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第九章 〜侵攻戦〜





 クルード王立都市・ネルボルグ

 

 そう呼ばれていたのも十年も昔の事であり、ここは既にもぬけの殻で、廃都となっている。

 クルード王国は新城を北へと移した際に、主要都市も北へと移した。

 この旧ネルボルグに住まうクルード国民は一人として居ない。それでもクルードの拠点とも言える場所だ。西を見れば、旧クルード城も見える。南を向けばスクライドとクルードの境界線である大きな河が見える。


「よし、いいか。今回の任務はこの旧ネルボルグを抑える事だ。ここを俺らのモンにしちまえば今後の戦も楽になるだろう。何せ、ここはスクライドを攻め込む時に最も近い拠点であり、北・西・東の何処からでも食物や武器・更に兵の補給をし易い場所だからな」


 北風を背に、サルギナは旧ネルボルグを親指で指しながら言う。月の灯りは雲で遮られ、薄闇の向こうから語りかけているみたいだ。

 旧ネルボルグを見下ろす事が出来る丘の上にはスクライドの隊が集結している。と、言っても六人編成の隊が二隊だけである。しかし戦を想定とした隊ではなく、サルギナ率いる特殊侵攻部隊という、奇襲を得意とする隊だ。


 その中に、ミゼリアと樹楊もいた。

 ミゼリアに新兵は与えられていないが、サルギナ部隊に臨時として派遣されたのだ。

 樹楊は呼ばれていなかったのだが、ミゼリアの強い要望により派遣。

 最も、樹楊にとっては迷惑だったのだが。


 その樹楊にだが、二つほど気がかりな事があった。

 それは、サルギナが率いる二小隊の事だ。

 普通の兵であれば、上官を目の前にすればバカみたいに背筋を伸ばして規律の執れた並びを見せるのだが、この二小隊の態度ときたら。

 岩に座る者や木に背を預ける者、挙句の果てには上官であるサルギナに背を向けている者もいる。やる気の欠片すら見当たらない。まったくけしからん、と人のフリを見て己のフリを見直さない樹楊。


 しかしサルギナは気にも留めておらず、ごく自然な態度だ。まるでいつもの事だと言わんばかりに。ちゃんと地位を考えた態度を取っているのはミゼリアだけだ。バカみたいに背筋を伸ばしていて、口を固く結んでいる。


 サルギナの部下は全員傭兵上りであり、気性の荒い者ばかりだ。その実力は実力派と謳われているグリム上将軍の兵を凌ぐとも言われている。

 そしてその部下達に絶対の信頼を得ているサルギナ。彼もまた、傭兵上りの兵だ。今となっては将軍まで登り詰めた、戦の天才とも言われている。その年、若干二十五歳。まだまだ伸び盛りである彼が上将軍まで登り詰めるのも、遠くはないだろう。


「と、言う事なんだけど。何か質問はあるかな? あ、作戦の決行は尖兵から連絡が来たらだから、それまで適当にくつろいでて」


 サルギナはプラチナの髪を揺らしながら、腕を組み、しかし偉そうにはしない。

 にっこりと微笑んで部下達を見回す。そして無言が続くと頷き、部下達の了承を得た事に納得した。樹楊はサルギナから一番遠い位置で聞いていた。輪から離れているとも言える距離だ。


 サルギナはその樹楊に近付き、片手を上げる。樹楊は微かに頭を下げる程度で返した。


「キミが樹楊か。こうして喋るのは初めてだな? あ、呼び辛いからキョウって呼ぶから」

「呼び名は何でもいいです。話すも何も、会う事自体初めてでしょう?」

「ははっ。噂通り素っ気ないな」


 サルギナは細めた眼で闇を挟んだ向こう側の旧ネルボルグを見る。肉眼でこそハッキリとは確認出来ないが、ぼんやりと動く光は見回りの兵のものだろう。その数は少なくない。


「今回の任務。成功が絶対条件だ」

「どうでもいいですけど、あの部下で平気なんですか? 俺が言うのもなんですけど」


 あの部下、というのは各々リラックスしている部下達の事だ。

 サルギナは「あぁ」と失笑すると、これまた楽観的な声音で言ってくる。


「いつもの事だよ。俺はあいつらを信頼しているし、信頼されてもいる。態度が戦の勝敗を決めるんじゃないしな。ってよりも、俺自身が軍隊仕込みの礼儀が苦手だしね」


 意外だった。

 頭の固いスクライドの中にこんなにも柔軟な人が居るとは思ってもいなかった。

 友人であるアギも、結構固いところがあるし、上官であるミゼリアも生粋の軍人だ。

 傭兵上りっていうのは本当らしい。


「それで? キョウは何か聞きたい事があるんじゃないか?」


 見抜かれている。

 別に大した事じゃないが、訊けるならば、と樹楊は前置きする。そしてサルギナの表情が変わらない事を確認するとやっとの事で口にした。


「今回の任務。やたらとスムーズだと思いましてね。国境を越える時、クルードの国境警備兵の動きがなかった。それに旧ネルボルグに潜り込ませている尖兵だってそうだ。この任務が決まったのは一週間前ですよね? いくら何でも早過ぎる」


 サルギナは少し驚いたような顔を見せたが、すぐに整え、いつも通りの浮いた顔を見せる。


「戦ってのは、何も力や数だけじゃない。大事なのは情報の収集と何手先を打つか。俺は常に情報をより多く集め、二手三手先を打つようにしている」

「それじゃ、尖兵っていうのは……」


「そう。一年も前から潜り込ませているんだよ。尖兵ってよりも間諜って呼んだ方が正しいかな? 国境警備兵も、俺の部下だ」


 樹楊はサルギナの底が見る事が出来なかった。この口振りだと、他の地域にも先手を打っているのだろう。力で己を語る傭兵には思えない。樹楊が珍しく他人に対して感心していると、サルギナは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。

 

