第二十八章 〜猛攻とその裏〜
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スクライド全軍が撤退して身体に自由が戻りつつあったクルスの元に一時帰還命令が届く。ようやく見付ける事が出来た獲物にまんまと逃げられたクルスは激昂しながら雇い主に噛みついた。通信機の向こうから聞こえてくる声が落ち着き過ぎているのも神経を逆撫でする。
「俺ァこのままロイズを追っ掛けるつってんだろ! 邪魔すんじゃねぇ!」
「駄目だ。これは大戦なんだぞ。お前らがこれまでにやってきた賊狩りとは訳が違う。それにお前は雇われの身だろう? 素直に言う事を聞け」
発信者であるバリーは溜め息を逃がしながら感情を殺した声で淡々と告げてくる。何度反抗しようが、返ってくる答えは変わりない。
クルスは歯をぎりぎりと噛み締めると通信機を握り潰し、バイクに跨ってサルギナが消えていった方角をずっと睨み続けていた。
サルギナとの命の取り合いはこれまで生きてきた中で最高とも言える瞬間だった。たった一秒も気が抜けない、全身の毛が逆立つあの感覚は初めてだった。それでこそ、自分がこの砂嵐を立ち上げた意味があるってものだ。
声を荒げて通信機を壊し、怒りを包み隠そうともしないクルスの元へ一人の部下が歩み寄り、どうするか尋ねる。すると、クルスは歯を見せて笑った。
「ここは言う通りにするしかねぇだら?」
「いいんですか? 俺達は別にこのまま攻めても」
「仕方ないじゃんね。雇われの身だし、素直に従おうや」
決して八つ当たりなどしないクルス。
部下達にも一時帰還の命を出して先頭を走る。集合場所は確か廃墟に入ってすぐのビルだったはずだ。結構大きなビルで、そこが賑わいを見せていた事がすぐに解った。かつては大陸全土で好景気を見せていたのだが、今ともなればそのビルと同様に世界中が廃れ始めている。クルード王国に限っては貧困の差は大きくないが、ダラス連邦など格差社会の見本だ。純国民はほぼ全員アシカリに追いやられ、親がいないロストチルドレンなんか数えきれないほどにいる。
そういえば。
ダラス連邦に雇われて初めてアシカリに訪れた時、独りでこそこそと生き永らえている子供がいた。初めは仲間に使いっぱしりにされている奴かと思ったが、何度かアシカリに訪れていると、その子がたった独りで生きている事が解った。懸命に生きている目が印象的でよく覚えている。そいつは女の子で、そこそこ整った顔立ちこそしているが、やっぱりみすぼらしい格好をしていた。まるで貧乏が服をきているようなモンだ。あの子は今も生きているだろうか。
そんな悠長な事を考えながら、ライトが点滅しているバイクを走らせるクルスの前方の地面から無数の剣が突き出てくる。それは墓標のように。
クルス達は咄嗟にバイクを横にし、寸前のところで止まると辺りを見回した。
何者かが居る事は確かだ。こんな常軌を逸したトラップを仕掛けた記憶など無い。スクライド軍の仕業とも考えたが、まさかこんな所まで攻めてきているわけがないと考えを改める。
「ちっ、誰だ。こんなトラップ仕掛けたのは」
誰かに尋ねるわけでもなく、ぼそっと呟くクルスは部下に警戒を促して戦闘態勢を整えた。奇襲を受けた時、又は姿が確認出来ない者を相手にするのみに組まれる陣形を構成し、しつこく辺りを見回す。しかし、見当たらない。気配すらない。
「お前ら、陣を解け。このトラップを迂回していく。だが油断はするな。他にもトラップが…………」
区切りを悪く口を閉ざすクルスに、部下はぽかんと情けなく口を開いた。クルスはホルダーから剣をゆっくり抜くと、トラップの向こうに重く沈む闇を見据える。その表情には焦りが見当たらないが、トラップだと思っていた剣が次々に消えていくと固く結んでいた口が徐々に開いていく。地表には傷一つない。剣が突き出てきたというのに、その痕が一つもないのだ。
「そこに居るのは誰だ? 姿見せろ……」
片手で持った剣の先を突き付けながら静かな声で告げると、その闇から浮き出てくる少女。髪が白く、子供と間違いそうな背丈だ。見せたくないほどの傷を負っているのか、片目に布を巻いている。それは確かに少女だ。
しかしクルスは目を疑うかのようにサングラスを外す。そのサングラスは暗視フィルムを張っているお陰で肉眼よりも暗闇の中がよく解るのだが、何故かクルスは外した。
それは、その少女が幻のように見え、その姿を肉眼で確認したかったのだ。そうでもしなければ、その存在を認める事が出来そうにもなくて。
少女は足音すら出さずに近付いてくると、クルスの前でぴたりと止まる。そして首を傾げ、
「……きょーくんは?」
「は?」
何を言っているのかサッパリ解らない。人名のように聞こえたが、その蚊の鳴くような声で尋ねられると、何を聞きたいのか解らなかった。しかしこの少女からは殺意の欠片も感じない。すると、あの不可解なトラップはこの少女ではないのか。
それでもクルスは何故背筋がざわつくのか、警戒を解けないでいる。選択を間違えれば命が飛んでいきそうな、理不尽な感覚。知らぬ内に冷や汗が一つ、地に落ちていた。
