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第八章 〜決意〜





 樹海を彷徨う事二時間。

 ミゼリア小隊は慣れない足場に疲労が臨界点まで到達していた。

 肩で息を切らし、汗を掻いている。

 

 このままでは不味いと判断した樹楊は、見付けた広場で小休憩を提案した。

 普段なら真っ先に意見を無視されるのだが、今ばかりは皆同意してきた。

 どうやら本当にお疲れのようだ。


 樹楊はというと、平然としている。

 様々な土地を旅してきた経験からか、こんな足場など慣れていたからだ。あと二時間は歩き続ける事が出来る。だが、隊員達はそうもいかないようだ。広場から僅かに離れた場所の岩壁から沢水が湧いている所がある。樹楊はその水を水筒に入れ、仲間達に配った。


「あぁ、ありがとう」

「すまない」

「……助かるよ」

「お前、イイ奴だな」


 様々な礼を述べられたが、樹楊は「早く元気になってくれ」と笑顔で告げるだけ。

 その笑顔に、仲間達は樹楊の優しさを垣間見たと思っていたが。

 どっこい、それはただの勘違いだった。樹楊としては、元気になってさっさと歩け、ボケ。としか思っていない。この程度の事で休まれる方がよっぽど迷惑なだけ。


 ミネニャは樹楊の後をちょこちょこ付いて回り、疲労困憊の隊員を見ては木の実をこりこり。だが近付こうとはしない。どうやら樹楊以外の人間をまだ警戒しているようだ。目が合えば、そそくさと木の陰に隠れたりする。


 樹楊は全ての隊員に水を配り終えると、最後に自分の喉を潤わせた。四期という身体も凍える季節に飲む沢水は、その冷たさを胃まで沁み渡らせる。

 だけどほのかに甘く、美味しかった。


「なぁなぁ、キヨウ。何でアイツらの世話なんか焼くのだ? 放っておけばいいのに」


 ミネニャが木の実を差し出しながら訊いてくる。その木の実は猛毒である可能性が大きいので、樹楊は手で制しながら答える。


「同じ小隊の隊員だしな。いくらウマが合わなくても、このくらいはな」

「ふーん。面倒なんだな、人間って」

 「あぁ、面倒だ」


 座り心地の良さそうな大岩を見つけ、そこに腰を落とすとミネニャも隣に座ってくる。

 同じように寝転んで、同じ夜空を見上げた。月が雲で見え隠れしている。大木が連なる樹海ではその大空の全てを見る事は出来ないが、恐らく天気は良くない。

 ミネニャは星を見ながら呟くように訊いてくる。


「なぁ、キヨウは何で嘘を吐いたんだ?」

「嘘? 何のだ?」

「私はこの樹海の王でもなんでもないぞ? 確かにここは私の縄張りだけど、別に獣達と仲がいいというわけではない」


 樹楊は、その事か、と呟くと。枕にしていた手で前髪をいじる。風は冷たく、頬がピリピリするが少しだけ心地いい。ミネニャは首を傾げたまま樹楊を見ていた。


「何となく、だよ」

「何となく?」

「あぁ。俺がお前を殴る瞬間、本当は斬るつもりだったんだけどな。けどよっ」


 軽く笑って反動を使い上体を起こす。そしてミネニャに横顔を見せた。


「ニャン公の顔見ちまったら、何つーかな。バカらしくなっちまったっての? ははっ」


 その顔は月灯に照らされ、優しい顔だった。どこかシニカルだが、凄く凄く優しい笑顔。その顔を見たミネニャも緩んだ笑顔を見せてくれた。


 そして「やるっ」


 木の実を渡してくるが「遠慮しとく」

 丁重にお断りした。


「食べろ」だの「いらん」だの、騒がしくしている姿を、ミゼリアは木の陰から見つめていた。聴力が優れているミネニャが気付けなかったのは、今この時が楽しくて仕方がなかったからなのだろう。


