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第二章 〜孤郷〜

 太陽がさんさんと輝く正午。

 昼時を告げる鐘の音が城下町に響き渡り、各家庭・勤労者は虫が鳴く腹を治めるべく昼食の準備に取り掛かる。


 ここ、スクライド場内の謁見の間にも鐘の音が聞こえてくるが、誰も動こうとはしない。

 スクライドの兵士の上将軍や宰相。

 赤麗のイルラカと他二名。


 赤麗の首領の紅葉が意味不明の逃走をぶちかました所為で対談は進んでいない。

 宰相や上将軍らは苛立ちを青筋に変え、先程から一言も喋っておらず、イルラカも同じだった。


 

 そんな険悪なムードの中、ただ一人穏やかな表情で紅葉の到着を待つ者が居た。

 それは樹楊の友人であるアギだ。

 アギは事実上小隊長で、本来ならこのような重役会議に顔を出す事すら叶わないのだが、近々将軍位に大抜擢される予定が組まれており、将来性を見込まれてこの対談に加入する事を特別に許可されたのだ。


 そんなアギは気を回し、侍女に命を出して飲み物を運ばせたりして皆の怒りを抑えているのだが、そろそろ限界も近いようだ。宰相・ジルフードの青筋が一つ、増えている。

 背中の銀刺繍が映える藍色の法衣を纏ったジルフードは自慢の白い顎髭を撫で、口を苛立ちに歪ませている。もう少しでご隠居も近いだろうに、落ち着きのない子供のように貧乏ゆすりもしていた。そしてついに、その怒りが爆発する。


 大理石で出来た床を強く踏み鳴らし、テーブルを叩くように両手を着いて勢い任せに立ち上がると、唾を四方八方に飛ばしながら怒号をイルラカに浴びせる。


「えぇいっ、貴様らの首領とやらは何時になったら帰って来るのだ! もう三時間も音沙汰もないではないか! 約束も守れぬほど頭が回らんのかっ!」


「申し訳ない。首領の携帯通信機にコールを送りたいのだが圏外に居るようで通じないのだ。今しばらくお待ち頂きたい」


 イルラカはぐっと怒りを堪えながら微かに震える声で返答するが、ジルフードは聞く耳を持たず、空のグラスを床に投げつける。グラスは粉々に打ち砕け、侍女の仕事が増えてしまった。


 ジルフードは怒ると何時もこうなってしまうのだ。

 手近な物に八当たりをしては吠えるしか脳の無いような犬のようにぎゃんぎゃん騒ぐ。

 上将軍らもほとほと困っているのは、本人だけが知らない事実である。

 スクライドの兵士らは慣れからか、堪える事ができるのだが赤麗のメンバーにとっては腹正しい事この上無い。


 自分等の首領を馬鹿だのガキだの罵られれば自然と怒りが表に浮き出てくる イルラカの我慢の臨界点に迫った時、謁見の間の扉が静かに開いた。イルラカらは侍女だろうと思い込み、後方からの来客に振り向きもしなかったが、スクライド側としては見知らぬ来客に戸惑うばかり。そして誰よりも先に宰相・ジルフードが声を荒げる。


「誰だお前は! ここが何処か解っているのか小娘! 早々に立ち去れぃ!」


 しかしその『小娘』は聞く耳も持たず、コツコツと足音を立てながら歩み寄る。その足音が背後で止まった事で、イルラカらは振り向く。


「れ、蓮さまっ!」


 蓮と呼ばれた少女は何も喋らず、イルラカの眼を直視する。

 イルラカは圧倒されたように身を引くが、思い出したかのように慌てて頭を下げた。

 その光景を見ていたスクライド側としては首を傾げたくなっていた。


 その少女は背が低い所為かこの場の誰よりも幼く見える。紅葉の背も高くはないが、この少女はそれよりも低い。そして服は赤麗らが着ている深紅の長衣などではなく、黒のノースリーブ、タートルネックの服で丈の短いスカートは暗い紫のチェックで町娘のよう。

 そして膝頭を隠さない程度の丈の革製ブーツを履いている。


 棘のあるボブカットの髪はくすみのない純白の髪。何より、右目に巻かれた包帯が病弱そうなイメージを与えてくる。


「……紅葉は?」


 蓮は蚊の鳴くような声でイルラカに訊く。

 少し離れているアギが注意していなければ聞き取れないほど小さな声。

 対してイルラカは、声を張って答えた。


「はいっ、朝皆が目を覚ます頃には姿が見当たらず、今現在も捜索中でっ」

 返答を遮るように、蓮はイルラカの喉を潰す勢いで握り締める。

 そして虚無の眼差し。

 表情に乏しいのか、ずっと無表情のままだ。


「……質問、解らない?」


 イルラカの口の端から唾液が垂れ、息も窮屈そうに漏れてくる。

「う、げ……。首りょ、っは、何処かへ出かけっ――、かはっ」

「そう……」


 納得したのか、イルラカをゴミのように床に落とし、傍に居た部下二名に視線を向ける。

 蓮はやはり表情を無から変えない。部下らは恐怖に顔を歪ませ、半歩後退る。


 呆気に取られていたジルフードだったが、ここでやっと己の存在を訴えるように怒鳴り散らし出した。


「貴様! 質問に答えぬか!」

「…………うるさいな」

 

