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第三十五章 〜雑草と卑下する天才〜



 武昇の儀を終えて正式に特殊戦場攻略部隊・砕羽の隊長補佐官を担う事となった樹楊は、メンバー全員と共に宰相であるジルフードに招かれた謁見の間に来ていた。白い髭を撫でるジルフードはニコニコしていて少しばかり不気味だ。何せ年甲斐もなくいつも頭に血を昇らせている男だ。裏があるんじゃないのかと勘ぐってしまう。


 ジルフードを対面にミゼリア、その脇にはツキと樹楊。クルスは気が進まないのか、突っ立っていて壁に背を預けていた。宰相であるジルフードを前にその態度は失礼だとミゼリアも注意したのだが、聞く耳を持たない。早くもミゼリアとクルスの中が犬猿になるかと思いもしたが、それよりも早くジルフードが笑顔で許可をくれた為、その何を逃れる事が出来た。ミゼリアは深々と低頭するが、樹楊はクルスの気持ちが十二分に解る。


 このジルフードという男はきな臭く、明らかな表裏を持っている。それがクルスにも解るのだろう。ラクーンと同じで何を考えているのか解らないが、その質はあまりにも違い過ぎる。ジルフードのは何か淀んだものがあるのだ。


 樹楊とクルスのそんな思いを余所に、メンバーは宰相を前に身を固くしていた。宰相とは王族を抜かせばこの国で一番権力を持つ者。実際の所はラクーンが全てを握っているのだが、肩書き上はそうなる。


「新部隊結成おめでとう、ミゼリア隊長」

「恐縮です。私はまだまだ若輩者ではありますが、この命を盾にしてでもスクライドに栄功をもたらす所存でございます」


 この中で一番礼儀正しく軍人気質であるミゼリアらしい言葉だ。自分に頭を下げる者を可愛いとするジルフードにとってはこの上なく良い気分だろう。自慢の髭を一撫でしたジルフードは全員の顔を見渡すと偉そうに頷き、気取った仕草でコーヒーを飲む。そのカップに雑巾のしぼり汁が入っている事を強く願う樹楊だが、そんなわけはないだろう。いくら年配のっジルフードであれ、コーヒーの味くらいは解るはずだ。

 「美味い」と漏らすジルフードに、心の中で舌打ちした樹楊はさっさと家に帰りたい思いから、この場に呼ばれた意味を問う。するとジルフードは。


「いやいや、意味などないのだ。なに、この国を背負う者達に激励をと思ってな。それに顔をよく見ておきたい」


 何も用がないなら呼ぶなよ、とは樹楊を含めた数名の思いだろう。少しばかり顔が引き攣っている者もいた。それからというもの、要領を得ない話ばかりを長々とされ、挙句の果てにはコーヒーすらも出ないという軽い拷問に樹楊はギブアップ寸前。クルスに到っては立ったまま眠りこけていた。その目がサングラスで隠れているお陰か、誰も気付いてはいない。


 ジルフードが延々と続く話に区切りをつけたのは夕暮れ時であり、実に六時間にも及ぶものだった。ミゼリア以外はへろへろで喉も干上がった地面の如く。クルスは今になって目が覚めたようで大きな欠伸をすると部屋をぞろぞろと出ていくメンバーの背を見送る。その最後、樹楊が出る時だった。


「あー、樹楊くん」


 言い忘れたかのように呼ぶジルフードに、樹楊は浮かび上がる青筋を堪えながら表情を消して振り返る。ジルフードの瞳は何やら秘め事を含んでいる。それに気付いたクルスは樹楊の肩を叩くと部屋を後にし、礼もなく扉を閉める。


「何でしょう?」


 長話は勘弁してくれよ、と切に願う。

 しかしそれは杞憂。ジルフードが訪ねたかったのはそんな事ではないようだ。


「キミは確か故郷の権利を買おうとしているんだったな?」

「そうですが……それが何か?」

「いやいや、立派なものだと思ってね。どうだ、目処は付いたのか?」


 何を今更訊いてくるのか。隠していたわけではないが溜め息が出てきそうだ。ジルフードは両手を組んで口元を隠すと答えを待つ視線を送ってくる。ただの二等兵であればスルー出来たものを、地位とはこんなにも厄介なものなのか。ミゼリアの顔もあるし答えなければならない。


「早ければ二期の中頃、遅くても四期の頭には」

「そうかそうか、頑張っているな。今は砕羽の一員だ。俸給もぐんと上がるだろう。無駄遣いはしないようにな」


 お前は親か、と言いたいがジルフードも悪気があるわけではないのだろう。樹楊は形だけの礼をすると音も立てずに扉を閉める。そこには仲間達が――当然待っている事はなく、樹楊は不満と一緒に手を長衣のポケットに突っ込むと靴底を鳴らして場内を歩いた。この真っ白な長衣は、藍色をシンボルカラーとしたスクライド王国城内では浮く色であり、かなり目立つ。砕羽は一隊員でさえ通常の小隊長クラスの地位があり、樹楊が担う隊長補佐官は実質大隊長クラスだ。すれ違う兵達は今までとは違って深々と低頭してくる始末。つい最近までは冗談交じりの批判をしてきたくせに、見事な変わり映えだ。特に中隊長クラスのものから頭を下げられるのは気味が悪い。


 本当に地位とは厄介な飾りだと深く噛み締めながらも歩いていると、いつの間にか群青の絨毯が敷かれている通路に出てしまった。普段場内を歩く事はない樹楊は当たり前に道を一本間違っていたのだ。石畳の通路と違い、この絨毯の通りは主に権力者が通る道であり、ラクーンの一室もこの通りにある。