「でも、情報に関しては自信がない。こればかりは裏に通じる者が居なければいけないしな」


 そう言うと、意味深な目で樹楊を見る。その瞳は何もかもを見透かしているようで、居心地の悪さを感じさせる。樹楊は目を逸らさず、動揺の欠片も見せずに黙っていた。

 サルギナは鼻で笑うと「生憎、裏の事は専門外なんでね」と笑う。そして、


「ところで、キョウ」

「何ですか?」

「今回の任務。どの位の時間で済ませればいいか、解るか?」


 樹楊は旧ネルボルグを見回すと、広さや目に付く大きな建造物、ここから見える動く光の数を大体確認すると溜め息混じりに答える。


「約、一時間ってところですかね」

「ほー。何故?」


「サルギナ将軍の言う通り、ここはクルードにとっては重要ポイント。何せ、ここから白鳳やスクライド、それにダラス連邦の三国へ仕掛けられる数少ないの点だ。物資や兵の補充にはもってこいの攻撃・防御拠点にもなり、兵糧ポイントにもなり得る」


 サルギナは楽しそうな目で、樹楊の横顔を見て頷く。


「って事はですが、今回の任務。なるべく早く終えないと失敗になるでしょうね。ここから王立都市である新ネルボルグまでは、およそ五時間。ですが、東のトライトや北のワクセンまでは三時間。西のコロネリウまでは二時間。今、増援を呼ばれたとしても、そのくらいは掛かるでしょう」

 

 樹楊は腕を組んでサルギナを真正面から見る。不敵に笑うサルギナが自分の中を見ているようで気に喰わなかったが、続けた。


「距離だけを考えれば二時間はあります。ですがこの拠点を占拠出来たとしても、当然クルードは即座に奪い返しにくるでしょう。その間にこちらの態勢を整え、控えている増援を呼び、辿り着くまでに三十分は掛かります。だからこそ手早く、そして隠密に行動する必要があります。出来れば敵に増援を呼ばれる前に叩きたいのですが、まぁそれは無理でしょうしね」


「そこまで解ってるなら何も言う事はないな」


 サルギナは満足したのか、樹楊に肩を叩くと二度三度頷く。そして近くの岩に座ると、煙草に火を点けた。最初の一口を深く吸ってから吐き出すと、煙草を勧められたがそこは断る樹楊。煙たいのは好きではなかった。

 そこにミゼリアが、少し戸惑いながら来る。何処で何をすればいいのか解らなかったのだろう。しかもミゼリアは常に厳格な指揮の元に居た為、このようにフランクな状況には不慣れなのだ。


「どうしたの、ミゼリン」

 煙を吐きながらサルギナ。


「ミゼリアですっ。どうもこうも、落ち着かなくて」


 俯くミゼリアを見て、樹楊は思った事を率直に言ってしまった。

「女の子の日っすか? ミゼリン」


 するとミゼリアの拳が頭にめり込んだ。逆鱗に触れたらしい。フルパワーで殴られたように感じる。しかし隣で樹楊の言葉に納得を見せていたサルギナは殴られないらしい。樹楊は不満に思っているが、それは当然だろう。ミゼリアは小隊長でサルギナは将軍だ。その間には大きな壁がある。


「お前はぁ! 少しは言葉を選べっ。それにお前までミゼリン言うな!」


 胸倉を掴んでガタガタ揺らすミゼリアの顔は真っ赤だ。樹楊は両手の平をミゼリアに向けて、冗談であることをアピールする。しかし今度は虫を潰すように頬を両手で挟まれた。必然的におちょぼ口になってしまった樹楊の顔を見たサルギナは腹を抱えて笑っている。


「むにーっ!」……とは一応、樹楊の悲鳴である。

「ったく。本当にお前はまったく!」


 ミゼリアが恥ずかしそうに、つんとそっぽを向いて手を払うとサルギナの通信機に連絡が入る。その途端、小隊は立ち上がって各々の武器を手にサルギナを見た。いよいよ作戦決行である。これまでふざけているようだった樹楊も普段よりも気を引き締めた顔付きとなった。


「よーっし。準備はいいか?」

「はいっ」

 返事をしたのはミゼリアだけで、他は無言で頷いていた。


「それじゃ……行きますか」

 サルギナが手を叩くと、小隊は東西に別れて音を消しながら走る。

 

 樹楊もミゼリアの後ろを着いていくのだが、その後をサルギナが追いかけてくる。

 重槍を担いでいると言うのに、身軽な動きだ。


「なぁ、キョウ。あのビルはどう思う?」


 サルギナは旧ネルボルグの中央に位置する、周りのビルよりも遥かに高いビルを指差す。かつてはこの都市のシンボルでもあり、経済の大半の流通拠点となっていたビルである。

 樹楊はちらっと見ると、すぐに返答する。


「あそこが最重要拠点って見えますが、恐らくフェイクでしょうね。あんな解り易い所に拠点を構えるなんざ、バカのする事です。……とも言いたいんですが、あのビルの下には蟻の巣状の地下が存在すると聞いた事があります。恐らく、今回のターゲットとなる拠点でしょうね」


「それじゃあ、先ずはビルから落とすか」

「馬鹿言わんでください。土台を殺さない内は柱も倒れませんよ。攻めるなら先ずは、周囲の制圧。そんで次に地下。最後にビルでしょう」


 ミゼリアは走りながら聞き耳を立てている。

 樹楊とサルギナは何時の間にやら肩を並べている。そして走りながらも今回の作戦の事やら、クルードの動きやら意見を交換し合っていた。樹楊の考えはどうやらサルギナ好みらしく、興味をそそられている顔付きになっていた。


「お前、噂とは全然違うな。どうだ? 俺の部下に――」

「それは駄目ですっ。樹楊は私の!」


 突然ミゼリアが声を張って割り込んできた。しかし、サルギナと樹楊の呆気に取られた顔を見ると我に返り、知らぬ顔で前を向く。


「ミゼリン、キョウを自分の慰みものだと……」

「ち、違います。私の部下だと言いたかっただけですっ」


「気付いてやれずにすいません、ミゼリン」

「おまっ、ミゼリン言うなっ。それに違うと言ってるだろう」


 ニヤニヤする馬鹿男二人の視線を背中に受けたミゼリアは走る速度を上げた。短距離競走並みのダッシュである。つまり、逃げたのだ。

 まぁ、向かう場所が同じだから結果としては逃げきれないのだが。


「なぁ、キョウ。ミゼリンってあんなんだったか? もっと固い感じだったけどな」

「うーん。ミゼリンってば、最近柔らかくなったんですよね」


 意外とウマが合いそうな二人だった。


 