 蓮の眉が微かに跳ね上がった事を見逃さなかったイルラカは、蓮を護るようにジルフードの前に立ち塞がる。


「蓮さまは、私達の副長だ。ここは一つ、怒りを納めてくれっ」


 蓮を庇っての事じゃない。

 むしろ護られたのはジルフードだと解したアギは棘のない笑みで蓮に歩み寄る。


「まぁまぁ、落ち着いて下さい。どうです? 紅茶でも」

 にこっと頬笑み、蓮の肩に手を置く。

 

 これまでアギに宥められた者は数多い。ジルフードでさえ何度か宥められてきた。

 それは当たり障りのない柔らかな雰囲気を持つアギだからこそ出来る芸当であり、この場もすぐに落ち着きを取り戻す。


 ――ハズだった。


「ば、バカヤロウ! 蓮さまに触れるな!」

 イルラカが吠えると同時に、蓮は身を遥かに超す重厚な大剣をアギの脳天目掛けて振りかざした。


「っな!」

 しかしそこはアギ。

 意表を衝かれるも、咄嗟の判断で腰から剣を抜いてこの斬撃を防ぐ。

 まるで大槌で叩いたかのような音が鈍く広がると、アギの腰が僅かに落ちた。


「な、何て力っ」


 仲間の危機を感じた上将軍らは剣を抜き、戦闘態勢に入るが、アギはこれをも止める。


「なりませんっ! これは私の軽率な行動が招いた結果っ。剣を納め下さい! 今赤麗と争っては、この先どうしましょうか!」

 上将軍らは「いや、しかし……」とうろたえるが、力強いアギの眼差しに抜刀した剣を納めた。



「蓮さま! 駄目です! 首領の命令も無しに剣を振るうなどっ」

 イルラカは背後から腕を回し、アギただ一点を見据える蓮を引き離す。

 

 大人しく引き下がる蓮にアギは胸を撫で下ろし、胆力の小さかったジルフードは顎が外れそうな程口を広げて床にへたり込んでいた。

 身が直角に折れるほど頭を下げて謝罪するイルラカに、ジルフードはわざとらしく咳払いをし、許しの言葉を偉そうに並べる。

 大方、蓮に怖気づいて強く言えなくなったのだろう。


 蓮は興味を失ったのか、身を翻すと大剣を宙に放り投げた。

 すると大剣は空間に溶け込むように消えていく。

 スクライド側は我が目を疑うが、誰よりも早く気付いたのはやはりアギ。


「なるほど。先も何処から剣を出したのかと思っていたら、アナタは魔剣士でしたか」


 ピタリと足を止め、肩越しに見てくる蓮にアギは笑顔を送る。

 スクライド側は耳も疑った。

 魔剣士とはその名の通り魔法を操る剣士の事で、数少ない魔術師よりも更に少ない希少な存在なのだ。


 魔剣士は己の時空に様々な武具を納めているという。そしてそれを何の詠唱もなしに引き出す事が出来る。魔法で特化された剣士に立ち向かうには、十数の部隊を犠牲にする覚悟が無ければ敵わないとされている。


 蓮は「……だったら?」

 ワンテンポ遅れたように訊く。

 アギは敵意など微塵も出さずに剣を納めて乞う。


「いつかお手合わせを願いたいものです。実は私、槍使い……ランサーでして」


 蓮は何を思ったのか誰も解らないが、答えなど返さずに謁見の間を出ていく。

 やはり表情は無のままで。



 ◆


 精霊を殺した樹楊が鼻歌を歌いながら次に向かったのは、スクライド王国の南東にある市場だった。『今はスクライド王国の南東にある』が、数時間後には忽然とその市場は消えているだろう。


 それもそのハズ。

 その市場は何処の国からも認可されていない無許可市場であり、非合法のモノまで売買されている。それ故、市場が開かれているのは半日にも満たない。非合法市場の総称として闇市と人々は呼ぶ。


 樹楊はその闇市の誰かと連絡を取り、現在地を『再確認』してから向かったのだ。

 進む先は樹海のような森を潜り抜け、今にも落ちそうな吊り橋を渡り、廃墟だらけのゴーストタウンを抜けた場所にあった。


 闇市を囲うように突き立てられた鉄柱の頭には黄色に点灯する球体が埋め込まれている。

 樹楊がその囲いのテリトリー内に入ると、携帯通信機の画面が消え、電波の感度を知らせるランプが消灯した。


 この四方に突き立てられた鉄柱の囲い内に入ると全ての電波が遮断される仕組みになっているらしい。GPS探知を回避する為に講じられた策なのだろう。単純な策ではあるが、これまで何度も敵を巻いてきた。闇市の住人にとっては頼りになる防衛システムなのである。