 ミゼリアは視線を落とし、足音を立てないように隊員の元へ戻る。



 ◇



 そろそろ隊員達の疲れも癒えた頃かと思い、座っていた岩から樹楊は飛び降りた。

 首をコキコキならし、最後に沢水で喉を潤す。こちらの準備はとうに出来ている。

 足を踏み出そうとすると、ミネニャ背後から口を塞いできた。微かに力が入っていて、息を殺している。


「気配……消して」


 明らかに潜めた声。

 ミネニャの耳は忙しく動いている。その眼は鋭く尖り、左右を確認しているよう。


「誰かが近付いてきている。三人……いや、四人。北西からだっ」


 北西と言えば、小隊が休憩している方角だ。樹楊は口を塞がれたまま頷くと、剣の柄を握り締める。ミネニャは木の上に登り、樹楊は大きな倒木の上のみを歩く。

 倍の時間を掛けてようやく小隊の元へ辿り付くと、そこには元気になった隊員の姿があった。胸を撫で下ろし、剣の柄を離した。

 隊員達の疑問を込めた視線に答えようと口を開いた時、ミネニャが上空から叫ぶ。


「来たぞ!」


 それにいち早く反応出来たのは勿論樹楊であり、続いてミゼリア。

 他の隊員は顔を見合わせ、それからやっと剣を抜いた。

 ミネニャが上から降って来ると、隊員達は驚いて剣を振るおうとしたのだが、その姿を見て留まる。


「ニャン公、数は?」

「四人だっ」


 ミネニャは雑木林の奥を睨んで喉を鳴らす。

 毛は逆立ち、臨戦態勢に入ったようだ。その様子から自分なりの判断をしたミゼリアは、小隊に陣を組ませた。速突兵の樹楊を最前線に、ミゼリアが真後ろに付く。他の隊員達もそれぞれ自分の持ち場に就く。


 風で雑草が揺らめき月が雲で覆われると、敵と思われるその者達が草木を分けながら静かに姿を現した。


 茶色い法衣を纏っていて、フードを深く被っている。手には宝玉をはめ込んだ杖。

 そのフードの中央には獅子の刺繍が施されている。ミゼリアは歯を食い縛り、後方の陣形を変える指示を手の合図で送った。


「クルードの魔術師かよ」


 樹楊は矢を引くように剣を引いて刺突の構えを取り、擦り足で間合いを詰める。

 ミネニャも剣を下段に構えた。


 魔術師が少ないスクライド王国では、魔術師を相手と想定した訓練はシミュレーションが多くミゼリア小隊は本物の魔術師を相手にした事はない。未だ苦手な相手とも言えない、未知なる戦闘が予想される。


 静寂の対峙が続き、誰一人として動く事はなかった。相手が普通の剣士であれば陣形も取りやすく、幾通りの攻防パターンを展開できる。しかし相手は魔術師。ミゼリアも下手な指示は出せずにいた。


 普段の一分が長く感じていると、クルードの魔術師の一人が、一歩前に出てきて突然膝を着く。


「キオウ様ですね? オルカ様の命により、お迎えに上がりました」


 樹楊含む、ミゼリア小隊共々何の事か解り兼ねた。

 この魔術師は明らかにクルードの者。その者がスクライドの領地に足を踏み入れて、その上樹楊の前に膝を着いて低頭している。樹楊の名を呼んだ気もしたが、少し発音が違う気もしている。


