表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/56

第十九章 〜亀裂〜



 ダラス連邦から生還する事が出来た一行だが、そのダメージは計り知れないものだった。

 サラは治癒の副作用で高熱を出して朦朧とする意識と戦い、紅葉はオルカに与えられたダメージを身体の深くに残して一人では満足に食事も獲れない。


 樹楊に至ってはサラの治癒の効果があってか、意識を取り戻さないものの、軍医からは問題ないとの診断が下された。しかし紅葉が個人に敗北した事は、赤麗ばかりかスクライドの兵達の精神的なダメージへと繋がってしまった。


 だがそれは当り前の事だろう。


 戦の神に魅入られた者として恐れられた赤麗の首領を招いたのだが、クルードの個人に負けたともなればスクライド側としては戦の勝ち目が無くなったようなもの。

 赤麗側もそれは同じで、孤高の戦人として追っていた背中を持つ紅葉が倒れたのだ。士気が乱れた時に率先して隊を整えるイルラカでさえも、顔には絶望が浮かんでいる。

 蓮がいなくなった事も重なり、赤麗崩壊の危機ともいえる状態であった。


 強大な存在は諸刃の剣である、という事だ。

 そして悪い事は続けて起こるもの。


 樹楊らが帰還すると同時に、スクライド領地内にある小さくも大きくもない街が反乱を起こしたというのだ。

 理由の一つとして、長年不景気に見舞われているというのに何の恩恵もない、との事。

 そのウォーリスという南西に位置する街は、これまで多くの物資をスクライドに提供してきたのだ。それなのに見返りも何もないと街中で反乱の狼煙を上げている。


 スクライドは財政に乏しく、赤麗を雇った事がそれに拍車を掛けていた。次いでソラクモの崩壊。もうどうしようもない事態にまで陥っているのが現状だ。

 ラクーンは打開策を見付けるべく木人の解明を後回しにしたというのに、宰相のジルフードが独断で兵に鎮圧を命じてしまった。


 これにより、ラクーンとジルフードに大きな亀裂が入る事となる。


 そして反徒鎮圧に向かったのは、上将軍であるグリムとアギ小隊長。そしてその部下達だった。反徒に対してグリムが動く。これが街の人々の命が消えるという事に繋がるのは、スクライド兵の大半が知っている。




 そして今現在、グリムはと言うと。


 アギの巧みなる策略において、こちら側に犠牲を出さずに鎮圧しつつあった。ウォーリスの住民には負傷者が出たが、死者は未だに出ていない。それはアギが「命を奪ってはいけません」と力強く念を押した為であろう。

 グリムとしては納得がいかない事ではあったろうが、信頼をしているアギの言葉だけにその意見をないがしろににはしなかった。


 

「くそっ。もう終わっちまったんじゃねぇだろうなぁ!」


 サルギナは部下を二名引き連れて、所々に煙が上がっているウォーリスを目指していた。

 あと僅かで着くというのに、目に映る煙が気持ちを逸らせる。

 軍用バイクを限界速度で走らせている為、帰ったらメンテナンスが必要だろう。そんなサルギナに続く部下のバイクも調子がおかしくなり始めていた。


「頭ァ! グリムのオヤジ、全員殺っちまったんじゃねぇんすか!」


 顔に刺青を入れている部下が元傭兵らしい乱雑な声で叫ぶと、サルギナも声を荒げる。


「そうならねぇようにとラクーンが俺を派遣したんだ! させて堪るかよ! それにアギが居るから全殺しはねぇだろうよ!」


 サルギナはアギの平和主義的な思想を良く知っている。戦が無ければいいと、常日頃から口にしている奴だ。グリムが皆殺しを唱えようとも、アギが何とか止めてるだろう。

 もし止められなくても、時間稼ぎにはなる。


「グゲゲゲゲッ! 何ヲ急イデイルンダ?」

 

 サルギナ達を挟むように現れたのは、同じくバイクを転がすブラスク族。手にはやはり武器を持っている。


「てめぇら、獲物だっ」


 サルギナが叫ぶと部下は返事をする事無く、武器をバイクの収納から取り出してブラスク族殲滅という形で応える。

 サルギナもそれは同じで、視線も合わせずに重槍一振りで横に居たブラスク族を両断。


「ケキャッ!」

 