今度は逆に首を傾げる生気を持たない瞳の少女にクルスが答えあぐねていると、部下の二人がその少女に近付いていった。
「ここは今、戦場なんだ。早く帰んな」
「そうだぜ? 危ないからさ」
一般人にも冷酷な砂嵐の団員だが、あまりの儚さに心を動かされたのか言葉が優しかった。しかしその優しさが裏目に出ようとは誰が知っていただろう。
帰路を促す二人の背中に剣が突き刺さったのだ。それは、部下の背後の空間から現れた二本の剣。クルスの目の前で歪んだ空間から現れた剣だ。
二人の部下は心臓を一突きされ、糸が切れた人形のように地に崩れた。そしてその向こうには、顔に返り血を浴びた少女が価値を求めない瞳でクルスを見つめている。
これでハッキリと解った。先程のトラップだと思っていた無数の剣は、この少女が出した剣である事が。この少女が特殊三系統と呼ばれる異端の魔術を操る者である事も、これで……やっと。。
しかし、何故この少女がこの場に居るのか解らない。見たところ、スクライドの兵ではなさそうだ。それなら何故、この場に居る? そもそも何を尋ねてきたのか。
「なぁ。お前は何をしに来たんだ?」
「……きょーくん、探しにきた」
「キョークン? 人か? それともペットか?」
反撃に出ようとする部下を手で制し、クルスは堂に入った姿で問う。しかし少女は身を翻して歩き出した。こちらがそのキョークンを知らない事が解ったのか、時間の無駄だと思ったのか。どちらにせよ、部下を殺されてまで穏便に済ます気はない。そこまで、いや、元々出来た人間ではないのだ。
一瞬で殺意を爆発させるクルスが足を踏み出した時、少女はそれに気付いたかのように振り返ってきた。その瞳はあまりにも儚く、悲しく……そして怒りに満ち溢れている。触れる者ばかりか視界に入る者すら破壊する為に向ける眼差しに、クルスは生まれて初めて『怖気づいて』しまった。
二歩目の足が前に出ない。啖呵を切る言葉も、戦闘意欲すらも出ない。しかしそれと同時に、この少女を欲しく思った。
殺戮の女神。
そうとしか言えない。
この少女は死を司る女神だ。
「なぁ、俺がそのキョークンってのを見付けたら……俺の女になれ」
「なっ、クルスさん! 何をっ」
盛大に戸惑う部下を無視するかのようにクルスはその少女を鋭利な瞳で見続ける。少女は十二分に間を置きながら瞬きを三度ほどすると、首を振って闇の奥へと存在を溶かしていった。
「やけにアッサリと断られちまった。……でもそれで諦める俺じゃねぇじゃんね」
肩で剣を弾ませてニヤけていたクルスだったが、すぐに気分を切り替えて帰還ポイントまで急いだ。こうしている暇があるならさっさと侵攻の許可を得てスクライドに攻め込みたい。少女の事は大戦を終えてから調べても遅くはないだろう。これからの事を考えるのが俄然楽しくなってきたクルス。大きく裂けている口端を釣り上げて砂煙を巻き上げた。
鼻歌混じりに着いた帰還ポイントには多くのダラス兵と数々の傭兵団がいて、それぞれがクルスにとって気に喰わない声を上げて笑っている。大方、スクライド全軍が退いた事に満足しているのだろう。何処までも呑気な連中だ。あれは劣勢に退いたわけではなく、何か策を成す為の退き方だ。大した実力がない奴らで突っ込めば返り討ちに合うのは目に見えている。
部下を適当な場所で休ませ、ポケットに手を突っ込んだまま軍議が行われるだろうビル内に入る時、他の傭兵団の数名が安っぽいニヤケ面でじろじろと視線を這わせてきた。
「砂嵐の頭領であろうお方が、たった一隊を仕留められず逃がしたそうじゃねぇか」
「それがどうした? お前には関係ないじゃんね」
何処までも神経を逆撫でてくる奴等だ。これが戦場であれば間違いなく殺しているところだが、ここは目があり過ぎる。暴れるわけにはいかない。
砂嵐は良い意味で目立つような傭兵団ではない。
不意打ち、奇襲、騙し打ち、裏切り……。クルスは勝つ為なら何でもしてきた。人の尊厳だの命の尊重だの、反吐が出る。勝ってこその戦いだ。己が進む道に茨が絡みついているのなら、その根元から焼き払おう。後ろ指を差す者がいるのなら、肘から先を切り落とし、その指ごと連れて行ってやる。恐れを抱く目を向けるなら、この姿が二度と見えぬよう抉り取ってやろう。それがクルスだ。
それでも今は雇われの身である以上、下手な事は起こせずにいる。と、考えるのは常識人だけであり「情けねぇ」とまで吐き捨てられた今、クルスは抜剣した。
一番近くにいた不幸な奴の腹に剣を刺し、吊るした魚を捌くようにゆっくりと上げていく。
「ぎぃやぁぁあぁぁぁぁっぁ! や、やめっ!」
決して静かではなかったこの夜空の下に、ありったけの悲痛を込めた絶叫が木霊すると、全員の目がクルスに集まった。クルスの部下はそれに気付いたが、溜め息を吐くだけで止めようとはしない。まるで見慣れているかのように。
クルスは切り裂いた腹に荒っぽく手を突っ込むと、サングラス越しに狂人の瞳を向けて空いている手で喉を潰すように握る。
「何をビビってやがる。お前はこれを望んでいたんだらぁ? 喜べよ、オラ」
