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第三十八章 〜同じ未来を願っても〜


 謎の美少女から呼び出された樹楊は三日ほど掛けてキラキ樹海に辿り着いた。まだ美が付く少女と確定したわけではないが、樹楊の脳内はバラ色で染まり始めている。何もお付き合いを求めているわけではなく、ただ友達になれたらいい。それだけの気持ちなのだが、自然と笑顔になってしまう自分がいる。よくよく考えてみれば自分の周りには美が付く女性は結構いる。しかし、だ。普通の、そう普通の女性はいない。


 赤髪の少女は皆殺しよろしく戦の申し子であり、その側近は自分を英雄だと勘違いしている。上官は軍人魂の塊だし、クルードにいる無言少女は大喰らいで人をぶっ刺すような危険人物。ダラスいる緑目の少女はこの中で一番まともなのだが頭の中身は群を抜いてまともじゃない。お前は一体何歳なんだ、と言いたくなるほど幼い思考回路をしてもいる。故郷の頑張り屋さんの少女は友達というよりも妹に分類した方がしっくりくる。


 つまるところ、樹楊は普通に憧れているのだ。

 何気ない会話で盛り上がったりお茶したり、ガス抜きが出来る相手が欲しかった。それが目的であれば美など関係ないのだが、それは男の性というもの。どうせなら見栄えが良いにこした事はない。


 鼻歌混じりに足を弾ませていると、キラキ樹海の何処に行けばいいのか今更ながらに疑問に思い始める。キラキ樹海と一言で言ってもとてつもなく広い上に未開の地だってある。そもそも何故、樹海?

 いよいよ怪しくなってきたところで、樹楊は踵を返そうと思う。しかし、それが出来なかった。何となくで歩き、辿り着いた先がゼクトが眠りについた場所だったから。樹楊は止めていた足を前へと進めると、木漏れ日に照らされているその場所に立つ。あれから随分経つけれど、森の風景は変わっていくけれど。想い出は何一つとして変わらない。こうして目を閉じればあの迷惑そうに眉を跳ね上げるゼクトの顔が浮かぶ。


 忘れない、ずっと。

 繋いでもらったこの命が尽きるまで、ずっと。


 樹楊はポーチの中から黄色い紙で包装された一粒の飴を取り出すと、ゼクトの幻覚が浮かぶ大木の元に添える。


「……文句、あるか?」

 そう訊けば、


『あるに決まってんじゃん。棒付いてないよ、コレ』

 そんな幻聴が聞こえもした。


 ゼクトはよく棒付きの飴を好んで口にしていた。ニット帽を深く被り、レモン色の髪を風に流してポケットに手を突っ込んでいた。無愛想だが、笑えば年相応の可愛らしさがあった。あの時、自分が死ねばゼクトは今頃どうしてたのだろうか。


『間違ってない』

 自分の命を捨てた事をそんな風に言っていたが、やっぱり間違っている。

 樹楊は自分の掌を見つめると力強く握り締めて、それを額に添える。


 ゼクトであれば、自分より沢山の人を救えたはずだ。武は言うまでもなく、医療にまで長けた奴だったから。自分は誰かの命を肥やしにしてまで繋ぎ止めるほどの価値はない。やっぱりお前は間違っているよ、ゼクト。


 自然と零れそうになる涙を袖で拭いた樹楊は微笑むとゆったりと立ち上がる。


「本当に来たのか、お前」


 気を緩め過ぎていたのか、声を掛けられるまでその存在に気付かなかった樹楊は毛を逆立てそうになるほど驚くが表情を整えると爽やかを気取って振り返ってみる。


「折角手紙をくれたんだ。来なきゃ男がすたる……」

「まぁ、いいけどよ」


 振り返った先に居たのは、後ろで束ねた金髪が扇子の骨組みのように広がり、空色の瞳が折れた骨は逆に折れば治ると勘違いしている馬鹿を見るような目付きになっている女性だった。腕を組み、嘆息までしている荒い口調のその女性は。


「お前っ、クルードの!」

「お。忘れてなかったのか?」

「忘れるかっ。えーと、名前は確か」樹楊は誇らしげに指を差し「スーザ!」

「スイだっ。ごっちゃに覚えんな、ボケ!」


 そうだった、スイという名前だった。

 女でありながら口調が荒いナーザと名前を混ぜて覚えてしまっていたようだ。


 スイは両手を腰に添えて長嘆すると、また馬鹿を見るような目付きで見上げてくる。そこでやっとこの口が悪い女が手紙を出した張本人である事に気付く樹楊。


「お前が手紙を?」

「そうだ」

「俺に惚れてんのか?」

「いや、全く。つーか、あの内容で来るお前ってバカだろ」


 気持ちがいいくらいにハッキリと否定された樹楊はよろよろと後退ると膝を折り、両手を地に添えた。そしておもむろに地面をぶっ叩きながら心底悔しそうに叫ぶ。


「悪戯かよっ。乙女の純情を弄びやがってぇ!」

「いや。男だろお前は」

「ま、いいや。それで、用件はなんだ?」


 膝に付着した土埃を払いながら立ち上がるとスイは「立ち直りが早ぇな」と冷や汗を掻きながらも感心する。樹楊としてはゼクトの事を思い出したところで気分は感傷に満たされていたし、女友達がどうこうなど忘れてもいた。そこで現れたのがスイだったとしても、どうでも良くなっていたのだ。こうして身構えないのは、スイに争う気が見られないからというのもあれば何かあっても逃げ切る自信があるからだ。そもそもスイは殲鬼隊の一員であり、まともにやり合うつもりなど毛頭ない。


 警戒心ゼロで対峙していた樹楊は、スイの手に握られている一輪の花に気付いた。名前は知らないが、五枚の花弁がレモン色で中心に白い筋模様が入っていて綺麗な花だ。スイは樹楊の視線に気付くと隠そうとするが、恥ずかしそうに頬を掻くと何も言わずにゼクトの元にそれを添える。