 サルギナ達は現れたブラスク族三名を、一人一殺で難なく返り討ちにして何事も無かったかのようにバイクを走らせている。

 名も無き傭兵団だったとは言え、かつては戦場を渡り歩く戦のプロフェッショナルだったのだ。今のサルギナは鳩とコミュニケーションを取る事に必死だとしても、その腕は健在だ。


「頭ァ! 見えてきましたぜ!」


「おお! 街に入ったら三方に散るぞ! いいか、反徒が攻撃してきても決して殺すなよっ。これは絶対だ! もしグリムを見付けたら俺に連絡だ!」


 部下二名は「うす!」と荒っぽく返事をすると、街に入って一直線に進むサルギナとは別に左右へと別れていった。



 サルギナはウォーリスのメインストリートを目指して突き進んだ。通りには崩壊したテナントや血痕があり、抗戦の傷跡が生々しく残っている。それでも死体が一つも転がっていない所を見れば、死者が出ていない可能性もあるのだろう。


 しかし人っ子一人居ないこの状況。それはメインストリートに出ても、変わる事がなかった。まるでもぬけの殻。捨てられた街。


 大きな通りを挟むように建ち並ぶ店舗のガラスも割れていて、その大半が空き店舗だ。サルギナの記憶ではウォーリスは税金が高い割に裕福な暮らしをしていた。それは、この街が行商人の中継地点でもある事が大きい。


しかし、スクライド王国からの支援もままならない今となっては悪戯に税金が高いだけの街で、その穴を埋めるべく吊り上げた街全体の物資の価格が行商人を遠ざけてしまった。結果、悪循環の螺旋が発生して生活が苦しくなっていく一方だったのだ。


サルギナは、これじゃあ不満もあるわな、と独白する。


 所々で上がっている煙を乗せた風の匂いが鼻腔の奥へと流れ込む。サルギナは通りのど真ん中にバイクを停めると、プラチナの髪を掻き上げて煙草に火を点ける。


 同じ煙でもこちらの煙の方が好みだ。戦禍の名残の煙は傭兵時代から好きではない。

 一服している中、耳を澄まして音を探ってみるが風の音しか聞こえてこない。どうやらこの近辺にはいないようだ。抗争の声も聞こえてこないとなると、事態は収束しかけているのだろう。


 と、なればだ。

 グリムの癖から推測すると公民館やそれに準ずる施設に反徒を拘束しているに違いない。


 サルギナは通信機を取り出すと、クロスラインという複数での会話をする為の機能を使った。青白く点灯しているボタンを押すと、三拍も待たない内に部下二名が出る。


「てめぇら、公民館とか大勢を拘束出来る館舎を当たれ。恐らく反徒を全員拘束し終わっているはずだ。それで、だ」


 サルギナは煙草深く吸い、風に乗せるように吐き出す。そして煙草を指で弾いた。


「もしグリムの野郎が反徒を殺そうとしていたら蹴りでも何でも迷わずぶち込め。ケツは俺が持つからよ。殺さなきゃ何していい」


部下は当然とばかりの言葉を返してくると、早々に通話を切る。何ともせっかちで物分かりがいい奴等だ。これも長年の付き合いの賜物だろう。


 サルギナはグリムへの言い訳と、後に書かなければならない始末書、そして俸給の減額を脳裏に浮かべてバイクのアクセルを吹かす。


「っと、その前に」


 サルギナはバイクから降りると、捨てた煙草を拾って携帯灰皿に入れる。ここが他国の領地なら迷わず捨てっ放しにしているが、ここはスクライドの領地内。鳩がいなくなっては困る。


 気を取り直したサルギナは今度こそ、勘だけを頼りに館舎を目指し始めた。




 ◆



 スクライド王国とクルード王国の国境となるソリュート大河の畔。北の空を見上げれば、サルギナらの侵攻戦が失敗に終わった旧ネルボルグを見る事が出来る。


 蓮は畔で膝を抱えて座りながら、太陽の光と一緒に流れる水面を見ていた。その小さな背中は寂しさで満ち溢れ、瞬きをしようものなら、吹かれた風に連れ去られてしまいそうなほど儚く思える。


