「私達であれば警備兵如き、気付かれる前にし止められます」と言っているようなものだ。それはつまり、通常侵攻戦では不利になる事なのだ。こうも簡単に警備を突破されるのであれば、スクライドは早々に落とされてしまう。この事を、この場の何人が理解しているのだろうか。少なくともラクーンは勘づいているようだが。
樹楊はテーブルに肘をつくと、再度フィルムに目を通す。記載されている事が変わるわけじゃないのは解っている。
「こちらからの条件は呑んでもらえるのか?」
「内容によります」
意外な一言にスクライドの上将軍らは視線を集めた。そんな注目の的となった樹楊は不敵に眉を吊り上げた笑みを張り付ける。
◇
最近になってようやく設けられた砕羽の為の専用部屋にて、樹楊は件の大戦についての報告を隊員達に聞かせた。白を基調とした広くも狭くもない、少数の部隊には程良い広さの部屋に呼ばれた隊員達は樹楊の言葉に顔を強張らせる。しかしクルスは自分とは関係なさそうに壁に背を預けたままで煙草を吸っていた。窓を背に置かれた執務机に肘を乗せていた隊長であるミゼリアも、さして気にしていない様子である。隣に立つ樹楊には視線を向けずに隊員達の顔を伺っているだけだった。
「と、いうわけなんだが。何か意見でもあるか?」
何をどう言えばいいのか、そんな心が滲み出ている隊員達に樹楊は頼りなさを感じつつも、決定事項となった条約が記されている半透明のフィルムをミゼリアの前に置き掛けた時、扉が蹴られたように開いた。いや、蹴られたらしい。こちらに右足の裏を見せて怒気に身体を震わせる紅葉の姿からそれが確認出来た。短めのスカートを履いている所為か、ちらっと覗く水色の下着が樹楊にとっては少しばかり嬉しいご褒美だ。
――――じゃなくて。
口から心臓が飛び出そうな思いをしている隊員達とは真逆に落ち着いている樹楊は、紅葉とイルラカを一瞥すると徒労を肩に乗せて呟く。下着が見えて喜んでいる状況でもない。
「今、軍議中なんだけどな」
「知ったこっちゃないわよっ。それよりも!」
紅葉は止めるイルラカを振り払ってずかずかと大股で入室するなり樹楊の襟を掴んで引き寄せる。シャワーを浴びていたのか、フローラルな香りが濡れた髪から漂ってくる。しかし紅葉の剣幕はそんな優雅なものではなかった。
「アンタ、何で蓮が来ているのに私に報告しないわけ!」
俺はお前の部下か、と思いつつ、
「あのな。俺だって招かれた立場だし、一々報告出来る雰囲気なんかじゃなかったんだよ。仮に報告出来たとして、お前はどうしたんだよ?」
「決まってるでしょ! 蓮を裁くに決まってるじゃないっ」
思った通りだ。
確かに樹楊は報告出来るほどの時間を持っていたわけではないが、蓮が来ている事を呼びに来た兵に聞かされると、赤麗には話すな。と口止めをしてもいた。そうでもしなければこの首領はあの場を滅茶苦茶にしただろう。それは樹楊にとっても少々、いや、物凄く不味い事になってしまう。相手はスイに、何でもすると口にしたオルカ。そしてあの蓮さえも強いと認めたラファエロが相手なのだ。あそこが戦場となれば死者は両手をラクーンに借りたとて間に合わないほどの数が出ただろう。
樹楊は紅葉の手をそっと払うと、頭を下げてくるイルラカに苦笑を返す。
「紅葉」
「何よっ」
最早野犬モード全開のようだ。こちらが下手な事を言えば噛みついてくるにきまっている。しかし樹楊は紅葉に言葉を選ぼうとは思わない。頭をぺしっと叩いて怒りを煽ってやる。紅葉は怒髪天突く寸前だったが、何とか拳を震わせている程度に留めていた。
「お前の気持ちは解る。けど向こうは使者として来たんだ」
「それっが、何かし、ら?」
怒りで言葉がぶつぶつ切れる紅葉に隊員達は身を引く。ミゼリアだけは下を向いて噴き出すのを堪えているようだが。
