第二十九章 〜何処に堕ちても〜
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ダラス連邦と大戦が始まってすぐに樹楊が向かったポイントは、自分を死地に追い詰める場所だった。何故そんな場所に来たのか、それをミゼリアに教えようとした時、二人の目の前に現れたのは深緑色の革鎧を纏う五人のダラス兵。
ミゼリアは勇ましく剣を抜き払うと、護るかのように樹楊の前へと出た。
「私が喰い止める。その間にお前は逃げろ」
潜めた声でミゼリアは樹楊に告げる。ぐっと剣を握り締め、勇敢な背中を見せつけてくる自分の隊長は何とも頼もしい事か。しかし、樹楊。
「よっ。待ったか?」
「当り前だ。予定より五分も遅い」
まるで待ち合わせていた友に接するかのように片手を挙げる樹楊と、それに応える舌先が割れた男。そして胸にサラシを巻いただけの肌に革鎧を纏う女兵士は、木に背を預けて面倒臭そうに樹楊を見ている。
しかし、すっかり戦闘態勢に入っていたミゼリアは目の前の敵をびしっと指差し、
「悪かったな、これでも急いで来たんだっ。でも待たせた事は謝ってやる……………………は?」
樹楊らの態度に混乱し始める。樹楊と舌先が割れた男らを交互に見て、豆鉄砲だと余裕を見せていたが撃ってきたのは実弾だった事に驚く鳩のような顔で。
樹楊はミゼリアの肩を優しく叩いてやり、うんうんと頷く。演技で嘘っぽく流した涙を拭いながら。
「ど、どういう事だっ。お前寝返ったのか?」
「違いますって。これは」
「まさか私を捕虜にするつもりでこんな所までっ」
「だから、それを今から説明――」
弁解しようとする樹楊だが、ミゼリアは聞く耳を持とうとはしない。思考回路が滅茶苦茶になった所為もあり、マイナスの事しか思い浮かばないようだ。それでも何とか説明しようと試みるが、ミゼリアは依然としてあたふたしている。
「私を捉えて何をする気だ! こんな人気のないところでっ」
「だから」
「や、それは不味いぞっ。私とお前は上官と部下という関係であって、そもそも今は大戦ちゅ」
「聞けっつっとろーが」
樹楊、自分を抱き締めているミゼリアに固い拳骨を見舞う。
少々強く叩き過ぎたのか、ミゼリアは頭を押さえてへなへなと座りこんで唸り出した。藪から棒に、などと呟いているが今はこんな悠長な事に付き合っている暇などない。
樹楊は八の字に膝を折り曲げるとその上に腕を置いてミゼリアの視線の高さまで身を落とし、殴った頭を撫でてやる。少し涙目になっている所を見れば罪悪感も湧き出てくる。
「何を考えているか解りませんが、このダラス兵は俺の知り合いですって」
「し、しりあい?」
「ま、ダラス兵ってより、ダラス兵の恰好をした友達ってとこっすね」
親指で差す方向を恐る恐る見るミゼリアの視界には、太々しい笑みを浮かべる五人の者達。舌先が割れた男は樹楊と深く関わり合っている男であるスネーク。女兵士はナーザだった。そして他の三名も樹楊と親しい仲にある闇市の者達だ。樹楊はまだ混乱しているミゼリアに構う事無く立ち上がると、真剣な面持ちとなってスネークへと近付く。
「この辺りの敵は?」
「ナーザがあらかた片付けといた。さっきも見廻ってきたけど……そうだな、お前を睨んでいるお姉さんには移動しながら説明した方がいいだろ」
スネークに促され、そちらを見ると頭を撫でているミゼリアが睨んできていた。震える唇を固く結んで剣にも手が掛かり始めている。なので一応言っておくとする。
「殴ってごめんなさい」
「…………む」
その一言で機嫌を直すミゼリアではなかったが、このままこの場所に居座るわけにもいかず、スネークの提案通り移動しながら説明をする事にした。後方をスネークとナーザに担当させ、前方には他三名。その間に樹楊とミゼリアという一列縦隊で木の上を駆けて行く。その暗部のような移動方法にミゼリアは樹楊以外の全員を心配していたようだが、それは要らぬ心配だった。闇市という違法売買の商人ではあるが、彼らは黒い経歴を持つ者であり、死地をも潜り抜けている猛者でもある。並みの兵士相手であれば鼻歌混じりにでも倒せるだろう。
「彼らはお前の知り合いというが、何者だ? あの足運び、お前と同等だぞ?」
「ただの知り合いですって。世の中には戦を生業としなくても強い奴はごまんといるでしょう? それより、俺が立てた策を教えます」
ミゼリアは固唾を呑み込み、命じられるままに着用したダラス兵の革鎧を見た。樹楊も同じ革鎧を纏っており、まるでダラスへ寝返ったかのよう。先程、樹楊が崖から転落したとの嘘の報告までしたミゼリアの顔には不安が張り付いている。
「俺達はこのままダラス本陣へと向かいます」
「本陣って、お前一体何をっ」
「何って、そのまんまっすよ。俺達がダラスの総大将を討つんです。まともにやり合ってたら勝ち目なんかないっすから」
ふざけている様子など微塵にも持たない樹楊の言葉に、何か反論をしようと口を開いたミゼリアだが言葉が見つからなかったようで、また口を閉ざす。物分かりが良くて本当に助かった。ここまできて反対を唱えられると、それこそ無駄な時間を過ごした事になってしまうばかりかスクライドの勝利が遠ざかってしまう。
