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第……休章?

 自称記者のニーフィは手の平サイズのメモ帳を片手にスクライドの城下町を闊歩していた。二十二歳になった自分へのお祝いに買った万年筆を胸のポケットに差し、行き交う人々にくりくりした猫目を向けて勝手に頷いている。スレンダーでありながら大きめの胸を強調しているような白いシャツにローライズのホットパンツを履いている為、アーモンド型のヘソが露わになり異性の眼を充分に惹きつけていて、レンズの下部だけを支えるフレームが特徴のアンダーブロー型の眼鏡で太陽の光を反射させていた。淡い桃色の髪は花から抽出したカラーを入れて、お気に入りだ。


 今日、ニーフィがスクライド城下町に訪れたのは何も遊びに来たわけではない。記者としての仕事をしに来たのだ。……とは言っても、訳の解らない黒ずくめの男からある人物に自分なりのインタビューをして来いとの、イマイチよく解らない内容だ。本当は新たな街づくりを始めているダラス連邦の取材に行きたいのだが、新米の自分に回ってくるハズもなく、こうして個人で請け負う事でしか生活費も稼げないのが現状だ。ニーファの書く記事はいつも的外れで、社内ではお荷物扱いされている。もうすぐクビになるのではないか? とビクビクしているのは強気なニーファとしては誰にも言えない悩み事でもある。


 そんな事を考えていると必然と落ちてくる気分を変えるように首を振り、拳を力強く握り締めて標的を探す。依頼主に手渡されたメモに書かれている情報によると、彼は燈神人の血を濃く継ぐスクライド兵。階級は下っ端も下っ端の二等兵でまだまだ子供っ。戦では逃げ腰ナンバーワンのヘタレで訓練が嫌いな速突兵なの、いやっほーい!


 何だそりゃ……。


 こんな男にインタビューして何になるのか。

 自分にはこんな対象がお似合いなのか、と早くも徒労感に襲われながら取材対象の機楊に関するプロフィールの二枚目を見ると、ニーファは目を疑った。


 ダラスとの大戦の勝利に貢献したのは樹楊その人であり、彼の奇策があってこその勝利であると書かれている。しかも敵大将であるバリーを討ったのも樹楊であり、それも一騎打ちらしい。樹楊の写真を見ればまだまだ子供だ。体格もスマートであり、兵士には見えない。それでも裏プロフィールには、彼が裏に通ずる事が事細かに記載されているところを見ればまともな人間ではない事が解る。と、言うか掴み所のない雲のような少年だ。


 これは何か面白そうなネタがある。

 ニーファは、いつも的外れになる記者魂が疼いたのを確信すると猫目を爛々と輝かせた。そして左手を傘にして遠目で人々の中から標的を探してみるが、当たり前に見付からない。ここはやはり訊き込みが一番だ。ニーファは適当な人物に目星を付けて樹楊を訪ねた。


「樹楊さん? それなら城の方に向ってったよ」


 声を掛けた人が良かったのか、樹楊の足取りを掴むのは時間が掛かると思っていただけに幸先がいい感じがした。それでは早速城へと思ったのだが、ここは一先ず街での評判を聞いてみる事にしてみる。


「樹楊さんはどんな兵士ですか?」

「え? そりゃもう、いつもブラブラしていて人当たりが良くて。こんな事言っちゃ何だけど、兵士って感じじゃないのよね」


 何の変哲もない町娘に「兵士って感じじゃない」と言われる樹楊って一体……。それにいつもブラブラしているとはどういう事なのだろう。訓練が嫌いとの情報はあるが、まさか生粋のサボり魔なんじゃ……。

 ニーファはメモすべきかどうか迷ったが、取り敢えず記録した。それから城に向かう間に、何人かの人達に評判を聞いてみたがどれも同じようなものだった。しかも共通するのは人当たりがいい、との事。兵士とは厳格で一般人とは隔たりがあるものだと

しか知らないニーファにとっては新鮮な情報でもある。


 やはり面白くなってきたニーファは軽快に靴底を鳴らして着きました城門に。しかし門を護る屈強そうな兵士が二人、不審者を見るような目付きで睨んできている。鉄格子で出来た門の向こうに見えるのはスクライド城だが、ここを越えるのは難しそうだ。だがここで諦めては記者として失格だ。


「あのー、私ニーファと申しまして記者をやっている者ですが」

「記者?」


「はい。今日はとある方にインタビューをしに来たのですが、城内への通行許可を頂けませんか?」

「事前に許可を得ていなければ城内へは立ち入り禁止だ。許可はあるのか?」


 そんなものあるわけがない。

 仮に事前に許可を貰おうとしたとしても、記者とは疎まれる存在だ。あっさり断られるのがオチだ。門兵はニーファが事前の許可を得ていない事を見抜くと、手の仕草だけで追い払う。何だか凄く腹が立つ。口をへの字に曲げて目を尖らせると、門兵も威圧するような面構えを取ってきた。大した仕事もしてないくせにと思いながら無言の戦いを繰り広げていると、背後から政治の天才とまで言われた領政官の官長であるラクーンが饅頭をパクつきながら現れる。


「どうかしたのですか? 何やら険悪なムードですが」

「ラクーン様。この者、記者らしいのですが城内へ入れてくれとしつこいのです」

「ちょっと! 一度しか言ってないでしょ!」


 この門兵はやはり気に喰わない。睨みはしたが、しつこくはしていない。

 ラクーンは「おやおや」と他人事のように流すと、饅頭を咥えながらこちらを見てくる。法衣を纏っている所為で顔しか出ていないが、その中性的な顔立ちから妙な威圧感を感じる。何だか心の中を見るような瞳が冷たくて怖い。これは引き返すしかないのか。ニーファは冷や汗を流しながら半歩下がると、ラクーンは柔らかい笑みを向けてくれた。


「城内への通行を許可しますよ」

「え、うそ」

「ラクーン様っ、それでは軍規に違反します!」

 門兵はあせあせとしているがラクーンは楽観的に笑って誤魔化している。こちらとしてはラッキーなのだが、本当にいいのだろうか。いや遠慮していては記者はやっていけない。納得がいかない面持ちで門を開ける門兵に舌を出してやり場のないだろう怒りを買ってやる。


 城へと続く道は石畳で、夜でも安全なように左右にライトが等間隔で埋め込まれている。そしてその脇には綺麗に手入れをされた芝生が広大に広がっており、到る所に木々が植えられている。そして城の扉にはスクライドの紋章である奇怪な模様が彫られていた。鳥にも見えるが、これは蝶々だろうか。ニーファは首を傾げたが、どうでもいい事だったので無視して城内へと足を踏み入れた。地に着きそうなほど長い法衣を纏って歩くラクーンの後を、コツコツと聞き心地が良い足音を鳴らすニーファは初めて入る城内の雰囲気を楽しむように見渡す。


