08 美少女ペット、街へゆく
アクトは幻想界に呼び寄せられてからというもの、ぽちの家の中だけで過ごしてきた。
しかし今日はじめて、オッサンは家の敷地から外に出た。
異世界生活を初めて、ちょうど1ヶ月目のことである。
ぽちの家があるこの山は、ぽち以外の住居は見当たらなかったのだが、山道は舗装された登山道のように歩きやすかった。
ぽち曰く「街のファンクラブの方々が整備してくださったんです」とのこと。
『ファンクラブ』という言葉に、アクトは引っかかった。
もしかして、ぽちのファンクラブがあるんだろうか、と。
たしかにぽちはアイドルに例えるなら、センターを張れるほどの美少女だ。
かつて自分が勤めていた『ハジキマート』に、もしこんな可愛い子が来てくれたなら、それだけで一日がんばれると思えるほどに。
……アクトは木々に囲まれた細い道を歩きながら、今更ながらに感じ入ってしまう。
そんなかわいい女の子と、ぼ……俺はいま、一緒に歩いて街へと向かってるんだ
……!
もしかしてこれって、俺にとっての人生初のデート……!?
甘酸っぱいトキメキを抱きつつ、並んで歩いている少女の横顔を見つめるオッサン。
ニコニコの笑顔に、ぱたぱたと揺れるポニーテールとしっぽ。
軽やかな鼻歌に、スキップするような足取り。
ミニスカ和装の裾が、蝶のようにひらひらと翻り、健康的なふとももがチラ見え。
嬉しさを隠そうともせず、全身で喜びを表現しているぽちは、子供のように素直でかわいらしかった。
そして……本人もまだ自覚していないであろう、未成熟でまだ瑞々しい、色気の端緒のようなものを感じさせた。
視線に気づいたぽちは、アクトに顔を向ける。
その拍子に、彼女の首輪についていた綱がはらりと垂れた。
「ご主人様、どうかしましたか? あっ、疲れちゃいました? 休憩しますか?」
「……いや、まだ家から出たばかりだから、疲れてな……ねぇよ。それよりもさ、ぽち……コレって本当にいるの?」
アクトは手にしていた綱を掲げる。
オッサンの右手に握られていたその綱を辿ると、少女の水色の首輪に繋がっていた。
「あ……当たり前じゃないですか!? わんちゃんをお散歩させるのに、引き綱をしないだなんて、飼い主失格ですよっ!?」
とんでもない! とばかりに大きな瞳をことさら見開くぽち。
「……いや、ぽちは自称犬かもしれないけど、どう見たって人間だし……」とアクトは反論しかけたが、飲み込む。
彼女は犬であることを否定されると、烈火のごとくムクれるのだ。
かといって、このまま街まで行っても良いものだろうか、とアクトは思案する。
傍目にはどう見たって、変態プレイ真っ最中の援交カップルである。
こんな山奥でひっそりとやる分には個人の趣味の範疇だが、公衆の面前となると……さすがに世間の目が気になる。
あれこれと悩んでいると、ぽちは不思議そうに首を傾げながら、さらに話しかけてきた。
「ところでご主人様、急にどうしちゃったんですか? 自分のことを『俺』って言い出したり、ぽちのことを『お前』って呼んでくださったり」
「あっ、やっぱ気になっちゃった? やっぱり『君』って呼んだほうが……」
「いいえ、そんな他人行儀な呼び方よりも、『お前』のほうがずっといいです。そのほうがご主人様のほうが上っぽくて、ぽちはホッとします」
そういえば、犬というのは序列を作る生き物なんだよなぁ、とアクトは思う。
「それよりも、気になったのは急に口調が変わったことです。なにか、思い立ちでもしたのですか?」
ご主人様のことはなんでも知っておきたいとばかりに、顔を寄せてくるぽち。
首輪についている、ブーメランのマークが彫られた金属プレートが揺れる。
プレートが裏返ると、『ぽち』と彼女の名前が現れた。
それがなんだか可愛らくして、アクトは本当は隠そうとしていたことを、いつの間にか口にしてしまう。
「あ……いや、『チョイ悪オヤジ』になりたくて」
「チョイ悪オヤジ……? テレビとかでもたまに出てくる、あの……?」
「うん……。いい歳して、変かな?」
アクトの照れくささを、ぽちは太陽のような満面の笑顔で吹き飛ばす。
「いいえ、ぜんっぜん変なんかじゃないです! 高校デビューでも、社会人デビューでもなく、オヤジデビューだなんて! 司教とか賢者とか、サマルトリアの王子とか、大器晩成キャラみたいで素敵です!」
「そ、そうかな……なら、いいんだけど……。でも、『チョイ悪オヤジ』の定義って、イマイチよくわかんなくって……」
するとぽちはアゴに手を当て、眉を八の字にして唸りはじめる。
少女は考えるときはいつもこのポーズ。そしてご主人様の悩みを、いっしょになって悩むのが好きなのだ。
「う~ん、『ちょっと悪い』ことをするんですよね……それって、どんなことなんでしょうか……? あっ、そうだ! 『つまみ食い』なんてどうですか!?」
「子供じゃねぇんだから……」
「う~ん、じゃあご主人様は、どんなことが『ちょっと悪い』と思いますか?」
「そうだなぁ……例えば『犬を散歩に連れてかない』とかかなぁ?」
「それはすっごく悪いことですっ!?」
「ははっ、冗談だよ冗談」
むくれるぽちの頭を、ぽんぽんするアクト。
そして、内心驚いていた。
女の子をからかって、頭をぽんぽんしてなだめる……。
難易度S級の連続技が、こんなに自然にできるだなんて……!
