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第十二章 〜歪み〜




 無事にソラクモから帰還した樹楊はツキを連れてラクーンの元へ向かった。

 今回の兵士募集は十三歳からというのが厳命で、ツキはその対象外だからだった。

 ツキの入隊許可を貰うべく、色々な理由を考えて向かったのだが、ラクーンの返事はあっさりとしたもので、理由も聞かず、二つ返事で「いいよ」


 その寛容さには流石に驚いたが「ただし見習いとしてね」と釘を打たれた。しかし、樹楊とてその方が良かった。訓練も何もした事がない子供をいきなり戦場に出すわけにもいかない。三年は訓練で実力をつけてから、というのが理想的だ。


 最も、誰かに実力云々を言える立場じゃないが。


 ツキは了承された途端、涙を浮かべて喜んだ。その笑顔は、大人が真似出来ない子供らしい無邪気なもの。子供が嫌いじゃない樹楊にとっては、微笑ましい顔をしていた。

 こうしてツキは兵士見習いとして宿舎に入る事になったのだが、一番小さなサイズの戦衣を着せてみたらやはりぶかぶか。これはオーダーする必要があるようだ。


 ツキが宿舎の規則が記された用紙を声に出しながら読んでいる。樹楊はそれを見ながら用事を済ましに行こうとしたのだが、ツキがバカでかい声で呼んでくる。


「にいちゃん!」


 その声に驚いた清掃のおじいちゃんが危うく腰を抜かしそうになっていたのは誰も知らない。ツキは零れ落ちた涙を必死に拭うと、力強い顔を見せてきた。


「本当にありがとうな! オイラ、絶対にいちゃんよりも強くなってみせるから!」


「おう。期待してっからよ」

 と、格好つけてみたものの、本心としては「すぐに俺よりも強くなれるっての」だった。

 言い訳になるかも知れないが、ツキはあの獣人目の血を継いでいるソラクモの住人だ。

 しかも、その血は濃いと見える。

 十五歳から肩甲骨に変化が現れるというのに、ツキの肩甲骨は既に変化し始めている。

 今、その翼が必要な環境に放り込んだら、もしかするとかもしれない。

 

 そしてあの跳躍力。

 ビルの五階の高さを軽々と跳んでいた。

 樹楊は、乞食のガキは将来、上将軍になれるほどの力を秘めている。と見立てていた。

 まぁ、根拠がないので適当だったりもするが。



 街をブラブラ歩いて、ヤツが居そうな場所を巡る樹楊。普段なら会いたいとは思わないが、今は会いたい。変な意味じゃなくて。その豊富そうな知識を貸してほしい。という意味だ。


 酒場――いない。

 飲食店……いない。

 城。それはあり得ない。


 なら何処に居るのか。

 いい加減歩き疲れた樹楊だったが、通信機は使いたくない。仮に通信機を使ったとしても「めんどうだ」と、断られるのが何故か目に浮かぶからだ。

 目的のない散歩は好きでも、目的のある捜索は嫌いな樹楊。いい加減、腹が立って来ていた。今日はスクライドに居ないのでは、と諦め掛けながら通り過ぎようとした公園にヤツは居た。鳩に餌をあげて物凄く嬉しそうだが、何か腹が立つ。


「ほらほら、鳩ちゃん。餌だぞ? くるっぽー」


 変な毒でも盛られたかのように餌をやるそいつの背後から近付き、利き足の踵を天に向かって突き上げた。そして、


「くるっぽーじゃねーっすよ」


 踵落としをネジが緩んでいる頭に見舞ってやる。

 そいつは「くるっぽォ!?」と叫ぶと、ふらふらしながら横に倒れた。


「なーにやってんすか。鳩と愉快なコンタクト取る暇あんなら訓練してください、サルギナ将軍」


 樹楊が探していたのはサルギナ将軍だった。この人なら自分の疑問を解決してくれるかもしれない、と直感したからだが。しかし、二等兵が将軍に踵落としを喰らわせるなど前代未聞。普通なら極刑になるだろう。だがサルギナは地位を振りかざすだけの愚か者ではない。樹楊もそれが解っていてやるから性質が悪い。