 弱国で資金繰りが厳しいと聞いていたのだが、城内の清掃はしっかりとしていて綺麗なものだと感心しながら歩いているとラクーンが振り向きもせずに訊いてくる。


「樹楊くんの事ですか?」

「え、あ……まあそんなところです」


 あまりにも唐突なタイミングだったのもだから歯切れの悪い返答しか出来ずにいたが、こちらの用件を見抜かれているのなら話は早い。


「それで、樹楊さんはどんな方ですか? 率直な感想をお願いします」

「うーん、そうですねぇ」


 ラクーンは饅頭を頬張る事を止めると足も止めて柔らかな表情をしながら振り向いてくる。少し困っているように見えるのだが、それは当然だろうか。このラクーンは自国の領政をペン一つでどうにでも出来るほどの権力を持っている人だ。国政は全てこの人が双肩に担っていると聞いている。雲の上のような人が一般の、しかも下級兵士の事など詳しく知ってはいないだろう。ニーファはそう思っていたのだが、樹楊はラクーンに近しい関係にある。ラクーンは固めた感想を、人差し指を立てて口にする。


「彼は兵士でいるべきではないですね、はい」

「それは荷が重すぎる、という事でしょうか?」

「いえいえ。彼は兵士でいるのは勿体無い、という事です。彼は政治向きの頭脳を持っていますし、それでも生きる道が兵士しかないのであれば軍師として戦場の指揮を執る人物ですね」


 これはとんだ高評価だ。

 ラクーンがここまで言うのも、彼の頭脳を認めているからなのだろう。ニーファがその思いを口にすると、ラクーンは首を振る。


「彼は死に臆病なんですよ。誰よりも自分が死ぬ事を恐れている。そしてスクライド王国の壊滅は自身の死と同義であると思っています。彼は勝つ為なら何でもするでしょう。そしてあの捻くれた知恵を存分に振るうと思います。彼が敵だったら、と考えると寒気がします」


 軍師は臆病であればあるほど良い、とは聞いた事がある。臆病だからこそ負けない為に策を講じ、それを何通りも頭の中で描く。そして負けない条件が揃うまで戦はしないとも聞く。しかしそれならばラクーンが率先して樹楊を軍師にするのではないだろうか。一般人の自分にはよく解らないが、二等兵なんかよりも俸給が高いだろう。それなのに何故未だに二等兵のままなのだろうか。


 ニーファは考えてみたが、情報が少なすぎる現状では何も見えてこない。ラクーンに樹楊の居場所を聞くと頭を下げ、その場所に向かう。

 どうやら樹楊は訓練嫌いの評を得ているくせに第五訓練場に向かったらしく、しかしそれは三時間も前で今はいないかも知れないとの事らしい。だが今は向かうしか手立てはない。


 足早に第五訓練場に向かったニーファが次に出逢ったのは、綺麗な筋肉のラインを持つタンクトップ姿の女性だった。この女性は知っている。確か樹楊が属する小隊の隊長で、名前はミゼリアだったはずだ。訓練を終えたのだろう。これは絶好のインタビューチャンスとばかりにミゼリアに駆け寄るニーファ。しかしミゼリアは不審者だと勘違いをし、腰に携えている剣の柄を握り締めると戦士の眼で睨んでくる。


「あの、私はニーファと申しまして樹楊さんの取材に来たのですが、あっ。勿論ラクーンさんに許可を得ていますよ」

「そうか、知らなかったとは言え威嚇をしてすまなかった」

 

 その固い口調も聞いた通りで、誰が聞いても軍人だと解るだろう。

 ミゼリアは首に掛けてあったタオルで顔の汗を一拭いすると、小さな切り傷が幾多もある腕を組んで警戒を解いた美しい瞳を向けてきた。


「それで、樹楊の取材とはどういう事だ? 私に答えられる事なら何でも答えるぞ?」

「協力してくれて感謝します。取材と言っても簡単なものでして、彼がどういう人物か率直な感想を聞かせて欲しいのですが」


 その程度の事か、とミゼリアは一拍置くと僅かに眉根を寄せた。


「あいつは不真面目すぎる。今日だって訓練に顔を出したかと思えば十分もしない内に姿を消すし、普段だってそうだ。怒っても怒っても、まるで馬に説教しているかのようで本当に解っているのかどうかも怪しい。ったく、あいつは軍規を全て理解しているのかっ」


 直属の隊長は彼に不満を持ち過ぎているようだ。樹楊に対する不満が、クッションを叩いた時の埃のように出てくる。ニーファは、随分と両極端な評を得ている人物なんだなと思っていると、溜め息を重く吐き出したミゼリアが急に優しい目線を遠くの地に落とした。


「それでもあいつは、樹楊は優しくて情のある男だ。きっと誰よりも仲間の死を重んじているのだろうな。護る為なら見境がない。今や私の部下は樹楊だけだ。私は、きっと……あいつを護れて死ぬのなら本望なのだろう」


 ミゼリアは部下の命を第一と考えている。今まで自分が救う事が出来なかった分、樹楊を護る事が何よりも大切とも思っている。そしてそれが自分が貫き通せる最後の意地でもあるのだ。しかしそんな思いなど知らないニーファにとっては、ミゼリアが樹楊へと想いを寄せているようにしか見えなかった。なのでメモ帳にはそう書いておく。

 ミゼリアの第一印象は軍人を絵に描いたような人で固く、それでいて取っつき難いと感じていたが、そんなに柔らかい口調で優しい目をされると感じ方が変わってしまう。歳がそんなに離れていない所為か、親近感さえも湧いてくる。この人が上司だったら少しは楽しい仕事が出来るかもしれない。


 ほんわかしていたニーファだったが、当初の目的を思い出すとそれとなく樹楊の居場所をミゼリアに尋ねる。


「ああ、樹楊なら先程言った通り訓練場から消えたのでな。悪いが解らない。だけど……、そうだな。中庭で日向ぼっこでもしてるんじゃないのか?」

「ひ、日向ぼっこ?」


「ああ、そうだ」

「え、と。彼……兵士で訓練をサボっているんですよね?」


 ミゼリアは固い口調で肯定する。

 その様子を見れば、彼は本当に日頃から訓練をサボっているのだろう。厳格そうなミゼリアも最早諦めているのか、怒りの断片すら見せない。日頃の行いはすこぶる悪い、とは嘘ではないようだ。軍師に昇格出来ないわけだ。


 ニーファはミゼリアに笑顔で敬礼すると、思っていた通り快く返してくれた。そしてミゼリアに聞いた、中庭までの道を急いで歩く。城壁もない通路は、等間隔に作られた石柱のみで天井を支える作りになっていて、そこから中庭が見える。