 ◇



 旧ネルボルグに二小隊は東西に別れ、深く潜入した。サルギナ率いる樹楊らの小隊は東から潜入し、アイコンタクトや指の合図のみで進んでいく。

 廃都とは言え、クルードの拠点でもある旧ネルボルグにはライフラインが通っている。それでもビルなどの建物には灯りが付いてはおらず、今頃になって街路灯のみが夜道を明るく照らし始めたようだ。見通しが良くなった事に喜べるのはクルード側で、闇夜に乗じて侵攻したいサルギナらにとっては厄介であったが、そこは想定済みだろう。


 それにクルードの兵は緊迫感など持ってはいないようだ。まさか今、奇襲を受けているなんて微塵にも思っていないのだろう。

 見廻りらしくはしているが、ただ歩いているだけで談笑する機会も多い。

  それはこちらにとっては好都合だ。


「そろそろだ」

 サルギナが不敵に口端を上げ、腕時計で時刻を確認する。

 

 樹楊は剣をホルダーに納めたまま、腕を組みながら物陰に潜んでいる。気付かれる事はないだろうと思ってはいるが、こうしてヘラヘラと笑っているクルード兵を見ると、何だか呆れてくる。強国ならではの油断なのか、それとも彼らの人間性なのか。

 大した緊張もせずにサルギナの指示を待っていると、遠くから爆発音が響いてきた。

 西側から攻めに入った小隊の仕業だ。その轟音に、クルードの兵は物の見事に跳びはね、仲間内で何度か顔を見合わせると大慌てで駆けて行く。


 そして五分が過ぎ、東部で警戒に当たる兵に落ち着きが戻るとサルギナが手を招くような仕草を送ってきた。作戦決行の合図である。

 先ず、速突兵である樹楊が持前のスピードを駆使して兵に突っ込んでいく。


「敵襲! 敵襲ー!」

 クルード兵の三人が槍を構え、その後ろの一人が通信機を出した。


 応援を呼ぶ為だろう。しかしそれは樹楊の予測通りだ。

 樹楊は高くジャンプすると、手前の三人は釣られて見上げる。

 そこにサルギナの重槍による横薙ぎ一閃。


 完全に敵は不意を衝かれていた。

 サルギナは樹楊の真後ろに隠れていたのだ。

 幸いにも今夜は雲が空を覆う薄暗い夜。樹楊の姿でさえ見え辛かったのだろう。

 サルギナの姿など、見えていなかったに違いない。

 真下で敵三体が鎧ごと両断されている頃、樹楊は空中で一回転して着地地点を定めていた。

 その場所は通信機を握り締めているクルード兵の背後。


「こ、こちら東部――」

 そこまで言い掛けて、通信機は樹楊に取り上げられた。


「ちくっちゃ駄目だろ?」

「なっ、早いっ」


 それもそうだろう。樹楊は常人の倍はあるスピードで距離を詰めていたのだ。応援を呼ぶ暇などあるわけがない。


「悪いね」


 樹楊が悪びれる様子もなく謝ると、兵の胸から槍の切っ先が飛び出てきた。

 サルギナの槍である。

 クルード兵は自分の胸を見た後、血を二度ほど吐いて白目を見せた。


「キョウ、行くぞっ」

「ういっす。っと、ミゼリンは?」


 自分の上官の新しい呼び名が気に入ったのだろう。元はサルギナが付けたのだが。

 サルギナは樹楊を目的地に促しながら口を開く。


「こっちは俺達だけだ。他の四人には別行動を命じてある」

「ってー事は、俺達が餌ってワケですか」


 サルギナは満足気に頷くと、走るスピードを上げた。そのスピードに樹楊も着いていく。

 瓦礫を飛び越えたり、三角跳びを駆使したりして先にある広場を目指す。

 目指す道の先、騒ぎを聞きつけたクルード兵が湧いて出てくる。

 三人……五人、十人。


「キョウ、いけるか?」

「俺は一人でいっぱいいっぱい」


「嘘だろっ? っく、なら俺が残りの九人をヤルから死ぬなよっ」

「うっす」


 スピードはあるが力はない。その上剣術が得意というわけでもない。それが樹楊だ。

 サルギナは誤算だったのか、顔を引き攣らせていたが、樹楊の顔に変化はない。


「九人くれーなら、何……と、か」


 そう呟く矢先に、クルードの兵は湧いて出てくる。十人だったのが倍の二十人に増え、サルギナが戸惑っている間に三十人。そしてどうしたもんか、あっという間に五十人に増えた。


「ガンバです、サルギナ将軍」

「む、無理だっての! せめて十人はやれっ」


「無理っす。頑張って二人ですね、俺は。そこは譲れません」

「おまっ、頑張ろうとしてねーだろ!」


 叱咤するサルギナに対し、樹楊は威儀を張って頷く。こんな時にだけ兵らしくなる樹楊だった。それでも轢き返すわけにもいかず、サルギナと樹楊は広場まで疾駆する。

 円系の広場には水の出なくなっている噴水があり、木製のベンチが転がっていた。

 しかもここは東西南北、四方向から道が繋がっている。勿論、その道から兵が押し寄せて来ていた。

 噴水を背に武器を構えるサルギナと樹楊。それを囲むのはクルード兵七十人。

 サルギナの顔には戦局の劣悪さが滲み出ている。冷や汗が頬を伝い、口は固く結ばれていた。


「もう一度訊くが、十人はやれないか?」

「うーん、三人で手を打ちません?」


「アホかっ」

「あ、ついでに俺の背中も護って頂けたら嬉しいんですけど」


 サルギナは唾を飛ばしながら怒鳴る。と、言うよりも突っ込んだ。


「お前、真性のバカだろ! 普通は上官の背を護るのが部下の役目だっ」

「俺の上官はミゼリンですって。厚かましいなぁ」


 やれやれ、と首を振る樹楊。

 サルギナが拳を握り締めて震えているが、知った事じゃない。しかしこのままでは死んでしまう。こんな事になるなら機械剣を持ってくるべきだった。


 サルギナは何か頼れないし、かと言って二十人も三十人も相手には出来ない。

 どうしたものか……などとぼんやり考えている内に、敵様の戦闘準備が整ってしまったようだ。それはそうと、サルギナの腕は良いと聞く。七十人くらいの雑兵なら鼻歌混じりにでも相手に出来るだろうに。しかし当人は追い詰められた顔をしている。