スクライドはダラスに勝てない。統率力とかそういう問題じゃなく、ただ単純に兵力不足だと、樹楊は思っている。ゼクトや蓮がいれば何とかなるのかもしれない。だからと言って絶対に勝てないわけではないだろう。しかしまともにぶつかり合っていては、その確率も低くなるだけ。ラクーンを信じていないわけでもないが、何分軍師としては頼りにくくもある。
だからこそ、スネークらに協力を仰いだのだ。条件を呑んで貰うには莫大な資金が必要と考えていたが、今回の依頼には金銭など必要はなかった。何の気紛れか、快く承諾してくれたのだ。
「し、しかしだな。私達だけで敵本陣を叩くのも無謀ではないのか?」
確かにミゼリアの言う通りだ。
たった七人で敵本陣、つまり何層かに組まれている防衛線を叩き、総大将を討つのは無謀というよりも馬鹿がする事だ。どこぞの神話に出てくる勇者でもあるまいし、そんな奇跡など起こりようがない。いくらナーザやスネークの腕が確かだとしてもだ。
だからこそ樹楊は賭けている。
「俺は、ラクーンを信じています。俺があの崖を選び、行方不明になった情報が流れた意味をラクーンなら見抜いてくれるって。もし、ラクーンがそれを見抜いてくれたなら、俺達に都合がいい戦況を展開してくれるはずです。俺は、俺達はラクーンに賭ける以外、何も……」
信頼している。自分の奥底を見るような目で見てきていたラクーンの事を。
気に喰わない目をしている奴だが、今この状況下では最も頼りがいのある存在だった。スクライド全軍を動かす事が出来るのもラクーンだけであり、その為の言葉の魅力も持っている。誰もが「ラクーンなら何とかしてくれるかも」という思いがあるはずだ。
だからこそ、ラクーン。自分の考えを見抜いてほしい。樹楊は切に願いながら深夜の森を駆け抜ける。
敵本陣まであと僅かだと言うスネークの言葉に緊張をし始めた時、先導してくれている仲間から停止の指示が流された。片手を挙げ、二本の指を立てるだけの合図は敵兵が近くに居るという合図。
樹楊らは足を止め、出来る限り存在を殺してその元まで行くと指差す方向に敵兵を確認した。
三人の敵兵は鉄鎧を纏って談笑している。
ここが本陣寄りという事もあって警戒を解いているのだろう。剣も地において、愚かな事に木をくべて火を灯してもいる。何とも親切な事か、姿が丸見えだ。
ミゼリアはその体たらくに説教をしに行かんばかりに無言で憤怒するが、それはナーザが阻止する。一体何を考えているのか、というのは樹楊ばかりではなくこの場にいる仲間全員の思いだろう。
「さて、どうする? 殺す事には変わりないが、声を出されちゃ厄介だ。迂回しようにも、この近辺は多数の小隊が見廻っている。最短ルートはあの馬鹿三人を倒さなきゃ通れないぜ?」
スネークが試すかのように訊いてくる。
それは解っている。声を出されて他の兵達に気付かれでもすれば厄介どころか、作戦自体が中止になり兼ねない。そんな事にでもなったら、スネークらを呼んだ意味や自分を行方不明にした意味がない。
しかし、状況は簡単ではない。
三人の兵達は焚火を囲んでいる。それは個々の目が三方に向いていると言う事で、敵達の視野が広いと言う事だ。焚火をしている所為で、背後に立てばその姿を晒す事となり声も上がるだろう。間抜けに見える敵兵だが、侮ってはいけない。仮にも兵なのだ。それなりの対応は出来るだろう。
考え込んだ樹楊は全員に闇討ちの得手不得手を聞いた。すると、スネークとナーザが得意と言う。
しかし二人では足りない。向こうは三人なのだ。
それでも闇討ちに慣れていない者を向けるとなればそれなりのリスクが掛かる。ここはなるべくリスクを負いたくない。
考えろ。
状況、仲間の武器、敵の体勢。
そこで樹楊は気付く。
敵が向いている方向は三方だが、正三角形に配置してはいない。
その隊の隊長と思われる者が木に背を預けて座るのに対し、部下らしき二人は並んで対面に座っている。あの隊長らしき者を仕留める事が出来きれば、その視線は討たれた隊長一点に集まる。何事かと思うはずだ。それとほぼ同時にあの二人を討つ事が出来れば声など上がらない。
それなら可能だ。
連爪士の自分だからこそ、あの隊長らしき者をこの木の上からでも仕留められる。
「ミゼリン、やっぱり俺……連爪士になって正解のようです」
ポーチの一つを開けると、そこから真っ白な弓が出てきた。
まるで獣の骨を削って出来たかのような無骨なフォルムであるにも関わらず、撲殺出来そうなほど重々しい弓。ボタンを押せば幻糸という黒い霞のような弦が張られ、もう一度押せば暗視可能の倍率スコープが現れて樹楊の眼元まで伸びてくる。
「おま、それっ」
「いいでしょ? こいつは機械弓っつって、この圧縮ポーチの製作者に作ってもらったんです」
目を輝かせて今にも指を咥えてきそうなミゼリアは放っておくとして、作戦をスネークとナーザに告げようとするがその必要は皆無だった。二人はこちらの心を読んだのか、頼り甲斐がある笑みを浮かべると早々と持ち場に向かった。
あの二人がいれば何でも出来そうな気がする。ミゼリアが頼りないわけではない。自分が理想とする隊を築ける、というだけだ。最もあの二人が兵士になって国に仕える姿を想像出来るわけもなく、その姿を見たら爆笑してしまうだろう。
それは兎も角。
スネークとナーザが準備が整った合図をしてきたからには、自分が失敗するわけにはいかない。ミリアの腕は確かであるが、弓なんてものは生まれて初めて持つ。だが、この弓で外す事はない、と確信出来る。何せ、的である者の兜の中心に照準を定める事が可能なのだ。