 そしてここの住人は国に仕える兵士を敵視する。当り前と言うべきか、兵士は国の守護者であると同時に法の番人でもあるからだ。


 樹楊にとっては敵陣である。


 それなのにも関わらず、スクライドの紋章を背負った戦衣を堂々と纏って闇市へと足を踏み入れていく。


 ある程度の距離を取って尾行して来ているのは、やっぱり紅葉。

 どうにも気になるのか、スクライド王国を通り過ぎてまで樹楊の後を着けてきたのだ。


「変な道ばっか歩くと思ったら、あれって闇市じゃないの? あいつ、兵士ぶって取り締まる気――ってあのバカ! 戦衣着たまま単独で入ったら殺されるって!」


 鼻水を鼻腔から爆発させそうなほど驚いた紅葉だが、そんな事はつゆ知らず。

 樹楊は闇市の警備員らしき者に片手を上げてスッタカスッタカと――。


「あ、あれ? あれれ? 何であいつスルー出来んの? え? は?」


 ぽかーん、と取り残されたように立ち尽くすが、こうしてはいられない。


 自分も早く。

 一刻も早く。


「きゃっほぉぉぉいっ」

 闇市を楽しまなければっ。


 紅葉は闇市に入った事がなく、興味だけが募っていたところだったのだ。

 違法だけど、違法でも、違法だからっ。

 その興味は限界のない風船のように膨らむ。

 警備員らしき、上半身裸の男にしゅたっと片手を上げて「お疲れっ」

 そして、しゃばだばだっと入っていく。


 挨拶された男も流れで侵入を許した。


 当り前のように侵入した紅葉は、樹楊の事などそっちのけで闇市を廻り倒している。

 店舗が全てテントで形成されているのは、素早く逃げる為である。


「これ、魔光跡の光玉じゃないっ。こっちは傾国の禁書? うっはー、上下巻ともあるー。そしてそしてっ? これはー、混栄の乱掬ねっ」


 目を流星群のように煌めかせ、品々を手に取っては感嘆を漏らす。


「うーっ。どれもこれも違法のモノばかりじゃないのっ。何か欲しいっ」


 欲しいけどバレたら面倒な事になる。

 だけど記念に何か欲しい。

 本日二度目のジレンマに、紅葉の頭はパンクしそうになっていた。

 そこで解決策として想像だけで我慢する事に。

 先程から異様なテンションではしゃぎ倒す紅葉が突然大人しくなった事で、闇市の店主や客共々の頬に冷や汗が伝う。


 この生き物、何? みたいな。


 そして俯いていた紅葉が、これまた突然「にへっ」と邪な笑みを浮かべると、周りの人達はズザッと反射的に間を取った。いくら暗闇を駆け抜けてきたとは言え、未知なる生物の薄ら笑いだけは怖いみたいだ。


「うへっ……、うへへへへっ。あふっ」



 ◆



 遥か後方で紅葉が一人祭りを演じている頃、樹楊はある店先に着いていた。

  その店には様々な武具が置かれていて、一層ダークな雰囲気を惜しみなく出している。

 ボロボロの斧や、繊細な装飾が綺麗なサーベル。帰り血を浴びたとしか思えない、ドレスなど種類の幅は広い。そこの店主である、栗毛を逆立てた若い男が樹楊を見るなり口を綻ばせて拳を突き出してくる。


 樹楊はそれに倣い、自らの拳をコツンと合わせるとニカッと笑った。


「樹楊、久し振りだなー、オイ」

「そうだな。半年ぶりか? スネーク」


 スネークは腕を組みながら二度頷く。

 スネークとは通り名で、本名ではない。

 その名が付いたのも安直で、彼の舌先が二つに割れているスプリット・タンだからだ。

 品定めする際の癖、舌舐めずりすると蛇に見える事から付いた名だ。

 それでもソリュート人だという事は碧眼の眼を見れば明白だ。

 

 スネークは樹楊が担ぐバックに目をやると、人差し指だけで招くように要求する。


「今回は高値で買ってもらうぞ?」


「それは品によるな。お前が持ち込む武器は普通も普通だから捌きづれぇんだよ。たまに貴族の紋章が彫られていると思えば修復不可とくる。ったく、いいお客様で苦労が絶えませんわ」


 笑顔で皮肉たっぷりに言い放つが、どこか嬉しそうな面持ちだ。樹楊もそれが解っているのか「頼むよ」と一言告げると、店内の木製の椅子に座る。スネークはバックから丁寧に剣を取り出すと、虫眼鏡を使って細部をチェックしだす。そして価値を見い出せない剣は後ろへと適当に置く。


 無言で鑑定を進めるスネークだが、最後の一本を見るなり目の色を変えた。

 樹楊は待ってましたとばかりに鼻で笑う。

 虫眼鏡での鑑定を止め、刃を光に当てて刃こぼれがないかチェックするスネーク。

 そして出る舌舐めずり。

 片目を瞑り、口端からぬるっと出てきた舌が極上の獲物に喜ぶ。


 スネークの舌舐めずりは、上物を目の前にした時にしかされない。

 つまりこの剣は

「こいつぁ、ど偉ぇ業物だぜぇ」


 スネークが認めた上物という事だ。


「まぁ、俺にだって価値があるモンって事は解るが、それほどイイもんなのか?」


 スネークは「ばかものっ」と一喝してくると、一度咳を払う。


「こいつはな、クルード王国で生産された両手剣だ。しかもただの両手剣じゃない。

 クルード王国の建国百年を祝う際に行われた式典で、当時たった五人しかいなかった上将軍、生粋の貴族に与えられた剣だ。

 ――つまり、だ。この剣はこの世界に五本しかない、という事になる。」


 驚きを隠せない樹楊だったが、あのハゲが貴族だとは到底思えなかった。

 つるつるのぴかぴか頭。

 猿もすててこて〜んの頭をした大男が貴族だったとは。


「でもよ、貴族が持つにしては装飾の一つもねぇのは……何だかなぁ」


「あのな、百年前の装飾技術は今と比べモンになんねーくらいヘボいんだよ。

 でもな、剣の質は今以上だ。見ろっ、百年の歳月を超えてもなお刃こぼれもない。一点の錆のない刀身。無駄のないフォルム。……芸術だ」


 スネークは病的にまでうっとりし、樹楊の顔を怪訝に導く。

 しかしスネークの言う事には納得出来る。

 その剣は装飾こそないが、他の剣と比べる事が失礼に値するかと思うくらい美しい刀身をしている。


 質のお陰か……。

 あのハゲが大事に使っていたお陰か。

 それは樹楊にとってはどうでもいい事だった。金になれば何でもいいのだ。


「おーい、早く値を出してくれよ。この剣中毒者」


 スネークは我に返ると頬を赤らめ、恥じらうように言い返す。


「う、うるせぇ。お前だって同じだろっ。使えねー剣の刃を落として部屋に飾ってるクセに!」


「俺は収集趣味があるだけ。お前みたいに剣に向って男の勲章を立てる趣味はない」

「俺だって立ててねーよっ。金になる事を考えりゃ、うっとりもするわっ」


 