「ぐげっ、ぎゃっ……ひゃ、ひゃめっ」
漏れてくる呼吸を閉ざすべく、そして耳障りな悲鳴が出ないように喉を潰したクルスは勢い良く腹から手を抜いた。クルスを挑発した愚かな傭兵は酷く痙攣しながら白目を向けると、腹から血を放射してがっくりと息途絶えた。
「クカカカカッ。面も汚けりゃ、血も汚ぇ奴だな」
真っ赤な手袋を舌全体で舐めるクルスはこの男の仲間である、声を失って怯えている傭兵に近付く。引き摺り出した残骸とその殻を踏みにじり、じわじわと。
「す、すまねぇ。あ、あやっあや、謝るか、ら。な?」
「こう見えても俺は花が好きじゃんねぇ。特に真っ赤な花は最高だ」
「な、何をっ。お、おお俺はおれはっ嫌だっ」
躊躇いがちに突き出した両手を振りながら後退りする傭兵だが、ほどなくしてビルに背を預けてしまう。逃げ場を失って絶望を顔に張り付ける傭兵は、迫り来るクルスの凶悪な笑みに吐き気を催したのか口を塞ぐ。
「だけどな、花は一輪じゃ足りねぇんだ。寂しいだろ。お前もそう思うだら?」
答える前に髪を掴み、刺突の構えを見せるクルスの眼には理性というものがなかった。半分とは言え、サラと同じ血を流す者には見えないその残虐性。周囲の者達も最早止める事すら思い付かないようで、そればかりかとばっちりを受けないように避難し始めている。
「お前も汚ぇ花、咲かせろや」
殺意に覚醒したクルスはもう止められないと誰もが思っていたが、そうでもなかった。悲鳴を聞いて駆け付けたバリーがその公開処刑を背後から難なく中断する。
それは、クルスの剣に重力を掛ける事であっさりと。
クルスは途端に重くなった剣を持っている事すら出来ず、手放してしまった。剣はコンクリートの地に深く沈むと、そのまま鎮座する。一瞬、何が起きたか解らなかったが沈んでいる剣を見て誰の仕業なのかを振り返らずとも理解した。それと同時に暴れる血の気も嘘のように引いていく。
「邪魔すんじゃねぇよ、ったく」
「邪魔とは何だ。そもそも何があったのだ」
クルスは頭を掻きながら適当に事の流れを説明すると、バリーの脇を悪びれる様子もなく通り過ぎた。しかし、部下を殺された傭兵団の団長がクルスの胸倉を掴んで声を荒げる。壁に背を叩きつけられて険しい表情で睨まれるも、クルスは冷笑を浮かべて目を細めていた。
「お前! やっていい事と悪い事の区別もつかんのか! これは反逆だぞ! 賊がぁ!」
「だから何だ? ここで争っても俺は別に構わないじゃんね。それに、部下もそうだがお前も俺に言っていい事と悪い事の区別がつかねぇのか?」
クルスはどんな悪評にも眉一つ動かさないが、賊と言われる事だけは我慢ならないのだ。大して変わらない事をしてはいるが、あんな下等生物と一緒にされるのは我慢できない。それを知っていても知らなくても、その言葉を口にした奴は例外なく殺してきた。今も、殺そうとしている――が。
「クルス、もうやめろ。俺達の敵はスクライドだ。無駄な争いは控えろ。お前も誇り高い傭兵ならな」
「……ふん、まぁいいさ。こいつは大戦が終わり次第、バイクで引き摺り回してやる。それから食人蟲の餌にでもしてやるじゃんね」
その言葉を聞いて更に激昂する団長だったが、それもバリーが阻止した。実力差くらい知っておけ、と。するとクルスの胸元を払うように手を放し、不機嫌を足音で表しながらビルの中に入っていく。
「クルス、揉め事は勘弁してくれ。只でさえ纏まりが効かないんだからよ、ウチは」
「なら傭兵団なんざ雇わず、自国の兵だけで軍を構成すればいいだけじゃんね」
「それが出来ないから、こうしてお前達に頼っている。解っているくせに嫌な事を言う奴だよ、お前は」
バリーは疲れたように「やれやれ」と坊主頭を撫で、クルスに腰を叩かれるとビル内に入っていく。どうやら二人はウマが合うらしく、実力がある事にクルスも一目を置いていて、一緒に酒を飲んでも構わないとも思っている。出逢った当初は覇気のないバリーだったが、スクライドの兵を奪還されてからというもの、己を傷めつけるような訓練を重ねて総大将たる威厳をも持ち始めた。いや、もしかすると昔からそうだったのかもしれない。傭兵に戦闘を任せていた所為で死地というものを忘れ、弱くなってしまったのかもしれない。訓練をする事で以前の自分を取り戻したのだろう。
どんなに強靭な植物でも水がなければ枯れてしまうように、戦の中に生きる者も死と隣り合わせに生きてこなければ強くなんかなれやしない。クルスとて、それは同じだ。誰よりも強くありたい。この戦乱の世だからこそ、その力を示して全ての頂点に立ちたいと思っている。だが、その為には金が必要だ。それも莫大な。
しかしながら傭兵という稼業は稼ぎが多いわけでもない。だからこそ、ダラス連邦が持ち込んだ話を承諾したのだ。
この大戦に勝ったらスクライド王国を手に入れる事が出来る。小さな国というのは少しばかり気に喰わないが、それでも一国を手に入れる事は容易ではない。これは巡りに巡ってきたチャンスなのだ。
必ずこの戦に勝ち、スクライド王国を手に入れ、あの白髪の少女を手に入れる。一部しか見ていないが、あの少女の力は尋常じゃないはず。その力をも手に入れればクルード王国を潰す事も出来るだろう。そしてこのダラス連邦も……。