 うーん、と頭を掻いて引き返そうとした時、一区画向こうにあるラクーンの一室の扉が開く。捕まったら長話をされるのではと危惧した樹楊は身を潜めるが、その部屋から出てきた者に眉根を寄せて考え込む。


 出てきたのはアギの隊に所属する、二等兵である泣き虫ネルト。

 自分は例外だとして、何故ネルトがラクーンの部屋から出てくるのかが解らない。あの部屋はラクーンが招かない限り、大隊長クラス以下は入室できないはずだ。それなのにネルトは出てきた。顔には笑みが張り付いている。


 ネルトはラクーンの扉を閉めると意気揚々と腕を振って歩いてくる。壁に隠れている樹楊の存在になど気付かずに。ネルトの弾む鼻歌が盛り上がりどころに差し掛かった時、丁度樹楊が隠れている壁を通り過ぎようとしていた。壁を背にして腕を組んでいる樹楊は全然気付いていないネルトに、声を掛ける事に。


「フンフン、フーンフフーンっ」

「絶好調だな、お前は」

「ンフンッホォアアアアア!」


 ネルトは驚愕を身体全体で表現すると腰を抜かしてペタンと座り込む。目にはお決まりの涙が身を潜めていて、口はあわわわわわわわ。人に言えた事ではないが、こんな奴が兵士をやっていてスクライドは大丈夫なのかと思う樹楊。間違いなく今年一番のドッキリを喰らったネルトだが、見下ろす者が樹楊だと解ると綺麗な姿勢で立ち上がって握手をする。


「キヨウさんお久しぶりですっ。どうも、僕です!」

「どうも僕ですって、お前な」

「ああ! すみませんっ。覚えていますか、アギ隊長の僕ですっ」


 だからお前、と言い掛けてどうでも良さそうに頬を掻く樹楊。どうやらネルトはまだ混乱中らしい。アギ隊長の僕です、とすぐに理解出来る者など限られているだろう。しかしネルトは樹楊の思いなどそっちのけで目を輝かせている。


「そんなに見られても何もないぞ、俺は」

「いえいえ、異例の大昇格をされた樹楊さんに握手を求められただけで僕は感激ですっ」


 樹楊は自分から握手を求めてはいない。勝手に握られたのだ。

 気分は害さないものの、どうもこういう人種は苦手だ。他の者のように悪口を叩いてくる方がまだ馴染む。ネルトはいつからか、樹楊を見ると遊び盛りの仔犬のような目をするようになった。こんなに懐かれる理由が解らない樹楊としては少々厄介な存在である。そんな事よりも、だ。


「お前、何でラクーンの部屋から出てきたんだ?」

「っその、えと。何て言いますか。ホラ、そのーあのーっ」


 誤魔化すのが下手な奴だ。ここは急な入り用とでも言えばいいものを。しかし必死になって取り繕うとしている姿は、何と言うか……苛めたくなってしまう。そこで樹楊はネルトに疑っている事を訊く。


「お前、本名は?」

「ネルト・ウエルリーです」

「そうじゃなくてだ。俺が訊いてんのは本名っ。それは偽名だろ」


 ストレートに言ってやると、ネルトの顔は面白いように青ざめていった。

 やはり偽名だったか、と樹楊は納得する。以前にサルギナからネルトが何かを隠している事を仄めかされた時、思い当たる節がいくつかあったのを思いだしたのだ。

 礼を重んじる兵とはいえ、ネルトのそれは綺麗過ぎるものがあった。品があり、それを卒なくこなす姿は何処かの上流階級を思わせるものがあった。しかし生まれは平凡な両親の元だと言う。しかし先程の立ち上がり方一つでも、その染み付いた品が解る。


「えと、その。僕は、あのっ」

「お前は何者なんだ? 俺の推測ではラクーンもお前の正体を知っているようだけど?」


 すると更に青ざめていくネルト。心なしかふらふらしているようにも見える。嘘の吐き方は子供以下のネルトは目に薄っすらと涙を浮かべて、しかし目線を下げて言い訳を探してもいる。樹楊は「言い訳くらいよういしとけよ」と軽く思いながら、核心に迫る事を思いついてしまった。解ってしまったのかもしれない。


「ネルト、まさかお前……」


 樹楊の刺すような視線に身を固めたネルトは生唾を呑み込むと後退りしようとする。しかし逃げられるわけもなく、ただひたすら樹楊の言葉を待った。樹楊は左手をネルトの震える肩に置くと、


「んなああああああっ、ちょー、ちょちょちょ、何するんですかぁ!」


 ネルトの股間を鷲掴みにする。驚くのにワンテンポ遅れたネルトだが、樹楊の手を払うと股間を両手で隠して内股になり、壁際にまで退避する。樹楊は男の勲章の感触を得られた右手をわきわきさせると、ふむ。と頷いた。


「いや、まさかお前が女だというオチを期待してだな」

「だからって、いやいや、それより何より僕が女だったらどうするつもりだったんですか!」


「そりゃお前ラッキーだとしか――」

 そこまで言って弾かれたように振り返る樹楊。左右から上下まで忙しく見渡して誰もいない事に深い安堵を感じる。一瞬で顎先にまで伝った冷や汗を手の甲で拭い、勝ち誇ったように鼻で笑ってみた。


