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第一章 〜らしくない剣士〜

 やっぱり間違いだった。

 いくら安定しているからとは言え、自分の身の丈に合った仕事をするべきだった、と、樹楊キヨウは買ったばかりのショートソードを前に掲げて苦笑いをする。

 深い闇の色をしている髪が雨に濡れて、更に暗さを増している。同じく漆黒の瞳は左右へ忙しく動き、逃げ道を探していた。


「やっと追い詰めたぜ。手間取らせやがって、この雑魚が」


 樹楊を見下ろしながら得意げに吐き捨てるのは、無骨な鉄の鎧を纏ったスキンヘッドの大男。その後方にはスキンヘッドの部下二名が剣を構えながら薄ら笑いを浮かべている。

 雑魚呼ばわりをされた樹楊は燃え上がる怒りの炎をたぎらせて剣を振るう、わけなどなく、目の前のハゲ頭を怒らせないように気を使っていた。


 しかし、この状況はどう打破するべきか。

 剣士らしく、腕で勝負。

 大男の鎧は、戦の古傷が無数にも刻まれている。恐らく、何度も死地を潜り抜けてきた戦士なのだろう。対する自分は……


 買ったばかりの剣。

 歯こぼれなし、今日もピカピカ。

 潜り抜けてきた戦地は数十にも及ぶが、大した功績もなし。

 詰まる所、何処にでもいるような一般兵士なのだ。どうあがいてもこのハゲに勝てるわけがない。仮にハゲを倒したとしても、後ろに二人控えている。

 奇跡は起こらないから奇跡と言うのだ。



「は、ははっ。俺を殺しても名誉にはならんだろうし、その剣を傷めるには勿体無いと思うけど」

 樹楊は何とか逃れようとするが、ハゲは強面の表情を動かさずに吐き捨てる。


「我が国、クルードの教えは『皆殺し』だ。例え、弱国スクライドが相手でもそれは変わらん」


 ハゲの国、クルードは生粋の武力国家であり、実力主義の隊を編成している。

 かくいうハゲはクルードの何十とある隊の長であり、その風格は肩書きに恥じない猛々しさがある。その名、プレイオと言う。


「お前も剣士なら己が剣で道を切り拓いてみよ! 戦で死する事を名誉と思え!」

 プレイオはつるつるの頭に青筋を立てながら分厚い剣を荒く横薙ぎにして大喝。


「るせぇ! ハゲ散らかしてんじゃねぇぞ、コラ! 死んだら元も子もねぇだろうがっ」

 樹楊の怒号は後ろの二人、ハゲの部下に焦りを与えた。何やらプレイオの頭をちらちら見ている。



 俯いてぷるぷる震えるプレイオ。

 その頭に弾かれる雨は、面白いように弾んでいる、ように見える。


「お、俺っ……俺」

 泣いているのか? と、樹楊は顔を覗き込もうとした瞬間、鬼の形相で睨まれた。


「俺の頭に散らかすほどの髪の毛はないわぁ!」

 毛がない事を気にしていたらしく、願わずとも逆鱗に触れてしまった樹楊は焦りまくった。


「うお! ちょ、ちょっと待てって!」


「黙れ、小僧! 今真っ二つに――」

 してやるわ、と叫ぼうとしたのだろう。

 しかし部下が寄り掛かり、それを阻止した。


「邪魔をするな!」


 丸太のような腕を振り回し、拳で部下の胸元を鎧越しに殴る。

 部下は力なく吹き飛んで地に横たわると、起き上がってくる事は無かった。

  血が雨と混じり合い、みるみる内に広がっていく。

 プレイオが驚きの音を上げる前に、その隣でもう一人の部下が崩れ落ちると、同じく雨と血の海を広げた。まるで糸が切られた操り人形のように動かなくなってしまった。

 プレイオも樹楊も言葉を失い、雨は自らの存在を伝えるように身体を弱々しく叩いている。

 


