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第二十六章 〜大戦・ダラス連邦〜



 ダラス連邦との大戦当日、三日月が夜空を舞台として優雅に佇み、星はまるで百花繚乱。天体観測には絶好な日だと言うのに、あと数所間後には大地が血に染まる事は必然となっていた。

 

 ダラス連邦は森を正面に置き、右に廃墟、更にその右に荒野としていた。

 対してスクライドは廃墟となっている二つの街を正面に、左手に荒野、右手には鬱蒼とした森として戦の準備を整えている。総大将は何とラクーンであり、軍師も担うと言う。そのラクーンは倒れれば戦は負け、スクライドがなくなると言う事だが、普通であれば上将軍の誰かがその役を担わなければならない。しかしラクーンは率先して軍の要を引き受けたのだ。


 スクライドが勝つには全面降伏させるか、総大将であるバリーを亡き者にしなければならない。しかしそれには困難を極めるだろう。ダラス連邦は特殊三系統の魔術を使う他『砂嵐』という強大な傭兵団を出陣させるとの情報も得ている。だが、その事の大きさを殆どの者が軽視していた。それは勿論――。


「イルラカ、隊の状況は?」


 完全とは言えないが、それでも満足に動けるまでに回復した紅葉率いる赤麗の存在がスクライドに驕りを持たせてしまっている。イルラカは紅葉の元で片膝を折ると低頭し、きびきびと答え出した。


「隊員の準備は万全です。その他、体調にも問題はありません。何時でも出撃出来ます」

「そう。ならいいわ。大戦開始までリラックスさせといて」


 はい、と張りのある声で受けるイルラカは隊員の元に向かうとアレコレ指示を出し始めた。その様子を、紅葉は満足気に見つめて近くの岩に腰を下ろす。その元に向かったのは樹楊とミゼリア。


「よっ。リラックスしてんじゃねーか。身体は大丈夫なんか?」

「誰にモノを言ってんのよ。こちとら、これで稼いでるんだから慣れてるもんなの。それよりもアンタこそリラックスしてんじゃない。もっとガチガチになってるかと思ったのに」


 ふふっと意地悪く笑う紅葉の足元に樹楊は座って夜空を仰ぐ。

 冷たい風が身に染みるが、いざ戦いの中に身を投じればこの風を心地良く感じる暇もないのだろう。


「今更ジタバタしても仕方ねーからな」


 見下ろすようにくしゃくしゃと頭を撫でてくる紅葉に笑みを返す樹楊の顔に戸惑いはない。言葉通り落ち着き払っている。その元にいたミゼリアは落ち着かない様子を見せてはいたが、やがて樹楊の隣に座り出した。そして樹楊を見ると首を傾げる。


「お前、武器は?」


 見た感じ、手ぶらの樹楊に疑問を持ったのだろう。乗じて紅葉も疑問符を浮かべたが、それに対して樹楊は得意気に笑みを浮かべた。

 すくっと立ち上がると腰に斜め掛けしてある漆黒の革で出来た五連ポーチを見せつける。そして二人の目がポーチに集まるのを確認した後、その一番端のポーチのボタンを外すと、中から圧縮された空気が放出されると同時に一本の剣が飛び出てくる。


 突然の出来事にミゼリアと紅葉は驚きのあまり、反射的に上体を仰け反らせてしまった。紅葉に至っては岩から落ちそうになりながらも、手を羽のようにバタつかせて何とかバランスを保っていた。


「このポーチに武器を入れてんですよ。ちなみにこのポーチは俺考案、ミリアって人が制作の新商品です。まだ試作段階ですけどね」


 樹楊の五連ポーチは、故郷にいるミリアがライトメカニックの技術を駆使して作り上げた新しいタイプの圧縮バックだった。試作というわりにはしっかり作られていて、綻びも見当たらない。紅葉はもの欲しそうに見てもいる。


「それはいいんだが、五連にする必要があるのか? 簡易医療セットだって一つあれば充分だろ。せめて三連とかの方が機動性が高いんじゃないのか?」


 当然ともいえるミゼリアの疑問だが、それに対しても樹楊は得意気な表情を浮かべて剣をポーチの中に収めるとその場に座り、岩に背を預けた。


「俺、連爪士を目指そうかと思って」

「連爪……って、そんな事するより一つの武器を極めればいいじゃないか。何でわざわざそんな遠回りを」


 ミゼリアは樹楊の言葉に呆れるが樹楊は至極真面目な表情だ。ちなみに紅葉は何が何だか解らないようで、すぐに樹楊に説明を求めた。


「連爪士ってのは、複数の武器を扱う者の事だ。聞こえはいいかもしんねーけど、それって下手の横好きと同じでどの武器も中途半端にしか扱えないようなもんなんだよ。でも、俺にはこのスタイルが合っていると思うんだ」


 この五連ポーチにはゼクトの武器であった長剣を改良した機械剣も入っている。それを手掛けたのは勿論ミリアで、蓮が持っている(自然の流れで奪われた)漆黒の機械剣よりも性能は向上しているらしい。その他にも機械弓も入っている。樹楊は、正に多種多様の爪を持つ兵士となっていた。


 紅葉はこそこそと樹楊のポーチを外して物珍しそうに観察していて、目を輝かせている。蓮の時にも思ったが、何で赤麗の者は人の物に興味を持つのだろうか。まさかこのまま奪われる事はないよな、と樹楊は冷や汗を流す。

 樹楊が向ける疑いの眼差しに紅葉は言葉を詰まらせると、名残り惜しそうにポーチを返した。しかしじっと見つめる事は忘れてはいない。もし「あげるよ」と一言でも発せば遠慮なく受け取るだろう。


「紅葉、このポーチさ」

「うんうん、何かなっ?」


 やはり弾んだ声で返してきた。瞳には天の川もびっくりなほどの輝きが宿り、「ちょーだい、ちょーだい」とテレパスが伝わってくる。両拳を胸の前でぎゅっと固く握り、そわそわと身体を震わせてもいる。余程欲しいのだろう。何に使う気なのやら。