「てんめぇ……。一瞬鳩の仲間になっちまったと思ったじゃねーか」


 しかし怒っているようだ。

 ゆらり、と立ち上がると頭を撫でながらも闇色に染まる瞳を向けてきて、邪悪に口を歪ませる。イイ男が台無しだ。


「くるっぽー言ってたじゃねーっすか。もう鳩の仲間っすよ」

「ばっかやろーっ。あれは鳩との壁を失くす為の呪文だこんちくしょー!」


 拳をわなわな震わせて唾を飛ばしながら怒声を浴びせてくる。

 これ以上からかうのも危険だと感じた樹楊は、サルギナの怒りなど全く無視し、本題に入った。


「ちょっと聞きたい事があんすよね」

「は? てめぇ、アレが人に聞く奴のする事かっ? アレだろ、えーと、踵っぽいの落としただろ?」


 樹楊は手で制し、ソラクモの地図を広げた。

「これ、ソラクモの全体地図なんすけど」


 サルギナは、口で笑い目で怒りを表現するという器用な顔芸を見せてきたが、地図を一目見るなり顔付きを変える。


「こりゃ……変だな。どこかで見た事がある」

「やっぱり違和感がありますよね?」


 樹楊は、頭の天辺を撫でるサルギナの顔を見ながら訊いた。サルギナは頷くと、樹楊から地図を取り上げて横にして見る。


「キョウ……これってソラクモの都市なんだよな?」

「ハイ。地図と都市を照らし合わせて見ましたから間違いないっす」

「ははっ。それが本当なら、この都市を設計した奴……とんでもない趣味してるぜ」


 呆れたように笑うサルギナに、樹楊は首を傾げた。するとサルギナは歯を食い縛りながら鼻で笑う。


「こいつはな、魔法陣なんだよ」

「は? 魔法陣って、どこら辺がっすか?」


 見た所、それっぽい紋章などない。ただ都市内の建物が規則的に、場所によっては等間隔に並んでいるだけ。そして周りは安全の為に造られたような囲いがある……だけ?


「って、マジかよ!」


 樹楊はサルギナから地図を取り返して穴が開くほど見る。縦長の地図を横にし、全体を見下ろすように。その様子を見ていたサルギナは冷や汗を一粒流して忌々しそうに言う。


「そうだ。その建物は意図的に並べられたんだ。そしてその建物を線で結び、更に囲いも線で結ぶ。すると、どうなる?」

「え、円の中に少しだけ小さな円。そしてそん中に、奇怪な紋章が……」


「あぁ、その都市全体で魔法陣が構成されてんだよ。それもかなり綿密にな。建物の配置から囲いの大きさ、植物の配置やら何から何まで魔法陣を作る為に構成されていやがる」

「何で魔法陣を都市で……」


 意味が解らない。こんなに巨大な魔法陣、神話上の生物でも召喚する気なのか?

 いや、それはないだろう。

 鳥類の獣人目であるララアは戦いから逃げた種族だ。折角築き上げた都市を犠牲にしてまで何かを召喚する気はないだろう。


 募っていくだけの疑問に、サルギナはあっさりと答えてくれた。


「そいつは、恐らくだが……呪縛陣だ」

「呪縛陣?」


「あぁ。人や魔獣を封じ込める、半永久とも言われている特殊な魔法陣なんだが、今となっては使える奴はいないだろうな。何せ、その図形を見るだけでも複雑さと繊細さが解る」


 サルギナは溜め息を落とすと「でも、そんな巨大もん。神でも封じ込めてんのかぁ?」

 と、皮肉に言い捨てた。


 神?