 そうは思うが同情も出来ないのもまた事実。オルカの側近であるラファエロは遠く離れた木の陰でその様子を監視していた。

 ラファエロとは通称であり、本名はラファエンジェロ・シグ・ローグル。長い名前なのでラファエロと呼んでもらってはいるが、オルカに覚えられていないというのが最近の悩みである。


 金色の短髪を黒に近い灰色の長衣のフードで隠して、碧眼を閉じる事無く蓮の背中を見ていたのだが、段々と飽きてきた。昨日オルカに連絡を取ると「すぐ行く」と言ってくれたくせに、まる一日経った今もそのちっちゃな小娘は姿を見せてはくれない。


「ラファエロさま、拘束したほうが良いのでは? もしこちらに気付いて逃げられたらオルカさまに何と報告すれば良いか……」


 数名引き連れてきた部下の内の一人が耳打ちをするように話し掛けてくると、ラファエロは苦虫を噛み潰した表情で首を振る。


「まぁ、捕まえられなくもないけどね。でもあの子は赤麗だよ? それに魔剣士。こちらに被害が出ないとは言い切れないし、そればかりか死者が出るかもしれない。それだけは避けたいんだよね」

 

 出来れば穏便に、と付け加えて蓮の監視を続けようと視線を戻す。


「あれ? 何処に行った?」

 蓮の姿が消えている。

 

「なに? 昨日から居るみたいだけど」


 聞こえてきたのは真正面、眼下からだった。

 長身であるラファエロの目線の高さでは、小さな蓮が懐に入っていると気付けないものがあった。しかし、それはあくまで目線だけの話であり、ラファエロは気配に敏感な方だ。それなのに蓮はこちらに気付かせず、しかも一瞬で懐まで潜り込んできていた。


「ははっ……、まいったね。私は気配を消す事は得意なのに」


 蓮は首を振ると、ラファエロの背後で青ざめている部下達を指差す。向けている眼はやはり虚ろで生気など無い。


「アナタの気配は気付けなかった。でもそっちの人にはすぐ気付いた。…………それだけ」


 何か不測の事態が起きた時の為に部下を引き連れてきたというのに、それ自体が不測の事態を招いていた事にラファエロは苦笑。

 それをぼーっと見ていた蓮だが、その瞳には殺意の片鱗が見え隠れしていた。


「もう一度だけ訊く。……なに?」


 ラファエロはオルカが来るまで引き延ばそうともしたが、どうやら待ってくれる相手ではないと察すると樹楊の話を持ちかけようと口を開いた。しかし、それよりも早く部下達が戦意を上げる。その気配に気づいたラファエロ。


「お前っ、やめ――」


 振り返った瞬間、剣の切っ先が眉間を目掛けてきたのが目に映った。だがラファエロはこの刺突、その剣腹に手を添える事で軌道を逸らして避ける。

 そして大きくバックステップをして距離を取ると、その軌道をなぞるかのように次々と地表から剣が突き出てきた。


 これが時空魔法を操る剣士か。

 ラファエロは冷や汗を指で弾くと袖から鉄製の護符を取り出した。鈍く光るそれは、長方形で歪な文字が彫られている。片手に五枚、両手で計十枚の護符を扇のように広げると高く跳んで木の枝に着地。

 そして素早く護符を木々に投げつけて両手を胸の前で組み合わせる。


『我の唱えは果てなる業より奪い去りし獄衣、されど禍根となりし汝に残されし慈悲なり』


 早口で捲し立てた詠唱を終えると、蓮を囲むように貼られた護符がそれぞれどす黒い光を発し始める。しかし蓮は動じる事無く護符の囲いの中央に突っ立っているだけだった。そして首を傾げて木の枝で印を組んでいたラファエロを見上げている。


 ラファエロは組んでいた両手を一度離すと、すぐに両手を叩くように合わせる。


「呪縛陣!」


 ラファエロの叫びに応えた護符は、それぞれ形が異なった紋章を浮かび上がらせる。そしてそれらが漆黒の炎で互いを結び合うと、円系になり、その中央に蓮が居る。

 円となった炎は瞬時に収縮していき、蓮の身体に浮かび上がらせていた紋章を刻む。そして蓮は収縮され続ける炎の輪に拘束される事となった。


 ラファエロはその始終を見届けると、安堵の表情で胸を撫で下ろすが蓮から焦りの様子が見受けられない事に眉根を寄せる。

 蓮は首を傾げ直すと、ラファエロの視線に自分の視線を重ねた。


「呪術……。失敗するとどうなるか、知ってるの?」

「解ってる。呪術が失敗に終わると、術者に撥ね返ってくるんだよね?」


「……そう。解ってるならいい」


 ラファエロは蓮の言葉に疑問を持った。強力な拘束呪術を掛けられているというのに動じていないのだ。指一本動かせないはずなのに、蓮は自分を縛る漆黒の火の輪をきょろきょろと見回している。


 待てよ?