 樹楊はサルギナの本当の姿が見たいと思ったが、今はそんな状況でもない。

 クルード兵は樹楊らを円形に囲むと、前線が構えながら距離を詰めてくる。じりじりと。

 樹楊と同じ速突兵なのだろう。

 己のスピードを活かす為に細い剣を握っている。敵様の速突兵は自分と違って強そうで何よりだ。厳しい訓練を積み上げても尚、昇格出来ない者達なのだろう。対する自分は弱い上に不真面目で、この最下の地位しか与えられないのだ。同じ速突兵でも質が違う。



「作戦失敗っすかね」

「俺のミスだ。お前が自分で言うくらい弱いだなんて知らなかったよ」


 サルギナは自分に苛立っているようだった。それをいい事に、樹楊は責めの言葉を献上する。


「何やってんっすか。ったく、使えねー上官を持つと部下が苦労するんすよ?」

「苦労してんのは俺だっつーの! 使えねーとは何だ、使えねーとは! 弱いお前に言われたくねーよっ」


 溜め息混じりにサルギナを罵ると、予想通りの言葉が返ってきたのだった。

 しかし聞き捨てならない言葉があった。


「弱いとは何すかっ。俺は弱いだけじゃなくてヤル気もないんすよっ。そこを誤解しないで欲しいモンです、はい」


「ドアホ! せめてやる気だけは出せよっ。この状況を考えろ! くそっ、打つ手がねぇかっ」


 敵との距離は既に狭まっていて、あと五歩も歩けば剣が当たるだろう。

 サルギナの重槍はリーチが長い分、剣ほど細かに振れない。一閃で五人は斬り伏せられるが、恐らく返しが追い付かないだろう。

 樹楊は剣をだらんと下げていた。

 自然体が構えではない。ただ逃げ道を探していただけだ。


 こんなに大勢の敵を相手にするのは自殺行為だ。生憎、自分には古代に埋もれた騎士道なんざ持ち合わせていない。戦地で死ぬより老衰で死にたい。あわよくば孫に看取られながら。敵陣で死ぬなんて間抜けな最後はまっぴらだ。


 懸命に一点の逃げ道を探すも、流石はクルード兵と言ったところか。等間隔に並んでいて隙がない。


 前線の兵が力を入れた時、感じた。

 いよいよ王手か。足掻くのは得意分野だ。

 仕方なく、樹楊が構えを見せた時。


 上空から何者か空を切り裂きながらが降ってきた。

 そして「伏せろ」という押し殺したような声と同時に、風車のような横薙ぎ。

 銀色の光は綺麗な円を描き、その後を血吹雪が追った。

 

「だ、誰だお前――がひゅっ」


 樹楊とサルギナは咄嗟に伏せてその斬撃を見送れたが、敵兵はそうもいかなかったようだ。

 闇夜に咲き乱れる無数の鮮血の花。

 一番近い距離にいた敵兵六人が、首を跳ね飛ばされて断面から血を噴き出しながら頼り無い金属音を重ねて崩れ落ちる。敵兵は指揮を仰いで一度下がる。戦闘態勢を整えているが、明らかに動揺を共有し合っていた。


 樹楊は助けてくれた者を地に這いつくばりながら見上げる。

 最初に目に入ったのは深紅の長衣。その裾はスレていてボロボロだったが、この長衣は赤麗の証だ。丈の短いスカートとロングブーツは真っ黒で、膝裏まで伸びている髪は金色――いや、レモン色だった。一本一本が月の代わりに煌めいているようで幻想的。


 顔ははっきり見えない。

 ツバが付いているニット帽を深く被っている所為で鼻筋までしか確認できない。近くで見れば目も見られるのだろうけど、今はそんな場合でもないのだ。

 サルギナは、すっと立ち上がると手を差し伸べて呑気にも礼を言う。


「ありがとう。キミは赤麗のコだね?」


 しかし少女はサルギナの手を見ただけで、愛想悪く視線を逸らした。口に含んでいる、プラスチック製の棒が刺さった飴をコロコロ転がした後、不機嫌そうに言ってくる。


「紅葉さまの命で助けにきた」

 迷惑だ、と言わんばかりの口調。


 樹楊は差し出した手を無視されたサルギナを見ると、頬を膨らませて笑いを堪えた。しっかりワザとらしく手を口に添えて、ぷるぷる震えている。


「キョウ、てめぇ後で殴るっ」


 サルギナが怒りの拳を握ると、少女は微かな反応を見せた。


「おにいさんが樹楊?」


 早く答えろ、と言われているようだ。

 意地の悪い樹楊はじらそうともしたのだが、帽子の端から微かに見える少女の眼が残酷そうだったので、大人しく頷いた。

 すると、少女は手を差し伸べてくる。それにはサルギナも驚いた。


「蓮さまに、おにいさんだけは護れとの命を受けた。私はゼクト」


 何が不満なのか、ぶすっとした口調だ。

 ふっくらとした下唇は桃色で色気がある。唇を合わせれば、極上の柔らかさを感じられるだろう。しかしこの少女は背が高いわけではないし、口調は無愛想。必然と色気を軽減させている。何とも勿体無い。と、樹楊は悠長な事を考えていた。