 しかし、全くあげる気のない樹楊。口は意地悪い線を引いている。


「カッコいいだろ? 俺がデザインしたんだ」


 期待を一気に落とされた紅葉は口の片端を引き攣らせ、ひくひくと痙攣させた。

 そして脇腹に拳を捻じ込み、目が飛び出そうなほど苦しむ樹楊からそっぽを向いて口を尖らせる。


「ふん、何よ。そんなモン、いらないわよ」

「ごほっ……。だ、誰もあげるなんて言ってねーだ、ろ」

「うるさい、駄目犬っ」


 どうやら機嫌を損ねてしまったようなのだが、その怒りを敵兵にぶつけてくれると嬉しいと思っていた樹楊の元にラクーンがニコニコしながら来た。大戦前、しかも自分が敵の最大目標であるにも関わらず落ち着いているようだ。

 ラクーンは作戦の指揮を、要となる兵達に確認をし終えたところらしい。


「リラックスしてますね。良い事です」

「まぁ……俺達だけでも、ねぇ?」


 と、樹楊は周りを見回す。

 樹楊やミゼリアは、そして勿論紅葉は落ち着いているのだがスクライドの兵は皆緊張でガチガチだ。大戦が決まったあの日、息巻いていた姿は何処にいってしまったのやら。樹楊はその姿に鼻から溜め息を逃がすと、苦笑するミゼリアに向かって肩をすくめる。アギの部下でるネルトなんかは歯を打ち鳴らして膝を笑わせている。大丈夫なのだろうか。


「仕方ないですよ。この戦で存亡が決まるんですから」


 まぁ、私は首を刎ねられるくらいなら逃げますけどね。と冗談を付け加えるラクーンだが「準備運動はバッチリです」とまで言われると、本当に逃げる気がしてならない。


 散り散りにグループを纏めるのは大隊長クラス以上の者であり、そこにはサルギナもいる。流石、と言うべきか、元傭兵なだけあって部下達も無言だが雰囲気だけで気炎を上げてさえもいた。


「ところで、ミゼリア小隊長」


 ラクーンの言葉にミゼリアは背筋を伸ばして模範的な敬礼を見せる。その姿にラクーンは一度頷くと作戦の確認を言葉にしたのだが、その最後、樹楊が遮った。

 ミゼリアとラクーンは唐突な申し出に言葉を失う。


「樹楊くん、もう一度お願いします」

「だから、いや、ですから。俺とミゼリンは二人で森へ展開させて下さい。俺は廃墟や荒野なんかより、森の中の戦闘が得意なんですって」


 ミゼリアはあたふたし、言葉の撤回を求めるが樹楊は頑なに拒否してラクーンを真っ直ぐに見る。軍師であるラクーンに意見するのは許された事ではないのだ。ただの下級兵士が意見するなど、以ての外。

 しかし、ラクーン。

 樹楊の瞳の中を見続けると、普段通りの柔らかい笑みを浮かべた。


「考えがあるのですね?」

「勿論。じゃなければこんな大それた事は言わないです」

「解りました。元より、二人だけの小隊に期待は持っていません。キミが何を考えているかは解りませんが、私は何も期待しないでおく事にします」


 身を翻すラクーンは最後に「生きて帰ってくる事以外、何もね」と優しい言葉を残す。最後まであわあわと冷や汗をたっぷり流していたミゼリアは樹楊の頭に拳骨を落とすと、次いで平手打ちも見舞う。怒っているというよりも動揺からくる制裁のようだが。樹楊が珍しく取り乱すミゼリアをそれとなく落ち着かせた時、小隊長クラス以上が身に着けているブレスレットが間延びした電子音を鳴らした。


「ねぇ、樹楊」

 紅葉は尖らせていた口を元に戻し、真剣な瞳で樹楊を見る。整列しようとしていた樹楊はその眼を受けても言葉を発さず、ただ目線のみで答えを待つ。紅葉は一度だけ視線を地に落とすと、くすっと子供じみた笑みを浮かべた。


「死んじゃ嫌だからね? それだけよ」

 紅葉は樹楊の答えも待たずに背を向けて歩き出す。イルラカが待つ、赤麗の元へ。


 紅葉の言葉を最後に全ての者達は静寂に包まれ、一人は覚悟を決めたように武器を握り締め、一人は震えを大きくし、また一人は深呼吸をして自らを落ち着かせるなど、各々の心情を行動に表す。

 そして各隊の隊長に従い列を成すと、その前に立つラクーンが一度全員を見回した。


「いよいよです。今から五分後、大戦が始まります。各隊、戦闘準備」


 誰一人、何も言わずに歩き出すと向かうべき先を見据える。

 夜風が弱々しく通り抜け、森の木々が揺れる音は死にゆく者へ贈る奏。

 全員の鼓動は主へ大きな音を伝え、その音だけがこの場を支配いているようにも感じた。唾を呑み、待つ。


 死の宣告を。

 怒涛の混沌を招く言葉を。


 時間が止まったかと錯覚せざるを得ない、この状況。

 どくんっ、と誰かの鼓動が一際大きく高鳴った。

 その時。


 ラクーンのブレスレットが蒼い輝きを放った。

「全軍、戦闘配置に展開! 狙うは敵軍総大将の命! 進め、勝て! 栄光は我がスクライド王国に与えられん!」


 雄々しくも張り上げられたラクーンの言葉に、全員雄叫びを上げて廃墟、荒野、森へと展開する。そして防衛線を張り、通信兵は個々に散った。スクライド王国とダラス連邦の兵達の雄叫びは地を揺るがさんほどの圧力を世界に掛け、踏みつけられる大地は地震の如く。


 紅葉率いる赤麗はスクライドの兵を多数引き連れて廃墟へと展開する。恐らく、廃墟がこの大戦の要だろう。だからこそ赤麗が中心となったのだ。

 その廃墟へ、紅葉を先頭に軍用バイクを駆使し、閃光のように突き進んだ。


 サルギナ率いる元傭兵軍団は荒野へと展開。これはサルギナの願望であり、ダラス連邦が雇っている傭兵団『砂嵐』と張り合う為である。傭兵には傭兵を、格の違いを見せつけてやると言うサルギナだった。