 サルギナは、大きさは呪縛の強さに比例すると言っているようなものだ。

 都市全体を使っての魔法陣。

 あそこに何が……。


 樹楊は口を塞ぐように手を添えて、地図全体に視線を走らせた。東西南北、中央、全て。

 その中で最も疑わしい所はやっぱり最北の森しかなかった。

 この呪縛陣で精霊を御神木に封じているのだろうか。そうだとすれば、あの時あの場所で感じた事は真実になり得る。


「サルギナ将軍。この呪縛陣とやらで精霊を封じる事って出来るんすか?」

「そりゃ無理だ」

 サルギナにあっさりと振られた首に、立てていた憶測が砕け散った。


「お前も知ってると思うけど、精霊は不可侵の存在とも言われている。対人対魔の呪縛陣は通用しないだろう。精霊には専用の魔法しか通用しない。あと、通用するモノと言えば」


 と、言葉を区切るとシニカルな笑みを浮かべて、胸を人差し指で突いてくる。

「万霊殺しの銃、かな?」


 サルギナは知っている。

 自分が持っている銃の事を。


 しかし、何故だ。

 こいつは『イリリール』という、今は滅亡した村から盗んできた秘宝だ。

 イリリール民の話では、この秘宝の事は他言は厳禁であり、村の地下洞窟の中に隠されていた代物だ。


 サルギナが知っているのは――……なるほど。

 偵察を付けられていた、か?

 銃の事が知られているとは言え、樹楊は表に出さない。いつものように間の抜けた顔をすると、


「へー。そんな銃があるんすかぁ」


 と、知らぬ存ぜぬを貫く。

 勿論、こんな手で誤魔化せる相手ではない事ぐらい解っているが。

 

 サルギナは鼻で笑うが、込み上げてくる楽しさを堪えきれないのか、次第に腹を片手で押えながら笑い声を上げた。その態度が微妙に勘に触った樹楊は、口を尖らせて背を向ける。


「キョウ、お前って本当に隙見せねーのな」

「何言ってんすか。隙だらけだからプライバシーも守れないんすよ」


 背を向けたまま視線をサルギナに放り投げた。迎えてくれた顔はニヤケていて、やっぱり気に喰わないものだった。サルギナは懐から煙草を出した煙草に火を点けると、悠長に煙を吐き出す。


「やっぱお前、俺の隊に来ないか? 正直言って、カナリ欲しい人材なんだけどな。裏で動いてもらうためによ」


「生憎、俺は男に求められてもカンジない性質っすから。それに、ウチのお姫様は意地っ張りだけど寂しがり屋なもんで」


 サルギナの視線を背に受けながら街の大通りに戻ると、腹が空腹を訴えてきた。

 そう言えば朝食もまともに食べていない。

 そう思うと、足は独りでに飲食店へと向かっていく。


 魚の定食が食べたいが、ハンバーグも捨てがたい。食後のデザートも食いたい気分だ。

 そうとなればレストランに限る。脳裏にハンバーグを思い浮かべて、一区画先にある、住人に好評のレストランに向かった。しかも小耳に挟んだ情報によれば、最近可愛い女の子がバイトに入ったらしい。そうとなれば向かわない手はない。

 

 自然と弾む足取りで向かうと、バッタリと蓮に会った。白鳳で買ってあげた、蓮の花が刺繍されている紫の布を巻いてくれている。


「きょーくん…………かな?」

「あ、あぁ。そこで首を傾げられても困るんだけどな」


 頭をぽんぽん叩いてやると、煌めいた目が向いてきた。当然のように変わらない表情にはすっかり慣れたものだった。 しかし、ヒーリング・ジェイムのカプセルの中に居た時以来、蓮の笑顔は見ていない。勿体無い気もするが、滅多に見られないから価値がある気もする。


 一人で勝手に頷いていると、蓮が首を傾げていた。


「あぁ、これから飯を食いに行こうかと思ってたんだ」

「……そう」


 蓮はコクリと頷くと、すぐに首を傾げる。

 今度は逆側に。


「別に着いてきてもいいぞ?」

 そう言ってやると、何も反応を見せずにじーっと見つめてくる。


「奢ってやるよ」

「うん」


 すると肩を並べてきて、一緒に歩き出す。

 樹楊には蓮が言いたい事が何故か解った。

 首を傾げた時『一緒に行っていい?』と言いたげだったし、黙って見続けてきたのは『今はお金持ってない』と言っているようだった。


 それに合わせて答えてやるとその回答は当たっていたようで、まるでペットを相手にしているような気分になる。蓮はトコトコと歩いて、着かず離れずの距離を保っていた。樹楊の視線からはハッキリと表情が見えないが、楽しそうではある。