各隊の代表を集めて行われている軍議は、一時間の時を費やしても意見がまとまらなかった。不可解なスクライド全軍の撤退は何を意味するのか。それすらも解らないが罠である事だけは解っている。全拠点を占拠した今、完全に優勢なのだがどうにも腑に落ちないダラス連邦。結局出した結論は、当初の作戦通りに指定されたポイントを侵攻するものだった。
しかし、主戦力を尖兵が誘導するという警戒は敷かれたが。
その頃、森の中を慎重に行動する七人の者、ダラス軍の深緑色の革鎧を纏っている者達が通信兵と定期的に連絡を取り合ってダラス連邦本陣のすぐ傍に来ていた。そして見張りの者にスクライド軍の状況を確かめると、何やら話し合いをして二手に分かれて森の中へと消えていく。その者達が向かう先はスクライド軍が待機しているだろう、本陣。しかし、それを知っている者は誰もいない。
◇
荒野の前でバイクを停め、その上に寝転んで夜空を眺めていたクルス。血生臭くなった革鎧を捨て、代わりに深緑色の長衣を纏っている。寒くはないが、暇な時間だけが流れる下らない待機命令にいい加減に飽きてきた。さくっと暴れてロイズを討ち、スクライド軍を潰したいものだ。まともな作戦も立たないのであれば、軍議には側近を行かせて自分は白髪の少女の探索をしていれば良かったと後悔もしている。
あの少女が口にしたキョークンとやらは、何処かで聞いた事があるようなないような。兎に角、その人間だかペットだかを探していた。ここが戦場であるにも関わらずに。
全く動じていなかった。戦場にも自分の部下にも人の死にも。
そして特殊三系統の魔術を使う者だ。もしやクルードの兵である可能性も考えたが、今まで入念に調べてきた中でそんな情報はなかった。国王の一人娘が裏でこそこそと何かを企てているようだが、その中にいる魔術師に少女のような特徴を持つ者など皆無だ。そもそも特殊三系統の魔術自体操れる者は希少であり、それがクルード王国にいるわけがない。国王の一人娘の側近である者は数通りの魔術を駆使する天才とは聞いているが、それでも三系統魔術は使えていないようだし。
考えれば考えるほど謎が深まるばかりの少女に、恋を逸した思いに駆られているとようやく侵攻命令が下る。クルスは軽やかに身を起こすと尖兵に伝える。
「ロイズには手ぇ出すなよ? アイツは俺の獲物だ」
「は、はい。承知いたしましたっ」
震える身で敬礼した尖兵はバイクに跨ると周囲を警戒しながら主戦力である砂嵐を誘導し始めた。
◆
ダラス連邦に動きがあり、囮を命じられたイルラカは部下を引き連れて廃墟に来ていた。自身の髪と同じ色をしたシルバーのバイクに乗り、紅葉を案じる気持ちを心の奥底に潜めて向かってくるダラスの機兵隊に突っ込んでいく。
見えてきたのは、紅葉が悪戦を強いられていた相手であるスキンヘッドのガガ。イルラカはバイクの武器収納から鞭ではなく幅広の長剣を取り出した。本当は使い慣れている鞭を使いたいところだが、相手は鉄の魔術を使う。この剣でなければ渡り合えないだろう。
イルラカは後方から追ってくる部下達に手だけの仕草で作戦を促す。すると統率の執れた動きで散り散りになった。それを見たダラス軍は一瞬戸惑うが、直ぐに防衛の陣を組み立てて八方からの襲撃に備え、数名は散っていった赤麗を追い始める。
イルラカはその陣形の中に躊躇なく突っ込み、剣を振るった。
しかし、明らかに制空権外からの攻撃に数名の敵兵は鼻で笑うが、正面のガガだけは魔術による鉄鎧で攻撃に備える。
イルラカが振るうその剣は関節を失くした蛇。
剣は無数の節目を持ち、そのバラバラになる刃の中には鞭と同じ素材が使用されていて、伸縮を可能としている。。理不尽に、そして遠近法を無視するかのように襲い掛かる剣は油断をしていた敵兵の喉元を正確に切り裂いていく。
完全に意表を衝いたはずの攻撃であったにも関わらず、本来の目標であるガガを仕留め損ねたイルラカはバイクを停車させると剣を元の形に戻す。
「流石、と言うべきですか。首領が苦戦しただけはある」
「侮られては困るな。だが、その剣を完璧に操れるお前もなかなかだと思うが? 蛇節剣だったか。初めて見るな」
ガガの言う通り、イルラカが使う武器は扱いが難しいとされる武器の一つで、その名を『蛇節剣』という。今は亡きゼクトが使っていた戦闘大鋏は手先の器用さを求められるが、この蛇節剣はそれとは異質であり、使用者も殆どいないのだ。
「それより、銀髪のねーちゃん。紅葉はどうした? まさかお寝んねの時間だとかいうなよ?」
下品に嘲笑うガガの顔にイルラカは自分の中で何かが切れる音を聞いた。ふつふつと沸き上がり、破壊衝動に駆られる。その紅葉を見下す顔も気に喰わないが、何よりも――。
「お前が首領の名前を軽々しく口にするな。地獄を見るだけじゃ済まさないぞ」
褐色の肌に映える銀髪は風に揺れると、その怒り狂った笑みを惜しみもなく見せる。普段は温厚……でもないが、それでも己を失わないイルラカが珍しく理性の鞘を粉々に砕いた瞬間だった。