 綺麗に手入れをされた芝生に、大きな池。そしてその池の畔には大木が青々とした葉を風に揺らしながらそびえ立っている。その大木に背を預けている人影を確認したニーファは悪戯に口の両端を持ち上げて歩を弾ませた。


 が、その人は樹楊なんかではない。

 褐色の肌に映える銀色の髪が風に揺らし、伏せられた瞳の傘になるようなまつ毛は長い。見るからに長身で線は細いが、筋肉は付いている。それでも美しいと思ってしまうのは褐色の肌だからなのだろう。


「ふわぁー……」ニーファは感嘆しながら思った。

 この人が転寝する姿には笛の音が良く似合うだろう。何処か最果の大自然にひっそりと暮らす民族が吹くような……そうだな、少し低くて優しい音色で、そよ風と共に流れる穏やかな音色がとても良く似合っている。


「ん……、ん。んん?」


 どうやら傍にいるだけで起こしてしまったらしい。

 銀髪の女性は寝惚けた灰色の瞳を擦るとこちらを見上げてきた。そして瞬きを三度ほどすると、その瞳がすっと美に尖る。ミゼリアと同じ印象を受けもしたが、少し違う。着ている服がどこかの民族衣装だからなのか、鋭い眼差しは狩人のよう。それでも棘が見当たらないのは彼女が持つ雰囲気のお蔭なのだろう。


「起こしてすみません、私はニーファと申します。本日は樹楊さんの取材に訪れたのですが、少しだけお時間を下さいますか?」


 銀髪の女性はぼーっとした後、ニッコリと微笑み「私でよければ」


 違う。ミゼリアとは全然違う。

 物腰が柔らかそうな優しい口調は、面倒見の良いお姉さんのようだ。きっと彼女はこの城内でも癒しの存在として扱われているに違いない。何故か楽しくなってきたニーファは猫目をくりくりと輝かせるとメモ帳を取り出してペン先を添える。


「それではですねっ、樹楊さんはどんな方か教えて頂きたいのですが」

「英雄ですね」

「そうですかっ。英雄、えいゆう……え、えいっ」


 あれ、聞き間違いかな? とニーファは気分良く持ち上がっていたはずの口端をひくひくさせながら銀髪の女性を見る。すると、これまた心洗われるような笑みで首を傾げられる。


「すみませんが、確認させて下さい。彼は……えーと、その。英雄、なのですか?」

「はい、それ以外の何でもありませんよ?」


 彼女が嘘を言っているとは思えない。そうなれば、樹楊という男が全く解らなくなってきた。兵士には勿体無い男でありながら訓練をサボるような男で、しかし兵士に対して称賛する言葉である英雄を口にされる男。本当に解らなくなってきた、樹楊というタダの兵士の事が。英雄と口にするほどだから何か思い出があるのだろうけれど、それを聞いては長くなりそうだと確信したニーファは早々に退散しようとした。しかしそれよりも早く、気が強く、それでいて澄んだ声が背後から矢のように飛んでくる。


「イルラカ、またこんな所で昼寝してたのっ?」


 この女性はイルラカというのか、と思いつつも振り返ると、そこには後退りを余儀なくさせる人物が眉根を寄せて立っていた。

 真紅の髪に、深紅の長衣を纏う神話から飛び出たような美しさと妖精のような可愛らしさを兼ね備えるこの少女は悪名高い、あの傭兵団の……。


「首領、ここでの昼寝は私の日課なんですよ」


 通った後は死体しか残らないと畏怖されている赤麗のトップである紅葉アゲハを「首領」と呼ぶイルラカに、ニーファは石像のように固まった。その雰囲気は戦人からはかけ離れていて、絶対に癒しの存在だと思っていたのに、実は赤麗のメンバーだったとは。そう言えば綺麗な筋肉をしているなー、と思いもした事を今更思い出すニーファは近寄ってくる紅葉に深々と低頭する。機嫌を損ねたら首が飛ぶ。本気でそう思っていた。

 

 紅葉は、そんなニーファを見るなり指を差しながら無言でイルラカに問う。


「彼女は記者のようでして、樹楊さまの取材らしいです。どんな人物か、との事なので首領からも一言お願いします」

「な、何で私がっ」


 低頭したまま上目で紅葉の顔を見ていたニーファは記者魂を燃え上がらせた。最凶最悪と言われる赤麗のトップが、まるで好きな男の子の事でからかわれた少女のように顔を赤らめたからだ。

 これは何かある。もしかすると男女の関係になっているかも、と素早く身体を起こすと恐怖を忘れて紅葉に詰め寄った。


「是非お願いしますっ。樹楊さんとはどんな方ですかっ」

「ど、どんな方って……。ふざけた奴。そう、生きるに値しない男よっ」


 腕を組んで恥ずかしそうにそっぽを向く紅葉だが、

「首領?」全てを見抜くかのようにイルラカが紅葉を呼ぶ。


 そんなイルラカの笑みを見た紅葉は口をむずむずとさせ、仔犬のように小さく唸るとニーファに一度目を向け、だがすぐ逸らす。何だか可愛い。ニーファは思う。リスみたいで愛玩動物のような紅葉に、どんぐりを持たせてみたい。恥ずかしそうに横目を流す紅葉が、どんぐりに両手を添える。そんな姿を想像していると赤麗のトップである事を忘れてしまっていた。ニーファは爛々と輝かせた目で紅葉にぐいぐい詰め寄る。


「で! 紅葉さんにとって! そう、このソリュートゲニア大陸中にその名を轟かせた赤麗の首領である紅葉さんにとって樹楊さんとはどんな方なのかなっ」

「な、何でそこでタメ口になるのよ」


 適当な指摘で誤魔化せるほどニーファは優しくはなく「元気よくいってみよーっ」と急かされた紅葉は、半歩だけ後退ると固く閉ざしていた口を溜め息と共に開けた。


「あいつはね」

 ふんふん、と鼻息を荒くして頷くニーファ。


「馬鹿で貧弱でスケベで本当にどうしようもない奴だけど――」

 ふっと鼻で笑う紅葉の細められた目は、優しい。その背中を見ていたイルラカは密やかに笑みを浮かべていた。馬鹿で貧弱でスケベでどうしようもない男……と、しっかりメモして紅葉の次の句を待つ。


「何があっても私が護る」


 穏やかな瞳には確かな決意が込められていた。それくらいニーファにも解る。いや、ニーファのような戦から離れた人にでさえも伝わるほど強い思いなのだろう。ニーファは、紅葉という人物を勝手な憶測でしか判断していなかった事に気付く。最凶最悪、悪辣で冷酷と聞いていた。だから「そうなんだ」と思い込んでいた。