「大丈夫か? 敵の兜は鉄だぞ?」
「平気平気。信じて下さいよ」
幻糸を引くにも強い力など不必要で、矢も鋼鉄製だ。そしてこの機械弓の威力はミリアの実演を見て確認済みでもある。
ミゼリアが心配そうに見守る中、樹楊は矢を放つ。
フォンっという独特な音を発した弦は矢を驚くべきスピードで飛ばした。樹楊が瞬きをしている一瞬で目標は兜ごと頭を貫かれ、何が起きたか解らずに目をぱちぱちさせている。部下と思われる二人も、隊長らしき者頭に何故矢が刺さっている事が理解出来ないでいるのか声を失っていた。それもそうだろう。先程まで楽しく笑い合っていた者の頭に矢が「こんばんわ、邪魔するぜ」とばかりに、ぶっさりと刺さっているのだから。
そしてその隙に音もなく背後から現れたスネークらに首をかっ切られて息途絶える運びとなる。それを見届けた隊長らしき者、ナーザに手を振られて戸惑いながら絶命。
「っし、成功っ」
小さくガッツポーズをする樹楊の隣では両手で大きくガッツポーズをするミゼリアだが、こちらは作戦を成功させた事よりも機械弓の魅力に目を奪われているようだ。うはぁっと女の子らしい声を上げ、両手を胸の前でぎゅっと握っているミゼリアは、どこまで軍人なのだろうか。普通の女の子がアクセサリーに興味を持つように弓に興味を持っている。
人の者を欲しがるのは赤麗だけではなく女性特有であると樹楊は心の中で訂正し、この機械弓を奪われる前にポーチに突っ込んだ。
ミゼリアはこれ見よがしく肩を落とすが、流石に差し出すわけにはいかない。ここは心を鬼にして、
「よし、先を急ごう」
何とか誤魔化すも、移動中に背後で「頭のたんこぶが痛い」と呟かれると何とも心が痛む。同時にミゼリアの厳格なキャラに疑いを持ちもした樹楊だった。
◇
ダラス軍の第二防衛線の付近までに到達していた樹楊らだったが、これより先には進めずにいた。一番高い木の無骨な枝で身を潜め、気配を殺している。地上には小隊が四隊に中隊が二隊、定期的に巡回していて降り立つ事がほぼ不可能になっていた。これだけ警戒を張られると攻め込む事が出来ない。
そこに、偵察に向かっていたナーザが戻ってくる。
「樹楊、ここから先は侵攻不可だ。木の上にも兵が配置されている」
「厳重だな。けど、俺達が攻める事が出来るのは森からのみだし……」
順調だと思っていた侵攻は敵本陣を目の当たりにして防がれていた。ダラス連邦も馬鹿ではないらしく、万が一に備えて木の上にも警備兵を配置している。それを想定していなかったわけではないが、ナーザの報告通りであればその兵は中隊クラスの数だと言う。それだけの人数を相手に無音というのは厳しい。敵も何らかの方法で言葉以外の合図を使っているはずだし。
ここまで来て時は過ぎていくばかりだった。
残される策は強行突破のみ、となるがそれは玉砕とも言える。樹楊にとってスクライドの勝敗以上に自分の身が大切である。だから玉砕なんて酔狂な事は選択肢に入りもしないのだ。
樹楊が一時撤退を考えていると、膠着状態に動きが見られた。
本陣から総大将であるバリーが出てきて廃墟の方角へと向かい始めた。樹楊は直ちにスネークに追尾を命じて、状況報告を待つ事にする。
相変わらず厳しい警戒態勢だが、総大将自らが動くのは珍しい。まさか戦地に赴く気ではないだろう。そんな事をされては困るのだ。総大将は剣が振りかざされている場所から隔離したところで討つのが理想であり、それが一番勝利の確立が高い。
樹楊らは無言のままに休息を取り、スネークの報告を待った。
それは一時間にも及び、スネークの身を案じ始めた頃、ようやく追尾から帰還した。スネークは勝ち誇ったように笑みを浮かべ、それを見た樹楊らも何を吉報を期待する。
「どうやらスクライドは全軍一時撤退したらしいぞ。それと、主力メンバーに死者はなさそうだ。そんで、ダラスの攻撃態勢は尖兵を前に普通通りの侵攻だな」
こんなに早く撤退をするのは、主力メンバーが討たれた事以外では何かしらの策を張る事しかないだろう。その策が自分がやろうとしている事に繋がれば問題はないが、それはラクーン次第でもある。もし、自分が思い描く策からかけ離れた態勢を執られたのなら、逆に動き辛くなる。
それにしても、ダラス連邦は慎重らしい。流石に見え見えの罠に飛び込むほど馬鹿ではないようだ。ここは一気に全軍で侵攻してほしいものだが、いま一つ決め手に欠けるものがある。
だが、自分達もこうしているわけにはいかない。何の為にダラス兵の恰好をしているのかも意味不明になってくる。
「それじゃ、これから俺の言う通りに動いてくれ」
樹楊は全員が首肯するのを確認すると、手振りを加えて簡潔に作戦を述べる。
それは先ず、見張りをしているダラス兵に状況の詳細を求める事。そしてその情報を元にスクライド本陣に向って状況を確認する者達と森の中の進行状況を再確認する者達、二手に別れて情報を得る事にあった。
その作戦通りに動いた結果、スクライド側は白鳳が増援に向かっているとのガセネタを流している情報を得る事が出来、それに乗じて複数のダラスの通信兵にその情報を流した樹楊。森の中の侵攻はトラップを警戒していたものだったが、スネークが「トラップは解除した」との嘘を各隊に報告してその侵攻スピードを速めてやった。