 混乱したプレイオは弾かれるように樹楊の方へ振り返り、拳が入るほど大きく口を開けて吠えた。


「小僧っ、お前魔術師だったのか!」

「は? 違うっつーのっ。お前が部下を殺したんだろうが!」

「な、何を!」


 戦からかけ離れた言い争いに、一つの溜め息が重く振ってきた。

 それは、プレイオの頭の上から。


 深紅の長衣を纏った者がプレイオの頭の上に乗り、同じく深紅の剣を肩に担いで見下ろしてきている。

「アンタら、馬鹿? 剣士なら口の前に手を動かしなさいよね」


 ちらっと視線を向けられた樹楊は、言葉を詰まらせて後退ると下げていた剣を構えた。

 その声音は少女のようだった。

 プレイオの滑りそうな頭の上に立っているから解り辛いが、背丈も高くない。


「いつまで人の頭の上に立っているか小娘! この狼藉、ただでは済まぬぞ!」


 プレイオは、いよいよ顔を真っ赤にして吠える。抜いていた分厚い剣を強く握り締めて――が、気合いのみで動いていそうなこの大男まで意識が切れたように動かなくなった。


「あら、ごめんね? 今降りるから」


 少女が背のホルダーに剣を納めるのが合図のようだった。

 プレイオの身体が股間から脳天まで一直線の線が浮き上がり、地へ落ちて行く少女の両足に裂かれるように広がっていく。

 二分の一になったプレイオの身体は、切断面から大量の血が天に向かっていくが、やがて重力に負けて地に落ちる。


 雨と血の共演の中、少女は樹楊を見つめたまま動かない。

 樹楊の首筋から背筋に、蟲が這うような寒気が這いずり回った。

 本能が告げてくるようだ。逃げなければ不味い。

 対峙していたプレイオは口先で巻けると思ったが、この少女には通用しない。

 退路を探そうかと広がる視界に集中した瞬間。


 ぴちゃっ……。


 少女が樹楊に向って足を踏み出す。

 一歩、また一歩と。確実に。

 樹楊もそれに倣うかのように一歩一歩、後退る。しかし、それは長く続かなかった。

 樹楊の後方は崖の壁面で行き止まりなのだ。


 逃げ場をあっという間に失った樹楊は動けぬまま、少女の近接を許してしまう。


 ぐっしょり濡れた前髪から流れてくる雨垂れが目に入るが、瞬きなんかしていられない。

僅かでも隙を見せようモノなら、成れの果てはあのプレイオのように……。


 少女の顔はフードが傘となって見えない。

 今、どんな目をしているのかも、解らない。

 それだけに不気味さばかりが増していく。


「ねぇ」

「な、何だっ」


 心臓が飛び出すかと思った。

 剣士なら口より先に手を動かせ、つまり敵を殺せと言ったのはこの少女だ。

 まさか言葉を発するとは思ってもいなかったのだ。


 少女は顔を僅かに上げてくると、片目だけがフードの隅から覗かせた。


「ふふっ、何その顔。不細工ね」


 殺意は感じられない。

 そればかりか、心なしか馬鹿にされているようにも感じた。


「アンタ、その戦衣を着ているって事はスクライドの剣士ね?」


 プレイオが纏っていた重い鉄の鎧とは違い、厚手の布で出来た藍色の長衣を着ている樹楊。

 樹楊は慌てて自分の戦衣を見やり、ぎこちなく頷く。

 

「そう。なら助かった。ねぇアンタ、この戦の指揮官の所まで連れてってくれる?」


 訳が分からない。

 何が目的なのかも、一欠片も解らない。

 時間を止められたように動けずにいると、森の外から大歓声が沸き上がる。

 それは歓喜に満ちていて、弾んでいた。

 少女は視線をそちらに向けると「撃退成功ね」と、どうでも良さそうに呟く。

 天が歓声を受け、雨を落とす事をやめると、彩色が鮮やかな虹を空に架ける。


 少女は天に向かって鼻で笑い、フードを邪魔そうに払い除けると、その中から姿を現した真紅の髪が木漏れ日を反射させた。

 赤よりも紅く、猛々しく揺れる髪は背中の中心まで伸ばされている。


「さ、行こう? 敵は撤退したみたいだし」


 その少女の眼は剣先よりも鋭く、大きな瞳は無邪気に輝いている。意地悪に結ぶ口は薄紅。

 幼い容姿だが、どこか大人びていて繊細。


 少女は身を翻すと、歓声が鳴り止みそうにもない森外へ向かって歩き出す。

 炎は何でも焼き尽くすって本当らしい。

 少女は思い出したように足を止めると、振り返ってくる。


「戦が怖いなら剣を捨てる事ね、ガキ」


 そんな悪態を吐かれたというのにも関わらず、少女という炎で樹楊の目は焼かれていた。



 過ぎていく時間に我を取り戻した樹楊は、値踏みするような目で地に転がる三本の剣を眺める。そしてその三本の剣を纏めて持つと、森の木々な立ち並ぶ中へ放り投げる。



「戦が怖くても剣は捨てれねぇんだよ」


 舌打ちをし、自分も歓声の渦を目指して歩き出す。



 ◇


赤麗セキレイ? 何だそりゃ?」

 スクライド本国に戻った樹楊は、城下町にある一軒の酒場、その隅のテーブル席で友のアギと勝ち戦を祝っていた。


 アラサード・ギギト。

 通称アギ。

 

