07 美少女ペット、甘やかす
そしてふたりの同居生活が始まる。
幻想界に来たばかりのオッサン、アクトの1日はこんな感じだった。
朝は、ぽちにぺろぺろされて起こされる。
ぽちの手作りの朝ごはんを食べたあとは、ぽちは畑仕事へと出かける。
アクトは午前中は新聞やテレビを観たり、漫画やゲームで遊んで過ごした。
昼頃にぽちが帰ってきて、ぽちの手作りの昼ごはんを食べる。
そのあと、ぽちは再び畑仕事へ。
アクトは昼寝をしたり、午前中と同じことをして過ごす。
もっぱらの関心事は、彼がかつていた世界、現実界のテレビだった。
自分を轢き逃げした相手が捕まったかどうか、連日ニュースをチェックする。
しかし、あれから続報はなかった。
この世界に来て初日のニュースで観たっきり、どこも嘘のように取り扱わなくなっていたのだ。
まあ、目まぐるしい世の中だから、轢き逃げ事件だなんていつまでも扱うわけがないか……とあきらめるアクト。
ゲームや漫画にも飽きてきたので、ぽちの家の探検とかもしてみたりした。
ぽちの家は入り口に土間の台所があって、そこから小上がりの居間へと続く。
居間からは左右に廊下が伸びていて、左に進むとバスルーム、右に進むと寝室と、そして鍵の掛かった部屋があった。
鍵は3桁のダイヤルロック。
中になにがあるかなんて興味はなかったのだが、ヒマだったので開けてみようかなと解錠に挑戦してみるアクト。
が、その姿をサッシ窓ごしに見ていたのか、畑にいたぽちが血相を変えて飛んできて、
「その部屋には入っちゃだめですっ! いくらご主人様でも、ワンワンってしますよ!? ワンワンワーンッ!!」
と怒るので、あきらめる他なかった。
……ぽちは、魔法を使って野菜を栽培していた。
「ここほれワンワーンッ!」と手を掲げると、土が噴水のように舞いあがり、一瞬にして畑が耕される。
タネを撒いて水をやったあと、「枯れ木に花を、咲かせましょう~! ポポポポ~ンッ!」と踊ると、時間を早回しするかのように土から芽がでてくるのだ。
その前代未聞の栽培方法に、アクトも最初は驚いたものだが、すぐに慣れてしまった。
どうやらこの幻想界では、『魔法』というものが当たり前の存在らしく、テレビ番組などでも普通に観ることができた。
ファンタジーロールプレイングゲームみたいな、手から火の玉や雷を出したり、すごいのになると空を飛んだりしていた。
「ご主人様も適性があれば、魔法が使えますよ」とぽちに言われ、アクトは家にあった魔法の教本で適性を確かめてみたのだが、サッパリだった。
ぽちがぺろぺろしたものが綺麗になったり、ケガが治ったりするのも魔法の一環らしい。
その不思議な舌で朝と晩に舐められ続けていたアクトの顔に、変化が起こる。
角栓まみれだったイチゴ鼻がすっかり治り、ティッシュを使うと黄色くなるほど出ていた脂も、さっぱり出てこなくなったのだ。
鏡の前に立つと、別人のようにスッキリした艶肌を持つオッサンがそこにいた。
……なんてことをしているうちに、いつしか日が暮れて……ぽちが畑仕事から戻ってくる。
ぽちの手作りの夕食を食べ、ぽちが沸かしてくれた風呂へと入る。
入浴については侃々諤々の論議を経て、結局ふたりで一緒に入ることとなった。
別々に入るのは嫌だと、どうしてもぽちが譲らなかったのだ。
なので、アクトは以下のような追加ルールを設けた。
一、厚手で膝上まで覆うバスタオルを身体に巻き、入浴中は何があっても外さない。
一、湯船にいるときは、一定の距離をとる。
一、背中を流してもいいけど、背中までで、前面はダメ。
一、脱衣所は別々に利用する。
風呂から出ると、ぽちにとっては至福の時間がやって来る。
なにせ、寝るまでであれば好きなだけアクトの顔をぺろぺろできるのだ。
遊びたい欲求と、睡魔に同時に襲われた子猫のように……瞳をトロンとさせながら、限界までアクトの顔を舐めまわす。
そして、力尽き……オッサンの顔に唇をくっつけたまま、少女は眠る。
それを別の布団にきちんと寝かせてやって、アクトの1日は終わるのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
オッサンが正気に戻ったのは、共同生活……いや、ヒモ生活が始まって、ちょうど1ヶ月が経った頃だった。
「……ハッ!? ハァァッ!?」
テレビから流れてきた「俺はまだ本気を出していないんだ!」というニートの逆ギレに、頬を叩かれたかのように飛び起きる。
そして、慚愧の気持ちに押しつぶされるかのように四つん這いになり、握りこぶしを固めた。
……そ……そうだったぁ……!