 指すら動かせないはずの呪縛を受けているのに『見回して』いる?


 ラファエロがその意味を解する前に、蓮の身体は刻まれた紋章と黒炎の輪を吸収し始める。


「しまっ――」


 ラファエロは急いで術を解除しようと試みるが、それはあまりにも遅すぎる対処。

 蓮を囲んでいた黒炎の輪が突如としてラファエロの周りに現れて、拘束。紋章もしっかりと身体に刻まれていた。


 ラファエロは枝の上から落ちて地に叩き付けられるが、ぐうの音も出せずに倒れている事しか出来ない。呪術である呪縛陣に拘束され続ければ、脆弱な人間など一生植物人間と化してしまう。早く解かなければと焦りもしたが、どうやらその必要はないらしい。


 蓮はとことこと近寄りながら時空から重厚な大剣を引き抜いた。それで虚空を薙げば、風斬り音が猛々しく唸り声を上げる。


「……さよなら」


 片手で持っている大剣で天を突く蓮は背に光を受けて影を落としてくる。影を貼りつける顔の中では虚無の眼が光を失っていた。


 大剣がぴくっと微動を見せた瞬間、ラファエロの口の端が僅かに吊りあがる。その碧眼にはおどろおどろしい殺意が牙を剥き出しになっていた。 


 蓮が振り下ろす大剣とラファエロの異質な殺意がぶつかり合った瞬間、オルカがその間に割って入った。身の丈を超す大鉈で蓮の大剣をしっかりと受け止め、ラファエロの頭は踏みつけてる。


「久しぶりだね、蓮ちゃん」


 蓮は大剣を力任せに押しながら首を傾げるが、オルカの顔を思い出すと、あっさり剣を引く。


「行き倒れの……」

「あ……ははっ。変な覚え方されちゃったね」


 オルカは争いを望んではいないと言わんばかりに大鉈を背のホルダーに掛けると、地に顔をめり込ませているラファエロを突っつく。


「オルカさま、酷いです」

「こうでもしなきゃ、キミも蓮ちゃんも危なかったしね。それよりも何で呪縛陣を喰らってんの?」


 ラファエロは自由が利かない身体で情けなさそうに微笑むと撥ね返された事を告げた。するとオルカは長嘆。眉間をつんつん突いて蔑んだ視線を送ってくる。


 蓮は呪刑者であり、呪術を無効にする体質。その蓮に呪術を掛けるという事は己に掛ける事と同じ意味を持つのだ。

 ラファエロはそれをすっかり忘れていた。


 蓮は大剣を時空の中に収めると、視線を残しながら背を向ける。そこでやっとラファエロの自由が戻った。


「ね、蓮ちゃん。ボクは話があってここに来たんだ」


 首を傾げてくるだけの蓮に、ラファエロは服に付いた土汚れを払いながら苦笑で返すと辺りを見回す。

 引き連れてきた部下四名が地に転がっている。そこそこ腕が立つ者ばかりだというのに。ラファエロは全員の脈を取ろうかとも思ったが、それが無駄な事だとすぐに解った。


 瞬殺、か。


 オルカは蓮に近寄ると、両手で握手をしてニッコリ微笑む。あはーっと間抜けな笑みだが、そのお陰で蓮が警戒する事はなかった。


「蓮ちゃん、ボクの元に来ないかな?」

「いや」

「そ、即答ですよ? オルカさま」


 オルカは離れていこうとする蓮の手をしっかり握って喰らいつく。


「勿論、蓮ちゃんにもメリットがあるんだ」

「そんなの……いらない」


 蓮はまた即答し、今度こそ手を振り払う。そして目線のみで追ってくるなと意思表示すると、身を翻して大河の畔に向かっていく。これからどうするのだろうか、なんてオルカは思っていないだろう。満足そうに微笑むと、腰に手を添えて切り札を出す。