白鳳が来るとの情報を信じたバリーは早期決着の為に全軍での侵攻を決行し、防衛線に配置されていた兵も大半が攻撃に転ずる運びとなる。更にはスクライドの本陣が荒野前に変わった事により、ダラス軍は本陣から一番遠い荒野からの侵攻を取ることとなる。スクライドの策はまだ終わらない。
樹楊が得た情報では、廃墟に配置した赤麗は時間稼ぎの囮である事が判明した。これはラクーンの策だろう。廃虚から攻めあぐねれば、荒野からの侵攻に転じやすい。森からの侵攻も考えるだろうが、そこからはスクライド本陣が遠い上に「森から出てスクライド本陣までの道程にあるトラップに警戒しろ」とスネークが嘘の報告をしたから、森から出た後の侵攻スピードは遅くなる。
樹楊はラクーンが自分の策に気付いてくれたと確信した。
その確信を得た材料に、スクライド軍の本陣か森から遠ざかった事が大半の割合を占めている。
森から一番遠い本陣のスクライドだが、ダラスは真逆で森から一番近い場所に本陣があるのだ。それはつまり、帰還スピードが遅くなると言う事だ。ダラス軍の大半は一番遠い荒野に向い、廃墟では赤麗に足止めされている。森の侵攻は既に進んでいて、その大半がトラップはないとの嘘を信じた上で、まんまとトラップの餌食となっている。そのトラップの数が多かったのも恐らくはラクーンの指示だろう。やはり、こちらの策に気付いている。樹楊らが動きやすい最善の策を練ってくれた。
樹楊は六人の仲間を集めると作戦の最終段階へと移行した。
そして、現在に至る。
策に足を取られたバリーは戦斧を取り出すと、上段の構えを見せた。
「まさか、ダラス兵に化けるとはな。自分を行方不明にしたのはデマだったのか」
「汚い、なんて言うなよ? 戦なんてのは勝てばそれでいいんだからな」
樹楊も長剣を取り出し、下段に構える。
ミゼリアやスネークらはこの近辺に兵が潜んでいないか、敵の帰還がないかなどの監視に当たり、バリーと戦う者は樹楊一人だけだった。
まさかスネークやナーザらにそこまではさせられない。元々スクライドの兵でもないのに、この大戦に参加させた事自体不自然なのだ。ミゼリアと共に戦おうとも考えたが、樹楊は連係というものが苦手なのだ。一騎打ちの方が思い通りに動き易く、自分の不手際でミゼリアを死に追いやりたくないとの思いもある。
大丈夫。
自分は負けない。
何の確証も根拠もない自信に満ち溢れる樹楊は、いつも戦をないがしろにする樹楊ではなかった。戦というモノを真正面から受け止め、勝利を手にするべく勇ましい姿である。だからこそ、ミゼリアも樹楊に託したのだろう。
「七人全員で来るのかと思ったぞ。まさか一騎打ちとは、騎士道の心得があるわけでもあるまい。まさかと思うが、お前が一番強いのか?」
「俺はあの中で最弱だっての。けど、俺以外じゃ駄目なんだよ。それに、七人でアンタに攻めるのは一番無謀だと思ったんだよ。違うか?」
バリーは「さあな」と誤魔化すが、何かある事を感じていた樹楊。恐らくバリーは多対一を得意とする者であると、その為の『何か』を持っていると直感した。
「例えお前が最弱でも俺は驕らん。全力で叩き潰すのみ」
間違いなく強者であるバリーに樹楊は冷や汗を落とす。
ここで油断でもしてくれれば騙し討ちでも出来たものを、この男は全力で来ると言う。それは立派な事だが、樹楊としては厄介な事でしかない。
だが。
バリーは樹楊に警戒心を高めた。
樹楊はゆっくりと息を吸うと、目をすっと尖らせて力なく重心を落とす。肩からも力が抜け、柄を握る手も柔らかい。まるで存在そのものが、ざわつく森と、この平原と同化したかのように自然体となっている。
腰を深く落とし、剣先は地に着きそうなほど低く落とされ、やや前のめりの姿勢から。
樹楊は地を蹴ると、真正面から突っ込む。袈裟切りの戦斧を右足を軸にする回転で避け、その勢いを保ったままバリーの首を目掛けて振り抜いた。しかしバリーはそれを上体反らしのみで避けると、樹楊の腹を殴り飛ばす。
ふわっと宙に浮く樹楊は、インパクトの瞬間に上へ跳ぶ事で衝撃を最小限に抑えるばかりか、バリーの拳を手の平で柔らかく包んでもいた。それによりダメージはない。少々手が痺れている程度だ。
しかし宙に浮く樹楊に狙いを定めたバリーは戦斧を斜め下から振り上げてくる。迫り来る刃から樹楊は目を離さない。
思い描くのは風に揺れる柳の葉。ふわりと風を流し、揺れる柳。
樹楊は剣を盾にすると同時に身を捻る。すると、戦斧は風車を回すように樹楊を回転させ、抵抗なく横へと流されていった。樹楊は回転する視界の中、その一瞬で武器を機械弓に変えて着地するとすぐさま後方へと跳躍する。
幻糸は張るがスコープなど不要。一度に三本の矢を放つ。
狙いを定めていない矢の軌道は纏まらないがそれが狙いでもあった。
矢はバリーの腕、頭、足元に飛んで行く。これは捌き切れないだろう。
先手を取ったと確信する樹楊だが、バリーはその確信を粉々に打ち砕く。
時空が微かに歪むと同時に、バリーを中心として地面が円系に陥没した。三本の矢は何か押し潰されるかのように地に落とされる。
「甘いな。そんな負抜けた射方じゃ俺を傷つける事は出来ん」
「おっさん、その面で魔剣士かよ。しかも重力系統の魔法たぁ、厄介にもほどがあるってもんだろ」