 そうこうしている内に敵の戦闘態勢は固まり、同じ様に距離を詰めてくる。


 ゼクトは武器を構えた。

 その見た事もない武器に敵兵も樹楊らも戸惑う。


 ゼクトの武器。それは鋏だったからだ。

 鋏とは言え、その大きさは紙などを切るそれとは比較にならないくらい大きい。

 しかし刃のバランスがおかしい。

 片や長剣程の長さをしていれば、もう片方は短剣ほどの長さ。

 まるで蟹の鋏のよう。


 紙切り用の鋏と同じでガードがあるが刺々しく、大型のカイザーナックルのようでもある。無骨な柄にバランスの悪い刃。これをどう扱うのか、疑問だらけだった。


 しかしその疑問を解いてくれるのもまたゼクト。


 まるで知恵の輪を解くように鋏の刃を外し、柄頭と柄頭を合わせるように組み立てた。くの字型に変形した武器は、弓となる。ゼクトは腰に携えてあった矢を五本ほど抜いた。そして、最後尾に居た指揮官を巻き込んだ五人の首を射抜く。


 速射。


 矢のスピードは目で追うには速過ぎた。

 敵兵らも、指揮官が崩れ落ち、首元に矢が刺さっている事を目で確認してから矢を飛んで来たのだとようやく理解出来たほどだ。


「それ、弓にもなんのかよ」

 樹楊が呆気に取られながら呟くと、


「それだけじゃない」

 ゼクトは弓の型を解き、双剣の型を取る。

 

 どうやらこの大鋏は戦闘に応じた型を取れるらしい。見るからに癖が強く、扱いにくいのは確かだが。瞬時に分解して組み立てるには、相当な器用さが求められるのだろう。


「ここは私に任せて早く行って」


 本当に不機嫌そうに言うゼクト。

 しかしサルギナは首を振り自分も残ると言うが、ゼクトは早く行けとばかりに睨む。眉間に刻まれた縦筋も深くなり始めた。サルギナは少しばかり考えて敵を見回した後、視線をも合わせずに呟く。


「解った。けど、無理しないようにな」


 サルギナは重槍を構えると、敵の士気が乱れている内に、と、自らも武器と一体化したように突っ込んでいく。その凄まじい刺突に、上半身を吹っ飛ばされる敵もいた。

 樹楊は敵を哀れに思いながらも、サルギナに続く。僅かだが敵の列に穴が開いたのだ。見逃す手はない。


「よし、俺も行きゃっひゃーっ」

 樹楊が会心のダッシュした瞬間、ゼクトが襟を掴んできた。

 勢い余った樹楊は語尾を奇怪な言葉に変換し、両足をブランコのように前に振る。


「げほっ!」


 樹楊は受け身も取れず、固いコンクリートの地面に背中から落ちた。

 気管も締め付けられた事もあり、呼吸困難状態に陥る。

 ゼクトは飴を口の中で転がし、ぶすっと吐き捨ててきた。


「おにいさんを護れって言われてるって、さっきも言ったでしょ? 私の傍を離れないで」

「んなっ、げっほ。口で伝えてくれってばよ」


 そんな事も知らないサルギナ。

「おらおらおらぁ! キョウ、俺に着いてこぉい、はっはっはー!」などと叫びながら絶好調に猪突猛進中。


「元気だね、あの男」

「あー……バカなんだろ」


 互いに頷く二人。

 まるで将軍らしくないサルギナは、樹楊が着いて来ないのをまだ知らない。


「つーかよ、俺……かなり弱いぞ?」


 ゼクトは首を斜に、

「おにいさん、霞狼を倒したんじゃないの?」

「え、アレ……見逃してもらった、ん……だけど?」


 二人の間にとてつもなく冷たい風が通り抜けた。しかし、樹楊が感じている寒さは風の所為だけじゃなさそうだ。帽子の影に覆われるゼクトの眼が冷たい。

 汚物を見るような眼つきだ。


「あ、あの〜。何か?」


 しどろもどろに訊く。

 するとゼクトは、ガリッと飴を噛み砕いた。

 その音に気圧される樹楊。敵が増えた気もする。まるでガリガリと噛み砕かれている飴が自分の未来を表しているようだ。

 ゼクトは長嘆すると、ポケットの中から同じ飴を取り出す。ピンク色で、可愛らしい。


「ま、いいや。私一人でヤルから。おにいさんは鼻でもほじってて」


 敵意剥き出しの一言だったが、樹楊は素直に応じようと鼻に指を入れようとしている。

 しかし、何故かギロリと睨まれた。

 指、鼻に突入出来ず。


「何で蓮さまはこんな奴を……。イルラカさまも紅葉さまも……。訳解んない」

「どうした?」

「黙れ、駄犬」


 ゼクトはそう吐き捨てると、ショックを受ける樹楊を余所に軽いステップを踏み始めた。その音はリズミカルで、聞いているだけで心地良い。そしてその音が途切れた、刹那。

 ゼクトは前線に構える兵の目線の高さまで跳躍していた。華奢な膝で敵兵の鼻頭を潰すと、そいつの頭を踏み台にし、更に跳躍。着地を待ち構えた敵兵は各々の武器を構えるが、ゼクトは不敵な笑みを浮かべる。


 大鋏の片方、短剣のガード内に足を突っ込むと、フラフープのように回し始める。

 元から切れ味が良かったのだろうが、遠心力は更なる鋭さを加える。

 回転する短剣の餌食になった兵の首は、面白いように飛んでいき、ゼクトはもう片方の足を使って敵兵の頭に着地する。またも跳躍。そして短剣による円斬。


 そんな単純な攻撃を繰り返すだけなのだが、見た事もないような戦闘方法にクルード兵は混乱の渦に呑み込まれていた。ぴょんぴょん跳ぶゼクトの足には、首切りの刃が回っている。うかつには近付けないのだろうが、ゼクトがランダムに跳びはねる所為で、犠牲者は増えていく一方だった。