「キオウ……じゃない、樹楊を自分のモノにしたくないの?」


 その言葉に蓮は足を止めて少しだけ考えると肩越しに見つめてきた。何を言っているの? と言いたいのだろう。それにはラファエロが応える。


「言葉の通りです。オルカさまは樹楊さまをクルードに引き抜こうとお考えなんですよ。勿論、オルカさまは恋仲など望んではいません。何せ、樹楊さまはオルカさまの兄なのですからね」


「きょーくんが……兄?」


「はい。そしてオルカさまは遠くない未来に現クルード王の玉座を奪い取るでしょう。その時、樹楊さまが居ればそのまま王位を継いで頂きます。そして蓮さま、アナタには王妃……となって頂ければと」


 こんな反逆者じみた言葉、誰かに聞かれたら不味いのだがそこに抜かりはない。八方をオルカ直属の魔術師に警備させているし、それ以外の気配もない。

 蓮は驚きを隠せないようで、目を見開いていた。しかし身体を半身にしてこちらを向いたという事は、心が揺らいでいるのだろう。


 そこにオルカが手を差し伸べる。


「樹楊のにいさんは蓮ちゃんを恨んではいないと思うよ? そんなに器量の狭い人じゃない。蓮ちゃんは赤麗の戻れないんでしょ? このまま独りでいるのとボクの元に居るのとでは、樹楊のにいさんを手に入れれる確率は天と空の差だよ」


「オルカさま、天と空は似たようなものじゃないのですか?」


 それに対して蓮も首肯すると、オルカは頭を掻いて誤魔化そうとする。しかし誤魔化し切れないと解るなり、ラファエロのスネを思いっ切り蹴り上げた。


「いっ!」

「と、兎に角っ。黙って独りでいるよりはいいって事っ」


 蓮は俯くいて考えた後、スクライドの方角を見上げた。風がふんわりと前髪を撫で上げ、四期の冷たい香りを届ける。細められたその眼には、樹楊が映っているのだろう。


「……きょーくん、私の事好きになってくれるかな?」

「そこは蓮ちゃん次第かな? でも可能性がないわけじゃないよ」

「……うん。なら、いく」


 オルカは軽やかに蓮の元に駆け寄ると抱き着いて嬉しさを表現した。受けた蓮の顔にも穏やかさが少しだけ戻る。蓮は右目を隠した紫色の布を指先でなぞると、もう一度だけ樹楊の名前を口にする。



 ◆



 目を覚ました樹楊は、自分がダラスではないところに居るとすぐに解った。ぶち込まれたところは薄暗くて生ゴミ臭かったところだっだから、清潔感があって真っ白な天井で消毒液の匂いなんてしなかったからだ。


 やけにハッキリした意識で、身体に痛みもない。指で傷口をなぞっても痛みは感じなかった。生きている事やここが何処かなんてものよりも、樹楊は、


「腹……へったな」


 独白。

 でも口にしてしまうほど空腹だった。


「樹楊っ、目が覚めたんだなっ?」


 声がした左側を見ると、そこには果物を籠に入れたミゼリアが眉を下げながらも嬉しそうにしている姿があった。


 ミゼリアは早足で近付いて来ると、籠を机の上に置いて顔を覗き込んでくる。薄っすらと涙を浮かべて心配してくれている事は嬉しかったが、樹楊としては少し離れた場所に置かれた果物の方が気になっていた。


「やっぱりここはスクライドだったんすね。一体誰が俺を?」

「紅葉とサラと……あと、誰か解らない女性だ。サラシを巻いていて荒っぽい口調の女性だが」


 それだけの情報を貰えれば想像がつく。サラシを巻いている女性と言えばナーザくらいしか知らないからだ。樹楊はわしゃわしゃと頭を撫でてくるミゼリアに心配を掛けた事を謝罪すると、果物に視線を送る。