「スイ、お前……ゼクトの事を憎んでいたんじゃないのか? 聞いた話では、やけにゼクトを目の敵にしてたって」


 スイは遠い目をし、鼻で笑う。しかしそれは嘲笑じみたものではなく悲しげだった。


「別に憎んでたわけじゃない。何つーか、ゼクトは私の憧れだったんだよ」

「憧れ? 何だそりゃ」

「……時間は?」


 話を訊くか? と言っているのだろう。

 樹楊が頷くと、スイは手頃な倒木を見つけて親指で差す。その太い倒木に二人で肩を並べて座ると、スイは片足だけを倒木に乗せて曲げた膝に腕を添えた。その横顔はミゼリアにも似ている。何か同じ雰囲気を、彼女も持っていた。口こそ悪いが、その眼には強い意志が込められている。少なくとも樹楊にはそう思えた。


 スイは珍しく微笑みをくれると「惚れたか?」

「いや、全く」


 お返しではないが、きっぱりと否定してやると笑いを含まれる。スイは可愛いというよりもカッコいい部類に入る。苦手なのだ、そういう女性は。


「で、ゼクトに憧れてたって何だよ」

「ああ、そうだな。つーかそのまんまだ。私はゼクトに憧れてたんだ。天才と呼ばれてたガキに」


「天才、か。まー、ゼクトは強いし、頭も良さそうだったしな」

「当り前だ。アイツはクルード兵になったのが十歳の時なんだぞ? 実力主義の中でだ。普通で十六歳、早くて十三、四歳でなるところをゼクトはまだ十歳で兵に任命されたんだ」


 驚きを隠せない樹楊を無視するかのようにスイは当時の事を語り始める。

 ゼクトはクルード初の女性の兵であり、たった十二歳でクルード第五番隊中隊長にまで任命されたという。それだけに留まらず学問でも実力の差を見せつけ、誰もがその名前を知っていたらしい。その姿は憧れを買い、当時十五歳で見習いだったスイもその中の一人だった。何でも器用にこなすが、反面、人付き合いは不器用だったみたいだ。そこはやっぱり変わらないらしく、樹楊は笑みをこぼす。当時から棒付きの飴を口にし、出陣していた事にも思わず笑ってしまう。


「私はゼクトが武功を上げる度に身を震わせた。けど、それがあんな形で終わるなんて思わなかった」


「あんな形?」

「おいおい、気付けよボケ。赤麗だよ。紅葉っ。紅葉アゲハ」


 スイが十六歳で、ゼクトが十三歳の時。

 今から三年も前の事だった。


 ゼクト率いる中隊はとある賊の討伐任務に着いた。しかしそれは赤麗という駆け出しの傭兵団に横取りされたらしい。当然、ゼクトは面白いと思うわけもなく赤麗を潰しにかかったのだが。

 スイは馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らし、指を一本だけ立てる。


「一時間。たった一時間でゼクトの中隊は壊滅。それも紅葉一人相手にだ」

「あいつ……その頃から化け物じみてたのかよ」


「化け物ってモンじゃねーよ。あの無敗のゼクトが一時間だぞ? 信じられなかったよ。けど、真実だ。そして紅葉はゼクトを赤麗にスカウトしたんだ」

「で、ゼクトはそのまま赤麗に――って流れか」


 スイは頷く。

 ゼクトは実家の離れにかくまっていた蓮を引き連れて赤麗に入団し、クルードを捨てた。ゼクトは紅葉の背中に憧れたのだろう。スイがゼクトに憧れるのと同じく。それからというもの、スイは必死に訓練に身を投じて同年の後期、晴れてクルード兵に任命されたらしい。


「私はゼクトを憎んでなんかいない」

「なら何で目の敵にすんだ? って、違うか。花を添えるくらいだしな」


「ああ。ただ悔しかった。それだけなんだ。当時は裏切られたとも思いこんでいたけどな、ただ悔しかっただけなんだ。孤高のゼクトが誰かに興味を持つ事が。いつか超えてやろうと思っていたから、それよりも早くクルードを抜けられて……一度も刃を合わせた事もなくて。それが……うん、悔しかった」


 それは憧れ故の、なのか。ぐっと拳を固く握るスイだが、やり場のない感情をどうにか出来るわけもなく、諦めるように力を抜いていく。

 樹楊には解らない感情だが、スイがそう言うからそうなのだろう。だけど恨んではいない。それは素直に嬉しい事でもある。こうして花を添えてくれるのが、そんな事を自分が思うのはお門違いかも知れないが、嬉しい。それよりも、だ。


「そーいや、用件は何だ?」

「あ、そうだ。そうそう、忘れてた」


 スイは倒木から降りると、真っ直ぐで真剣な目を向けてくる。


「クルードに来てくれないか? これはスカウトじゃない。付いてきてほしいという意味だ」


「……気分が乗らねぇな」

「それは解ってる。けど、見て欲しいところがあるんだ。頼む」


 今は休戦状態が解かれている状態だ。

 ここでスイを殺めても、逆に殺されても問題はない。

 しかしスイは武器など持たずに来たのだ。きっと切実な思いからなのだろう。クルードには足を運びたくない。けど、無下に出来るほど今の自分は薄情になれないらしい。人は変われば変わるもんだ、と自分を皮肉りながら倒木を降りた樹楊。


「飯は奢れよな」

「ああ、上等なモン食わせてやる」



 キラキ樹海を出てから二日が経過し、旅人のローブに着替えた樹楊はスイに連れられて懐かしのクルードの大地を踏み締めていた。国境警備隊にはスイがあらかじめ用意していた偽造証明カードを使用してパスし、何の疑いもなく国境を越える事が出来た。それは殲鬼隊のスイの連れである事が大きく作用したのだろう。ともあれ、無事にクルードの領内に入れたのだがやはり気分は良くない。スクライドと同じ大陸だというのに、この気分の悪さは誰に確認せずとも自分が良く解っている。あの国王がふんぞり返っている国だからだ。


 普段の気が抜けた顔とは違い、強張る表情で歩いていると隣にいたスイが背を叩いてくる。


「ちったぁ力抜け。そんな眼してると不審者だぞ。解ってんのか? バレたら厄介なんだ。もしそうなったら私は知らん顔するからな」


 無責任な事をきっぱりと吐き捨てるスイに樹楊は頷き、深く吸った息を抜くと身体の力も一緒に抜いた。スイは満足気に鼻を鳴らすと見えてきた都市を顎で促してくる。砂塵の薄い幕の向こうに見えるのは巨大な岩のアーチ。そのアーチは随所に彫刻が施されていて、都市をすっぽりと囲む壁の中に入る為の三つの門の内の一つとなっている。しかし三つある門の中でも華麗かつ巨大な事から、一目で正門である事が理解出来た。