「怒るな。使者に斬りかかるというのは、ご法度なんだよ。そんな事をしようものなら、向こうは法を犯してでもスクライドを潰しにくる。そして勿論、俺達も何も言えなくなっちまう。お前は首領なんだろ? 少しは自覚を持て」
神経を逆なでるような物言いだったが、樹楊の次の言葉が決め手だった。
「俺は孤高なお前の姿の方が好きなんだ。怒りに我を忘れるな」
紅葉は呆気に取られた顔をするが、やがて頬に朱を散らしていく。はぐらかすな、と紅葉は恥ずかしそうに吐き捨てるが、樹楊は冗談で言ったわけではない。初めて紅葉に会ったあの日、自分の虹彩は紅葉という真紅の戦人に焼かれていたのだ。目を閉じて余計な情報を遮れば何時だって鮮明に思い出せる。雨上がりの太陽の光を受けるその姿は、今まで見た中でも孤高なる存在で、まるで神話の世界から現れた戦の女神かとも思った。あの時の自分は毒気が強くてそれを認めようとはしなかったが、今の自分なら解る。きっと自分はこの女性に少なからずとも惚れているのだ、と。
ミゼリアも樹楊の心を見抜いてか、出来の悪い弟を見るような眼差しを向けてはいるが嬉しそうでもあった。ともあれ、一度火が点いたら爆走する牛のような紅葉を落ち着かせた樹楊に対し、隊員達は神を見るような目でうっとりしている。
何だその気持ち悪い目は、とは言えない樹楊は紅葉に後で時間を取って欲しい事だけを告げると退室を促した。仮にも今は軍議中なのだ。以前の二等兵であれば、こんなに体裁を気にする事はなかったが、今は立場というものもある。気が進むわけがないが、それでも仕方がない振る舞いなのだ。
すっかり気分を良くした紅葉が退室するのと入れ替わりに、緩やかなウエーブが掛かった髪をした少女が友達の家に来たかのように入室してくる。その者、今は髪がボンバってないフェイリスの姿を見た隊員達は度肝を抜かれ、クルスでさえも煙草を床に落とすほど驚いている。ミゼリアも驚愕し、フェイリスに駆け寄られた樹楊をまん丸い目で見つめていた。
「フェイリス、今は軍議中だ。用なら後にしてくれ」
「えー。あんなに激しく絡み合った仲じゃない。酷いなぁ」
もじもじと意味ありげに上目使いするフェイリスの言葉に、ミゼリアとクルス、それに隊員達は石化する。勿論、フェイリスの恥じらう態度は演技なのだが、彼女の性格を知らぬ者達はそれが本当の姿だと誤認するわけで。退室しかけていた紅葉は背を向けたままで固まっている。その紅葉の顔を見る事が出来たイルラカは大袈裟に後退りすると壁に背を打ち、それからずるずるとへたり込んで樹楊に首を振った。
フェイリスの『絡み合った』というのは殴り合った事なのだが、そんな事は解りもしない全員の殺意が、沸騰する湯が出す気泡のようにふつふつと沸いて出てくる。
「ちょっと待て。俺は何もしてないぞっ」
まるで子供の認知を迫られた遊び人がする言い訳にも似ている。色々悪知恵が働く樹楊だが、どうもこんな状況下での言い訳を得意とはしない。フェイリスが恥ずかしそうに「いやんっ」と両手で頬を挟めば、皆の怒りは最高潮に達するわけだが、いち早く爆発させたのは、言うまでもない。赤髪のやんちゃ娘だった。
般若の形相の紅葉は流星の如く華麗な跳躍をすると、爪先を揃えた両足を樹楊の顔面に捻じ込む。紅葉は猫のように身を捻りながらしゅたっと着地をした。誤解が解けぬままに気絶する運びとなった樹楊は壁で死人のように倒れるが、紅葉の目覚まし往復ビンタの嵐を受ける。それで目覚めるほど軽い失神ではない樹楊は夢の中、お花畑で蝶々を追い掛けていた。綺麗な浅瀬の川があるが、取り敢えず渡ってみようとも思っている。責任感ある顔で。
それから樹楊が意識を取り戻す事が出来たのは太陽が明日へと沈みかけた時だった。後頭部に柔らかな感触と目を覆う冷たい感触に挟まれ、少しだけ心地良い。どうやら膝枕をしてもらっているらしく髪が何かに優しく撫でられていて、ガラにもなく幼少時代を思い出したりもした。もう少しだけこのままで、と思いながら目を薄っすら開けると、目を覆う濡れたタオルの隙間から朱色に染まる世界が見えた。そして、その鮮やかな世界を演出する太陽を遠目で見るミゼリアの横顔も。
