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第三十一章 〜愛しい人〜



「うら! さっさと歩けガキ共っ。ピクニックじゃねーんだぞっ」

 子供相手に怒鳴るなど大人げない事だと、樹楊は解っている。しかしこの子供達、何度怒ろうが「はーい」とにこやかに手を挙げるもキャッキャ、ワイワイ騒ぎながら言う事を全く聞いてくれない。これでも最初は優しく注意していたのだ。だが、それも三度までであり、以降から通算十回目である今まで怒鳴ってきた。しかし、全然解ってくれない。


 何で任務も何もないこの時期に子供の相手をしなけりゃいかんのだ、と徒労感に襲われる。それもこれもラクーンが悪いのだ。


 一昨日の昼に呼び出しをされ、何も考えずにラクーンの家に訪れると『将来活躍するであろう子供達にサバイバル講習を実体験してもらいましょー』と、いきなり訳の解らない事を言い出したかと思えば、その御守役に任命されてしまった。反論する暇さえも与えられず、地図やら名簿やら手渡されて部屋を追い出されてしまい、施錠までされ意義さえも聞いてくれやしない。

 手渡された中にあった一通の手紙には、


『ダラスとの大戦に勝利した事で子供達が戦人に興味と憧れを抱いてくれました。国としては何とも頼もしい事ではありますが、戦というものは憧れで行うものではありません。興味本位など以ての外です。しかし、子供達にそれを唱えたところで何になりましょう。今は興味本位かもしれませんが、行く行くは何かを護るために剣を握って頂けるのであれば、きっかけが何であろうと構わないと私は思っております。

 ですから先ずは、サバイバルと称したキャンプを体験させようかと考えました。任務内容によっては森の中で何日も過ごす事が余儀なくされる事もあるでしょう? それを想定とした実体験をしてもらい、大自然の厳しさや暖かさを学んで頂きたいのです。人の命は自然の恵みによって紡がれていくものですから、先ずはそれを知って頂くのも悪くはないでしょう? ですから、サバイバルを得意とするアナタに託します。どうか将来を担う子供達に自然とは何か、それを教えてあげて下さい』


 と、綴ってあった。

 何やらそれらしい事を書いてはいるが、要は無給任務を押しつけられた事には違いない。しかも自分は子供が苦手だ。ツキは例外として、どう接していいか解らないのだ。子供達は十人で、十歳から十三歳までいる。その中で三人が女の子という、サバイバルというよりもキャンプ感覚で来たに違いないだろう。

 まぁ、サバイバルと称したキャンプである事にも違いはないのだが、心構えくらいはきちんとしてほしい。


 この十人のやんちゃな子供達の先頭に立ち、クルード王国との国境付近にあるキャンプ場に繋がる緩やかな斜面の山道を登っているとサルギナが肩を叩いてきた。


「まーまー、気楽に行こうや。ガキんちょ共も楽しそうだし、俺らも楽しめばいいだろ?」

「そうよ、子供相手に躍起になっても仕方ないでしょ?」


 自分をサルギナで挟むように紅葉が肩を並べてきた。どうしてこの二人はこんなに楽しそうなのかは解り兼ねる。紅葉に限ってはおやつも用意してきたらしいし、遊ぶ気が隠し切れていない。まぁ、それは良しとしてもだ。


「キャンプなんて久しぶりじゃんねーっ。たまにはこういうのもいいっ」

「おっ、口裂けの兄ちゃん。楽しみだなっ」


 何故かクルスも着いてきており、早くも子供達に大人気だ。その賊っぽい外見であるにも関わらず子供のようにはしゃぐ姿というギャップが生み出した効果なのだろうか。兎に角、樹楊らの中でも群を抜いて人気者だ。口裂けと言われても怒る事など無く、寧ろ自慢してもいる。これには流石のサルギナも不服らしく、片眉を跳ね上げる。