 

 目的地のレストランに着いて店内の窓側に空席を見付けると、他の席には目もくれずにそこを目指す。窓辺は、一番いい席だ。

 奥に縮こまった席なんかよりものんびりと出来る。店内は、何処にでもあるようなオーソドックスな造りだけに安心もする。


 何処かの飼い犬もご飯の匂いに誘われたのか、店内まで入ってくるがあっさりと店員に追い返されていた。続いて野良猫も入って来たが、結果は同じ。

 そんな微笑ましい光景を横目に留めながら掛ける蓮にメニューを渡し、自分も見ているとオーダーを受けに来たウエイトレスの声が頭上からする。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」


 まるで「早くしろ」と言わんばかりの、ぶっきらぼうな口調だ。言葉使いなど注意する気もないが、それでも視線を上げると。


 メイド服のような服を着た少女が驚愕の表情を浮かべていた。

 膝まで伸ばされたレモン色の髪はとても細く、深く被っているニット帽の所為でハッキリ見えないが整った顔立ちをしている。この少女が噂の可愛いバイトなのだろう。

 一目で解るほど、それなりの雰囲気を持っている。


 しかし、何故そんなに驚いているのかは解らないが、小声で「んげっ」と汚いモノを見たような反応だけは止めてほしい。結構傷つきやすいのだ、これでも。

 だけどこの女、どこかで……。と記憶を引っ張りだす事三秒。


「あぁ、お前! やんちゃな鋏娘!」

「やんちゃって何よっ。何でおにいさんがココ――って、蓮ちゃん!?」


 ウエイトレスはゼクトだった。

 ようやく気付いた蓮は、メニューから視線を外すと驚きもせずにコクリと頷く。


「俺はスクライドの兵士なんだからここに来てもおかしくはないだろ? それよか、何でお前はここに居る? それに蓮ちゃんって……一応お前の上官だろ?」


 ゼクトは身を引いたまま固まっていたが、息を吹き返したかのようにハッとする。


「蓮ちゃんは私の友達なの。任務時はちゃんと態度を改めるけど、普段はいつもこうなの」


 不機嫌そうにそう言われたが、何だか感心してしまう。友達相手に公私の切り替えが出来るのだと。


「それよりも、注文はっ?」

 ゼクトは腰に手を当ててぶすっと訊いてくる。客に対する態度じゃない。

 樹楊は決めていたハンバーグのランチセットを頼むと、蓮はしばらく考えてお冷を一口飲む。そして、秒針が百二十回動き終えた後。


「きょーくんと同じの……」

と、音も立てずにメニューを閉じ、


「…………五人前」

 で、こちらを見てコクっと頷く。


 食えるのか? と、遠慮はしないのか? の意味合いを込めた眼差しを向けると、あっさりと首肯した。親指を立てそうな勢いだ。

 そう言えば、蓮の胃袋の大きさは白鳳で思い知らされていた。



 蓮はちまちまと、しかし休む事無くハンバーグのランチセットを五人前食べ終えると、ジャンボあんみつを追加注文する。それももくもくと食べるもんだから、見ているこっちが吐き気を催した。この小さくて細い身体の何処に入るんだか、と素朴な疑問が生まれるのも無理はない。


 蓮の口の端に付いたあんこを、樹楊は紙ナプキンで拭ってやる。その光景を傍から見れば、仲の良い兄妹のようだ。


「満腹か?」


 当然、頷いてくれるものばかりだと思っていた質問だったのだが蓮は考える。

 そしてレストランを見る。


「……腹八分目がいいって言うから、だいじょぶ」

「そ、そうか」


 本当に胃袋はどうなっているのだろうか。

 ただでさえ五人前を食べたのに、あのジャンボあんみつも食べたんだ。『三人以上で食べてネ』と記載していたモノを一人で食べたというのに、この小娘はまだ腹八分目だと言う。

