エピローグ 対等な関係で
2023/11/20改稿済
僕が近づくと、一輝は上機嫌に立ち上がる。
月曜日。昼休みの時間が来るのはあっという間だった。
「一輝、そろそろ行かない?」
「ああ、そうだな」
弁当を片手に提げると、僕らは連れ立って教室を出る。
緊張で重い足取りの僕とは対照的に、一輝は跳ねるように軽い足取りだ。今日一日、一輝はどこか楽しそうだった。
「にしても優。お前チラチラ見られてたな」
道すがら、一輝はそんな話題を振る。それは今、僕が少し気にしている話題だった。
パッとしない僕が派手に印象を変えたものだから、教室に入った途端好奇の視線に晒されたのだ。
さりげなく向けられる視線は思いのほか気づくものだった。
「……意外と気にしてるからやめて欲しいんだけどね」
「しゃあねえだろ。結構変わったんだから」
ケラケラと笑う一輝を僕は恨みがましく見る。
けれどきっと、緊張している僕を和ませようとしてくれたのはわかるから。あまり責めることもしなかった。
「見た感じ好意的な視線は多いし、嫌な感じはしねえだろ?」
「まあ、それはそうだけど……」
一輝の言うように、嫌な目立ち方をしているわけではない。ちらほら視線を受けるだけで、過去を刺激されるようなこともなかった。
少々居心地が悪いのは事実だけど、これからはそんなことも言っていられないだろうから。
「まあ、あんまり気負いすぎるなよ。優は七瀬さんを一人にしないようにって思ってるのかも知れねえけど、これは優が一人じゃないってことでもあるんだからな」
ニッと笑い、堂々と立ち振る舞う一輝は眩しく映る。
でも、その通りだ。
これは麗香さんだけの話じゃなくて、僕が一歩踏み出せた話でもあるのだから。
大きく息を吸うと、僕は気持ちを切り替える。
「……相変わらず一輝は僕のことをよくわかってるね。少し気が楽になったよ」
「何年一緒にいると思ってんだよ。……それに優が、土曜日に全部話してくれただろ?」
思い耽るように、一輝は遠くへ目を向ける。
その目はどこまで見つめているのかわからない。けれどどこか、一輝の表情は穏やかだった。
教室の前に着くと、僕らは足を止める。
麗香さんの教室は隣だから、廊下に出てすぐのことだ。
一呼吸だけ、僕は心の準備にかけた。
「周りの人も環境も、優自身もさ。前とは違うんだ。そうやって行動できるんだから、優はもう大丈夫だと思うよ」
「そうかな……でも、ありがとう」
僕はまだ、自分に自信を持つことはできない。
でもそんな僕でも、前よりは成長できたって思うから。
僕は麗香さんのいる教室へ、その一歩を踏み出した。
入学以来一度も踏み入れたことのないこの教室。
思っていたよりも普通で、けれどどこか僕の教室とは空気が違った。
話したこともない顔ぶれたちに、少し落ち着いた雰囲気。たまに受ける視線に、不安で足が竦みそうになる。
だけどその中央で話す麗香さんと望月さんの姿はすぐに分かって。
僕は真っ直ぐに歩みを進めた。
そして、ここでは一度も呼んだことのない彼女の名前を、はっきりと口にする。
「麗香さん」
「──はい」
見上げた表情。
ほんのりとわかる、普段の顔。
止んだ喧騒に、どことなく周囲の意識が向いたのがわかる。
だけどもう、今は何も気にならなかった。
「一緒にご飯、食べませんか?」
どこでも気兼ねなく話せる関係。麗香さんの望んでいるのは、そういう居場所だと思ったから。
一番素の自分でいられるのはこの四人の空間だ。だから今日、そんな居場所を作りに来た。
少しずつ、表情が柔らかくなっていくのがわかる。
「──っ……はい」
そして、浮かんだのは満面の笑み。
それを見て僕は、これでよかったのだと心からそう思えた。
◇
若干騒がしくなった教室を後にして、僕たち四人は屋上に出た。
天候に恵まれているからか、はたまた緊張で体が火照っていたからか、十月中旬とは思えない気持ちのいい気温だ。
屋上は転落防止のフェンスが高く設置されているものの、一望できる景色は爽やかな気持ちにさせてくれた。
「びっくりしたよ。急に来るんだから」
空いている場所に腰掛け、口を開く望月さん。口ではそう言いつつも、楽しげに声は弾んでいた。
「そう言えば望月さんには言えてませんでしたね。てっきり一輝が伝えてるもんだと……」
「俺か? 俺はあえて黙ってた」
「なんでよ!」
さも当然のように言う一輝に望月さんは噛み付く。
戯れ合う二人はいつもと変わらない。その様子を見て、僕は麗香さんと目を合わせて笑った。
変わらない二人と変わった二人。そんな関係が、なによりも心地良かった。
「まあいいだろ。ちゃんとこうやって四人集まれたんだし」
一輝が言えば、みんなして頷いた。
みんなやっぱり、この形を望んでいたのだろう。
こうしてみると、僕もやっぱり四人集まれるのは嬉しかった。
「あんなに複雑な関係からここまで仲良くなれたんだから、麗香たちはすごいね」
土曜日、親友同士二人で話したのは望月さんも同じ。きっと、全て聞いたことだろう。
その上で、僕も思うことがあるとすれば、
「麗香さんのおかげです。麗香さんが僕たちに向き合ってくれて、優しかったから」
「……ううん、私じゃないよ。榊原くんが上手く関わってくれたから、ここまで打ち明けられたの。多分、榊原くんじゃないとここまでの関係にはなれなかったと思うから──」
譲り合う僕らに望月さんはニヨっと笑う。
「なんか、二人ってちょっと似てるよね」
そう言われて、僕たちは二人揃って口を閉じた。
「だな。二人の人柄がいいから、こうやって仲良くなれた。それでいいだろ」
「そう言うこと」
一輝に言い包められ、僕たちはまた目を合わせて笑った。
僕たちを近くで見てくれた二人が言うのなら、そう言うことなのかもしれない。
「でもまあこれで、やっと対等って感じだな」
「うん、隠し事も無くなって、ちゃんと友達になれた気がする」
一輝と望月さんが言ったその言葉。
麗香さんにとっては敬遠されてきたもので、僕にとっては敬遠してきたもの。
いつかそんな関係をと望んだけれど、諦めていたその関係。
だけど、それも今日で終わり。困った時には頼れる心の拠り所が、ここにはあった。
隣を見て、示し合わせたかのように目があう。
「──ありがとね」
優しく、想いをのせて。
胸に手を当てて、思いを馳せるように麗香さんは言った。
「私の大切な居場所、作ってくれた」
「当然です。でも、それを言うなら僕だって……」
ぐるっと周りを見渡す。
四人集まって、みんなが笑いあう光景があった。
そんな光景に、僕がずっと抱いてきた想いを込めて、
「──僕と友達になってくれて、ありがとう」
かつてあった友情の形。
お互いに気を遣うことなく、信頼しあっているような、正しく友愛とも呼べるもの。
それを僕は、今この景色をみて思い出した。
中学以降、失ったものは多かったけれど。少しずつ乗り越えて、手にしたものがある。
環境が変わり、新しく出会った人がいて。問題を抱えてそれも全て乗り越えて。
そのための支えの一つとしてあるのは、紛れもなく麗香さんの存在とこの関係だ。
だから僕は、これからも進んで行こうと思う。
ここにある、対等な関係で──