 クルードで四年間生活していたとは言え、城内の景色しか知らないような樹楊にとっては変な新鮮さがある。王都ネルボルグはここより北西にあり見る事は叶わなかったが、目の前にある都市はスクライド王国城下町よりも大きく壮大だ。旅をしてきて、これほどまでに大きな都市は目にした事がない。


「スイ……ここ、何て言う都市だ?」

「お前仮にも王子――そっか。そうだよな、うん」樹楊の歩んできた道を察したスイは勝手に納得すると両手を腰に当てて胸を張ると門を見上げる。


「ここはナルバハイム。副都心のナルバハイムってところだ。ちなみに私はここ出身なんだぞ?」

「へぇ、お前はここ……ってまさか、俺をお前の両親に紹介する為にっ?」


「違うっての。アホか」

「や、それはまだ早いぞ」

「だから違うっつってん」

「そういう事なら先ずは一緒のベッドに寝てから甘ったるいトークを終えてだな」


 まるで巨大な爬虫類の尻尾攻撃のような蹴りが腰に炸裂。ミゼリアに似ている部分を持つスイとはいえ、突っ込みの種類は違うようだ。拳骨はミゼリアの得意技だが、スイは足癖が悪いらしい。蹴り慣れているのか、やたらと威力がある。


「違うっつーの。つーか、それじゃ順序が逆だろボケ」

 樹楊は腰を擦り「意外と常識人なんだな。てっきりお前はやりまくりかと」


 またもや飛んでくる回し蹴りだが、今度は頭をかすめる。

「んなわけあるか。今の私は男に現を抜かしてる暇なんかねぇ」

「ふーん。じゃ、お前はまだ……」


 ぼそっと呟くと、スイは顔に朱を散らして口を恥ずかしそうに結ぶ。これも意外だった。ミゼリアにも言える事だが、戦争へと身を投じても女は女なんだなと樹楊は後学の為にもならないような事を学んだ。すっかりと調子を狂わせられたスイは背を向けるとナルバハイムへと足早に向かっていく。その背中からは殺意が見え隠れし、樹楊は少しだけ反省すると距離を取りながら付いていく。


 ナルバハイムは副都心といわれるだけあって警備も厳重だった。それでもスイに渡された偽造証明カードは精巧な作りで門兵でも樹楊の事を疑いもしない。誰が作ったのか解らないが、今度製造方法を教えてもらいたいものだ。

 門内に広がる都市ナルバハイムは全面石畳で、所々に葉が掌状に裂けた単子葉植物が植えられていて熱帯地域を思わせるが、決して熱くはなく涼しい地域だ。広い路地の脇には大型の鉱石製の建造物が立ち並び、この都市が裕福である事を旅人や行商人に思わせるだろう。


「なぁ、スイ」

「何だ? 腹でも減ったか?」

「そうじゃなくて。お前が見せたいところってここか? 確かに圧巻だけどよ」

「……見せたいところっつーより、見せたい光景って言った方が正しいかな」


 周りを見渡しても賑やかである事以外解りようがない事に樹楊が疑問を抱いていると、前方から怒鳴り声と悲鳴が聞こえる。スイはそこを指差した。


「アレだ。見てみろよ」


 何やら険悪な雰囲気に包まれていて近寄りたくないのだが、スイが見せたい光景は人だかりによって遮られている。樹楊はその密度の高い人混みを何とか掻き分けて進んだ。その際に気になる事が一つ。野次馬の人々が全員悲劇を見るような目付きをして「まただ」とか「可哀想に」とか、そんな事を言っている。それから察するに、その光景とやらは日常に組み込まれているという事なのだろう。


 何のこっちゃとばかりに突き進む樹楊が先に目にしたのは、鉄鎧を纏うクルード兵の二人が薄ら笑いを浮かべているところだった。その顔にむかっ腹が立つ。しかし、その相手は? と視線を横に映すと。


「んなっ」


 最早驚く事以外は出来ない。

 そこに居たのは、十歳にも満たないだろう子供だった。膝小僧を擦りむいていると言う事は、あの子供がクルード兵にぶつかって転んだのだろう。子供は尻餅を着いていて青ざめた顔でクルード兵を見上げていた。確か、クルード兵は肩がぶつかっただけで斬り伏せるとの情報がある。まさかあんな子供にまで剣を抜かないよな、とそれは杞憂だろうと思いたかった樹楊だが、そのまさかだった。


 クルード兵は腰に携えてあるショートソードをゆっくりと引き抜き始める。

 瞬間、樹楊の頭に血が昇り何かが切れた音が脳内に響く。


「あンのクソ野郎――」

「お前は黙ってろ。ややこしくなる」


 跳び蹴りでも喰らわせてやろうと思っていた樹楊の口を塞ぐのはスイであり、彼女も眉間に縦筋を刻んでいた。スイは樹楊を押し退けると人を掻きかわけて進み、声を張った。


「お前ら何してんだ! 剣をしまえっ」

 

 キョトンとするのは樹楊だけであり、野次馬だった者達からは救世主が来たかのような言葉が小さく漏れてくる。スイの姿を見ただけでだ。何故同じクルードの兵だというのに、スイの事は怖がらないのだろうか。と、その答えは抜剣をし終えていたクルード兵から聞かされた。


「アンタは殲鬼隊のスイさまじゃないですか。今日のお仕事はお休みで?」

 一応敬語らしい言葉だが、明らかに見下している口調と表情だ。当然、気が短いスイもその言葉に犬歯を覗かせるが手を出すわけではなさそうだ。ただ子供を庇うように立ってクルード兵を睨んでいる。