 しかし、樹楊はギリッと歯を噛み締めた。

 憎悪の剣幕で魔術師の首に剣を添える。


「その名で呼ぶな。それにオルカって誰だ? そんな知り合いなんざ居ねぇ」

「オルカ様を知らないのですか?」

「知るかっ。だからさっさと帰れ」


 魔術師は低頭したまま動かない。剣を首に当てられているというにのも関わらず、落ち着いている。その余裕ぶった態度が樹楊の神経を更に逆撫でた。


「オルカ様はキオウ様の妹君なのです。一度お会いした事があるかと思いますが」


 ミゼリアは混乱していた。

 樹楊の妹がクルードに居るという言葉。それにこの魔術師の態度が引っ掛かっていた。


「俺に妹なんざ居ねぇよ。勘違いだ」


 魔術師は沈黙すると、残念そうに溜め息を吐く。そして下げていた顔を上げた。その瞳には禍々しい殺気が宿っている。


「無礼をお許し下さい」


 樹楊がその首を刎ねようとするが、後方に控えていた魔術師の杖から発動された氷系の魔法により、諦めざるを得ない。無数の氷柱が空気を切り裂いて飛んでくる。


 ミネニャは上空に回避。

 樹楊は横転で回避し、ミゼリアは剣で斬り落とした。

 だが小隊の二人が氷柱に胸を貫かれて吹っ飛び、大木に打ちつけられる。

 まるで藁人形に釘を刺したかのような姿になった隊員は痙攣すると、声を上げる事無く絶命した。


「なっ、何だよこれっ。敵うわけないだろ!」

 一人の隊員が悲痛な叫びを上げて後退る。それを見逃さなかった魔術師。

 ボソボソと詠唱を始めて杖を向けると、その怯えている隊員に樹木の根が蛇のように絡み、隊員の姿が見えなくなった。


『……操蛇葬砕』


 その魔法名が呪詛のように言い渡されると、樹木の根は隊員を絞め殺すように締まる。


「ごっ、あぁぁぁ!」


 骨が砕ける音が響き、根の隙間から淀んだ血が流れてくる。

 樹楊はその光景を横目に、舌を打ちながら的を絞らせまいと不規則に前後左右へと身体を跳ねさせた。


「燈神の術かよっ。随分とイイ趣味してんだなァ!」


 持前のフットワークから繰り出す刺突。

 しかし、その攻撃は皿のように浮かび上がった魔法陣で遮られる。

 バチバチと火花が散った後、樹楊は派手に吹き飛んだ。


「対物理防壁も使えんのかよっ」


 樹楊が空中で身を捻り、しなやかに着地をして再度向かおうとしている時、残った隊員が目を盗んで逃走を図ろうとしていた。奮闘するミゼリアは自分の事で他を見る余裕がない。樹楊は元からそんな余裕などあるわけがない。


「へっ、逃げるが勝ちだぜ」

「そうかな?」


 隊員の眼の前に、すぅっと音もなく現れる魔術師。杖を向けて詠唱。

 その隙に斬りかかろうとした隊員だが、魔法の発動の方が早かった。


『火炎大瀑布』


 炎が隊員の周りをぐるぐる回るとやがて半円の球体になり、内側への爆発。轟音を樹海に広げながら収縮爆発を起こした。隊員は消し炭も残らずに消滅。

 ミゼリアはその爆発に目をやり、明らかな劣勢に顔をしかめる。

 