「あの、キヨウさん。どうかされたんですか?」

「ああ。何かこの手の状況になると決まって鉄拳が飛んでくるような気ぃしてな」


 その頃自室にいた赤い髪の少女はくしゃみをして上下左右を激しく見渡す。銀髪で褐色の肌の側近に「どうしましたか?」と尋ねられると、額に青筋を浮かべ「何か腹が立つ」


 異質ではあるが以心伝心を終えた樹楊に、ネルトは困り果てていた。どうしようか、何を言おうかと悩んでいるようだ。樹楊としても問い質したいのだが、そこまでは意地悪にはなれない。ネルトの頭に手を置いて髪をくしゃくしゃしてやり、上を向かせる。


「ま、何でもいいけどよ」

「キヨウさん……」

「お前が間諜って事はないだろうし、喋りたくなければそれでいい」


 特に用事があるわけではないが忙しい素振りを見せながら、じゃあなと片手を挙げて去っていく樹楊にネルトは深々と低頭する。そして真っ白な長衣が良く似合っているその広い背中を何時までも輝いた瞳で見送っていた。



 ◆



 三日月の月明かりが儚くも美しい深夜。

 スクライドとの境界線でもあるソリュートゲニア大河の畔に蓮は居た。膝を抱えてちんまりと座り、スクライド王国がある方角の空をじっと見続けている。時には優しい瞬きをし、風になびく髪を手で押さえたりしながら。


 クルードに来てからどのくらい経つのだろうかなど、日々を無価値に過ごしている蓮にとって、過ぎゆく歳月など関係なかった。ただ樹楊と会えるその日が来るまで、冬眠している生物のようにじっと待つだけ。それだけでいい。今度会ったらまた頭を撫でてくれる。名前を呼んでくれる。あの瞳に自分を映してくれる。それだけが待ち遠しい。


 ふと白鳳での夜を思い出し、右目を覆う、蓮の花の刺繍が綺麗な紫の布を指でなぞってみた。サラサラしていて肌触りも良く、何より柔らかい思い出がある。バイクの後ろに乗った時、あの頼りない背中が広くて愛おしかった。あのままどこまでも行けたらどんなに幸せだったのだろう。クルードではおやつをくれる人がいて食べ物には困らないが、肝心の安らぎがない。


「……きょーくん」


 込み上げてくるモノが堪えきれず、思わず口にしたその時。

 背後、すぐ傍で砂利を踏む音がした。


 蓮は振り返る事無く横に大きく跳び、猫のように身体を捻りながら着地する。それと同時に時空から打ち刀を引き抜くと軸足で地を蹴り、ゼロの気配を持つその者目掛けて高速のすれ違いざまに袈裟切りに刀を振り抜いた。


 声なんか出させない。

 その者に悪気があろうとなかろうと、気配を殺してまで自分の背後に立つ者は切り捨てる。そのつもりだった。


 しかし蓮は違和感に気付いて自分の手を見ると、瞳に謎を浮かべた。

 ないのだ、刀が。

 確かに時空から引き抜いて斬りつけたはずなのに、しっかりと握っていたはずなのに。その刀が跡形もなく消えている。


「おいおい、いきなり殺そうとは危ねぇ奴だなお前。ったく、この大陸のモンは喧嘩っ早いのな」

 

 勘弁してくれよ、と重い溜め息を吐くのは闇と同化したかのような色のローブを羽織った者だった。長身でありながらスタイルのいい身体つき。低い声は少しばかりハスキーで色気もある。しかし振り向いた蓮が見上げたその先にある瞳は、孤高の狼を思わせる灰色で慈愛からは程遠かった。そして手には振り抜いたはずの刀が握られている。刃の中央を握り、しかし切り傷などない。


 この男、瞬きも許されぬほどのスピードの中でいとも簡単に蓮の刀を奪ったのだ。赤ん坊から玩具を取り上げるように、それは至極簡単な作業。しかし蓮相手にそんな芸当が出来るものなどこの大陸に存在するのだろうか。赤麗の紅葉でさえ、蓮の一撃には神経を集中させる事でやっと避けれる程度だというのに。フードを払い、煌びやかな銀髪を見せてくる男は蓮から奪った剣を拾った落し物を返すかのように手渡そうとする。しかしそれを快く受け取れるはずもない。馬鹿にされているのと同じなのだ。


 お前は相手にするほどのものでもない。

 無言だが、そう言われているようなものだ。


 蓮はまたしても距離を取ろうと低空でバックステップ。だが男は既に背後へと回り込んでいて、跳んできた蓮の背中にそっと両手を添えてその小さな身体を受け止める。それでも蓮は振り返りざまに時空から引き抜いた細身の剣で横薙ぎにするが、またしても男の姿が消えていた。まるで蜃気楼を相手にしているかのよう。


 最早驚愕以外に感じる事が出来ない蓮の頭の上に、背後から手を置く男は呼吸一つ乱していない。蓮はその心情を表すかのようにぎこちなく振り向く。


「ア、アナタ……いったい」

「そんなに壁作んなよ。俺の心は硝子細工なんだ」

 

 ぽんぽんと頭を叩いてくるこの男は何処までもふざけている。触れられたくないのに、実力差がその思いすら消してしまう。蓮は正直に悔しかった。目頭が熱くなるほど、悔し涙が出そうなほど悔しくて怒りのあまりに身体が小刻みに震える。ぎりっと歯を食い縛り、もう一度剣を振るう決意を胸にした時、闇の向こうから最近よく聞いている声が届いてくる。