 そしてこちらも軍用バイクを移動手段とし、狩りに出るような、異質な雄叫びを上げてさえもいた。


 グリム上将軍は防衛を担い、その傍らにはアギ小隊長。

 幾多にも張られた防衛線だが、この一角が崩れた時、スクライドは敗戦を余儀なくされる事だろう。そう、ここは最終防衛線なのだ。


 そして森の中に展開するのは樹楊とは面識も薄い複数の隊であり、言葉を交わしてさえもいない。森の中での戦闘は奇襲やトラップなど、他とは異なる戦闘が繰り広げられる。その戦闘は専用に訓練された兵達が担うのだが、勿論ミゼリアはそんな戦闘訓練など受けた事はない。


 樹楊はミゼリアを引き連れて他の隊とは別に行動をしていた。大地を慎重に進む隊とは逆に、樹楊達は木々の枝を地とし、獣のように駆けて行く。不慣れなミゼリアは戸惑っていたが、普段の訓練の賜物か足腰がしっかりとしていて樹楊に遅れはとっていない。二人は樹楊が用意した暗視フィルムを搭載したフェイスガードで顔を覆っている為、暗闇の中でも周りが見えていた。


 このフェイスガードのデザインが、下顎の無い髑髏をモチーフとしたものなのだが、それは樹楊の好みというだけであって特に意味はない。そのおどろおどろしいデザインにミゼリアは嫌そうな顔を見せたが、仕方なくといった感じで装着している。

 

「なぁ、何処に向かっているんだ?」

「この先の拓けた場所に崖があるんですよ。俺達はダラスの兵よりも早くそこに行かなければならないんっす」


 何か策でもあるのだろう。多くは語らず、本来であれば指揮を執るミゼリアを従えて兎に角急ぐ樹楊。ミゼリアは樹楊の背中から焦りを感じ取っていた。それ故何も言わず、樹楊の望むままに行動している。

 慎重に進み、トラップを仕掛けるスクライド兵とは真逆にトップスピードで突き進む樹楊とミゼリアは、その距離を大分空け、目指した場所である崖に着く事が出来た。ここは森の中でもダラス寄りの位置であり、勿論今は仲間の救援を望む事は出来ないだろう。


 枝から枝への移動を終え、地に降り立つ樹楊は時刻を確認して周りを見魔渡す。木々が無作為に立ち並ぶ森からは考え辛いほど植物もない荒れ果てた地には岩が乱雑に転がっており、崖の下には川が流れていた。その川は闇に閉ざされ、辛うじて音を響かせる程度のものであり、人の会話があればそこに存在している事すら気付かれにくいだろう。


「少し、遅かったかもしんないっすね」


 樹楊は再度時計を確認すると、苦虫を噛み潰したような顔で舌を打つ。ミゼリアはフェイスガードを外すと樹楊の元まで歩み寄った。


「ここで何があると言うのだ? お前の策とは何だ?」

「……そうっすね、成功する確率は低いっすけどミゼリンには教えておきます。ちなみにこの策は、ダラスの兵に見つかってしまえばそこでエンドっす」


 立てた親指で首をかっ切る仕草をし、その指先を地に向ける樹楊。ふざけている様子でもない。ミゼリアは固唾を呑み込むとフェイスガードを握り締めて深く頷く。


「俺が立てた策は、ハッキリ言って博打です。上手く事を運べたとしても、成功確率は低い。ですが……」


 ミゼリンは死なせません、と言い掛けた樹楊だが首を振ると思い直した。そんな事を言えばミゼリアが怒ると、計画を邪魔すると思っての事だ。今回の策は自分に降り掛かる命の危機がもっとも大きい。反面、成功すればスクライドの勝ちは確実とも言える。


 首を傾けるミゼリアに樹楊は笑い掛けて何でもない事を告げると、作戦を口にしかけた。それなのに、森の木々が揺らいだ音を出してくる。ミゼリアは逃げ場のないこの崖で身構えると腰に携えている剣の柄を強く握り締める。

 下から聞こえてくる川の流れの音がやけにうるさい。その所為で聞き取りたい音が霞んでしまう。


 樹楊は耳に全神経を集中させ、音を探る。

 森から、一つ二つ……三つ、五つの足音。その音は徐々に大きくなり、間違いなくこちらに向かって来ていた。地に落ちている細枝を踏み折り、草木を掻き分け、言葉を交わす事無く向かってくる、その者達。


 挟まれた闇は、じらすようにその姿を隠していたのだが、遂に明らかとなる。その姿を見たミゼリアは息を呑みこむと勢い良く抜剣し、重心を下げて胸の前に構えた。


「なぁ、お前が立てた作戦……。遂げる前に終わってしまったようだな」


 ミゼリアが鋭い眼光を向けるその先には、ダラス連邦のシンボルカラーである深緑の革鎧を纏う者が五人、こちらを見て口端を釣り上げている。



 ◆



 廃虚をバイクで疾駆する赤麗は個々に分かれ、その一人一人が先頭に立ってスクライドの兵を引き連れている。これは作戦でもなんでもない。廃墟へ攻めてくるダラス連邦の兵士、ただの一人も討ち漏らさぬように展開したまでだった。互いの姿こそ確認出来ないが、横一列に並んで津波のように進む赤麗の首領である紅葉の前方に、同じく砂煙をあげて轟々たる音を撒き散らしながら進んでくるダラス兵。どうやら向こうも軍用バイクで来たらしい。


 紅葉は背のホルダーから真紅の長剣を抜くと、眼前の空を薙ぎ、片翼を広げるように腕を広げた。従来の剣よりも重く、長剣よりも長い剣は大剣とも言える全長であり、しかし幅は長剣を同じである。これは紅葉が最も扱い易い重さとリーチを兼ね備えた剣であり、これまでの戦場で己の牙としてきた。