 樹楊はハイハイ、と適当にあしらうと「高値でよろしく」と残してスネークの店の品々を見て回る。


 そして勘定が出たのは十分後。


「いくらで?」

「んー、とな。建国の両手剣以外は価値もないが一応買い取ってやる。それで、だ」


 電卓を叩いて、その数字を突き付けてくる。

 その奥にはスネークの得意気な眼が。


「い、いいのかよっ。こんな値で買い取って貰ってよっ」

「当り前だ。希少な剣を買い取れるなんざ、ラッキーだとしか言えねぇ」


 感情が高ぶり、手先が震えだす。

 かつてない高値に心が躍る。

 これで大きく近づいた。


「それと、これは俺からのプレゼントだ」


 スネークがひょいっと銀灰色の光玉を投げてくる。

 見た目に反して軽く、中が空洞になっているガラス玉のような重さだ。

 手の平に収まるくらいの球体で、表面はつるつるしている。


「こいつは?」

「それは魔光跡の光玉だ」


「魔光跡の……って、違法モンじゃねーかっ。こんなもん持ってたらしょっ引かれるっつーの!」


 樹楊は面を喰らい、返そうとするがスネークは腕を組んだまま受け取ろうとはしない。

 そればかりか、カラカラと笑っている。


「違法じゃねーよ、そいつは」


 ハッキリと言う。

 その言葉に疑問符を投げ掛けると、すぐに答えをくれた。


「いいか、魔光跡の光玉ってのは火・水・氷・風・地・光・闇とある。そしてそいつらは知っての通り、違法とされているもんだ」


 スネークは傍まで来ると、人差し指で光玉を突いて意味深に笑う。


「こいつはそのどの属性にも当てはまらない、言わば未確認の光玉なんだ。つまり、違法に指定されていない未知なる光玉だ」


「って事はつまり、解明がされるまで違法にはならないって事か?」


 コクリ、と頷くスネーク。

 今日はツイてる、と小踊りしたくもなったが――。


「でもそいつは持ち主を選ぶんだ。何の反応もないって事は、ダメだこりゃ。お前はご主人さまじゃないとよ」


「は? 持ち主を選ぶ? 何だそれ」

「お前等の国でも『離脈型孔』って点穴の研究がされてるだろ?」


「あぁ、確か『己の中に眠る自然治癒力』だかなんだかの解明に力を入れているらしい。何でも開発されたヒーリング・ジェイムっつージェルと適合すれば、どんな怪我でも治せるという愉快な理想論も立てられている」


 うん、とスネークは頷き、樹楊から光玉を取り上げて品定めするように見つめる。

 光玉は全面銀灰色で、スネークのいうような反応はない。


「それと似た仕組みなんだ。その点穴とやらからは個々に違うオーラが出ているらしくてな、この光玉は自分とオーラの波長が合う者にしか反応しないし、その者以外には使えないみたいなんだ」


 フン、と鼻を鳴らすスネークは光玉を見切るかのように投げ捨ててくる。

 自分としても価値がない光玉を大事に扱うつもりはないが、何となく受け取った。


「売れないモンには価値などない、ってね」

「プレゼントってよりも押しつけただけじゃねーか」

「そこはお約束だろ? 俺だってお前からゴミみてぇな武器を買ってやってんだからよ」


 樹楊は諦めたように光玉をポケットにしまうと、手をひらひらさせて歩を巡らす。

 と、五歩も歩かない内に……。


「お?」

「え、えーと。ご機嫌如何かしらん?」


 マダムのように気取る紅葉と出くわした。

 

 何でこいつがこんな所に?

 いやぁ、と頭を掻く紅葉を見ても何も解らない。ここは裏に通ずる者しか知らない場所だ。


「ま、まさかお前っ」

 紅葉はギクッとし、息を飲む。

 樹楊は目を見開いて直視していた。


「闇市の常連だったのかっ」

 