「蓮さま、どうされました?」


 暗い灰色の長衣を纏う男はラファエロであり、短い金髪を撫でながら柔らかい足運びで近付いてくる。しかし銀髪の男を見た途端その目を凶暴に眇め、懐から短剣を取り出した。


「アナタはどなたでしょう? 蓮さまの知り合いではなさそうですが」


 男は乱暴に頭を掻くと溜め息を吐き捨て、

「ホントによ、どうなってんだこの大陸のモンは。いい加減に頭ァくんだよ」


 まるで別大陸から来たような口ぶりだが、蓮はその言葉すら気に掛ける事が出来ず、爆風に巻き込まれたように横跳びをして距離を取る。そしてドリルのように身体を回転させながら着地し、その勢いを殺すべく両手さえも地に着けてブレーキとした。頬には冷や汗。目には恐怖。そしてラファエロも同様、男から充分な距離を取っている。


 犬歯を僅かに覗かせて苛立ちを口にされた瞬間、その男から滲んできた殺意が地獄から召喚された魔性の炎のように感じた。生の権利など与えてくれず、心臓に剣を突き付けられたような恐ろしさがこの男にはある。冗談じゃない。こんなにハッキリと実力差を明確にされてなるものか。


 負けず嫌いな蓮だが、それでも足が思い通りに動かない。地に縛り付けられたように何かで押さえつけられているようだ。相手は武器すら持たぬ丸腰の男。しかし背に漆黒の翼をもつ悪魔のようでもある。


 そう。

 この男には悪魔という言葉が酷く合っている。


 ただ機嫌を悪くしただけの男一人に動けずにいると、またしても闇を挟んで声が聞こえる。今度はオルカのようで、銀髪の男の存在に気付いてはいるようだ。


「また三人かよ」男は舌打ちをし「ま、この間のよりは楽しめそうだけどよ」

 蓮、オルカ、ラファエロという指折りの強者を前にして『楽しめそう』と吐く男。しかも丸腰だというのに、その余裕は何なのだろうか。


 その答えすら見付けられずにいた蓮は動けずにいたが、オルカとラファエロは違ったらしい。挑発とも言える男の態度に憤怒したのか、二人とも武器を片手に襲い掛かっていた。オルカは左、ラファエロは右といった挟み打ちで仕掛けると男もそれに対処すべく動きを見せる。しかしその途端、オルカとラファエロは残影すら残さずに姿を消すと、場所を入れ替える。右低空からラファエロ、左上空からオルカという意思が疎通し合った連携だ。


 しかしその男。

 二人の斬撃を、信じられない事に手の甲で防御する。ジジ、っという電子が乱れた音を立てて傷一つ付けずにガードした男の手の甲には薄っすらと紫色の膜が張っている。そして不敵に口端を持ち上げて犬歯を見せると独楽のように回転し、オルカとラファエロをほぼ同時に蹴り飛ばした。


「っく、アレは何っ」着地するオルカが腹を押さえて叫ぶ。

「っつつ。恐らく対物理結界の類の魔術を身に纏っているのかと」ラファエロは首を押さえている。


 誰にも見えなかった。

 男が繰り出した攻撃など、少なくとも蓮には見えなかった。抑えている箇所を見た事でようやく解ったのだ。それほどに速くて、重い。

 

 ラファエロの推測に関心する男は、しかし追撃をしようとはしない。片手を腰に当ててだらしない自然体で突っ立っているだけだ。もしラファエロの推測通りであれば、物理での攻撃は意味を持たなくなる。男が纏う結界を壊せるだけの威力があればあるいは。しかしこの男の実力はまだ穂先程度なのだろう。そうなれば剣などでの攻撃に期待を持つ事は出来なかった。


 だがラファエロという男は魔術の天才とも言われる男であり、オルカの魔術も高レベルだ。二人はアイコンタクトで瞬時に作戦を変えると、それぞれ胸の前で両手を合わせ、その形を複雑に組み替える。


「いくよ」

「はい、オルカさま」


 いち早く印を組み終えたラファエロ「攻性結界・業火の魔塵」

 すると男を包む半球体が現れ、その中に白い粉塵がきらきらと輝きながら揺れている。


 そしてオルカ「華炎豪弾っ」

 両手で三角形の空間を作るとその中に燈色の小さな魔法陣が現れ、そこから色鮮かな岩石のような火の玉が放出される。そのビックサイズの火球がラファエロが生み出した結界の中に入ると、きらきらと舞っていた粉塵に引火。


「融合魔法・豪炎爆塵!」


 二人の言葉が合わせられて発せられると共に半球体の中で地を揺るがすほどの大爆発が起こり、その威力は結界を突き破って火柱となるほどだった。一緒に吹き飛ばされた地面は跡形もなく消し飛び、火柱は蓮達の姿を鮮明に照らす。


 大火災の時に生まれるような分厚い煙を見たオルカは尻餅を着くと大きく息を吐いて天を仰ぐ。融合魔法は一瞬たりとも気を緩める事が出来ず、困難を極める。遠く離れた針の穴に糸を通す精密さと、通常の何倍もの魔力を使う。天才と言われたラファエロでさえも疲労感を顔に浮かべていた。


「……やったの?」


 疑問を全面に押し出して訊く蓮に、オルカは苦笑して頷く。そのオルカに手を差し伸べるラファエロも肯定するような笑みをくれた。


「私とオルカさまの融合魔法をまともに浴びたのです。あの融合魔法は数多くある中でも強力でして、姿形を残した者など皆無ですからね」


 確かにあの魔法は強力だ。今まで見た中でも群を抜いている。そもそも魔法を融合させられる事を初めて知った。融合とは単に魔法を合わせるだけではないようだ。威力を何倍にも増幅させる、正に究極だろう。しかし、出来る事なら自分の手で終わらせたかった蓮は不満げに煙を見つめる。地は深く抉られていて、まるで噴火口のようでもある。