「私の事はどうでもいい。それよりも早く剣をしまえ」

「あのねぇ、スイさま。俺はこの子供に体当たりを」

「言ってる意味が解らねぇのか、ああ?」


 戦闘慣れしていない一般人でも感じ取れるほどの殺気で威嚇するスイに、クルード兵はたじろぐ。しかしその見下した笑みを変えようとはしない。冷や汗を掻いてる癖に無理しちゃって、とは心の中だけの声のつもりだったのだがしっかりと口から吐き出されていた。樹楊の両隣と前に居た者は「こいつ、なんて事をッ」というような顔で絶句し、クルード兵は「誰だ、今のは!」と忙しく周囲に目を走らせる。


「おい、今は私が話してんだ。いい加減にしねぇと」

「わ、解ってますって」


 スイの誤魔化しにクルード兵は剣を納めて不満を全面に表しながらこの場を去っていく。途端、スイは民衆に囲まれてお礼の雨霰を受けていた。どうやら全殺しの殲鬼隊とは敵国にだけであって、内々では人々の信頼を得ているらしい。あの凶暴なスイがこれ程までに頼りにされているのだ。立場が違えば主張も違うが、殲鬼隊の意外な一面に樹楊は驚くだけではなく、何故か嬉しい気持ちが膨らんでいった。同時に、殲鬼隊をまとめるオルカという、紅葉を一人で倒した子供にも興味が湧く。殲鬼隊の在り方は、首領の意思が全てなのだろうから。


 ローブを深く被り、遠くからスイを眺めていると背後から指先で突かれる。躊躇いがちではなく、どっすりと。しかも捻じ込むように。結構痛かったりもする攻撃に、樹楊は背中を押さえながら振り返ると、そこには同じくローブを羽織りフードを深く被る女性が居た。真っ白なローブは神聖であり、その女性の色素が抜けたような肌に良く似合っている。


「キミ、すんごい事言うんだね」


 まるで小鳥の歌声のような音だった。何処までも澄んでいて、だけど無邪気。こんなに綺麗な声は聞いた事もない、と思い掛けた樹楊だったが何処かで聞いた事もあったようなないような。


 うーん、と首を傾げていると女性が薄灰色の瞳を見せてきた。くすんだブラウンの前髪は眉の上でアトランダムに整えられていて、ファッションに気を使っている事が解る。細く整った眉も活発そうで好印象だ。樹楊は脳内に散らばる記憶の欠片を必死に集め、ようやく思い出した。


「お前、フェイリス!?」

 

 フェイリスを見るのはこれで三度目だ。最初は旅をしていた頃に立ち寄った街で。二度目はミゼリアとスクライドの繁華街を遊び倒した時だ。そして今回が三度目になる。フェイリスは歌で大陸を巡業して金銭を得ている歌姫とも名高い有名人だ。これだけ大きな都市にで興行すれば大きな稼ぎになるのは解るが、まさか会えるとは思ってもいなかった。しかも声を掛けられる事など普通じゃ考えられない。これはチャンスで握手を求めなければ後悔する、というのは常人の思考であり、この素っ頓狂な樹楊は違う。おもむろにフェイリスのフードを後ろに払う。それが樹楊だ。


「何やってんだお前。顔見せろ」

「んぎゃーっ。何すんのよ、今髪がボンバってんだからぁ!」


 フェイリスは大慌てでフードを被り直すと集まる周囲の眼を避けるべく、樹楊の手を引っ張って歩き出した。スイの事を言おうかとも考えたが、向こうは向こうで民衆に囲まれていて忙しそうだし、放っておく事に。フェイリスに連れて行かれたのは、とあるホテルの中にある飲食店だった。全面ガラス張りで高級感があるが料理の値段も宿泊料金も手頃でお気に入りだとフェイリスは満足気に言う。自分がいつも食べているような料理の倍の値段のどこが手頃なんだか。フェイリスの稼ぎは余程いいのだろう。


「金ならないぞ?」

「私に任せて。って言うか、連れてきたのは私だしね。遠慮せずに食べてよ」


 言われなくてもそのつもりだ。

 二人が座った席は個室なのだが、囲むのは全面ガラスで丸見え。しかし声は漏れないという。まあ、密談するわけでもないからそんな事はどうでもいいのだが。樹楊は適当なメニューを頼み、フェイリスはその倍の量を注文する。見るからに華奢な身体だというのにどんな胃袋をしてるんだか。そう思うが、この国に寝返った白髪の小娘は十人前は食べられる事を思い出し、考えを改める。女は無限の胃袋を持っている。これは決定事項だ。


「キミ、スクライドでも私の歌聞いてたよね?」

「ん、まあ。つーか何で知ってんだ?」

「あれ、忘れたの? 手、振り返してくれたじゃない」


 あれはてっきりファンサービスかと思っていた。座っていた席は二階席で暗かったし、こちらの顔は見えていないと決めつけていたのだがそうではないらしい。

 フェイリスは不思議そうに首を傾げると水で喉を潤す。未だに信じられない事だが、あの歌姫が目の前にいる。それならば訊いてみたかった事が訊けるチャンスという事だ。


「何で歌の巡業なんかしてんだ?」

「んー? そりゃ優越感に浸る為よ」


 当然でしょ、と言うフェイリス。

 てっきり「歌が好きなの」とか「みんなの喜ぶ顔が見たい」とか、乙女チックな言葉が返ってくるものばかりだと思っていた。しかし実際のところは、何とも人間らしい言葉だった。それだけに好感度も上がっていく。フェイリスは色んな場所で色んな人達に喜ばれて優越感に浸るのが快感だと言う。誰よりも上手に歌う事が出来るのは才能でしょ、とも。歌声は天使のくせに性格は小悪魔だ。性格ももっとおしとやかだと想像していたが、結構活発そうでもある。


「で、キミ名前は?」

「俺は」言い掛けたところでフェイリスはニコっと微笑み「樹楊じゃなくてキオウでしょ」


 言葉を失った。そこにフェイリスの追撃が来る。

「今日は里帰りかな? 王子様」


 何処でその情報を得たのかは解らないが、そんな事はどうでもいい。知られている事は事実だし、フェイリスに何か企みがあるとすれば厄介な事だ。樹楊は気付かれないように静かに腰に潜ませているスローイングナイフに手を伸ばす、が。