元より、囮などで終わる気はない。自分が悔しがる紅葉を防衛線に置き去りにしてまでラクーンの命令に従ったのは、この下劣な輩をこの世から跡形もなく消し去る為だ。出来れば紅葉の気持ちを汲んで一緒に来たかったのだが、万全ではない身体で拳まで潰している。これ以上身体を壊されるのは耐えられそうにもなかった。
「お頭様でも敵わなかった俺に、お前が勝てるとでも? だとすればお前が頭をやった方がいいんじゃないか?」
「馬鹿かお前は。例え私の方が強くても、首領の下からは動く気はない。全てを懸けてでも死なせはしない」
どうしようもなく不器用で、本当は泣き虫なのに強がるあのお方。自分の主であり、戦友であり……妹でもある。あのお方が幸せになる為に自分の命が必要というのであれば、迷わず差し出そう。
強い思いを込めた胸の前で片手を様々な形に変えるイルラカは、誰にも聞こえぬほど小さな詠唱を始める。何をしているのか理解出来ないでいたガガだが、降り注いでくる白い結晶に気付くと身体を鉄で包んだ。その際に叫ぶ。
「お前ら、身を屈めろ! これは雪じゃねぇっ。魔法だ!」
ガガの叫びも虚しく、部下達が事を理解するよりも早くイルラカの印の方が先に完成してしまう。指を二本だけ天に突き立てたイルラカは、四期の風よりも冷たい声音で魔術を発動させる。
「吹き飛べ。氷術・爆滅氷蟲」
雪のように美しい結晶は魔術の発動を促されると、羽虫のように複数の敵兵達に纏わりつき、それぞれが青白く輝くと小爆発を起こす。炸裂する爆撃音は連なり、空気を揺るがすと地の砂埃を宙に舞わせた。その砂煙を風が優しく払うと、爆撃を逃れた少数の敵兵と無傷のガガが現れる。直撃した敵兵達も生きてはいるが、相当なダメージに立ち上がれぬ者もいた。
ガガは冷や汗を流すと二本の剣を作り出して構える。
「まさか魔術も使えるとは。しかも片手で印を結ぶなんて……魔剣士ってわけか」
「私は幼少期に魔女と言われた事もあるんだ。あまり侮らない方がいい」
そうは言ったものの、魔術を何度も使用できるわけじゃない。勿論、魔剣士などではなく、半端な魔術師か使えないのだ。魔剣士は蓮のような存在を指す。
しかし、これでガガの行動にも制限を掛けられただろう。敵兵も充分減らす事が出来た。後はこのガガを始末すればいいだけだ。
イルラカも剣を構えると、狩人の瞳になる。
ガガの部下達は、その整った姿勢と闇夜に映える精悍な美に目を奪われつつあったが状況を思い出してそれぞれに構え始めた。
自分は囮。
ラクーンが何を考え、どのような策を練っているのかは解らないがそれには変わりない。時間さえ稼げればそれでいい、とイルラカは判断し、同時に敵兵を殲滅する事をも考えた。
許せるわけがない。
紅葉を侮辱し、その汚らしい笑みで名前を呼んだ事は死に値する。
八双の構えを見せていたイルラカはその剣が持てる軌道と同じく、高速の蛇行で距離を詰めながら武器の利を活かした斬撃を見舞う。予想不可能な剣筋。しかしガガは不敵に笑っていた。
波のようにうねりながら突き進む剣先は鉄を纏うガガの腕に弾かれるが、すぐに軌道修正をし、上空から襲い掛かる。それもガガは容易く弾く。しかしその剣。まるで命を宿しているかのような動きを見せていた。何度弾かれようが、イルラカの手の動きに合わせてうねり、しつこく襲い掛かる。
ガガは弾くだけではなく跳躍をも駆使して避けるが、それを追う蛇節剣。その途中で他の兵をも巻き込み、確実に戦力を削っていた。
「しっつこいんだよ!」
ガガは剣を大きく弾くと、一本の剣をイルラカに向かって投げるつける。それを蛇節剣の腹で弾くが、二本目の剣が飛んできていた。そしてその先からも、鉄の処刑針が雨のように襲い掛かってきている。
流石にこの数は捌き切れない。しかし、避けようものならこちらに向かってきているガガの攻撃を喰らうだろう。
イルラカは咄嗟に印を結び、身の回りを氷で固める術を紡ぐ。
「氷術・氷錬牢籠っ」
歪に固められた氷はイルラカを鉄の針の直撃から護るが、それでも何本かは貫かれてしまう。そして砕ける氷の中から現れたイルラカは肩と太腿と脇腹からは血を流し、二度目の術を使用した反動で呼吸を荒く途切れさせていた。
肉体のダメージは知れたものだが、魔術の使用による身体への負担は予想以上に大きかった。そもそも印は両手で結ぶものであり、魔術師でもないイルラカが片手で印を結ぶという高等技術を駆使できるわけがないのだ。
不完全に結ばれた印により発動した術は脆く、弱いばかりか術者の体力を必要以上に奪ってしまう。それを知らないイルラカではないが、ここまでとは思わなかった。
しかし、こんな事で負けるわけにはいかない。自分には待ってくれている者がいる。まだ、死ぬ時と言われたわけではない。自分の生還を信じてくれている者がいるのだ。
「アナタの鉄魔術はこんなものか。頭と同じく、鋭さが足りないな。ピカピカ光っているだけで面白くとも何ともない」
「……ふん、息切れしてよくそんな口が聞け」
「黙れハゲ」