 でも実際に話をしてみると、何て事はない。赤い髪をしただけの少女だ。確かに一般人には持てないほど強い思いを秘めてはいるが、流布されている噂のような人物ではない。


 紅葉から得たコメントをメモ帳の中央にデカデカと力強く書き記したニーファの横では紅葉がイルラカに樹楊の居場所を聞いていた。忘れかけていたけど、樹楊本人にインタビューしに来たのだ。イルラカはニーファの視線を待つと、その居場所を告げてくる。



 ◆



 その頃、ダラス連邦のアシカリ地区に来ていた樹楊。その後ろではクルスが焼き芋を頬張っている。蓮から樹楊の用心棒を言い渡されたクルスは、樹楊に会ってからというもの、毎日行動を共にしている。ダラス連邦との大戦を終えたスクライドは、大陸規約である休戦状態である以上クルード王国からの侵攻はないと言えるのだが、必要以上に警戒しているのだろう。しかし、樹楊との日々を楽しんでもいるように見える。


 樹楊は捨てられた街並みを見せつけているアシカリの路地を迷う事無く進み、その最深部に辿り着く事でようやくその足を止める。嫌な思い出しかないアシカリの中を警戒せずに進めるのはしっかりとした理由がある。


「おっさん、来てやったぞ」


 ん? と振り返ってくる筋肉隆々の大男はダラス連邦の総大将を務めているバリー。今は泥の汚れが付いた作業着を着て、頭にタオルを巻いている。バリーは樹楊の姿を確認すると渋い笑みを浮かべて重量感たっぷりの足音を立てながら重そうに走ってくる。


「おお、来てくれたかっ」


 手を伸ばせば届く距離に近付いたところでようやくクルスの存在に気付いたバリーは目を丸くし、顎を落としそうなほどに口を開けた。それに対し、焼き芋を頬張りながら片手を挙げるだけの挨拶で済ますクルスだが、バリーは驚愕を顔に張り付けたままだ。


「ク、クルスっ。お前何で、は? どういう事だっ」

「焦り過ぎじゃんね。俺は傭兵団を抜けて今はフリーなんだよ」


 クルスが頭を務めていた傭兵団である砂嵐は今や何処かの街にでもいるのだろう。ダラス連邦は多く抱えていた傭兵団を全て切り、自国の兵だけで国を築き上げていく事を決意した。雇い主を失くしたクルスが何処にいようが驚く事ではないが、自分の意思で、しかも個人で誰かに付く事がバリーには信じられないのだろう。悪名の高さなら赤麗には負けない砂嵐の頭なのだ。無理はない。

 しかしそんな事など気にしない樹楊は、驚きを全面に出しているバリーに、


「クルスとはダチになったんだ」

「ダチって……」バリーは益々目を丸くするが、呆れたように微笑みながら「ったく、お前という男は変わり者だな。よもやクルスと友になるとは」


 下らない談笑をする二人だが、クルスは焼き芋を頬ばる事を止めていた。

 ダチ。その言葉が樹楊の口から出た時から。


 サングラスに隠されたクルスの緑色の瞳は、徐々に喜びの弧を描き始める。


 樹楊はバリーからの指名でこのアシカリ地区の有効活用と、ここに住んでいる住人の働き口をどうするかなど、今ダラス連邦が抱えている問題の解決を手助けする為にやってきたのだ。一から物を作り上げる事が結構好きだったりする樹楊としては断る事もなく、珍しく二つ返事で了承した。


 早速このアシカリ地区をブロック区画で描く上げた図面を手渡され、ざっと目を通すとこの地区が思っていた以上の広さを持っている事が解り、やけに細かく記されている事が目に付く。アシカリ地区はお世辞にも綺麗とは言えず、雑木林の木々如く家が廃れた家が立ち並んでいる。通路は迷路さながら迷えば抜けられそうにないほどであり、図面のように家の配置やら広さまで正確に判断するのは困難を極めるだろう。


 それなのに何故こんなにも細かに? と首を傾げていると、その問題を解決してくれる人物が目に付いた。少し前までは栄養失調よろしく骨が皮を着ているような少女であったシィだ。奥からとことこと現れたシィは少しばかりふっくらとした頬を持ち上げて両手をいっぱいに広げながら走ってくる。


「樹楊さん久し振りですーっ」


 どすっと喜びの全てを集約されたような頭突きを鳩尾に喰らいながらも咽る事を堪え、代わりにシィの髪を乱すように撫でてやる。恐らく、シィがこの図面を描いたのだろう。シィはこのアシカリ地区に詳しく、抜け道の全てを把握している。広さは勿論の事、徒歩で距離を測るだけに留まらず全ての家の特徴を覚えてもいる。以前、ここでシィには助けられたものだ。


「シィ、お前も来ていたんだな」

「はいっ。バルーさんに呼ばれて来たんです」


 元気よくバリーの名前を間違うシィ。

 バリーは何度も指摘したのだろうか、最早諦めているようにも見える。バリーは少々疲れたように肩を並べてくると、図面を見ながら訊いてくる。


「どうだ? この地区は使えそうか?」

「うーん、どうだろうな。土は痩せこけていて農業には不向きだし……、となれば工業なんだけど、そういえばここは鉄が採れるんだったな」


 バリーは坊主頭を掻きながら少しばかり遠くの鉱山を見る。

「採れるが粗悪だ。間違っても武具には使えん。バイクになら何とか使えるが」


「そうか……。で、シィ」

「はい?」

「このアシカリ地区の何処に地下通路はないか? 出来るだけ大きい、そうだな。トンネルのようなのがいい」

「あるにはありますけど、その先は行き止まりですよ? 何かで塞がれています」


「何か、か。まあいい。その方角に海はあるか?」

「そうですね。ダラス連邦発行の地図によればですが、そのトンネルの向こう、北西――詳しくは北北西の方角に海があるハズです。広い浜辺ですが、漁業は盛んではないらしいです」


 漁業などどうでもいい。

 今得た情報は無表情を意識していた樹楊をほくそ笑ませるほど好条件であった。

 突然隣でニヤケだす樹楊が何を考えているか解らないバリーは黙って聞いていた。が、樹楊が圧縮ポーチの中から出した一冊の古めかしい書物を手渡され、更に首を傾げる。バリーは目線のみで促されるままページを適当に捲るのだが、理解不能な文字の羅列に早くもギブアップ寸前。