ミゼリアは凄く綺麗だった。
夕陽の効果で髪はオレンジ色に変わっていて、いつもは鋭い目もどこか優しい。砕羽の証である白の長衣などは着ておらず、半袖のニットを素肌にざっくりと着ていて線の細さが露わになっていた。腕には小さな切り傷が無数にあり、それでも綺麗な腕をしている。現心になっていた樹楊の視線に気付いたミゼリアはタオルの隙間を覗き込むように首を斜にし、目が合うとはにかんで髪をくしゃくしゃしてくる。
「何だ、起きてるなら早く言え」
「あ……、すんません」
何と返せば解らず、瞬時に出てきた言葉といえば気の抜けたような謝罪の音。それから上体を起こすが、頭に痛みが走り、反射的に額を押さえた。あの小娘、思いっきり蹴飛ばしてきたようだ。あの時、最後に見たのは紅葉の両足の裏だけで何が起きたのか理解出来なかった。殺す気か、とぼやきながらそれでも起き上がろうとするとミゼリアが肩を引いて膝枕を優しく強制してきた。
「まだ寝てろ。アレは流石に痛かっただろう」
「まあ、軽くあの世を垣間見たような気がします。つーか、フェイリスやみんなは?」
「少し前に出てったよ。今は大広間で緊急に開催されたパーティーが行われている。フェイリスが歌っている時間かな? お前が無茶な条約を取り付けるから士気は乱れ放題だったが、まぁ彼女の歌で少しは気分も紛れるだろう」
ミゼリアは気絶した後の詳細を教えてくれた。
どうやらフェイリスに関する誤解はすっかり解けたようで、紅葉は恥ずかしそうに誤魔化すように逃げたらしい。そしてフェイリスがここに来るまでの経緯も知らされ、一同は納得したらしいのだが、クルスは疑問に思っているとの事だった。
「フェイリスは何て?」
「お前がダラスから帰ってくる途中に会って、大戦前に無償で歌を披露する約束を取り付けたからここにいる、と」
そりゃクルスが疑っても仕方ない事だ。
タオルを裏返して額に手を添えていると、ミゼリアが声音を落として尋ねてくる。
「本当のところはどうなんだ?」
タオルの端で半分に遮られた視界に、ミゼリアの固く結ばれた唇が見えた。鼻より上は見えないが、悲しそうな顔でもしてるのだろうか。お世辞にもミゼリアは勘がいいとは言えなく、ここでフェイリスの言葉を肯定すれば曇りのない真実として受け取る馬鹿正直ものだ。育ちがいい所為か、人の深くまで疑う事を知らないのだ、彼女は。
樹楊は真実を言うべきかどうか迷いもしたが、すぐに結論は出た。
ミゼリアに嘘を吐くのは止めよう、と。クルード兵を脱獄させた時、自分を信じてくれていた。やる事成す事を。そして件の大戦の事で自分が提案して取り付けた条件にも異議を唱える事はなく、そればかりか「お前のやる事を私は信じる」と嬉しい言葉もくれた。ここで自分からミゼリアを遠ざけてしまうのは、気が引けた。
樹楊はラクーンに報告した事と同じ事をミゼリアに告げ始める。ゆっくりと、丁寧に。時折、ミゼリアの身体が強張ったが最後まで全部話した。しかし、自分の見解だけは口にしなかった。するとミゼリアがタオルを取り、揺らぐ瞳で見下ろしてくる。
「それで、お前はどうするんだ? 正直、私もお前がクルードの王になれば全て上手くいくと思っている。けど、お前は……」
何を泣き出しそうな顔をしてるんだか。全く、らしくない。
樹楊は目を逸らしたミゼリアの襟元に指を引っかけてぐいっと下げる。惜しくも下着を着けていて喜ばしい光景を目にする事が出来なかったが、ミゼリアは顔を真っ赤にして口をむずむずと歪める。
「いきなり何するか、馬鹿者っ」