「あの……出来れば果物を食べたいんすけど」

「ん? あ、ああ。そうだな。私が剥いてやる」


 ミゼリアは果物ナイフを机の引き出しから取り出すと、真っ赤で芳醇なリンゴを手に取った。そしてリンゴを回しながら刃を当てた。


「ダラスから連れて来られたのは俺だけっすか?」

「ん、んん。そうだが」


 やっぱりシィは連れて来てもらえなかったらしい。一緒の牢獄に入れられたはずだったが、そこは曖昧で定かではなかった。

 それ以前に生きている事すら解らない。出来れば生きていてほしい。そして絶対にスクライドへと連れてきたい。ミゼリアが剥いているリンゴを食べたらどんな顔を見せてくれるのだろうか。


 それを思うだけで少し心が痛んだ。


「ところで、サラと紅葉は?」


 懸命にリンゴを剥いていたミゼリアだったが、樹楊の問いにその手を止めて罰が悪そうに俯いた。


「サラは高熱で寝込んでいる。紅葉に至っては……」

 

 ミゼリアは一旦区切り、声音を落とす。

「一人では食事も出来ない状態だ」


「な、何で! 紅葉は赤麗のトップだろっ。蓮よりも強いんだろ? 何人相手にしたんだよっ」

「サラシの女性の話では、オルカというたった一人の者に……」


 一人……?

 樹楊はいよいよ信じられなくなり、身体を起こす。しかし、その行動は流石に傷に響いた。反射的に腹を押さえる樹楊にミゼリアは慌ててベッドに寝せる。


「落ち着け。軍医の話では回復次第、以前のように動けるとの事だっ。後遺症は残らないみたいだから安心しろ」


 そうは言ってもらっても心配でならなかった。だがミゼリアがここに居る以上動けそうにもない。それよりも紅葉をたった一人で追い込んだオルカという奴は何者なのだろうか。


 その名前に何か引っ掛かりもしたが、思い出せそうにもない。その横顔を見ていたミゼリアが、蓮に下された罪を告げる事はなかった。今の樹楊に教えたらきっと飛び出していくだろう。ミゼリアにもそれが解っていたのかもしれない。


「で、ミゼリン」

「何だっ。それよりもミゼリンはやめろ」


 樹楊は呆れ顔でミゼリアの手元を指差す。


「それ、そんなに楕円形でしたっけ?」

「う、うるさい! 剥いただけでもありがたく思え!」


 ミゼリアの手には歪な卵型のリンゴが握られていた。ゴミ箱に落とされた皮には実がごっそりと付いている。


 樹楊は突き出されたリンゴをかじってゆっくりと咀嚼してみた。瑞々しくて甘酸っぱい。リンゴの香りが肺まで駆け抜けると、大切に育てられたんだな、と思う。それだけに悲しい。こんな無残な姿になるなんて。


「剣捌きは一流なのにナイフは五流って……」

「仕方ないだろっ。苦手なんだ。美味しければそれでいいじゃないか!」


 ミゼリアは恥ずかしそうに捲し立てると、もう一つのリンゴを慎重に剥き始める。リベンジのつもりなのだろうが、早速実が厚く削げていた。


「どうだっ。美味しいか?」

 