 見えてくるダラス連邦の機兵隊の数は、目視でこちらの数の倍だろう。しかし紅葉は嘆息し、瞳は極限まで高められた殺気を纏っている。


「アンタら! 一人残さず潰すのよ!」


 紅葉は引き連れてきたスクライドの機兵隊へ脅迫にも似た命を出すとアクセルを全開まで吹かし、単身でダラス連邦の機兵隊を目掛けて突っ込んでいく。その様は一つの星を貫かんとする赤い流星。


 真紅の髪を流し、ただ一点である獲物を見据えて。


「赤麗の紅葉だ! 討ちとれ! 首を刎ねろォ!」


 ダラスの機兵隊の一人が叫ぶと、それに呼応する軍勢はその首は我の手で、と意気込んで武器を握り締める。まるで刃の森に突っ込んでいく紅葉の背中を後方から見ていたスクライド兵は「無茶だ」と呟く。しかし、全身を殺意に蝕まれている紅葉にとって、そんな事はお構いなしだった。


 統率が執れていて規則的に並ぶダラスの機兵隊。その僅かな隙間を瞬時に見付け出すと、そこに己のバイクのフロントを突き刺すように突撃する。それと同時に長剣ですれ違いざまの敵兵の喉元を突いた。


「……あはっ」


 狂気と殺意のもで歪む口元から零れ落ちた声は、瞬時に命を狩り取られた前線のダラス兵にも聞こえていた。悪魔を見るように怯えた目で紅葉を見るが、既に命を失くしている。そして自らの胴体は前方にあり、世界を見渡す目を埋め込んだ顔は宙を舞っていた。くるくる、くるくると。


「あっははははははははははははは! 死ね、死ね!」


 運転するバイクと一心同体となって、正に放たれた矢となってダラスの機兵隊の最奥へと突き進む紅葉は赤き閃光だった。手にした長剣を振る事無く、バイクのスピードを活かした刺突のみで機兵隊の軍勢から抜け出た紅葉は、フロントタイヤを軸に独楽のようにスピンをして正面を切る。


 手からだらしなく下げられている長剣の切っ先から伝い落ちる血は留まる事を知らず、地に赤い水溜りを作り出す。そして真紅の髪は大量の血に染まり、風が吹けば赤い飛沫を宙に吹かせていた。


 紅葉が頬に付いた血を舌先で舐めてアクセルを吹かすと、ダラスの機兵隊は先程の惨劇を予想して身構えた。紅葉が通った道は歪みの無い直線。その線上で構えていたダラスの兵の首は一つとしてない。全て乱雑に吹き飛ばされ、ただそこには首の無い胴体が跨る軍用バイクが横たわっているだけだった。


「――っははは。……ふふっ」


 敵兵が目の前に居るというのに、おもむろに天を仰ぐ紅葉は込み上げてくる狂喜に身震いをする。艶のある吐息は荒く、悦に入った目をしていた。その時、紅葉が引き連れてきたスクライドの機兵隊が追い着き、前方との激戦の幕を開け始める。ダラス兵にしてみれば、挟み打ちと何ら変わりない。その中でも紅葉と対峙している後方の機兵隊の面々には、生きた心地というのが二度と手に入らない安堵である事を感じ取っている。


 それでも今は大戦中だ。

 ダラスの機兵隊は鉄の鎧を鳴らし、槍や剣を構え出す。そして接近戦を想定として小さな盾をも構えていた。


「後方である我らの眼前である敵はただ一人! 怯むな! 目標を中心として両翼に展開っ。弓兵は後方から支援!」


 唱えられた指揮に従うダラス兵は紅葉を囲み、その後ろには弓を構える兵もいる。皆アクセルを吹かして威嚇するも、紅葉はうわの空だ。未だに天を仰いだままうっとりとした表情を浮かべていた、のだが。


 眼球のみが下に鋭く動き、正面の兵と視線を結ぶ。見据えられた兵は背筋を伸ばして、それでも負けまいと睨み返すのだが、線を結んでいる時間が経つにつれ恐怖心に戦闘意欲を削られていった。

 首を小さく振り、ハンドルを握る手が異常なまでに震えている。冷や汗は滝のように流れ、涙腺が壊れたかのように涙を流し始めた、紅葉の眼を直視したダラス兵。もしこの場を逃げ延びたとしても、彼は二度と戦地には立てないだろう。


 しかし、彼が気付かぬ内に紅葉が目の前で微笑んでいた。口は優しい線を結んで目元も緩んでいる。紅葉が女神のようにでも見えたのだろう。つい先程までは涙を流してまで怯えていたというのに、今は安堵の表情さえも浮かべている。――首のない自分の胴体を視界に映しながら。


 彼の胴体は力の伝達を中断され、バイクごと地に横たわった。何が起こったのか解らずにいた彼は、頭を引き千切られた彼の頭部は、紅葉に適当にぶん投げられた。

 その一部始終を見ていた隣の兵が、ぽつりと漏らした言葉は――。


「ば、化け物だ……。頭を引き千切るなんて……そんな、何でっ」


 最早混乱しているのだろう。

 歩み寄っていく紅葉に斬りかかるどころか、怯え始め、それでも逃げようとはしない。弱々しく笑いながら絶望を顔に浮かべていた。そして、胸に真紅の長剣を突き立てられる。


 紅葉は血染めの手を見つめると、傷を舐めるようにその指先を舌先でなぞった。左方から斬りかかってくる敵兵を見ようともせず、ただ剣を横に薙いで無関心に命を奪い、宙に蹴り上げた敵の亡骸を盾として放たれた矢から身を護り、それでも血を舐めている。


「……つまんない」


 まるでユーモアの欠片もない男とのデートに漏らす愚痴を呟いた紅葉は、ざっと敵兵を見渡すと落ち込んだ瞳を見せる。戦闘開始から十分も経たない内に紅葉の暴虐性を見せつけられたダラス機兵隊は、混乱と恐怖の渦に呑み込まれ始めたのだが、それを打ち破った者がいた。それは、ダラス機兵隊第二部隊を率いるガガという大隊長である。