バリーの能力を見た樹楊は勝利が遠ざかった事を認めた。通常魔法であれば何とか対処出来たかもしれないのに、あんな特殊な魔法を使われたらどうしていいか解らない。今見た限りでは、あの魔法の攻撃範囲に入るのは死に直結する事が解ったが、樹楊は近接の戦闘しか出来ない。中距離の展開も出来なくはないが、バリーの重力魔法の攻撃範囲がどこまで広がるのかも予測できるわけじゃない。かと言って遠距離での戦闘はこの機械弓でしか展開出来ないのだ。残された矢もあと三本であり、そもそも射たところで先程のように落とされるのがオチだ。
ならば。
樹楊は機械弓をしまうと、第三の武器である機械剣を取り出した。
これはゼクトの長剣をミリアに頼んで機械剣へと改良した武器であり、樹楊が最も扱い易い武器でもある。
柄の上部のボタンを押せば、空気を吸い込んで圧縮。そしてもう一度ボタンを押すまでそれは維持できる。つまり、空気を圧縮させておけばいつでも発動できるという事だ。
「ほう、珍しい武器だな。何やら空気を圧縮しているようだが?」
感心するバリーには答える気など無い。何も種を明かす事を危惧しているわけではなく、ただ単に余裕を見せるその顔が気に喰わないのだ。確かに自分は弱く、実力差があるのは認めるが、それでも気に喰わないものは気に喰わない。
じりっと足を擦り、呼吸が整ったところで接近。
バリーの重力魔法を考慮しつつ、自分の攻撃範囲のギリギリで剣を振った。
するとバリーの目に僅かな力が入った。恐らく、またあの重力魔法で剣を落とす気なのだろうが、それは侮り過ぎだ。
樹楊は自分の剣が重くなる前にボタンを押してやる。
命じられた機械剣は圧縮していた剣を爆発的に放出し、その剣速を速める。従来の機械剣よりも空気の圧縮率や放出力が格段に上がった機械剣は樹楊の肩を抜く勢いでバリーの首に迫っていく。それと同時に重力魔法が発動され、機械剣の速度は一気に減速するが、その刀身は異常なまでのスピードでバリーに迫っていた。
「うぬっ」
困惑の掛け声でバリーは身を引くが、首から胸へと軌道を変えられた機械剣は鉄の鎧をも切り裂いた。しかしバリーの身体には傷一つ付いていない。
樹楊は剣の勢いに抵抗する事無く独楽のように回転しながら足で地面を抉る。削られた地はバネのような螺旋の模様を描かれ、その先端で樹楊の身体は止まった。
「くそっ、仕留め損ねたか」
重力を掛けられて剣速が落ちたとは言え、バリーの動体視力と反射神経には驚かされる。あの巨体で素早い動きを見せるものだから度肝を抜かれてしまう。
しかし度肝を抜けれているのはバリーも同じのようで、難なく切り裂かれた鉄鎧に見開いた眼を向けていた。だが、バリーは表情を元に戻すと速さとは無縁そうな、どっしりとした構えを取る。勿論、鈍そうなのは見掛けだけであり、実際は素早いのだろう。
それに対し樹楊も構えると、バリーは戦斧に手を添えて詠唱を始める。その斧の周りが時空の歪みを見せるが、それ以外の変化は見られない。一体何をしているのかは解らないが、また厄介な事をしたのだろう。
「その剣、悪いが折らせてもらうぞ」
「そう簡単に折れるかよ。いくら斧でもそいつは無理だ」
「どうだかな。試しにやってみるか?」
地を揺るがすような一歩を踏みこんだバリーはその足を屈伸させると、溜めこんだ力を爆発させるように詰めてきた。そのスピードはやはり速い。
戦斧を両手で大きく振り被り、薪を割るように落としてくるバリー。
「うおおおおおおおおおおおおっ!」
左右のどちらかに回避しようかとも考えたが、何故か足が動かない。まるで重い鉄球が付いた足枷をはめられているかのように。
樹楊がそれに気付いた時には既に遅く、足には重力を掛けられていたのだ。そして迫り来る戦斧。剣を横にして重心を落として重い一撃に備える樹楊。歯をぐっと食い縛り、剣腹に手を添える。
戦斧の刃は直線的に剣腹へと落ちてきた。その途端、空気が鉛のように感じた。地面に吸い込まれるように、空気に押し潰されるかのような感覚が身体全体を襲い、骨という骨がバラバラになりそうだった。
しかしここで潰れるわけにはいかず、懸命に堪えているとバリーが不敵な笑みを浮かべた。その笑みに樹楊の胸に一抹の不安がよぎる。戦斧と接触している剣を見れば、そこに僅かな亀裂が入っているではないか。
「や、やめっ」
ピキピキと音を立て、その亀裂が広がっていく。
これはゼクトが唯一残した命の欠片。あいつの全てが、記憶が、思い出が込められた一本の剣なのだ。自分を護り、自らを犠牲にしたゼクトが持っていた武器の片割れ。その剣が今、非情にも折られようとしている。
「やめろ! テメェ、やめろっつってんだろォが!」
「フン、なら手放したらどうだ? 最もその瞬間に勝負は決まるがな」
確かにこの剣を手放せば自分がやられるだろう。しかし、この剣を折られるわけにはいかない。
でも。
だけど。
自分は死ぬわけにはいかないのだ。何を犠牲にしてでも生き伸びなくてはならない。これはただの剣だ。何処にでもある剣なのだ。折られてくれれば、戦斧の軌道は変化してくれるだろう。しかし剣を庇えば間違いなく自分に戦斧が降りてくる。
樹楊はこの剣が自分を護る盾だと自分に言い聞かせた。折れてこそ、自分を護ってこその盾なんだと強く、強く。
……ゼクト、もう一度護ってくれるか?