『チョイ悪オヤジ』を意識して話すと、女の子に対して緊張しているのが誤魔化せるような気がする……!
これは、かなりいいかも……!
……実をいうとアクトは、1ヶ月もぽちとひとつ屋根の下に暮らしているというのに、いまだに話すだけで緊張していたのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
長い山道をS字に下っていくと、麓に広がるロガスの街へと着いた。
街は、ぽちの家に初めて入った時のような感想を、アクトに抱かせる。
基調は中世ファンタジーのロールプレイングゲームに出てきそうな、レンガの床と家々が立ち並んでいるのだが、ちらほらと他の文化が混ざっている。
古い日本家屋のような木造の建物の他に、古代ギリシャのような石柱の並ぶ大きな建物、中国のお寺のような建物など、かなり節操がない。
ぽちが教えてくれたのだが、これらの建築物はすべて現実界から来たレアリテがもたらしたもの。
それを受けたこの世界の者たちは、利便性よりも己の魂に訴えかけてきた様式の建物を好んで住居とするらしい。
簡単に言うと『オーナーの趣味』ということである。
道行く人々のファッションはさらに混迷を極めていた。
ぽちのような古い時代の和装や洋装が多く、アクトのような現代風はまばら。
なかには民族衣装を身にまとう者までいて、さながら衣服の博覧会のようであった。
アクトのいた現実界でも、特殊なお祭りに行けば似たような光景が見れなくもない。
しかし、ぽちが犬耳に犬しっぽであるかのように、いろんな動物の特徴が身体から生えている点では、こちらの幻想界のほうがよりコスプレっぽく見えた。
大通りに立ち並ぶ店は、多様なニーズに対応するためなのか洋服屋が多く、他には食料品や雑貨を扱う店。
変わったところで武器屋、道具屋、占い屋、宿屋に酒場などがある。
視界の端にちらりと見えた八百屋。その店先で翻るのぼりに、アクトはぎょっとなった。
『愛情いっぱい手作り野菜』と書かれたそれには、ウインクしながら野菜を抱えているぽちの全身写真がはためいていたのだ。
八百屋の店主は、かなり距離が離れているというのに目ざとくぽちを見つけると、
「おおーい! ぽちちゃん! 待ってたよ! 早く早く!」
とブンブン手を振ってきた
「あっ、はーい! お待たせしました!」と駆け出すぽちに引っ張られるようにして向かうと、そこにはぽちの写真だらけの販売ブースと、裏通りに長く長く行列があった。
行列の年齢層は幅広かったが、ほとんどが男だった。
ぽちの姿を目にするなり、わあっ! と茶色い歓声をあげる。
しかし……その表情は、すぐに凍りつく。
「ぽ……ぽちちゃんが……!?」
「引き綱をされてる……!?」
「う、うそだろっ……!?」
「俺たちの、ぽちちゃんが……そんな……!」
「あんなオッサンに、飼われてるだなんて……!」
衝撃の事実は濁流のように最後尾まで伝わる。
そして規律正しかった行列は、あっという間に崩壊。
目に映るものが新鮮だったのでオッサンはすっかり忘れていたのだが、突き刺さるような視線が集中していたので、ようやく思い出す。
自分が、変態プレイの真っ最中であったことに……!
しかし時はすでに遅く、殺意の歯ごたえがぎっしり詰ったような男たちに、何重にも取り囲まれていた。
面白い! と思ったら評価やブックマークしていただけると嬉しいです。