お決まりの拳骨まで飛んでくる。しかもこの威力は経験上、フルパワーだ。樹楊は声も捻り出せずにミゼリアの膝の上で悶絶する。と、同時に笑いが込み上げてきた。
「何がおかしいっ。まったく、お前はいつも訳の解らん事を」
ぶつぶつと小言を漏らすミゼリアに笑いかければ、身を引いて胸元を押さえて警戒をされた。
「こんな俺が王の器っすか? こんなんでいいなら、国の女の子は大変でしょうね」
ミゼリアは鼻から溜め息をそっと逃がすと、樹楊の頭を撫で「そうだな」
「お前には叱る者が必要だ。放ってはおけん。だからお前は私の部下のままでいろ」
それは安心しきったような声音だった。ミゼリアは部下のままでいろ、と言った。それは永遠に樹楊がミゼリアの上に立てないという事だ。だが、樹楊はそれでいいと思っている。本来、自分は上に立つべき者ではない。下っ端で、わちゃわちゃして上官に迷惑をかけるのが自分だ。今の地位にも不満はあるが、ミゼリアの直属の部下であればそれでもいいと思いもする。幼い頃の、みーちゃん。お嬢様で気難しくて、あの頃は暴力的で。それでも優しくて。見てくれはまん丸い女の子だったけど、あれは間違いなく自分の初めての恋だった。好きだった。でも、遠かった。今触れているみーちゃんも、あの頃のみーちゃんと同じ女性なのだが、それでも自分が知るみーちゃんではない。
子供の頃は無責任だった。
だから自分が見ている世界が全てで、だから純粋に人を好きになれた。駆け引きなしで、いや、違うか。あの頃から自分は駆け引きを知っていた。自分の思いに素直になれずにいた。ああ、そうか。自分は最初から遠い存在だったのか。みーちゃんが遠くに居たわけじゃなく、自分はいつもガラスの殻の中。透明な壁で自分を護っていた。だから触れる事が出来なかったんだ。それは過去、そして未来も、恐らく。
気付き始めた自分の立ち位置に虚無にも似た空白を感じていると、ミゼリアが心配そうに顔を見てきていた。だけど敢えてそれを無視していた。それでもミゼリアはそれを、自分の殻に手を添えてくる。
「私はお前のように人の気持ちを察してやれるほど、優しい人間ではない。だから今のお前にどんな言葉が必要なのか解らない。もし私の言葉が必要ないなら捨ててくれ」
樹楊はタオルで完全に目を覆うと視界を遮断した。ミゼリアはそこまで拒絶をする樹楊の髪を撫で、目を閉じる。
「私はお前を愛してるぞ。子供の頃も、今も」
気高く、誇らしい声だった。恥ずかしさなど微塵もなく、透き通った声。
その声から。そんな声だから。
ミゼリアの言葉は一人の男性に宛てたわけではなく、家族愛にと同義である事を理解出来た。それが素直に嬉しい。スポンジに滲んでいく水のように、その言葉が心に広がっていく。重くはない。軽くもない。生きていくには優しい重さだった。樹楊は下唇を上に持ち上げて震えそうな衝動を抑え込む。タオルで目を隠しておいて良かった。
「場違いな言葉だったかな? ははっ」
「……解ってるなら、言わんでください」
「そうだな。すまない」
ミゼリアは微笑みながら髪を撫で続け、樹楊は閉じた片目から一滴の涙を流す。
さようなら、みーちゃん。
幼い頃、好きだった人。
あの頃は遠かったアンタを今は近く感じる。
今の身体の距離ほど心の距離は近くないけれど、
それでも手を精一杯伸ばせば指先が触れ合えるくらいの距離にアンタは居る。
そこに居てくれる。
まだ怖くてそれ以上は近寄れないけれど、
それでもそこを動かないでほしい。
いつか必ずそこに行くから。
生意気な弟だから呆れてもいい。だけど諦めないでほしい。
そこに行くから。約束する。
心と身体が癒えた樹楊は、終盤になりつつあるパーティーに足を運ぶ事にした。ミゼリアは一足早く向かっていて、今は一人だ。けれど孤独感は感じない。はずだったのだが、目の当たりにしたパーティーでは明確な孤独感を感じる。何と言うか、はしゃぎすぎでは?