 年齢は樹楊と同じで十七歳だが、小隊長を任せられるほどの腕を持つランサーである。

 アギは寸胴なグラスに入ったブランデーを一口飲むと「知らんのか?」と訊き返してくる。


「知らん、そんな怪しい部隊」


 樹楊は異常な盛り上がりを見せる店内を一瞥しながら返し、樹楊の心情を察したアギが苦笑しながら宥める。


「まぁ、仕方ないだろう。あのクルードを退けたんだ。騒ぐのも無理はない」


 金色の髪を掻き上げて、優しい碧眼で見てくる。戦ともなれば鬼の様な剣幕をするくせに、普段は柔らかな面持ちのアギに、樹楊は仕方なくといった感じで頷く。



「で、その赤麗ってなんだ? 今日の戦はそいつらの力のお陰らしいけど」


 アギは、あぁと頷くとグラスを置いて思いに更けるように口を開いた。

「赤麗ってのは、十人編成からなる傭兵みたいなモンだ」

「みたいな? 随分濁らせるんだな?」


 アギは苦虫を噛み潰したような顔をすると、続ける。


「傭兵ってよりも、賊みたいな奴等さ。何処の国にも所属せず、金で動く血の気が荒い奴等の集まりだ。赤麗という名前から取ったのか着ている長衣は真っ赤でな……他説では、返り血に染まりまくった白の長衣を見た者が『血のように麗しい衣』と言った事からついた名前とも言われている」



 樹楊は思い出した。

 昼間、血吹雪と雨の中に立ち尽くす少女の混沌とした姿を。

 彼女の顔を見た瞬間、戯曲にでも出てくる妖精を連想したがそれは違う。

 アレは、血に飢えた狂戦士のハズだ。

 首筋に残っていた寒気が再度走り出す。

 樹楊は首を撫でると、小樽に入った葡萄酒をあおるように飲み干した。



「なるほどね。金で雇われた赤麗が、俺達に加担してくれたお陰で今日は勝ち戦に酔えるってわけか。この先も助かるね」


 

 皮肉そうに吐き捨てる樹楊だが、アギの面持ちは強張る。

「キョウ、赤麗を雇う事が何を意味するのか解ってるのか?」


 キョウじゃなくて、キヨウだっつーの。と、突っ込んでいたのは十年も前で、今となってはあだ名のキョウと呼ばれるのが自然となっていた。

 樹楊は「さぁね」と興味無さそうに酒を飲む。これで十杯目の酒。

 そろそろ出来上がってくる頃合いだ。


「赤麗は大金でしか動かないらしい。今回奴等に積んだ額は一年雇用契約で三億ギラだ」

「さっ、三億!?」


 樹楊の渾身の叫びは酒場の隅々に行き渡り皆振り向いてくるが、何もない事を確認すると各々の話で再度盛り上がりを見せた。樹楊はそんな事も知らず、指折り金の勘定に入っている。自分の月の俸給は三〇万ギラ。これは国に仕える剣士以外の一般人の平均月収だ。一年で約三六〇万ギラ。


 これの約百倍の額を赤麗は受け取っている。

 一人当たりにしても、樹楊の年収の十倍近くになる。

 しかしアギは

「奴等が貰う額などどうでもいい」と呟く。


「俺が言いたいのは、何故俺達ような貧乏弱国がそれほどの大金を積んだって事だ」

「何が言いたいんだよ?」

「解らないか、キョウ。大金を積んでまで奴等を雇うって言う事は、だ」


 アギの瞳に険しさが彩られ、悔しそうに見つめてくる。

「本気で戦を始めようって事だ。今日みたいな防衛戦だけではなく、侵略戦も展開されるだろう」


 スクライドは弱小国故に、戦が始まった三十年も前から防衛戦を展開してきた。

 大陸南西部に構えている弱小国で、昔は広い敷地を占拠していた。しかし、強国クルードによりじわじわと追い詰められ、今となっては後に退けない状況までに悪化していた。

 このままではクルードに乗っ取られると焦り出した国王は己の権力を失いたくないが為、大金を積んでまで赤麗を雇ったのだ。



「まぁ、赤麗とは今日が初めての対面だ。戦はしばらくないだろうが、気をつけろよ」

「何で気ぃつけにゃならんのだ」


「赤麗の首領は気性が荒いらしくてな、いくら雇われているからって気に喰わない奴は斬ると豪語していたみたいだ」


 アギは他人事のようにカラカラ笑い、肩を叩いてくる。大方、素行を正すようにと言いたいのだろう。樹楊は鼻を鳴らすと、おつまみの乾燥豆を指で弾いてアギにぶつける。


「いてっ。それが小隊長に対する態度か、ったく」

 そう言いながらも笑顔を見せるアギ。


「気ぃつけろったってな、その首領とやらの特徴が解らんとどうしようもないだろーが」

「あぁ、それなら簡単だ。赤麗って部隊名の通り、髪も剣も真っ赤らしいからな。人目で解るだろうよ」


 髪も、剣も……?