 あまりの凄惨な光景に、クルード兵は樹楊の存在を忘れていた。

 勿論、樹楊本人も自分がクルード兵の足元に居る事など忘れている。

 クルード兵の半数が首を失くすと、指揮官を失った残存勢力は烏合の衆と化し、一時退却を余儀なくされた。


「退けっ、退けぇー! 態勢を整えるのだ!」


 兵の一人が叫ぶと、待ってましたとばかりに構えていた兵はあっさりと退却していった。


 かつて、王都ネルボルグと呼ばれていた頃、和みの広場だったこの場所は、時を経て首なしの休憩所となった。それは激しい交戦の跡などではなく、一方的な暴虐により生まれたのだ。この光景を誰が想像出来ただろう。

 首なしの身体の数と同じ数の頭は無造作に飛び散り、どれが誰の物だか分からなくなっている。ただ、その全てが恐怖に染められた目を剥き出しにしていた。


 血を未だに噴いている死体もあり、このまま放っておけば血溜りが出来るだろう。

 思考回路が働かなくなっている樹楊だったが、広がってくる血が手に触れる事でようやく我に返った。


 ゼクトは累々と横たわる死屍を無機質に越えてくると、噴水を囲う石段に腰を落とす。

 そして細く長い足を組むと魅惑的に白い太腿を隠そうとはせずに、またポケットから飴を出して口に含んだ。


「ねぇ、帰ろ」


 星も見えぬ夜空を細めた眼で見るゼクトが、デートに飽きた女の子のように、ぽつり。

 

「帰ろって……まだ任務中なんだけど」

「任務? 無理無理。今回の任務は失敗だって。大人しく帰ろ」


 煙を払うように手をパタパタ振った後、立ち上がり、手を引っ張ってくる。

 本気で言っているらしい。


「何で無理なんだよ? お前が居れば遂行できるだろうが」


 掴まれた手を払うと、ゼクトは火を見るよりも明らかに苛立った表情を見せた。

 払い方が不味かった、わけではない。


「イルラカさまが掴んだ情報では、あと三十分もしない内にクルードの増援が来る。その増援というのも『殲鬼隊』なんだよ?」


 殲鬼隊。

 その言葉を聞いた樹楊の肩の力がガクッと抜けた。

 殲鬼隊というのはその名の通り、鬼をも殲滅させる部隊だ。鬼は架空の存在であり、実際に対峙して殲滅したわけではないが、その桁違いの実力により畏怖なる意を込められて付けられた隊名である。クルードの軍法である、皆殺しの名に恥じない戦をするのが殲鬼隊。その隊が通る先にも後にも人はない、とまで言われている。


「何で、何で殲鬼隊が動くんだよ!」

「喚くな駄犬。理由は簡単よ。今回の任務、向こうに知られているって事なの」

「そ、それって間諜がスクライドに潜り込んでいたって事か?」


 迷惑そうに頷くゼクト。

 

 クルードは今回のスクライドの任務を知っていた。しかし、旧ネルボルグの警備に当たる兵は知らされていなかった。そうする事によって、スクライド兵は任務の達成を目前にして意気込み、奥深くまで潜入する。

  

 そこを一網打尽にするのがクルードの目的であった。

 それに気付いたイルラカは赤麗の首領・紅葉に報告し、ゼクトを派遣させたという。

 しかし、スクライド上層部は未だに知らない。赤麗の目的は、水面化でクルードの間諜を見付け出す事にある。しかしそれも難しい状況だ、とゼクトは吐き捨てた。しかしここで表沙汰にするわけにもいかないらしい。


「これで解った? だから帰るよ」


 愕然とする樹楊の手を、再度引っ張るゼクト。しかし、樹楊の足は根を下ろしたように動かない。流石に眉根を寄せるゼクトだが、それでも樹楊は動かなかった。


「早く知らせねーと……。サルギナとかミゼリンが…………」

「そんな時間はない。早く帰るよ。おにいさん以外の誰が死のうが、私には関係ない。私の任務はおにいさんの命を護る事だから」


 樹楊は力強く引っ張られる手を、勢い良く振った。


「命を助けてくれた事には感謝してる。だけど、もういい。お前は帰れ」


 樹楊はサルギナが消えて行った方向を確認するなり大きく踏み出す。

 サルギナが一人で消えてから、そう時間は経っていない。足には自信があるし、追いつけるだろう。しかし、その行く手を遮るのはゼクト。

 己の武器・大鋏をくるくる回しながら道を塞いで対峙している。


「退けよ」

「それは無理。さっきも言ったでしょう? 私の任務はおにいさんの命を護る事――」


 ゼクトは溜め息混じりに吐き捨て、大鋏を双剣に分解する。

 そして短剣を逆手に持つと、目の前で剣の十字を作った。


「――別におにいさんを傷つけるな、とは言われてない。ここを通ると言うのであれば、足を斬り捨てても止めるから」


 風が吹くと、血の匂いが鼻腔を突き抜けてくる。空一面を覆っていた雲は、舞台を盛り上げるかのように、切れ間から琥珀の光を届けてきた。

 月明かりの下のゼクトは、レモン色の髪を更に輝かせ、不動たる軍神の如く立ち塞がる。紅葉や蓮と同じく、修羅場を潜り抜けた強者。

 勝てるわけがない。見せつけられた実力は、生半可なモノではない。


 まともに戦えば、だが。


 樹楊はにやっと笑うと、サルギナが向かった北ではなく、西の路地へと走りだした。ちゃんと片手を上げて、別れを告げる事も忘れてはいない。



「な、何処にいくのっ?」

「道は一本だけじゃねーっつーの」


 空に輝く満月よりも眼を丸くしたゼクトは戸惑ったが、任務を思い出すと樹楊を追う。


「ちょ、ちょっと待ってよっ。待ってってば、おにいさん!」

「足では俺に勝てねーよ、んじゃーな」


 その言葉通り、樹楊はゼクトを置いてさっさと闇の中に消えていく。ゼクトとて足が遅いわけではないが、樹楊のスピードはその上を行く。


「ちょ、何よ! 何なのよ、弱いくせにっ。ばかぁ! もう知らない!」


 ゼクトが見つめる闇の向こうから、樹楊の笑い声だけが響いてきた。





 ゼクトを巻いてから既に十分が過ぎた。樹楊は未だに仲間を見付けられずにいる。

 話声が聞こえたかと思い、そちらに行けばクルードの兵。物音が聞こえたかと思えば、犯人は野良猫。廃都とは言え主要都市だっただけの事はあり、広さもスクライドの城下町とは比較にならない。