「やめといた方がいいよ? ここじゃ目立つし、困るのはキオウくんだけだよ?」

「テメェ……、歌が生業じゃねぇのかよ」

「お前からテメェに変わったって事は敵視してるの? 安心してよ。私はキオウくんの事を誰かに言うつもりはないから。それにね、私みたいな個人の巡業者を甘く見ない方がいいよ? ホラ、個人で各地を回るのは色々と危ない事もあるんだよ。だからそれなりの眼も、腕も必要になってくるの」


 言われれば確かにそうだ。

 フェイリスみたいな華奢な女性は賊にも狙われ易いだろう。それなのにも関わらず、こうして無事にいる事が出来るのは国に仕えている鈍らな兵よりも強者である証だ。目の前で頬杖を着き微笑むのは歌姫でもあれば戦士でもある、一人の女性。樹楊は伸ばし掛けていた手を戻すと椅子に背を預ける。そこに料理が運ばれ、険悪になりかけた雰囲気はフェイリスの前に置かれた肉料理の湯気に壊された。


「さ、食べよ食べよ。私お腹空いてるんだな、これ」

 かちゃかちゃとナイフとフォークを鳴らしたフェイリスは子供みたいで落ち着きがない。しかも手にしたナイフを使わずに分厚い肉にフォークを刺してかぶりつく。


「お前ね、行儀……いいけどよ別に」

 嘆息して行儀を正してやる事を諦める樹楊に、フェイリスは頬いっぱいに詰め込んだ肉を噛み締めて美味しそうに顔を綻ばせた。樹楊も釣られて笑い、料理を口にする。


 フェイリスとの食事は談笑混じりに盛り上がり、有意義な時間が流れていく。同じ旅好きである事もさながら、恋愛云々や下らない事で笑い合えもする。同い年である事も大きく、これが女友達なのかと新鮮味も感じていたのだが、外から妙な殺気を感じた樹楊は目線だけをそこに流した。


 そこには、肩を大きく上下させてガラスにへばり付くスイの姿が。吐かれた息がガラスを曇らせて、顎先から汗が落ちている。勿論、怒り狂ったような笑みで。


「わお。殲鬼隊のスイさんじゃない」


 フェイリスは他人事のように呟き、いや実際他人事なのだろうが少しは身を案じてほしい。店から出た瞬間に殴り殺されそうだが、ここに留まるわけにもいかないだろう。樹楊は重たい腰を上げるとフェイリスに一言だけ謝罪の言葉を告げて個室を出ようと扉に手を掛ける。


「ねー、クルードとは大戦形式で戦するの?」

「さあな。まだ決まってないけど、俺としては大戦の方がやり易い。通常の侵攻・防衛戦じゃ時間が掛かる上に勝率が低くなる」


 ふーん、と興味無さ気なフェイリス。

 彼女は国籍を持たずにフリーで動いているから何処の国にも執着はしていないのだろう。生まれが何処か、など訊くのも野暮だ。元よりそこまで興味がない。しかしフェイリスは違ったようだ。


「もし大戦形式なら前夜祭とかあるんでしょ?」

「そんな楽しげなモンはない」

「じゃ、提案してよ。上にかけ合ってさ。士気を上げるだとか言えばちょちょいでしょ」

「面倒だ。それにどうやって士気を上げんだよ、強国を相手にする大戦前に」


 フェイリスは緩んだ笑顔で自身を指差す。

「私が歌ってあげる。勝利の歌ってやつ? 勿論無償でいいよ」


 突拍子もない申し出だが、それはいい案かもしれない。

 フェイリスの人気はスクライド内でも高いし、それは兵士間でも変わらない。常に戦いを考えている兵士にとって、フェイリスのような優しさと安らぎを乗せる歌声には何よりも癒されもするからだ。フェイリスは通信機の番号を記した名刺サイズのフィルムカードを手渡してくると、今にもガラスをぶち破って来そうなスイに目を向ける。


「ホラ、行かないと」

「あ。そう、だな」


 樹楊がガラス扉を開けると、

「いい返事を期待してるよ、キオウくん?」


 悪戯な笑みを投げてくるフェイリス。

 樹楊は頷き、足早に店を出る。そして蹴られた、二発ほど。



 ◇



 懸命な思いで探しまくったというスイに連れて行かれた場所は、とある公園だった。しかしその広さはスクライド城下町にある公園とは段違いで、自然公園と呼んだ方が正しいだろう。スイの説明によれば、区画が五つに分類されていてそれぞれ風景が違うらしい。この中には野鳥も生息していて湖などもある。休日ともあれば多くの人で賑わい、見ていて微笑ましいとスイは切に呟いた。


 樹楊は湖の畔にスイと並んで座り、陽射しに煌めく水面を眺めていた。


「なあ、スイ。何時までここでジーさんバーさんごっこをしてりゃいいんだ?」


 ここに連れられてきた時、少しだけ待てと言われたのだが二時間という時間は少しと呼べるのだろうか。これじゃまるでやる事もない老夫婦の一日を演じているようだった。スイは反論しようと口を開けるが、言葉を詰まらせると唇を魚のように開閉して頭を掻く。


「かぁーっ、何やってんだあのガキはっ。ここで待ち合わせって何度も言ったのによォ。キオウ、お前ちょっと待ってろ。探してくっからよ」


 スイは樹楊の返事も聞かずに立ち上がるとポケットに手を入れて歩いて行く。


「何か飲むか?」

 くるっと振り返り、訊いてくるスイ。


「さっぱりしたのなら何でもいい。あと小腹が空いた」

「じゃ、適当に買ってくっから待ってろ」


 乱暴な口調だが、結構面倒見が良さそうな奴だ。そう言えばサイっていう双子の弟がいたんだっけ。と、どうでもいい事を思い出す樹楊は寝転がり、青空を見上げる。雲がゆったりと流れていて、小鳥のさえずりが風に乗って聞こえてくる。空気が澄んでいて美味しい。しかしここはクルード王国の副都心だ。それなのにこうしてのんびり出来るのが不思議でならない。戦争をしているのが嘘みたいで、一眠りすれば平和が訪れていそうな幻想さえ抱いてしまう。それだけに、平和を感じていた。