全く、自分はいつから毒舌になったのだろうか。赤髪のやんちゃ娘の面倒を見ている内に自分にも移ったのだろう。こんな口調では嫁にもいけやしない。まぁ、最も行く気もないが。
イルラカは一度深く息を吸うと、ゆっくりと吐き出し、剣を八双に構える。自分にはこれしかない。だからこそ、迷う事無く闘う事が出来る。
暴言を吐かれたガガは怒りに肩を震わせ、大きな斧を生成して重い構えを見せた。一気に決めてくるつもりだろう。
「来い、ハゲ」
何処までも不敵に笑うイルラカ。
負ける気など、さらさらない。
◆
その頃、第一防衛線に陣を組んでいたサルギナの前にクルスが現れる。尖兵を前に侵攻してきたが、こちらを目にすると獲物を見付けた猛獣の瞳で前に躍り出てきたのだ。この場のスクライド全兵は強張る身体で武器を抜き払い、応戦の意を見せつける。対してクルス率いる傭兵団とダラス兵も交戦の構えを見せた。
「早速会えるとは嬉しいじゃんね」
「そうかよ。俺はスッカリお前から興味を失ったけどな」
サルギナはやれやれと首を軽く振り、今にも襲い掛かってきそうなクルスを見やる。相変わらず全身から殺気を溢れさせていて、背筋を凍らせる奴だ。そんなクルスに血が湧かないわけではないが、今は大戦中だ。自分の思いよりも大切にしなければならない事がある。あくまで冷静にいかなければならない。
いつまでも膠着状態が続くわけのないこの状況にサルギナは手で指示を促し、クルスは剣先を向けてきた。そして互いに口端を持ち上げて声を張る。
「かかれ! 奴等ァ全員ぶっ殺せ!」
「テメェら、ここは死んでも通すな! 何としても食い止めろォ!」
双方の大将の言葉を合図に空気が震えるほどの雄叫びを上げ、大地を踏み鳴らしながら突撃。攻める者と護る者の違いはあれど、その目的が相手の命を奪う事に変わりはない。そのぶつかり合う思いの中心で動かずに視線を結ぶサルギナとクルス。周りで起こる命の奪い合いとは無関係な空間に居るかのように、互いの姿だけを見ている。
ダラス軍はクルスの指示があった所為か、サルギナに攻撃は仕掛けない。しかしスクライド軍の兵士達は相手の大将であるクルスに攻撃を仕掛けていた。だが、その者達は目を合わせてもらう事すら敵わず、たった一振りでこの世から旅立つ事となってしまう。
「ったく、野暮な事をする。俺の相手はロイズだけじゃんね」
やはり相当腕が立つようだ。何気なく振っただけの剣が霞んで見えるほどの剣速でありながら、その一撃は伸縮鋼線を張り巡らせた戦衣を両断するほど重くて鋭い。
伸縮鋼線で構成される戦衣は打撃にこそ弱いが、斬撃に対しては鉄鎧のそれをも上回っている。それでもクルスにとっては関係のない事らしい。
サルギナは重槍を引いた構えを見せると、足を大きく開いて地に胸が着きそうなほど低く姿勢を落とした。重槍を肩で担ぐように、それでも切っ先は目標であるクルスに向けている。
「その構えには期待してもいいのか? まさか奇をてらっただけじゃないだら?」
「どうだかな。俺ァ女の足を広げさせるのは得意だけどよ、自分が足を広げるのは得意じゃねぇんだ。期待しねぇ方が無難だぜ?」
「はっ、食えない奴じゃんね」
「テメェこそな」
クルスはサルギナが踏み込んできた事を確認すると背後に居たスクライド兵を掴み、それを前方へとぶん投げる。その後ろをクルスは追い、刺突の攻撃動作に入っていた。ここでサルギナが跳んで避けたり、その兵を受け止めたりすればクルスの餌食になっただろう。しかしサルギナはそのどちらの選択肢も選ばない。
「っく、ロイズ!」
クルスが驚愕の瞳で捉えたのは、変わらず超低姿勢のサルギナだった。肩に重槍を担いだまま、押し潰されたかのような姿勢のサルギナ。投げられた兵と地面の僅かな隙間を潜っていた。その重槍を引いていた手で弾けば刃は紫電の如くクルスに襲い掛かり、身体ごと捻ればカマイタチの如く。
体術こそ使えないが、この変形の構えはサルギナが得意とする戦闘態勢だった。だが多対一には不向きであり一騎打ちの時にしか見せない。サルギナは自分にクルス以外の兵が向かってこない事を確信したからこそ、この構えを取ったのだ。
クルスは初めて味わうだろう変形であり超低姿勢の相手に後手へと回る他なかった。反撃するも、サルギナの動きはクルスに予想さえさせない。
そしてクルスがバランスを崩した時、サルギナは早期の決着をつけるべく大きく踏み出した。が、しかし。
「甘いじゃんねぇ」
クルスの余裕と殺気がどろり、と混じる緑色の瞳がサルギナの視界を塞いだ。その刹那にはクルスの頭突きがサルギナの額を割り、後方へと吹き飛ばす。
虚を衝く姿勢だけにバランスが悪い構えのサルギナは呆気なく後方へと吹き飛び、クルスは追い討ちを掛けてくる。上空から降ってくるような突き刺しを、身を捻る事で回避するがそれを想定していたクルスは瞬時に回し蹴りと移行。
背を強く蹴飛ばされたサルギナは呼吸を止められながら地を削るように転がった。
「ロイズ、甘過ぎるじゃんね。そんなんじゃ、俺に傷はつけられ」
ぷしっと血を噴き出すクルスの肩。深い傷ではないが、真っ赤な線が一筋入っている。
「傷を……何だって?」