 樹楊は名残り惜しそうにレストランを見続ける蓮の手を引き、大通りを抜けた。

 これ以上奢らされるのは敵わん。


 その様子を、ゼクトは店内からずっと見ていた。鋭い目付きで。



 後日の夕暮れ時。

 西の空から東へと、太陽に焼かれた茜雲がゆったりと流れている。

 相変わらず吐き出す息は白いが、この空を見るだけで暖かくなってくる気もする。


 樹楊はこんなにも美しい空の下で、死霊のような顔付きで歩いていた。

 腹は空腹の限界を訴え、身体は痛みに悲鳴を上げている。


「し、死ぬ……」

 思わず独りごちた。


 今日は朝っぱらからミゼリアの訓練を受けていたのだ。久しぶりの訓練だった所為で、腕や足は張っていた。握力なんかあったもんじゃない。一緒のメニューをこなしていたミゼリアは「いい汗が流せたな」と意気揚々に帰っていったのだが、樹楊としては大迷惑だ。

 

 

 まるで鉄球でも繋がれているような足を引き摺っていると、ようやく自分の愛しの我が家が見えてくる。街の端にある、廃ビルが樹楊の住処だ。

 その断熱性も無さそうなオンボロビルだが、今は楽園に見えてくる。帰れば暖かい風呂もあるし、ベッドもある。


 あう〜あう〜言いながら、そのビルの戸口に手を掛けた時、物陰からの視線を感じた。

 自然に引かれた目線の先に居たのは、ニット帽を深く被っているゼクト。

 やっぱり棒がついた飴を口に含んでいる。


「何だ……お前か。用でもあんのか?」

「うん、ちょっとね。ここ、おにいさんの家でしょ? 上がっていい?」


 駄目だ、と言う前にゼクトは階段を上がっていく。一階は駐車場となっていて、バイク二台とメンテナンスキットの置き場となっているからだ。

 樹楊はゼクトの背を見ながら嘆息。そして最早何も言う気力がないまま、自分の部屋へと向かった。


 ゼクトは部屋に着くと興味無さ気に見回し始める。廃ビルなだけはあって、中はだだっ広い。家具があまりないからか、デッドスペースがやけに目立つ。


「あ、お前靴脱げよ?」

「え? 何で?」


 樹楊はブーツを脱ぎながら続ける。

「俺の先祖、つまり燈神人はな、家に入る時は靴を脱いでいたんだ。それを耳にしてから自分の部屋に入る時は靴を脱ぐようにしてんだよ」


「ふーん、おにいさんって伝統を重んじるタイプには見えないけど」


 樹楊は「そういうわけじゃねぇよ」と言うと、靴を適当に脱ぎ捨て、灰色のカーペットが敷かれている床にの転がった。ゼクトは言われた通り靴を脱ぐと、違和感があるのか眉根を寄せて足場を確かめるように中に入ってきた。


 部屋の床は一面灰色のカーペットが敷き詰められ、南側には窓がトランプのように並べられている。快晴の朝を迎えれば、この部屋は光で満たされるだろう。しかし生憎、樹楊にはそんな爽やかな朝は似合わないし、本人も自覚している。

 角にベッドが置かれ、その隣に空き缶を乗せたままのガラステーブルに、革張りのソファーがあるだけ。ベッドの足もとにはタンスが二つ。

 

 一箇所に集められた家具は、まるで部屋の片隅で蹲るイジメられっ子のようだ。


「お前はソファーにでも座っててくれ。俺はシャワー浴びてくる。冷蔵庫にあるモン、勝手に飲んでていいから」

「あ、うん」


 樹楊としては湯に浸かりたかったのだが、客人を待たせるわけにはいかない。

 自分が言った通りシャワーを浴び、適当に髪や身体を洗って出ると、ゼクトは大人しくソファーに座っていた。


「で、何の用事だ?」


 冷蔵庫から発泡酒を出して蓋を開けて飲む。ゼクトは勝手に飲んでいてくれたから、変に気を使わなくて済んだ。ゼクトは樹楊がベッドに座ったのを見計らい、重々しく口を開く。