僕は、大台の誕生日に『本気を出す』って誓ったんだった……!
それでまずは、『チョイ悪オヤジ』になるって決めたじゃないか……!
中学生の女の子に働かせて、家事もなにもかもやらせておいて、何が本気だ……!
これじゃ、完全にヒモじゃないか……!
あ、ヒモって、なんか『チョイ悪オヤジ』っぽいような……!
いやいやいや! いかんっ!
僕が目指してるのは、そういうんじゃないんだ!
仕事は大人のように余裕でこなし、遊びは子供のようにヤンチャ……。
女性には紳士的に、しかし時にはワイルドに振る舞う……。
裏の社会にも通じていて、ワルたちから一目置かれている……そんな存在になりたいんだよ!
アクトが悶絶していたその時、ぽちが居間に入ってきた。
「ただいまもどりましたー! ごめんなさい、アクトさんが昨日の風で倒れてて、キレイキレイにするのに手間どっちゃいました! すぐに朝ご飯の仕度をしますね!」
アクトはひとつ咳払いをしたあと、
「ちょっと待て、ぽち。ぼ……俺の前に、ちょっと座れ」
「わんっ?」
あぐらをかいて床を示すアクトの前に、ちょこんと正座するぽち。
「今日から、ぼ……俺も働くことにする」
「……あの、ご主人様? 無理して『俺』って言わなくても……」
「細けえこたぁいいんだよ! とにかく俺は働くことに決めたんだ! いつまでも女の世話になってるわけにゃ、いかねぇからな!」
「なんでそんな、べらんめえ口調に……? それにどうして、働くだなんて……? あっ、わかりました、お金が欲しいんですね!? でしたら、あそこに……」
ぽちは白い指で、テレビの横にある木彫りの犬を指さす。
「あの貯金箱のなかに、お金がいっぱいありますから、好きなだけ使ってください! 足りない場合は言ってくださいね。大統領の身代金みたいに、いくらでも用意しますから! 通信販売とかも、ぽちに聞かずにじゃんじゃん注文しちゃっていいですよ!」
そして前のめりになり、アクトの手をぎゅっと包み込んだ。
「ぽちは『異界の卵』で、ご主人様がいっぱいがんばるところを視てきました。それこそぽちが現実界に飛び込んでいきたくなるくらい、いっぱい……! 前世であんなにいっぱいがんばって、さらにがんばるつもりなんですか!? もうがんばらなくていいんです……! ご主人様はずっとこうしててください! ご主人様が幸せであることが、ぽちの幸せなんですから……!」
聖母のような、慈悲に満ちた瞳でまっすぐ見つめられ、アクトは一瞬、言葉に詰まった。
思わず頷き返しそうになった首を、最後のプライドで急ブレーキをかける。
そして、直感する。
この子……!
この犬耳少女は、『ダメ男製造機』だ……! と。
思えば、ぽちがいる間は、働くどころか動くこともなくなっていた。
彼女が甲斐甲斐しすぎるのだ。
遠くにある新聞をチラ見するだけで、ぽちが「はいっ、どうぞ!」と取ってきてくれるし、鼻をかもうかなと思ったら、読心術のようにティッシュをすかさず鼻に押し当ててくれるのだ。
トイレに行こうとするとついてきて、扉の開け締めまでやってくれる。
一緒にトイレに入って、ズボンのチャックをおろそうとした時はさすがに追い出した。
そうだ、今はまだ「動いている」ほうなのだ。
ぽちは食事を「あーん」して食べさせようとしてくるし、風呂では服の脱着までやりたがる。
さすがにそれらは断ったが、彼女は全身不随の患者に接するかのように、オッサンの身の回りのことを、なにもかもやりたがるのだ……!
アクトが薄ら寒いものを感じているこの瞬間にも、ぽちは「名案が思いついた」、みたいにぽんと手を打ち合わせていた。
「あっ、そうだ! 今日はご主人様が幻想界に来て1ヶ月目の記念日ですから、ごちそうを作りますね! これから街に野菜を売りに行くんですけど、お祝いも買ってきます! なにがいいですか? 末永く楽しめるのがいいですよね? 漫画はどうですか? 『ゴチ亀』全巻とか、『ゴリラ13』全巻とか……それとも新しく発売されたゲーム機、『レバー』とかどうですか!? ソフトも全部つけて……ああっ、だったら漫画とゲーム、両方買ってきますね!」
孫にメロメロのおばあちゃんみたいな甘え声。
しかし……アクトは別のところに食いついた。
「……街? ぼ……俺も行く! 俺を街に、連れていってくれ……!」
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