 暖かで爽やかな自然に包まれていると自然と瞼が重くなり、それでも目を開けていようと睡魔に抵抗していたのだが、やはり閉じてしまった。が、突然左の瞼が何かにこじ開けられる。少なからずとも驚いている樹楊の視界に入ってきたのは、ニコばりに向日葵のような笑顔で見下ろしてくる少年、のようだ。その視界を全て支配する無邪気な顔は見覚えがある。樹楊は身体を起こして服に着いた葉を払うと、両膝を揃えてハの字に足を開いて座る少年に顔を向けた。


「お前は白鳳で行き倒れてた坊主じゃねーか」

「いやー……はははっ」少年は困ったように頬を掻き「蓮ちゃんと同じ覚え方されちゃってるね、ボク」


 蓮という言葉に樹楊は耳を疑うが、次に聞かされた言葉はもっと衝撃的だった。


「それにボクは女なんだけどな、一応」

「は? お前女だったのかっ。ならボクっての止めろよ、紛らわしい」


 自分が間違えていた事は決して謝らない樹楊は少年――いや、少女の頭を叩いた。そして何で蓮とまた会ったかのような言葉の意味を訊こうともしたが、そう言えばこいつの名前って何だっけ、と新たな疑問に遮られる。しかしこの少女が女である事が信じられない。いや、まだ幼くて中性的である顔立ちだから女に見えなくもないが、第一印象が小坊主だっただけに疑わしく思っているだけの事だが。樹楊が疑いの眼差しで見つめるのは、女性と判断する事に最適な箇所。少女はその視線に気付くと顔を赤らめれ胸を護るように隠した。


「……ぺったんこ」

「し、仕方ないじゃんっ。これからだよ、ボクはこれからなの! 噛むよっ」


 悪気の欠片もなく笑う樹楊は少女の頭を雑に撫でる。ショートカットでふわふわの金髪は細くて柔らかく、くりくりに動く瞳はこの少女が無邪気だと決定づける大きな要素にしか見えない。しかし服装はスイと同じで、黒い長衣だった。違う箇所と言えば、奇怪な紋章が三つ連なって描かれた白い腕章をしているところくらいなのだが、その長衣は殲鬼隊を意味している。樹楊がその事を確かめる言葉を紡ぐよりも早く、誰かを探しに行っていたスイが疲れたような声を漏らす。両手に飲み物と腕に焼きそばを入れた袋をぶら下げて。


「おいおいおいおいおい……。どーこ行ってたんだよ」

「遅いよスイ。何してんのさ」


 少女はスイが手にしていた飲食物を当り前のように受け取ると樹楊に渡して自分も口を付ける。スイが買ってきたのは二人分であり、それは勿論樹楊と自分の分だったのだが。


「それ、私の……」


 そんな嘆きの呟きも聞こえていない少女は焼きそばを頬張っている。流石に憐れんだ樹楊はスイに自分のを渡して、だがジュースだけは譲れない。喉がカラカラなのだ。

 間に少女を挟んで座るスイはその少女の口端に着いた青のりを指先で取り、ようやく自分の焼きそばを食べ始める。もくもくと口を動かしてスイ。


「私達は二時間以上も前からここに居たんだぞ?」

「知らないモン。ボクはさっき来たばかりで、でもスイより早くここに居た」

「だからよォ……もういい」


 スイが探していたのはこの少女らしいのだが、通った道とその先に生者なし、とまで言われている殲鬼隊にしては幼すぎる。しかもその腕章は階級が上である事を意味しているのだろう。益々理解不能にまで陥っていると、スイがそれに気付いて少女の頭に手を乗せてその顔をこちらに向けてきた。


「このちびっこがオルカさまだ。私達の首領だよ」

「おー、そうだそうだ。お前は確かそんな……名前、だった」


 ぱっと思い出した樹楊だが、その名前。黒の長衣。

 それは紅葉を一人で倒した証だ。そして、いつしかキラキ樹海で複数の魔術師に聞かされた言葉を思い出す。ラファエンジェロも言っていた「キオウさまの妹」と。それはつまり、クルードの――ここの国の姫君である事を意味する。


「お前が紅葉を……?」

「うん、そうだよ。すごいでしょ?」

「凄いってモンじゃ、いや、信じられねぇ。あの紅葉がお前に……」


 オルカにはスイのような戦士たるオーラが感じられないのだ。日々を楽しむ年頃の少女にしか見えない。疑いしか持てない樹楊の視線に不満があるのか、オルカは頬を膨らませるとスイの名前、それだけを吐き捨てる。するとスイは頷き、樹楊の眼を真っ直ぐに見た。そして焼きそばを脇に置くと立ち上がる。その次の瞬間にはスイの身体が残映を連れながら右へと動く。そして自分の真後ろに来ると回し蹴りを振り抜いてきた。座っていた樹楊だが、蹴りが飛んできた方角へと身を屈めながら避けて、跳び、距離を取る。


「流石に当たらねぇか。やっぱ動物並みだな、お前の危険察知能力は」

「何だよイキナリ。どういうつもりだ」


 スイは樹楊の問いには答えずにオルカに手の平を向けて肩をすくめる。するとオルカが名前を呼んできた。そちらに視線を動かせば、オルカは焼きそばを手にしたままでにこやかな笑みを浮かべている。しかし微動だにしない。のは、樹楊の錯覚であり、オルカは既に背後に居て抱き着いてきていた。焼きそばが支えを失って地に落ちる。


「どう? 信じてもらえるかな?」

「おま、いつの間に」


 何も見えなかった。スイの時とは違って気を抜いて抜いていたわけじゃない。何かがあると注意をしていたのにも関わらず、オルカの動きや気配など微塵にも感じる事が出来なかった。今がもし戦いの最中であれば、自分は間違いなく何も知らずに死んでいた事だろう。背中から抱き着くオルカは猫のように樹楊にじゃれ始め、幸せそうに目を伏せる。