「樹楊っ、一旦引くぞ!」

「無茶言わんでほしいっす! こいつらぁ、逃がしてはくれませんって」


「キオウ様は生かしますが、その女剣士には死んで頂きます」


 そう宣告した魔術師は杖をミゼリアに向けるが、その間に樹楊が割って入る。


「そういう訳にゃいかんのよ。大事な小隊長さまなんでさァ」


 剣を横に構えた。

 そう啖呵を切ったものの策などない。こいつらの狙いが自分である以上、殺しはしないはずと思ってはいるが打開策が見付からない。


「キオウ様。こちらは四人です。貴方は三人。結果は見えているで――」

「アンタらはもう二人だけど?」


 人を食ったような声はミネニャ。

 全員そちらを振り返ると、ミネニャの足元には魔術師が二人転がっていた。


「っな!」

 残る魔術師は、炎を使う魔術師と未だに不明な魔術師、恐らくこの魔術師達の指揮官。この二人だけだ。樹楊は自分の言葉を思い出した。

 エルフと肩を並べた種族である、ウォー・ビースト。何故魔法に長けるエルフと対等だったのかを。


 ウォー・ビーストは、全てとは言わないが魔法を無効にする能力が生まれながらに備わっている。対物理防壁などはたちまち無効化してしまう。魔術師の天敵だ。



 炎使いの魔術師が、すうっと指揮官らしき者の背後に回る。

「ジュエン、ここは一旦引くぞ」

「馬鹿を言うな。オルカ様に何と報告すればいいのだっ」


 予想もしていなかっただろう展開に、魔術師らは焦りを隠せない様子。にじり寄る樹楊らと距離を取るように下がり、ボソボソと会話をしている。

 そして指揮官らしき魔術師が紳士にような礼をしながら、フードの奥に潜めている目を鈍く光らせた。


「今は引かせて頂きます。ですが、キオウ様。貴方様は必ずオルカ様の元へ参られるでしょう」


「ハッ。それはねぇな。俺に限ってクルードに就くなんざあり得ねぇ」

「フフフ、それは『現国王』だからでしょう?」


 魔術師は奇妙な事を言う。

 ミゼリアは眉根を寄せて樹楊の背を見た。ミネニャは何が何だかさっぱりの様子。

 樹楊は剣先を左奥に流して声に重さを乗せた。


「どういう意味だ?」

「いずれ解る事です。それでは、私共はこれで。またお会いしましょう」


 魔術師はそう残すと、暗い闇に溶け込むように消えていく。

 樹楊は追いかける事なく剣をホルダーに納め、魔術知らが消えて行った闇を睨んでいた。

 拳を握り締め、憎悪で満ちた瞳で。


 

 ◇



 魔術師が去ってからというもの、樹楊は一言も喋らずに勝手に歩き出した。

 樹海の出口まで最短距離の道を歩いているのだが、ミゼリアはその事を知らない。

 しかし話し掛けづらいのか、意を決した顔をしては落ちた表情で首を振る。


 ミゼリアは三十分もそんな事を続けていたが、ついに決めたようだ。

 うん、と力強く頷くと樹楊の元まで駆け寄る。


「キヨウ、あの魔術師は知り合いか?」

 訊いたのはミネニャ。


 腰に手を当てて、世間話をするかのように軽い口調。

 ミゼリアが三十分も悩んでいた事を、ミネニャは思い出したかのようにあっさりと。

 背後で口を鯉のようにぱくぱくしている事など知らない樹楊。

 ミネニャの問いに首を振る。


「キヨウじゃなくてキオウって言ってたな。何でかな? ヨを発音出来ないのかな?」


 項垂れるミゼリア。

 ミネニャが訊いてきた事に、樹楊はあっさりと答える。


「俺の本名はキオウだ。樹楊ってのは、俺を育ててくれた婆ちゃんが『ヨ』と『オ』を聞き間違えて呼んだ名だ。俺も樹楊ってのが気に入ってたし、その名前を名乗っていた」


 そこでやっとミゼリアが入ってくる。足元に気を付けながら、それでも足早に肩を並べてくる。


「それは偽名となるのだろう? スクライド王国の兵士志願書に偽りの名を書いたのか?」

「えぇ、まぁ」


 ミゼリアの問いにも軽く答えたが、それは大問題だ。志願書には嘘を書いてはいけない。もし樹楊が自分の名を知らず書いたのであれば別だが、知っていて嘘を書くのはご法度。


「まぁって、バレたら首になるぞ! 最悪、国外追放もあり得る! どうしてそんな事を」


 樹楊はミゼリアの責めるような問いに足を止めると、頬を書いてニカッと笑う。

 ミゼリアは不意を衝かれて身を引いた。


「もし俺がクルード国王の息子だとしたら……どうします? ミゼリア小隊長が試験官だったら、俺を兵に入隊させてくれます?」

「……え、お前何を…………」


 樹楊は真っ直ぐな瞳をミゼリアに向けて、辛そうに笑顔を浮かべた。

 言いたくないけど、もう隠しきれない。


「俺の本当の名前はキオウ=フィリス・クルード。現・クルード国王の息子です」


 ミゼリアは絶句し、動かなかった。口元が引き攣り、笑顔を作ろうと必死である事が容易に解った。 訳も分からないミネニャが空気も読まずに訊いてきた事に、樹楊は隠す事無くしかし簡単に説明を始める。ミゼリアは視線を逸らさずにその顔を見ている。