全員と言っていいほど酒に現を抜かして馬鹿騒ぎしている。募る不安や疲れから来るモノだろうけど、今は休戦状態ではない。いつクルードに襲われてもいいように気を引き締める必要があるというのに。
樹楊は日頃の行いを棚に上げて嘆息すると、シャンパンを片手に壁に背を預けた。赤麗とスクライド兵が入り乱れるコレはパーティーって言うより、何と言えばいいのか。兎に角、浮かれすぎだ。
そんな光景を見ながらグラスを傾けていると、マイクをもったクルスが千鳥足で舞台の上に立って何やら喋り出した。呂律が回っていなくて意味不明だが、息を吸い込んだ事で歌を歌うのだと辛うじて理解は出来る。けれど、そんなフラフラで大丈夫だろうか。そんな樹楊の思いがクルスに届くわけもなく、上機嫌で声を出し始める。
正直、グラスを落としそうになった。
クルスの歌は、凄く綺麗だ。いや歌声が澄んでいる。フェイリスに並ぶほどの歌唱力ではないが、心に響く声をしている。目を閉じれば小鳥が歌う森に身を投じているかのよう。これはクルスが木人の血を継いでいるからなのだろうか。どこか、サラの歌声に通ずるモノがある。初めはどんちゃん騒ぎだった会場も、今ではクルスの声に浸っていて静かなものだ。
樹楊もその歌声に浸っていると、
「良い歌声ですね」
「うっほぃ! びっくりした」
いつの間にか隣に人が立っているではないか。それも見た事がない顔で、服装から赤麗だという事が解るくらいだ。背は樹楊と同じで女性としては高い。細身で、黒い髪は片目を隠すように伸ばされている。残った片眼は恐ろしく切れ長で感情が見えない。口にもぴったりとフィットしたマスクをしていて声が聞き取り辛いものがある。この女性は兵というよりも、闇に忍ぶ暗部が似合う。その女性は腕を組み、背筋を伸ばしたままこちらを見ようとはしない。そのナイフのような眼をクルスに向けているだけ。
「クルードとの大戦条約、お見事です。あの条件下であればスクライドにも勝機はあります」
「そうか? いや、まあ俺もそう思ったからあの条件を呑んでもらったんだけどよ」
シャンパン飲むか? と一応訊くが、
「クルードの総大将は」
あっさりと無視された。
顔を引き攣らせる樹楊をも無視し、続けてくる。
「彼は恐らく、布陣の右上。詳しく言えば北北東に位置する、それも兵糧地点に近い位置に陣を構えるはずです。彼は肩書きほどの腕は持ち合わせてはおらず、臆病でもありますから」
「それはお前の首領には言ったのか?」
「いいえ。彼女では力が不足してますから」
これには驚いてしまった。
まさか自分の首領に力の不足を感じていると思い、しかもそれを自分に告げるとは思いもよらなかった。彼女が紅葉に感じている力とは単純に剣を振るうものではなく、策を行使して目的を遂行する力の事だろう。それに、紅葉の事を『彼女』と呼んだ。皆は『首領』と呼び、まあ蓮に限っては『アゲハ』だが。するとこいつは服従していないのだろうか。そんな事を思いつつグラスを傾け、横顔を眺める。まるで置物のように微動だにしないこの女性は何者だ? 何故、向こうの布陣を把握している? そんな疑問を見抜いてか、女性はようやく目を合わせてくると微かに笑った。と、思う。しかし感情がごっそり抜け落ちた声音をマスク越しに発する。
「私はクルードから紅葉アゲハの抹殺を命じられた暗殺部隊の者ですから、それくらいは把握してます」
そう言ってまだ歌っているクルスを見る。
一体何のつもりなのだろうか。からかっているのかとも思ったが、彼女はお世辞にも冗談を言うタイプには見えない。
唐突な暴露に意表を突かれた樹楊は何て返せばいいのか解らず、
「シャンパン飲むか?」
「良い歌声ですね」
そんなバカな!