「おい、クルス。どういうつもりだ? お前は俺を倒すんじゃないのか?」

「それはそれ。これはこれじゃんね。俺はキョークンの友達になったんだ。暴れるつもりなんざねーから安心しろって」


 クルスは樹楊に護衛を買って出た。折角仲良くなれたし、行く宛てもないから、と。蓮と交わした条件は包み隠したまま。

 樹楊は拒否したが、あまりにもしつこいので今回の同行は認めた。それについてはラクーンにも話を通している。ダラス連邦と争う必要もなくなった今だからこそ、ラクーンも快く承諾してくれはしたが、サルギナと紅葉は不満らしい。クルスが話し掛けても素っ気ない。


「冷たいじゃんね。昨日の敵はなんちゃらと言うってのに。その点、キョークンは器が広いっ」

「別に器は広くねーって。ただ単に色々考えるのが面倒なだけだ」

「そうよ、こいつは変人だもん。こんな奴につきまとってもいい事なんかないって」


「お? 赤麗の首領とあろう者がヤキモチか?」

「違っ、ばっかじゃないの! 何で私がこんな奴とっ」

「そう言うわりに、顔が赤いじゃんね。名前だけじゃなく頬にも朱を散らして、可愛いとこあるじゃんね」


 それを聞いた好奇心旺盛な子供が加わり、場は一気に騒がしいものとなり、樹楊はこの先に待っているだろう徒労に嘆息せざるを得なかった。本来であればミゼリアを連れて静かにやり過ごしたかったのだが。


『そこ、ちゃんと並べっ』

『いいか、兵というものはだな』

『馬鹿ものっ、その程度で将来の――』


 子供達に厳しくしている態度が目に浮かぶ。連れてこなくて正解だったのかもしれない。それこそアギであれば気楽だったのに。だけどアギは子供が苦手だ。どう接していいか解らないと、よく言っていたし。

 つまるところ、スクライドには適任がいないのだ。これから先、こんなボランティアがない事を願うしかない。今回が成功しようものなら、また押し付けられるだろう。


 鉛が靴底にへばり付いたように重く、それを引き摺りながら登って行くと平野が一面に広がる場所が見えてきた。端にはロッジが五軒並んでいて、平野の中央には丸太で作られた長テーブルが五つ。遠くには川も見える。頬を撫でる程度の風が吹けば大自然の香りが鼻をくすぐり、思わず空を見上げたくなるほど心地いいものがある。この平野のど真ん中で大の字になって寝転べばどんなに気持ちがいいのだろう。

 だがそれでも、この場所には淀んだ空気が漂っているような感じもする。しかし隣で晴れた顔をしているサルギナを見れば勘違いかと思ってしまった。


「へぇ、意外とちゃんとしたところなんだな」

「そうみたいだな。これじゃ本当にキャンプだ」


 ふむふむ、と値踏みするような目で樹楊とサルギナが見渡していると、後ろから来た子供達が感嘆を上げる。そしてきゃーきゃー騒ぎながらテーブルを目指して走っていく。


「許可するまでここから離れるなよ! 川にもまだ近づかない事! 解ったかっ」

 樹楊が手を添えて叫べば「はーい」と喜色に満ちた空返事が返ってきた。恐らく全然解ってないだろう。これは目を離すわけには――、


「やっほーい! 急げ急げーっ。ホラ口裂けっ、早く行くわよ!」

「解ってるじゃんね! 中央のテーブルは俺のモンだぁ!」

「お前らもかぁ! ちょ、待てぇ!」


 制そうとするが、テンションがマックスまで上がった二人の耳には届かないようで一目散に駆けて行く。どっちが子供なんだか、と早くも重い肩を落としていると、サルギナがスタスタと歩き出す。


「紅葉もクルスも、戦いが生活の一部だったんだ。こういう場所も、遊びのキャンプも初めてなんだろうよ。楽しくて仕方ねーんだろうよ」

「……そっか。アンタも傭兵だったんすよね」


「まあな。傭兵ってのは常に戦いの日々だ。こういう鎧を脱ぐ場所もあっていいだろ」


 そう言えば、自分以外は傭兵だった。サルギナこそ今では国に仕える兵だが、元は傭兵。だからこそ紅葉達の気持ちが解るのだろうか。いつも鎧を脱ぎっ放しの自分にはよく解らないが、サルギナが言うからそうなんだろう。