「つまり、俺の名がキオウ=フィリスで、クルードが姓だ。クルード王国ではそう分けるからな。まぁ、名前に国名が付く者は王族って事だ」


「へー。キヨウって王族なのか?」

「……昔は、な」


 気分が悪いのは樹楊だけじゃなかった。ミゼリアも只ならぬ雰囲気を出していた。

 樹楊が一歩近付くと、ミゼリアは二歩下がって剣を抜く。その剣先は樹楊に向いていた。


「お前……ずっと嘘を吐いていたのか?」

「そうなりますね」


「何故話してくれなかったんだ?」

「話したら理解してくれましたか? 怨敵クルードの息子ですよ? 俺が――」

「私は!」


 皮肉そうに話す樹楊の言葉を、ミゼリアは怒声で掻き消した。その眼には薄っすらと涙が溜まっている。


「私は……何より部下が大事だ。一言相談してくれれば…………相談してくれれば」


 剣先は主の心境を表現しているかのようにカタカタ震えていた。その主、ミゼリアの頬には一筋の涙。


「お前はどうしようもなく勝手で世話が焼ける部下だが、それでも私の部下だ。お前の事で愚痴を漏らす事もあった。お前の事で苛立ち、寝られない夜もあった。だけど……だけどな?」


 ミゼリアは堪え切れなくなった涙を垂れ流し、精一杯の笑顔を作る。樹楊は苦しくなった胸を握り締め、次の句を待った。


「だけど、お前は……私の可愛い部下なんだ」


 言い切ったミゼリアは剣を下ろし、項垂れて肩を揺らす。ショックが大きかったのだろう。この日で全ての部下を失ったのだ。部下の事を大切に思うミゼリアにとっては、身を切り刻まれるくらい辛い事なのだろう。


 気丈であると思い続けてきたミゼリアに涙を流された樹楊もショックをうけていた。こんなにも自分の事を思っていてくれているとは考えてもいなかったからだ。戦場に立つ時はミゼリアよりもアギを心配し、勝手に持ち場を離れてその様子を見に行く事が多々あった。その度にミゼリアはどんなに自分の事を心配したのだろうか。


 もうスクライドには居られない。樹楊はそう思い、来た道を引き返した。

 向かう先は樹海の奥だ。何も自殺願望があるわけじゃない。ミゼリアの前から消えたかっただけだ。ミゼリアもそれを望んでいるだろうと、勝手だがそう思った。


 しかし、すれ違う瞬間にミゼリアが強い力で二の腕を掴んできた。

 潰されるのじゃないかというくらいの握力に、樹楊は顔をしかめる。その顔を見ようとはしないミゼリアが、真っ赤になった鼻をすする。


「他に……隠している事は?」

「ない……と思います」


 本当はある。

 散々違法な事をしてきた事だ。過去には盗賊の真似事もしてきた。しかしそれは言えない。それだけは墓場まで持って行くつもりだ。


 ミゼリアは「そうか」と頷くと剣を納めて樹楊を掴んだまま歩き出す。


「ちょ、小隊長?」

「黙って歩け。お前の処分は私が考える」


「処分も何も、最悪国外追放でしょう? それなら今にでも――」

「うるさい!」


 またも大喝で遮られる。

 相当頭に血が昇っているらしい。


「お前の処分は私が決める! 法令官が決める事じゃない!」


 ミゼリアも勝手な事を言う。

 罪人を裁くのは法令官の仕事であり、今の樹楊を裁くのも法令官だ。決して小隊長の仕事ではない。


 いよいよおかしくなったか。と樹楊は思い、逆らわない事にした。

 どうせ処分は決まっている。


 