またも無視された樹楊は彼女との会話を続ける秘訣を誰かに教えて欲しい気持ちに満たされていた。もう一度訪ねてみたい気もするが、また無視されれば今度こそ心が折れてしまいそうで、止めた。
ようやくクルスが歌い終えれば拍手喝采の嵐でアンコールが沸き起こる。それに不満を持ったのか、フェイリスが舞台に上がって歌い始めるがクルスも負けじと対抗していた。それが幸いか、無敵のデュエットが完成する。二人の澄んだ歌声のハーモニーはどこまでも優しく、すんなりと耳に入ってくる。当人達も奏でるハーモニーが心地良いのか、悦に浸っている様子だ。クルスって意外と色んなタイプの人間と相性がいいだな、と感心していれば裾を控えめに引かれる。
「や。アンタも来てたんだ?」
「紅葉。つーか、お前ね。何かないのかよ」
ちょいちょいと頭を指差してアピールすると、紅葉は腕を組んで目を細める。悪びれた様子などない。
「どしたの? どっかぶつけた?」
指摘するのも今更か、と嘆息し、隣にいた意味不明の女性を見れば、そこに姿はなかった。あたかも最初からいないように忽然と姿を消していて、紅葉も首を傾げている。あいつは何者だ。
「なあ、紅葉。お前んとこに、何つーか、こう。存在感ない奴いるだろ? マスクして片眼髪で隠れている」
紅葉は一瞬考えると閃いた顔をして「ああ、カヲルの事? カヲルがどうしたの?」
「いや、アイツは本当に仲間なのか?」
またも紅葉は考え始め「さあ?」
さあ? って。
紅葉曰く、カヲルは何時の間にか仲間になっていた者で、当時入れ替わりが激しかったから皆が皆、誰かの紹介で入隊したと思っていたらしい。だけど誰の紹介で入隊したのか解らず、でも着いてくるし、いい働きをするから「まあいっか」という適当な流れで今日にまで至る。今となっては隊員数も当時の三分の一以下で、結局カヲルが誰の知り合いかも解らないままだとか。
何だその適当さは。
つーか、アイツ。お前の暗殺する為に派遣された奴だぞ。
とは言えなかった。上手くは言えないが、カヲルから殺意は感じられない。暗殺者だから当たり前、と言われればそれまでだが、紅葉がこうして生きているのが何よりの証拠だろう。あれほど存在を消せるなら、何時でも紅葉を抹殺できたはずだし。
「まあいいけどよ。それよか、アイツと会話する秘訣を教えてくれ」
「それ無理」
「は? 何で」
「カヲルは喋らないのよ。こっちが何か言っても頷くか首を振るだけ。誰もカヲルの声を聞いた事ないんじゃないかな? 蓮よりも喋らないもん。って、アンタまさか」
じぃーっと不審げな目で睨んでくる紅葉。
何かと思うが、取り敢えず怒られるような事はしてないつもりだ。疑問符を浮かべまくる樹楊に紅葉は頭を掻きながら嘆息し、壁に背を預ける。
「アンタって本当に女に縁があるよね。また変なの連れてくるし」
変なの。それは舞台ではしゃぐフェイリスだ。
それについては樹楊も納得してしまう。フェイリスは間違いなく変だ。見た目とのギャップもあるが、間違いなく変人だ。恐らく向こうも同じ思いを自分に向けているだろうけれど。だが、女性に縁があるというのは自覚していない。生きていれば普通じゃん? そんな思いだ。
紅葉は呆れたように、だけど笑顔を浮かべて腹を殴ってくる。力は込められていない。
「ま、アンタらしいけどね」
「ハーレムは男の夢だからな」
「バッカじゃないの」
紅葉は棘のない笑みを浮かべ、思わず釣られて笑ってしまった。
そろそろパーティーも終わる頃だ。こんな日がまた来ればいい。
それは七日後に控えた大戦に掛かっている。
どう見立てても戦力の差は歴然で負ける確率の方が高い。それでも勝たなければならないのだ。大事なものを護る為に。負けられない。