「やっと兄さんに会えたよ」


 兄妹がいなくて寂しかったのだろうか。その思いの丈が充分に込められている言葉だった。今のクルード王にはオルカしか子供がいない。第一子であるキオウは第二子が誕生すると暗殺されそうになった。しかし母の手引きによって何とか生き永らえた。その後、クルード王はその後にもオルカを含む三人の子宝に恵まれたのだが、その全員が死を遂げている。オルカただ一人を残して。それだけにクルード王の思考回路を疑いもした。ただ一人の子息であるオルカを戦場に出すなど、常識じゃ考えられない。幸いオルカは紅葉以上の実力を持っているが、それでもただの人間であり、その人間というものは脆弱だ。いつ死んでもおかしくない。オルカだっていつ死神に鎌を振られるか解らないのだ。


「なあオルカ。何でお前は戦場に? 強いのは解るけどよ」

「兄さんをクルードの王位を継承してもらう為だよ」


 叶いそうにもない願いに樹楊は嘆息し、

「あのな。俺はこんな国に戻ってくるつもりもなければ、あのクソ野郎が俺を招くハズもないだろ」

「それは、アイツが生きているからでしょ? 兄さん」


 言葉の至る所に冷めきった殺意が埋め込まれていた。樹楊はその言葉の意味が解らないほど馬鹿ではない。と、同時にオルカ以外の兄妹が死を遂げた理由にも勘づく。それを口にしようとしたが、その瞬間、樹楊の心に気付いたオルカが腕に力を込める。その力は強くはなく、逆に弱々しくて儚げなものだ。だから、樹楊は口には出来なかったのだ。代わりに、背中にへばり付く妹の頭を撫でてやる。


「兄さんも見たよね、クルードの今の状況」

「ああ見た。ありゃ酷いな」


 話を聞いただけでも民衆への当たりが酷いとは思っていたが、実際目の当たりにすればそれはハッキリとした輪郭を持って伝わってきた。兵も民衆も子供も、同じ重さの命だと言うのに。確かに兵は人々の為に命を費やして戦ってはいるが、逆の事も言える。武器を手にしない者達が国の基盤を支えているからこそ兵がそこに存在出来るのだ。決して、両者共に相手を見下してはいけないのに。クルードはそれを忘れてしまったのだろうか。元より、そんな概念などなかったのだろうか。どちらにせよ、目に余る光景だった。


「ボクはね、今のクルードが大っ嫌いなんだ。全部壊して新しい未来を築きたい。その為には兄さんが必要なんだ」

「お前が王位を継げば」


「それじゃ駄目なんだっ」

 腕にぐっと力が込められるのは一瞬。すぐに脱力していくオルカは悔しそうに身体を震わせると、樹楊の首元に頬を埋める。少しだけ暖かく、柔らかい。


「女は王位を継承出来ないんだ。もし今、王が死んだらボクは王族の誰かと結婚しなければならない。そしてその人が王位を継ぐ。それじゃ何も変わらないんだ」

「だから――俺、というわけか」


 別に自分が何かに利用されるのが嫌なわけではない。大き過ぎる状況を変えるには何かを利用するのが一番手っ取り早く効率的だからだ。それにオルカもこんな小さな身体で色々な思いを背負っているのだろう。それを手助けしてやりたい、という気持ちもある。しかし樹楊は頷かない。


「俺はもうスクライドの樹楊なんだ。死にかけた俺は耳の遠い婆さんに拾われて、樹楊になったんだ。それにクルードでは、俺はもう死んでいる。今更名乗り出ても誰も信じないさ」


 妹はいない。そう言っているような言葉だった。

 オルカの腕から力が抜けていくと、樹楊はすかさず立ち上がって歩き出す。そんな背中をオルカは弱々しく掴んで引き留めた。


「お願いだよ。クルードに戻ってきてよ。国民への説明はボクからするから、だから」

「ふざけんな」


 樹楊はオルカの懇願を一欠片も掬う事無く見捨てると、背中を掴む手を払う。オルカは眉を下げて今にも泣き出しそうな顔となった。そんな顔を見せられても今の気持ちが揺らぐわけではない。


「俺には護りたいものがあるんだ。スクライドが滅亡しようがどうだっていいんだ。そいつらを護れるなら、国なんて滅んでも構わない。けどな、そいつらの中にはスクライドと共に生きてる奴もいる。だから俺は結果的にスクライドを護らなきゃなんねーんだ。面倒だけど、スクライドを捨てるわけにはいかねーんだよ」


 俯くオルカの頭を二回だけ叩いてやり、踵を返す樹楊に、黙っていたスイが手を伸ばしながら口を開く。しかしそれを止めるのはオルカ。力強くスイの腕を握ると、何も言わせずに樹楊に声を掛けた。その第一声は冷たく、重い。


「兄さん」

 振り返れば、明らかな敵意を持った瞳がこちらを射抜いてきている。さきほどまで天真爛漫だった姿が嘘のようで、なるほど、戦士の眼だと樹楊は納得する。


「ボクはね、目的の為なら何でもする。兄さんが『そこ』にいると言うなら、ボクは『それ』を壊してでも兄さんをここに引き摺ってくる。もう一度言う。ボクは目的の為なら何だってするよ?」


 これは脅迫だ。

 従わないなら実力行使をすると言っている。


 樹楊は不敵に口端を持ち上げると野犬のような眼光を流す。

「目的の為なら何でも、ねぇ……。そいつには同感だな」


 勝てるとは思わない。だがオルカは既に戦闘態勢に入っている。

 樹楊は腰に手を伸ばすが、咄嗟に胸が地に着くほど身を屈めた。すると頭上に風を切り裂く轟音を立てる蹴りが流れていく。まるで大木でも薙ぎ倒さんばかりの蹴りに背筋が軽く弧凍り、冷や汗も出てくる。幾多の戦士の首を折ってきたオルカの初撃を避ける樹楊のそれは、まさしくスイの評そのもので動物並み。並みの戦士には備わっていないだろう、危険察知能力だ。そんな樹楊が左上に見たものは、狂気に染まったオルカの瞳と――真っ白なローブ?