 そのガガの隊は交戦中である紅葉らの背後より出現した。一度は尻込みしていたダラス機兵はガガの隊を見るなり、水を得た魚のように力の入った目をした。だがスクライド機兵隊とて、紅葉が切り拓いた勝利の道を踏み外す気もなく、徹底抗戦を始める。


 しかし、紅葉はと言うと。

 期待を裏切られた所為でやる気の欠片もない。意気揚揚と出撃してきたガガの隊を見ても溜め息が出るばかり。それでも大戦というからにはやらないわけにもいかず、剣にべっとりと付いた血を忌み嫌うように横に薙いで血振るいすると、そのまま肩に担いでガガの機兵隊の前に立つ。


「お前が赤麗の紅葉か。初めて見るが、何とも華奢ではないか」


 スキンヘッドのガガはバイクの上で腕を組みながら紅葉に舐めるような視線を走らせた。ガガは他の兵とは違い、鉄鎧を纏ってはおらず革鎧も纏っていない。深緑の軍服を纏っているだけで武器すら手にしてはいなかった。目の下には濃いクマを作っており、麻薬中毒者を彷彿させる。


「私の身体なんてどうでもいいでしょ? そんな事より、アンタは強いの? 弱いの?」

「さて、どうだか。自負するほど強くはないと思っているが、それでも……」


 くくっと嫌味ったらしい笑いを含むガガは「お前よりは強い」


 その言葉を起爆剤に、紅葉は一気に間合いを詰めた。紅葉が蹴った地面はコンクリートであるにも関わらず、その表面が砕けている。並みの者ならその瞬発力から繰り出される紅葉のスピードに着いてはいけないだろうが、このガガは違っていた。しっかりと目で追ってきているばかりか視線さえも合わせてきている。

 血湧き肉踊る紅葉の全身は爆発する歓喜に満たされ、その力を暴走させる。


 ガガ以外の誰もが紅葉の姿を捉えられぬこの瞬間。

 紅葉が力任せに振るった真紅の長剣が圧倒的な重量を武器に、ガガの身体を両断するべく唸り声を上げた。


 狂人めいた笑みを見せる紅葉と、不敵に口の両端を持ち上げるガガ。

 その結ばれる視線は有刺鉄線の如く。



 ◆



 紅葉がガガと対峙するより少し早くに、サルギナは荒野のど真ん中で敵の一つの傭兵団を殲滅していた。それは圧倒的だった。重槍を構えるサルギナは指示も出さずに「暴れろ」の一言で部下を繋ぎ止める鎖を断ち切り、当人も巧みなバイク捌きを披露しながら誰よりも多くの敵兵を討ち取った。


「頭ァ、こいつらが『砂嵐』ですかい?」

「おいおい、それは勘弁だ。もしそうだとしたら砂嵐の武勇伝はとんだ流布って事になるだろ」


 声を掛けてきた部下は煙草を咥えるサルギナから一本拝借すると、同じように煙を吐き出す。こちらに被害は出ていない。かすり傷を負う者こそいたが、怪我人と呼べる者がいないのだ。サルギナは冷える夜風に煙を乗せながらバイクに背を預ける。


 折角意気込んで来たのに、こいつらが悪名高い砂嵐だとすれば不完全燃焼もいいところだ。戦闘を好む部下達だって納得がいかないだろう、とサルギナは頭を掻く。これじゃあまるで――。


「イイ女の噂を聞きつけて来たのに、大した美人でもなけりゃベッドテクもない、ってところですかい?」


 考えていた事を代弁されたサルギナはきょとんとするが、部下は言う。

「何年アンタに仕えてると思ってんですか。そのくらい、お見通しでさァ」

「くっ……はははははっ。バレバレかよ、オイ」


 込み上げてくる笑いを堪えきれないサルギナに、部下は「当然」と胸を張り、最近の女事情はどうかなどとプライベートの事まで尋ねてくる。勿論、答える気が満ち溢れているサルギナは部下の肩に腕を回すと、声を潜めた。


「それがな、どうにもこうにも。ライバルがいてよ、落ちにくいったらありゃしねぇ」

「へぇ、頭が手古摺ってるんですかい? そりゃ珍しい。その女ってのはガードが固いんですねぇ」


 サルギナは持前の甘いマスクで沢山の女を虜にしてきていて、生粋の女好きと部下に通っている。プラチナの髪は綺麗で声も甘い。そして屈託のない笑み。サルギナが落とせない女がいる事に部下は興味を持ったのだろう。しっかりと聞き耳を立てている。


「ガードが固いってよりは……そうだな。ガードも固けりゃ頭も固い。最近は表情も豊かで笑うようになってきてはいるんだが、それっつーのもライバルである男がそうさせたからなんだよなぁ」


「その男、やり手ですね」

「いや、逆にやる気がない」


「は?」

「うーん。俺も結構マジに狙ってんだけどなー。振り向いてくれないんだ、こりが」


 全く意味不明な事を聞かされているように、部下は困った顔で眉間にシワを寄せていた。サルギナは煙草を踏み潰して火種を消すと、どう攻めるべきか悩み始める。勿論ダラスにではなく、その女性をどうやって攻略するかである事は確かめなくとも明らかだ。


「頭、前方より機兵隊と思われる一部隊が接近中です。数は中隊クラスです」


 もう一人の部下が告げてくるが、サルギナはやる気の無さを嘆息で表わす。機兵隊なんざ相手にしたくもない。それはつまらないからだ。

 サルギナは気だるそうに歩き出すと部下達に戦闘配置につくように促す。ダラスの機兵隊ごとき、部下達で充分だろうと自らは後方より指揮を執ろうとする。


「頭、傭兵団です! バイクは砂上バイクを改良した軍用バイク! 恐らく――」


 ――砂嵐。


 サルギナは前方に躍り出ると、望遠鏡でその姿を確認した。

 砂漠の上を走る為だけに作られた骨組みが露わになったバイクは、軍用に特化されて、しかし粗末なボディ。それに意味を見出しているのかさえも疑わしいほどに頼りなく点滅しているバイクのライト。しかし、その者達纏うオーラは間違いなく強者である。