「こいつが俺の案だ。ずっと前から考えていたんだ」

「案って、何が何だかだぞ俺は」

「これは……うん、ガーデル時代の文字じゃんね」


 樹楊とバリーの間からひょこっと顔を出したクルスはいとも簡単に解読する。バリーは自分の無学さに言葉を詰まらせ、興味津々のシィは一生懸命手を伸ばして本を取ろうとするが誰も気付かない。そのシィがいい加減に息切れを始めた頃、樹楊はバリーから本を取り上げて栞を挟んでいたページを捲って見せた。開かれた本の左ページはガーデル時代の文字で埋め尽くされ、片や右側には何かの設計図らしき図面が記載されている。所々に数字や計算式まで丁寧に記載されていた。


「設計図に見えるが、これは一体」


 顎に手を当てて眉根を寄せるバリーと、こればかりは流石に解らないクルス。その二人に樹楊は誇らしげな声音で教えてやる。


「こいつは船の設計図だ」

「船? あの漁業とかのか?」

「それにしてはデカイじゃんね」

「わ、私も見たいですっ。あのっ、樹楊さん私もーっ」


 完全にシィの声が届いていない樹楊はまたしてもクルスとバリーの二人に視線を投げ、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。こいつは漁業なんかに使う小さな船じゃない。もっともっと大きな船で、もしこれを造る事が出来ればソリュートゲニア大陸に大きな利益をもたらすものとなり得る。


「これは大船だ。漁業なんかのちっぽけな船じゃねぇ。クルス、おっさん。航海って言葉は知ってるよな?」


 頷く二人。


「この船は航海を目的とした船だ。船員だって沢山乗せる事が出来るし、食糧だって積む事が出来る。それだけじゃねぇ。こいつの動力は火力――今だったらバイクのエンジンを応用する事も出来るかもしれねぇ。こいつを造って新大陸を発見するんだっ。そこには何があると思う? 俺達の知らねぇ農産物や工業技術、もしかすると未知なる生物がいる可能性だってある! 貿易だって可能になる。そうすれば、この大陸にも真新しい風が吹くんだっ」


 早口で熱弁してしまったがそんな事が気にならないくらい興奮していた。

 この本を旅の途中で見付けた時は瞳には夢幻が揺らめいた。それと同時に腹の底が熱くなり、鼓動が高鳴ったのをよく覚えている。ガーデル時代は航海を可能としていたのだろう。どんな技術があったかは知らないが、自分達に造れない事はない。だが、当時の樹楊には何もかもが足りなかった。

 骨組で使う鉄は莫大な量だし、人員だって自分しかいない。それどころか先立つものもなく、諦めざるを得なかった。しかし旅好きとして、この本を捨てる事は出来なかった。出来るわけも、なかった。いつか必ず、と夢を見て。


 それが今、叶おうとしていると思ったのだがバリーの面持ちは暗い。ふと視線を落とすと、いつの間にか前に居たシィも賛同しかねる表情を浮かべていた。予想していた反応だったが、実際に見せられると落胆をしてしまう。樹楊は全てをなかった事に、と思いながら本を閉じる動作に入ったのだが、ここで思わぬ事が。


「楽しそうじゃんねーっ。大海原の向こうにはどんな世界があるんだろうなっ」


 重い空気を弾き飛ばすかのような弾みまくった声はクルスのものだった。ぐいっと前のめりになって図面を見ると、納得しながら細かく頷く。そして、その目線を変える事無くバリーを呼ぶ。


「思ってる事は解るじゃんね。その未知なる地に何が居るか解らない、化け物か悪魔か。はたまた巨人か。仮に友好的だったとしても言葉は通じるのか。そもそも別大陸など海の向こうにあるのか、だら?」


「ああ、その通りだ。仮にこの船を造ったとしてもだ。向こうが化け物や魔獣だったり、本当に何もなかったとすれば時間と費用の無駄にしかならん。不確定要素が多過ぎる。そんなんじゃ造る事は出来ない」


 バリーが言う事は間違いではない。

 大陸があるという、確実な情報もなく船を出すのはあまりにも無謀すぎる。旅が好きであればクルスのように乗り気になってくれるだろうけど、リアリスト相手じゃどうにもならない。ここで食い下がるのも大人げないだろうと、樹楊は口を閉ざしたのだがまたしてもクルスが口を開く。


「何を今更怖がる必要があるんだ?」

「あのな、怖いとかそういう問題じゃない。その計画は――」

「それを怖がってると言うじゃんね」


 クルスは軽く握った拳、その手の甲でバリーの胸をノックする。


「人生と航海は同じじゃんね。俺ら人間は生まれた時からバカ広い大海原に放られ、それぞれの針路を取る。羅針盤なんてない。嵐の日には船にしがみ付き、それでも天気がいい日には船に寝転んで流れる雲を見続ける日だってあるじゃんね。迷いながら、それでも確実に進んで自分の居場所っつー大陸を見付けるんだ。そこには気の合う仲間がいたり、いい女だっている。そしてまた船旅に出るんだ。進む先に何があるかなんて知らない方がいい。ずっとわくわくして夢見た方が断然楽しいじゃんね」


 やけに説得力のある言葉にバリーはたじたじだが「しかしっ」と認めようとはしない。だが気圧されているのは誰が見ても解る。ここでサングラスの奥の瞳を輝かせたクルスは決めの一手を出す。


「今のアシカリの住民は絶望のどん底だ。ここの地区を改正するって一口で言っても何も変わらない。そんな奴等を変える事が出来るのは『希望』や『夢』っつー言葉じゃんね」


 それには納得したのか、シィは興奮気味に頷く。シィは樹楊に出会った時「スクライドへ連れて行く」と言われて初めて生きる希望が持てたと力説。元アシカリの住民なだけはあって、その言葉は強い説得力を持っていた。

 バリーは灼熱の視線を二つとも受けて後退ると徒労感いっぱいの長嘆をし、取り残されていた樹楊を見る。


「海の向こうには未知なる大陸がある、そしてそこには異文化がある。そう約束出来るか?」


 バリーの目はその言葉を待っていた。

 嘘でもいいから頷け、約束しろ。と。

 視線を横に外せば、にんまりと笑うクルスと固く握った二つの拳を胸に添えるシィ。自分の言葉を待っている。可能性が低い、正に夢物語だというのに自分に賛同してくれている。それが素直に嬉しかった。密かに抱いていた夢が、何度もゴミ箱に投げかけたた夢が今……。


 樹楊は込み上げる嬉しさを堪えるように目を伏せ「約束する」


「ったく、お前という男は」

「悪いな、とは言わない。海の向こうには夢の塊がある」


 フン、と鼻を鳴らしてバリーは身を翻した。上層部にかけ合いに行くのだろう。もし案が通れば、いや、バリーは必ず通してくれるだろう。その結果を聞き次第、ラクーンに報告して出資を頼むとする。何年先になるかは解らないが、貿易が可能となればスクライドの利益にも繋がる。それ以上にラクーンは好奇心旺盛だ。きっと賛同してくれるだろう。