「おにいさん、蓮ちゃんの事どう思ってるの?」


 喉を刺激して通る発泡酒が胃にまで沁み渡り、思わず笑顔が浮き出てくる。

「蓮? どうって……どうだろ?」


 関係上、蓮はニコと同じように接している。友達というよりも、妹みたいな感じだ。

 改めて聞かれると、何て答えればいいか戸惑っていると、ゼクトが隣に座ってきた。


「蓮ちゃんは、おにいさんの事を気に入ってる」


 それは何となく解っていた。

 知らない人に触れられると斬りかかる蓮に、自分が触れても何ともないし、自分も気に入ってるからだ。


「それがどうしたんだよ。 不都合な事でもあるのか?」

「おおありよ」


 迷惑そうに吐き捨てると、真っ直ぐに目を見てきた。睨んできているようにも見える。


「蓮ちゃんを一人の女として大事にしてあげられないなら、あまり関わらないで」

「関わる関わらないって、蓮が決める事だろ。何もお前に迷惑が掛かる事じゃない」

「…………友達の事を、こんな風に言うのは嫌だけど」


 ゼクトは視線を外さない。獲物を見付けた鷹のような、しかし痛みを訴える弱者のような瞳をしていた。


「蓮ちゃんは――歪んでいるの」

「歪ん、で……いる?」


 ゼクトは頷くと、ようやく視線を外してくれた。すると身体を倒してベッドに寝転がる。

 レモン色の髪が扇のように広がり、ライトの光を微かに反射させていてこんな状況じゃなかったら見惚れていただろう。。


「赤麗ってね、本当は三十人の部隊だったのよ」

「三十人? 今の三倍じゃねーか。何でまた十人に減らしたんだ?」

「減らしたんじゃないの。蓮ちゃんが……殺しちゃったのよ」


 嘘だろ? と、すぐに突っ込んでやりたかったが、ゼクトの表情は至極真面目で、その瞳は過去に悲しんでいるようで何も言えなかった。こんな雰囲気で飲む酒が美味いわけはなく、テーブルに置いた。


「仲間を殺して何も咎められなかったのか?」


「まぁ、赤麗は実力主義ってのもあってさ、蓮ちゃんは首領と張り合えるくらい強いから、結果的に何も罰せられる事はなかった。その事では首領も悩んだみたいだけど、殺された二十人にも非があったし、それに蓮ちゃんがそういう不安定なコだって皆承諾した上で入隊させたしね」


 ゼクトは身体を起こすと、戸口に向かう。


「殺された二十人は、蓮ちゃんから絶対奪っちゃならないモノを奪ったのよ。もしおにいさんが蓮ちゃんと手を取り合って生きていくと言うなら何も文句はないけど、そうじゃないならこれ以上深く関わらないで。私は、もうあんな蓮ちゃんを見たくない」


 そう言われても困るとしか言えない。蓮とはウマが合う面もあるし、懐かれているのを理由もなく邪険には出来ない。

 

 樹楊はブーツを履くゼクトの後ろに立った。

 するとゼクトが、スッと立ち上がってきて正面を向いてくる。


「もし蓮ちゃんに近付く目的が、下心からくるものだって言うんなら」

 ゼクトは樹楊の手を引き、身体を合わせてきた。そして挑発気味に言う。


「私がその相手になってあげる。何でもしてあげる」


 そう言うと、爪先立ちをして首筋に舌を這わせてきた。微かに背中を走った寒気は快楽から得られたものではなく、猛獣にでも味見されたかのようなおぞましい悪寒。


「何でそこまで蓮の事を? 異常だぞ?」

「かもね。でも蓮ちゃんのあの姿だけはもう見たくないのよ。それを防ぐ為なら、私は何でもする」


 そこまで言うのであれば、その覚悟は本物なのだろう。しかし、ゼクトに発情する事はなかった。蓮と仲良くしているのは下心からくるものじゃない。それに身体を道具として差し出されても、はいそうですかと言って受け取るほど愚者でもない。