 にぱぁっと、嬉しそうな笑みを浮かべるおめでたい樹楊の頭には『尾行』というフレーズは存在しなかった。紅葉はずっこけそうになったが、取り敢えず話を合わせる事に。


 思う所が交わらない雰囲気で居ると、後ろに居たスネークがひょこっと顔を出す。


「お? 何、その可愛い女の子」

「あぁ、こいつか?」


 紅葉はこいつ呼ばわりされてムッとした顔を一瞬だけ見せたが、誰かに悟られる前に笑顔へと変換させる。


「こいつは紅葉――アゲハ、だっけ? ま、そんな感じだ」


 適当な感じで楽しげに紹介するが、何故か周りの音が消えていく。

 賑わっていた闇市は音を奪われると静寂に包まれ、ここの人々は険しい顔で睨んでくる。

 スネークも、その一人だ。

 あからさまに異様な雰囲気に呑み込まれる中、スネークが俯きながら訊いてくる。


「紅葉アゲハ?」


「あぁ、そうだけど。どうした?」


 スネークに向って一歩足を踏み出した瞬間、金属音が重なる。闇市の店主全員が己の武器を構え、スネークさえも刃を向けてきた。


「ど、どうしたんだ?」

「悪い、樹楊や紅葉アゲハに恨みはないんだが、賊は天敵でね」

「ちょ、待てって! こいつは――」

「解ってる!」


 誤解を解く言葉を並べる途中で、スネークが怒号を重ねてくる。

 その目は敵意と悲しみが混じり合って鈍く光っていた。

 紅葉は剣を取ろうと隙を窺うが、八方塞がりで手を動かせずにいた。少しでも抵抗姿勢を見せようものなら斬りかかってくる形相だ。


「樹楊、俺達はな、賊が嫌いだ。お前ら兵士よりもな。紅葉が率いる赤麗に闇市が襲われた例はないが、他の賊には何度も襲われている。この場で殺してぇが、……樹楊」


 スネークは真っ直ぐに瞳を見てきた。

 そしてにっこりと朗らかな笑みをくれた。


「お前は大好きだ。俺も、この闇市のみんなもお前の事が大好きだ。……だから、何も言わずこの場を去ってくれ」


 スネークはこうも付け加えた。

 樹楊は今まで通り闇市に入ってもいいが、紅葉アゲハは別だ。今度入ってきたら殺す。

 ――と。



 闇市を抜けてから言葉を交わす事無く歩く二人だったが、太陽が朱に変わる過程を見つめていた樹楊が呟いた。


「ごめんな」

「ん? 何が?」


「いや、さっきのスネークの態度。悪い奴じゃないんだけど、ああいう場で生きているから敏感なんだ。俺がもっと気が回っていたらお前の名前を出さなかったのに」


 申し訳無さそうに頭を掻き、視線を外す。

 紅葉は少しの間だけ時間を失くしたが、やがてフッと笑う。


「なーに言ってんのよ。賊みたいな私が悪いだけで、アンタは何も悪くない――って、アンタ、そう言えば」


 思い出したのか、樹楊の腕を掴むと突然。

 せいっ、と背負い投げを見舞う。


「って! 何すっ、ごほっ!」


 あまりにも唐突な攻撃に受け身も取れず、まともに背中から落ちた樹楊は苦しそうに咳き込む。紅葉は腕を組んで長嘆。

 そして――。


「戦死した兵の武器を奪い、万霊殺しの銃を所持し、精霊を殺し、挙句の果てには闇市での売買。極刑もんのオンパレードよ、アンタ」


 全てバレていた樹楊は、まだ青と朱のコントラストが綺麗な空を寝転んだまま見つめ、観念したように笑う。上半身をゆっくりと起こして、両手を後方に着いて紅葉を見上げた。


「それで? どうすんの?」

「どうもしないわよ。私は誰かを裁くほど立派に生きてきてはいないわ。ただ――」


 一陣の風が二人の間に吹き見えざる壁を知らせてくる。

 前髪を揺らし、視線が結ばれると、紅葉は言葉を繋げる。どこか切なそうな声音で。


「何でそこまでしてお金を欲しがるの?」


 当然の疑問だった。

 普通では考えられない事を、樹楊は平気でやっていた。しかも慣れているようでもあった。

 樹楊は紅葉の眼差しから本気を感じ取ると立ち上がりながら砂埃を払い、何も言わずに歩き出す。その後を追うべきか、追わざるべきか。

 紅葉が戸惑っていると、やっと樹楊が声を掛けた。


「着いて来い」


 答えはそこにある、と言わんばかりの背中は辛そうで、広かった。





 日も暮れ始めた頃、樹楊が紅葉を連れて来た場所は錆びれた街。

 建物の壁面は何か所も崩壊し、地にはその残骸が寝転んでいる。

 かつては大きな街だった事は、廃墟と化したビルの数の多さが証明している。

 噴水があった広場も、今となってはスクラップの巨大な墓場で、その傍らで缶焚きがされている。紅葉は貧困を絵に掻いたような世界に同情の視線を送るが、樹楊は表情を崩さない。


 缶で焚火をしていた、体中に汚れをまぶしている子供が樹楊に気付くと全身で喜びを表現する。


「キョウくんだ! みんな、キョウくんが来たよー!」


 すると、広場に繋がる通路という通路から老若男女様々な人々が集まってきては樹楊の周りを囲む。

 樹楊の顔も笑顔になっていた。

 計算も皮肉もない、純粋な笑顔。

 それはアギでもあまり見る事がない顔だ。

 揉みくちゃにされる紅葉はあたふたし、樹楊に近づこうとするが叶わない。


「ちょ、樹楊! じゃない、不細工!」


 何も言い直すところじゃないのに……、結構失礼な奴だと樹楊はインプットした。


「これは何なのっ? アンタはここの何っ! 何で――――こら、乳揉んだの誰だぁ!」


 犯人は十歳にも満たない女の子で、下から見上げる胸がぷるぷる震えて思わず。という事らしい。そしてバレたと解るや否や、猫じゃらしにじゃれる猫のように胸を目掛けて飛んでくる。


「はっはっは。そいつは偽パイだ。騙されんなよ〜?」

「アンタ、何言ってんのっ。これは本物だってば!」


「うんっ! ギパイ、ギパイっ」

「だから違ぁう! 変な事吹き込むな、不細工のクセにっ」




 樹楊はすっかり薄暗くなった空を見上げている。懸命に探せば星でも見付けれそうだ。


「明日は晴れかな?」

 何となく独りごちる。

 隣には紅葉が女の子らしく、膝を抱えて座っていた。ただし、こちらをがっつり睨んではいるが。


「ごめんなさい、は?」

「うい、ごめんなさい」


 よろしい、と紅葉は頷いて微笑んでくれるが、背景におどろおどろしい般若の幻覚が見える。揉みくちゃにされていた時、樹楊はどさくさに紛れて紅葉の胸を後ろから鷲掴みにしようとしたのだが、流石は赤麗の首領。