 ◇



 スクライドに帰ってから三日後。

 樹楊は自宅のベッドの上で寝転んでいた。

 ミネニャはキラキ樹海に残ると言って着いて来なかったし、自分はミゼリアから自宅謹慎を言い渡されて暇だった。


 キラキ樹海の件は、樹楊が提案した通りに事が運び、キラキの街には安堵が広がった。

 スクライドは、樹楊らが「滝壺に魔獣が落ちた」という報告を受けた後捜索隊を結成し、樹海に向かわせたのだが、ミネニャの事だ。捕まりはしないだろう。 


 昨日は、自宅に訪れたラクーンに霞狼との一件を話したり、人の家の冷蔵庫を開けて食料を喰い漁る蓮を追い返すのに忙しかった。

 その反動もある所為か、何もしないと暇。


 どのくらい暇かと言うと。

「雲って、結構遅いのな」と五分に二回ぼやくくらい暇なのだ。


 でもこうして雲を眺めるのも飽きた。コレクションの剣は既に磨き終えたし、部屋の掃除もしてみた。本格的にやる事がない。


 死んだ魚のような目をしていると、通信機が音を鳴らして呼んできた。

 樹楊はのそのそ歩きながら取ると、これまた死んだような声で出る。


「もしもー……し。樹楊っす」

「ミゼリアだが、何だその声。風邪でも引いたか?」


 発信者はミゼリア。大方予想はついていたが、予想通りだと面白くない。取り敢えず「何でもないっす」と答えると、ミゼリアは用件を簡単に述べてきた。


「第五訓練施設まで来い」

「……あの河が流れてるとこっすか?」

「あぁ、そうだ。そこで待ってる」


 樹楊は通話を切ると、溜め息を落とす。正直行きたくない。ミゼリアからの処分は何かは分からないが、訓練という名の付く場所には行きたくなかった。それでも今日だけは仕方がない。ミゼリアは部下を全員失ったのだ。嘘を吐いていた事が後ろめたいわけではないが、少しだけ同情していた。


 樹楊は急ぐわけでもなく、マイペースで城に入ると訓練施設を目指した。

 第三棟の奥の扉を抜ければ、第五訓練施設の入口だ。その扉を認証カードと指紋でパスし、ポケットに手を突っ込んだまま向かう。


 監視カメラが左右に設置された鉄製の扉を開けると、土道を挟むように雑木林がある。

 そこを抜けると平野が広がっており、中央には浅瀬の川が緩やかな流れを見せてくれる。

 第五訓練施設は森の中をイメージした施設であり、時として憩いの場としても使われる事もある。しかしミゼリアに限って憩う場に使う事はないだろう。


 その予想は的中。

 ミゼリアは訓練用の服を纏い、川のど真ん中で剣を振るっていた。


 キレのある動きは水を切り裂き、飛び跳ねた水滴はライトに照らされて水晶のように輝く。華麗な太刀筋はその水晶を断ち、弧を描いていた。


 相変わらず綺麗な武を演じている。

 樹楊は木に背を預けて見ていた。


 ミゼリアは訓練中毒者と周りから言われるほど、日頃から訓練に没頭している。その為、基礎は誰よりもしっかりしていて、剣を振るう姿は一極の舞にも見える。

 無駄のない動き。力を入れる時にはしっかり入れ、流す時は流す。彼女がこれまで培ったモノは、他の者が一夜で真似出来るわけがない。


「何だ、樹楊。来てたなら声を掛けろ」


 ミゼリアは振り向いた際に樹楊に気付き、途中で訓練を止めた。そして岩に置いていたタオルで汗を拭いながら飲料水で喉を潤すと、上着を脱いでタンクトップ姿になる。


「いや、あんまりにも綺麗な演武だったもんで声を掛ける事を忘れてたんすよ」


 ミゼリアは含み笑いをして、樹楊に疑いの眼差しを向けた。


「心にもない事を。お前も私を訓練中毒者だと思ってるんだろ?」


 意地悪な目を向けてきて肘で突いてくる。

 どことなく、いつものミゼリアとは違って見えた。無理に陽気なふりをしている、とも見えなくはない。


「周りは口を揃えて馬鹿にした言葉を掛けてくるが、私には私なりの生き方がある。誰かに理解してほしくて訓練を続けているわけじゃない」

「俺は解りますけどね、小隊長の気持ち」


 ミゼリアにとって、その言葉は意外だったのだろう。言葉を返してくる事もなく、ただ樹楊を見ていた。樹楊はミゼリアの気持ちを自分なりに理解していた。


 この人は強くなりたい。護るべき部下がいるから、部下を護りたいから。きっと誰にも死んでほしくない。とか綺麗事が好きな人なんだろう。自分の性質とは合わないが、それでも護りたいという気持ちは解る。それを考えると、顔に自然と影が落ちた。