 クルスは子供達とじゃれ始め、紅葉は三人の女の子に囲まれて何やら戸惑っている。胸を隠しているところを見れば、恐らくそういう事だろう。


 はしゃぎまわる子供達を制する事を既に放棄した樹楊は川の畔にいくと、近くにあった手頃な岩に座ってのんびりと川の水面を眺め始めた。広く、浅い川は耳の心地良いせせらぎの音を運んでくる。流れが緩やかになる岩の裏にいた魚が時折跳ね、眠気を誘う日差しは水面を滲むように反射していた。

 その光景を見ていた樹楊は「今夜は焼き魚だな」といいサイズの魚を上から探し始めている。


「いい天気ね」


 そう言いながら紅い髪をなびかせて隣に座ってくる紅葉から、石鹸の香りが漂ってきた。閉じた膝をこちらに向けて倒し、その上に柔らかく手を添えている。何とも女の子らしい座り方じゃないか。樹楊は風に吹かれる紅葉の横顔に少しばかり見惚れたのだが、ゴムを口に咥えて後ろ髪を手櫛でまとめ、そこからポニーテールを作る姿には視線の全てを注いでしまった。


「ん? どしたの?」

 

 見慣れないポニーテールの髪型をした紅葉は樹楊の呆け面に首を傾げる。

 勝ち気で意思の強さを表す瞳に小さな顔。赤い髪が縛られ。露わになったうなじはとても細く、簡単にへし折れそうだ。樹楊は改めて思う。


「お前、やっぱ可愛いな」

 馬鹿力だけど、とは付け加えない世渡り上手を目指している樹楊。


 紅葉は三拍ほど置くと小鼻をぷくっと膨らませ、解り易く顔を真っ赤に染めていく。耳の先まで赤くした紅葉は動揺しまくり、手振りを加えて理解不能な言語を撒き散らすが平然としている樹楊に見られている内に大人しくなっていった。遂には涙を滲ませ、抱えた膝に口を押しつけて俯き始める。何だか泣き上戸の酔っ払いが拗ねたみたいだ。そして岩の上に指を走らせながら、しかし樹楊とは目を合わせようとはせずに口籠りながら訊く。


「あ、アンタ、は――その、何て言うか…………好きっ、な人とかいるの?」

「あん? 何だって? 良く聞こえねぇんだけど」

「だから、そのっ……」


 うん? と樹楊は顔を覗き込み、次の句を求めるが紅葉は餌を待つ魚のように口をパクパクさせるだけで言葉を紡げずにいた。それでも後には引けないのか、一旦力強く口を閉じると顔に朱を散らせながらも樹楊を真っ直ぐに見る。が、その間に女の子の顔がにゅっと割り込んでくる。アンバランスな前髪をした、元気そうな女の子である。その女の子は目をぱちくりさせると樹楊の方を向いた。


「ねーねー、キヨーちんは恋人とかいるのー?」


 え! と、顔を引き攣らせる紅葉だがポーニーテールが左右にふりふり揺れている。まあ、偶然にも風に吹かれているからなのだろうが。樹楊はきょとんとすると苦笑しながら女の子の頬を突く。


「いたら今頃デートしてるっつーの」

「へーっ。じゃあさじゃあさっ、好きな人とかはー?」

 

 強い風が吹いたからなのか、紅葉のポニーテールがより細かく揺れる。その隣にクルスが、ようやく春に気付き大慌てで生えてきたつくしのように顔を出してきた。サングラスの奥の緑色の瞳が真冬の星の如くキラリと輝く。


「ちょ、アンタ何で隣にくるのっ」

「いや、俺も気になってたじゃんね。キョークンが好きな女は誰なのか」

「何でアンタが気にす――」


 言い掛けて気付いた紅葉はその思いをアイコンタクトするとクルスはサルギナと戦った時よりも真剣な眼差しで頷く。そのサルギナは子供達に鳩の素晴らしさを説いていた。クルスは蓮に想いを寄せており、樹楊と両想いではないのか不安なのだろう。何せ、女の好みが似てもいたから。