 背後からの邪な気配に気付くと触れられる寸前で手を払い、邪悪な笑みを浮かべて流星のように逃げる樹楊を追い掛けた。

 足に自信があった樹楊だったが五秒も経たない内に捕まり、誰の目も届かないスクラップ置き場の裏にずるずる引き摺られ、馬乗りパンチの嵐を喰らったのだ。


 そして現在に至る。


「では、あっしはこれにて」

 生まれたての野ブタのようにブヒッと鳴きそうになりながらも、ガッタガタ震える足で立ち上がる。一刻も早くこの場から消え去りたかった。このまま居ればまた虐待を受けるかもしれない。


 しかし、

「アンタ、まだ」


 紅葉の声が背中にずっしりと圧し掛かる。


 まだ?

 まだ、何だっ。

 まだ殴らせろと言うんじゃないだろうな。

 などと冷や汗を掻きながらご機嫌取りスマイルで振り返ろうとするが、何故か世界が縦に回転した。


 そして何だか心地いい。

 後頭部に柔らかい物が当たり、花のような香りがする。

 考えるのも面倒で、ぼーっとしていると視界の上から紅葉の顔が出てきた。


「うぬぁっ、鬼ババ!」


 すかさず肘が顔面にめり込んでくる。

「誰がよっ」


 紅葉は「ったく、何なのよアンタ」と呟きながらも髪を撫でてきた。


 潰れたかと錯覚した鼻を撫で、紅葉を見る。

 どうやら膝枕をされているらしい。

 鼻は今日一番のダメージを負ったが、後頭部は月一番の心地良さだ。

 髪を撫でられるのは何年振りだろうか。


「ん? どうしたの?」

 じーっと見つめられていた紅葉が首を斜に訊いた。


「い、いや。気持ちいいな……って」

 本心、結構胸デカいな。僅か手に余るくらいか。とは言えない。


「ふふっ、感謝しなさいよね。女の子の膝枕なんて、アンタに縁はないだろうし」


 そんな事は耳に入らず。

 樹楊は「美なる胸は下から見上げてこそ真価が解る」と、孫に教えようと心に決めた。


「アンタさ、今日みたいな事止めなよ」

「ん? 胸の事か?」

「違くてっ。昼間の事よ」


 紅葉は違法行為から足を洗えと言ってきた。

 だが樹楊は素直に頷かず、目を細めるだけだった。

 答えが得られない紅葉は薄い溜め息を落とす。


「アンタにだって愛国心はあるでしょ?」

「……愛国心なんてねぇよ」


 紅葉は耳を疑った。

 国に所属する兵士おろか、その国の領土内にいる都民・町民であれば愛国心は持っているはず。中でも兵士は国を愛し、その為に闘う存在だと思っていた。

 何で? と紅葉が訊いてくる前に、樹楊が先に訊く。


「紅葉にはここがどう見える?」


「ここって――」

 ぐるりと見回すと所々で目を止め、やがて再度眼を合わせてくる。

 困惑した表情から察するに、デリカシーが無い奴ではなさそうだ。


「惨めだろ?」

 答えが返ってこないので、代わりに言ってやる。


「そんな事っ……、うん、ごめん」

 嘘もつけない奴らしい。

 罰が悪そうな顔をして、髪を撫でてくる。そんな紅葉を、樹楊は少しだけ気に入った。


「謝る事じゃねぇ。俺に愛国心はないが、郷を思う心はある」

「郷? え、もしかして――」


「あぁ、ここだ。そしてここはスクライドの領地じゃなければ、何処の国のモンでもない。それが何を意味するか解るか?」


 紅葉は眉を下げて嫌そうに口を開く。


「支援金が……ない。だから、そのっ……言い方が悪いかもだけど、身捨てられた街。だから国民権がない……だよね?」


 樹楊は膝枕されたまま満足そうに頷くと、目を瞑って思いに更け始める。

 寝るんじゃないか、と勘違いしてしまいそうなほど心地良さそうだ。

 リラックスしている。だからなのだろう。長々と語ってしまうのは。


「解ったと思うけど、俺は純国民じゃないんだ。元は国民権、まぁ人権がなかった。だけどこうしてスクライドの兵士として、今を生きてる。……俺はな、ここのみんなに金を出して貰ってスクライドの国民権を買ったんだ。俺、こう見えてもガキの頃は結構剣術が得意でね、それならば兵士試験を突破出来るって皆が俺を推してくれた。そん時に思ったんだ。いつか俺がスクライド王国からこの街の権利を買おう、って。そうすれば皆の生活水準も上がるし、人権が貰える。職にだって就ける。皆、笑顔になる」


 だから法を犯してでも金を集めている、と告げられた紅葉は樹楊とここの住民を同情した。

 しかし、樹楊の顔はすがすがしく、ここの住民の顔にも絶望などという負の感情などないのだろう。それが解らない紅葉じゃなかった。それでも何か言おうとした紅葉が、薄く口を開いた瞬間。