首をコキコキ鳴らし、額から流れる血を払うように拭くサルギナ。得意気に笑みさえも浮かべている。
サルギナは身を捻り、蹴り飛ばされる僅かな時間の中で重槍をコンパクトに振り抜いていた。それは勿論、クルスの首を狙っていたのだがバランスが悪いと狙いも上手く定まらなかった。追い打ちもまともに受けてダメージもそこそこある。
しかしクルスに面喰わせた事は満足だった。
してやられたクルスは肩に手を当て、真っ赤に染まった手を見るとサルギナに視線を突き刺して舌舐めずりをし、留め金であるピアスにも舌を這わせる。
「いつ斬られたか解らなかったじゃんね。これがもう少し角度を持っていたら俺は死…………クッ、クカカカカカカ! 面白ぇじゃん、面白ぇじゃんねぇ!」
大口で笑うクルスの口端を留めているピアスが一つ取れ、その裂け目を広げた。口から漏れてくる吐息は荒々しく、狂っているとしか言いようがない。
「ジャンキーかよ、あいつは」
嫌そうに呟くサルギナだったが、その警戒は解いていないつもりだった。向かってくればすぐに応戦するつもりだったのだが、クルスの動きはサルギナの動体視力を遥かに超えている。
気付いた時には既に肩を斬れらていて、痛みを感じるよりも早く、クルスへの恐怖を身体中が感じ取っていた。そして雨霰と襲い掛かってくる斬撃、刺突は出鱈目で法則性もあったもんじゃない。無理な体勢からも難なく振り抜かれる剣速は隙を作らず、こちらの命を狩り取る事に歓喜を見出しているかのよう。そして力強い。一合受ける度に手に痺れが走り、自然と後退してしまう。
「ロイズ、ロイズ! どうしたオラ! 来いよ来いよ来いよ来いよ! 俺を殺せ! 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!」
「っこ、んの野郎っ。狂ってんじゃねぇ!」
大きくバックステップしながら柄頭でクルスの顎を弾き上げ、その勢いを保ったまま風車のように回転させる。しかしクルスは下から迫り来る刃を足場として柔らかく跳ぶと、サルギナの背後に着地をする瞬間に背中を斬った。サルギナは前によろめき、クルスはその背中一点を見据えて刺突を繰り出すが、何かがその身体を止めた。
クルスは鳩尾に突き立てられている棒を見ると、よやく咽る。
「がっ! ご、ほっ……」
そう易々と命をくれてやるわけがない。
サルギナは突っ込んでくるクルスの鳩尾を柄頭で突いて止めた後、振り返りながら重槍を振るった。鮮やかで重い円斬はガードするクルスの身体を吹き飛ばし、身体を休める時間を作る事が出来たようだ。
クルスの戦闘能力は予想以上だった。
獣だ。比喩でも何でもなく、獣そのもの。本能のみで相手を殺す血に飢えた猛獣だ。
やはり、最初の一撃で仕留めれなかったのは不味かった。無駄に相手を高揚させるだけで、無駄な一手だったと溜め息を吐きたくなる。もっと確実に、正確に狙う必要があったのだ。今こそ、そうしたいのだがクルスはそれを許さないだろう。
こちらを油断する事無く、全神経をより研ぎ澄ましてくるだろう。
「いい加減、俺の愛を受け止めて欲しいじゃんねぇ……。こう見えても俺はガラスのハートじゃんね」
「俺が死ぬ時は最高の女を抱いた後、ベッドの上でって決まってんだよ」
「ッカカカカ。今日はフラレっ放しかよ。白髪の女もお前も、俺の気持ちを大切にしろっての」
白髪の女?
サラの事だろうか。サラは木人だし、なくもない。しかしこんな所にいるわけもないし、そもそもこのクルスが逃がすだろうか。そうすると、蓮という可能性もある。蓮であれば逃げる事も出来るだろう。
何気ない一言に深く考えたサルギナは棒立ちをしてクルスの興味を引くと、事もあろうか煙草に火を点ける。
「……くはっ。はは、ははははははっ。あっははははははははははは! ロイズお前、本当に面白ぇ奴じゃんね!」
「るせぇ、いいだろうが。んな事より、その女ってどんな奴だった?」
「今は戦中だぜ? そんな事、気にするたぁ筋金入りの女好きじゃんね。クッカカカカカカ」
そう言うクルスだが、サルギナから放られた煙草を受け取ると自らも一服し始める。最も、その殺意が収まる気配でもないが。
クルスはニコチンに酔うように深く煙を吐き出すと、口を開いた。
「背は低くてな、白い髪だ。そうだなぁ……人形みてぇで生きてるのかどうかも怪しい奴だったぜ? それと、右目に布を巻いてたな」
それだけの情報で解る。生気の欠片もなく、右目を布で覆う少女と言ったら蓮だと思っていいだろう。しかし解せない。何故戦地にいるのか。何を目的としているのだろうか。クルスの様子じゃダラス連邦に付いたわけではないだろう。もしかしてクルード王国に付いたのだろうか。……解らない。
「ロイズ、知ってるのか?」
クルスは蓮に興味を持っているようだ、が。
「まーな。でもそいつ、好きな奴いると思うけど」
何も考えずに言っただけだった。元々、クルスは人を恋する人種には見えないし、それ以前にクルスの気持ちなんてどうでもいい。てっきり、素っ気ない答えが返ってくるとばかり思っていだが、クルスの返答は気が抜けるものがあった。
「……えー、ウッソだぁ」