 形は違えど、樹楊も樹楊なりの護り方をしてきたのだ。その大変さは身体にも心にも染みついている。


「で、話って何すか?」

 ころっと表情を変える樹楊にミゼリアは戸惑い、思い出したかのように返事をする。


「あ、あぁ。そうだなっ」


 ミゼリアが川辺に座ると、樹楊は後ろに立つ。勿論、ポケットに手を突っ込むという、失礼極まりない態度で。ライトの灯りを反射する川が、その流れに宝石を散りばめている。人工の光によって生まれた宝石は偽物だが、美しかった。


「お前の事は誰にも言わない」

「……そうっすか。俺は別にどっちでも」


「ラクーン様はきっと知っているんだと思う。だけど、それを誰にも言わないのはラクーン様なりの考えがあっての事。だから私も自分なりの考えで、お前の正体を誰にも言わない事にしたんだ。……それが間違っている事だとは解ってるけど、さ」


 膝を抱えるように座るミゼリアの背はとても小さく見えた。淋しそうで辛そうで……。


「なぁ、樹楊。お前は兵を辞めたいと思った事はあるか?」


 落ちた声音を維持したまま問い掛けてくるミゼリアは振り向いてもくれない。

 まぁ、振り向かれたとしても、このような雰囲気の中でどのような気を使えばいいのかは解らないが。樹楊は溜め息を吐き捨てながら返す。


「ないっすね、今んのとこは」

「そうか。お前は強いな」


 益々落ちていく声音は淋しさの底辺を見せているが、樹楊は気にしない。

 思った事を訊く。


「小隊長はあるんすか?」


 訊き返すと、ミゼリアは微かに頷く。そして腕をさすり、遠くを見た。


「私だって女だ。色恋に現を抜かしたかった時期もあった。おしゃれをして、綺麗な服を着飾り、化粧もしたい時期もあった」


「別に兵士でも恋だの化粧は出来るんじゃねーっすか?」

「そういう事じゃないんだ」


 ミゼリアは首を振ると、もう一度「そうじゃないんだ」と繰り返し、何を思ったのかタンクトップを脱ぎ始めた。樹楊が止める暇などなく、あっという間に脱ぎ終わり、綺麗な筋肉の付き方をしている背を見せてくる。