「テメェら、暴れんぜオラ!」


 声を張り上げるサルギナに呼応するようにアクセルを吹かす部下達も、戦闘狂を思わせる喜色満面の笑みを浮かべている。サルギナの合図を今か今かと待ち構え、何度も何度もアクセルを吹かしていた。それは血に飢えた獣の唸り声のように。


 望遠鏡で覗かなくとも、敵の軍勢のライトが肉眼で確認できるほどの距離まで近付いた時、サルギナは重槍を前方に突き出した。


「派手に潰せ、テメェら! あいつらに朝日を拝ませんじゃねーぞ!」


 高速で回転する後輪で地を抉ると、一気に突撃するサルギナ率いる隊員と。

 絶対強者のオーラを崩さずに向かってくる砂嵐と思われる傭兵団。

 そのファーストコンタクトは――。


 互いに追突を恐れぬままに最高速度でバイクを走らせ、眼前、又はすれ違いざまに武器を振るい合う。臆病風に吹かれる者など皆無であり、吹き飛ぶ者や追突し合う者、相手の命を狩り取った者が一直線にすれ違った。犠牲を少なく、がモットーのサルギナが傭兵に戻る時、部下の戦闘意識も命を恐れぬ愚者に変わり果てる。


 その部下達が三分の一ほど死に絶え、残りは通り過ぎた後でバイクを反転させてダラス側の傭兵団を睨む。それは向こうも同じようで、数は三分の二までに減らされてサルギナの隊を睨んでいた。


 その傭兵団同士の睨み合いの中央には、武器で押し合うサルギナと敵の頭角と思われる者がいた。その者は暗視フィルムを貼っているサングラスをしていて裂けた口の片端を三つのピアスで止めている。髪は全て後ろに立てていて、敵の誰よりも強者たる風格を持っていた。


「よォ、お前ら……砂嵐か?」

 サルギナが押し殺せないほどに溢れる殺気に満ちた声で尋ねると、


「当りじゃんねぇ。そう言うお前は……壊国の傭兵団・エンドラインの筆頭、サルギナ・オク・ロイズだらァ?」

 鼻で笑いながら答え、知ったように尋ね返してくる。


 双方、力の抜けぬ押し合いを解除するとバイクに跨りながらも五合の攻防を繰り広げ、再度つばぜり合いを始めた。


「よく知ってんじゃねーか、あぁ? んで、テメェの名前はよ」

「俺はクルス。クルス・ラッケン。砂嵐の筆頭じゃんねぇ」


 妙な訛りを持つクルスは砂嵐の筆頭らしく、それは嘘ではない事がサルギナにも伝わっている。まるで空気が棘を得たかのように、触れる肌がぴりぴりと痛む。武器を握る手は、しっかりと汗を掻いており、瞬きさえも命取りになる威圧感を感じ取っていた。


「会えて嬉しいじゃんね。ロイズ、俺ァお前を潰す為に砂嵐を作ったんだ。なのにお前ときたら一国に牙を抜かれやがって。拍子抜けもいいとこじゃんね」

「そいつは悪かったな? 生憎、俺は男からのラブコールには疎くてよォ」


「フン。別に構いやしねぇよ。俺は追い掛けられる恋よりも、追い掛ける恋の方が好きな性質でさぁ。今だってこうして想いを告げる事が出来ただらァ? 恋が実るってのはいいもんだぜ? そうは思わないか、ロイズ」


 ギシギシと武器が軋む音を立てるが、それでも止めないサルギナはつばぜり合いの体勢のまま頭を後ろに振った。そして勢いをつけて頭突きを見舞う。


「っが!」


 クルスは短い悲鳴を上げると力を緩ませてしまい、その隙を見逃さないサルギナは重槍の柄頭で側頭部に強打を浴びせる。そして追撃、のはずが、今度は転じてクルスが反撃をしてきた。


 バイクの上に背を預けて回転すると、その勢いを保ったままサルギナの側頭部に踵を打ち込み、流れるように逆の足で首を狩るように蹴りを入れる。そして片刃の両手剣を片手で振り下ろしてくる。しかしそれを喰らうサルギナではなく、重槍の柄でしっかりとガードをして難を逃れた。


 双方が従えている傭兵団は、主の命令を待ち続け、何時でも戦闘に参加できるよう身構えている。


「ロイズ、結構イイ反応じゃんね」

「テメェもな。最っ高だぜ、今日はよォ」


 二人を照らす月光は雲に隠れる事無く、その戦闘の宴を祝福するように輝いている。



 ◆



 スクライド王国とダラス連邦が大戦の舞台とした場所から更に北。

 クルード王国の領地である街の一角、旅人が利用するような安いだけが取り柄の宿にオルカとラファエロ、それに蓮もいる。その元に望まぬ報告が届いた。


「オルカさま……」


 思わしくない状況報告にラファエロの顔は強張っていた。オルカは歯を食い縛ると握った拳で木製テーブルを叩き割る。愛用してきた武器大鉈を携え、飛び出しそうになるがラファエロは前に立ち塞がる事で何とかそれだけは止めた。


「退いてくれないかな?」

「なりません、今は大戦中です。オルカさまは王の血を継ぐ者。そのオルカさまが規約を破るとなれば、クルード王国が危機に陥るどころか私達の目的も夢幻となってしまいます」


「そんなの、関係ないよ。もう関係ない。……ダラスの連中、皆殺しにしなきゃボクの気が済まないんだ」


 オルカはこれまでにないほどの怒りを露わにしていた。必死に堪えようとしているのは解るが、どうにも制御出来ないのだろう。ラファエロは自分に殺意を向けられているのではないという事が解っていながら、四方八方から剣を突き付けられている気分になっていた。情けないとは思うが、膝も笑っている。