 そのローブは太陽の光を遮るとオルカに巻き付き、自由を奪った。まるで生きているかのように絡み付き、オルカは空中で身動きが取れなくなる。その小さな塊となったオルカが美を流す白磁の脚に蹴飛ばされ、湖の水面を幾度か切ると沈んでいった。ふわり、と甘い香水の香りといい具合に焼けた肉料理の香りが鼻腔をくすぐる。


 スイはオルカを助けに行こうと迷っていたようだが、蹴飛ばした張本人に目掛けて突進し、体重を乗せた刺突気味の蹴りを見舞う。しかし、その者。スイの蹴りを重ねた両手で受け止めると力の流れに身を任せながら浮き、風車のような蹴り上げを繰り出した。


「っく、てめぇ! 調子に乗ンな!」


 スイはこれを辛くも避けると、一度足を屈伸させ、しかしその足を地に戻す事無く再度踵で突く。弓に放たれたような蹴りは今度こそ腹にヒットし、その者は後ろに大きく吹っ飛んで腹を押さえて蹲った。


 この一連の流れを樹楊は目で追うだけで精いっぱいだったのだが、自分が助けられた事に気付くとスイの足元にナイフを投げて動きを止め、命の恩人を抱えると自然公園の中に消えていく。幸い、森は自分にとって優位な場所だ。スイもオルカの救出に向かい、追ってはこない。


 枝から枝へと超人的な速さで移動する樹楊は、後方を確認せずにひたすら突っ切っていく。助けられ、そして助けてやった者は何度か咽ると涎を樹楊の服で拭う。


「いったたたた。流石に勝てないかぁ」

「無理すんな。面が割れちまったんじゃねーのか?」

「……多分」


 危ういところを助けてくれたのはフェイリスだった。何の義理があっての事か解らないが、不意打ちとはいえオルカを吹っ飛ばす蹴りには舌を巻いてしまう。実力で生き抜いてきたと言うのは、あながち間違いではなさそうだ。


「お前、二度とクルードで巡業出来ないんじゃないのか?」

「そうだよねぇ。私って考えるより先に身体が動くタイプだからなー。って、何か言う事があるんじゃないの?」

「え、と。考えるよりも先に……単細胞なんだなお前」

「むはっ! そうじゃなくって! 身を挺してまで助けに向かったか弱い女の子に言う事はないのっ?」


 樹楊は脇に抱えているフェイリスに視線だけを移し、

「ぶっははははは! 何だその髪型っ。実験に失敗でもしたのか?」


 フェイリスの髪は両側に広がりながら毛先が上を向くようにカールしていて、お世辞にも可愛いとは言えない髪型だ。樹楊は遠慮する事無く笑い、それでも高速で木の上を突っ切っていくもんだから危うく額を打ちそうにもなった。フェイリスは不機嫌そうに眉を寄せて頬を膨らませると、樹楊の股間を力任せに叩く。


 ずどむっ、という不快なインパクト音と共に男限定の鈍痛が股間を中心に広がり、樹楊は蒼白に染まりきる顔で泣いているような笑っているような、珍妙な顔となっていた。そして一本の太い枝の上で足を止めると木に片手を添えて腰を叩く。


「うー……、何かぐにょってなった」

 フェイリスは手を払うように振り、嫌そうな顔をする。


「お、ま。言う事あんだろー……がっ」

「匂いとか移る? これ」

「移るかっ。つーか、臭くねぇ! 嫌そうな顔すんな!」


 両足を揃えてリズミカルに跳ぶ樹楊はそれでも鈍痛を緩和出来る事が出来ずに膝を揃えて蹲った。フェイリスは腰に手を添えると偉そうに胸を張る。


「私に何か言う事はないの?」

「た、助けてくれて、あ、ありがとうごぜぇます」


 よろしい、と歌姫は満足そうに頷くと枝に腰を降ろした。拳骨や頬に拳を捻じ込まれるのは慣れて(?)いるが、股間だけはどうしようもない。樹楊は鼻歌を気持ちよさそうに歌うフェイリスが少しだけ嫌いになるのだった。フェイリスは悪戯な笑みで舌先を出して可愛らしさを見せるが、その縮れた麺のような髪では三割減だ。樹楊は立てるようになるまで回復すると、後ろを振り返ってみる。


 オルカも自分と同じような思いを持っているのだろう。皆が笑っている世界。口にしただけで鼻で笑われそうな言葉だが、何よりも美しい夢だ。それをオルカは願っている。


 戦争とは、国家とは、思想とは何でこんなにも枷になるのだろうか。

 どんなに同じ思いを抱いたとしても、立つ位置が少しばかり違うだけで争わなければならない。かつて、この世界を支配していたというガーデル王はそれを成し遂げた。その道は険しかったのだろうか。それとも、平坦な一本道だったのだろうか。今の自分の前には舗装された道などなく、山あり谷ありの獣道もいいところだ。コンパスだって役に立ちやしない。きっとオルカも同じ森の中を彷徨っているのだろう。いつか、手を取り合って進む事が出来たのなら、きっと。


「キオウくん? どーした?」

「ん、いや」


 野鳥が樹楊の肩に止まって羽を休め、甘えるように身体を擦り寄せる。さえずる事もなく、それでも楽しそうに。樹楊は下から吹いてくる風に前髪を弄ばれながら目を細めた。


「人ってよ、同じ未来を夢見ても……手を取り合えないもんだなって思ってさ」

「そりゃーね。立つ位置や目線、空の色や歩いてきた道、歩幅。そして何よりも周りにいる人達が違えば触れ合えないものだから」


 フェイリスは目を合わせずに声を鳴らした。優しい声は少しだけ弱く、吹く風に散り散りになっていく。行く宛てもなく、それでも何処かへと。


「今のキオウくんにぴったりの歌があるんだけど、聴く?」

「念の為に聞いとくけど、どんな歌詞なんだ?」

「んー」フェイリスは人差し指を顎に当て「夢見る少年が世界に羽ばたいて、でも失敗の果てに朽ちる歌」


「……お前さ」嬉しそうなフェイリスが首を傾げるのを待ち

「絶対俺の事が嫌いだろ」

「まーね。そういうキオウくんも私の事嫌いでしょ」

「まーな」


 茨の目線で火花を散らし合う二人は額に青筋を浮かべて引き攣った笑みを見せつけ合うと、枝の上で子供じみた殴り合いの喧嘩をおっ始める。ここはまだナルバハイムの中だというのに、何処までも悠長な二人だ。

 


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