亀裂は徐々に広がっていく。ビキビキと、その音がゼクトの悲鳴に聞こえて胸が抉られるようだった。だけど堪えてくれと樹楊は願う。死ぬわけにはいかない。ゼクトだって許してくれるだろう。自分の命が掛かっているのだ。何も悪い事じゃない。
そして剣は一際大きい悲鳴を上げた。
その瞬間――。
『もし、私がまた死にそうになったら助けにくるの?』
ゼクトの声が聞こえた気がした。その言葉は確か、アギの救出に向かった時、残されたゼクトを助け終えた後に言われた言葉だった。
約束した。あと一度は助けてやる、と。
この剣はゼクトだ。今、こうして助けを求めてきている。折れたくないと、死にたくないと、助けて欲しいと訴えてきている。
樹楊は優しい笑みを剣に贈ると、そのまま腕を下げた。
流石のバリーも困惑したようだが躊躇いもなく振り落とす。樹楊は後方へと身体を反らす事で直撃は免れたが、肩から脇腹にかけて深い傷を負う事となる。そこでようやく重力の呪縛から解放された樹楊は横へ跳んで転がると、折れ掛けた剣を泣きそうな顔で抱き締めた。痛かっただろう、苦しかっただろう。だけど、護ってやる。絶対折らせはしない。
自らを犠牲にした樹楊にバリーは呆れ顔を浮かべる。心底理解出来ないようだ。それは誰でもバリーと同じ事を思うだろう。たかが一本の剣なのだ。どれほど高価なものであっても自分の命とは天秤に掛ける方が間違っている、と。
それでも樹楊にとっては天秤に掛けるまでもなく、この剣を大事にするだろう。これは樹楊にとってはただの剣ではないのだから。
「そんなに剣が大事か? それなら戦に持ってくるな」
「うるせぇよ。こいつは戦地で生き延びてきた奴なんだ。闘いに使わないで飾るのは侮辱するのと同じなんだよ」
剣をポーチにしまい、通常の剣を取り出しすが構えない樹楊。
その様子が少しばかりおかしい。
「あいつを二度も殺させはしねぇ。殺そうとする奴は絶対に許さねぇ」
怒りが湧いて出てくる。剣を折る事は敵の牙を折ることであり、怒りの対象にならない事くらい解っている。剣を折られるのは自分が未熟な証だという事も解っている。だけど「折る」と明言したバリーに対し、憎悪が膨らんでいく。
怒りの炎なんてもんじゃない。零下の殺意などでもない。
何か気味悪いモノが自分の中で渦巻いていくのが解る。そしてこれを感じるのは今までで三度目だ。
一度目は自分と母親を殺そうとした実の父。
二度目は母を見殺しにした精霊。
三度目は、今ここで。
万霊殺しの銃を置いてきたのは失敗だった。アレさえあればこんな奴、原型など留めずに撃ち殺せたものを。
沸き上がる殺意に呼吸が乱れる。視界が歪む。吐き気が込み上げる。
「ふん、怒りに身を任せるのは愚かしい事だぞ?」
「るせぇよ、うるせぇんだよ。耳触りなんだよテメェ!」
剣を引き摺りながら突進していく樹楊は、戦斧の斬撃を避けようともせずに突っ込んでいく。刃は微かに樹楊の顔をかすめ、鼻筋を横切って左右の目尻の下まで切り傷が出来た。しかし樹楊は動じずに狂った殺意を目に浮かべていた。
長剣を振り被り、バリーの腕を突くが力み過ぎで弾かれる。それでも追撃を止めようとはせずに乱雑に剣を振るい続けた。その形は素人もいいところ。力のバランスも滅茶苦茶だ。その剣をバリーが防げないわけがない。
バリーは一度大きく弾くと戦斧をコンパクトに振り、樹楊の胸を切り裂く。
「っが……、はっ、く」
よろよろと後ろへ後退する樹楊の胸は一文字にざっくりと斬れ、大量の血を流し始めた。身体の力は急激に奪われ、がっくりと膝を着いた樹楊を見下ろすのは残念そうな顔を浮かべるバリーだった。
月を背負うバリーはその巨体で出来た影を樹楊にどっしりと落とし、戦斧を高々と振り上げる。
「終わりだ」
見上げる樹楊と見下ろすバリーの間には死という線が結びついた。しかし、その線は思わぬ者に遮られてしまう。
「駄目っ、おっちゃん! 殺さないで!」
それはサラ。
両手をいっぱいに広げ、樹楊を庇うようにバリーの前に躍り出たのだ。目には涙を溜めて身体を震わせている。怖いのだろう。
バリーは手を振り被らせたまま怒号を上げる。
「退け! これは戦なんだっ。外部の者は引っ込んでろ!」
しかしサラは懸命に首を振る。強い眼差しで懇願するようにバリーを見つめてもう一度首を振った。するとバリーも困ったように眉根を下げる。樹楊の姿はサラに隠され、荒い息づかいしかバリーには届かない。突然の出現に驚いていた樹楊だったが、俯むと邪悪な笑みを浮かべていた。目を尖らせ、第四の武器を二人気付かれないように素早く取り出すと、その武器を振るう。
目の前にはサラが居る。その向こうには総大将のバリーだ。
今、やらない手はない。
漆黒の曲斬は半円を描いてバリーに向かっていく。
「――はっ、ぐ……。う、うぬ」
「え? おっちゃん?」
バリーの胸、機械剣に切り裂かれた鎧の隙間に曲線を描く漆黒の刃が深々と突き刺さっている。サラは起きた現実を理解出来ないでいるが、崩れ落ちるバリーは樹楊の顔を見てようやく状況を理解したようだった。
樹楊が振るった武器は大きな鎌であり、その刃はサラに当たる事など無く、左方からバリーの胸を突き刺したのだ。完全な死角からの攻撃をバリーはまともに受け、大きなダメージを負ってしまった。
立ち上がった樹楊はサラを退かし、大鎌をバリーの喉元に当てて悪人面で笑みを張り付ける。
「形勢逆転だな。お前は終わりだ」
そこでやっと状況を理解したサラは両手を口に添え、樹楊の顔を見つめる。そこにあるのは、時に優しく、時にはやる気のない顔などではない。明らかにどす黒い殺気を纏う顔だった。
「キオー! 何するの、卑怯じゃない!」