「オルカさま、落ち着いて下さい」

「落ち着けるわけないよ! キミにボクの気持ちの何が解る! ボクには――」

「それでも!」


 全身に冷や汗を掻きながら、逃げ出したい恐怖に駆られながら、それでもラファエロはオルカの怒りを遮った。息苦しい、目眩がする、吐き気も催してきた。だけどこのままオルカを行かせるわけにはいかない。


「それでも、落ち着いて下さい。何もキオウさまが戦死したというわけではないのです。ただ、拘束されたかもしれないというだけです」


 オルカは刺々しい感情をラファエロの言葉に包まれ、弱々しい表情を浮かべた。目には涙が浮かんでおり、迷子になった子供がやっと会えた母親に抱きつくようにラファエロにしがみつく。泣いているのだろうか。身体が小刻みに震えている。


「ダラスは捉えた兵を捕虜としない国だよ? 兄さん、殺されちゃう。ラファエロ……何とかしてよ、お願いだよ」

「解っております。ご安心下さい」


 初めて見るオルカの涙に、ラファエロは心を痛めながらも小さな頭を撫でてやった。しがみついてくる力はとても弱く、自分を頼りにしてくれている。


 オルカを悲しみの渦に落としたのは、樹楊の護衛に向かわせたスイの報告があったからだった。スイが大戦の場に着き、事前に得ていた報告を元に廃墟へと向かったのだがそこには樹楊らしき人物が見当たらなかったという。これは土壇場で樹楊が持ち場の変更をラクーンに申請した為だ。

 本来であれば樹楊は事前に決めていた廃墟と向かうべきだったのだが、森へと変更してしまった。スイはそんな変更など知る由もない。


 しかしダラスの兵を陰ながら削っていく為、森に忍び込んでいた双子の弟であるサイの報告で樹楊らしき兵とダラス兵が接触したとの事だった。スイは急いで現地に向かったのだが、そこにあったのはスクライド兵の証である藍色の長衣。崖の反対側にいたサイも急いで迂回したらしいのだが、時は既に遅く、誰もいなかったという。足取りも掴めず、報告に至ったという事だ。


 ラファエロはスイとサイに樹楊捜索を続行させ、可能な限りこちらの正体を明かさないように奪還しろとも命じた。オルカの言う通り、ダラス連邦は捕虜を必要としない国であり、捕らえられた敵国民は決まって首を刎ねられる。何の気紛れか、時折捕虜とする事もあるが城の地下牢獄に捕らえて、しかし未来は死と繋がってしまう。万が一、樹楊が捕虜となったとして地下牢に入れられたとしても、以前のように奪還は出来ないだろう。大戦後の三か月は不可侵規約が設けられており、敵国の敷地内に足を踏み入れてはならないのだ。その三か月の間に樹楊は間違いなく殺されてしまう。


 もし樹楊が捕らえられているなら、奪還するのは大戦中のみだ。大戦が終われば手出しが出来なくなる。


「蓮さま、すみませんがアナタに……」


 と、振り返りざまに言うがそこに蓮はいなかった。

 部屋の窓が開けられており、弱々しい風にカーテンが躊躇いがちに揺れている。

 十中八九、樹楊を助けるべく大戦の場に向かったのだろう。当然、殺意は溢れているはずだ。接触したら命はない。


 まいったな、と思いもしたが蓮を動かす以外に手がないのは事実だ。穏便にとまではいかないが、それでも誰かに悟られる事無く奪還してほしいものだがそうもいかないだろう。しかしそれならそれでもいい。蓮がクルードに身を置いている事は樹楊以外知らない事だし、派手に暴れてもこちらに疑惑の眼を向けられる確率は低い。何とでも誤魔化しが効くのだ。


「オルカさま、蓮さまが向かったから大丈夫ですよ」

「うん、ありがと……」


 ぐしぐしと鼻を擦り頷くオルカ。こうも弱々しい姿を見るのも悪くはない気がする。年相応で可愛らしい。まぁ、そんな事を口にしようものなら俸給の大幅カットが目に見えているので口にする気もないが。

 そんな事よりもスイとサイを引き上げさせなければならない。蓮と接触しようものなら間違いなく殺されるだろう。それだけは避けたい。


 ラファエロはもう一度オルカに優しい言葉を掛けて安堵を与えると、通信機を取ってスイに撤退を命じる。蓮が向かったから、と。

 しかし蓮が向かったところで樹楊が殺されていれば何の意味もない。ここからはバイクで一時間も掛からないだろうが、問題はその後だ。早急に見付けださなければならない。


 ラファエロが見上げる夜空の星はキラキラと輝いていて綺麗だが、逆にそれが不吉を感じさせる。



 ◆



 一方、その頃。

 ダラス連邦の本陣に居るバリーの元に一つの報告が入る。

 森の占拠がおよそ七割に及び、スクライド兵を十人ほど捕らえたとの事。それに対しては、スクライドの作戦を聞き出してから殺せと命じた。誰一人、生きて返す気など無い。それはサラが気にかけている樹楊だとしても例外ではない。


 どっしりと構えているバリーは大戦の進行状況に満足はしていないものの、不満ももってはいなかった。赤麗と接触した機兵隊の多くが戦死したらしいのだが、それは想定していた事であったからこそ、ガガをもそこに侵攻させた。相手が魔術師でない限り、ガガの勝利は揺るがないだろう。

 それに荒野では砂嵐と壊国の傭兵団・エンドラインと畏怖なる通り名を持つサルギナ率いる部隊の交戦が始まったらしい。しかしそれも勝敗は明らかだ。あのクルスが負ける事などないだろう。


 それでも万が一に備えて策を練る必要はある。

 バリーは思惑通りに進む戦のどんでん返しを想定していた。その元に、暗い影お落とす女性がちょこんと座る。真っ白な髪で緑色の瞳を持つ少女、サラだ。


 何のつもりかは解らないが、サラはダラス城の門前に座り込んでいたのだ。捕らえた兵が何を尋ねても口を開く事はなかったが、バリーが駆けつけてやるとサラは大泣きして抱き着いてきた。何かあったのは確かなのだろうが、本人が口を割るまでは何も聞くまいとしたバリーはサラを拘束する事無く、傍に置く事にしたのだ。


 酷く衰弱してはいたのだが、今となってはその心配はない。ただ、落ち込んでいる。それだけだ。


「おっちゃん、ごめんね? 私、スクライドの者なのに……」

「気にするな。お前は捕虜だからな」


 三食付きで拘束されず、監視の目こそあるが自由とも言える者が果たして捕虜なのかどうかについては、誰もが首を振るだろう。しかしバリーが捕虜と言えば、そうなのだろう。


 バリーがサラの頭を撫でてやり、手製のクッキーを食べさせて何とか元気を取り戻してやろうとしていると、また一つの報告が入る。


「バリー総大将、報告です。特異目標としていたスクライド王国樹楊速突兵、ポイント五〇三・四四・三五である崖より転落」


 崖から……転落?