好きな子に彼氏がいる事を知った思春期の男の子のように、弱々しい顔になるクルス。自殺でもしそうな雰囲気に少しだけ同情しそうになったサルギナだったが、どうやらクルスは気持ちの切り返しが早いらしい。
「ま、そいつを殺せばいいだけじゃんね。それよか、今は」
「そうだな。今は」
互いに棒立ちのまま、煙草をチリチリと減らす。
身を包むのは深く落ちている闇と、猛々しい兵達の雄叫びと悲鳴。
白い煙を吐くとその向こうには変わらぬ殺意。
二人は何を合図とする事もなく、煙草を捨てると同時に前へ踏み出した。
◆
本陣に戻ったバリーを迎えたのは、依然として元気のないサラだった。
椅子に浅く座り、二時間も前に淹れてやった紅茶に口も付けていない。少しは寝るようにも言ったが、弱々しく頷くだけで動く事はなかった。
どうしたものか。
困っていると、その思いを誤魔化してくれるように通信機が鳴った。
「バリーさま、報告です」
「どうした? スクライドに動きがあったのか?」
「スクライドと言うよりも、白鳳に動きがあるとの報告です」
「どういう事だ? 白鳳は今回動かないんだろ?」
「事前ではそう確認していましたが、スクライドに忍び込ませた尖兵が得た情報では、間違いなく増援に来るとの事です」
バリーの胸に不安がよぎる。
白鳳は排他的国家であり、その戦力は不明。噂では、気を駆使した戦闘を得意とするらしい。そしてスクライドの技術である伸縮鋼線も得たとの事。これは早期に決めなければ不味いだろう。
「それで、白鳳の到着の時刻は?」
「正確には解りませんが、早朝には……」
「そうか。それならば、防衛線に控えている者達を一個中隊残して全軍でスクライドに当たれ」
「はい。承知しました」
「それと、よくぞ冷静に報告してくれた」
「は、はいっ。ありがとうございます」
戦局は思わしくない方に傾いたが、全軍で当たれば問題ないだろう。そして冷静に報告してくれた事は嬉しい事だった。慌てふためく者はこちらの指示をまともに聞けないし、的確に伝えてもくれない。それだけでも良しとする。
バリーは己が攻め込みたい衝動にも駆られるが、総大将を担う身としては下手に動けない。相手は弱国だが、赤麗がいる。首領である紅葉が負傷したとの報告もあるが、侮ってはいけないのだ。何が何でも自分が倒れるわけにはいかない。
鼻息を荒くして椅子に座ると、サラが心配そうな瞳で訊いてきた。
「おっちゃん、戦……どうなるのかな?」
「無論、ダラスが貰う。サラ、お前に悪いとは思わない。俺は軍人だからな」
うん、と頷くサラは良く出来た子だとバリーは思った。
震えてこそいるが、何も懇願せずに未来を受け止めようとしている。だが、そんなに自分を殺す姿を見せつけられると心が痛んだ。
バリーとサラの会話はそれで終わり、時だけが流れた。刻々と過ぎる時間は何も生んではくれず、寒さを思い出させるだけだった。通信兵からの連絡がない事を考えると、事は上手く進んでいるだろう。全軍での侵攻を展開してから一時間。もうそろそろスクライドが悲鳴を上げてもいい頃合いでもある。
外で慌ただしく侵攻に向かった兵達の声も聞こえなくなり、静かなものだ。早朝まではまだ時間がある。ダラスの勝利は揺るがないだろう。そう確信し、サラにもう一度睡眠を促そうと立ち上がった時だった。
外で争う声が聞こえたのは。
バリーは弾かれるように出たが、待っていたのは最終防衛線を担う革の鎧を纏った七人の部下だった。その顔に見覚えがないのは、直属の部下ではないからなのだろう。
「何か声が聞こえたが、どうかしたのか?」
「いえ、何もありませんけど」
にっこりと答える部下に安堵するが、その割れた舌先が蛇の舌のようでいい気持ちではない。何をすればこんな舌になるのだろうか。怪訝そうな顔をする元に、また一人の部下が寄ってくる。やたら目付きが鋭い女兵士で、腕には髑髏の刺青が彫られていた。革鎧の下にはサラシを巻いただけの胸。バリーはこんな兵もいたのか、と感心する。
「報告漏れがあったので、伝えに参りました」
「報告漏れなら、通信機でいいだろうに。わざわざすまないな。それで、その報告とは?」
女の兵士は誰かに道を譲るように半身になると、七人の中で一番遠くの兵を指して「あの者からお聞き下さい」
何を勿体ぶるのか疑問に思ったが、その闇を挟んだ向こうに居る兵士が近付くに連れてその顔が強張っていく。冷や汗が顎先から落ち、思わず自分が後退りをしてしまった事に驚きもした。しかし、驚くなと言われても無理な相談だ。
「報告しまっす」
聞き覚えのある声でおどけた口調の兵士は、革鎧を外しながら近付いてくる。舌先が割れた兵士も、女兵士も意地が悪い笑みを浮かべてこちらを見てきている。
それでようやく解った。してやられた事が。ダラス連邦とスクライド王国は互いの喉元にナイフを当て合っている事が。
「お前は……。ははっ、やってくれるな。それで、報告とは何だ?」
その兵は適度な距離で足を止めると、瞳を誰よりも意地悪く輝かせて不敵に笑う。
「スクライド王国第十二番隊速突兵・樹楊。アンタの命をもらいに来た」