「さ、帰ろう。疲れちゃったよ、ボク」

「そうですね。お腹も空きましたし」


 スッキリしたのだろうか、何事もなかったように城へと帰って行くオルカ達に蓮はまだここに居るとだけ告げた。特に用事はないが、まだ身体が震えているのだ。それは恐怖と高揚が混じり合う、奇妙な感覚だ。どうすれば収まるのか解らない。だからここに居るのだ。この感情が収まるまで。もしこのまま城へと帰り、気に喰わない事があれば迷わずに剣を抜くだろう。それだけはやっちゃいけない、と少しばかり成長をした蓮。また川の畔に座ると、しかし今度は流れる水面をじっと見つめていた。


 何も出来なかった自分というのは、どうしようもなく滑稽で情けない。今のままで樹楊を護り続ける事が出来るのだろうか、と喪失しかけた自信を何とか胸に留めている。今までは結構強い方だと自負していただけに、あの銀髪の男との出逢いで大きなショックを受けた。何とか討つ事が出来たのだけれど、それに自分は加担していない。ただ部外者のように見つめていただけだ。


 蓮は重い溜め息を、薄く明けた唇の間から逃がしてやると立ち上がった。そしてまたスクライド王国の方角の空を見る。こんな時にも、こんな時だからこそ傍にいて欲しい。蓮は強いよ、と慰めてほしい。何も言わなくても、せめて傍にいてくれれば。だけど今はそれすらも……。


「……おなか空いた」

 窮屈そうに鳴く腹の虫に餌をやらねば、と振り返ると――そこには。


「やけに落ち込んでいるみてぇだな」

「あ、ああ……。うそ、なんで」


 銀髪の男がポケットに手を突っ込んで立っていた。気配がない事に今更驚かない。蓮が瞳を虚ろに揺らしながら後退りをして川の中に尻餅を着いたのは、その男に傷一つないという事実があったから。何とも涼しい顔をしている。


 化け物、悪魔。

 蓮は己の自信を跡形もなく砕かれた。残るものは恐怖、それのみ。

 ガタガタと震える蓮の心を間違って解釈した男が発した答えは、更に蓮を恐怖の底へと引き摺りこむ。


「あのくらいの魔法ならローブを盾にすれば充分なんだよ、俺は」


 あれくらい?

 ローブを盾に?


 見れば男が纏っていたローブが無くなっている。革製のライダースジャケットを着ていて、全身黒で固めている男は本当にローブだけで、あの薄っぺらなローブだけであれほどの大爆発を防いだのか。傷付かずに、汚れずに、動じる事無く。


 銀髪の男は震える蓮に首を傾げるが、優しくも手を差し伸ばす。しかし蓮にとってはその手が死へと誘う手に見えて、強く払うとばしゃばしゃと川の奥へと逃げていく。足がもつれて転んでびしょ濡れになろうと、兎に角遠くへ。この男の手が届かぬ所へと必死だった。しかしその覚束ない足取りでは遠くには行けず、また転倒して全身を川へと沈める。大きく開けていた口から入る水は暴力的で、起き上がった蓮は盛大に咽た。


「おいおい、大丈夫か?」

「んうっ……」


 驚愕に振り返れば、そこにはやはり銀髪の男。

 蓮は首を左右に弱々しく振り、後退る。川は蓮の腰まで呑みこみ、それでも流れ続けている。


「そんなに怯えんなって。何も」

「やだぁあああああっ」


 差し伸べられた手をまたしても強く叩いた蓮はカッと、覚醒するように目を見開く。すると、川の中から剣の柄が重々しく突き出てきた。しかし、それを柄と呼べるのだろうか。蓮が両手を目一杯回しても指先を触れ合わせる事が出来ないほどのソレを、柄と呼ぶにはあまりにも太すぎる。しかし蓮はその柄に手を添えると、引き抜く動作に入った。が、その手を銀髪の男が阻止。その力は優しく、包み込むように。


 それさえも許されないのか、と絶望に駆られて見上げる蓮の瞳に映るのは力強い、しかし敵意など無い灰色の瞳だった。そして視線を交錯させると、男は目を伏せて首を振る。


「こいつは抜いちゃ駄目だ」

「ん……うぅ」

「こいつは護る剣だ、闇雲に使おうとするな。こいつの持ち主なら解るだろ?」


 解っている。

 この剣は自分の力を根こそぎ奪う剣だ。自分が持つ切り札の中でもリスクが高いカードなのだ。当然、それくらい解っている。しかし、何故この男がそれを知っているのだろうか。不安と恐怖に満たされている蓮は小動物のように震えて縮こまっている。握った片手を胸に添え、剣に当てている手に添えられた男の手を見ていた。


 もう何も出来ずにいる蓮は死を覚悟した。しかしそれは間違いである事が、男の瞳から知らされる。この眼は見た事がある。樹楊のそれと同じ、優しい眼だ。自分を認めてくれる、許してくれる。そんな眼をこの男も……。


 銀髪の男は蓮の震えが収まるとにっこり笑い、ぽんぽんと頭を叩く。心配するな、敵じゃないと言っているようだ。事実、蓮をお姫様のように抱き上げた男は川から出ると頭を優しく撫でてくれた。そしてそれ以上何も言わずに立ち去ろうとする。