「卑怯? はっ、何を寝惚けた事を」
樹楊は決してバリーから目を逸らさない。反撃をしてくるほど浅い傷ではない事は確かだが、万が一って事もある。バリーのように油断や他に気を取られるような事をするほど馬鹿じゃないのだ。
「こいつが言う通り、これは戦なんだよ。勝てりゃ何でもいいんだ」
「そ、そんな! 正々堂々って言葉があるじゃないのっ。おっちゃんは私が邪魔したばかりにキオーを斬らなかったんだよ?」
「俺がこいつの立場ならお前ごと斬る」
氷のような冷たい一言にサラは言葉を失った。ぎこちなく首を振ると、悲しそうな笑顔を浮かべさえもした。嘘だよね、と樹楊に尋ねるも返ってくる言葉はない。
「サラ、お前は甘すぎる。俺達は個人で闘っているんじゃない。俺達は国を背負って戦ってんだ。それを卑怯だとか、正々堂々だとか……うざってぇんだよ。俺は何処に堕ちようが、何処まで堕ちようが自分のやり方を通す。綺麗事じゃねぇんだ」
「そうだ。そい、つの言う通りだ。これは俺の甘さが招いた結果だ」
「でもっ……そんなのっ」
サラは服の裾を握る締めると下唇を噛んだ。認めたくないのだろう。そんな素振りで樹楊の決心は揺るがない。それでもサラの悲しげな姿は自分が思い描いていた事を思い出させてくれた。先程までは怒りに我を忘れていたが、勝てればいいと思っていた。そして勝ったら望みたい事があった。その為にはバリーに訊かなくてはならない。
樹楊は大鎌の刃でバリーの顎を上げて視線を合わせると、
「どうする?」
「何がだ? もう勝敗は決まっているだろう。殺すがいい、お前の勝ちなんだからな」
「そうじゃねぇ。いや、そうなんだけどよ」
面倒くさそうに嘆息し、頭を掻くと大鎌を引いて肩に担いだ。バリーとサラはきょとんとし、その姿をじっと見る。
「ここでお前の首を取るのもいいけどよ、お前が敗戦を認めれば済む事でもある。つーか、俺としてはお前に敗戦を認めて欲しいんだけど」
敗戦を認めると言う事は、単純に言えば「負けました」と降伏させ、部下達にもそれを告げさせるだけの事だ。しかしそれは不名誉な事でもある。軍人たるもの、死して誇りを掲げよとまで言われているほどだ。しかし樹楊にとっては命あっての誇りなのだ。死ぬ事は名誉でも何でもない。ただこの世からいなくなるだけだ。
「ふざけるな! 俺に汚名を背負えと言うのか! そんっ、ぐ……、そんな事っ」
「汚名とかそんなんどうでもいいけどよ、頼みがあるんだ」
「頼み、だと?」
「ああ。ま、これは俺が決める事じゃねぇけど、全面降伏してスクライドと友好同盟を交わしてほしい」
それはバリーにとって常軌を逸する頼み事だったようだ。目を見開き、口をパクパクさせている。通常、大戦に勝った国は敵国の領地を奪える上に、国自体をも吸収できるのだ。それを同盟にもっていくことは、スクライドに利益はない、と言う事であり大戦そのものが無駄になるようなもの。
しかし、樹楊は至極真面目に考えた上での申し出だった。
「今スクライドがダラスを食っても、予算的に全てを治める不可能だ。そうなれば先にダラス連邦の国民は見捨てられちまう。格差社会も今以上に酷くなり、国民が不幸になるのは目に見えているんだ。けど、ダラスと同盟を組むとなれば別だ。スクライドにもダラスにも早期の利益は期待出来ないが、先を見据えれば同盟を組んだ方がお互いの為になる。クルードにだって対抗できるほどの兵力も期待できる。何も大戦に勝って敵国を食えばいいってもんじゃねーだろ」
「お前、そんな事まで……。しかし、俺は」
あくまで軍人でいようとするバリーの態度に樹楊は堪忍袋の緒を切らした。大鎌を振り上げ、その柄で思いっきり固い頭を殴ってやる。
殴られたバリーは胸の傷よりも頭を押さえ「ぐごごごごご」と勇ましい……いや、不気味な唸り声を上げた。
「だから、お前の事はどうでもいいんだっての。俺が言いたいのは」
樹楊はバリーと目を合わせ、
「お前のちっぽけな誇りで国民を見捨てるなよ」
悲しい目だった。
そして懇願する眼差しでもあった。
ここでバリーの首を取るのは容易い。だが、物分かりがいいバリーを失えば、同盟を結ぶ事が難しくなるかもしれない。樹楊はバリー以外の誰も知らないのだ。ダラス連邦にどんな奴がいるのか解らない以上、このバリーを失うのは怖くもある。物分かりがよく、愛国心が強い者だからこそ同盟を結びやすいのだ。バリーは敵国でも顔が利くと思っている。その権力があれば、上を納得させる事も出来るだろう。
「お前……変わってるな」
「そいつは聞き飽きた。そんなん、どうでもいいからよ。早くどうするか決めろ。こうしている間にもスクライドは追い詰められているんだ」
バリーは鼻で笑うと鎧の中から通信機のような機械を取り出して、その中央に一つだけしかない真っ赤なボタンを押す。それは部下達に敗戦を告げるボタンだった。
平原に大の字になって倒れたバリーは清々しい顔で白み始める空を見上げる。
「負けた……か」
樹楊はその傍に座り、同じく空を見上げる。
「俺の勝ちだ」
サラはぽろぽろと涙を流して嬉しそうに樹楊の頭を撫で、何度も頷いていた。まるで非行から足を洗った息子を褒めるお母さんのようであり、バリーは胸の傷を押さえながら笑う。正直、鬱陶しい。
「なぁ、おっさん」
「何だ?」
「ダラスによ、俺が捕まった時なんだけど。一緒に小汚ぇ女の子いただろ? そいつ……スクライドにくれよ。約束してたんだ」
「ああ、あの死にかけていた娘か。確か今は治療中なはずだから、完治したら連絡を入れてやる」