 アギの言い方からすれば、その特徴を持つ者は一人だという事だ。そうなれば、昼間に剣を捨てろと言ってきた奴が……。


「あれ? アンタ、まだ剣士のつもり?」


 背後から聞こえてくる声は、明らかに自分に向けられた言葉。自分にはスクライド国内の酒場で出会うような女の知人は居ない。だが、振り返らなくても解る。

 忘れたくても忘れられそうにもない、この澄んだ声は、間違いなくアイツだ。


 樹楊が思っていた通り、昼間にプレイオを両断した赤麗の首領が仲間を三人引き連れて後方に立っていた。

 アギはスッと立ち上がると、一礼。しかし樹楊は立ち上がるどころか、見向きもしない。しかし、目で訴えてくるアギに気付くと小さく溜め息を吐きながら立ち、振り返って首だけを微かに倒す。



「どうも、剣士失格の樹楊と申します」

「樹楊……。アンタ、私と同じ燈の国の血を引く者?」



 物珍しそうに尋ねてくるが無理もない。

 この大陸にはソリュートゲニアという大陸名があり、この大陸で生きる者の大半がソリュート人なのである。

 ソリュート人の特徴は色素の薄い髪に、綺麗な碧眼で長身。

 対して、数百年も前に姿を消した燈の国・燈神人の特色は平均身長がソリュート人よりも低く、中には色素の薄い瞳を持つ者もいるが、大半は黒い瞳をしている。


 そしてその燈神の血を引く者は大陸人口の一割もいない。

 その然るべき問いに樹楊は「さて」とはぐらかすと、また座って酒をあおる。

後ろの部下が剣を手に取ろうとしたが、赤髪の首領は手で制した。その隙を埋めるかのように、アギが己を名乗る。


「私はスクライドの第三番隊小隊長、アラサード・ギギトと申します。アギとお呼び下さい」

「私は赤麗首領の紅葉アゲハ(コウヨウ アゲハ)よ。呼び名は何でも構わないわ」


 紅葉は目の前のアギには関心を持ってはいないようで、ソリュート人で埋め尽くされた酒場を見渡す。その深紅の長衣を纏った赤麗のメンバーは酒場に溢れていた賑わいの音を消し、注目の的となっている。

 

 あれが赤麗……?

 ウソだろ? などと、ちらほらざわめきも起こり始めてくるが、当のメンバーは気にも留めていない。


 しかし、スクライドの剣士たちが驚くのも当然と言えよう。

 今、ここに居る赤麗のメンバーは皆女性であり、華奢な身体をしている。

 まさか、この者達が強国クルードを退けた立役者だとは思ってもいなかった。


「ところでさ、この街に酒場って他にある? ここで三軒目なんだけど、どこも剣士で埋め尽くされてんのよね」


「それは申し訳ございませんでした。アナタ方のご助力により、久々の快勝に皆喜びを分かち合いたくて。ですが今、私達は帰る――」


「空席がねぇなら外で飲めばいいだろ?」


 アギが気を利かせ、紅葉達に席を譲ろうとしたのだが、それを樹楊は遮るばかりか悪態を吐く。まるで昼間の仕返しとばかりに。


 その態度に怒る紅葉の部下が剣を抜くが、刀身が半分見えた所で、またも紅葉が制す。


「ここのテーブル、相席出来るわよね?」


 紅葉はそう尋ねてくると、許可もなしに隣に座って来ては悪戯に踊る眼で見つめてくる。この黒真珠のような目は何度見ても飽きそうにもない気がする。

 樹楊は一瞬心を奪われそうにもなったが、立ち上がるとアギを出口へと促した。そしてつまらなそうに歩き出す樹楊の背を、紅葉の声が軽く叩く。


「次の戦、私の傍にいる? 命だけは護ってあげられるかもよ? らしくない剣士さん」


 アギは紅葉と樹楊を、疑問符を浮かべながら交互に見る。

 しかし、自分の居たテーブルが既に赤一色に染まった事に気付くと早足で樹楊の後を追う。



 樹楊の美酒酔いは、すっかり冷めていた。



 ◆


 翌日、スクライド国王は謁見の間にて国内の剣士と赤麗との対談の場を設けた。

 これから先、そう遠くない日に起こる戦の為の下準備を兼ね、剣士等と赤麗との連携を取る為だろう。


 いくら赤麗が戦慣れしているとは言え、相手はクルード王国。前日退けた相手はその牙城の一角にも満たない。恐らくクルード側にも赤麗と手を結んだ事が割れているだろう。次に刃を交える時は、向こうも精鋭を揃えてくるはず。