「私は未経験だから安心していいよ? 男ってそっちの方が好きなんでしょ?」


 鼻腔をくすぐる甘い香りは、こういうシチュエーションでなければ男を惑わす美香なのだろう。うっとりと細められた瞳は、寝首を掻こうと見計らう悪女の眼差しを送ってきている。


「そんなんじゃねーよ。つーか、そういう事言うのは止めろ。全然可愛くねーぞ」


 肩を押して身体を離してやると、ゼクトは冷笑を浮かべた。明らかに敵視している瞳だ。

 その殺気がピリピリと肌を刺激してきている。

 冷や汗が一つ、頬を伝う。


「まぁ、いいよ。今は見逃してあげるけど、これ以上蓮ちゃんに深入りするなら殺すから」


 ゼクトは零下の殺気を言葉に乗せ、首筋にキスをしてきた。そして耳元で囁いてくる。

「欲しくなったら言ってネ」

 

 つまり、その時に殺してあげるから、とでも言いたいのだろう。

 背を向けるゼクトは、最後まで妖艶な目を向けたままだった。

 そして足音を立てずに階段を下りて行く。樹楊はそれを見送る事無くベッドに向い、すぐに大の字になって寝転んだ。


 蓮は歪んでいる。

 そのゼクトの言葉が耳に引っ掛かるが、そんな事くらい解っていた。しかし、改めて言葉にされると再認識してしまう。触れられただけで斬りかかるなんて尋常じゃない。どう考えても異常だ。だけど、それは周囲の環境次第じゃないかとも思った。何も最初から歪んでいたわけじゃないだろう。


 樹楊は蓮の事を真っ向から否定出来なかった。……出来るわけがない。

 

 過去に何かあって歪んだだけであって、先天的なモノじゃないハズだ。あんなに華やかな笑顔だって出来るんだ。その歪みが無くなる日だって来るだろう。


 そんな蓮よりも、むしろゼクトの方が歪んでいるように感じた。

 鋭利な刃物を突き付けられる恐怖ではなく、大蛇に巻きつかれたような気味悪い恐怖。

 その大蛇は骨を折ろうとはせず、逃げられないような力で巻きついているだけ。

 いつ殺そうか、そんな殺気が小さな心臓に浸食していくのが解った。


 樹楊は首筋を一撫でする。

 少しだけ湿っぽい。

 鼻には、ゼクトの色香が幻となって残っていて不快だった。


 もう寝ようとベッドに潜る最中、ゼクトに訊きたい事があったのを思い出した。


 何でレストランで働いているのだろう。

  しかし、その疑問は焼いた餅よりも柔らかく、圧し掛かってくる眠気にあっさりと潰されてくれた。



 ◆



 闇に堕ちるスクライド城下町。

 その中で乾いた残響を残すように、ゼクトの靴底の音が鳴っていた。

 夜独特の賑わいを奏でる中で、その音は一際目立っていた。しかし、人々はそんな音にまで構っていられない。これから酔っ払いに行こうとしているのに、足音の一つや二つ気になる方がどうかしている。


 ゼクトは鬱陶しいくらいに群がる群衆を抜けて自分が住まう赤麗のビルに入ると、長衣の内ポケットからガラスの小瓶を出した。中では赤紫の液体が揺れている。


 あいつには効かなかったか。

 そう思うとこの媚薬の効果を疑ってしまう。でも効果は抜群のはずだ。既に実証済みでもある。最も、実験として使用したおっさんに身体を触らせる事など許さず、気を失わせておいたが。それならば、何故?