 樹楊は右側に三人の真剣な眼差しと、左側から女の子二人の好奇な眼差しに挟まれて少し困っていた。どうやら誤魔化せるような雰囲気ではない。少しの間を置き、急くような眼差しに頬を掻くとにっこり笑って女の子の頬に軽く指を捻じ込む。


「今はいねーよ」


 その瞬間、訊いてきた女の子とクルスの顔が百花繚乱の花に負けない笑顔を浮かべ、左脇にいる女の子達はつまらなそうに眉を下げる。紅葉はというと、ほっとしたような残念そうな微妙な表情をしていた。訊いてきた女の子はコクコク細かく頷くと樹楊の手を取る。


「じゃあ私にもチャンスはあるんだねっ」

「チャンスって、お前はまだ子供だろ」

「そうだけど、それが私の取り柄なんだよー」


 取り柄と言われても、生憎子供が趣味なわけではない。この女の子はまだ十一歳であり、色恋にはまだ早いだろう。しかし女の子は樹楊の背中に回ると抱き着き、頬を合わせてくる。何とも子供らしい無邪気さだ。


「だってさ。キヨーちんが三十歳になっても私はまだ二十五歳なんだよ」

「それがどうした?」

「キヨーちんにとって、今はまだ子供でも数年後には旬だもん。キヨーちんも若い女の子の方がいいでしょー?」


 ああ、そういう事か。と、樹楊。

 考えてみれば一理あるような気がしないでもない。自分はまだガキと言える歳だが、十年も経てば結婚してもいい年頃だ。その時、年上よりも年下の方がいいような気もする。十年後の自分の気持ちが解るわけではないが、何となくそう思える気がした。ひょっとするとこの女の子、戦における敵軍との交渉役に向いているのかもしれない、とお門違いな想いを巡らせていると何を勘違いしたのか紅葉がまるで血に飢えた野犬の瞳で睨んでくる。そして――。


「この変態っ!」


 女の子の頬すれすれで殺傷力抜群の拳を飛ばしてきた。しかしその拳を幾度となく喰らい続けてきた樹楊は余裕を見せるように眉を吊り上げて避ける。ゴウっ、と風を唸らせて拳は通り過ぎ、紅葉は信じられないといった表情を浮かべた。そして悔しそうに下唇を噛み締めるとそっぽを向いてこの場から離れていく。


「アゲハちゃん、どうしたのー?」

 女の子は樹楊に首を傾げ、

「あいつは腹が減ると怒りだす奇病にかかっているんだ。気にするな」


 割られる前の薪が飛んできた。



 ◆



 目一杯遊び尽くした後、釣った魚やクルスが狩ってきた獣の肉でバーベキューをする樹楊達を紅葉は遠くから眺めていた。樹楊の頭には包帯が巻かれていて少しばかり痛々しいが、楽しそうに子供達と戯れる馬鹿面を見るとやっぱり腹が立つ。フン、と鼻を鳴らして背を向けるとまたクルスがやってくる。

 焼いた肉や野菜を乗せた紙皿を二つ持っていて、片方を差し出してくる。見掛けによらず気が利くな、と紅葉は思った。


「何か用?」


 紅葉が受け取りながら口にするが「ありがとう」を抜かした事に気付き、だけど言い直せない。だがクルスは細かい事は気にしないらしく、隣にどっかり座って来ると肉を頬張った。もう暗いのにサングラスをしているところを見れば、そのレンズが暗視レンズである事が解る。

 

「用ってほどのモンじゃねーけど、あまり気にしない方がいいじゃんね」

「何の事よ」

「キョークンとあのちまっこい女の子の事。キョークンだって本気で受け止めていないと思うじゃんね、俺は」


 ああ、その事。と紅葉は野菜を小さくかじり「もう気にしてないってば」

 本心、結構気になってたりもするがそんな小さな事をこだわる器の狭い女として見られたくないが為、余裕ぶってみる。だがクルスは見据えたように鼻を鳴らしてまた肉を頬張る。どうでもいいが、いや、本当に小さい事だがクルスの皿の方が肉が多い気がする。八割くらい肉で埋め尽くされているのに対し、自分の皿の上にある肉は一切れだ。悪意があるとすれば、クルスが子供の頃はいじめっ子だろう。それと、ピアスで留めているとはいえ裂けた口では食べ辛くないのだろうか。まあいい。