 サラは目を見開いて息を詰まらせ、バリーはそれを心配そうに見つめて頭を再度撫でる。弱々しく微笑んではくれるが、気が気ではないのだろう。握った拳が震えている。報告を余所にサラの身を案ずるバリーに部下は首を傾げた。


「バリー総大将?」

「あ、ああ、すまない。捜索は可能か?」

「不可能でしょう。断崖絶壁の崖である上に、あの河川に降りる為にはロープを使用しなければなりませんが、今は大戦中であるが故、そのような余裕がありません。そしてあの河川は本大陸の最南端であるソリュート大山脈の地下洞窟を通り、別大陸まで続いております。流されしまえば、恐らく……」


 遺体すら上がらない、という事だ。

 ソリュート大山脈はスクライド王国の領地内であり、その山上にはかつてのソラクモがある。その大山脈の下には未だ未開の別大陸があるのだが、その先を解明する手立てがないのだ。大陸を横切るのは下も見えぬほどの崖と、大きな滝。まるで人を拒むかのような自然環境であり、そこに向かった者が生きて帰ってきた事などない。


 樹楊が生きていても、河川から這い上がってこれるほど甘い崖ではない上に、流されれば最後。滝壺に呑まれて死ぬか、運よく生き延びてもそこは別大陸だ。このソリュートゲニア大陸の大地を踏む事は出来ないだろう。


「おっちゃん、キオーは……」

「まだ何とも言えないが、死んだと決めつけるのは早過ぎる。だから泣くな」

「泣いてないもん……このハゲ」


 思いっきり涙を流してるクセに強気な事をいうサラに心が痛む。ハゲと言われる事にではない。自分の言葉が、その不安を解消してやれない事にも不甲斐なさを感じる。サラが笑顔になるにはあの樹楊とかいう速突兵が必要不可欠であるのは、揺るがない事実である事にバリーは人知れず落胆した。



 ◆


 

 そしてスクライド側の本陣である簡易テントの中で大戦の舞台となるこの地の地図を広げていたラクーンの元にも、バリーと同じような報告が入る。


「樹楊くんが……転落?」

「はい。ミゼリア小隊長の報告によれば、ダラス兵との交戦中に転落したとの事です」

「そう、ですか」


 あの崖は落ちたら最後、這い上がれるほど優しい崖ではない。そして下流は別大陸に続いている。流れも急だ。何処かにしがみ付いているかもしれないが、捜索や救援の暇があるわけでもない。ラクーンは報告をしてきた部下にミゼリアを撤退させるように指示を出してから下がらせ、椅子に座ると溜め息を吐く。


 どうやら樹楊が考えていた策は上手くいかなかったらしい。あの樹楊だけに期待をしていただけに、ショックが大きかった。しかしそれを兵達に悟られるわけにもいかず、思わしくない状況をどう打破するか考え込む。


 同盟を結んだ白鳳は、クルードとの大戦でなければ動かないと言うし、森の大半も占拠された。頼みの綱は赤麗とサルギナだけだ。この片方が倒れれば、窮地に陥る事になるだろう。


 どうしたものか。

 ラクーンは独りで悩み、状況を整理する。


 樹楊は一目散にポイントに向かったとの事。

 ラクーンは広げた地図に目を走らせ、そのポイントを確かめた。そこはダラス寄りのポイントであり、援軍の期待は持てない。崖があるというのもマイナスポイントだ。樹楊は己が不利に陥る場所に向い、何をしようとしたのか。それも今となっては解らなくなった事だ。


 樹楊がいなくなった今、森での戦闘に勝機を望む事は出来ない。サルギナは砂嵐と交戦中だ。もし勝てても、被害は大きいだろう。赤麗とてそれは同じ事。いくら強くても、それはダラス側も知っているはずだ。その証拠に兵の大半を廃墟に投入している。ここは一度退かせて態勢を整えるか。いや、そんな事をしたら向こうの好機になってしまう。全兵力を駆使してでも潰しに来るだろう。


「全軍……突撃?」


 ラクーンは勢い良く立ち上がると、今一度地図を見渡す。

 森が占拠されかけている今、荒野と廃墟のポイントはどうしても落としたい。だが、ここで無理を通せば被害も大きくなる事は確実だ。しかし撤退させて態勢を整えるとなれば、向こうも態勢を整えて好機を逃さんと兵力を上げてくるだろう。


「全軍で攻めてくる……ですか」

 ラクーンは含み笑いをすると、テントを出て通信兵を呼ぶ。


「皆に伝えて下さい。全軍、牽制をしつつ時間を掛けながら第一防衛戦まで撤退。被害は最小限に抑え、人命を第一と考える事」


「しかし今は赤麗とサルギナ軍が激戦を展開してまして、負けてはいないとの事です。赤麗は敵兵を順調に減らしてますし、サルギナ軍も一つの傭兵団を壊滅させました」

「だから、なのです。それに軍師は私です。そしてこれは絶対命令。有無を言わせはしません」


 通信兵は背筋を正して敬礼すると早速通信ポイントに向い、ラクーンの指示を全軍に伝えた。ラクーンは夜空に笑い掛けてテントに入る。


「好機……そう、好機ですよ、ダラス連邦の皆さん。スクライドを潰すのは今です」


 




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