「ゼクト……」


 自分の部屋があるフロアに着くなり、無の気配の中から冷え切った声が肩を叩いてきた。

 だが驚きはしない。聞き慣れた声だからだ。


「蓮ちゃん、どうしたの?」


 気付かれないように小瓶をポケットにしまうと、いつも通りの自分を見せる。

 蓮は眉一つ動かさず、壁に背を預けたまま口を開く。

 いつもなら聞き取り辛い声だが、静まり返ったフロア内だけに良く聞こえる。


「どうしてバイトしてたの?」


 内心、ホッとした。

 バイトの理由は首領にも報告してあるし、承認済みだからだ。


「お金を貯めてね、自分の部隊を作りたいの」

「……赤麗を抜けるって事?」

「うん、今すぐには抜けれないけど、いつかはね」


 蓮は興味無さ気に「ふーん」と予想通りの反応を見せてくれた。蓮はいつもこうだ。

 隊員に興味を持つ事はない。例え、今赤麗が解散しても何とも思わないだろう。


 話はそれだけなのか。いや、それだけじゃないのは解っている。

 ゼクトは逃げるように片手を上げるだけの挨拶をした。

 しかし、その手を素早く掴んでくる蓮。その瞳は自分の心の中を見透かしているようだ。


「……ゼクト」


 蓮は掴んだ手首をゼクトに見せ付けるかのように捻る。ゼクトの眼に映るのは、リストカットした痕。まだ新しいのは自分がよく解っている。


「この傷…………何?」

「こ、これはっ」


 何て言おうか迷ったが、変な答えを出そうものなら勘繰られる。ゼクトは一瞬でこの場に適した答えを口にする。


「バイトで切っただけだよ。床掃除してたら包丁が落ちてきて、それで」

「嘘」


 ぐっと息を飲むゼクト。

 だが迷う暇もなく、蓮が真実を口にする。


「……惨美香さんびかの匂いがする」


 惨美香とは、ゼクトがもつ媚薬の名前であり、己の血液を混ぜて生成する。

 甘い香りで市販の香水のようではあるが、あくまで媚薬。勿論、使用のは禁止されている。

 しかし香水よりも香りの持続力はなく、今のゼクトからも惨美香の香りはほとんどしない。それでも蓮はその微かな微香に気付いたのだ。

 

「そ、そうだけど」


 ゼクトは腕を強く振り払い、傷の付いた手首を握り締める。いつの間にか嫌な汗が背中と服を張り付けていた。


「ただ作っただけだから」

「それも嘘」

「な、何で言い切れるの?」


 蓮は少し間を開けると、狭い歩幅で歩み寄ってくる。そして胸元に顔を近付けると鼻を動かした。


「きょーくんの匂いがする……」


 そう言い切った瞬間、蓮は時空から機械剣を引き摺り出すとゼクトに構える時間を与えずに、喉元へ切っ先を当てた。


 剣の刃の先には、黒く淀んだ殺気を纏う瞳が揺れずにこちらを射抜いてきている。

 もう言い訳が出来る状況でもない。

 ゼクトは固唾をのみ込むと、降参したように両手を肩の高さまで上げた。


「何にもしてないから安心してよ」

「……当たり前。きょーくんに何かしてたら」


 その先の言葉は、膨らんだ殺気から理解した。切っ先がゼクトの皮膚を一枚刺す。


 そしてゼクトは幻覚を見た。

 いや、己の末路を蓮に見せられた。


 剣が深々と喉へ突き刺さり、そこから脳天まで引き裂かれる絵を。


 ゼクトはハッと我に返ると、剣は既に無くなっていた。それに安堵し、死の恐怖から逃れたゼクトはがっくりと膝を着く。

 呼吸は荒れまくり、汗がポタポタと床に落ちていく。


 命を握られた感覚。

 生の欠片さえも掴めぬ恐怖。

 蓮の殺気を浴びただけなのに。

 まるで価値の無くなった人形を見下ろしてくるような目をする蓮に、ゼクトは問う。


「蓮ちゃんは何でそこまであのおにいさんの事を気に掛けるの……?」


 蓮はその問いには答えてはくれず、無言で闇に溶けるように消えていった。

 それから半刻も動けずにいたゼクトだが、口元は釣り上がっている。

 

「おにいさんを殺すのはやっぱり蓮ちゃんかもね……」


 込み上げてくる笑いを口に含み、ゼクトは自室へと入った。


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