「アンタは蓮を狙ってるんでしょ?」

「おお。でもキョークンの事が好きみたいで、前途多難じゃんね。もしキョークンが蓮の事を好きになったらお終い」


 それは防ぎたい。

 蓮は罰しなければいけない存在だ。嫌いなわけじゃなく、寧ろ好きではある。だけど、樹楊が自分以外の人に想いを寄せるのはあまり考えたくはない。男はいらない、と思っていた頃が楽に感じた紅葉だった。そうすれば、兎のように野菜ばかり食べている今も楽しいはずだから。

 クルスはあっという間に肉を平らげると、口端についた調味料を親指で拭ってそれを舐め「早く寝とれって」


「ぐほっ!」


 噛み砕いている途中の野菜を散弾のように放出する紅葉は盛大に咽た後、耳まで真っ赤に染めた。何とち狂った事を、と言おうとする前にクルスは「男は抱いた女に堕ちる場合もあるじゃんね」と誇らしげに言ってくる。何だか偉そうな態度が気に喰わないが、やけに説得力がある。実体験なのだろうか。いや、そんな事は今はどうでもいい。


「それ……ホント?」

「男は下半身で生きているようなモンじゃんね。特にキョークンは今思春期真っ盛りだら? そこにお前――可愛い女の子が身体を差し出してきたら獣の如くですぜ、奥さん」


 誰が奥さんよ、と突っ込む事も忘れている紅葉は悶々とし始めた。嫌いな類の方法だが、悪くもないような気もする。そこに「その後で自分に惚れさせても結果は同じじゃんね」と言われれば、そうかもと思ってしまう。結果的に両想いになれれば文句はない。あの馬鹿は優柔不断そうだが、人を大切にする節があるのは確定している。


 だけど恥ずかしい。

 赤麗の首領として恐れられていた自分が自ら身体を差し出すなど、考えた事もないのだ。回りくどいアプローチはしてきたものの、ダイレクトに行くのはどうも苦手だ。


「満天の星空を照明に川のせせらぎを聞きながら、ってのは最高のシチュエーションだと思わないか?」

「は!? 外でやれってのっ? そして今日実行しろと?」


「おう」

「いや『おう』じゃなくてさ、そんな……無理無理っ!」


「何言ってんだ、今日じゃなけりゃ何時やるんだよ? 国に帰っちまえばそんな暇もないだろうし」


「そ、そうだけど。だけど外ってのはマニアック過ぎない?」

「それこそ何言ってんだってなるじゃんね。あんなに近接したロッジの中でやろうモンならバレるぞ? それに解放感は人を大胆にさせるじゃんね」


 何でこの男はこんなにも自信溢れた顔を出来るのだろうか。自分ならやります、って顔で平然としている。そもそも誘うのは男からであって、女の自分が誘うのは尻軽に見られそうで怖いものがある。

 そんな紅葉の思いを読んだのか、クルスがにやり。


「キョークンから手出しさせればいいじゃんね」

「ど、どうやって?」


「実はもう、キョークンが飲んでいる葡萄酒にカラス蛇の肝を粉末状にしたものを混ぜておいた」

「カラス蛇の肝って――アンタそれって、その……タ、タナ、イ男に処方する薬じゃないの?」


 クルス、親指をぐっと立ててクルス、

「おう」


「大丈夫なの? その……あいつの、ホラ。あれ」

「遅行性だけど、大丈夫じゃなくなるじゃんね。二時間後くらいには男の勲章は破裂する寸前、鼻血でまくりの眼は血走りの鼻息は馬並みーの」


 そんな様子で迫られても困るが……。

 でもそのくらいしなければ樹楊は求めてはこないだろう。何時も自分に蓋をしているような奴だ。クルスもそれを見抜いているのなら凄い。しかしよくカラス蛇の肝を持っていたものだ。アレは貴重な薬であり、薬師でない限り手に入れづらいはず。