どうやらシィは生きているらしく、スクライドへの移籍をバリーは承諾してくれた。その事から、同盟を結んでくれる事が解る。自分にそんな権限はないが、ラクーンであれば同じ事を考えているだろう。もし考えていなかったら自分が提案すればいいだけの事だ。
見つめる空の先に朝日が昇り出し、世界を明るく照らし始める。その光を背負いながら走ってくるのはミゼリアやスネークらだった。ミゼリアに到っては涙を流して駆けてきている。何を言っているかは不明だが、きっと喜んでいるのだろう。
◆
樹楊がバリーに同盟を申し出ている頃、紅葉は最終防衛線まで攻め込んできたダラス兵の相手をしていた。味方は少なくなり、近くではアギが奮闘している。その隣では何故か泣きながら、やけくそ気味に敵兵を倒すネルトとかいう若者もいる。
「ああ、もう! 鬱陶しい! ねぇ、アンタの策ってなんなのよ!」
紅葉に怒鳴られたラクーンは困ったように頬を掻きながら笑う。もうすぐ討ち取られるかもしれないというのに楽観的な奴だ、と紅葉は青筋を浮かべた。
しかしラクーンを怒っている場合でもない。自業自得とは言え、片手で相手をするのは骨が折れる。鉄の鎧を纏っているダラス兵が虫のようでもあり、気持ち悪い。
紅葉は確実に倒していくが、転がっている死体に足を取られてすっ転んでしまった。慌てて振り向けば、そこには自分を囲んで剣を振り上げているダラス兵がいる。
転んだはずみで手放した剣は手を伸ばせば取れるが、その時間もなさそうだ。
紅葉は目を強く瞑り、ありったけの声を上げる。
思い浮かぶのは何故かあの馬鹿面。
崖から落ちた間抜けな、それでも好きな人。
「早く助けに来なさいよ! ばかぁ!」
と、その瞬間だった。
紅葉を囲むダラス兵の一人から耳をつんざくような割れた音が響いてきたのは。
呆気に取られる紅葉だが、周りのダラス兵も驚いたように音の方向を見る。すると音の発信源となった者は剣を手から滑り落とすと、がっくりと膝を着いて首を振る。益々訳の解らない紅葉だったが、スクライド兵全員も同じようにぽかんとしていた。
次々と項垂れるダラス兵。何があったのか、とラクーンを見れば。
「やったやった! 流石です!」
何故か小踊りしているラクーン。
「ちょ、ちょっと、何があったのよっ」
「勝ったんです! 我々の勝利ですよっ」
その言葉にスクライド兵全員が驚きの音を上げる。
全軍撤退した状況なのに、どうやって勝てたのか解らない面持ちだ。まさか行方不明になっていた樹楊が立役者だとは思いもしないだろう。しかしラクーンは解っている。樹楊が決めてくれた事を。
紅葉は取り敢えず、グーでラクーンを殴っといた。
「痛いですっ」
◆
そして廃墟では。
「なっ、敗戦……。ちっ」
盛大に息を切らしているガガは鉄の鎧を解くと、目の前のイルラカに背を向けて部下へ帰還を促し始めた。同じく息を切らして満身創痍のイルラカはガガの肩を荒く掴む。
「何処へ行く! まだ決着はついていないっ」
「ついたよ、もう。俺達の負けだ」
ガガはイルラカの手を払うと「もう争う理由もない」と冷めた表情でバイクに跨る。撤退していくダラス兵を見送った赤麗はイルラカに説明を求めたが、何も返答は得られなかった。ただ悔しそうに地面を殴るイルラカの眼には涙が滲んでいる。
◆
変わって荒野。
クルスを見下ろしていたサルギナは敗戦を告げる音を聞くと、身を翻す。
「ロ、イズっ。逃げん、のか?」
「ああ? 何言ってんだお前。その音、お前らの敗戦の音だろ?」
「関係ねぇじゃんね……。オラ、来い、よ」
「時間外任務はお断りだ。俺は帰る」
サルギナは樹楊が決めた事を知ってる。やれやれ、と嘆息し部下達へ帰還を促した。しかしクルスは前に立ち塞がってくる。息を切らし、震える足で懸命に勝負を挑んでいた。それでもサルギナは相手にしようとはしない。
「構えろっ、じゃねーと、殺、すぞ?」
「どーぞご勝手に。戦意のない俺を殺して満足ならそうりゃいい。俺は帰るから背後からでも襲って来いよ」
サルギナは失意のクルスの横を無言で通り過ぎる。
朝日がクルスの背に暖かい光を浴びせるが、その姿は弱々しくもあった。
やがてサルギナの隊は砂煙を上げながら帰還し、残されたクルスは俯くと剣を地に投げて拳を固く握る。緑色の瞳からは純粋な悔し涙がボロボロと零れ始め、口はへの字に歪んでいた。
「くそが……。くそが、クソがぁ! ロイズ! …………くそ、がぁ」
クルスの負けだった。
終始冷静だったサルギナは僅かな隙を衝くという地味な攻撃を繰り返す事で、確実に体力を奪っていた。確かにクルスの方が実力的に上だった。しかし、背負うものが違っていたのだ。
いつまでも牙を持ち続け、己の為に生きるクルス。
対して、牙が丸くなろうと護るべきものがあるサルギナ。
決して負けられない覚悟を背負っていたサルギナだからこそ、クルスに勝てたのだ。
こうして大戦は早期に終わりを迎えた。
しかしスクライド軍の大半が狐につままれたような勝利で満足に喜べずにいる。誰かがラクーンに説明を求めるも、小踊りで忙しいらしくまともな返答が返ってくる事はなかった。
生き伸びた兵達が本陣に集まってから三十分後、森の中から深緑の革鎧を纏う女兵士とそれに肩を預ける男が現れた時、どよめきが沸き起こる。
その二人はざわつく群衆を掻き分け、ラクーンの元まで行くと誇らしげに笑った。
「スクライド第十二番隊小隊長・ミゼリア・クライド=セレア。只今帰還しました」
「同じく十二番隊速突兵・樹楊。只今、きか、んっ……しま」
樹楊はミゼリアの肩からずるりと落ちるが、その顔は穏やかで安らかな寝顔だった。応急処置は施してあるが、胸の傷も浅くはないのだ。ここに戻り、皆の顔を見た途端に気が緩んだのだろう。
その樹楊にラクーンは優しく言う。
「お疲れ様です」