 この時、樹楊の目には確かに映った。

 夢の背中が。



 ◆



 やっとこさダラス連邦に辿り着く事が出来たニーファは、取り敢えず休みたいという欲求から一つの宿をとった。もう日も落ちて夕食時だし、と樹楊の捜索はたっぷり寝てからと決める。服を捨てるように投げ、手っ取り早くシャワーを浴びるとタオルを巻いた姿のままベッドに寝転ぶ。左手首を額に置いて照明を視界から遮ると、一昨日の仕事ぶりを振り返ってみる。


 樹楊に対する評は両極端だった。

 不真面目で兵士らしからぬ彼を嫌う者もいれば、樹楊の事を慕う者もいた。大半の兵士は口を揃えて「スクライドには必要ない」と言うが、彼に近しい者は好意を示していた。肩甲骨が奇形化しているツキという少年の兵士やアギを含む小隊のメンバーは全員樹楊を信頼していた。元傭兵であるサルギナも樹楊を買っており、領政官長のラクーンでさえも。そして宰相のジルフードも樹楊を褒めていた。


 これらの事から導かれる答えは、樹楊とは『異端者』である事。

 変わり者はいつの時代でも両極端の評を得る。


 そんな事をボーっと考えながら睡魔を受け入れていると、通信機が「まだ寝るな」とばかりにやかましく呼んでくる。ニーファは、勘弁してよと呟きながらも身を起こし、バッグの中を漁るように通信機を手にした。


「あい……、ニーファですけど」

「かーっ、何だ何だぁ? 疲れきってんな」


 擦れた声の持ち主である発信者は情報屋のタイトだった。三十歳になるも独身で、様々な情報を売りまくる事で金を荒稼ぎしている男。何も答えずに通信を終了させようかとも思ったが、依頼していた事を思い出すとぴったりと閉じていた口を開く。


「疲れてない。それよりも調べてくれたの? 彼の事」

「当り前だろ、俺は情報屋だぜ?」

「流石。じゃ、早速教えてもらえる?」


 バスタオル姿のままノートとペンを取り出し、テーブルに肘を着く。通信機からは煙草を吸う音が微かに聞こえ、こちらまで煙が届いてきそうだった。あまり煙草の匂いが好きではないニーファは顔をしかめるが、タイトはもう一吸い。そして「はじめに言っておく」と前置きし、


「命が惜しければ樹楊という男に深入りするな」


 冗談ではない事が、その声の重みで簡単に解った。いつも冗談交じりに話をするタイトではあるが、今だけは違う。まるでタイト自身が深入りを避けているようでもある。


「命って……。だって彼、ただの二等兵でしょ?」

「ああそうだ」

「だったら別にいいじゃない。ただの取材よ」

「お前にとっては、だろ?」


 やけに意味深な一言だった。自分にとっても樹楊にとっても変哲もない取材には変わりない以上、ニーファは取材を止める気などなかった。何しろ生活費が掛かっている。貧乏などではないが、金はあるに越した事はない。しかし、タイトが重々しく告げてくる事はあまりにも衝撃的だった。


 戦死者の武器を闇市に売り払い、

 精霊殺しをし、万霊殺しの銃を所持している。

 過去には盗賊紛いの事も。


 ニーファは冷や汗を顎先からノートに落とし、

「重罪のオンパレードじゃない……」

「そうだな。これが世に出れば間違いなく死罪だろう」

「って事は、取材上でこれが私に知れたと思われたら口封じの為に殺されるって事?」


 タイトはどうでも良さそうに「それもあるが」

 随分とハッキリしない回答だ。性格と仕事上、ハッキリしない事が嫌いなニーファはタイトを急かすがなかなか言葉が返ってこない。言いだし辛そうにするだけで、時間だけが過ぎていく。


「ちょっと、言ってよ。気になるじゃない」

「解ってる。けどこれは俺から聞いたって事は言うなよ?」

「当り前でしょ。だから言って」


「実は」タイトは溜め息をして落ち着いた後、

「樹楊ってのは偽名だ。本名はキオウ」


「偽名っ? そんなのバレたら最悪国外追放よ?」

「待て待て。問題はそこじゃない、つーか最後まで聞け」


 どうやらタイトの言葉を遮っていたらしい。

 ニーファは空謝りするとまたもやタイトの溜め息を耳にする。


「奴の名前はキオウ=フィリス・クルード」

「キオウ=フィリス・クル……ド――――って」

「大声を出すなっ」


 勿論叫んでなどいないが、タイトの制止がなければ盛大に大声を上げていたところだ。タイトは予測していたのだろう。いや、タイトもそれを知った時に大声を上げたのかもしれない。だからこちらの反応を予測出来たのだろう。ニーファはノートにぐしゃぐしゃと訳の解らない曲線を書いていた。思いっきり混乱しているのだ。耳と脳と手が上手く連動せず、餌を貰えない猿のようになっている。


「ちょ、ちょちょちょーっと、え? ええ? えええっ?」

「落ち着けって。混乱するのは解るが、もう少し声のトーンを抑えろ」


 ニーファは生唾を飲み込み、通信機に手を添えて声を殺す。

「って事はって事は、樹楊って子……もしかしてもしかしてーっ」

「もしかしなくても、現クルード国王の息子だ。そして母親はメイス=フィリス。第一皇子として生まれた子と死んだとされるクルードの第二夫人、まあ王妃様だ」


「ウソでしょっ? それが本当だとしたらさ、何でキオウ=フィリスが生きて、しかもスクライド王国の二等兵なんかやってんのよ。偽名まで使ってさ」

「どうやらメイス=フィリスは亡命しようとしたところ、追っ手に殺されたらしい。そん時にキオウ=フィリスは逃げ延びたんだろ。表では病死とされているけどな」


 これはとんでもない情報だ。

 タイトはこれ以上の事は知らないらしいが、最後に取材を続けるなら気をつけろと忠告してくれた。この情報が漏れる事をクルード王は良しとしないだろう、と。それくらいは解る。ましてや自分は記者であるが為、国籍をフリーとしている。これは何処の国にでも入国出来る為であり、行商人のそれと同じ扱いだ。それ故、簡単に殺されもする。人権などという言葉があるが、しっかりとした国籍を持つ人間のそれとは違って軽いものなのだ。