 こんなに広くて施設が充実していた都市を捨てる事が出来るクルード王国の経済力の底が見えてこない。現・ネルボルグはもっと広いのだろう。


 このままじゃ時間だけが過ぎると判断した樹楊は、目に付いた一番高いビルの屋上に向かった。中は瓦礫の山で、埃の匂いが不快指数を高める。ここに入っていた店舗は衣類系だったのだろう。その名残がぽつぽつと見えた。


 ビルの屋上から見下ろす世界は絶景とまではいかないが、感嘆をするには値する。

 死した都の中でみすぼらしい街路灯が映えていて、滅びの芸術とも言えた。


「っと、眺めている場合じゃねぇ」


 暗視双眼鏡で都内を隈なく見渡すと、北東の方角にミゼリアらしき人物を見掛けた。

 四人で行動していて、敵との交戦はないようだ。ここから走れば五分で追い付く。

 樹楊はサルギナの場所は確認せず、ミゼリアの元へ駆けていく。


 サルギナは頭が切れる上に、腕も立つだろう。将軍の肩書はハッタリじゃないはずだ。きっと隠しているのだろう。樹楊はそう信じていた。


 ミゼリアの居る場所は大体分かった。しかし、どの道がどう繋がっているのかなんて分かりっこない。簡単な地図でもあれば迷う事はないだろうに。

 どうあがいても変わらない状況に、樹楊は仕方なく勘だけを頼りにして闇に溶け込むように疾駆する。


 焦りからか、珍しく息が切れている。柄にもなく額に汗をし、大きく手を振っていた。

 その自分の様が滑稽で、笑える。


 樹楊は乱れた呼吸を整えるべく、膝に手を着いて大きく呼吸した。

 冷気が肺を巡ると、少しばかり心地良い。


 何を必死になってるんだか。

 別にいいじゃねーか、逃げても。誰が死のうがどうだっていい事だ。自分さえ死ななければ、他がどうなろうと……。もうすぐ増援が来る。殲鬼隊が相手じゃ死は確実。

 ミゼリアを呼びに行っていたら、間違いなく鉢合わせになるだろう。


 俯き、深く息を呑む。

 馬鹿馬鹿しい。ホンット、馬鹿馬鹿しい。

 

 樹楊は来た道を引き返した。旧ネルボルグから出ようと、歩き出す。ミゼリアを鬱陶しく感じた事もあっただろう? 規律に厳しくて、軍人気質で上官にしたくない奴ナンバーワンだろ? 身捨ててもいいじゃないか。悪い事じゃない。


 無事に帰る事が出来たらこう言おう。

「探し回っても見付ける事が出来なかった」と。状況も状況だし、咎められる事はないだろう。


『お前は……私の可愛い部下なんだ』

 あの気丈で厳格なミゼリアが、涙を流しながら漏らした言葉。

 その言葉が耳の奥で微かな残響となっている。

 

『お前は私の部下だ。……ずっとな。それがお前に対する処分だ』

 その言葉が樹楊の足の裏に貼り付く。接着剤のように。


「うるせぇんだよ、何が処分だ。たかだか小隊長じゃねーか、お前はよォ」


 足を運ぼうとするが、動かない。歯を食い縛り、力を入れるがピクリともしなかった。腿を叩いて意地でも動かそうともするが、どうにもならない。そればかりか、足が勝手に動き出した気さえもした。


『ミゼリン言うなっ』


 樹楊は鼻で笑った。

 あの時のミゼリアの顔ときたら、好きな男の事で冷やかされた少女みたいに真っ赤だった。意外に可愛いところもある。そう考えればミゼリアも女なんだな、と思えた。胸にある、大きな傷跡。アレを気にしていたっけ。


 嫌いじゃねーよ。

 必死に生きてきた証を嫌いになれるわけねーだろ?


「不器用な女だな……」


 樹楊は振り返り、駆け出す。ミゼリアの元へ。


 その顔は不敵でいて柔らかい。この時初めて、自分の中で何かが変わった事を確信した。そしてそれが愚かな事だとも気付いていた。


 しかし、駆け出す足は止まらない。

 何故か士気が高揚する。


 ミゼリアの元まであと少しだろう。

 ビルに挟まれた一本道の路地が終わろうとした時、首筋に寒気が走った。

 氷の塊を押しつけられたような、蛇に舌先で舐められたような寒気。

 樹楊は反射的に横跳びした瞬間、視界の端、流れる前髪数本が青白い閃光の餌食となったのが見えた。


「おや?」


 何が起きたのか理解出来ない内に、何とも間抜けな声が背後から聞こえてきた。

 樹楊は片手で側転をしながら身体を捻じり、軽やかに着地をすると同時に屈伸させていた足をバネのように伸ばして距離を取る。


「キミ、動物? 気配消してたつもりだったんだけどなー」


 樹楊を見下ろす者は、銀色の棒をくるくる回しながら首を傾げている少年だ。

 どうやらクルード兵らしいのだが、鉄の鎧を纏ってはいない。胸に獅子の紋章が刻まれている真っ黒な革の鎧を纏っているだけ。防御力よりも機動力を重視しているのだろう。


「何だ、お前は」


 樹楊が訊くと、少年は棒を肩に担いでニカッと笑う。短髪が爽やかな印象を増加させ、八重歯が無邪気さを演出している。しかしその青少年風な顔には残酷な影が落ちている事を樹楊は感じ取った。


「ボクはサイって言うんだ。アンタ達を殺しにきた、殲鬼隊のサイ」

「せ、殲鬼ッ……」


 まさかこんなに早く来るとは思ってもいなかった。あと二分は時間があるかと思っていたのに。殺気など微塵にも見せないサイはニコニコしていて構える様子もない。こちらを見下している所為で隙だらけだ。これなら逃げられる。