 そうなれば行き当たりばったりの作戦はまず、通用しない。赤麗と意志を疎通し、呼吸を合わせる必要性がある。


 その為の対談という名の重要会議が、本日昼食を挟んで行われようとしているのだが、下っ端も下っ端の樹楊はその場に呼ばれる事はない。 本人もその方が好都合と思っている。

 肩書きなど必要ない。高い俸給を無理して望んだ事もない。

 ただ自分は生きなければならない。

 生き続けて、安定した収入を得る事が最も重要な事、と樹楊は強く思っている。



 ◆


 対談が行われる数時間も前。

 朝日も昇らぬ未明に紅葉は目を覚ました。

 枕が変わっては寝つきが悪いタイプなのか、目の下に薄っすらとクマを浮かべている。

 大きな欠伸をし、一年間の住処として与えられた新築のビルの最上階から窓の外を眺めては欠伸をもう一度。

 

 慣れないものの、悪くはない条件が揃っている。このビルだって新築十階建てで、赤麗メンバーの一人につき各階一階ずつ与えられた。

 このビルには赤麗しか足を踏み入れられない。


 全く、スクライドの国王は貧乏のクセに太っ腹だ、と、自分が要求していた事だとは綺麗さっぱり忘れていた。


 風が窓からそよそよと入ってくるとなんとも心地いい。まだ肌寒くもあるが、休む事もなく戦い続けてきた身としては、安心して眠れる事は大きかった。


 大きく伸びをし、また窓の外を眺めると薄暗い街の中を歩く人を発見した。

 そいつは足音を消しているのだろう。一歩一歩に神経を集中しているようだ。


 おじいちゃんの早朝徘徊にはまだ早すぎる。かと言って敵が街中を堂々と歩くわけがない

 ならば何故、あいつは辺りを警戒しているのだろう。


 そいつにとっては幸いなのか、街中の電気はまだ一つも点いていない。

 陰に隠れるようにそいつを見ていたが、そいつの姿を確認した瞬間に溜め息が出た。

 緊迫していた所為で、その重さは鉛のよう。


「何やってんのよ、あのバカ」


 何をやっていようがバカと言われそうなそいつは、樹楊。誰が見ても怪しげに歩を進めている。新米の泥棒でさえ、そんな怪しげな歩き方はしないだろう。

 紅葉は痛くなりそうな頭を押さえ、ベッドに潜り込もうとしたが、何故か気になった。

樹楊が何をしようとしているのか。


 机の引き出しから名刺ほどの大きさに畳まれた透明フィルムを取り出し、ぱっと広げる。フィルムは折り目もなく平面に広がると、全面に緑色の光の線が複雑に浮かび上がってきた。

 半立体的に浮かんだ線はスクライドの城下町の地図を現すもので、紅葉の現在地が赤く点滅している。


「あいつ、裏門に向かってる……?」


 地図を指先でなぞりながら行き先をシミュレートしてみると、一番の有力候補は街と外界を隔てる門に辿り付く。しかしそこは一般人の出入りが規制されている裏門。スクライド兵士の認証カードを持っていれば別だが。



 紅葉は地図を折りたたんでポケットに入れると、部屋の中をうろちょろしながら考え込んだ。今日はスクライドの宰相と上将軍らとの対談を控えている。望んだ事ではないとは言え、放棄するわけにはいかない。その場で契約金の吊り上げも目論んでいる。