「キョーちん!」


 感情の配合・明るさ十割のとしか思えないような声が遠くから矢のように飛んでくる。

 樹楊はその声に反応すると、勢い良く起き上がってとびっきりの笑顔を見せた。


「ほらっ、来い来いっ」

 犬でも呼ぶように迫り来る少女に向って手を叩く。

 少女も少女で、嬉しそうにきゃーきゃー言いながら走って来ると樹楊に跳び付いた。


「キョーちんっ、久し振りー」

「おぉ、元気にしてたかっ?」


 少女は抱き着いたまま小刻みに頷くと、額を胸に擦りつけてきた。

 何だかハイテンションの再会に戸惑う紅葉。

 それに気付いた樹楊は少女を剥がして目の前に座らせる。


 無邪気に踊る碧眼が印象的で、プラチナブロンドでふわふわの髪をしている。

 背は小さく、少し前までは樹楊にちんちくりんと言われていた。

 肌は白いのだろう。

 その所為か、微かに汚れている程度なのに必要以上にすすけて見える。

 

「こいつはニコ。俺の幼馴染で、年は一つ下だ。ほら、ニコも挨拶」

「ニルキーナ=キリーナ・セインドヴァリルーク・ラ・コラングルです。よろしゅーっ」

「………………何だって?」


 紅葉はずいっと身を乗り出して眉間にシワを寄せると、指を一本立てた。

 もう一度言え、という事だろう。


 しかしニコはきゃーきゃー言いながら紅葉の胸を揉みくさる。


「ちょ、何すんのよっ、こら!」

「こういう奴なんだよ。名前は長いからニコでいい。皆もそう呼んでるし、フルネームを覚えている奴なんていない」


「今はそれどころじゃっ、ちょっ、いたたたたたたたたぁ!」

 息切れしている紅葉に剥がされたニコはくりっと振り返ってきて、えへっと笑う。


「いい乳してましたっ」

「偽か?」

「真ですっ」


 樹楊とニコは通じ合うらしく、親指を立て合うとハイタッチをした。

 乾いた音は軽やかに響き、僅かに木霊す。

 ここに来て紅葉の疲れがどっと出てきて、最早何かを言う力も残っていないようだった。


「お前も相変わらず――っと、通信機が鳴ってやがる。ちょい外すな」


 ニコの頭をくしゃくしゃ撫でて片手を上げて離れていく樹楊に、ニコは元気よく手を振る。

 紅葉がその小さな背中を危険物でも見るかのように凝視していると、唐突なタイミングで弾かれたように振り返るニコ。


「にはははははははっ」

 ニコは花咲くような笑い声を上げると、正座をしたまま紅葉へとにじり寄っていく。


「な、何よ」


 赤麗の首領たる者が、山羊のように震えた声で問うがニコは満開の笑顔のままだ。

 ニコは両手をわきわきさせて――。


「んきゃーっ、助けっ、なぁぁぁぁぁぁ!」

「んーにゃはははははははははっ」


 樹楊は人差し指で肩耳を塞ぎながら発信者と通話していた。



 ◆



 疲れきってぐったりと寝転がる紅葉の傍らには、満足気に額の汗を拭うニコ。

 紅葉は初めて出会うタイプの人種に手も出せずに完敗した。

 だが本気で怒る気はしない。

 何と言うか、ニコからは邪気など感じられない。幼い子供のように無邪気なのだ。


「ふぅー、任務完了っ」

「あんたね、人の胸まさぐって何が任務よ。だいたいね――」


 紅葉は何かを言おうとしたが、思い留まる。何を言っても無駄だと判断したのだ。

 上体を起こして肩を並べると、背後から老婆が歩み寄り、ニコに革袋を手渡した。

 革袋は歪に膨らみ、その大きさは両手で抱えても余るくらいだ。

 中からはコインが擦れ合うような音が微かに聞こえてくる。


 ニコはそれを受け取りまじまじ見ると苦笑する。


「キョーちんには苦労させるね」

 にははっと老婆に微笑み掛け、何かのコンタクトを取り合う。


 紅葉はそれが何なのか知っていたが敢えて触れないようにし、夜空を見上げる。

 星が綺麗だ。

 その星空を舞台に、三日月が優雅に佇んでいる。


「紅葉ちゃんてさ、キョーちんの事、何処まで知ってるかな?」


 表情、声音。

 それは何の意味を持たない世間向きのモノだったが、その深層には痛々しい思いが込められている事が解る。


 紅葉はしばらくの間口を閉ざしていたが、夜空に流す程度に話す。

「知り合ったばかりだから何とも言えないけど、あいつがやっている事くらいは、ね」


「なら、止めさせてもらえないかな?」


 思いきりのいい、そして唐突な願いだった。

 まさか核心に迫ってくるとは思ってもいなかった紅葉は、誤魔化すように訊き返すがニコには見抜かれている。


「私はキョーちんがどうやってこのお金を手に入れているか、分からないんだ。本人は兵士としての俸給って言ってるけどさ、毎月毎月たくさんのお金……一般の兵士が貰えるわけないよ。きっとキョーちん……違うな、絶対キョーちんは人に言えない事をやってる」