「名前……」


 蓮が蚊の鳴くような声で呟くと、男は振り返り、

「マナト。黒咲マナトだ。お前は?」

「……蓮」

「そっか。じゃ、またな蓮」


 気分がいいのか、異国の言語で口ずさむマナトの歌はどこまでも優しさで満ちていた。蓮はその背中を見つめ、余計に樹楊を愛おしく感じる。早く会いたい。今すぐにでも会いたい。もう待てない、切に思う蓮は座り込むと寒さに身を抱えながら俯く。



 ◆



 蓮達と黒崎マナトが衝突し始めた、同時刻。

 スクライド城内にある訓練施設へと、珍しくも足を運ぶ紅葉がいた。


 ここは何番訓練場だったか、とどうでもいい疑問を胸に入ると森を想定とした風景が広大に広がっている。人工である為に野生の生物などいないが、それでもありのままの自然を演出しているこの施設に「お金を掛けるところを間違っているのでは?」と、今更になってスクライドのあり方に疑問を持ってしまう。室内照明まで完備されていて、今は夜中だと言うのにも関わらずまるで昼間のような明るさ。しかもこの明るさは調節出来て、夜を想定とした訓練も可能となっている。と、奥へと歩き続ける中思った事がある。


 自分が入室した時から証明が点けられていたのだ。

 ただぼけっと歩いていただけで気付くのは遅くなったのだが、未使用時は消灯されているこの部屋の照明が点いている。と言う事は先客がいるという事だ。

 紅葉は鼻を鳴らして踵を返す。スクライドに馴染んできたとは言え、慣れ合うつもりなど毛頭ないのだ。雇用契約もあと半年弱だ。センチメンタルになるわけではいが、どことなく寂しい気もする。居心地が悪いわけではないから。


 そんな事を思っていると、聞き覚えのある声が背を叩いてきた。しかし首だけを動かして背後に視線をやると、そこには汗だくのミゼリアが。綺麗な金色の髪を後ろで縛って首に掛けたタオルで汗を拭う仕草は、頼もしい印象を心に刻んでくる。


「紅葉さん、もしかして訓練に来たのですか?」

「うん、まあね。でもいいわ。訓練施設は他にもあるようだし、適当に使うから。何もここにこだわりを持っているわけでもないしね」


 お決まりの気兼ねない態度を取る紅葉だが、当然ミゼリアの方が年上である。しかしミゼリアの器はそこまで狭くない。すみません、と微笑みながら謝ると、しかし何かを考え込むように二本の指で口元を覆った。そして大して考えもせずに視線を上げてきたミゼリアは、真剣な面持ちで口を開く。


「よろしければ、手合わせを願いたいのですが。勿論、私などでは紅葉さんの訓練に役立てませんし、失礼な事だと重々承知の上です」


 本当に軍人気質で堅苦しい言葉遣いだ。

 そこはフランクに「暇なら手合わせしましょーっ」と言われたところで怒る気もないのだが。まあ、ミゼリアにとってはフランクになる方が難しいのだろう。


 紅葉は目的があって訓練をしに来たわけでもなく、深々と低頭する相手の言葉を放り投げるほど意地が悪いわけでもない。もし相手がサルギナやそこら辺の者であれば「や」の一言でバッサリと切り捨てるが、相手はミゼリアだ。


 長くもない中途半端な鞘の中から紅威を抜く紅葉。刀身は斬馬刀の如く長く、紅い水晶のよう。その刀で虚空を十字に切ると、横薙ぎのままの恰好で紅葉は瞳に力を込めた。するとミゼリアは礼を一言だけ述べ、自身の剣を静かにゆっくりと抜く。そして肩の高さまで上げた剣を地と平行になるように倒し、その切っ先を紅葉に向ける。紅葉は構えなど持たず、自然体。この刀、紅威と同様で無形なのだ。


 二人の間に静寂が生まれるや否や、紅葉は真正面から突っ込む。その速さをミゼリアの瞳は捉えていたのだが、身体が反応しきれていない。鼻先が触れ合うほどまでの至近距離に接近した紅葉だが、身体を回転させると背中を見せたままミゼリアの左方に足を置く。そしてまた回転。紅葉は一瞬でミゼリアの背後を取った。その擦り足の後は地面に残り、紅葉の足運びがハッキリと解る。


「目で追いすぎよ」


 教授するような言葉だが、既に刀を振り抜く動作に入っている。ミゼリアは振り返りながら攻撃を受け止め、その剣の上を滑らせるように紅葉の刀を流すが、紅葉はその勢いを借りるようにバックブローをミゼリアに見舞った。何とか折り曲げた腕でガードしたミゼリアだが、暴風に巻き込まれたゴミのように吹っ飛び、しかしその中でも態勢を整えて大木の幹を着地点とする。そして一瞬遅れで無数の木の葉が弾かれるように飛んで行く。


 着地した瞬間に屈伸させた両足で力強く跳ねたミゼリアは全体重を乗せた刺突を繰り出すが、紅葉はその剣先を易々と弾く。そして後方回し蹴りでミゼリアを蹴り落とした。地に落ちたミゼリアだが、追撃の暇を与える事無く距離を取るとそこで膝を折る。腕を抑え、側頭部からは蹴られた時による傷で血が流れ始めている。


「言っちゃ悪いけど、ミゼリア。アナタの身体能力じゃ私の動きには着いてこれないよ。隙があるわけではないんだけど、ね」


 真紅の刀を肩に担ぐ紅葉はこれ以上の手合わせは無意味だと告げていた。実力差があり過ぎるし、訓練ごときで大怪我をするのは馬鹿らしい。紅葉はミゼリアが好きだ。だからこそ下手に怪我をさせたくはなかったのだ。しかし、ミゼリア。ゆらりと立ち上がると、またしても構えを見せる。