 足を一歩引くと、またしても寒気が走った。今度は首筋から背中まで。

 振り返ると、左右から頭を挟むような斬撃が襲って来ているではないか。


「危ね!」

 これも何とか屈んで避け、横に跳ぶ。


「あーらら、ミスっちゃったね」

 サイが楽しげに呟くと、そいつは舌打ちをして正面を向いてくる。

「アンタもミスっただろ?」


 今度は女だった。

 サイと同じく革の鎧を纏っていて、縛った後ろ髪が孔雀の尻尾のように広がっている。手には扇。恐らく鉄扇だろう。今は広げられてはおらず、双剣のように持っている。リーチは短いがトリッキーな武器だろう。いきなり襲い掛かった女は樹楊を一瞥し、苛立ちながら言う。


「それにしてもコイツ、何なんだよ。動物?」


 樹楊はサイとその女を交互に見た。

 まるで鏡にでも映したかのように同じ顔だ。身長や胸こそ違うが、顔は同じ。

 樹楊の疑問に気付いたサイは、目の前に屈んでくると自分を指差す。


「ボクの双子の姉ちゃんなんだ。名前はスイ。よろしくしてあげてネ」

「サイ、今から殺す奴に名乗ってどうする」


 双子……。

 しかもこの鎧を纏っているって事はスイも殲鬼隊なのだろう。


 何て事だ。思っていたよりも最悪のシナリオを選んでしまっていたらしい。殲鬼隊が二人……勝てる見込みはゼロ。

 前門にスイ、後門にサイ。

 逃げ場もない。


 樹楊は剣を抜くと、腰を落とした。

 勝てるなんて思っていない。だけど、逃げ道を作るくらいなら出来るだろう。

 僅かな希望を胸に、柄を強く握り締める。


 樹楊の命の天秤はどちらに傾くのだろう。

 重く、死に傾くのか。

 はたまた、僅かに生に傾くのか。

 こればかりは奇跡を願う事しか出来ない。絶望にも限度ってもんはないらしい。


「アレアレ? ボク達とやる気なの?」

「抵抗しなければ楽に殺してやろうとしたのに。馬鹿なやつだ」


 樹楊はスイに狙いを定めて強く踏み込み、やや斜めに横薙ぎを見舞う。しかし、スイは地に胸を着けるくらいに身を低くし、それを避けた。そしてその姿勢のまま距離を詰めてくる。

 樹楊の剣はまだ流れているままだ。


「んなっ」


 踏み込みが速い、あまりにも。

 鼻の頭が擦れ合うくらいにまで接近したスイは、口の端を吊り上げるとぺろっと舌を出す。


「遅いね、お前は」


 樹楊は振り切る寸前の剣を力の流れに任せて投げ捨てると、両腕を下に振り下ろす。咄嗟の判断だったのだが、それは功を成す事が出来たようだ。

 振り下げた樹楊の手の平は下からの強い押しを受け、身体は放り上げられるように宙を舞う。


「コイツ、ムカつく!」

「あっぶねぇ、何つー女だ」


 危機一髪。そう思うのは早かった。

 スイは樹楊を追うように跳ぶと、宙で鉄扇の攻撃してくる。

 開かれた鉄扇の縁は鋭利に研がれていて、剣にも負けない斬撃を可能としている為、うかつには触れられない。


 樹楊は下降しながらも、その乱舞を的確に防御していた。

 鉄扇に触れはせずに、スイの手首を受けるように手の甲で防御。


「っく、何なんだ、お前は!」

「るせぇ! 俺だって死にたくねぇんだよ!」


 と、着地をすると互いに距離を取るように後方へと一跳びした。

 樹楊は剣を拾い、前に構える。


 何とか防御出来たものの、次はどうなるか。

 何度もまぐれが続くわけがない。

 おまけにスイは怒髪天突く勢いで睨んできている。プライドというものが傷付いているのだろう。


 スイは近くの瓦礫を爪先で何度も蹴っている。気性の荒さがモロに出てきていた。こういう女は彼女にはしたくない、と樹楊は素直に思ったが、向こうもお断りだろう。


「姉ちゃん、コイツどう見ても二等兵だよ? こんなのに手古摺るなんて、体調でも悪い?」


 サイはヘラヘラしながらスイを挑発する。スイは鼻を鳴らすと、獣のような眼で樹楊を睨んだ。


「今終わらせるよ。だから黙ってろ、ボケ」


 気も短ければ口も悪いらしい。

 スイは腰を下ろすと、一瞬で間合いを詰めてきた。制空権はスイが取る。

 ×字に鉄扇を振り、樹楊はバックステップで避ける。その樹楊の足が、地に着く前だった。


 スイは更に距離を詰めてきたのだ。

 樹楊の両足はまだ、宙に浮いている。


 そして。

 振り抜かれた鉄扇を側頭部に受けた樹楊は、地に足を着ける事無く吹っ飛んだ。

 ビルの壁に打ち付けられた樹楊は、樹楊は大きく咽る。


 何て馬鹿力してやがんだ、あの姉ちゃん。

 一瞬意識が狩り取られやがった。

 ヒットポイントをずらしていなければどうなっていただろう。

 頭からは血がどくどく流れ、冷たい地面に血痕を増やしていく。視界が定まらない。


 スイは口を半開きにしたまま、氷像のように固まっていた。樹楊を初めて見る生物のような目で見ている。


「あいつ、意外と頑丈だね。姉ちゃんの攻撃まともに喰らっても立ってるよ」

「違うっ……。あの野郎、当たるポイントをずらしたんだ。クソが!」


 歯が折れるんじゃないかというくらい、スイは歯を食い縛る。目にはハッキリと殺意が込められていた。


 樹楊はふわふわした地面を離さぬように、足に力を入れるが感覚がなかった。

 足がグラついているのか、視界が定まらないのか。そんな事は解りっこないが、解っている事は一つあった。


 それは、スイが止めを刺そうと近付いてきているだけ。


「は、ははっ。終りかよ、こりゃ」


 慣れない事はするもんじゃないな。こりゃミゼリンが生きて帰らないと何の為にここまで来たのか解らん。樹楊はそう思い、身体から力を抜いた。



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