 ニーファは通信を終えた後、じっくりと考えた。

 これは引き返した方がいいのかもしれない。依頼をしてきた男も怪しげな感じだったし、殺されたら生活費がどうのこうのなんて言ってられない。

 ウンと頷いて早々と帰る準備に入ると、バッグの中から分厚い古書が姿を見せてきた。すっかり日焼けしている表紙に、インクが滲んだ本。


 その本には、前時代の王であるガーデル・ゼリーその人を記した伝書みたいな内容が綴られている。彼はこのソリュートゲニア大陸に王国を構え、更には世界の支配者でもあった。独裁者であった彼なのだが、全世界の人々は彼を愛したという。自然を誰よりも愛し、平和を好み、しかしへそ曲がりでもあった。何を考えているか解らず、それでも人柄か誰よりも世界に愛された。その隣には鬼の少女が居たという。


 ニーファはこの古書を発見した時、そして内容を全て知った時感涙してしまったのだ。それ以来、この本は宝物でもある。色々な内容が綴られているが、中でも特に好きなページはガーデル王のこの言葉が記されているところ。


「貧しくてもいい。子供が靴を飛ばし『明日はもっと遠くへ飛ばそう』とはしゃぎ、中年のおっさんが嫁に『愛してる』と言えば『だから何?』と返され、じいさんとばあさんが日向で手を握り合っている。そんな下らない平和がそこにあれば貧しくてもいいんだ」


 そしてガーデル王は最後にこう締めくくった。



『世界の人全てが偽善者であれば、どんなに平和なのだろうか』



 捻くれ者らしい言葉じゃないか。

 ニーファはこの一言を目にした時から彼のファンだ。勿論、他にもいい言葉を沢山残してもいるが。


「ガーデル王、か。私も見てみたかったな」


 悲しげに微笑んだニーファは肌寒さに気付くと寝巻に着替えてベッドに潜り込む。自分も偉大な人の伝書を書いてみたいものだ。それはどんなスクープを書く事よりも誇らしい事だ。でも自分は記者だ。そんな機会など巡ってはこない。

 

 だから。


 枕元に宝物の本を置いて、今日も瞼を閉じる。



 ◇



「ね、寝れない」


 ニーファは眠る事が出来ずに何時間もベッドに寝転がっていた。宿代をケチった所為もあり、この宿は古くてボロい。風が吹けば家鳴りするし、誰かが歩けばギシギシと廊下が軋む。タイトの話を聞いたお陰で音がする度にビクビクしてしまっていた。気付けば外は白み始めていて、あと一時間もすれば日が出るだろう。と言うか、今更気付いた事だがカーテンがないじゃないか。隣の建物はビルで、ベランダが見える。もしかすると風呂上りの姿を見られたかもしれない。


 美容の大敵である夜更かしをダウナーな気分で送ったニーファは重い身体を起こすと、身支度を整えて宿を出た。向かう先はスクライド近郊にある小さな町。自分の家だ。樹楊の事はもう諦めるとする。自分が一番可愛いのだ。これ以上関わろうとは思わない。


 ぼけっと歩いていると、海が見える丘に辿り着いた。

 どうやら寝不足で帰り道を間違ったらしい。


 ニーファは頭を指先でポリポリ掻くと欠伸をし、折角だからと日の出を見る事に決めた。よたよたと歩き、手頃な岩に座ると膝の上に腕を乗せる。眼鏡のレンズ越しの世界はまだ暗い。少しばかり寒いが、眠気が何よりも勝っている。でも寝れない。


 この先どうしようか、などと落ち込んでいると何やら視線を感じた。

 兎かな、と横を見れば。


「アンタ誰?」

「う? 私は……」


 隣には一人の少年が居た。

 またしても寝不足の所為で気付く事が出来なかったのだが、その少年の顔を見て記憶を辿ると眠気が吹っ飛んで行く。

 この少年、スクライドの兵である証の藍色の長衣を着ている。しかも燈神人。


「樹楊っ!」

「うっほ! いきなり叫ぶなよ。つーか、それは俺の名前だっての」


 ニーファはバカでかい岩が頭に落ちたような気分になった。

 関わるのを止めたはずなのに、何故か早速速効音速光速で関わっているじゃないか。


「キョークン、どうした?」

「へ? まだ誰か……、なっはあああああああ」


 後ろから現れたのは、何と悪の代名詞でもある傭兵団・砂嵐の頭領クルスじゃないか。彼に関わって生き延びたのは皆無と聞く。逆立てた髪を全て後ろに流し、サングラスをしていて裂けている口の片端をピアスで留めている。うん、間違いなくクルスだ。


 関わりたくない人番付けの一位と二位の人物に出会ったしまったニーファは、よよよ、と崩れ落ちる。自分の命はもう風前の灯火だとばかりに項垂れ、樹楊の気遣う言葉すら耳に入っていない。


 しかし何故樹楊とクルスが一緒にいるのだろうか。

 調べた情報では何も接点がないはずなのに。そもそも何でこんな朝方に二人で、男同士で丘にいるのだろう。そして何故自分はここに来てしまったのか。

「神様の馬鹿」ニーファは全てを神に擦り付け、未だに出てこないお日様に叫びたい気持ちで満たされていた。


 尋常じゃない落ち込み方に、流石の樹楊も心配になったのかニーファの頭を取り敢えずといった感じに撫で始める。ついでにクルスも撫で始める。捨て猫よろしく孤独感たっぷりだったニーファだが、優しく気遣う樹楊らに目を向けてみた。


 大した心配そうな表情はしていないものの、優しい顔だ。惨殺者という二つ名を持つクルス(たった今ニーファが考えた)も、定評通りの悪辣さはなさそうに見える。そんなクルスの優しさに驚いた事は驚いたのだが、気になるのはやはり樹楊の事だった。