「どうして言い切れるの? 兵士でも手柄を上げれば特別に報酬を貰えるのよ? あいつ、強いんでしょ?」


 ニコは頭を掻き、また革袋を見る。

 そしてぎゅっと抱き締めて、それに額を重ねた。


「キョーちんはこの街で一番強いけど、でも違う。このお金は報酬とかなんかじゃない。

 だってキョーちんの眼が変わってきてる。……日を重ねる毎に、鋭く、冷たく、弱々しく。何かに怯えるみたいに……」


 紅葉は頷いてやれなかった。

 ここで頷く事は至極簡単だ。もうここに来なければ約束など守らなければいい。

 でも、頷けなかった。

 ニコの悲痛な思いが、自分の心とすり替わってきたかと思う位に伝わってきたから。

 だから嘘はつけない。

 そして自分では樹楊を止める自信がなかった。あんな極刑確実の罪を、何の躊躇いもなく踏み躙る覚悟は簡単に折れると思えない。


 意地悪な時間だけが過ぎていく中、ニコは革袋の金貨・銀貨・銅貨。

 様々なコインを地にばら撒いて、一枚一枚丁寧に手に取るとカリカリ作業をしている。


「何してるの? さっきから」

「これはね、印を付けているの」

「印?」


 うん、とニコ。


 ニコは手に持っていたコインに印を付けると、両手で包み、祈るように目をつぶる。

 そしてそれを印が付いた銀貨がまとまっている所に置く。

 どうやら種類別に分けて置いているらしい。


「この街の為のお金だからね。間違っても私用で使わないように、この街の皆で考えた戒めみたいなものかな? 印が入ったコインはみんなのモノ。だから使わないでおくの。

 キョーちんは使ってもいいって言うけど」


 ニコはとても嬉しそうに笑う。

 不憫だと思う。

 同情するな、と言われても無理だ。

 だけど力になりたいとは思えない。

 これはこの街と樹楊の問題であり、自分が混じっていい問題じゃない。


 これ以上、樹楊とニコらの足枷を増やすだけなのだ、とよく理解していた。

 でもせめて印を入れる軽作業だけなら、と手を伸ばすと、ベルトに通していた簡易バッグの中で通信機が騒ぐ。何だか、通信機が怒っているみたいだ。


 嫌々ながらも通話ボタンを押し

「私――」

「何処ほっつき廻ってんですかぁぁぁぁぁ!」


 イルラカだ。

 火山が耳元でハッスルしたかのような音に、紅葉の鼓膜は破れる寸前。

 その怒声は隣に居たニコにも届いているようで、何やらわくわくした表情で見てきている。


「聞ぃぃぃぃてるんですっかぁぁぁぁぁ!」

「聞いてるって。で、用件は何?」

 と、言いながらも対談の事を思い出すと冷や汗を流す。

 

「用件? 用件と申されましたか、今」


「や、あのね、イルラカちょっと待って」

 押し殺された声にたじたじの紅葉。

 隣で鼻息を荒くして待っているニコが正直鬱陶しい。


「ふ、ふふふ。ははははっはははっははは!」


 イルラカは奇妙な笑い声を上げる。

 通信機をぶん投げたいが、そういうわけにもいかない。


「首領ぉぉぉぉ! 今日という今日はぁぁぁぁ!」


 普段から紅葉の身勝手な行動に悩ませられているのだろう。

 燦々と積もり続ける雪、積雪のような不満が一気に爆発したのだ。

 首を狙う戦士のような雄叫びが上がるが、その声は遠くなっていく。代わりに聞こえてきたのは他の部下の声。


 普段から紅葉の身勝手な行動に悩ませられているのだろう。

 燦々と積もり続ける雪、積雪のような不満が一気に爆発したのだ。


「首領っ、早くお戻り下さいっ。対談は明日に伸ばして頂いたので問題ないですが――きゃっ、ちょっと、イルラカさんを早く縛って!」


 後ろから自分を呼ぶ叫び声やら、ガラスが割れる音やら、ドッタンバッタン聞こえてくる。まるでそこで小戦争が起きているようだ。


「イルラカさんは落ち着きましたっ」

 この部下は平気で嘘を吐いてくる。

 大方、さっきの指示通りイルラカを縛りあげ、猿ぐつわをしたのだろう。


「わ、解った。早く帰るね」


 お待ちしています、との返答に鉄の塊のような溜め息を吐きながら通話を終了させた。

 自分が撒いた種とは言え、先が思いやられる。


「ね、ね! どうしたのっ。不倫? 彼カノの事情っ? ただれた三角関係!? ねぇねぇ、何だったのっ」


 この星空に負けないくらいに目を輝かせ、肩を鷲掴みにしてくる。

 しかも、ただれた三角関係って。

 失礼なんじゃないだろうか。


「私ね、スクライドと手を結んだ部隊の首領をやっててね、まぁ、部下からの呼び出し」

「部隊……。かぁっくいー!」


 ニコは肩をぱしぱし叩いてくるときゃーきゃー騒ぎ出す。

 このコはいつもこんなテンションなのだろうか。

 こうしている間にも部下が自分を待っている。早く帰らなければ。

 そして謝らなければ、イルラカに。

 重い身体を起こし、炭鉱で働く奴隷のようにずるずると足を引き擦りながらスクライドに向かう。

 

 ここからは遠くはない。すぐとは行かないが、日が変わる前に着くだろう。

 何と言い訳をしようか考えながら歩いていると、背中に視線が集まってくるのが分かった。

背筋を伸ばして、ゆっくりを振り返る。


 ボロボロの革靴で、しゃんと立っているニコが手を振ってきていた。

 その後ろ、遠くからもここの住人が自分に向って手を大きく振ってくれている。

 中に、最初に胸を揉んできた女の子も。

 紅葉はニコの眼を見据え、フッと笑った。


「約束は出来ないけど、止められたら止めてみるわ。樹楊の事」


 すると、涙ぐんだを擦りながら頷くニコ。

 こんな友達も悪くはない。

 いつもいつも争いの毎日で、見付けられなかったモノがここにある気がした。


 紅葉は手を一度だけ皆に振り、二度と振り返る事無く歩き出す。

 


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