 紅葉は冷静になるとハッとし、クルスを見た。そこにあるのは意味深な笑み。


「アンタ、もしかしてそれが狙いで今日着いてきたの?」

「さあ? どうかな?」


 クルスはどんな事をしてでも蓮を手に入れたいようだ。樹楊と自分をくっ付ける事で蓮をフリーにし、傷を負っているだろう所に付け入る気なのだろう。手段は選ばず、という所は何とも傭兵らしいじゃないか。そういう所は嫌いではない。

 紅葉はクルスと力強く手首を交差させ、鏡映しのように口の片端を吊り上げる。



 ◆



 オルカの部屋で勉強をしていたラファエロの隣に、生クリームを口の端に付けた蓮がやってきた。ハードカバーで六百ページを超える分厚い本の内容に興味をそそられたのか何も言わずに目を走らせている。左のページには何行にも及ぶ古代文字が、右のページにはその内容に沿った図が記されている。蓮はそのページを見ながら首を傾げた。


「これはネクロマンシーに必要な薬の使用方法や生成方法を記した書物ですよ。前時代の文字ですので、解読するには時間が掛かりますけどね」

「んぅ……ねくろ?」


「ああ、ネクロマンシーというのは死霊魔術の事でして、ネクロマンサー、つまりは死霊魔術師が使う術の事です。と、口端にクリームが」

 蓮は逆の端を拭ってラファエロの意表を突くと、

「死霊魔術って、なに?」


「呼び名通り、死を扱う術です。代表的なのは死体を兵として戦わせる『屍兵』ですね。これは主に戦中に使用する術と思われます。他にも蘇生術や屍気と呼ばれる特殊な力を自らに宿す――とも記されていますが、定かではありません。何せ、死霊魔術というのは才能と努力だけでは会得出来ないらしいですしね。で、口にまだクリームが」

 再度指摘を受けた蓮はまたもや逆の端を、今度は舌先で舐めた。無表情ながらも誇らしげな顔がラファエロを戸惑わせる。


「じゃ、いないの?」

「どうでしょうかね。現代に存在するかどうかは解り兼ねますが、実際にはいたらしいですよ。一人いれば大陸を制するとまで言われていた死霊魔術師ですが、その誰もが興味を惹かれるのは己の術だけらしいです。何処にも属さず、独りで術の開発や実験に生涯を注ぎ込む。それが死霊魔術師です」


 それこそが死霊魔術師になる為に必要な性分なのだ。死に魅入られ、死の虜となり死を愛する者こそが死霊魔術師となれる。そう考えると、呪いに魅入られた人物、呪刑者である蓮も死霊魔術師と同じ様な存在なのだろう。今こそ呪いに身体を制されて暴走する時はあるものの、蓮が自分で『壱千年の嘆き』を制する事が出来ればそれこそ一人で大陸を支配出来るかもしれない。そしてこの蓮を仲間にするには樹楊の存在が必要不可欠だ。しかし今は大戦後であるスクライドに攻め入る事は出来ない。そういう大陸共通の規約だ。


「ですから、クリームが」

「……んぅ」


 少しばかり眉根を寄せて、拭っても拭っても拭いきれない生クリームに苛立ち始めた蓮にラファエロは指差してあげる。するとようやく拭う事が出来た蓮はまた書物に目を戻し、適当な場所を指差す。


「何て書いてるの?」

「えーと、これは『影蛇の精魂』ですね。今で言う『カラス蛇の肝』の事です」


「きも……」

「ええ、そうです。生で食せば絶大な精力を得る事が出来ますが、腐敗や乾燥させてしまえば『死を呼ぶ薬』とされているんです。ですから死霊魔術に最適なんですよね。ほら、カラスというのは屍を喰らうイメージもあるでしょう? そこからカラス蛇という名が付いたという説もあります。それを考えると死霊魔術があった事を証明する僅かな材料とされていますね。間違って粉末状にしたモノを飲む輩もいますが……まぁ、末路は死でしょうね」