 剥いているリンゴから目を逸らさずに訊いてくるミゼリアに首肯すると、芯だけになったリンゴを光に当てる。


「確かに美味いっすけどね」


 樹楊はまだ食べるところがないかと探しながら「ミゼリンの手の味がする」

「なっ、変な事を、ああ!」


 ミゼリアは「お前の所為で失敗した」と憤怒しながらリンゴを見せてくるが、失敗していないつもりで剥いていた皮に付いている実も厚い。

 誰が見てもどこから失敗したのか解らない有様なのだが、ミゼリアはまた真剣に剥き出す。



 ◆



 部下からグリム発見の通信を受けたサルギナがようやくその現場に着いた矢先に見た光景。

 それは何の躊躇いもなく、部下の一人がグリムへ跳び蹴りしているところだった。

 振りかざしていた斧はくるくると中で回るとグリムの背後に落ち、その隣でアギが顎を落としそうになるほど口を開いている。


 本当に蹴るんだ、とはサルギナの嘆息混じりの感想。これで始末書と減給コースは確定。最悪の場合降格もあり得るだろう。


 突然の反逆を受けたグリムは、目に映ったサルギナの元へと顔を真っ赤にして向かう。その足音には怒りが込められており、普段から強面の顔は既に犯罪者みたいになっていた。


 グリムはサルギナの胸倉を掴むと、唾を飛ばしながら怒号を上げる。


「おい! お前は部下に何を教えているんだ! いきなり跳び蹴りとはッ! どういう了見だ!」

「俺が命令したんですよ。反徒を殺そうとしたら、何をしてもいいから止めろ、と」


 サルギナは謝罪の言葉一つも並べずに淡々と返す。その頭を掻きながら言う態度にグリムの額に青筋がくっきりと浮かび上がる。


「だってそうでしょう? いくら反徒とは言え人間なんですから。それを簡単に殺すのは最善とは思えないんですよ、俺ァ。反徒の言葉、少しでも聞きました?」


「聞くまでもないわ! こいつらは反逆者なのだぞ! 異議を唱えるだけならまだしも、武器を取っているのだ! 死に値する!」


 その言葉に、反徒達は身を寄せ合いながらグリムを睨むが、反対の意思を見せるサルギナ達を困惑の眼で見ていた。

 気が長いとは言えないサルギナはグリムの手を荒く振り払うと、普段は見せない尖った目付きをする。


「そうやって粛清を繰り返して何になるんで? 世の中には和解って言葉があるでしょう? 相手の意とこちらの意をより良いところで結び付けるのが最善だと思えないんですかね?」


 丁寧な言葉を並べたが、その中に棘を含んでしまった事は解っていた。しかし、サルギナにとってはこれが精一杯なのだ。言葉を丁寧に修復する事で、感情の爆発を押さえている。

 しかしそれが解らないグリムは怒りに支配されて、とうとうサルギナを殴り飛ばす。


「たかが将軍如きが上将軍である俺に何を言うか! 傭兵上りのならず者がっ!」


 サルギナは切れて血が出始めた唇を舐めると、能無しの上官を睨み始める。拳を震わせているところから、未だ理性を失っていないのだろう。それを理解している部下達は黙ってその様子を見ていた。しかし、いつでも止める事が出来るように身構えてもいる。


「宰相と法令官からの命がなけりゃあ、俺達にこいつらを裁く権利などない。確かにこいつらのやった事は重罪だ。けどな、俺達が裁きを下しちゃなんねぇ。それにさっきも言ったが和解って手もある。グリム上将軍、アンタのやろうとしていた事は裁きじゃなく、ただの人殺しだ」


「それがどうした? こいつらに弁解の余地など無い。法令官も死罪を下すに決まっている。それを早めて何が悪い」


 どうやらグリムの頭の中には話し合いという言葉が存在しないらしい。サルギナが心底呆れかえっていると、グリムが荒げた声のままアギを呼ぶ。

 早足で駆けてくるアギはグリムの前に片膝を着くと、しっかり低頭した。それを満足気に見ていたグリムはアギに問い始める。


「アギ、お前はどちらが正しいと思う?」


 アギにとってはいい迷惑だろう。サルギナの部下達も呆れ返りながらグリムを見ていた。

 低頭したまま考えていたアギだが、時間を取らずに自らの思いを口にしようと頭を上げる。

 その眼を見たサルギナ。


「アギ、よく考えろ」


 サルギナは眼で訴えた。

 グリムに同意しろ、と。


 その意を汲み取ったアギがサルギナに向かって口を開こうとするが、変わらぬ険しい視線に歯を食い縛るとグリムと同義を唱える。アギのまなじりの痙攣が悔しさを表しているが、グリムは気付きそうにもない。


 それでいい。

 その真っ直ぐな性格をよく知っているサルギナは、アギが自分の考えに便乗してくるのは解っていた。しかしそうなれば不味い。あのグリムの事だからアギに反論されれば益々事を荒立てるだろう。