 噂通りじゃないとは言え、あのクルスと仲が良さそうだし、本当に重罪人なのかどうかも怪しい。こうしていると、弟みたいだ。慰められているのは自分だが。


 そこでニーファは一つだけ質問をしてみる。

「キミが見てる世界は何色?」


 樹楊はきょとんとするが、ニーファの真っ直ぐな瞳に目を伏せると口端を持ち上げた。


「透明。俺にはまだ何も見えない」

「お、キョークン哲学者。それよか、キョークンが世界を透明に見るなら俺が色を付けてやるじゃんね」


 樹楊がさらりと返した回答とクルスが何気なく添えた一言は、ニーファのココロを強くノックした。そして笑い合うこの二人が、ガーデル王とその側近であるサラガに見えた。

 勿論、ガーデル王の顔もサラガの顔も知らない。だが、そう見えてしまった。


 ニーファが質問したのは、宝物である本に綴られた内容に沿ったものだった。

 ある子供がガーデル王に尋ねた。世界は何色なの、と。ガーデル王が返した答えは、樹楊が答えたものと同じだった。


『私には透明に見える。まだ、ね』


 そしてその話を聞いた側近サラガは言った。

『それなら私が色を付けましょう』と。


 ありふれた言葉かもしれない。だけど、ニーファには……。

 ぞくぞくと得体のしれない寒気を堪えて、もう一つ。


「キ、キミが世界に望むものは?」

「は? そんな事突然訊かれても……。んでも」


 樹楊は馬鹿馬鹿しそうに笑いを含むと、



「全員が偽善者なら世界はどんなに平和なんだろうな」



 まさか、そんな。

 彼も知っている? いや、そんなはずはない。

 自分が持っている古書は一般発売されたものではなく、伝書だ。世界に一つだけのものなのだ。その内容を知っているわけがない。だとすれば、彼は……。


 時を止められて絶句するニーファだったが、それでも日は昇る。それと同時に強い浜風がこちらに向かって吹いてきた。まるで拒絶するかのように。


 眩しさと強風で目を細めるニーファだったが、何故だろうか。

 樹楊とクルスを包む風は、あまりにも優しい。


 日の出に向って真正面を向いてポケットに手を突っ込む樹楊と、その隣で腕を組んで半身になっているクルス。鮮やかな光を受け、丘の草の穂先を揺らす風に髪をなびかせている。凛として、優しくて、美しくて。そして無垢だった。ニーファの猫目は、涙を流し始める。それは大粒で、止まる事を知らなかった。悲しいわけじゃない。悔しいわけでも嬉しいわけでもなく、意味が解らない涙だ。しかし拭う事すら忘れていたニーファは、日の出よりも二人の姿をただ見続ける。


 川が流れるように、風が吹くように、雪が白いように、樹楊とクルスの存在は当たり前だった。自然の中に居るべき存在。その二人が日の出を無言で見る姿は別世界のよう。そちら側には行けない。割れないガラスで遮られるように、その姿は見る事は出来るが触れる事は出来ない存在だ。


 だからなのだろう。

 無断で写真を撮ってしまったのは。


 この景色を、今のこの二人を永遠にしたかった。それくらい美しく、儚い姿だった。もし断わりを入れてしまえば、あの一瞬をカメラに収める事は出来なかっただろう。涙を流し続けてレンズ越しに見た彼らは全世界の純真を集約していたかのように見えた。写真を撮られた事に気付いた二人だったが、大した事ではないとばかりに再度日の出に目を向ける。サングラスを外したクルスの眼は緑色で、だがニーファは驚かない。


 白目も虹彩も緑の人種は絶滅した種族である木人。自然を愛し、その象徴でもある人種だ。そして樹楊……いやキオウ。彼はもしかすると、樹王と呼ぶのではないだろうか。ガーデル王のように自然を愛する男で、世界の王となるべく生まれた子。それがキオウなのではないだろうか。


 ニーファはやっとの事で涙を拭うと樹楊らに一礼してこの場を後にした。そして呆けたまま家に辿り着いたニーファは眉一つ動かさず、口を薄く開けたまま机に向かった。手元にはガーデル王の古書と樹楊に関する情報。そしてノートと万年筆。その中に、あの別世界、ガラス越しの世界を映した写真もある。


「うーん、やっぱ写真じゃ駄目かぁ」


 樹楊とクルスの静止画は、大きな賞に出しても間違いなく入選出来るほどのモノだった。この写真を見た人は感嘆するだろう。しかし、実際目の当たりにした時の鮮やかさは大分損なわれている。言葉には出来ないが、何かこう……違うのだ。

 それでもニーファは徐々に笑顔になった。

 この写真は生涯の宝物になるだろう。そうと決まれば写真を粘着フィルムの間に挟んで破けないように汚れないようにしてやる。


 これはニーファだけのガーデル王と側近サラガ。

 目を閉じれば瞼に焼き付いたあの光景が簡単に蘇る。


 そうこうしている内に、自分は何で記者になったのか思い返してみた。あの頃、世の中を深く知りたくてペンとメモ帳を手に取った。あまり知られていないような事を探り、世に出す。しかしその大半は上司に捨てられていた。記事にならない、面白くない。と。


 それもそうだろう。

 自分自身、書いていて面白いと思った事は少ないのだから。


 ニーファは嘆息し、もう一度写真を見る。

 この二人はまるで時代を待っているように見える。色のある時代を。

 いや、違う。


 時代が彼らを待っている? 鮮やかな色、悲しい色、楽しい色で染め上げるのを。

 だからこそ、樹楊にっとて世界はまだ透明なのだ。だからこそ、世界はまだ透明でいるのだ。樹楊に染められる時を今か今かと待っているのだろう。


 この事を百人に言えば全員に笑われるだろう。

 だがニーファは真剣に思っていた。


 樹楊が見せた王たる片鱗と、それを支えるクルスの存在。

 あの時あの場所で感じたモノは偽物なんかじゃない。


 この瞬間、ニーファの中で何かが弾けた。

 自分は記者で終われない。自分はスクープを書いて世に広めたいんじゃない。

 ガーデル王の伝書のような、大きな世界、広がる時代を書きたいのだ。そしてそれを誰に広めるわけでもなく、しかし後世に残したいのだ。この時代にはこういう人がいた。こういう平和があった。こういう悲しみが残された。こういう――こういう王が居た。それを書きたい。その為なら命を惜しむ事など出来ない。


 うん、とニーファは力強く頷いて万年筆を手に取る。

 そして真新しいノートを取り出すと、スラスラとペン先を走らせる。




 今から書き記す事は、一人の少年の軌跡。

 彼の名前は樹楊。キオウ=フィリス・クルードとの名もある。

 私は樹楊にガーデル王の再来を見た。これは勘違いかもしれないが、真実かもしれない。歯痒いが今は確かめる術はない。だからこそ私は彼を追う事にした。


 彼を追う事は命を危険に晒す事と同じ意味を持つ。

 だけど追わずにはいられない。時代が彼を待っているのだ。私はそれを間近で記録したい。例え夢半ばでこの命が消えゆくとも悔いはないだろう。もし私が息途絶え、この書を手にした者がいるとすれば、それはアナタなのだろう。願わくば、私の夢を繋いでほしい。迷惑な事かも知れないが、命を懸けるだけに値する事は保障する。


 そう、この書は私の日記であり遺言でもある。

 この価値がまだ解らないと言うのであれば、この先のページを捲ってほしい。

 そこにはアナタの心を躍らせる全てが記されているから。


 では、書くとしよう。彼の軌跡を。


 彼はソリュートゲニア大陸にあるスクライド王国に仕える二等兵。だがクルード王の実の息子でもある。クルード王国とはソリュートゲニア大陸でも強国と呼ばれるほど武力に長けた国だ。しかしスクライド王国は弱国であり、今正に両国がぶつかり合っているところだ。そして私は――――――。



 

 ニーファは時間が過ぎてゆくのも忘れ、夢中でペンを走らせていた。

 その顔は、今までの人生の中で一番輝いている。

 


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