「私の身体、傷だらけだろう?」


 確かにミゼリアの背中は傷だらけで痛々しいものがあった。斜めに二本、深い傷跡があり、腕にも肩にも細々と傷がある。


 やっと言いたい事が解った。

 普通の女の子であればこんな傷などなく、綺麗な肌を出して魅力を発揮している。

 それが羨ましく、同時に絶望をミゼリアに与えていたのだ。


「でも、肌を出さなければコンプレックスを感じる事もないんじゃないっすか?」

「……そうも、いかないんだ」


 ミゼリアは寂しそうに呟くと、正面を向いてくる。その二つの膨らみ――女性の象徴とも言える胸を隠さずに、しかし恥ずかしそうに頬を赤らめて見せてくる。

 イヤラシイ気持ちがあるわけじゃないという事は、その身体を見ればすぐに解った。

 ミゼリアの身体には大きな×印の傷。それは、右肩と左肩から袈裟切りされたように胸の中央で交わっている。


 その跡は深く、広い。

 大剣で斬られたのだろうか。


 ミゼリアは鼻で笑うと「これじゃ女失格だからな」と諦めたように呟く。

 しかし樹楊は首を振った。


「これがどうしたって言うんすか?」

「どう……って。汚いだろ、こんなのっ」


 またも首を振る樹楊。

 その眼は真剣で、ミゼリアは気圧される。


「俺は家事をする女性の手が好きっす。荒れていても、その手は暖かいんすよ」

 思い浮かぶのはニコの顔。

 ニコの手は、水仕事で荒れている。


「油で荒れた手も好きっす。力強くて繊細で、頼れるんすよね」

 思い浮かぶのはミリア。

 ミリアの手は、機械系の仕事で油塗れだ。


 樹楊はミゼリアの傷に指先を添えると、朗らかな笑顔を見せた。


「小隊長のこの傷。俺は好きっすよ? 仲間を庇いながら一生懸命に生き抜いた証の傷を、俺は嫌いになれないっす。だからそんな顔で落ち込まないで下さい。らしくないっすよ?」


「樹楊……」


 ミゼリアは吹っ切れたような顔で笑うと、胸を張った。その顔は何時も通りで強くて凛々しい。


「お前に慰められるようじゃ、私もまだまだだな。でも……ありがとうな」

「いいっすよ、別に。それよか、服着てくんねーっすか? 俺も健全な男の子なんで、気持ちの前に下の息子が膨らむっつーか……」


「ん、あぁ! 見るなバカ! 殴るぞっ」と、言う前に股間を蹴り上げていたミゼリア。


 樹楊の若さが爆発する前に、激痛により縮まってしまうハメになった。

 頬を赤く染め、ぶつぶつ文句を言いながら着替えるミゼリアの横で、股間を押さえながら潰れていない事を切に願う樹楊。何なら流れる星に三度でも四度でも祈ろうじゃないか。願い事は叶えなくてもいい。ただ『キミの息子は無事だよ』と言ってくれればいいのだ。


 うんうん唸りながらうずくまっていると、着替えを終えたミゼリアがワザとらしく咳払いをする。


「ったく、お前にはデリカシーという言葉はないのかっ。女のデリケートな身体をイヤラシイ眼で見るなっ」


「お、男の勲章もで、デリケートなんですけど……この上無く」


 呻き声を上げながら訴える樹楊に罪悪感があったのか、ミゼリアは素直に謝ってきた。

 それに対して親指を立てて答えると、頬を赤らめてそっぽを向かれる。


「小隊長も随分と的確に急所を狙ってくるんすね、びっくりしたっすよ。もしかして蹴り慣れてるんすか?」


 腰をトントン叩きながら意地悪に言ってやると、真っ向から否定してきた。

 その焦った顔が可愛くも見える。

 ギャップというやつなのだろうけど。


 ミゼリアはコホンと空咳をすると、肩に手を置いてきて優しい声で言ってくる。


「お前は私の部下だ。……ずっとな。それがお前に対する処分だ」

「甘んじてお受け致します、小隊長さま」


 恭しく、だがわざとらしい物言いはミゼリアの笑みを買い、自分で言っておいて何だか笑えてきた。いや、嬉しく思ったのかもしれない。

 スクライドに仕えて、アギ以外の誰かに受け入れてもらえる事が。


 跳ね退けられる事ばかりしてきた。それは解っていたし、気にもしてなかった。

だけど、こうも真っ直ぐに受け入れられるのが嬉しい事なのだと、初めて気付いた樹楊だった。


 ミゼリアは気合いを入れると、力強い声を出した。


「よしっ、一緒に訓練でもするかっ」


 ミゼリアは剣を抜くと、川を剣先で差す。

 着いて来い、と言わんばかりの意気込みだ。


「あ、それは遠慮しとくっす」

「そうかっ、なら手始めに……って、樹楊! 訓練を――逃げるなぁ!」


 樹楊は耳を塞いでダッシュで安全圏に逃げていた。首を嫌そうに振りながら物凄いスピードで。


「ったく、あいつは……」


 嘆息するミゼリアだが、その顔は笑っている。剣を肩に担ぎ、逃げる樹楊の背中を優しく見守っていたミゼリアだった。


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