 しかしあのバカの行動も気になる。何故かは知らないが、長年の勘が冴えるのだ。

 面白そうだ、と。

 つまるところ、固い話よりも面白そうな事をしたいのだ、紅葉は。

 子供が秘密基地を見つけにいくような、そんな気分にもなってそわそわしている。


 だけど数時間後には対談が、でもあのバカは今も裏門を出ようとしている。かつてないジレンマに身悶える紅葉はパタパタと歩き回り、ようやく頭の上で電球が輝いた。


「これで完璧っ」


 弾む声と足でビルを抜け出て裏門を目指す。

 帯剣はしてあるし、外で魔獣種に出会ったとしても心配はない。


 数時間後、赤麗のビルの八階で絶叫が木霊する。実質ナンバー・スリーであるイルラカの部屋の前には紅葉からの置手紙が。


『対談よろぴくにゃん』と、直筆のサイン付きで書かれ、扉に挟まれていたのだ。しかもハートマークが可愛らしく手紙の中で踊っている。


「首領――――!」


 イルラカは手紙を親の敵と言わんばかりに破り捨て、駆け付けた仲間に取り押さえられる事となる。



 ◇



 イルラカが絶叫を上げるまであと三時間。

 その頃、紅葉は樹楊の後を着けて森の奥深くまで来ていた。

 樹楊は裏門を出ると物凄いスピードで駆け出したのだ。足の速さには多少の自信があった紅葉でさえ、見失わないように着いてくるのがやっとだった。しかし森の中に入ると、その足を止めて辺りを探るように奥へと進んできた。



 紅葉は目線だけで辺りを確認すると、自然と顔が強張る。


 まだ消えぬ血の匂い。

 まだ腐敗せぬ死骸の数々。

 ここは前日クルードとの戦地であり、その名残が死骸として残っている


 樹楊は何をしに来たのだろうか。

 まさかアイツは死霊を操る魔術師、ネクロマンサーなのか。

 そんな事も思い浮かぶが、己の問いを否定するように馬鹿馬鹿しい、と首を振る。

 ネクロマンシーは禁術であり、この世界に実在する数少ない魔術の中でも最高峰の術式だ。

 魔術自体使える者が少ないというのに、ネクロマンサーがあの弱小国にいるハズはない。

 もしネクロマンサーならこの大陸は彼のものになっていてもおかしくはないのだ。


 それならば、死体に用がないのであれば何故樹楊はここにいるのだろう?

 疑問は疑問を呼び、思考回路が絡み合う。

 しかし、ふと違和感を抱いた。


 なんだろう? この光景、何かがおかしい。

 釣り人が竿を持っていないように、何かが足りない。

 解消できない疑問の紐を解こうとしていると、


「誰だ!?」


 突然樹楊が声を張って振り返ってきた。

 紅葉は大岩に隠れていて姿は向こうから確認出来ていない。気配も消してある。

 もしかしてあいつ、とんでもない死地を潜り抜けてきたんじゃ……。と紅葉の頬に一筋の冷や汗が伝う。


 唾で喉を鳴らし、深呼吸して姿を現す事を決意した。 

 このまま隠れていても仕方がない。

 ゼロの気配に気付く相手だ。

 こちらが知らぬ間に死角に回り込まれる可能性だってある。


 紅葉は口を固く結ぶと、一歩足を踏み出し――

「なーんつってな、一度言ってみたかったんだよね、コレ」


 あっはっは。と頭を掻きながらまた正面に向き直り、鼻歌交じりで奥へと進んでいく。

 紅葉は踏み出した足を地に着けるかどうか迷いバランスを崩し、不安定なヤジロベーみたいになりながらも堪えていた。


「あ、あんの馬鹿っ! あっはっはじゃないわよっ」


 遠くからは「俺ってば達人?」などと図に乗っているような声が聞こえる。


 あのバカはやっぱりバカだとしても、気付かれなかった事は好都合。

 わざわざ気配を消さずとも後を着けていけそうな気もする。

 だって、ホラ。

 後ろからウサギに突っ込まれてびっくりしているし。


 小動物にまでナメられて、何とも不憫な奴。とも同情しそうにもなったのだが、ここは用心に用心を重ねて行動しなければ。

 そう決め、身体から力を抜く。

 自然と眼がスッと尖り、足音は森の大地に跡形もなく吸い込まれる。


 樹楊に突撃したウサギは背後から突如として現れた紅葉に驚き、毛を逆立てながら逃げていく。正に、脱兎の如く。

 紅葉の気配は、ソレに敏感な小動物でさえ気付けぬほど透明になっていた。




 樹楊が辿りついた先は、少しだけ高い崖が行き止まりになっている場所だった。

 紅葉にも覚えがある。

 あの崖は自分が飛び降りた場所で、樹楊がクルードの兵に追い詰められていた場所だ。

 その時、生まれた骸が三体横たわっている。


 やっぱり違和感がある。

 何かがおかしい。

 紅葉の疑問を余所に、樹楊は雑草が生い茂る中に足を踏み入れていく。

 慌てて着いて行こうとしたが、その必要性はないようだ。

 