「赤麗の首領の力とは……この程度なのですか?」

「……何ですって?」


 紅葉の片眉が跳ねる。


「殺す気できてください」

「アンタね、私が――」

「でないと、私がアナタを殺します」


 最近の自分は穏やかになっていると思っていた。だが、殺すとまで言われて優しくする気にもなれない。怒りがふつふつと沸き上がってくる紅葉だったが、それ以上にミゼリアの気負いが気になっていた。まるで自分を追い込むような瞳を向けてきている。極限状態にまで陥る事を望んでいるのだろうか。覚悟にも似た殺気をも感じる。目の前のミゼリアは一人の戦士だった。紅葉は溜め息を吐くと、すうっと目を尖らせる。ここからは――本気で。殺す気で。


 次の瞬間にはミゼリアの頭が弾かれるように後ろへと曲がっていた。ふわり、と浮く片足を掴んだ紅葉は力任せに放り投げる。ミゼリアの身体は大木に衝突する事で止まったが、更なる追撃、紅葉の刺突が襲い掛かっていた。それをミゼリアは何とか避けると、刀の半分以上が大木に突き刺さる。しかし紅葉。身体の回転を使い、その刀を引き抜く事無く、大木を切り裂きながらミゼリア目掛けて横へと薙いだ。それにはミゼリアも驚愕し、頬に切り傷が出来る。


 それから三合、四合と打ち合うがこれは最早訓練とは言えなかった。一方的な暴力としか言えない。ミゼリアは反撃する事すら出来ずに防戦一方なのだが、紅葉相手ではそれすらもままならない。死に直結する一撃は防いでいるが、それ以外の打撃などはどうしても防ぎきれていない。ミゼリアは今まで兵士としか戦った事がないのだ。剣や槍の防御なら得意だが、紅葉のように打撃をも華麗にこなす相手とは戦った事がなく、それを予測すら出来ていない。身体能力に雲泥の差がある以上、予測で闘うしかないのだが、ミゼリアの対体術に関する経験はゼロと言ってもいい。ゼロの経験では予測も立てられない、という事だ。


 疲労困憊、満身創痍のミゼリアは肩を大きく上下させて荒い呼吸をしているが紅葉は訓練の中止を口にはしない。ミゼリアが望んだ事なのだ。それにミゼリアの闘志が消えない瞳も、そう言っている。止めるな、と。それほどの覚悟を見せられたら退けない。紅葉はこの一撃で仕留めるべく、刺突の構えを取る。腰を深く落とし、鷹のように獲物を見据えた。対するミゼリアは防御の構えを取る。鼻血を出していて何とも間抜けだが、その闘う顔は美しくもあった。


 これで――終わらせる。

 紅葉の刺突は風の音すらをも破壊して目標のミゼリアの額へと迫った。紛れもなく、最速の攻撃を繰り出す事が出来た。しかしミゼリアはこの一撃を優しく流し、反撃してくる。袈裟切りの軌道。それが紅葉には見え、瞬時に身を捻る。すると一瞬遅れでミゼリアの刀は袈裟切りに落ちていく。


 まさかあの一撃で仕留め損ねるとは思っていなかった。刺突は紅葉の得意とする攻撃であり、構えから発動させるそれは蓮すらも目で追うのがやっとの、そういうレベルなのだ。その一撃を、紅威を手にした自分の最高の一撃をミゼリアは防いだのだ。当然悔しさを感じるが、こうも思う。ミゼリアはどれほどの訓練を積み重ねてきたのだろうか、と。あの優しい流し方は、何千何万……いやそれ以上の、数えるのも嫌になるほどの数、それくらい剣を振ってきたのだろう。一日の大半を訓練に注ぎ、自分を痛めつけてきたのだろう。恋だのなんだのに現をぬかす事無く、ただひたすら、ずっと。


 そんな事を思いながらも紅葉は攻撃を繰り広げていた。勿論ミゼリアが苦手とする打撃をも織り交ぜている。しかしミゼリアは何度も立ち上がり、そしてその瞳は決して負けを認めていない。そんな決死たる姿を見せられては紅葉も引けなかった。引く事が、ミゼリアを侮辱する事に繋がるとさえ思った。だから何度でも剣を振るう、拳を蹴りを見舞う。そうしている内に、ミゼリアの何かが変わってきた事に気付く紅葉。


 何が変わった、とハッキリ明言出来ないが何かが変わったのだ。防御の構えも変わらず、瞳の力も変わらない。こちらが圧倒的に優勢だというのに勝っている気がしないのは何故だろうか。上段からの打ち下ろし、横薙ぎ、切り上げ、切り下げ、袈裟切り……幾多の斬撃をミゼリアは防御する。しかしその防御が、防がれる度に紅葉の背筋に悪寒が走り抜ける。ぞわぞわと得体の知れない虫が這うような、気味悪い感覚。それでも紅葉は斬撃を雨霰と見舞った。そして一撃を辛くも防いだミゼリアがバランスを僅かに崩した時、勝機が見えた。


 紅葉がその一瞬を見逃す事はない。

 コンパクトに腰を回転させて刺突の攻撃動作に入る、が。

 剣を盾としているミゼリアの瞳が、髪に隠れていた瞳が怪しく輝く。それはあまりにも攻撃的な瞳だった。血だらけで立っているのがやっとのクセに、その瞳は猛々しい輝きを見せている。それでも紅葉は刺突に――。


 ドクン、と紅葉の心臓が一際大きな鼓動を打つ。

 本能が告げている。剣を引け、と。


 ミゼリアの防御はただの防御ではない。これは間違いなく攻撃的な防御だ。ミゼリアは何かを狙っている。悪寒は完全に身を包み、軽い恐怖さえも感じる。圧倒的に優勢だというのに、力の差があるというのに。このままではミゼリアに負ける。そう感じた時には既に刺突を繰り広げていた。不味い、止まれ!