「死……ですか」

「死、です。ハイ」


 こくこくと頷いて勝手にページを捲る蓮だが、読めないと意味がないのでは? とラファエロは思う。だけど。


「これは?」

「えーと、そうですね。これは――」


 これはこれでいい気もする。

 蓮が少しだけ懐いてくれたのは素直に嬉しいと思うから。


 しかしケーキをもう一つ買ってこなければならないだろう。オルカと蓮の為に買ってきたホールケーキだったのだが、この白髪の小娘に全部平らげられてしまったのだ。もう少しでオルカが軍議を終えて帰ってくる。それまでに部屋を出よう。

 ラファエロは固い決意をしていた。



 そしてラファエロは、後日オルカを介して得た情報で三日間は落ち込む事となる。

 蓮からの評は『おやつをくれる人』だ。

 ラファエロは少しだけ、ほんの少しだけだが。

 

 蓮と似ている格付けをする猫が嫌いになった。



 ◆



 三日月が頼りなく輝く夜空にも幾多の星が輝いて、その舞台を優雅に演出している。その下には樹楊と紅葉が川の畔で肩を並べて座っていた。まだ食い足りないというのにこんな川まで引っ張って来られた樹楊は、落ち着きのない紅葉に首を傾げるばかり。頭を掻こうと手を挙げれば一々反応し、名前を呼べば上擦った声で返してくる。

 一体何があったのか、誰かに説明を求めたい気持ちでいっぱいだ。


 だが、髪をアップにした紅葉はやはり可愛らしいものがあり可愛くも思える。こうして吹く風に髪を押さえる仕草を見れば、傭兵になんか見えない。控えめにせせらぐ川の音は心地良く、夜空と合わせれば自然とムードが出てくる。キャンプ場からも遠く離れている所為で、二人きりという状況が嫌でも解った。


 それよりも。

 樹楊にはこの場所に見覚えがあった。鮮明に覚えているのではなく、断片的かつ霞掛かっているが覚えている。そしてそれがいい思い出ではないような気もしていた。何か胸が締め付けられる、胸の奥が熱くなってくる。息も少しだけ苦しい。


「ね、ねぇ。アンタ様子おかしいけど、どうかしたの?」

「何かな、少し……いや何でもない」


 引き攣った笑顔で訊いてくる紅葉に樹楊はそれとなく返すが、泣き出したい衝動に駆られている。何が原因で苦しいのか解らない事に不安が増幅し、孤独感がじわじわと押し寄せてくる。マフラーを巻いているわけでもないのに、喉が締め付けられる感覚に襲われて何度も襟元を緩めた。だけど解消なんかされやしない。

 隣では紅葉が何か言いたそうに樹楊へと手を伸ばしたりするが、怖気づいた顔で手を引っ込める。顔が赤いのは外気の所為ではないだろう。


 やはりこの場所は居心地が悪い。澄みきった光景が逆にそれを増幅させる。

 少しばかり冷えた風に当てられているというのに、樹楊は冷や汗を顔に浮かべて青白くなっていた。目も虚ろで視点が定まっていない。暴力的に込み上げてくる緊張感は遂に樹楊を孤独感で染め上げた。隣で見ていた紅葉が樹楊の異常に気付いて手を差し伸べた時、その細い手首を樹楊が力強く引き寄せる。


「う、わっ。ど、どどどーしたの」

「悪い、少しだけ……少しだけ」

「え、あ、うん」


 紅葉は忙しく肩を上下させる樹楊の顔を胸に埋めながらその首に腕を回した。樹楊の鼻腔には爽やかで少しだけ甘い香りが漂い、ココロの孤独をやんわりと包む。

 何がここまで自分を追い詰めるのだろうか。それだけなのに乱れまくった思考回路では何の答も見いだせなかった。それでも少しばかり肌寒い夜に、紅葉の暖かさが心地良く思える。これはまるで――。