 樹楊は何かを探しているらしく、その場から離れていく様子は見られない。


「お、あったあった」


 軽やかな声で何かを取り出す樹楊。

 その顔は価値のある宝者を見付けたような表情を浮かばせている。


 あれは……、剣。

 

「にっししし。思った通り、なかなかの業物だなっ」

 

 樹楊はポケットから小石ほどの大きさの包みを出して紐を解いた。

 するとその包みは縦長に広がる。

 圧縮バックだ。革製で雨には弱いが、横に貼り付くように取り付けられた樹脂製カバーの中には圧縮基盤がある。


 稼働させるとその大きさは小石程度までに小さくなる。使用用途は様々で、数十年前までは王族のみが持てるバックだったが、今となっては市街地の住民までが愛用できるまでに生産が可能となっている。樹楊が今使おうとしている圧縮バックは随分と古い物であり、紐を解く事で圧縮を解除させるという原始的な方法がそれを肯定している。


 樹楊がその旧式圧縮バックにいそいそと剣を詰めている。

 その三本ばかりじゃない。

 戦地となった平原、森、河口といった様々な場所の至る所を廻っては的確に武器を回収していく。それはクルード兵の物ばかりには留まらず、スクライドの紋章が刻まれた剣も難なく回収している。


 紅葉の顔はみるみる内に強張っていく。

 これは意図的に隠していた事がハッキリと解る。先程感じた違和感とはこの事だった。


 魂の抜け殻の数と武器の数が合っていなかったのだ。

 戦死した兵の武具及び死体の回収は各国の葬迷師の仕事であり、これを無断で行う事は重罪である 樹楊はその大陸全土共通の法を平気で犯しているのだ。


 見つかったら首が飛ぶ。

 そればかりか、敵国クルードに知れるものなら戦は困難を極める。

 政治的にも滅ぼされるかもしれない。


 紅葉としてはそればかりは阻止したかった。

 何故なら契約金とは別に、戦を勝利に導いた場合の成功報酬が掛かっているからだ。

 自分が真っ当な道を歩んできたつもりはない。誰かに法を唱える気もさらさらない。

 けど、目の前で繰り返される光景は大胆で目に余る。


 紅葉は意を決し、その愚行を阻止しようと足を前に出した。

 その瞬間。



 川の水面から渦を巻きながら水柱が立った。

 その水柱は次第に中央から割れ、中から白く光る半透明の姿をした男が現れる。

 半透明の身体を纏うのは一枚の衣のみ。

 髪も目も、何もかもが白く光っていた。

 

「貴様、何をしている?」


 残響を残すような声で男が樹楊に問う。

 紅葉は初めて見る生物に意識を奪われていたが、やがて眼を見開く。


 あれは――精霊!?

 