 しかし反射的に繰り広げた攻撃は止まらず、ミゼリアに迫っていく。すると、ミゼリアの剣に何か、目に見えない何かが纏い始める。


 紅葉は自分の刀の切っ先が触れぬよう、何とか軌道を上へと変えると刺突の勢いを殺さぬまま膝蹴りをミゼリアの鳩尾に突き刺す。虚を衝かれたミゼリアは声もなく前のめりに倒れ、遂には剣をも手放して気絶した。紅葉はその倒れている姿を見て、冷や汗を拭う。その手は、今も恐怖に震えていた。



 そして二時間が過ぎ、手当して寝かせていたミゼリアが目を覚ました。紅葉はその横に座っていて水を飲んでいる。ミゼリアはぼーっとしていたが、紅葉の姿を見ている内に何かを思い出したのだろう。ばっと起き上がり、しかし痛む身体を抱えて顔を歪めた。


「まだ寝てなさいよ。私の攻撃喰らったんだから」

「そう、ですね」


 悲しそうに目を伏せたミゼリアは、紅葉から手渡された水を一口だけ飲むと寝そべり、天井を見上げる。呼吸するのも痛むのか、時折苦しそうに胸を押さえもしていた。そんなミゼリアに、紅葉は訊きたい事があった。


「ね、最後のアレ……魔法でしょ?」

 少しばかり口を閉ざしていたミゼリアだったが、笑みを含むと困ったように両目を手で覆う。


「気付かれたようですね……。確かにあれは魔法です。と、言っても攻撃に使えるほどの威力もありませんし、未だ未完成です」


 一番最後、何をしたかったのかは解らないが、ミゼリアの剣には確かに魔法が掛けられていた。そして防御に何かを見出していた。それが恐怖を感じさせたのだ。あのまま刺突を繰り出していたら、負けていたのは自分かもしれない。ミゼリアはゆっくり立ち上がると、訓練の礼を告げて施設を出ていこうとする。


「ね、ミゼリア」

「何でしょう?」


 振り返ってくる姿は弱々しくあったが、それでも凛としていて格好が良い。そんな姿を出来る者はこの世界にも少ないだろう。ミゼリアは何の為に闘うのか、剣を握るのか……。


「何でそこまで訓練に没頭するの?」

 

 人には限界ってものがある。それに突き当たると、そこから何をしても強くはなれない。器を満たせば、それは完成形なのだ。言いたくはないが、ミゼリアの器は満たされている。これ以上、どうにかなるものではないのだ。ミゼリアは恥ずかしそうに頭を掻くと、微笑む。


「私は雑草なんです。隣に野花が咲けば、私の存在は薄れゆく。それが私なんです。ですがそれでも構いません。私は雑草の中でも一番綺麗な雑草になりたいんです」


「……何の為に?」

「護るものがあります」


 その瞳に映っているのは誰なのだろうか。いや、訊かずとも解る。だけどそれをここで口にするのはあまりにも不粋だろう。紅葉はミゼリアが去った後も施設内にいた。しかし訓練をするわけでもなく、森の中に寝転がって腕を枕としていた。ミゼリアは自分を雑草だと言っていた。確かに今のミゼリアは何処にでもいる兵のそれと変わらない実力だ。しかし、その殻を破りそうな気もする。才覚に恵まれなかった女戦士とまで評されたミゼリア。しかし紅葉は、それは違うと思っている。ミゼリアは努力の天才でもあり……。


「剣に魔法……」


 剣に魔法を掛ける事は、理屈上では不可能に近いのだ。

 特殊三系統の銃・時・鉄は例外であり、それを由縁として特殊魔法とも言われている。しかしミゼリアが剣に纏ったのは間違いなく五系統魔法の風だ。それは異例。魔法は攻撃・防御・結界と他にも幾通りあるが、剣に魔法を留める例など聞いた事もない。確かに剣に纏わせた魔法は微弱かもしれない。しかし、あれは剣を交える者としては脅威だ。そう思わせる何かがある。そしてそれを生み出したミゼリアは天才としか言えない。剣に魔法を掛けるなど、前例は皆無。恐らく、彼女はその方法を自分自身で生み出したのだ。苦しい訓練を積み上げ、ようやく……。


 よっ、と跳ぶように身を起こす紅葉は心に決める。

 ミゼリアを雑草呼ばわりする者がいても構わない。だけど自分だけは違う。

 ミゼリアは天から才能を貰っているのだ。いや、それも違うか。

 あれを『天から授かった才能』と呼ぶのはあまりにも失礼だ。やはり彼女は雑草なのだろう。自らを雑草と卑下し、それでも努力を怠らない美しい草。そしてその努力は『天から才能を奪い取った』のだ。ミゼリアは花を咲かせるだろう。何時かは解らない。だけど綺麗な花を咲かせる時は必ず来る。


 彼女は天才だ。

 努力と、魔法の。


 最も本人は自覚していないだろうが。


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