 樹楊が何かに過去に気付いて紅葉から離れようとしたと同時に、緩やかだった川の水面がざわつき始めた。水面は幾多の波を打ち、それは一箇所へと集約していく。そこには小さな渦が構成され、水が布のように舞いながら緩やかな水柱へと変わっていく。

 

「こ、これはっ」


 紅葉は記憶を引っ張り出す事で、それが何なのか解った様子を見せた。

 幕のように開いていく水柱の中から、半透明の人が現れる。髪は長くて柔らかな面持ちのそれは――精霊。

 人間で言えば性は女。その精霊はにっこりと微笑むと、水面を歩くように樹楊らに近付く。


「ちょっと待ってよ。私達何も悪い事はしてないって」


 紅葉が樹楊を護るように立ち塞がり、力強く発言した。しかし精霊は歩みを止めない。


「その者、私を慰める者ではないのか?」


 反響するような声を出す精霊は樹楊を指差してそう言った。紅葉は首を傾げるが、それは事実であった。

 樹楊が口にしたカラス蛇の肝の乾燥物を粉末状にしたものは『死を呼ぶ薬』と言われており、古代より死霊魔術師が精霊を従える為に使用した薬なのだ。口にした者は精霊に捧げられる生贄、つまりは食物とされてきた。今は精霊と高尚な名を得てはいるが、かつては樹楊が認識している通り『死んだ者の魂の集合体』であり、決して神聖な存在ではない。残留思念が守り神気取りで胸を張る存在が、精霊。


「ちょっと、アンタ。万霊殺しの銃持ってるんでしょ? 早く撃ってよ」


 歩みを止めない精霊に気圧される紅葉だが、樹楊は目を見開いたまま動かない。紅葉の声は聞こえている。だけど中々反応出来ないのだ。この精霊を見た時から、視線が釘付けになって上手く情報を整理出来ずにいる。

 この顔は知っている。何度も愛を告げてくれた人だ。そして何度も愛を告げた人。

 ずっと愛していた。過去も、現在も。

 忘れた時などない。この人が今の自分を作り上げた人だから。


 呆け面で動かない姿を見兼ねた紅葉が樹楊の懐から漆黒の銃を抜き取り、片手で構えて銃口を精霊に向ける。しかし、その前に樹楊が慌てて立ち塞がった。精霊を護るように両手を広げて。


「何してんのよ、退きなさい! このままじゃ死ぬわよ!」

「退けねぇ……」


「なっ。アンタ馬鹿なの!? こいつは精霊な――」

「退けねぇ!」


 一度だけ首を強く振りながら拒否する樹楊は、涙を浮かべて微笑みながら紅葉を見る。広げた指先の端から端まで小刻みに震えて、口はむずむずと悲しそうに歪んだ線を結ぶ。精霊がその後ろでにっこりと微笑むと、紅葉は慌てて銃口を向けるがまたしても樹楊が立ち塞がる。そしてゆっくりと紅葉に近付いて銃口に胸を当てた。


「どうして……?」

「この人は……この人は」


 ぐっと嗚咽を喉で止めると情けない笑みを浮かべ、

「……俺の母さんなんだ」




あとがき〜


どうも、作者です。

この度、更新が遅くなりましてご迷惑をお掛けしました。何か掲示板でもあればそこに書き込みしたかったのですが、何もないのでここに記す事にしました。


更新が遅いにも関わらず、応援メッセージやメールをくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。勿論、この小説を読んで下さってる方々にも感謝しております。言い訳にしかなりませんが、ここ最近仕事が忙しくて時間が取れずにこの体たらくとなってしまいました。今の状況が何時まで続くかは不明ですが、なるべく早い更新を心掛けます。


どのくらいのペースで更新するの? と言われましても、ハッキリと明言は出来ません。いや、本当に申し訳ないです。ですので、まったりとお待ちいただければ幸いです。

半月に一度、そう思って下さい。

勿論、それ以上の更新を目指しています。


三日に一度は更新出来ればなー、と考えております。


何やら訳分からないあとがきとなりましたが、今回はこの辺でおやすみなさい、とさせて頂きます。


  〜6/11 壱葉

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