 樹楊はつまらなそうに溜め息を鼻から逃がすと、やれやれと首を振る。


「答えよ」

「何って……見れば解るだろ? 武器の回収だっての。お前はこの地の精霊だな?」


 樹楊は全く動じず、己の罪をさらけ出す。

 それを聞いた精霊の男は目を尖らせ、荒げた声で激昂。


「貴様はそれが何を意味しているのか解っているのか! 貴様もソリュートゲニアの一剣士ならば死者に敬意を払え!」


 まずい。紅葉は選択を迫られた。

 このまま逃げるか、それとも前に出て樹楊の代わりに頭を下げるか。

 相手は精霊だ。

 物理攻撃は効かないし、対精霊魔法でも使えない限り勝ち目はない。

 例えその魔法が使えたとしても精霊に牙を剥く事は例外なく死刑となる。

 度が過ぎれば拷問・呪術の対象ともなる。


  動けずにいた紅葉は樹楊に逃げろと願う事しか出来なかった。

 しかし肝心の樹楊は耳をほじって精霊の怒りをあおっている。

 あの気だるそうな身体を絞っても反省の音など出そうにもない。


 その樹楊に業を煮やした精霊は宙を歩むように一歩前へと出る。

  すると樹楊は懐から漆黒の自動拳銃を取り出し、精霊に向けた。

 やたら銃身の長い拳銃は太陽の光を受けても尚、光を反射しようとはしない。



「ふ、ははっ。はーっはははははは。貴様、何を考えておるのだ! 我に銃など利かぬ!」


 高らかに笑う精霊。

 樹楊も追従で、なっはっは! と笑った。


 その後方の大木の陰で紅葉は自分も笑うべきかと戸惑う。

 二人の笑い声は混じり合う事無く轟くが、その不協和音を樹楊がピシャリと止める。


「おい」

 端に殺意が見え隠れする声だった。

 精霊は見下すように樹楊を見下ろし、次の句を待つ。



「お前、四番目の精霊だろう?」

「何故貴様がそのような事っ――ま、まさか貴様がぁ!」


 ズンッ、と腹の底。

 臓物まで響いてくる音と共に銃弾は精霊の肩を貫いた。


「あのバカっ、精霊にそんな玩具効くわけないでしょ!」


 紅葉は慌てて飛び出し、その馬鹿の後頭部に跳び蹴りを喰らわそうとしたのだが、のた打ち回る精霊を見て我が目を疑う。

 ダメージを与えられないハズの精霊が銃弾に苦しんでいる。

 撃たれた肩を押さえて川の水面を足で叩きながら子供のように。


 樹楊は静かに歩き出して精霊の元に着くと再度銃口を向け、今度は見下ろす。


「ひっ……、助けっ」


 樹楊は命を請う精霊の胸を片足で踏み倒すと、トリガーに掛ける指に力を入れる。

 水面から顔と膝だけを出して怯える精霊からは、先程の威厳は無くなっていた。

 対する樹楊。

 その後ろ姿は、前日の戦からは想像も出来ない程に冷酷。


 その樹楊が低い声で精霊に問う。

「……お前は何が護れる?」


 精霊は恐怖に歯を鳴らしながら言葉にならない声を出すだけで、答えられそうにもない。


「てめぇは何が護れるってんだっ。何が大地の守護神だ! 所詮はおッ死んだ人の成れ果てだろォが! ふざけろよ!?  あァ!? 神気取りの亡霊がぁ!」


 怒りをぶちまけるように発狂し、銃口を精霊の額へえぐるように押し付けた。

 眉間にはシワが深く溝を作り、闘争本能の現れの犬歯が剥き出しになっている。


 紅葉の頭の中は混乱していた。

 あれは樹楊なの?

 何で精霊が傷ついたの?

 

 混乱は混乱を招き、どうでもいい事も加担し、更に混乱する。

 ただ、解っている事はシンプル。


「た、助け――――ぇっ!」


 目の前の精霊。

 絶対不可侵であるハズの精霊が、樹楊の手によって無に帰する事だけだ。

 二発目の銃声は精霊を殺したが、紅葉の鼓膜には響かなかった。

 出来る事と言えば、ただ無我夢中で大木の陰に隠れて呼吸を整えるだけだった。


 怖い…………。

 久しぶりに感じた恐怖。


 精霊と対峙して殺すなんて正気の沙汰とは思えない。

 そしてあの銃は、予想が当たれば『万霊殺しの銃』だ。


 生霊・悪霊・土地神・そして精霊。それら全てを殺す事が出来る唯一の武器。

 

 元は数百年も前に悪霊払いとして開発された術式拳銃だった。

 しかし、その有効性を危惧した世界を統べていた者が、違法と定め全て処分したのだ。

 勿論、今は所持しているだけで重罪とされる。使用するのは極刑に値する。


  やっぱり樹楊には何かがある。

 いよいよ面白くなくなってきてしまった状況になり、紅葉は今頃絶叫しているであろうイルラカの笑顔を空に思い浮かべ、頭を下げて謝罪する。

 こそっと引き返そうか、などと考えていると、自分が隠れていた大木が轟音と共に頭上すれすれで折れた。

 

 どうやら樹楊が大木を撃ったらしく、あと十センチも下にズレていれば紅葉の頭は脳みそがクラッカーのように弾けただろう。


 しかし、何故?

 もしかして今度こそバレた?

 

 今までの罪を見られた樹楊としては目撃者を生かしてはおけないだろう。

 幾多の戦地を生業としていた紅葉だが、あの樹楊を相手にするのはごめんだった。

 危ない上に、万霊殺しの銃で撃たれたモンなら一発で昇天してしまう。

 ここは何としても交戦を避けなければ。


 紅葉が固唾を飲んで、どう切り出そうか考えているよりも先に樹楊が口を開く。


「やべっ、安全装置外しっ放しだった。あっぶね〜。誰か居たら殺してたなーっはっはっは」


 てへっ、と可愛らしく頭を小突いて今度こそ安全装置を掛ける樹楊。

 どうやら気付いたわけじゃなく、安全装置の掛け忘れから招かれた暴発らしい。


「あ、あ……あんのバカっ。てへっじゃないわよ。うっかりで人様を殺す気っ? 本当は気付いてるんじゃないでしょうねっ」


 

 本当に気付いていないらしい。

 精霊を殺しても罪悪感の欠片も持たない樹楊は大量の武器を背に担ぎ、嬉しそうに歩き出した。

 


 今度は何処へ向かうのやら。

 


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