 アギを味方に付けたと勘違いをしているグリムは得意げにサルギナを見下してくる。


「どうだ? お前の考えは間違っているんだ。反逆者は早期に潰す必要があるんだよ」

「俺ァ考えを曲げませんよ」


 サルギナはバイクに跨ると撤収を部下に促す。


「反徒の処分は法令官に任せましょうや。俺達が出る幕じゃない。そうでしょ? グリム上将軍」


 嫌味ったらしく言ってやると、グリムはまた眉根を寄せた。しかし、そこでアギが口を挟む。


「グリム上将軍。今回は法令官に任せましょう。サルギナ将軍がああ言う以上、勝手に動いては厄介な事になり兼ねません」

「お前がそう言うなら……仕方ないだろう」


 やはりアギは頼りになる奴だ。

 サルギナは満足すると、バイクのエンジンを掛ける。


「サルギナ。お前が部下に命じてやらせた狼藉も見逃さんぞ?」

「上等ォだよ。俺ァ、絶対アンタの事は認めねぇつもりだ」


 火花を散らせた後、拘束されている反徒の方を向くと笑顔になるサルギナ。


「大丈夫だ。俺が絶対に死罪にはさせねぇ」


 それを聞いた反徒達は頭を下げて礼を言ってくる。正直、謝るくらいなら武器を持って反逆行為をするなと言いたかったが、それも酷だろうと思って笑顔で返す。


 罪は罪。

 グリムの言う通り、死罪になる確率は高いだろう。しかしクルードとの戦争中に一つの街を潰すのだけは大きな痛手を負う。それに人が死んでいい理由などない。残虐な犯罪者であれば弁解の余地はないが、幸い、こちらに被害はないのだ。言葉を選べば最小限の罰で済むはず。


 しかし出来るなら和解が最善だ。

 サルギナの思いは変わらない。



 そして三日後。

 スクライド王国の法令官がウォーリスの反徒に判決を下した。それは主犯格である青年三名と町長及び役員二名の五年の禁固刑。それのみだった。


 異例とも言える早急な処置を取れたのは、ラクーンが法令官に取り合った為である。法令官らはラクーンが述べる、戦の最中に補給拠点ともなりうるウォーリスの消滅による被害について審議し、サルギナが熱弁した人の心と命のあり方に少なからずも感銘を受けて、最小限の判決を下したのだ。


 そして今後の対策として、ウォーリスの民の意見を真摯に受け止めた領政官であるラクーンが提案したのは、ウォーリス内における全ての減税、中でも行商税の大幅の減税は思い切ったものだったが、ウォーリスの住民はこれで納得してくれたようだった。


 これでスクライド王国は更に財政が乏しくなる事となったが、これから三年が勝負時とラクーンは楽観的に言う。経済に疎いサルギナはラクーンが言いたい事が解らなかったが、取り敢えず落着した一件に安堵の溜め息を吐く事が出来た。



 しかし肝心のサルギナの処分はと言うと、一年間の減給と大隊長への降格だった。

 一番の出世頭であり実力もそれに伴っていた為、苦渋の決断だったらしいのだが、当人はそれほど気にもしていなかった。


 もともと傭兵だ。

 闘う事しか能がない自分にとって、国に仕えているだけで俸給を得る事が出来る事、それだけで満足なのだ。


 その判決を言い渡された帰り道、城内の通路を鼻歌混じりに歩いていたら向こうからグリムがやってくる。嫌味ったらしい顔付きから察するに、偶然通りかかったわけではないのだろう。


「聞いたぞ。大隊長へ降格らしいな? これでお前の席にアギが昇り詰めるだろうよ」

「別にいいさ。アギになら任せれるからな、どっかの能無しと違って視野が広い奴だ」


 その言葉に苛立つ顔を見せたグリムへ更に言葉を投げつける。


「アンタはウォーリスの重要性が解ってない。あそこは行商人の交流地点だ。戦において無くてはならないな兵糧地点なんだよ」


 こんな事も解らないのか、とサルギナは思う。この男が何を考えているのか解らない。そこまで馬鹿じゃないだろうし。

 サルギナは鼻で笑うグリムを見やると、これ以上相手にするのも馬鹿らしく思い、この場を後にした。


 そんな事よりも。


 何故ウォーリスが一丸となって反逆したのか。それが気になっていた。早々に鎮圧される事くらい解らないわけではないだろう。

 以前に起きた、兵の休暇中に受けた奇襲。そして自らが指揮を執った時の旧ネルボルグ侵攻戦の際に漏れていた情報。そして今回の反逆。


 どう考えても内通者、それか間諜が紛れている事を否めない。今回の反逆騒動もそいつが関わっている事に間違いはないだろう。

 ただでさえ勝ち目が薄い戦だってのに、この有様では戦をするだけ馬鹿を見るというもの。

 サルギナはクルード王国に潜入させている部下に連絡を取るべく、独りでスクライドを出た。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